あと一応注意ですがモブにオリウマ娘が出ます。
学園への帰路をバスが走る。
エアグルーヴは後方の窓際から遅く流れるその景色をぼんやりと眺めていた。
時折バスが出っ張った石を踏むせいで時折車体がゆれ動く。その度に低い天井がキイキイと悲鳴のように軋む。
長いこと生徒たちをターフまで運んできたそのバスはお世辞にも新しいとはいえなかった。
あらゆる点において充分過ぎるほど恵まれた学園の設備の中での数少ない不満点だともいえる。
とはいえ、生徒たちが座る椅子だけは、体重をかければ深く沈み込む良質な素材で作られている。そのお陰で長時間座っても疲れが残らないようにはなっているので、実際の所はそこまで不満があるわけでは無いのだが。
──いっそのことこのバスから飛び降りて、ジョギングでもしながら帰ってしまいたい。そうすればこの気持ちが少しは晴れるのだろうか?
つまり、今エアグルーヴがそんな半ば自棄じみた考えが浮かんでいるのは決してバスにうんざりしているからとか、そのような問題では無いのだった。
いつものように規則通りに着こなした制服、少し華やかさを出した化粧。その一方で隠しきれない疲れきった顔と垂れ下がり始めた耳。
そのアンバランスさにどこか儚げすら漂わせた姿は、傍から見るとまるで都会に揉まれながら将来を憂慮する都会の女性の様だ。ある種の芸術のように完成されたその姿に周囲では見惚れている者すらいる。
まさか、その頭の中では普段の堅物な姿らしからぬ突飛な提案が浮かんでいるとは思わないだろう。
──なんてな。そんなこと出来るわけもないが。
ただでさえ入学式で助けられた身。その行動で周りの者にかける迷惑を考えれば、彼女の強固な理性がそれを許さないのは自明だった。
そもそもウマ娘は例えジョギングで収めたとしても人間の自転車が出す時速約20kmを遥かに上回る。そんなスピードで公道を走れるわけもない。
結局の所、これは実現可能性を全く考慮していないエアグルーヴなりの冗談めいた思いつきに過ぎなかった。
同族であるエアグルーヴが言うのもあれだが、どんな行事もウマ娘が絡むと途端に規模がでかいお祭り騒ぎになる印象を持っている。
普段から世間から注目度が高く、トレセン学園を取り扱った専門の雑誌すらある状況なので余計に目立つ。
だが周りに迷惑をかけてはいけない、とは社会の輪で生きるための原則だ。なぜ学園の長い歴史の中で、そんな目立った活動を続けられているのか。
それは日頃のご近所付き合いを積み重ねた賜物だ。
根回しというと響きが悪いが、何事においても近い者と仲良くなるに越したことはない。お互いに情報交換も出来るし、違う環境の友人をつくれるのは貴重だ。多少のトラブルを起こしてしまっても大目に見てもらえるしその逆も然りだ。
そのため学園は、当初から周囲との友好をとても重要視しており、年賀状は勿論、お中元やお歳暮も欠かさずに贈り合っている。今日の交流会もその一環なのだった。
とはいえ、学園の垣根を超えた交流と聞くと華やかなイメージを抱く者もいれかもしれないがその実情は粛々としたものだ。これは世の一般家庭ですら昔ほど深い交流をしなくなっているという社会の流れに従った結果である。学園の通史を振り返るとかつては一般生徒も含めた学校単位での大規模な交流会をしていたらしいが、今ではお互いに代表として生徒会同士で歓談を楽しむまでに規模が縮小している。とはいえ、それでも欠かせない大事な活動であることには変わりはない。
そこまで分かっていても、エアグルーヴからしてみればこれは気が張る仕事でしかなかった。確かに久々に会う人達と喋るのは楽しいがそれはそれ。生徒会副会長の肩書が印刷された名刺を持って、シンボリルドルフに次ぐ代表として参加している以上、自分が楽しむことは二の次になってしまうのは仕方のない。
相手方の参加者の名前を叩き込み、高すぎず安すぎない手土産を準備し、話題作りとして相手の学校の大会成績までもチェックして臨んだ。更には前日に一人鏡の前で自然な笑顔の練習までして臨んだ。
そんな準備の甲斐もあり、つつがなく会を終え今年度も友好な関係を築き上げることは出来た。
だが涙ぐましい努力の代償か、帰りのバスに乗り込む頃には周囲が萎縮するレベルの仏頂面になってしまっているのだった。
