季節とは移ろい、その姿形を変えるものだ。あれだけ人々をいたぶっていた真夏の日光も木々の葉が黄色くなる頃には既になりを潜め、その葉が紅く染まる頃には逆に人々は日光を求める程だっただろう。
そんな晩秋を感じる十一月もあと数日かという日のこと。喫茶店が定休日であるにも関わらず僕とタキオンは、朝から堕落という沼に沈んでいた。
「なあー、■■君。何かすることはないのかぁい?」
「そんなこと言われてもなぁ……よく分からない行列が無くなってきたのが先週だろう? それまで結構家事ができなくて食器とか洗濯物とか溜まっていたじゃないか」
「うんうん、そうだねぇ。塵も積もればなんとやらという実例をこんな形で見ることになるとはねぇ。でもそれは昨日全部片付いてしまったじゃないか」
そう、急激な新規客の増加と今の完全な堕落状態は関連している。ある日を境に増え始めた客が、また客を呼び、三ヶ月以上も満席状態が続くとは思わなかった。
この状態だと埒が明かないどころか、僕もタキオンも過労死しかねない勢いだったので僕はある提案をタキオンに持ちかけた。
「しかしスカーレット君たちには感謝してるよ。私たちが期間限定のアルバイトの募集をかけたら真っ先に来てくれたようだし」
「ほんとあの子は君のことになると真っ先に飛んでくるな。なんか弱みでも握ってるの?」
「そんなわけないだろ。むしろ私が聞きたいくらいだよ。どうして私にここまで付き従ってくれるのかとね」
それもそうか、彼女の信頼は友人よりも親に対する子のそれに近い気がするし。ただまあ、彼女たちが来るようになってある程度楽にはなったのだけれども──
「けど彼女たちがバイトに来るようになったらそれはそれで集客効果になっちゃったよなあ」
「それは彼女たちも謝っていたじゃないか。まあ、貴重な経験を積ませてあげられたのは良かったと思うぞ私は」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんさ」
そんなことがあって喫茶店の賑わいは、先週まで続いてしまったのだ。ちなみに今日は定休日ではあるが、今週は全日休業のスタイルを取っている。休ませてくれとタキオンがごねる以前に、僕も休みたかったのだ。
しかし、こうも連日休みとなっていると、逆に何か動きたくなってくるのは人の
「それよりなんかやることないのかー■■君」
「そんなこと言われてもなぁ……」
気になって辺りを見回す。何か、やり残した家事とかは……無いか。流石に、家事のできる人が増えた現在では、そういった暇つぶしを見つけるのも難しい。
とりあえずでスマホを開く。適当に溜まっていた通知欄を一つ一つ消していると、ある文字が目に入った。
『本日は二の酉!』
二の酉、二の酉、酉の市……
「……あー! あれ買い忘れた!」
思わず叫んでしまう。そうだ、アレを忘れていた。
「うわっ、なんだいうるさいぞ■■君。それより何を忘れたんだい?」
「熊手だよ。今日は酉の市だったんだよタキオン、神社に行くから支度して」
椅子から立ち上がり、彼女を急かすと、やたら不満げに彼女は答えた。
「神社に行くって……熊手を買うだけなら君一人でいいじゃないか。私がついて行かないといけない程の理由でもあるのかい?」
さっきまで暇だ暇だと言っていたのはどこの誰なんだか。
「ついでにお昼ご飯食べに行くけど?」
「……しょうがないな、支度するから先に下で待っていたまえ」
どうやら彼女も来てくれるようで一安心する。僕は彼女の言うように、上着を羽織り、下で待つことにした。
下で待ち始めてから二十分が経った。今日は雲ひとつない快晴だと言うのにひゅうと吹いた北風が寒い。気になって季節の風を調べてみるとどうやら
「もう冬か……」
季節の移ろいに少し感傷的になっていたら、後ろから靴音がした。どうやら支度は終わったらしい。
「待たせたね、それじゃあ行くとしようか」
「ああ……って随分と薄着な気がするのだが」
上から降りてきたタキオンは、紫のオフショルダー姿だった。以前、その格好の彼女と出かけたことはあるのだが、その時は桜の蕾がいくつか開いていた、しかし今は紅葉が地に積もるのだ。
「そうかい? 今日の天気は晴れ、このくらいの日光なら全然寒くな──寒っ!?」
