蝋の翼を太陽に溶かされ、
彼女はどこまでも落ちていく
これはその前日譚
だけど、
そもそも彼女は
その翼がなかったらなら飛べなかったのではないか?
例え天から落ちる運命だったとしても、
その翼があったからこそ、
彼女は空の広さを、青さを知れたのではないのか?
BGM
Sign(miru)
作者的には『片翼の撃墜王』という作品自体のテーマソングだと(勝手に)思っています。
ここぞというタイミングで脳内で流してみてください。
~トレーナーちゃんside~
…いつからか、気になっていたことがある。
それは俺とマヤの関係性だ。
天守閣の頂上、そこから見える景色を眺めながら、俺は考える。
俺はトレーナー、マヤはそんな俺の担当ウマ娘。
それは別に良い。今さら疑うまでもないことだし、何よりそれでこれまでやってきた。
だからこそ、それについて何か言う気は俺にはない。
だけど…
俺は眼下の光景を見つめる
雲一つない青空に、その下、地平線の彼方まで広がる松山の町並み。
それは、かつてある大名が見ていたはずの光景。
その生涯において、一度たりとも他者からの期待を裏切らず、歩き続けた一人の男が見ていた景色
そんな景色だったからこそ…
(俺とは…)
大違いだな
…結局両親の期待に応えられず、叔父に引き取られた自分の境遇を思い、俺は苦笑する。
…そう、俺はかつて自身の両親への恩を返すことが出来なかった。
結局それが出来ないまま、心と体を限界まで磨り減らしてボロボロになった俺は、それに気付いた叔父によって保護された。
(「もう良い…!もう良いんだ…!!
お前はもう十分に頑張った!!これ以上…これ以上自分を傷つけなくても良いんだ!!」)
それでも…両親に認めてもらいたい、その一心で何度も家を抜け出し、そして最終的に心が折れて危うく死ぬところだったバカ野郎に、そう言って涙を流しながら、今まで実の両親にしてもらえなかった抱擁を、生まれて初めて心の底からの愛情を持って俺を抱き締めてくれた叔父への感謝を、俺は決して忘れない。
きっと俺はあのままあそこにいたら、確実にどこかの段階でのたれ死んでいた。だからこそ、そこから救ってくれた叔父には本当に感謝している。いくら感謝してもし足りないくらいだ。
だが、それでも俺が彼らの期待に応えられなかったという事実だけは変わらない。結果としてあの二人から逃げてしまったということだけは、変わらないから…
俺は眼下に広がる松山の町をじっと見つめる。
…勿論、俺の両親はハッキリ言って異常だ。俗に言う毒親、その最上位にあたる人間達だろう。
天才だからこそだろうか?あの二人にはそうでない人間の気持ちが分からない。それ故に、あの人達は結局最後まで俺のことを理解しようとも思わなかったし、そんな両親を、俺は今では軽蔑している。
それでも、例えあの人達が毒親であったとしても、単なる思いの押し付けだったとしても、俺があの人達の期待に応えられなかったのは、それを裏切ってしまったのは事実で…だからこそ思うのは…
(俺は…)
…果たして、本当にマヤにとって必要な存在なのだろうか?
風が吹く。
このあたりで一番高い場所なだけに、遮蔽物がない天守閣の上の風は気持ちが良い。
それはまるで、あの場所。
俺とマヤが本当の意味で歩きだすことになった始まりのあの場所。
トレセン学園の屋上、そこにある貯水槽の上で感じる風に似ていて…
俺は目をつぶる
…あぁ、そうだ。
確かに、俺はマヤのトレーナーだ。
だからこそ、契約を交わしてから今日に至るまでに、俺はマヤが勝てるように、伸び伸びと走れるように全力を尽くしてきた。
すべては愛バの、マヤのため。
それに嘘はない。
だけど…
(…)
眼下に広がる絶景を見ながら、俺は自分の愛バに想いをはせる。
…マヤは、俺の愛バは、控えめに言ってスゴい奴だ。
クラシック三冠。
日本中の全てのウマ娘達が憧れる、至高の頂。
その一つ、菊花賞を制したマヤは、それだけに止まらず、年末の有マでG1、ウマ娘レースの格付けにおける、最高難度のレースをも制した。
それも、かつて至高のクラシックの頂を総嘗めした最強のウマ娘、三冠ウマ娘ナリタブライアンを制して。
そして、激闘の末にマヤは、すべての世代、すべてのウマ娘達が集まる究極のバトルロワイヤル、URAファイナルズを勝ち抜き、ついにその頂点、初代URAファイナルズ女王にまで至った。
…名実ともに、あの子は真に日本一のウマ娘になったんだ。
だからこそ…
(…俺は、本当にそこに必要があったのだろうか?)