「副会長さん、さっきから怖い顔すごいですねぇ。表情筋の限界来ました? それともやらかしちゃいました? 悩みがあるならこのペドロリーノ! ビシっと解決いたしますよ!」
そんなエアグルーヴの横に座っていたあるウマ娘が、それを見かねてかまるで立候補をするように声をあげた。
ウェーブのかかった金髪をたなびかせたウマ娘。名をペドロリーノといった。
「何も無い。私用で少々苛ついているだけだ」
返答に対してペドロリーノはその言葉に手を叩いて笑う。良く言えば情緒が激しく、悪く言えばオーバーリアクションな動作は生徒会の間でも変わり者と噂される存在だった。
「ワオ、安心しました! でもあなたがそんな怖い顔してると周りまで萎縮しちゃいますよぉ。ほら、スマイルスマイル!」
そう言ってエアグルーヴの頬に手を伸ばす。
だがつれないエアグルーヴは、彼女の手がその頬に触れる前にその手をピシャリとはたき返されてしまった。
しかし持ち前の底抜けの明るさが取り柄の彼女。そんな冷たい反応を返されても全く気にする様子を見せずにカラカラと笑っていた。
「……さっきの写真のことなんだが」
「はいはい! どうしました?」
さっきの写真とは、行きの間にエアグルーヴが見た彼女のペットである犬の写真のこと。
そう、エアグルーヴが、行きにうるさいと注意したことで何やらヒントを得るきっかけになった相手とはペドロリーノのことであった。
「久々に帰った時に、犬はお前のことを覚えているものなのか?」
「あ~……それはそれは痛い質問ですね」
ペドリコールはエアグルーヴの質問にムムウと唸らせたかと思うと肩をすくめ、所謂「コメくいてー」ポーズをした。
「それがですね。犬ってのは可愛いんですけどあんちきしょうな生き物でもありまして。あたしが帰っても全然こっちに来やがらないんですよぉ! この前なんて妹の顔舐めてる写真が送られてきまして! あたしにはそんなことしてくれたことないのにぃ! ……まぁ元々私には甘えてこないんですけどね。犬は家族に順位をつけるなんて迷信もありますが、ホントかもしれませんねぇ」
「ああ。分かるぞ。自分がいない場で仲良くされると奪われたかのようなショックがあるだろうな。前まではそこに
「あら、確信をつくような解答。何かのっぴきならない事情がありました? なーんて」
「ではお前はそういう時どうするのだ? そのままにしておくのか?」
「まっさかぁ。そういう時はこうです!」
ペドリコールは目を見開くと手で喉をかき切って見せる。
やるや否やエアグルーヴがその頭を小突いた。
「そういう下品なことをするな」
「い、いてて……。いやそれは冗談なんですけど」
「副会長さんもペットのしつけでお困りで? それだったらガツンと言わなきゃダメですよ!」
「そうですそうです! 厳しすぎるのもダメですが、あまり好き放題させても良くありません! 何故なら犬が人間を思い通りにしているんだと錯覚してますます好き勝手しちゃうんですよ。一回、ビシーっと怒ってみたらどうですか? 副会長さん怖いですからねぇ。きっと効果ありますよ。……あ、前に副会長に怒られた時の事思い出しちゃった。ブルブル」
自分の肩を抱いて震えだしたペドリコール。
打てば響く彼女の事は意外と気に入っているが、隙あらばふざけるその姿勢は如何なものだろうか。
そんな隣ウマを放っておくことにしたエアグルーヴは、トレーナーから送られてきた写真をもう一度眺めていたのだった。
「あ~段々暑くなってきたなぁ……このまま夏迎えても、アタシ元気にトレーニングできているのかなぁ……っと」
メジロドーベルが、今日の授業が終わりいつものようにトレーナー室へと歩をすすめる。
復学してからは、メジロマックイーンやメジロライアンらが面倒を見てくれていたのもあるが驚くほどすんなりと学園に溶け込むことが出来ていた。
初めは緊張で一杯だったメジロドーベルをクラスの皆は対して全く邪険に扱うこともなく受け入れてくれた。寧ろメジロドーベルが周りを伺いながらあたふたとノートをカバンから取り出す姿に母性をくすぐられたウマ娘が多発。
受け入れるを超えてあれこれとお節介を焼いてすらいたのだった。
そんなことを思い返していると、目的地にたどり着く。
昨日はこの扉を開けると、暗い部屋の中でレース映像を前にブツブツ言っているトレーナーがいて驚いたものだ。
──またあんな事してるわけじゃないよね?