突如吹いた高西風に彼女は驚いた顔をすると、体を震わせた。
「だから言わんこっちゃない。それに日が暮れるのも早くなってんだからさ、戻ってくる頃には真っ暗だよ?」
「そ、それを早く言ってくれよ君ぃ……。わ、私は上着を探してくるから待っててくれ」
「あ、待って」
そう言い自宅に戻ろうとする彼女の腕を掴み引き止める。衣服越しではあるが、彼女の細腕にどきりとしてしまう。それでも彼女をちゃんと見る。
「わ、なんだよ君はいきなり」
「今から戻って探すとなると時間が更にかかっちゃうだろ? ほら、これ着れば良いよ」
そう言い、僕は彼女に自分の上着を渡す。
黒のジャケット、彼女の衣服のサイズよりも随分と大きいそれを受け取った彼女は、それを羽織る。袖の部分が余り、だらんと垂れるのを見て、僕は彼女の勝負服を思い出す。
彼女の『らしさ』が詰まったあの
ただ、こうして袖を遊ばせる彼女を見ると、僕は勝負服ももちろんだが、それを着る彼女を綺麗だと思ったのだろう。
「むう……袖が余って邪魔なのだが」
「それならこうやって……できた。これでいいんじゃないかな? 」
袖を捲り、彼女の手を顕にする。細い彼女の手。どうしても薬指に目が行ってしまうのは、
"いつかは、きっと" そんなことを半年以上も願い続けている僕は、タキオンと向き合えてるだろうか。
「……へくちっ」
そんなことよりも今は寒い。しかし彼女に言ってしまった手前、後には引けない。
「どうしたんだい君は、そんな妙ちくりんなくしゃみをして」
「ん……大丈夫。それより神社に行こうか」
どっちもきっと痩せ我慢だけれども。
結果から言えば、熊手の購入は特にアクシデントも無く達成することが出来た。今年の二の酉が平日だったのが幸いしたのだろう。
「なあ君、後生だからあのベビーカステラを買ってくれよー」
「これからお昼なんだから我慢してよ……」
「いいじゃないかー」
境内を歩く中、僕はこのお願いを五度程却下している。後ろで喚くタキオンには申し訳ないが、しばらく我慢して欲しい。
境内を出て、目の前の旧道を横断する。五街道の一つだった名残なのか、平日である今日も交通量は多い。道路を渡り、すぐ側にある雰囲気のいいカフェレストランの前で足を止める。どうやら彼女も気づいたようだ。
「ふぅン……ここが君が行こうと思っていたところかい?」
「そうだね、前々から気にはなっていたからさ、行くなら今日だと思ったんだよ」
食事にありつけることがわかったのか、不満げな顔からいつもの顔に戻った彼女はスタスタと歩くと、店内へ入っていった。彼女を追い、僕も店内に入ると、彼女は既に席に着いて、喉を潤している。コップが二つあるあたり、ちゃんと二人で来たと言ってくれたのだろう。
「おまたせ、メニューはどこに?」
「待ってくれ、今は私が読んでいる」
ラミネート加工された一枚のメニュー表を片手に持ち彼女はそう言う。メニューが一枚で済んでいるのはコストカットか商品への自信だろうか。
「へえ……なかなか面白いメニューがあるな……君が気になるのも頷ける」
「そうでしょ?」
「そうだね……私はこのホットサンドと鶏肉のフリットにしようか」
メニューを一通り眺めたのか、彼女は僕にメニューを渡すとそう告げる。
「そうかい、なら僕は……そうだな、このローストビーフ丼とサラダ、あとフィッシュアンドチップスは君も食べるだろ?」
「そうだね、私も頂くとしよう」
注文するものが決まった僕らは店員を呼び、それぞれの食べたいものを注文した。
料理が配膳されるまでの間、僕は雰囲気を楽しんだ後、彼女に気になっていたことを聞いた。
「そういえば、なんだけど。君は今年の三月でトレセンからも、レースからも卒業したけれど、それはどうしてなんだい? 君の実力なら
「ああ、その事か。それなら君だっておおよそ検討は着いているんじゃないのかい?」
「検討ねぇ……まあ無いわけじゃないんだけどさ……『本格化』の期間が既に終わってしまった、とか」
「正解だ。どうやら君のトレーナーとしての目は衰えてはいないようだね」
そんな理由だろうとは思ってはいたが、改めて彼女の口からそれを聞くと、少し寂しい気がしてしまう。
「まあ、そんな悲しい顔をしないでおくれよ■■君。これでも私は感謝しているんだよ?」