とそんなことを俺は思う
…なるほど、確かにトレーナーというものはレースを志すウマ娘にとっては必要不可欠なものだ。
レースだけじゃなく、歌にダンスに勉強に、と基本的にトレセンに来るようなウマ娘は忙しい。
だからこそ、トレーナーという、レースの手続きや遠征の計画立案、並びにその準備などという、時間と手間ばかりとる処理を代行してくれ、更に自分に合わせたオーダーメードのトレーニングメニューを組んでくれる存在は非常にありがたいものだろう。
その証拠に、トレーナーに諸々の面倒な手続きをしてもらい、あまつ自分にあった自分だけの為に組まれた特別なトレーニングメニューを考えてもらい、レースの練習だけに専念出来るウマ娘に比べ、そうでないウマ娘、トレーナーの付いていないウマ娘の勝率というのは明らかに低い。
これが新人戦や未勝利戦ならまだ良いだろう。周りにも同じような子は沢山いるのだから。
だが、G1、G2などといった高位のレースならどうだろうか?
…無論トレーナーなしでそこまで勝ち上がってくるウマ娘など滅多にいない。
それは勿論レース規定なんかの兼ね合いもあるが、一番大きいのはさっき言ったトレーナーがいるかいないかの差だ。
レースそれだけじゃなく、レースに出るまでの諸々の手続き、獲得賞金などの金銭の管理に、遠征における交通手段や宿の確保から現地でのメディア対応などの各種手続き。
それだけじゃなく、競合相手の細かい分析から対策の考案、常に自身の体をチェックした上での無理のない範囲で限界ギリギリまで負荷をかけるトレーニングメニューの作成と、進捗に合わせたそれのリアルタイムでの更新。
他にも、他にも、他にも…
そんなたくさんのことをレースや日々の勉強、ダンスや歌唱の訓練と並行して一人で行わなければならないのだ。
それがいかに難しいことかなんて、考えるまでもない。
そう考えると、ウマ娘にとってトレーナーというのは必要不可欠なものだ。人バ一体というがまさにその通りで、二人で頑張るからこそ、俺達は栄光を手にすることができるんだ。
だけど…
広大な景色を見ていると、柄にもなくそんな後ろ向きな考えが顔を出す。
恐らく、それはきっとこの城からの光景であるということが一番大きいのだろう。なぜならこの城を建てた大名は、俺とは正反対だ。
…周囲から多大な期待を寄せられたにも関わらず、その悉くを裏切り、周りを失望させ続けた俺とは、本当に正反対だ。
だからこそ…
「………なぁ…マヤ」
傍らにいる自身の愛バ、大切な相棒に、俺は声をかける。
だけど…
(…)
俺はその顔を見ることができない。
情けない話だが、大の大人が、未だチンチクリンな自身の愛バの顔を、怖くて見ることができない。
なぜなら…
「…俺は」
…あぁ、そうだ。
俺は…生まれてから周囲の期待を裏切り続けた。
そんなどこまで言っても凡人で、天才のお前なんかとはそもそもの出来が違う、そんな俺は…
「……お前にとって」
トレーナー...ウマ娘にとってなくてはならない、確かにそんな存在ではあるものの、それでも一緒に走ることのできない、そんな頼りない存在。
…どれだけ自身の担当の為に尽くしたとしても、それでも最後には担当に全てを委ねるしかない。
そんな究極的にはお前を一人で、たった一人で戦わせなければいけない、そんなあまりにも頼りない存在であるところの俺は…
「………本当に」
…必要な存在だったのだろうか?
俺はお前を支えているつもりで…だけど、本当はお前にはそんな必要なんてこれっぽっちもなくて…どこまでも飛んでいける、そんな無限の可能性の翼を持つお前にとって、俺は…もしかして…
…そんな柄にもない弱音が、思わず口から出そうになって――…
スッ…
・・・・・・
「...そこから先は――…」
――…言っちゃダメだよ?
