「朝から顔色が悪くて……最初は緊張からかと思ったんですが、さっき倒れこんじゃったんです」
「すみません、こんな状態で式典を始めていいのか分からなくなっちゃって……」
「おい! 大丈夫か!?」
人だかりの中を割って入り、エアグルーヴの状態を確かめる。
近くに駆け寄り、肩を叩いて意識を確認してみる。
手足は冷たいが額に手を当てるとかなり熱い。相当な高熱のようだ。
エアグルーヴも気づいたのか、こちらを見てくる。
だが目を開けるのも辛そうなその姿から、普段の様子をよく知っている分痛々しさすら感じてきた。
「ハァッ……ハァッ……と、トレー、ナー?」
「喋らなくていい! 大丈夫だから、そのまま座ってるんだ!」
「立てない程だ。明らかに重症だな。何はともあれ急いで保健室だ」
一先ず様子は分かったため、彼女から一旦離れて、生徒会員とどうするかを決めることにした。
とはいってもあの状態だ。エアグルーヴの対処については他の選択肢は無いだろう。
だが保健室に行こうにも、式の進行に必要な人員を無闇に割くべきではないし感染症であれば広げてしまう恐れもある。
ということで、保健室に緊急連絡を入れて専用のスタッフに運んでもらうことにした。
その話を聞いていた生徒会員が、こちらが頼む前に連絡を繋いでくれた。
他の生徒たちもシンボリルドルフやナリタブライアンに一連の事態を報告してくれている。
「連絡とりました! すぐに来てくれるそうです」
「分かった。ありがとう。そしたら一旦ここは一区切りでいいだろう。差し支えないようなら、式典を始めてくれ」
頷いた一人が司会係に合図を送り、直ぐにアナウンスが流れだした。
『大変お待たせ致しました。これより、第○○回日本ウマ娘トレーニングセンター学園の入学式を執り行います』
「……ふぅ、取りあえず始められそうで良かった」
あれから、アナウンスが流れて少ししたところで保健室のスタッフ達がやってきた。
俺が容体を報告しているのを聞きながら、テキパキとエアグルーヴを車椅子に乗せていた。
そして、あっという間に保健室へ立ち去って行った。
その背中を見届けると、俺含めて周囲も僅かにホッとした空気になった。
だが、そんな中でも何人かが、未だにどうするべきか分からないといった顔をしていた。
それを俺が見つけると、その内の一人がおずおずとこちらに声をかけてきた。
「あの、トレーナーさん。実は一つ問題があって……」
「当分は大丈夫なんですが、途中で副会長に祝辞を貰う場面があるんです。欠席するしかないんでしょうか……」
確かにプログラムの後半に、生徒代表から祝辞の言葉を贈る段取りがあった。
普通は生徒会長だけだったりするものだが、ここでは生徒会長と2人の副会長が祝辞を贈ると知り、初めは驚いた記憶がある。
「ナリタブライアンがエアグルーヴの分も読み上げるのはどうだ? 台本を借りてさ」
「いえ、エアグルーヴ副会長はスピーチをする時は全て頭に叩き込むんです」
「紙を見ながら喋るのはいただけないと当日には台本も捨ててしまうんです。なので内容は副会長にしか分かりません」
「……そしたらもう、仕方ないんじゃないか? 体調不良だと言って、ナリタブライアンの分だけ祝辞を送るしか」
驚いた。エアグルーヴはそこまで厳粛にしていたのか。
しかし、今回は理由が理由だ。こうなってしまってはもうパスするしかないのではないか。
体調不良を今更責めてどうにかなるものではない。
シンボリルドルフもトラブルが起きたことを残念がりこそすれ、怒るとは思えない。
だがその彼女たちは皆顔が一様に暗くなってしまっている。
気の弱そうなあの娘に至っては少し泣きそうになっている。
「そんなにやらなければいけないのか? それとも何か別の理由があるのか?」
俺は、彼女たちに問いかけた。
あれから少しした後、俺は保健室に向かっていた。
式典をやっている体育館を出て本館の中に入る。
入口を抜けて突き進んでいくと、すぐの廊下の端にその目的地があった。
一見学園とは思えない無機質なドアを開けた先、そこにはまた違う様相が広がっていた。
「……相変わらず薬品臭いですね。タキオンのラボとはまた違う臭いだ」
