Diving into Emotions.   作:粗茶抹茶

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あの日、忘れた事

今日もマスターは

 

 針のように細く鋭い直射日光が人々を嬲る真夏の日、鍔広の帽子を被った一人の女性はある扉の前で立ち止まっていた。

 帽子から飛び出す耳は彼女がウマ娘である事を意味し、自然に揺れる尻尾も同様だった。

 彼女は片手に握った手紙、三ヶ月前に送られた手紙の住所を辿りここまで来た。

 

『暇なら来るといい。君が満足できるような珈琲を提供できるとは思わないが』

 

 手紙の文面を思い出し、溜息をこぼす彼女はもう片方の手を扉のハンドルにかけ、開いた。

 

 木製の扉を開けた先には、片手で数えられるほどのテーブル席と、カウンター席が六人分。

 人の賑わいというのをやや苦手とする彼女(アグネスタキオン)らしい小規模な店である。

 既に明かりの灯った店内にはちらほらと客が居た。

 新聞片手に珈琲を飲む初老の男性。

 紅茶とスイーツを写真に収め、投稿サイトに上げる大学生。

 優雅に紅茶を飲み、スイーツを食べる薄紫の髪をしたウマ娘と頬杖をつきながらそれを眺める男性。

 まだ時間的には空席の多い時間帯ではあるが、それでも十分と言えるような客数であった。

 

「いらっしゃいませ……おや、珍しいお客さんのようだ。君は……そうだな、この席に座るといい」

 

 店の代理マスターを務めている男はそう言いそのウマ娘をカウンターのある席に誘導する。

 

 彼女が座った席の隣には一人のウマ娘が座っていた。

 

「やあ、随分と久しぶりじゃないか、カフェ」

「貴女が店主じゃなかったんですか……タキオンさん」

「店主はもちろん私だよ。けれどマスターとしての実力は彼の方が上でね。こうして大体の時間は彼に務めて貰っているのさ」

 

 なんて言う彼女もエプロンを身につけているあたりカウンターに立つのはやぶさかではないのだろう。

 マンハッタンカフェは渡されたメニューを読む。あからさまに多い種類の紅茶に彼女らしさを感じたが、メニュー下部にある豆の名前に安堵の息をこぼす。

 

「グアテマラをひとつ」

「かしこまりました」

「私にはキャンディを」

「自分で淹れてくれよ……ったく。先にコーヒーから淹れるからね?」

 

そう言うと男は缶の中からコーヒー豆をハンドミルに入れるとハンドルを回し、豆を砕く。そうして、中挽きくらいまでにした豆をガラスポットに入れ、上から湯を注ぐ。

 

「フレンチプレスですか」

「ああ、色々試した結果僕に合う淹れ方がこれくらいしかなかったからね。でも一応サイフォンとネルドリップもできるよ、まだまだ修行中だけど」

 

 コーヒーが出来上がるまでの数分、マスターである彼とマンハッタンカフェのコーヒー談議は止まり方を知らず、隣に居るアグネスタキオンが頬を膨らますまで続いた。

 

Ring

 

 納得いかない、彼はどうしてあそこまで笑顔でカフェと話せるのだ。コーヒーの話題が合うからか?

 なんというか、彼のそういった顔が私だけに向いていないことに、針で刺されるような感覚を覚える。

 

「マースターくぅん。そんなに話していて良いのかい? ほうら、もう四分くらい経ちそうじゃないかほらほら、せっかくのコーヒーが不味くなるぞー?」

「えっもうそんなに経ってる? いっけね、話してる場合じゃなかった!」

 

 慌てたように、フレンチ……何とかを動かしている彼は放っておくとして、珍しい客人との会話を私はすることにした。

 

「それはそうと、改めて久しぶりだね、カフェ。それにしても、君に白のワンピースが似合うとは思わなかったよ」

「私にだって着る服の自由くらいあると思いますけどね」

 

 そりゃそうだ、しかし彼女のイメージカラーとは対極の、むしろ私に宛がわれたその色を使いこなされるのを見ると嫉妬心が湧くようなそうでないような気分なのだ。

 それはきっと、あの勝負服を、あの『白』を彼が綺麗だと褒めてくれたからだろう。

 

「そういえばカフェ、君は卒業後、どうしていたんだい? 住所だけはわかっていたのだが、押しかける気にはならなくてね」

「ああ、その事ですか。それならこれを見れば分かるかと」

 

