なんだか空気がきな臭くなってきたような…
「…もう怪我は大丈夫なの?」
「うん!心配してくれてありがと!!」
そう返すと、彼女はどこか安心したような顔をする。
でも、すぐに表情を引き締めて
「でも、無理しちゃダメだからね?困ったことがあったらいつでも言ってね?」
なんて言ってくるから
「もう!大丈夫だってば!!じゃあ行ってくるね?」
そう笑って、ボクはドアを開けて廊下へと歩き出す。
…あぁ、そうだ。
ボクには立ち止まってる時間なんてない。何故なら…
(…)
目をつぶると、頭をよぎるのはあの光景。
あの日、悔しさと悲しみの中で、見守ることしか出来なかった、そんなレースの光景。栄誉あるクラシックロードの終着点、その輝きの残滓で…
(…)
菊花賞
無敗の三冠ウマ娘、それに至るための最後のレースであり、ボクが出ることが出来なかった運命のレース。
そして…
(…)
ワァァァァァアアアアアッッッ!!
耳の奥、今でも木霊するのは、ビリビリと地上を震わせるような、そんな会場の溢れんばかりの歓声
ワァァァァァアアアアアッッッ!!
ターフの外、そんな場所から見ているだけしか出来ないボクの心を包み込むような、燃え盛る炎よりも熱い、会場の熱狂
そして…
(「…!!」)
…あぁ、そして何よりも、そこにあったのは…
(「やったぁぁぁっっ!!」)
並みいる強豪を退け、見事一着でゴールに飛び込んだウマ娘。
そんな彼女の、心からの歓喜を叫ぶ姿で…
(「くっそぉぉぉっっ!!」)
惜しくも敗れ、栄光をつかみ損ねたウマ娘。
そんな彼女の、お腹の底からの魂の慟哭を叫ぶ姿…
(「…」)
次こそはと闘志を燃やすウマ娘に、勝ったウマ娘に純粋な祝福を送るウマ娘、悔しさのあまりその場で泣き出してしまうウマ娘、そんなレースに出場したウマ娘、それぞれの姿で…
(…)
…そう、あそこにいたウマ娘、彼女達は全員あのレースに命を掛けていた。
勝ちたい
ただ、それだけの単純で幼稚な、だけど、それでも何よりも尊く、そして強い気持ち。
それだけを頼りに、彼女達は自身の魂を燃やし、全力で戦い抜いたのだ。
だからこそ、泥だらけで汗まみれで、ボロボロでズタズタなはずの彼女達のそんな姿は、あの時のボクには、まるで宝石のように美しいものに見えたから…
(…)
ボクは拳を握り締める。
…確かに、ボクはもう三冠ウマ娘ではない。だけど…
(…それでも)
そうだ、それでもボクはトウカイテイオー…帝王だ。
だからこそ…
「よしっ!行こう!!」
ボクに立ち止まってる時間なんてない。
あの日見た彼女達のように、ボクは走らなければならない。誰よりも早く、誰よりも強く、ボクは自身のそんな姿を、皆に見せ続けなければならない。
それこそが、かつてボクが憧れたウマ娘、そのあるべき姿だと、ボクは思い出すことが出来たから…
廊下の端の階段を掛け下り、寮の扉を開けて外に飛び出す。
季節はすでに冬、凍えるような寒さがボクの身体を剣のように指し貫く。
だけど
「ボクはテイオー!トウカイテイオーだ!!」
そんなものになど、ボクは負けない!吐く息が白く染まるような極寒の朝を、それでもボクは駆け抜けていく。
…そう、ボクはあの日もう一度立ち上がった。
確かにボクはもう三冠ウマ娘ではない。だけど、それでもボクはまだ無敗のウマ娘だ。だからこそその道を貫こうと、あの菊花賞で走っていた子達のように、今度こそ自身の決めた道を最後まで全力で走りきろうと、そうボクは決めたんだ!