「感謝、か」
「そうだとも、きっと君がいなかったら、私はレースに出てたとはいえ、きっと
袖の方が長いから通しきれてはいないけどと彼女は笑いながら言うが、彼女の物語がそんなところで終わってしまうのは酷く悲しいと感じてしまう。
「だーかーら、なんで君はそんなにも顔を歪めるのさ。
そう言うと、彼女は一呼吸置くと、
「だから、ありがとう」
そう言った。
「そうか、そう言ってくれるなら僕は嬉しいよ」
彼女の言葉に僕は少しだけ、救われたようなそんな感じがした。
「それでさ、『本格化』の終わりを感じたのはいつ頃なのかな?」
「それは……ファイナルズを終えてから一月経った頃だったね。朝起きたら、『ああ、これが終わりというものか』となったのを今でも覚えているよ。借りていたものを返してきたような気分だったね」
「それでも君があっさり身を引くなんてね。プランAはどうしたんだよ」
レースからの引退、それは即ち、彼女のプランAの破棄を意味する。一体彼女はどうするつもりなのだろうか。そう思っていた僕に対して、彼女は予想外の答えを返す。
「プランAはまだ続いているぞ? 身体強化のメソッドをウマ娘のトレーニングプランに汎用できるようになれば、更なる高みだって夢じゃないだろうさ」
高らかにそう言う姿はやはり研究者なのだなと僕に感じさせる。
「しかし、それはまだしばらく先でもいい気がしてね、今はこうして得た新しい機会にも目を向けるべきだと思ったのさ」
「驚いたよ、君が研究よりもこの生活を優先させるなんて意外だな」
理由は……薄々感じてはいるが、本当にそうなのだろうか。単なる
それでも、本心を聞かずになあなあで居続けるのも酷いものだろう。
「タキオン、君は本当に──」
「おまたせしました、こちらご注文のお品物になります」
後ろから店員の声がすることで言葉を噤んでしまう。どうも運命というのは先延ばしを好むようだ。
「あ、どうも」
配膳された料理を受け取り、テーブルに置く。写真で見る限りでは美味しそうだったのに、心にもやがかかってしまった今だと、そうもいかないらしい。
「……? どうしたんだい君は。食べないのかい?」
「ああいや、食べるよ。いただきます」
料理を頂く。美味しい、どうやら味覚までは麻痺していないようで安心した。黙々と食べ進んでいるうち、彼女が話し始める。
「そういえばさっき、私に質問しようとしていたが、なんだったのかな?」
「ああ、それね。いや、君は本当に研究が好きなんだなって」
ずきりと、ずれてしまった心が擦れて悲鳴をあげる音がした。
あの日、彼女に自分の気持ちに正直になれなんて言った手前、そうなれない自分が酷く惨めだ。
「それはそうだろう。研究は正しく行えば確かな結果が返ってくる唯一の方法なのだから」
「そうかい、それは良かった」
「ところで、私にそんなことを聞くなんてね。これは残りの休日全て新薬の実験をしてもいいということかな?」
「はいはい、深夜と早朝以外なら良いよ。ただし、この前みたいにとんでもなく苦いものにしたりとかは無しだからね」
彼女にちょっとした約束を取り付け、上手く誤魔化したところで、僕たちはちょうど食事を終えた。彼女を先に外に出し、会計をする。五千円、少し値は張ったがいいランチになったと思う。
「そうだ、少し買い物していこうか」
先に店を出て、待っていた彼女に僕はそう言う。
「随分と突然じゃないか。それで? 何を買いに行くってんだい?」
嫌がらないあたり、どうやら
「そうだね、とりあえず近くのショッピングモールで君が割っちゃった食器とか色々買っておこうか」
「むう、それは申し訳ないとは思っているけどさ、いちいち言わなくてもいいじゃないか」
「あはは、悪かったよ」
ちょっとだけムスッとした彼女を連れてショッピングモールの入口を通る。中は所々装飾されており、どうやらアニバーサリーの期間らしい。そちらを気にするより先に僕らは三階、エスカレーターを登った先の店で、大皿や、小皿を買った。
目的の物を買い終え、適当に歩き回っている途中、通りがかった雑貨屋で
「お、どうだい■■君、これも買ってみたらどうだい?」
彼女が見せて来たのはアロマキャンドルだった。クリスマスの日のことが頭に浮かぶ。
「いいんじゃない?
