特に評価バーは目標の一つだったので感無量です。
暖かくも優しい春の太陽が芝を美しい新緑に染め上げていた。気を抜いた授業中の生徒達であればその頭の動きを鈍くさせてしまうだろうが、その効果は、今ここに立っている群衆にとってはまるで意味をなさない様だった。
この日のスケジュールは選抜レース。特に年に4回ある中での初回に当たるレースである。トレセン学園に入ることが入学試験であればこの選抜レースは認定試験のようなものだ。これに受かることはシリーズのレースの出走権を得ることに繋がる、とても意味の大きいイベントである。
特に春に開催されるこの時期にトレーナーがつくことは同世代と比べ大きなスタートダッシュにつながる。当然早い時期にトレーナーが着いた方が、指導に当たる時間も長くなり、肉体・戦略共により高い完成度に繋げることができるからである。
こういった事情から、自然と参加するウマ娘達の熱気も一段と高くなる。そしてそれは数多く詰めかけているトレーナー側も同じことである。
余程の大器晩成型かイレギュラーな存在でもない限り、この回が最も才能を持つウマ娘が多く眠っている。少しでも有望そうな娘が見つかり次第椅子取りゲーム式で刈り取られていく。トレーナー側は如何に周りよりも早く有望株を正確に見極め、ウマ娘側が納得できるほどの自分の有望さを示せるか、が勝負の肝になる。皆データベースが入った端末を片手に、各々が分析した内容を見てうんうんと唸り相性の良い娘を探している。
他にも、次世代のライバルになりえる存在を見定めようということか、トレーニングを抜け出して観戦しているウマ娘も散見される。グラウンドからは離れて遠くの観客席を見てみれば次世代のスターを今のうちに見ようとする一般客の姿すらある。流石に選抜レースから追いかけようとする者はかなりのマニアであり、その数は少ないが。
十人十色の思惑がひしめく中、ついに準備が整い、最初の出走者たちがスタートラインに並びだした。
柵を超えればそこはまるで戦場かのような空気が漂い始める。今回の出走は12人。その内メジロドーベルは真ん中に位置している。どの娘も緊張した面持ちを浮かべ、数秒後を今か今かと待っている。
「スタート!!」
ついに教官がフラッグを上げた。
一斉に駆け出すウマ娘達。しかしいきなり驚かされることになる。
メジロドーベルはなんとスタートから出遅れていたのだ。
「メジロドーベルは痛いミスをしましたな」
「どうしたんでしょうね。集中を切らすなんて」
眉間にしわを寄せて必死に駆け出すもいまいち伸びきれていない。このハンデから勝ち切るのは難しいか。
だが
―前半は最後尾だったのに、じわじわと順位を上げているな。
他の人は見切りをつけて別の娘に目を向けているが、早計な気すらしてくる。
言葉にしにくいが、レースには流れというものが確実にある。一回その流れから弾き出されたウマ娘は表情もどこか諦めの色を浮かべ、実際その後の挽回は難しくなるものだ。
だがメジロドーベルは今も諦めていない。前をしっかりと見据えて、その原則を壊さんと必死に食らいついていた。
―もう少しちゃんと見てみるか
レースはもうじき上がり三ハロンに入る段階に来た。
複数のストップウォッチを使い周りが先頭の娘のタイムを計る中、メジロドーベルのタイムを計ってみる。
結果的にはその後は、順位に特に大きい変動が無いまま先頭がゴールを切った。後続も次々となだれ込んでいく。
メジロドーベルの結果は7着に終わった。マンガの様な大逆転劇、なんてことにはならなかったが、あの表情と追い上げを見ていた俺にはその着順からマイナスな印象を持つことはなかった。
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「一着おめでとう! 君の脚に才能を感じたよ。是非俺に指導させてくれ!」「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「順位は惜しかったですね。ですが逃げは私の得意分野です。課題も見えています。私に預けてみませんか?」「ホントですか!? そういってくれて嬉しいです! ご指導よろしくお願いします!」
レースが終わると、わっとトレーナーが集まってあっという間に塊を作りだす。各トレーナーが有力そうな娘や自分の指導に適した娘に声をかけ、口説いていく。
一方その中で、今回振るわなかった娘がひっそりとその集団から離れていく。メジロドーベルの動きは後者だった。
選抜レースは敗者になる、つまりスカウトがかからなったとしても決して無意味ではない。新人である彼女たちにとって、緊張感あるレースを体験する初めての機会は大きな経験であり、それを走り切ることが本格化といわれる、未だ謎の多い現象の準備段階を満たすという説が有力である。
……とはいえ、そういった理屈がちゃんとあるから気にせず次をまた頑張ろう、と割り切れるものではないが。恐らく本人のストレスは相当なものだろう。
スカウト合戦が落ち着くと、次のレースの娘たちがスタートラインに並び始める。他の有力株の娘を見たい気持ちもあったが、今のレースを分析したくなったため観戦を辞めて自室へ戻ることにした。
学園内のレースの動画は選抜レース含めて全て記録として残り、編集が終わり次第トレーナー達に提供される。編集といっても選抜レースのような学内で完結するものの場合、出走表とタイムを載せる程度の簡易的なもので、更に慣れた専門の職員が手掛けているのでその反映は早い。
しばらくトレーナー室で作業をしつつ待機していると早速反映された。いそいそとその記録を確認する。
「やはり、ロスの大きさの割にこのタイムは速いんじゃないか?」
にしてもなんであんなに前半が遅かったのだろうか?