「ああトレーナーさん、どうも。その辺はさっさと順応してくださいな。あ、その辺心電図モニターがあるので気をつけて」
この『保健室』
その内部は、名前に似合わない設備を備えていることで業界内では有名な施設だ。
近くの病院と連携して専属の医師と看護師が歩いている。
壁際には頑丈なセキュリティを有した薬品棚が立ち並び、中には市販されていない医療用医薬品が取り揃えられている。
また部屋の端には点滴台までその出番を待っている。
今俺がいるのは入り口のすぐ近く。
そこに並んでいるベッドは軽症の娘たちが一時的に休むエリアになっていて、いくつかのベッドは今も埋まっている。
そもそも、ウマ娘という生き物は体調不良になりにくいというのが一般常識だ。
何せ運動不足という概念とは全く縁が無い上に、毒物耐性も持っているほど体が頑丈なのだ。
それに加え、ここ一番でレースに出れなかった原因を学園内が作るわけにもいかない。ということで、保健制度もかなりキッチリしている。
生徒たちは、義務化された幾つもの予防接種を打たなければ出走は認められないし(ちなみにこの下りを講義で話した時、トウカイテイオーは本当に苦々しい顔をしていた)、温度や湿度のバランスも常に保たれていて俺たち職員もその過ごしやすさにかなり恩恵を受けている。
だが、病気というのはそこまでしても防ぎきれないものだ。
もし体調不良になればすぐさま寮長に報告して、部屋を移すなり保健室に行くなりの判断を仰ぐことになる。
寮等の規則は比較的緩いといわれているトレセン学園だが、こと体調不良に関しては厳しい。
まぁ相部屋の相手及びそのトレーナーにまで迷惑がかかるので致し方ないが。
この万全の体制の中での治療が必要と判断されたウマ娘は、病気が治るまではレース及び練習への参加が一切禁じられる。
部屋の行き来も保健室と近くの売店を除き原則不可という徹底っぷりだ。
「エアグルーヴの診断を聞きに来ました。彼女は何処にいますか?」
「そこの部屋です」
奥のエリアへ移動するとそこは先程までの大部屋ではなく個室の作りになったベッドが置かれている。
どうやらエアグルーヴはここに運ばれたようだ。
「あ、そうそう。釈迦に説法でしょうが蹴られないよう気をつけなさいな。ここで傷害なんて笑えないですよ。お互いにとってね」
ウマ娘というのは、病気に対して頑丈な分軽視してしまう傾向にある。
そのため大体の娘が放っておいたら練習をしたがる。
そこをうまく抑えるのはトレーナーの大事な業務であり、危険な業務でもある、と研修で教わった。
頑丈であるのに病気になるということは、逆に言えばそれほど重症であるということ。
そうなったウマ娘は熱で冷静さを失う傾向にあるからだ。
レースでは頭に血が上っている状態を『掛かり気味』と呼ぶが、それに近い状態になる。
そんな状態のウマ娘に練習の機会を奪うことをこちらが説明しなければいけないので危険なのだ、と。
理屈では知っていた。
そう、理屈では知っていたのだ。
だがその本当の意味、危険性は今目の前の姿を見て初めて理解したような気がした。
「ああああああ!! 離せ!! 私はレースに出られる! こんなことで疎かに出来るか!」
ドタンバタンとベッドから抜け出そうと暴れていた。
ウマ娘の看護師が懸命に押さえつける。
その様子があまりにもショックが大きく、思わず言葉を失ってしまう。
だがそれを見ていたこの医師は見慣れた様子で、特に気にも留めず俺に説明を始めた。
結論から言うと、 診断はインフルエンザによる熱発。
熱こそ高いが 保健室でしばらく休めば問題はないし後遺症の心配もない。
エアグルーヴを運び、診断がついた際、同じことを説明していたそうだ。
そこまではエアグルーヴも冷静に聞いていた。
その後医師にこう尋ねたそうだ。
実は、私が次に出る桜花賞が一週間を切っている。
それについてはどうなるのか、と。
それに対し医師はこう返した。
「インフルエンザは解熱後も2日は出席停止扱いです。レース前の調整もあるのでしょう。私の立場から言わせると出走するのは現実的じゃないですな」
