それでは、エピローグをどうぞ!
「…レースを、見たんだ」
二人きりの温泉、そこでトレーナーちゃんが語ったのは…
「…あの日、俺は本当に死のうと思ってた。
結局叔父の家に引き取られても、何度も抜け出しては両親に会いに行き、そしてその度にあの人達に失望され絶望していた俺は、あの日ついに悟った。
俺ではあの人達の期待に応えられない、俺ではあの人達を笑顔にすることができない、と。
だから、そんなこれまで信じてきた地面が崩れ落ちるほどの衝撃の中で、家を飛び出したあの時の俺は、行き先も考えずに無茶苦茶に走って…そして迷い混んだ知らない町を、たった一人でさ迷い歩いていた。
…何か考えがあったわけじゃない。単に、じゃあどうやって死ぬかが思い付かなかったというだけ…
だから、もしあのまま何もなければ…ちょうど良い死に場所を見つけてしまっていたなら…俺はここにはいなかっただろうな」
自身の過去。
過酷な子供時代、その中で自身の死を決意した、そんな壮絶な昔話。
「…でも、そんな時だった」
だけど…
「…今でも覚えている。
あの日は雪が降っていた。
だから、すれ違う人々もどこか急ぎ足で、すぐ隣にいる人間のことにすらまるで無頓着で…そんな中で歩いていた俺は、まるで世界から取り残されたような、そんなどうしようもない虚しさを感じて、スクランブル交差点のど真ん中で足を止めた」
…もう一つ、もう一つだけトレーナーちゃんがマヤに語ってくれたものがある
「…だから、街頭のビルに取り付けられた大型テレビから流れる音に気付いたのは本当に偶然で…そしてそれに目を向けたのも、本当になんとなくで…だからこそ」
それはトレーナーちゃんが…
「…俺は目を奪われた」
…トレーナーちゃんになった、その理由だった
......................
.................
.........
「………?」
目を覚ますと、そこは飛行機の中で
「zzz」
隣ではトレーナーちゃんが呑気に背もたれにもたれて寝ている。
そして、記憶が正しいならこれは帰りの飛行機、四国から東京へと帰るための飛行機だから…
(…これで)
旅行はおしまいか…
そう思うと、少し残念な気がして、同時に寂しさと虚しさが同居したような奇妙な感傷に捕らわれる。
それはまるで、お祭りが終わった後のような感覚。
足元がふわふわして、どうにも落ち着かない、そんな気分だったから…
(…)
マヤは、ふと窓の外に目をやる。
すると、そこには眼下に広がる日本列島、そして地平線の彼方に今まさに沈もうとする太陽が見えたから…
(…)
マヤはそれをなんとなく眺める。
そして、そんなことをしながら思うのは、さっきの夢、トレーナーちゃんがトレーナーちゃんになった理由の続きで…
......................
.................
.........
ピッ
ガコン
「…実はな、それまで俺はウマ娘レースをまともに見たことがなかったんだ」
自動販売機のボタンを押しながら、トレーナーちゃんは続ける。
そして
「…さっき俺の両親は天才だって言っただろ?二人で人類ができることの大半はできる、そう言ったよな?」
そんなトレーナーちゃんの後ろにいたマヤに、トレーナーちゃんは振り返りながら、唐突にそんなことを尋ねてくるから…
「…うん、そう言ってたね」
だから、そうマヤが答えると
「だがな、同じタイミングで言ったと思うが、二人とも万能の天才に近かったが、それでもそうじゃなかった。
たった一つだけ、二人にはなかった才能がある。それが…」
そう言いながら
「レースの才能。
…俺の両親には…お袋にはたった一つ、それだけがなかった」
トレーナーちゃんはマヤに、買ったばかりのキンキンに冷えた牛乳瓶を渡してくれる
そして、マヤがそれを受け取ると、トレーナーちゃんはまた歩き出す。