トレーナーちゃんの顔の前に付き出した人差し指を、マヤは今度は自分の口の前に持ってきてウインクする。
そうして直前でトレーナーちゃんの口から出る言葉を封じたマヤは…
「…お前」
驚くトレーナーちゃんの反応を敢えて無視して、天守閣の外の景色を眺める。
すると、そこには当然壮大な景色が広がっている。
だから…
「…ねぇ、トレーナーちゃん」
地平線の向こうまで続く町並み
どこまでも、どこまでも広がる果てしない光景
それを見ながらマヤは…
「…今日まで、本当に色んなことがあったよね?」
今日までの、マヤとトレーナーちゃんが二人で歩いた日々。
そんな大切な記憶の欠片、それを語り始める。
だってマヤの中でキラキラと輝くそれは、確かにここまでマヤ達が一緒に歩いてきたという証拠で…
そして、それをマヤはトレーナーちゃんに見せてあげたかったから…
だから、マヤはそれを語る。
ゆっくりと、それでも確かにマヤはそれを口に出していく。
そう、例えば…
「…マヤが菊花賞に勝った時、「これで戴冠!晴れてお姫様だな、おめでとう!!」そう言ってトレーナーちゃんマヤの頭を強引に撫で回したよね?」
あの時は、マヤを子供扱いするトレーナーちゃんには、少しイラッとしたけど…でもその時のトレーナーちゃんの手の暖かさを、マヤはまだ覚えている。
そして…
「…有マ記念に勝った時…ようやくブライアンさんに勝つことが出来た時、「良かったなマヤ!!」トレーナーちゃんそう言って一緒に喜んでくれたよね?」
そう。あの時のマヤの、駆けて駆けて駆け抜けた先に、ようやくブライアンさんに追いつくことが出来たマヤの努力の価値を、誰よりも分かってくれた、それを認めてくれたのはトレーナーちゃんで…
…だからかな?
「…そしてURAファイナルズ。
あの大会で優勝した時、トレーナーちゃん号泣してたよね?
「やったな…やったな…マヤ
…これでお前が…日本一だ…」
そう言って、普段のカッコつけも何かもかも投げ出して、マヤの為に泣いてくれたよね?」
あの時は、結局それを見たマヤもなんだか泣けてきちゃって、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のトレーナーちゃんと抱き合って、一緒に号泣したんだっけ...
…それ自体は別に良いんだけど、それで勝負服がトレーナーちゃんの涙と鼻水でべちゃべちゃになっちゃって、ウイニングライブが大変だったよね?
青く晴れ渡った空がどこまでも広がっている。雲一つないそれは、まさに日本晴れと言って良いほどの晴天だ。
そんな青い青い空の下で、そんな風に、マヤはトレーナーちゃんとの大切な思い出を振り返る。
まるで宝石箱からその中身を取り出すように、一つ一つ丁寧に、マヤは自分の中にあるキラキラしたものを目の前に並べていく。
「…マヤ」
そして、そんなたくさんの記憶が蘇ってきたのか、トレーナーちゃんは思わずマヤの名前を呟いてしまうけれど…それでもマヤはそれを続ける。
だってそれはマヤにとって本当に大切なものだから。
マヤにとっての最高の宝物だから。
そうして思うのは…
(…うん、そうだよ)
確かにこれはマヤにとっての栄光の記憶
ウマ娘としての、マヤ個人としての輝かしい記憶。
だけど…
「...本当に…本当にたくさんのことがあったよね?」
…あぁ、思えば。
そんなたくさんの記憶の中心には、
いつもマヤと一緒にトレーナーちゃんがいてくれて…
嬉しいときも悲しいときも、マヤの側にはいつもトレーナーちゃんがいた、いてくれたから…
見下ろす町並みは、似たようなビルばかりが並んでいる。だからこそ、パッと見ただけではそれらの区別はできない。
それでも、そこにある町並みの中には、たくさんの物語がつまっている。
姿は見えなくても、たくさんの人がその中にいて、それぞれの人生を歩んでいる。
そう考えると、眼下に広がる町は、まるで雪原のようだ。例え雪に覆われて見えなくなっても、そこには確かな命がある。その下には、たくさんの忘れられたものが眠っている。
だからこそ、それはまるでマヤとトレーナーちゃんが歩いてきた轍のようにも思えたから…
「…ねぇ、トレーナーちゃん」
マヤはトレーナーちゃんの方を見ずに、問いかける。
「…トレーナーちゃんはさ、このたくさんの思い出が全部嘘だって…そう言いたいの?」
眼下に広がる城下町
例え目に見えなくて、確かにたくさんの人達が生きている町を見ながら、マヤはそう問いかける。
目の前で輝くたくさんの思い出の欠片たち、それを前にマヤはトレーナーちゃんにそう問いかける。
「今までマヤと一緒に歩いてきた道のり…それが全部嘘だったって…そう言いたいの?」
「そ、それは…」
そして、その質問にトレーナーちゃんが狼狽える。
マヤの質問に動揺する
だけど…
「…違うよね?そんなわけないよね?」
そう言いながら、
マヤはトレーナーちゃんに振り返る
まっすぐにトレーナーちゃんの目を見る。
…なぜならそれは、とても簡単なこと
マヤの質問の答えなんて、はなからわかりきっていることで…
「…そもそもさ、トレーナーちゃん忘れてない?