「はっはっは! それもそうだったね! いやー思い出すだけで笑えるよ!」
「僕は災難だったけどね」
笑い過ぎたか、咳き込む彼女の背中をさすっている時、僕はある物を見つける。
「タキオン、こういうのもいいんじゃない?」
「うん? この写真立てかい?」
「そうそう、僕らの写真はアルバムにしまってはあるけどさ、いちいち開けるのもどうかなって思ってね。それなら写真立てをいくつか買って、僕らの部屋に飾ろうよ」
彼女との思い出を振り返る方法があってもいいと思う。そう思えるくらいには僕らの部屋は少し殺風景だったのだ。
「別にいいんじゃないかな? 私もアルバムを開けるのは面倒だと思っていたところだからね」
「それもそうだね。じゃあ、会計に行こうか」
写真立てとアロマキャンドルを買い物かごに入れてレジへ向かう僕の服が、後ろに引かれる。
「どうしたのさ、いきなり引っ張って」
「少し……気になることがあってね」
「気になること?」
気になることがあるとはどうしたのだろうか。
「今日、君は私に一度も財布を開かせていないな。君ばっかり支払いをしている気がするが、そんなにして問題ないのかい?」
どうやら、僕のお財布事情についてのようだ。
「問題はないよ。それなりに余裕はあるし、まだ学生時代のバイトで貯めた貯金だって残ってる」
実際、担当がつかない期間を見越して貯金をしていたから余ってしまってしょうがない。
「そう、か。いや、それならいいんだ。ただ、少し気になってしまってね」
「そういうことだからさ、とりあえず会計しようか」
「……それもそうだな」
彼女はそれ以上聞こうとはせず、僕もそれ以上は話さなかった。金銭の話は誰彼構わずこうなってしまうから嫌いだ。
「それじゃあ、帰ろうか」
「そうだね、日も少し暮れてきたみたいだし、上着がない分、外は寒そうだね」
「ならば走って体でも温めるかい?」
「やめとく。汗で風邪を引いてしまいそうだ」
梱包された商品を受け取って、下りのエスカレーターに乗っている最中、そんな会話をしていると、チリンチリンと、ハンドベルの音がする。
「ああ、そういえばアニバーサリーのイベントをしていたんだったっけ」
「ふぅン……どうやら一階の広場で福引抽選をしているそうだ。興味が湧いた、行ってみようじゃないか」
下の階を見ていた彼女はそう言うと、僕の手を引き、エスカレーターを降りていく。
一階に降りて、広場に向かうと抽選待ちの客によってそこそこ長い列が出来上がっていた。
「お会計レシートの合計三千円で抽選一回になりまーす!」
スタッフの掛け声を聞いて僕は財布からレシートを取り出す。横にいたタキオンもそれを見ようと頭を割り込ませた。
「ふぅン……あれだけ買っても四千円程度なんだな。一回しかできないじゃないか。なんなら私が何か買ってこようかい?」
「そんなことしなくて良いよ。僕だって今日がそんな日だとは知らなかったんだからさ。偶然のチャンスだし、何が当たっても怒らないでよ?」
抽選所の後ろに置かれている景品に目を向ける。白球の商品券から始まって、
「えー? 是非とも君には三等のお菓子詰め合わせを当てて欲しいんだけれどな私は。だから三等狙いで引いてきてくれよ?」
「そんなに都合よくいかないよ……」
それに僕は二等の自動掃除機が欲しいのだ。
列は少しづつ進み、いよいよ僕たちの番になった。抽選機のハンドルを掴む、タキオンは僕の後ろで腕組みをして三等が当たるように僕を睨みつけている。
ガラガラガラ…………コン……
それを見た時、その一瞬があまりにも長く、世界が止まったように感じてしまった。排出された球の色は、白でも緑でも、青でも赤でもなく、金色に光り輝いていたのだから。
幾ばくかのタイムラグを起こして、ハンドベルの音がけたたましく鳴り響く。その音で、止まった世界が一気に動き出した。
「おめでとうございまーす! こちら特賞の旅行券になります! カタログ内の全てのホテル、旅館から一つ、二泊三日で部屋を取ることができますのでどうぞご利用ください!」