舞台はすでに温泉から離れている。
あの後、そろそろ出ようということになったマヤ達は、お互いに着替えを済ませてから男湯、女湯と書かれた暖簾の前で合流した。
…結局混浴なんだから、あの書き方は詐欺だと思うんだけど…ともかく温泉の入り口で合流したマヤ達は、少し熱を冷まそうと言うことになり、周囲を歩くことにした。
ザッ、ザッ、ザッ…
真っ暗な夜の闇の中に、ポツンと一つ、寂しそうに満月が浮いている。
聞こえるのは草履が道を踏みしめる音だけ。
都会と違って、人工の音や明かりがとっても少ないこの場所は、だからこそ本当に静かで…
「…だから、お袋は俺にそれまでウマ娘レースを見せなかった。
それは当然俺がウマ娘じゃないからこそ、無意味なものなど見せる必要はないって考えもあったんだろうけど…」
そこまで大きくないはずのトレーナーちゃんの声も、良く通って…
「…若い頃、何度も何度も、それこそ死に物狂いで走り続けて、それでも夢を叶えられなかったお袋なりの、レースへの憎悪、嫉妬、そして憧憬…
そんな、あの人にしては本当に珍しい人間臭い理由だったんじゃないかと、今では思うんだ」
そんなことを言いながら、トレーナーちゃんは近くにあったベンチに腰掛け、マヤもまたその隣に腰掛ける
「…だから、俺はあの時――…」
そして月を見上げるトレーナーちゃんの横顔は
「…――生まれて始めて、まともにレースを見たんだ」
まるで幼い少年のように輝いていて…
サァァァッ…
風が吹く
それは、マヤ達が座っているベンチにも吹き抜け、マヤ達の浴衣の裾をゆらす。
気持ちの良い涼風が、温泉で火照ったマヤ達の体を、ゆるやかに冷やしていく。
だけど…
「…あぁ、覚えている。覚えているとも。
あの時の衝撃を、感動を。
たった一つのゴールを目指して、たくさんのウマ娘達が自分の命を燃やして走る…その姿を」
トレーナーちゃんは止まらない
まるで、今目の前でそれを見ているかのように、トレーナーちゃんの言葉には熱が宿る
「心を打たれた。
俺はそれまでの人生で、あんなにも美しいものを見たことがなかった。
そして、思ったんだ」
だからこそ…
「…俺は自分のために頑張って良いって…両親や周りの期待に応えるためじゃない、自分自身のために頑張って良いんだ、って…俺はあのレースを走るウマ娘達を見て思ったんだ。
どいつもこいつも、自分の夢を、憧れを、ただそれだけを追い求めて走る姿に、俺はどうしようもなく心打たれたんだ。
…そして、そこから俺の人生は、真の意味で始まったんだ」
マヤも理解する。
わかってしまう。
それが、それこそが…
「…だからな、マヤ」
トレーナーちゃんの人生の始まり。
本当の意味で、トレーナーちゃんが生まれた日。
そして…
「俺が…トレーナーになろうと、そう思ったのは――…」
.......................
.................
.........
(…――俺に生きる理由を与えてくれたウマ娘達、彼女達に恩返しがしたい。彼女達が俺に希望を与えてくれたように、今度は俺が、彼女達の夢を叶える手伝いをしたい、だなんて…)
…正直、格好つけすぎじゃない?
そう、心の中だけで呟きながら、マヤはちらりと横目で隣の席を見る。
するとそこには…
「zzz」
…よだれを滴しながら、それはそれは気持ち良さそうに眠るトレーナーちゃんの、普段のカッコつけが台無しな寝顔があったから…
(まったく、トレーナーちゃんは…)
マヤは呆れてため息をつく。
…本当に、ちょっと…ほんのちょっとだけカッコ良いと思ったらすぐにこれだ。
本当に締まらない人なんだから…と、ここまで来ると呆れを通り越して変な笑いが出てくる。
だけど…
(それでも…)
トレーナーちゃんの寝顔を眺めながら
(この人は、マヤのトレーナーちゃん…そうだよね?)