 そう言うとカフェは、右手の手のひらを私に向ける、向けられた手の左から二番目、薬指には鈍く光るそれ──指輪が、付け根にぴったりとはめられていた。

 

「ゆ、ゆ、指輪ァ!?」

 

 思わず叫んでしまう。店内全ての視線が集まった気がした。それもすぐにばらばらになると、カフェは口を開いた。

 

「うるさいですね、そんなに叫ばなくてもいいじゃないですか」

「いやいや、指輪だぞ? しかも右手薬指に! 君がファッションのつもりでそんなのをつけるとは到底思えないのだからそれは……」

「それは?」

「相手ができたのか君は? そういう仲になるほどの相手が」

 

 私の質問にカフェはしばらく視線を泳がせると、顔をほんのりと紅くした。

 

「……相手は、貴女よりかは、マスターさんの方が知っていそうな人です」

「私より(マスター君)が知っている? そうなるとトレーナー達の中からになるな……。 !! そうか、そりゃ当然か!」

 

 しかし、こうも似通った関係が近くにいるとは驚きだ。

 

「カフェ、それは君のトレーナーから貰った物だね? ふぅン……しかし、婚約まで取り付けるとは、どちらが大胆なのだろうかな?」

「……私から、お願いしました。成人するまでの間はこれが、私とあの人を繋いでくれますから」

 

 私のライバルはこうも大胆でロマンティックだったとは。意外すぎる。

 ちょうどその時、コーヒーを淹れ終えた彼がこちらにやってきた。

 

「お待たせしました、グアテマラになります」

「あ、ありがとうございます」

「それと、その指輪……そうですか、あいつもやっと腹決めたんですね」

「ええ、『お友達』にも手伝ってもらったりしましたけれど、卒業式の日に直接渡してもらいました」

 

 それを聞いた彼は腕を組んで、目を瞑る。考え事でもしているのだろうか。

 目を開いた彼は冷蔵庫の扉を開けると、中から切り分けられたケーキのような物を出すと、カフェの前に置いた。

 

「……これは?」

「うちで売ってるチーズケーキだよ。僕の奢りだ。ちょっとしたお祝いだと思ってくれるといい」

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

 カフェはそう言うと、チーズケーキを受け取り、もくもくとそれを口に運ぶ。

 

「おいしい……ですね。甘すぎなくて、とても良いと思います」

「ありがとう、自信作なんでね。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 誇らしげにする彼を見て、声を上げる。

 

「なっ、ずるいぞマスター君。私にもチーズケーキを奢ってくれよー」

「君はいつも食べてるでしょうが。それもおやつの時間だからとか理由をつけてさ。一応商品なのを理解してくれよ店長サマ」

 

 言い返されてしまい、思わずむっとしてしまう。まあいいか、私は席を立つと自分の足で冷蔵庫まで向かう。

 

「む……?」

 

 冷蔵庫を開けた先には、何もなかった。しょうがない、ここは私も店長らしく、人を動かしてみるとしよう。

 

「マスター君、チーズケーキが切れているぞ。補充を忘れたのかい?」

「えー? 下段には入ってないの?」

「同じように空っぽだよ。うちの一番人気なのだからさ、それが無いと客が離れてしまうぞー?」

「はいはい、わかったよ。作ってくるから接客お願いね」

 

 そう言うと彼は上の階へ向かって行った。

 しょうがない、いつもより時間は早いが、カウンターに立つとしようか。

 

私の心、彼の者知らず?

 

「やあおまたせカフェ、これからの時間は私がマスターだ」

「むう、そうですか……あの人とのコーヒー談義は面白かったのですが……」

 

 カウンター前に立ち、そう言うとカフェは少ししょぼくれた顔を見せる。既にチーズケーキを食べ終えたカフェはコーヒーを一口飲む。

 

「しかしスイーツを出すとは彼も悪い人だねぇ。コーヒーと合わせた場合太りやすくなるそうじゃないか」

「ケーキを頂けなかった腹いせでしょうけど、運動すれば問題ありませんから」

 

 むう、八つ当たりなのがバレてしまったか。

 それからというもの、私とカフェの間に会話は無く、店内の客も何回か入れ替わりをした。

 そして、店内からカフェを除く客が全ていなくなった時に私も口を開いた。

 