もともとマヤは、模擬レースにも出られないような不良ウマ娘だったんだよ?」
マヤは苦笑する
そう、そもそものトレーナーちゃんの疑問は、まず前提条件から間違っていて
「だから、必然的にもしマヤがトレーナーちゃんと出会ってなかったとしたら、マヤは多分まだあの貯水槽の上にいる…
レースを走っているかどうかすら怪しいんだよ?」
そう、だからこそ…
「…それならさ、今ここにマヤがいるのはそもそもトレーナーちゃんのお陰だって、そうは思わない?」
マヤのそんな言葉に、トレーナーちゃんは目を丸くする。
そんなこと、ちっとも考えなかったとばかりに
そんなトレーナーちゃんだから…
「…うん。そうなんだよ、トレーナーちゃん」
マヤはそう言ってトレーナーちゃんの手を握る
…正直ちょっと恥ずかしいけど、それでも
「…例え誰がなんって言ったとしても」
驚くトレーナーちゃんの、大きくて暖かい手をマヤはそっと両手で包む。
絶対に、そこから離さないように
もう二度と、あんな悲しいことを言わないように
マヤはしっかりとトレーナーちゃんの手を握る。
「…マヤは、トレーナーちゃんがいない方が良かった、なんて悲しいことは絶対に言わない。
…そもそも思ったことだって一度もない」
…だってマヤはこの人の愛バだから。
この人の相棒だから。
そしてこの人は…
「…だってトレーナーちゃんは、マヤのトレーナーちゃんなんだから!」
マヤは笑う。
心の底からの笑顔を、トレーナーちゃんに浮かべる。
…そう、それこそが答えなのだ。
例えトレーナーちゃんがそれを疑おうが、マヤがトレーナーちゃんといる時に変な気持ちになろうが、そんなことは関係ない。
トレーナーちゃんは、マヤのトレーナーちゃん
それが事実で、真実で、そしてそれこそが、真理なのだ
だからこそ、マヤはトレーナーちゃんの手を離さない。
両手で握りしめたオトナのオトコの、大きくて、そして暖かい手を、マヤは離さない。
キミの愛バはここにいる。
そして…だからこそ、キミもまた、確かにここにいるんだよ。
そんな単純で当たり前で…そしてトレーナーちゃんが忘れかけていたことを思い出して欲しくて…
ドクンッ…ドクンッ…ドクンッ…
…心臓の音が聞こえる
それは、冷静に考えると、かなり恥ずかしいことをしているような気がしてきたマヤの心音…だけじゃない。
ドクンッ…ドクンッ…ドクンッ…
それは…マヤの心音と一緒に聞こえるもう一つのそれは…マヤが握りしめている手から伝わってくるもの。
固くて、大きくて、あったかくて…そして確かに血の通った手から伝わってくるもので…
ドクンッ…ドクンッ…ドクンッ…
だからこそ、マヤにはそれが、確かに今トレーナーちゃんがここにいる証拠のように思えて…
そして…
「………マヤ…」
そんなマヤのトレーナーちゃんは…
次回エピローグです