前の話のあとがきでも述べましたが、
この物語はハッピーエンドではありません。
それでも良いという方だけどうぞ
ボクにやらせて欲しい
あの日、寮長であるフジ先輩にそう頼んみ込んだのは、他ならぬボクだ。
自身のトレーナーを亡くし、悲しみのあまり外界の全てを拒絶したマヤノは、食事すら取らなくなった。
だからこそ、このままでは死んでしまう、そんな状況のマヤノを見たときボクは思ったんだ。
ようやくあの時の恩を返せる。
菊花賞に出られず、無敗の称号を失い、あげくウマ娘としての人生すら失いかけたボクに、それでもきっとボクが立ち直れると信じて一緒に居続けてくれた。
そんなマヤノへの返しきれないほどの恩を、ようやく。
だからこそ、ボクは彼女の世話を自分から申し出た。
これは決して嘘じゃない。
本当に心の底から、ボクはマヤノのことを救いたい。
救ってもらった分、今度はボクがマヤノの助けになりたい。
そう思ったのは決して偽りじゃない。本心だ。
だけど…
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.........
部屋は静まり返っている。
ボクとマヤノ以外誰もいないから当然だけど、それでも暗く静まり返った部屋には静寂が満ちている
「…」
ボクはじっと無言でたたずむ。その視線の先にいるのは当然マヤノで…
「…」
さっきようやく寝てくれたマヤノの姿は、とても無防備だ。
…本当の意味で泣き疲れたのだろう。パジャマ姿でベッドに横たわる彼女は、ピクリとも動かない。
「…」
その様は、まるで美しく、それでいて繊細なガラス細工のよう。未成熟で、それでも微かな色気を放つその白い肌は、触れれば砕けてしまうほどに儚いもののように見えたから…
「…」
スッと、思わずボクは手を伸ばす。
眠る彼女のその頬に、そっと指で触れようと――…
「…トレーナー…ちゃん」
…――手が、止まる。
気が付けば、マヤノは眠ったまま涙を流している。だけど…
「…」
ボクには、その涙を拭うことが出来ない。
彼女の頬を流れる、小さなサファイアのように輝く涙に、触れることが出来なくて…
「…」
静まり返った部屋に、ただただ静かに、ボクは佇むことしか出来なくて…
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.........
「…きっと、それで良かったんだよ」
そう呟きながら、未だウイニングライブの熱狂に酔う京都競バ場の出口への通路を歩くボクの独り言は、だれもいない空間に吸い込まれていく。周囲を囲むコンクリートの壁は、厚く、そして冷たくただそこに佇んでいる。
だからこそ、ボクは誰とも出会うことなんてないと思っていたんだけど…
「…何が良かったんですの?」
不意に目の前に現れた人物に、ボクは面食らう。
「…マックイーン?」
この場所にいるはずのない人物の登場に、ボクは少しばかり驚く。
だから
「一体…」
どうして?
そんな当然の質問に、マックイーンは鼻をならす。
「テイオー、あなたも今日が何のレースの日なのか知ってるでしょう?」
そう言われて思い出すのは、今日のマヤノの走ったレースの名前。
だからこそ
「…自分は出ないのに?」
「当然ですわ。例え自分が出なくても、メジロにとって天皇賞は重要なレース。見に来ないはずがないでしょう」
そう憤慨するマックイーンに、ボクは納得する。
なるほど、確かにそれは道理だ。
だけど…
「それなら…」
どうしてわざわざボクのところに?
そんな疑問を口に出す前だった
「…ん」
マックイーンが両手を広げる。
そしてそのままボクの方を見つめ続けるから…
「…え?何?」
意図が分からないボクは、流石にマックイーンにそれを問う。
が
「…ん!」
マックイーンは再びそんな声を出すと、手を広げる。
だから、ボクも意味が分からなくて動けない。
だけど…
「…すわ」
「…え?」
しばらくそうしていると、マックイーンの顔が赤くなり始め、小さな声で何かを言う。
だから
「…して…すわ」
「…え?何?何て言った?」
そう聞き返した時だった
顔を真っ赤にしたマックイーンが、キッとこっちを、睨みながら言ったのは
「…だから!特別にわたくしの胸を貸してあげますわ、って言ってますのよ!!」
なんて言葉だったから、ボクはびっくりすると共にその意図を問う
「え?え?え?どういうこと?マックイーン?」
「どういうことも、そういうこともないですわ!
そのまま、直球で、わたくしの胸を貸してあげると言っているのです!テイオー!!」
いきなり怒り出したマックイーンに、ボクは困惑するしかない。
突然現れたと思ったら、一体何なのだろうか、このパクパクお嬢様は…
ついに食べ過ぎて自分の頭までパクパクし出したのだろうか?