それから様子が一変し、今に至るのだという。
「エアグルーヴ。そんな状態じゃあ無理だ。第一今練習したら他の人達に感染してしまうだろ」
「うるさい! 他の者から離れて練習すればいいだけだろう! 私は出れるぞ! こんな終わりは認めん!!」
「そもそも出席停止だと言っているだろ。規律を破ろうとするなんてらしくないじゃないか」
……ダメだ。まったく聞く耳を持たない。
というか本当に耳に入っていないような気がする。
大体そんな状態で無理に練習をしたら治りが遅くなるのは素人でも分かるじゃないか。
絶不調ともいえるこの状態で勝てるほど甘くない。ましてやG1なんて。
気持ちは痛いほど分かる。でも。
ー頼むから分かってくれ。俺だって悔しいんだよ。
ここで、覚悟を決めた。
次の言葉で彼女の夢の一つにトドメをさす。
「先生、例の鎮静薬お願いします」
「……致し方無いですな」
医者にお願いし、今にも暴れださんとするエアグルーヴに鎮静薬を打ってもらった。
するとみるみるうちに動きが鈍くなっていき、やがて眠りに入った。
この鎮静薬はウマ娘による暴行を想定して作られた特性の医薬品であり、気分安定剤の他に麻酔にも使われる筋弛緩剤も含まれている。
アグネスタキオンも協力の元作られたその薬は、打つことで一時的に人間でもコントロールできるようになるほど弱体化するのだ。
この鎮静剤の
これを打つと一定期間、レースに出走不可になる。
つまり
最も悪用されたらシャレにならない薬のため、開発にかかわったタキオンを除けば理事会と年数を重ねたトレーナー達しかこの存在を知らないのだが。
「……そういえば貴方は驚かないんですな」
「ええまぁ。正直倒れたのを見た時、こうなる気はしていました」
「先生、すみません。私はまた体育館に戻りますので、何かあれば連絡ください」
医師にそう言い残して再びとんぼ返りをする。
……さて、スピーチだ。こちらの覚悟も決めないとな
──────────────
自分の役目が終わって席に戻ってからずっとその頭は働いていなかった。
何せ同僚たちも席を立ち、周りががらんとしてから終わったことにようやく気付いたのだから。
ゆっくりと立ち上がり体育館を出ると、新入生たちがあちらこちらで歓談にふけっている。
またトレセン学園の空気が少し新しくなっていくこの光景は悪いものではない。
「ドーベル! やっと来てくれたね、本当に待ってたよ!」「うん、ごめんね心配かけて」
中高入り乱れた新入生たちが俺の横を駆け抜けていった。
寮生になる者たちは今日から入寮になる。
お互いの挨拶を済ませた殆どの生徒たちが寮の入口へなだれ込む。
恐らく各々の部屋へ荷物を下ろして、その後歓迎会でも開かれるのだろう。
いつもであれば今後のスカウトに備え、新入生に顔を売っておこうかというちょっとした下心が顔を出していたかもしれないが、今は気にしていられなかった。
時折、何やらマスコミもやってきて式典のコメントを求められたが答える気にもならない。
改めてエアグルーヴに会いに保健室に戻ってきた。
彼女の病室に入ろうとすると中からシンボリルドルフの声が聞こえてきた。
「エアグルーヴ。お見舞いに来たよ」
「会長……申し訳ありません。このようなことになってしまい」
「桜花賞は残念だったな。だが君の今までの頑張りは私含めてよく見ていた。この結果を笑う者などいないよ」
「生徒会のことも心配するな。普段君が目を配らしているお陰で幾分か余裕はある。私とナリタブライアンで充分回せるさ」
何だか聞き耳を立てているようで居たたまれなくなった俺は再び保健室を出ることにした。
一階のメインフロアに置かれたテラス席に順番待ちをするように座り込んで休憩をとった。
どれほど時間が経っていたのか。
気配を感じふと横を見るとシンボリルドルフが立っていた。
いつの間にかお見舞いから戻ってきていたようだ。
「すまない、待っていたんだね。私は今話し終えたところだ」
「ああ、そのようだな。わざわざありがとう」
少し沈黙が続くと、そっとシンボリルドルフが向かいの席に腰かけた。