…そして、だからこそ
「...わぁ」
冬だからこその、空気が澄み渡った空
そんな空に昇る朝焼けは、まるで一足早い春の訪れを告げるかのように、暖かく、そして美しいもので…
…皮肉にも、それから少しして訪れた本当の春に、ボクの夢が完全にくだけ散ることになるなんて、ボクはその時思いもしなかったんだ
......................
.................
.........
「はぁっ…はあっ…」
息を切らしながらも、ボクは周囲に目を配る。しかし、見渡してもそこにはボクのことを追い回すマックイーン達の姿はどこにもなかったから...
「ふぅ…なんとか撒けたみたいだね…」
そうボクは安堵の息を漏らしながらその場に座り込む。
そして、そんなボクに
「まったく…注射くらいで随分と大袈裟だな?」
なんて声が、横から聞こえてきたから
「うるさいな~!大体ブライアンだって人のこと言えないんじゃないの?
こういう時ばっかり生徒会の権力使って、うまいこと注射から逃げてるんじゃないの?」
とちょっとジト目で横の芝生に寝っ転がっているブライアンを見るけど
「…チッ」
「あ!今目反らしたでしょ!!」
舌打ちと共に露骨に目を反らされたボクは、ちょっと憤慨する。
そして、そんなどうしようもないことで言い争うボク達を尻目に、何人かのウマ娘達が目の前を通りすぎていく。
そう、何を隠そう、実はここ全く遮蔽物のない屋外であり、もっと言えばとっても見通しの良い学園のグランドの片隅だ。
…と言うのも、なんか逃げてる内に「メジロ流奥義!!」とか言い出したマックイーンや、「注射針影分身!!」とか言って無限に注射器を分身させてくるようになってきた主治医さんからの逃走の中で、ボクは思ったのだ
すなわち…
(…このまま追いかけっこしてても良いけど…)
要するに、ボクは彼女達に捕まらなければ良いのでは?
つまり、見つからないところに隠れてれば良いのでは?
そう思ったボクは、何とか二人を振り切ってここまで逃げてきたのだ。
風が吹く
東京ドーム17個分という広大な敷地面積をほこるトレセン学園において、その最たる練習施設であるグランドも、それに相応しい広さをほこっている。故に、遮蔽物の一つもない広々としたグラウンドに吹き抜ける風は、とても清々しくて気持ちの良いものだ。
冬だからそれはちょっと肌寒いけど、それでもそんな風心地よい風を切って、練習中のウマ娘達がグラウンドを走っていく
…なぜ隠れるところも逃げ場もないこの場所に、わざわざボクが逃げ込んできたのか?
それは一重に、生徒会室と同じでマックイーン達の認識の隙をつくためだ。
成る程、確かにここは逃避先としては最悪の場所だろう。なにせ周囲に全く逃げ場がない。もしマックイーンがここに来たとしたら、ボクはすぐに捕まってしまうだろう。
でも、だからこそマックイーンは、見失ったボクがここに来るなんて絶対に思わないだろう。
ボクだって別にバカじゃない。普通ならこんなところになんて逃げ込まない。それをマックイーンは、とても良く分かってる。そう、分かってるからこそ彼女はここに来ないのだ。
だからこそ
「それに、ブライアンどうせまた生徒会の仕事サボってるんでしょ?
またエアグルーヴに怒られるよ?」
「…チッ」
「だ~か~ら!図星だからって、舌打ち以外に反応ないの!?」
こうして何かの葉っぱを加えて、風来坊ぶって仕事をサボってるブライアンと、ボクは呑気に言い争ってられるのだ。
それにしても…
(…あの二人)
今日は随分としつこいな…
結局最後まで態度の悪いブライアンに呆れ果て、せっかくだからとその隣に横になったボクは、空を見ながら思索にふける。
…そう、実はマックイーンによるボクへの注射要請(実際は脅迫、もとい実力行使)は、別に初めてではない。
毎年あの主治医さんを連れてボクの前に現れるマックイーンは、その日だけはライバルじゃなくて、文字通りの天敵になる。
だからこそ、今日もその延長線上だと思ってたんだけど…
(…いつもなら)
それでも、いつもならある程度追い回したら彼女は諦める。
そして最終兵器怒りのエアグルーヴが投入されるんだけど…
(今日は…)
本当にしつこい。
流石にここまで追い回されたのは初めてだ。
それに…
(…気のせいかな?)