「あ、はい……どうも。じゃあ行こっか」
「え? あ、うん……」
渡されたカタログと二枚の旅行券を買い物袋に入れて僕は呆然としていたタキオンを連れ、ショッピングモールの外に出る。
外は暗く、日は沈みかけ、体にぶつかる風は方向問わず冷たい。なのに僕の意識はまだふわふわとしている。
「……本当に、君は当ててしまったのか? その、特賞とやらを」
「…………分からない、とりあえず帰ってから確認しようか」
「ああ、その方が良さそうだ」
彼女の言葉に従い、自宅まで、ゆっくりと歩く。その帰り道はやけに遠く感じ、まるで酩酊してるかのようだった。
部屋に戻ってからはあっという間だった。買ってきた物をしまい、同じく買い物袋に入れていたものを取り出した時、先程のことが改めて夢ではないことを思い知った。
そして今は、それをどうするかで思い悩んでいる。
「どうしたものか……」
この
"自分で使いなさい" と返されるのがオチだろう。
つまるところ、残る手段とすれば、タキオンに渡してしまうことだろうか。彼女のことだ、大方マンハッタンカフェ辺りと一緒に行ってくれるだろう。
僕だって行けるなら、彼女と共に行きたいが、彼女の判断を僕は優先したい。
「なあ、■■君」
思い悩む僕にタキオンが声をかける。
「ああ、どうしたんだい?」
「その、旅行券とカタログのことなんだが、私に預からせてくれないか?」
「それは……どうしてだい?」
「……一緒に行きたい相手がいるからだよ」
自分でもわかっていたことなのに、改めてそれが彼女の口から言われることがすごく苦しい。どうやら僕は、思ったよりも我儘な生き物らしい。こんな時に、渡したくないなんて思ってしまうなんて。
そんな感情を押し込め、蓋をする。彼女に素直になれなんて言っていたのにこのザマだ。
「……どうぞ」
僕は彼女に二枚の旅行券と、一冊のカタログを渡す。
「ありがとう■■君。そしてこれは君が預かっていてくれ」
「これって……どうして?」
「
二枚で一対の旅行券の片割れを僕に渡し、彼女はそう言う。
「それに異なる環境下での実験もしてみたいからね! やはり被験者としては君が最適なのだよ!」
はっはっはと笑い飛ばす彼女を見て、閉じ込めた感情が飛び出しそうになる。それでも抑えきれず、少し涙目になってしまう。
「おや、君が泣くほどとは、そんなに感情を揺さぶられるようなことがあったのかい?」
「いや、やっぱり君は君なんだなって。おかしくって笑うの堪えてたらちょっとね。それとありがとう、僕で良ければ一緒に行くよ」
不思議と心のもやは晴れていた。
タキオンから旅行券を貰ってすぐのこと、僕は喫茶店の中にいた。コーヒー豆や茶葉の確認がしたいと言って降りてきたのだ。もちろん、それ以外にも理由はある。
茶葉を入れた棚の奥、暗い隅に隠した小箱を取り出す。蓋は開けない。次に開ける時は、彼女の目の前でと決めたから。
「これを君が受け取ってくれるかは分からない、けれど僕もいつか、きっとを願うだけじゃダメだったんだ。だから、前へ進もうと思う」
胸元で小箱を握りしめ、僕は誓った。前へ進むことを、どんな結果も受け入れることを。
──もう、自分の
○○○
彼が商品の様子を見てくると階下の店に向かってから、私は彼から預かった旅行券を眺めていた。
今日だって何度もチャンスはあった、あった筈なのだ。私の想いを、この恋慕を伝えるチャンスが。けれど出来なかった。いつも一歩、いや二歩手前で止まってしまう。その度に私の素直な幼さが苦しむ。
理由は知っている。嘘をつき、自分を騙して本心を隠すからだ。
彼を旅行に誘った時だってそうだ。被験者が欲しいなんて言ったが、そんなの大ボラだ。旅行券が当たった時から彼と一緒に行きたいとどこか奥底では思っていたのだろう。
そしてこれはチャンスなのだ。最後、とは言わないけれどきっとこれ以上はないと確信を持てる。
「だからこそ、これ以上は先延ばしにはできない、しちゃいけない。君とこれからも、ずっと一緒にいる為に」
──もう、自分の