「もう少し先だと思っていたのだがね」

「どうしたんですかいきなり」

「君の婚姻だよ。成人と言えば来年じゃないか。そんなに急ぐ理由なんてあったのかい?」

 

 彼女の話を聞き始めた段階から思っていた疑問だ。なぜなら、そんなに急がずとも彼女のトレーナーならカフェの人生を優先させるだろうに。

 

「それですか……それはあの人がまだ、トレーナー業を続けてるから、でしょうか」

「ふむ……つまり君は嫉妬してしまったのかい? 君のトレーナーだった人が新しく担当するウマ娘達に」

 

 それを聞いたカフェは思い悩んだように目を瞑り、上を向く。

 

「嫉妬……と言えばそうなりますね。彼女達には悪いですけれど、あの人だけは渡せないと思ってしまって。それに案外、普通だったりするらしいですよ?」

「普通って、卒業して即婚姻なんてかなり吹っ飛んでると思うぞ私は」

 

 もう少し過程くらい積んでみたらどうなのだ。

 それを知ってか知らずかカフェは話題を変えてきた。

 

「そういえば、タキオンさんはマスターさんとはどういった状態なんですか?」

「マスター君か、相変わらず私の助手でモルモットのつもりでいるよ。まったく、同棲しているというのに、彼は何を考えているかが分からないから困ったものだよ」

 

 まったくもって腹立たしい。そも、何故あの日彼は私に鍵を渡したのだろうか。単純な好奇心か? それとも私には言えない理由でもあるのだろうか。そしてなのだが、何故同棲という手段を選んだのだ?

 

「分からないって……貴女に気があるわけじゃないのですか?」

「そこが分からないんだよ。どちらかと言うと『保護者』に近い感覚を覚えるね」

 

 『保護者』というにはあまりに歳が近いのだけれども。

 

「いつも起こしてくれるし、食事の準備は彼がしてくれる。なんともありがたいのだが、もうそろ私もいくつか家事ができるようにならないとな…………そうだカ「教える気はありませんよ。それこそマスターさんに教えてもらえばいいじゃないですか」」

 

 言う内容を察知したのだろうか。私が言い切るよりも速く彼女は遮る。そしてその双眸を閉じ、呆れたような表情をわざわざ見せつけてからコーヒーを飲んだ。私を煽るスキルが上達していないか?

 

「まだ言い切ってないじゃないか」

「それでも察しくらいつきます。それよりどうしてマスターさんに教えてもらうという考えが欠如していたのですか?」

 

 欠如とは失礼な。私はただ単純に忘れていただけだと言うのに。それにこういうのは気づかれない(サプライズである)方がまた面白いのだろう?

 

「もしかしてタキオンさんってかなり──奥手(ビビり)──なんですか?」

「なっ────」

 

 突然の発言に驚いてしまう。そんなわけない、彼との関係は一歩ずつではあるが進んでいる……と信じたい。

 

「入店してから、お二人の会話とか聞いていましたけど。なんというか、あの頃と全く変わっていないんですね」

「それは進展がないと捉えていいのかな?」

「進展が無いと言うより『始まって』すらいませんね」

 

 私はその言葉を疑う。女優業に勤しむ彼女らしい巧みな演技ではないのかと。

 

「貴女のことですから、どうせ直接的に伝えたり、そういった素振りを見せたりしていないのでしょう。それでもって自分だけ想いを募らせていると」

「なっ、それがどうしたんだ。そういったオーラを出すのはなかなかに恥ずかしいんだぞ。それを言うなら気づいてくれないマスター君の方が悪いと私は思うが」

 

 あれだけ状況証拠を残しているというのに気づかない彼がとんちんかんで悪いのだ。

幼稚(子供のよう)な悪態を吐き溜息を吐く私を見てカフェは告げる。

 

「案外男の人は気づきにくいものですよ。それにずっと放置していたら誰かが持っていっちゃうかもしれませんよ。まあ私の知った話じゃないですけど」

「じゃあどうすれば良いんだい。そういうんだ。君は解決策(素晴らしい答え)を知っているのだろう?」

「別に……感情に素直になればいいんじゃないんですか?」

 

 感情、即ち自分に素直になれと彼女は言う。私はその難しさを知っている。

 半年前の思い出、あの雨の(涙を隠せた)日程、私の心はそう簡単に素直になれないのだ。なかなか惜しいことをしてしまったと思う。あの時ちゃんと言葉で言えればこうも悩む必要など無かったのに。