…これは勘違いかもしれないけど、逃げている間、ボクがある一定方向に逃げようとすると、異様に早い速度で回り込んできたような気がする。それはまるで、どこかからボクを遠ざけようとしているような気が…
と、そこまで考えた時だった。
「…そう言えばテイオー、お前の同室の奴。
…名前は何だったか…」
とそれまで呑気に寝っ転がっていたブライアンが、唐突にボクに話しかけかけてきたから
「?
マヤノのこと?」
そう返すと、ブライアンは鷹揚に頷き
「…あぁ、そういう奴だったか?
そいつ、さっき随分と大きな買い物袋を持って歩いてたぞ」
そして、そう続けるものだから
(…)
ふと思い出すのは、生徒会室で見た資料。
今日の日付で出されてた、ある空き教室の使用申請だったから…
(…やっぱり)
何かイベントでもやるのかな、とボクが想像していた時だった
「…それで、身長に対して荷物が大きすぎて転びそうだったから、少し手伝ってやったんだが…」
ブライアンは、そこで一旦言葉を区切ると、少し苦笑する。
そして…
「その時、私がお前と面識があることを知ったそいつに、『お願いだから、テイオーちゃんには内緒にして!!』と言われたぞ」
なんて言うものだから…
「...え?」
今までボーッと話を聞いていたボクはその発言で一気に我に返る。
だってそれは…
(「『テイオーには見つからないように』?」)
…思い出すのは、ここに来る直前のやり取り
恐らくはマーベラスが書いたのであろうメモ、それに書かれた内容と、全く同じものだったから…
「お前、何か避けられるようなことでもしたのか?」
さっきの意趣返しのつもりなのだろうか。
珍しくちょっと意地悪な笑みを浮かべてこちらに聞いてくるブライアンの声はしかし、ボクの耳に入らない。
だって…
(…)
ステーキ!ステーキ!お寿司!お寿司!
グラウンドで走り込みをするウマ娘達の、食欲が駄々漏れな掛け声が、グラウンドに響く
そして、それを聞いたブライアンも、「…ステーキか」などと、さっきの一言を忘れて呑気に考え始める
そこには、冬ののどかな昼下がりの光景が広がっている
…別にボクはマヤノやマーベラスに、逐一自分の行動とその意味を解説しろ、だなんて全く思っていない。
確かに彼女達とは友だちだけど、それとこれとは話が別。
ボクにはボクの人生があるように、マヤノにはマヤノの、マーベラスにはマーベラスの人生がある。
だから、別に二人がボクの知らない行動をしていたとして、それを一々気にするようなボクではないし、二人とてそうだろう。
でも…
(二人してボクには黙ってて、っていうのは…)
流石に不自然だ。
まるでそれは、ボクに対して後ろめたいことがあると言っているようなものだ。
だからこそ、ボクは少し不安になってくる。
(…一体)
二人は何を…
そう考えた瞬間だった
「もう!テイオーったら、一体どこに行ったのかしら!!」
「お嬢様、落ち着いてください」
そんな声が、ちょっと遠くから聞こえてきたから、ボクは振り返る。
すると、そこには憤慨するマックイーンとその主治医さんがいて…
「そもそも、注射はふりでも良いとのことではないですか。お嬢様がハリキリすぎなのです」
「ま、まぁ、確かに途中から楽しくなって、調子に乗ってしまったのは認めますわ。ですが――…」
少し距離があるからか、まだ二人ともボクの存在に気付いてない。
だからこそ、彼女達の会話は止まることがなくて…
「…――ですが、そうでもしないと彼女に気付かれてしまいますわ。なにせ…」
「テイオーさまを、あの教室に近づけないように。
それが先方からの依頼ですものね」
そう、二人は確かに言ったからこそ…
「...!!」
ボクも確信してしまう。
この一連の出来事が、どこかで繋がっていることに。
そしてそこに一貫しているのは、どんな事情であれ、ボクには知られてはいけない、という不文律であって…
(…本当に)
一体ボクの知らないところで、何が起きているのだろうか。
それを考えると、ボクの背中には急に怖気が走る。そして、それ以上に思うのは…
(マヤノやマーベラスは…)
一体何を考えているのだろうか?