脚質が追い込み型であれば、他の脚質に比べればスタートの精度の優先度は下がるし、序盤は最後尾にいるものなので何ら不思議ではない。しかしこの場合、テンからなかにかけては中間~やや後ろの馬群をウロウロするというなんとも中途半端な動きだった。あれは先行もしくは差しをしたい動きだった。やはりあの位置は本来の適正ではないのだろう。
では原因は何だ。何か違いは無いか。ケガは無さそう。バ場状態も良と出ている。突然のアクシデントの可能性は低い。やはり単に緊張してたのか? 周りと比べたらどうだ?
……待てよ
「レース前、周りをうざがっているような気がする。……目線か」
最初と最後の違いだ。走っている中で体力的にも追い込まれ、周りのことまであれこれ考えられなくなる最後と違い、最初はスタートの合図を目で追う必要がある。そのため必然的に目を開けて周りに意識を向けなければならない。
以前エアグルーヴも言っていたではないか。『メジロの者達とばかりいることが多いな』と。更にあの後彼女の経歴を調べてみたら、トレセン学園に入る前はずっと女子校にいたことを知った。
その時点で内向的であることや男性への苦手意識があることは予測できていたが、彼女は思った以上かもしれない。
スタートの時の不安そうな顔や揺れ動く尾。これ自体は一々気にすることもない、レース直前ではよくある光景だ。特にデビュー前の自身のメンタルケアの勝手も分からない新人であれば。
だが彼女の場合、その所作の理由が違った。大多数の娘の様に、いい結果を出せるかどうか、周りのトレーナーに注目されるかどうかの心配ではなかった。
むしろ逆。
トレーナーがつくのはほんの一握りであり、ついていないウマ娘というのは基本的に「飢えている」。トレーナー側もそれを分かっているからこそスカウトを躊躇わない。トレーナーと選手というものは本来対等であるべきであるし、実際対等である。もし有無を言わさず上からウマ娘に圧力をかけようとすれば、善性が強いと言われるウマ娘でさえ嫌悪感を示すだろう。最も、少なくとも中央に関してはそのような人材は理事長が絶対に入れないだろうが。
しかし、このスカウトの瞬間だけはその原則は揺らいでしまう。
人数比がトレーナーがとても小さくなっている現状として、この時間はこちら側が優位になってしまうしウマ娘側もまずついてもらいたいのでそれを良しとしている。そこの不文律というか、認識のすれ違いがメジロドーベルをいら立たせていたのだろう。
もしかしたら1年間離れていたのもそれが関わっているのかも。
そこまで整理したところで、一旦考えるのを止めて動くことにした。
「やあ、メジロドーベル。今日の選抜レースお疲れ様」
「っ……またあんた? 何? 慰めなんか要らないんだけど」
選抜レースが振るわなかったウマ娘のその後の行動は大体決まっている。悔しさを趣味で発散させるか、自主練を入れて追い込むか。
前者だったら日を改めるつもりでトレーニング施設を見回ってみたがどうやら彼女は後者だったようだ。
こちらが声をかけると表情を締めてきた。
「練習終わったんだろ? 今、また走ってくれるか?」
「なんでよ」
秒で反応してきた。まぁ意味が分からないだろうな。スカウトするつもりなら昼にやれば良かったのになぜ今更、とでも思ってるのだろう。
言葉を変えて色々と説得してみるも今いち乗り気じゃないメジロドーベルをなだめすかし、なんとか重い腰を上げさせることに成功した。
ゆっくりとグラウンドに向かいながら話題を投げた。
「実はエアグルーヴと話したんだ。寮で世話をしてくれてるんだろ? お前のこと、レースのことも色々気にかけてたよ」
「え、先輩が!? ……ふーんそうなんだ」