 そう悔いてももう遅いのだが。

 

「感情に素直に……ね。検討すべき案として受け取っておくよ」

「そういうところですよ貴女は……まあ、頑張ってください。私も友人が上手くいかない姿を見たいわけじゃありませんから」

 

 そう言うとカフェは残りのコーヒーを飲み干すと、席を立つ。どうやらお帰りの(話すことも無い)ようだ。

 

「タキオンさん、お会計をお願いします」

「ん、わかったよ」

 

 そう言い私はキャッシャーの前に立つ。キャッシャーの操作はなかなか慣れないものだ。単純に経験値が少ないからだろうか。そう考えると彼はなかなかに多才なのだな。

 あの年齢でいろいろできるところから彼の過去は気になるが、今は目の前の友人()に集中するとしよう。

 

「ええっと、グアテマラを一杯とチーズケーキ……は彼の財布から引き落としておくとして、四百円だ」

「財布からって……お給料からじゃないのですか」

「まあね。彼自身給料はいらないなんて言うんだ。そういうところも不思議だよ」

「……!! ふふ、そうですか」

 

 突然笑うカフェに少し気味悪さを感じる。

 

「なんだい、労基にでも触れてるのかい?」

「いえ、そうではなくて、私が心配するだけ無駄骨だったのでつい」

「???」

 

今回ばかりは彼女の言うことが本当に分からない。どういうことか問い詰めようと思ったのだが

 

「はい、四百円です」

 

するりと躱されてしまった感じのようだ。

 

「あ、ああ丁度預かるよ。レシートはどうする? サインでも付けようか?」

「レシートは受け取りますけど、サインは要りませんよ」

 

 キッパリ断られてしまった。彼女らしいと私は思いながら機械から吐き出されたレシートを彼女に渡す。彼女はそれを受け取ると。財布にしまい、扉のハンドルに手をかけ、こちらを振り向く。

 

「懐かしい話や今の話ができて楽しかったです。またいつか来ますね」

「ああ、待っているよ。今度は君のトレーナー(想い人)でも連れてくるといい」

「ええ、そうさせて頂きます。それでは。あ、あとマスターさんにコーヒー美味しかったですと伝えておいてください」

 

 彼女が扉を開けると外の熱気が入り込む。室内の冷気と混ざりあったそれはやけにぬるく、私に夏の訪れを再認識させた。

 

Q.何故君は

 

 カフェが退店してからは、それなりに忙しかったことを覚えている。

 ちょうどチーズケーキを作り終えた彼にメインの業務を任せて私は配膳に勤しんだ。渡された客達の笑顔というのも悪くない、と思えるようになったのはきっと彼のおかげだろう。

 そして時刻は夕方五時、商店街に賑わいが起こり始める頃、私は店の扉に"CLOSE"の札を掛ける。今日はもう店じまい(プライベートタイム)、という訳だ。

 

「タキオン、今日もお疲れ様」

「ああ、君もお疲れ様といったところかな? 今日は随分と忙しかったからね。おおよそ、どこかのインフルエンサーが広めたんだろう」

「そうかい、じゃあしばらくは忙しい日が続きそうだな」

 

 使用した器具のチェックとメンテナンスを行う彼はそう言う。まあ、誰がインフルエンサーなのかは言わない方がいいのかもしれない。

 

「そうだ、忘れていたよ」

「何をさ」

「キャンディ紅茶とチーズケーキをだよ。結局あの時、君はどちらもくれなかったじゃないか。ずっと待ってたんだぞー」

「ああ、それか。ちょっと待っててね」

 

 そう言うと彼は冷蔵庫からチーズケーキを取り出す。どうやら仕込み分も売れて残りは二つだけのようだ。そしてどこからか、魔法瓶を取り出すと蓋を開け、上の階(自宅)から持ってきたであろう二対のマグカップに中の液体を入れる。この鼻につく甘い匂いは、まさしくキャンディ紅茶そのものだった。

 

「ほい、砂糖とミルクはご自由にどうぞー」

 

 彼はそう言うと私にティースプーンを渡す

 

「ん、ありがとう。ああ、それとカフェが君に言伝を頼んでいたよ。コーヒーは美味しかったと、ね」

「そうかい、それは良かった」

 