そんな失礼なことまで考え始めた時だった
「…マヤノさん」
「…!!」
その言葉に即座に振り向いたボクを見つめるマックイーンの顔は、とても優しいもので…
「…どうして」
そう問いかけるボクの言葉を受けて、彼女は苦笑すると
「あら、わたくしはあなたのライバルですわよ?テイオー」
「…」
そう、彼女はボクの質問をはぐらかす。
だけど
「…だから、わたくしとしてもライバルには、早く立ち直ってもらわないと困るんです」
そう言いながらボクの方へと歩みより
「そう言うわけですから、今日だけ特別にわたくしの胸を貸してさしあげます。感謝してくださいね?」
そっ、とボクを抱き締める彼女の身体は
「…ふふっ、女性同士とはいえ、こういうのは恥ずかしいものですね」
とても…とても暖かくて…
そして…
「………ぁ」
「…大丈夫ですわ、テイオー。
ここにはわたくし達以外しばらく誰も来ませんわ。だから…」
こちらを包み込むマックイーンの笑顔が、とても優しいものだったから…
「…泣いて、良いんですのよ?」
「~~~~~~っっ!!」
…そこが、限界だった
…思えば、ボクがそれをはっきりと認めたのは本当に最近。
それこそ自身のトレーナーを亡くし、心が壊れかけた彼女の世話をし始めた時あたりだったんだと思う。
だって、本人は気付いてないみたいだったけど、彼女は自身のトレーナーのことが女の子として好きみたいだったし、それに何より…
(…女の子同士…だもんね…)
だからこそ、あの日、空き教室のロッカーの中で芽生えた心に、ボクは蓋をした。見なかったことにした。
…元々あの子は友だちなんだ。そして、友だちであるならば、ずっと側にいることができる。
それなら、わざわざリスクを負ってまで、その関係を変化させる理由なんてどこにあるというのだろう?
そんな言い訳で自分を騙して、納得させて、ずっとボクは彼女の友だちであり続けたんだ。
だからこそ…
(彼女のトレーナーが死んで…)
壊れかけた彼女の世話をしたいと言った時に、一瞬だけ魔が差した。
本当に、本当に一瞬だけ、ボクは思ってしまったんだ。
…彼女の大好きな人はもういない。
………それなら…?
それは明確な裏切り。
ボク自身が確かに持っている、掛け替えのない絆で結ばれた彼女への友情、自身が受けた返しきれないほどの恩に対する感謝、そんな彼女とボクを結びつける大切なもの達に対する裏切り。
そして、友だちとして確かにボクを信頼してくれている彼女自身への裏切り。
だけど、一度生じた疑問はもう消えない。
それこそ、白紙に落とした墨汁の一滴が絶対に消えないのと同じ。
だから…あぁ、そうだ。
一度だけ、たったの一度だけ、ボクは自分の心に負けた。
義務でも責務でもなく、ただ自分の欲望という理由だけで、ボクはあの子の清らかな肌に触れてみたいと、あの白く柔らかな頬に触れてみたいと、自身の手を伸ばしたんだ。
だけど…
(「…トレーナー…ちゃん」)
ボクは、結局あの子に手を出すことが…出来なかった。
あまりにも、あまりにも悲しそうに、眠りながらも呟く彼女は、あまりにも痛々しくて…
頬を滑り落ちる小さな宝石のような涙が、あまりにも美しすぎて…
…そして何より、底無しの絶望の中で最後に呼ぶ名前が、ボクではなくあのトレーナーのものだとはっきりと分かってしまったから…
真っ暗な部屋の中、ボクはただ立ち尽くすことしか出来なくて…
…ウイニングライブの歓声が聞こえる。
あの後、気絶したマヤノは救護室に緊急搬送された。
だから、一時はライブも中止になるだろうと思っていた。
当然だよね?
いくらライブが大切なものであっても、流石にその参加者の命には変えられない。おまけにマヤノはあの時足の骨が折れてたんだ。当然激しいダンスなんて無理だし、だからこそ、ライブは中止。
それがあの場所にいた人達の共通認識だった。
だけど…
ワァァァァアアアァァァァッッ!!
それでも、マヤノはライブを強硬した。
運ばれた救護室ですぐに目を覚ましたマヤノは、踊れなくてもせめて歌いたいと、それがレースで一位をとった自分の責任で義務で、そして何より自分がやりたいことだと、彼女はそう言ったそうだ。
だからこそ、いまだライブは続いている。
全ての迷いを吹っ切り、ついに自身の気持ちに折り合いを着けることに成功した彼女のライブは、今まで彼女がしてきたどんなライブよりも、心に残るもので、そして何よりそのセンターで歌う彼女の姿は、今まで見てきた彼女の姿の中で、一番キラキラしていて、一番美しいものだったから...
「…」
マックイーンは何も言わない。
ただ、黙ってボクを抱き締め続ける。
それが、今のボクにとってはこの上なくありがたい。本当に、本当にボクは良い友達を持ったと思う。
それでも…
「…ボクは…」
あぁ、それでも…
「…ボク…は…」
憧れの人にして、越えなければならない目標。
絶対に負けられない終生のライバル達。
ボクのことを本気で心配してくれる両親や友人達。
そんな掛け替えのない、大切な人達に恵まれたボクは、間違いなく幸せ者だ。
お前は幸せか?と誰かに聞かれたとしても、間違いなくボクはそれにYESと即答できるだろう。
だけど…
「…それでも」
…あぁ、そうだ
「…それ…でも…」
ボクが好きだったのは…
「………それ…でも…!!」
ボクが、一人の女の子として恋をしたのは――…!!
…それは語られない物語。
確かにあったにも関わらず、決して誰の目にも触れることのない、そんな物語。
それでも、例え彼女の絶叫が、慟哭が、太陽を目指して歩き出したイカロスの後光に飲まれて見えなくなったとしても…
ワァァァァアアアァァァァッッ!!
…それは確かに、確かに存在した物語だったことには違いないのだ…
かたや自身の恋に気付かず、走り抜けた先で初めてそれに気付いたウマ娘
かたや自身の恋から目をそらし、どうしようもなくなってから初めてその重さに気付いたウマ娘
…誰が悪いなんてことはない。二人ともただ一生懸命だっただけ。
これは、ただそれだけの物語…。
次回、エピローグです。