こほんと咳をならしてすまし顔をする。顔に出さないようにしているが耳と尾は動きを見せている。成程、確かにエアグルーヴの言うように、交流自体を嫌うタイプというわけではなさそうだ。
「いい関係性築けてるんだな。エアグルーヴのことは好きか?」
「好きっていうとちょっとあれだけど……あんな凛々しいウマ娘がいるんだなって、驚いたんだ」
「でもクールなだけじゃなくてアタシみたいな後輩の面倒も見てくれるし。女帝だなんて言われるプレッシャーも物ともせずにレースでも勝ち切っている」
「テレビで先輩のレース見てたんだよ。また走ろうかなって思ったのも、今思えばそれが大きいかな」
「テレビというと……ジュべナイルか?」
去年のエアグルーヴの一番の功績は12月のG1の一つである阪神ジュベナイルフィリーズだった。中距離が最適性である彼女にマイルを走らせたため正直少し不安もあったが見事勝利したのだ。
悩みぬいて提示した目標であり、俺も思い入れ深い。思えばあそこでようやく俺を心からパートナーだと認めてくれた気がするな。
「そうそう、人気順も真ん中だったのにレースで大どんでん返ししてさ。見ててすごく熱が入ったよ。インタビューもかっこよかった。『この結果を、来年に向けての宣戦布告にしたいと思います』ってさ。でもウイニングライブでは一転して笑顔で踊ってて、あの日は眠れなかったな」
会話に熱が入る。俺への嫌悪も忘れたのか、口角を上げながらいかにエアグルーヴが最高のアスリートであるか、長弁舌をふるった。
「いいね、俺もうれしくなるな。もっと教えてくれよ。他にはどんなところに憧れているんだ?」
「……自分への、自信」
一転。あれだけ明るかった顔が暗くなり、足をとめてぽつりとつぶやいた。
「あんたに言ってもしょうがないんだけどさ。正直自分が嫌でさ。変えたくてあれこれ調べて。色々試してみても、結局元のどうしようもない自分のままでさ。だから余計に憧れちゃうんだ。いいなって」
先程までの、流暢に先輩への憧れを語っていた姿から一変して、思いついたことをためらいがちに、吐き出すように、たどたどしく、弱音を吐いていった。
「ふむ、お前は最初からあいつがああだと思うのか? あいつだって最初は泣き虫で、脆いところがあったんだとしたらどうする?」
「え、ウソ。そうだったの?」
驚いてこちらに顔を向けてきた。
「いや最初からだな。そもそも俺が担当してるの途中からだしその前は知らんけど」
いって、足踏まれた。こいつ良いとこの出の癖に乱暴だな。
折角こっちに向いたのにまたそっぽを向いてしまった。
「何なの」
「でも確かにお前とあいつは違うな」
そう切り返すと、メジロドーベルはバツが悪そうに、悲しそうに、しゅんと顔を下げた。
「……言われなくても、嫌になるほど分かってる」
……あ、これ勘違いしてるな。まぁ俺の話の流れが悪いからなんだが。
「違うってのは自信があるかどうかじゃないぞ。あいつにはビジョンがあるんだ」
「……え?」
「俺が思うに自信なんて、さあつけようってつくもんじゃないよ。あいつには高い目標があって、それを叶えるために頑張ってたら自然と気骨がついてたんだと思うが……っと着いたな」
思ったより会話が弾み、気が付けば目的の場所にたどり着いていた。
「カウンセリングはここまでにして、走ろうか、昼と同じコースで」
「選抜レースと同じ距離走るの? なんでそんなこと……」
「まぁまぁいいから」
まだ目的が分からず、疑念を浮かべているメジロドーベルだったがここまできたら押せ押せで行くしかない。
「タイムは気にしなくていいから。もう一回見たいんだ、お前の走りを」
それでも尚渋っていたが、ここでごねるよりさっさと終わらせたほうが得策と踏んだのか、諦めたように靴ひもを結び直し始めた。
「じゃあアンタがスタートの合図やってね……はぁ、まったく」