そもそも…
(ボクのこと…)
一体どう思ってるのだろうか?
突如として芽生えた不振の芽が、ボクの中でどんどん成長していく。
友だちを疑いたくはない。けど…
そんな普段なら思いもしないような気持ちが、ムクムクと胸の中で大きく――…
「…ん?」
「………あ」
気が付くと、ボクはしっかりばっちりマックイーンと目があって見つめあっていた。
それはもう、まるで初対面で一目惚れしあった男女のように、熱烈かつ情熱的に。
だからこそ
ニコッ
ボクは満面の笑みを浮かべる。
それこそ、今までの人生で三本の指に入るレベルの最高の笑みを
そして
…ニコッ
それを見たマックイーンもまた、実にかわいらしい笑みを浮かべてくれる。
それこそ、こんなに良い笑顔のマックイーンは初めて見る位の、実に良い笑顔だ。
…だからだろうか?
ニコッ
ついでにマックイーンの隣に立っていた主治医さんもまた、笑みを浮かべる。
それもまた、実に素晴らしい笑顔だったから…
(…あぁ)
ボクは感嘆する。
みんなが共に笑いあうこの状況は、まさに平和そのもので…
だからこそ、ボクは今この瞬間、飢えや病、争いから解き放たれ、世界中のみんなが笑いあう、そんな理想的な世界平和の実現を、確かに確信した。
だからこそ…
ニコッ
ニコッ
ニコッ
マックイーン達がこちらに近づいてくる。
その表情は、まさに天使のごとく透き通ったものだったから…
(…そうだよね)
千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず。
世界平和とは、誰かが上から一方的に押し付けるものじゃない。ボク達一人一人が、互いの蟠りを乗り越え、隣人の手を繋ごうとして初めて成り立つものなんだ。
だからこそ、ボクも笑顔で立ち上がる。スカートの裾を叩いて汚れを落とす。
…あぁ、そうだ。汝隣人を愛せ、と言うではないか。それなら、ボクもそれに相応しい準備をしなければならない。何故なら、愛の形とは普遍的なものではない。人と人の数だけ愛の形があるのだから。
それならば…
ボクは再びマックイーンに微笑む
そして、マックイーンもまた(ついでに主治医さんも)それに微笑み返してくれる
…そうだ。それならば、ボクのすべきことは――…
ドガァァァァァァッッッン!!
「あぁ、また逃がしましたわ!主治医!!」
「御意」
振り返ってはいけない
ボクは確信する。
旧約聖書において、ソドムから逃れるロトに、天使が授けた言葉は、まさに今この瞬間のためにあったのだ、と。
すなわち…
「ワケワカンナイヨー!!」
相変わらずの爆発と轟音を背に、ボクは道なき道を走り抜ける。
そして、そんなボクの頭上には
~世界平和なんて無理だから、取り敢えずヤバいと思ったら、躊躇せずに全力で逃げなさい~
そう微笑みながら、こちらにサムズアップする天使の姿が、なぜか見えたような気がしたから
「絶対、絶対、注射なんて打つもんかーー!!」
そう叫びながら、ボクは全力で駆け抜ける。あらゆる問題を取り敢えず棚上げして、ボクはマックイーン達から全力で逃げる。
…そう
(…)
芽生えた不信感に蓋をしながらも、取り敢えずボクは自身の身を守るために逃げるのだった。
ちなみに、この時期はまだ、
マヤちゃんはブライアンにはさほど意識されていません。
…いや、うちのブライアンの性格を考えれば、
存在を認知されているというだけでもかなり意識されているとは思いますが、
この時期のマヤちゃんはまだクラシックにすら出ていないため、
少なくとも生涯のライバルとまでは認知されていません。