 私はティースプーンを受け取ると、スティックシュガーを数本紅茶に入れる。それをかき混ぜれば簡易的だが私好み(糖分たっぷり)の紅茶になった。

 互いにカウンター席に座り、チーズケーキと紅茶を味わう。舌に感じるレモンの酸味というのもなかなかに悪くない。

 しかし、今日は色々なことがあったな。カフェの来店、それに婚姻の報告。突然増えた新規客に……私と彼の今後について。

 どうやら聞くべきことは色々とあるらしい。特に私と彼の今後については絶対に聞くべきだろう。

 

「なあ、■■君。一つ、質問をさせてくれ」

「ん、いいよ。どうかしたのかい?」

 

 隣でティースプーンをかき回す彼はこちらを見ずにそう答えた。見たところスティックシュガーを二本と、小分けされた容器の液体、ポーションクリーム(植物性油脂)を一個入れたらしい。私はあれが苦手なのだが、それについてはどうでもいいだろう。

 私も同様に彼を見ずに、質問をする。

 

「そうだな、単刀直入に聞く。君は私をどう思っている? どう見ている?」

「どう……ってどういう感じよ」

「だから、私に対して何か思うところがあったりするんじゃないのかって話さ」

 

 それを聞いた彼は顎に手を乗せて、首を傾げる。私にとってはそれが少し不安だった。真っ直ぐに、考える必要など無く、答えが出ると思っていたからだ。

 

「そうだな、僕からすると、君は我儘で、甘えん坊で誰かの庇護下じゃないとこの世界じゃ生きてけない人だね」

「そう──か」

 

 『誰かの(自分やその他)』と、確かに彼はそう言った。自分じゃ不釣り合いなんてふざけた台詞を聞くことはなかったが、裏を返せばそれは、自分以外にも私の世話ができる人がいれば自分はお役御免だということでもある。

 つまり、つまり彼は私をそう見てくれてはいないということである。

 莫迦だった。少しでも期待して、彼に気を向けられているかもしれないなんて思っていた私が恥ずかしい。

 

「タキオン? ターキオン、どうしたのさ、ぼーっとして」

「ん、ああ、すまない。そうか、やはりここのところ少し我儘しすぎたか私は。ふぅン……いいだろう、■■君、今度の定休日は私に家事を教えてくれ」

「そりゃいいけど、突然どうしたのさ」

「いつかのためだよ、いつかの。備えあれば憂いなしと言うだろう? それじゃ、私は先に戻っているよ。後片付けは任せたよ?」

 

 チーズケーキも、紅茶も半分程残して私は店の外に出る。未だ頭上近くに居座る太陽の暑さを感じる。暑くて、熱くて、私を信じ続けてくれた彼のようで──苦しい(嬉しい)。急いで階段を駆け上がる。自室の鍵を開け、靴を乱雑に脱ぎ捨て、部屋のベッドに身を投げる。私に宛がわれた個室、このシングルのベッドもきっと、そういうことなのだろうと疑ってしまう。

 けれど、チャンスが無くなった訳ではないのだ。私が、私自身が素直になれさえすれば、あの日の情動を取り戻せれば良いのだ。

 横になったことで重くなった瞼、沈みゆく意識の中、私はその時をただ、願った。

 

 私はいつ、君に言えるのかな?

 

   ○○○

 

 今日のタキオンはどこかおかしかったような気がする。マンハッタンカフェの話を聞いていた辺りからだろうか。そして先程の質問。上手くごまかせたのかは分からないけど、まあ、そういうことだろう(・・・・・・・・・)。嬉しさと、少しばかりの申し訳なさが溢れてくる。

 それを押し込むように僕は紅茶を一気に飲むと、立ち上がり、茶葉の入った棚を開く。そして棚の奥、隅の方に隠した小箱を取り出す。

 

「これを渡せるのはいつになるんだろうか。そういう点じゃ、僕はあいつよりも臆病者なんだろうな」

 

 蓋を開ける。未だ誰の手にも触れていないそれはきらりと、一瞬輝く。僕はそれを確認すると、蓋を閉じ、同じ場所に戻す。

 どうして僕はあの日言えなかったのだろうか。傷心していた彼女につけ込んでいたかのような気がしたからなのだろうか。それともただ、僕が臆病で小心者だからなのだろうか。今となっては知る手立てなんてないけれど。

 

「それでも、いつか渡せる時が来ればいいな……」

 

 誰でもない、自分への言葉を口にし、僕はまた、後片付けの作業に戻った。

 

 僕はいつ、君に言えるのだろうか。

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