マヤは微笑む。
そして、ハンカチで口許のよだれを拭いてあげる
…と
「………マ…ヤ…」
「…ん?」
声が聞こえたので、思わずトレーナーちゃんを見ると、まだ寝ている。
だけど…
「…あり…がと…な…」
それでも、口からは言葉が溢れてくる。
…どうやら寝言を言っているようだ
だから、なんとなくそれを聞いていると、どうやらそれはマヤへの感謝の言葉らしくて…
「…俺と…一緒…に…走って…くれて…」
「…」
「……ありがと…な…」
そんな言葉だったから…
「………どういたしまして♡」
そう、小さく言った後に、マヤは寝ているトレーナーちゃんの肩に、ポスッと、もたれ掛かる。
そして思うのは…
(………それを言わなきゃいけないのは)
マヤの方だよ
そう思いながら、今回の旅行で行ったお城でのトレーナーちゃんとのやり取りを思い出す。
と言うのも…
(まさかトレーナーちゃんがあんなことで悩んでたなんて…)
マヤはそんなこと、一度たりとも考えたことがなかっただけに、本気でビックリした。
…まぁ確かにトレーナーちゃんの生い立ちを聞いていると、そんなことを思うのも、ある意味当然ではあるかもしれない…
思えば、トレーナーちゃんの担当であるマヤは、皮肉にも今までトレーナーちゃんがなりたいと心から願い、それでもなれなかった天才という奴だ。
…まぁ、自分でそれを言うのもなんだけど…それでもそれは事実で、そしてだからこそ、トレーナーちゃんがそんな悩みを持つのも当たり前で…
だからこそ
(本当に…)
仕方がない人だと、そう思う。
もっとマヤのことを信じてくれても良いのに…心からそう思うからこそ、ちょっとだけマヤはトレーナーちゃんに対してモヤモヤした気持ちを抱く。
でも…
(「…そう…だよな………」)
それでも…あの時のトレーナーちゃんは…
(「……俺は………お前の…」)
天守閣の頂上
そこでボロボロ涙を流しながらも、それでも…
(「…トレーナー…なんだよな…!」)
…マヤの手をしっかりと握りしめていたトレーナーちゃんは、本当に、本当に嬉しそうだったから…
(…まぁ、トレーナーちゃんが幸せそうなら…)
…マヤも、良いかな?
結局のところそんな結論に達したマヤは、もう一度目を閉じる。
飛行機はもうすでに本州へと入っている。
眼下に広がる富士山を見る限り、そう遠くない時間で、飛行機は東京へとたどり着くだろう。
それでも…
「…♡」
そんな短い間であっても、きっと良い夢が見れる
そう思ったからこそ、マヤは隣にいる相棒の肩に体重を預ける。
まだ、もう少しだけこのままで…
そう思いながら短い夢の旅路へと、自身の意識を落としていく
そして、そんな二人に関係なく飛行機は飛んでいく。
結局二人寄り添って寝てしまった、そんな小さなウマ娘と、そのトレーナーを乗せた飛行機は、少しずつ、それでも確実に目的地へと近づいていく。
…少女は知らない。
これからそう遠くない未来に、傍らで眠る青年を失うことを…
結局旅行中、棚上げにして向き合わなかった自身の本当の気持ちに、改めて向き合わなければいけないことを、彼女はまだ知らない。
…そして青年もまた知らない。
これからそう遠くない未来に、傍らで眠る少女を残し、一人天へと帰らなければならないことを…
その死が、自身の最愛の少女に苦難の道のりを歩ませることになることを、青年はまだ知らない。
…それでも、そんな悲劇的な未来が約束されていたとしても…
「zzz」
「う~ん…もう食べられないよ…」
今のこの幸せな時間は、確かに存在したもので…
そして…
「お客様、飲み物のお代わりは…――あらあら♪」
通りかかったCAは、客席に座る二人組に声をかけようとして…それを途中で止める。
そして、あえて何も言わずに去っていく。
それは、二人が寝ていたからと言うのもあったが…
「zzz」
「むにゃむにゃ…」
二人が、お互いの肩に頭を預けて寝ていたから…
そうやって手を繋いで寝ている二人の姿が、あまりにも幸せそうだったからで…
キィィィィィン…
飛行機は飛んでいく。
その道のりは、定められた終点に向けて、確実に進んでいく。
それでも…それでもまだ、それが目的地に着くことはない。
まだ少し、もう少しだけ時間はあるから…
「zzz」
「…んふふ♡」
相変わらず呑気に寝息をたてるトレーナーと、その隣でほほ笑む愛バは、それでもあと少しだけ、眠り続けるのだった
これで短編集5作目は終了です。
いかがだったでしょうか?
思えば、このトレーナーちゃんにもお世話になりました。メインストーリーや育成ストーリーを読む中で、他のウマ娘でもそうでしょうけど、その中でも特にマヤちゃんのトレーナーは、本当にただ人では務まらない。そう思ったからこそ、一生懸命考えて、その結果としてうちのトレーナーちゃんは生まれました。
ストーリーの都合上、彼の出番は本編ではほとんどありませんでしたが、それでも彼が心の底から自身の愛バのことを考えていたこと、マヤちゃんが劇中で彼に救われていたように、彼がいたから走れたように、彼もまたマヤちゃんに救われていたこと、彼女がいたからこそ彼もまた走れたことを、今回の短編で少しでも書けていたならうれしいです。
…さぁ、残す話もあとわずか
長かったこの短編集も、次の話で一つの区切りを迎えます。
どうか、最後までお付き合いいただけると幸いです。