メジロドーベルは昨日トレーナーの背中を観た時、自分が幼少期にメジロ家のテレビで深夜アニメをこっそりと観ていたときを思い出していた。
あの時は途中で使用人に見つかり、目を悪くするのでいけませんとたしなめられていた。
当時は釈然としないまま部屋に戻るしかなかったが今では使用人の気持ちが理解できていた。
今日こそはまともでありますように。そう思いながら開けるとまず目に飛び込んできたのは室内灯の灯りだった。
──良かった。今日はちゃんと電気つけてるんだ。……いや別に心配していたわけじゃないけど!
心の中で誰かに言い訳をしながらも、既に中に二人いることに気づく。
一人は窓の外を見ながら何かを食べているエアグルーヴ。
そしてそれを横目に見ながらパソコンの前で作業をしているトレーナーだった。
「エアグルーヴ先輩! 昨日はお仕事お疲れさまでした。……何を食べているんですか?」
「ああ、これか? あやつからの貰い物だ」
「へぇ、珍しいですね」
多くのトレーナーは来客への茶菓子代わりや生徒への差し入れ、はたまた自分で食べる用など様々な目的として何かしらの菓子をストックしている。
ウマ娘は喜んでその恩恵に授かる者が多く、メジロドーベルもその一人だったが一方でエアグルーヴはめったに食べようとはしなかった。以前その理由を以前聞いた時ことがあり、その時は『 アスリートの身としてはむやみやたらと間食をする気にはならんのでな。余程疲れた時を除けば極力我慢している』と事も無げに答えていてメジロドーベルはそのストイックさに驚愕したものだ。
「スーパーとかコンビニで売ってるやつだけどな。ストックしているんだ。お前も食べるか?」
トレーナーが口を挟みながらガラガラと冷凍庫を引き出す。
その中にはバニラ味やチョコ味などのいくつものソフトクリームが入っていた。
「ありがとう」
メジロドーベルはこれを素直に受け取り包み紙を剥いで口に運ぶ。うん、おいしい。
学校で食べるお菓子というのは三割増しで美味しく感じるから不思議だと思う。
すると、先輩も今これを舐めているということは今余程疲れているのか、と疑問に思った。トレーナーに聞いてみると
「ここに帰ってくるやいなや不機嫌そうでな。何か言いたげだったんだが俺には心当たりが無いんだ。無駄に怒られる前にあれ与えて大人しくさせようと思ってな」
とのことだった。
「そうなんだ。というか先輩、ソフトクリーム好きだったんだ」
「それがな、子供の時から好物らしいぞ。他の菓子と違って舐めて食うだろ? その感触が気に入ってたらしくてな」
「……流石だね。詳しいんだ」
メジロドーベルは、ソフトクリームが溶けてしまう前に一生懸命舐める幼少期のエアグルーヴの姿を想像する。あの真面目な先輩にもそんな可愛らしい時代があったのかとクスリと笑う。と同時にそんなことを語る信頼関係があることを初めて知る。先輩は、あれこれと自分の過去を語るイメージが無かったのだ。
「はは、あいつは普段から色々抱え込むからな。いざって時癒してやれるよう趣味とか好きな食べ物を聞き込んでるんだよ。いわばアンガーマネジメントってやつだな」
トレーナーがしたり顔で笑う。
「ふーん。トレーナーってそういうこともするんだね」
「ああ、トレーナーってやつは指導がうまけりゃいいわけじゃない。メンタルケアも大事な仕事さ。この学園の中には公認心理師の資格もってる奴までいるんだぞ。レースの管理や体のケアまで幅広くやって勝利まで導く、そんな様子から『調教師』なんて形容されたこともあるんだ。それも一概には否定できないかもな」
するとここまで聞いたメジロドーベルの顔がみるみるうちに赤くなり耳が垂れ下がる。そして我慢できないといったように叫んだ。
「ちょ、調教って……何言ってんの! バカ! 変態!!」
「なんで!? 俺が自称してるわけじゃねえよ!」
トレーナーが慌てて言い訳をするが時すでに遅し。そのままメジロドーベルは部屋の外へ出ていってしまった。
後で弁解の機会はちゃんと与えてくれるのだろうか。
勿論トレーナーが言った意図は、意外とムッツリだったメジロドーベルが思ったような、疚しい意味では無い。
かつて雑誌のインタビューか、それともネットの記事だったか。
昔、サーカスをイメージした勝負服を着てパドックでちょっとした曲芸をやるのを恒例としているウマ娘がいた。レースの実力は、厳しい言い方をすればどこか伸びが足りず惜しいとこまでしか到達できない娘だった。だがその華やかさもあり当時重賞未勝利とは思えない程ファンが多かった。
この世界は勝者が正しい世界。そんな姿に勝ちにこだわる一部のファンからは批判もあった。
