久々におじゃる丸のわすれた森のヒナタを見て号泣してしまった・・・
一昨日発生した謎の攻撃に職員達はその後始末に奔走していた。謎の不明機は日本軍に対するサイバー攻撃とし、政府は情報統制を徹底させた。
大本営ではサイバー攻撃特別対策班を設置し、常時サイバー攻撃に対応可能な監視体制を作った。
10月13日 13:00頃
「それで、追跡はできなかったと・・・」
「はい・・・幾つもサーバーを経由して侵入された様です。追跡できませんでした。すみません・・・」
「謝らなくていいわよ。それだけ、相手が用心深かったって事よ」
武御雷作戦室で葵の報告を聞いた静は部屋から葵を退出させると静は今後の戦局を予想していた
「(一昨日の攻撃で日本は航空戦力の要であるレーダーに自信をなくしつつある・・・よって航空機による攻撃も減ってしまう・・・)」
そう考えていると静は敵の思惑が見えた気がした。
「(そうか!同盟軍は毎日のように航空機による攻撃が原因で戦線を大幅に押されている。それで少しでも進行を抑えるために航空レーダーにハッキングを仕掛けたのか・・・)」
そう呟くと静はならばと作戦を練り始めた
10月14日 午前4:00頃
大連近郊 アジア連合軍日本派遣部隊駐留地
熊谷率いる菊花師団は一時日本に帰国する為に大連に集まっていた。
「はぁ・・・」
熊谷は宿舎の一室で一枚の命令書を見た。
「帰国命令・・・」
御璽の押された命令書には菊花師団を首都防衛の任に就かせる命令であった。
「(首都圏の防衛・・・軍は何を考えている・・・)」
現在、派遣されている連合軍は快進撃を続け、同盟軍が降伏をするのも時間の問題と思われている。相手はT-54や少数の劣化版85式戦車。対してこちらはM1エイブラムス戦車や10式戦車、99式戦車などの最新鋭戦車である。戦車戦では性能面で圧倒的な力を持っていた。その為、戦線では戦車は温存しているのか前線には戦車ではなく歩兵や榴弾砲が多く確認されていた。
熊谷は少なからずこの命令書に疑問を抱いていた。確かに、戦況は圧倒的に連合軍優勢。戦局は優位に進んでいた。だが、ここで兵力を抜くのは正直に言えば驚きの一言だった。
「(まあ、帰国しても我々は菊花師団。100年以上の歴史を持つ我々はその歴史を背負っているのだからな)」
そう思うと熊谷は近衛軍の歴史を思い出し始めていた。
菊花師団の歴史は1903年の日本での航空機開発実験成功からであった。
航空機の開発に成功した直後、時の明治天皇は情報秘匿をすべく研究所を皇室財産を使用し、研究所(後の日本航空研究所)の用地や施設、研究員を買収。特高と協力し、徹底的に情報秘匿に努めた。当時、ロシア帝国との緊張の高まっていた時期。航空機の開発が成功したことがロシア帝国にもれれば日本はすぐさま戦争に突入してしまいかもしれない。強大なロシア帝国を前に折角の航空機の情報を奪われまいと当時の政府とも共同し、徹底的に隠蔽が測られた。
1904年2月6日 日露戦争勃発
戦争勃発時に航空機の有用性を説いた軍人もいたが、それは軍務省の中でも数少ない意見であった。
そして翌年の9月5日ポーツマス条約により、日露戦争は終結した。
この際、航空機の情報を知っている軍人の殆どが奉天会戦や二〇三高地攻略戦などで戦場の名誉の戦死を遂げていた。残ったのは天皇陛下が信用に値すると判断した陸軍の将校のみであった。
この二人が後の菊花師団となる人物であった。
この時の戦争で多くの兵士を亡くした日本軍は天皇陛下の勅令で近衛師団の縮小と称し、近衛師団の実質解体とそこから抽出された人員による菊花師団の創設を極秘裏に宣言。航空機研究を極秘裏に、本格的に開始した。
極秘裏に設立された菊花師団に初めて命令が下ったのは1916年、欧州動乱中の際だった。
日露戦争の勝利で列強入りした日本は欧州動乱に参戦し、清の利権を獲得しようと考えた大隈重信総理大臣は大正天皇に菊花師団の出動を要請。これに応じ、菊花師団に出動準備が入る。
しかしその一週間後、連合軍、同盟軍両軍に厭戦気運が高まり、結果戦争は両軍の講和という形で集結した。
この数年後、今後多様化する時代に備え、1920年に特務艦『鳳翔』の建造を開始。これを機に菊花艦隊の設立を宣言。
1922年12月27日 特務艦『鳳翔』竣工
1923年1月15日 菊花艦隊設立
初期の菊花艦隊は旗艦鳳翔をはじめとした退役済みの雷型駆逐艦『曙』『漣』の二隻の合計三隻で構成され、拠点を硫黄島に決定。同時に航空機の研究拠点を硫黄島に移転を決定。