「おう、任せろ……ってああ!」
ここがキモだ。メジロドーベルがスタート位置に着いたところで、一芝居打つことにした。
「え、なに?」
「すまん今急に爆裂に腹がいたくなってきた! やべえこのままじゃあ芝にたい肥与えてしまう! 一瞬トイレ行かせてくれ! スタートランプとタイマーはここに置いとくから!」
そういって密かに用意しておいたカウントダウン付きの電子タイマーとスタートの合図を光で教えるランプをセットして慌ててその場から走り去る。
「ちょっ!? 汚いジョーク言い残して走り去るな! ってもういなくなったんだけど! 何なのもう!?」
若干キレているが好都合。物陰に隠れて遠目からスタートの様子を観察した。起動した機械はそんなドタバタは意にも介さず合図を出し始める。慌てて彼女も姿勢を整えた。
ピッ ピッ ピッ ピー!
カウントダウンが終わり、音と共にスタートランプが光る。
周りに男はおろか人影すらほぼいない環境。そして振り回してくる俺という存在に気を取られている。
今回の目的は一つ。真の実力を見定めること。その為に慣れないことをして、緊張の原因になりそうなものを極力取り除いてやった。
さあどうだ。
…走り出したそれは、内心の期待を大きく上回るものだった。
文句なしのスタートダッシュ、打って変わって力強い蹴りで猛然と前へ駆け出すその姿。遠目から見ても思わず息を吞んでしまう。凛々しい。離れたことを後悔するくらいに。走り終えていたことに気が付かないくらいに。
どうしようもなく見とれてしまっていた。こんなものを見せられたらやることは一つだ。
「はぁっ……はぁっ……って遅い! アタシもう走り終わっちゃったよ!」
「メジロドーベル!!」
全速力でメジロドーベルの元へ駆け寄る。余計な言葉はいらない。どうせ彼女しかいないんだ。早速ぶつけてきた文句を聞き流して、俺は人目も気にせず思いっきり叫んだ。
「お前は変われる!!お前の“憧れ”、俺が叶えてやる!!!」
そうして、俺にもう一人の担当ができた。
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「ってなことあったよなぁ。今でも思い出すよ」
「もう……恥ずかしいからあの時の話はしないでよ」
困ったように笑いながらもドーベルは俺の腕をギシリと握りしめてこういった。
「でもそれと約束守らなかったことは関係ないよね? あの時はあんなに構ってきたのに、今度はまた見捨てるつもりなの??」
あはは、思い出話で話を逸らす作戦は失敗かぁ。あと腕痛い。見捨てたことも無いんだが。
「見捨てたじゃん。あんだけのこと言っておいて、他のトレーナーへの移籍を進めたりなんかして」
「違う違う、あれから男性不信も解けた感じがしたし、一時期また暗くなってたじゃん。俺に嫌気さしたならいっそ変えたほうが良いかなって思っただけだ」
「はぁ? ……そういう風に捉えたのね。とにかく、もう二度とあんなこと言わないで」
キッとこちらを睨んできて会話は終わった。あの出会いから大分時間も経ったが時々考えが分からなくなる。
―コミュニケーションって難しいな……
結局いまいち機嫌を直せなかった。最早できることをやり尽くした俺は”理想”のパートナーへの道への遠さを嚙み締めつつ、ため息をついて去っていくメジロドーベルの背中を眺めるしかなかった。
最初の投稿時はまさかヤンデレへの布石のために過去編を書くとは思わなかった
タグの割にまだ病み描写が少ないのはいきなり病むより理由があるヤンデレのほうが味があるやん?と思うからです。じわじわとね、上げていきたい
追記:誤字報告を頂き修正しました。誤字多くて申し訳ない
あとマンハッタンカフェは天井で取りました。こんなに出ないものとは…