だが最後の引退レースで、彼女は一つだけ勝ち星をあげることができた。
あの時のメディアの盛り上がりはG2だとは思えない程大きく、ほんの一時ながら脚光を浴びることになった。その時の担当トレーナーのインタビューの見出しに書かれていたのが、「あの波乱の大舞台、その裏で寄り添った調教師の思いとは」だった。
サーカスのライオンや水族館のイルカのように、飴と鞭を巧みに使い人に懐かせ、芸事を覚えさせるプロ。大勢にエンターテイメントを提供するという立場も近しいものがあり、トレーナーはその見出しに共感し、記憶の中に印象深く残っていたのだ。
そんな経緯があったため何気なく雑談に絡めたのだが、結果として中々最悪な受け取り方をされてしまったようだ。
トレーナーがつい項垂れていると、それまでずっと窓の景色を眺めていたエアグルーヴがゆっくりと振り返って衝撃的な発言をした。
「フッ、私も"調教"されてしまうのか?」
まさかの追い打ちにトレーナーはその言葉を咀嚼するのに時間がかかり、重い口を開く。
「お前までそんな事言うのか……。からかわないでくれよ……というか聞いていたのか」
「声を絞っていたのか? 同じ部屋であれだけ騒いでいたら聞いていないわけがないだろうが」
それはそうかもしれない。
「それにしても、からかうな、だと? それはこっちの台詞だ。こちらが学園のために動いている間に、ドーベルと肩を並べた写真を寄越されるとは思わなかったぞ」
先程の冗談をいうような軽さから一転、トレーナーを責める口調に切り替わっていく。
トレーナーはスマホを取り出し、エアグルーヴに送った写真をもう一度見返す。
言われるまで気付かなかったが、確かにメジロドーベルとは肩が触れ合う距離にまで近かった。これでは、最悪セクハラと捉えられてもおかしくないだろう。
男が苦手なメジロドーベルがそれに何も言わなかったのは、勢いで撮った写真だったのでそこに意識が向いていなかったのだろう。
「お、おいもしかして俺があいつとイチャついているとか思ったのか? この写真は確かに迂闊だったが」
「調教ねぇ……。確かに相手を自分の思うようにコントロールするのはさぞ気持ちが良いだろうな。私に言ってみればいいだろう? 貴様は、どうしてみたいんだ、んん? ドーベルの言う通りだな。もしそこに快を感じていたのなら変態などと言われても仕方がないなぁ? もうじき貴様と組んで半年が経つが、そのような癖があるならば隠さずに言えば良かったものを」
次第にスイッチが入ってきたのか、エアグルーヴはトレーナーの言うことにも全く耳を貸さずに息をつく間もなく罵倒をする。
それは、普段の論理だった説教とはかけ離れたただの言葉尻を拾っただけに過ぎない。だがそれを分かっていてもその圧の強さが反論を許さない。
だが、トレーナーは分からなかった。自分がおかしくなったのだとすら思った。
エアグルーヴは自分に怒っているのはずなのに。何故そんな彼女の言葉から、
普段聞いたこともない程の艶を感じたのか。
そのまま呆気にとられていると、エアグルーヴがつかつかと近づいていることに気がつく。
先程距離が近かったことを責められたばかりだ。思わず一歩二歩と後ろに下がる。
「おい、逃げるな」
だがエアグルーヴはそれも許さない。左手でトレーナーのネクタイをぐいと引っ張り逃げられなくする。
当然更に二人の距離は縮まる。お互いの息がかかるまでに。
トレーナーよりも背が低いエアグルーヴは必然的に見上げる形になる。
しかしその視線の強さは上目遣いなんて生優しいものではない。
そのままエアグルーヴは言葉を続ける。
「……ふん、呆けたように口を開いて、言葉も出ないか? 貴様は豪胆なのか小心なのかわからんな。ドーベルの前で散々私のことを分かったような口を聞きおって。これを食いさえすれば調子が上がる、なんて甘ったれた見通しなのだったとしたら、私も
そして、右手に持っていた
「!!?」
途端、冷覚が痛みとして口の中に突き刺さった。トレーナーは慌ててソフトクリームを自分の手で支える。
これで垂れてワイシャツについてしまったら後々の洗濯が面倒くさくなることは自明だからだ。
「それはくれてやる。……甘いだろう?」
エアグルーヴはそんなトレーナーの情けない姿を一歩離れて見つめている。
もしも第三者がその光景を見ていたら、その異様な光景に言葉を失うだろう。
ようやく彼女の溜飲も下がり、今日初めての笑顔を浮かべながら立ち去っていった。その笑顔はとても少女が浮かべるような純粋なものではなく、『愉悦』を体現したような笑顔だった。