それからの10年ほどは硫黄島を拠点に航空機の研究が行われていた。
それから10年ほど経った1938年頃。日米の関係が悪化した際、昭和天皇陛下の勅命により、菊花師団、菊花艦隊ともに戦闘準備が行われた。
この時、菊花師団の陣営は97式中戦車チハ40両、一個歩兵連隊(偵察大隊、小銃大隊、砲兵大隊)
菊花艦隊は旗艦『翔鶴』、薩摩型防護巡洋艦三隻、峯風型駆逐艦五隻であった。
しかし、日米の関係悪化はソ連の介入により最悪の事態は防がれていた。
日米関係が修復され、次に起こった冷戦期では菊花師団、菊花艦隊を合わせて『近衛軍』もしくは『菊軍』と呼称する様になる。
この時期に急速に航空機に関する研究が進められ、1947年ドイツで開発された噴進弾の仕組みを取り入れた世界初の7式墳式戦闘機『草薙』の開発に成功(史実のF-86セイバーに相当)。それから数十年。日本の守護神となるべく日本政府も民間企業を通し、航空機産業に予算を送り始める。
そして1950年、レシプロ戦闘機の中で最高傑作と称される15式艦上多目的戦闘機『電征』が完成する。
この時期、菊花艦隊は噴進魚雷搭載艦艇の建造の為に続々と除籍された艦艇を配備。過去最大規模の大きさとなる。この際受け渡された艦艇は改装を行い近代化改修を施され、最近まで使用されていた艦艇もある(ちょうど古畑司令官時代までの艦隊)
この時の菊花艦隊旗艦は改大鳳型航空母艦『麒麟』である(一時、麒麟からこんごう型イージス艦『おおよど』だった時期がある)。
そして2018年、菊花艦隊はRATs事件によるパーシアス作戦時に置いて初めて公の場にその姿を公に表した。当然、航空機の情報の関する追及はあったものの、当時の情勢を鑑みて仕方ないと言うのが今の世論であった。
そして2020年。菊花艦隊に本格的なイージス艦の導入を決定。全国の造船所で建造が開始。2022年から旧式艦艇から入れ替えを開始。半年後に入れ替えが終わると言う前代未聞の速度で世代交代が完了。世界最強の近衛部隊となり日本の守護神として硫黄島要塞を拠点に活動を開始。
2022年 9月4日 中国南北戦争勃発
入れ替え完了から3ヶ月後。新編菊花艦隊発は対馬要塞に出撃、そして武御雷を航空基地とし、開城市攻略作戦に航空機による爆撃を敢行。それからと言うもの、毎日の様に航空機を投入し、戦線を有利に進めている。
そんな近衛軍の秘匿され続けた歴史を思い出すとここ数年だけで大きな変化を受けたと思ってしまった。
「思えば菊花師団の初戦闘もあの作戦が初めてだったな・・・」
熊谷はパーシアス作戦時に横須賀市内から12式地対艦誘導弾を武蔵主砲に放った事を思い出していた。地対艦誘導弾を用いても撃沈には至らなかった事に改めて大和型の堅牢さを認識していた。ならば、大和型に改良を加え、17式艦対艦誘導弾を搭載した日本武尊はどれだけ堅牢なのか。想像もできなかった。現在、日本武尊は菊花師団の移動拠点や移動砲台として、日本海沖から16式51cm誘導砲弾(米軍のM982エクスカリバーを元に51cm砲弾に対応させた砲弾)を放ち続けている。大和型は既にブルーマーメイド管轄になっている為、日本武尊は日本海軍が運用する唯一の戦艦である。また同時に日本武尊は世界で最後に建造された戦艦となっている。この攻撃で戦果を上げている日本武尊を見て世界中の政府は戦艦への見方を変えつつあると言う。
「(戦艦がまた海軍に編入される可能性が見えてくるな・・・)」
そんな事を思っていると熊谷は武器の積み込みを終えた報告を聞き、熊谷率いる菊花師団は戦線から離脱し、進路を横須賀へと向けた。
現在の菊花師団の編成
師団長部隊
普通科3個連隊
戦車大隊
特科連隊
施設大隊
偵察隊
後方支援連隊
通信大隊
総勢6800名の過去最大規模の人数で構成されている。
一般的な日本軍組織図
天皇陛下
↓
大本営・政府
↓↑
陸軍省・海軍省・空軍省(空軍省は近日設立予定)
↓↑
陸海空各軍務省参謀本部
↓↑
陸海空各方面軍
近衛軍組織図
天皇陛下
↓↑
陸海空各司令官
↓↑
陸海空各部隊
この世界の99式戦車は90式と同じラインメタル社製120mmL44滑空砲です。
今回調べた皇室財産ってすごい金額で驚いた。
静の士官学校時代は必要か否か
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読みたい!!
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要らない