俺も何となく動く気になれず、近くの自販機に2本分のお金を投入した。
「何にする?」「……微糖を頂けるだろうか」
「どうぞ」「ありがとう」
缶を受け取ったシンボリルドルフがニコリと笑い、缶コーヒーを開ける。
普段はブラックを好む彼女も今は糖分が欲しかったようだ。
顔に僅かに疲れを浮かべつつも、それを隠さんとばかりに何時ものように足を組み、堂々とした佇まいのまま缶を傾けた。
お互いに何も言葉を交わさない。
たった190mLの缶コーヒーすらなぜかなかなか減らない。
季節の変わり目は風邪もひきやすくなるなんて小学生でも知っている。
なのにも関わらず体調を崩させてしまった後悔。
桜花賞を回避した選択は間違っていない、絶対に。
だがこの体たらくが、俺の自信を大きく失墜させた。
全く、物事がうまくいかなくて嫌になる。
「「はぁ」」
まるでミラーリングを狙ったように同じタイミングでため息が漏れた。
ああ、彼女も自分を責めているのか。
顔を見合わせた二人が、擦れた笑みをこぼしていた。
休憩を終えてシンボリルドルフとあのまま別れた俺は、今度こそ保健室に入った。
病院と呼ぶには明るい、だがどこか灰色がかったような空間が朝とはまた違う空気感を作り出している。
時間も時間なのでスタッフもほとんどいないようだ。
リノリウムの床が奏でる擦れるような靴音がいやに響いている。
朝の記憶を思い返して病室までたどり着いた。
エアグルーヴはベッドで横になっていた。
シンボリルドルフ以外にも生徒たちがお見舞いに来たのか、多くのお菓子やスポーツドリンクが横の机に並べられていた。
いくつか手をつけたような跡があるものの陳列されているかのように整然と置かれている。
熱を出してもその几帳面さは変わらないようだ。
タオルを借りて顔の周りだけ拭いてやった。
しばらく拭いていると、無言でこちらを見てたことに気が付いた。
「……余計なお世話だった?」
「……構わん。そのまま拭いてくれるか」
「体調はどうだ」
「ふん、たかだか半日でそう変わるわけあるか」
「会長はともかく……貴様が来たらうつるだろう……来なくていい」
「そんな寂しいこと言うなよ。お前のことが心配なんだ」
「それに俺のことは気にするな。俺は多くても一年に一回しか風邪を引かないからな」
「ふふ、なんだそれは。……記憶も虚ろだが、迷惑をかけたみたいだな。済まない」
「気にするな。理由が理由だ。荒れたくもなるさ」
「……やっぱりダメそうか?」
「……そうだな。今の体調で告げるのも残酷だが」
「ハッキリ言う。この状況では桜花賞は無理だ。オークスすら日に余裕は無いんだ。今は体調を整えることを優先しよう」
「……ああ」
「何も文句無いのか? 唐突な話だ、言いたいこともあるんじゃないのか?」
「……貴様に文句を言ったら、レースに出れるようになるのか?」
それだけ言うとまた黙り込んでしまった。
あたかも冷静に物事を見て正論を言っているように映るかもしれない。
だが吐き捨てるようなその言い方は、悪い言い方をすれば拗ねてる子供のようにすら見える。
しかし責めるつもりなんてない。
今まで練習をしている中で散々聞いていた目標。
母に次ぐオークスの二大制覇。そしてトリプルティアラ。
その夢の片方がこんな形で終わってしまった失意は、きっと俺が思うより根が深いのだろう。
男は長丁場になるかもしれないからと、荷物を端に置いて机に軽くもたれかけて別の話題を切り出した。
「俺さ、さっき、入学式に出てきたよ。もう終わっちゃったけど」
「分かっている。さっき会長もここに来たからな」
「運営側に立ってみるのも悪くないな、いつもより感動があったような気がするよ。貴重な体験だった」
「今までただ見てるだけだったからな。あんな大勢を上から見下ろすことなんてそうない」
そうか、と相槌が返ってきた。
それで終わりかと思ったら、少ししたらむくりとこちらに向き直ってきた。
目に驚きを浮かべながら。
「……
「ああ、俺もまさかこうなるとは思わなかったよ」
内心ニヤリとしながら、経緯を説明するためにエアグルーヴが運ばれたときに言われたことを話した。
──────
「エアグルーヴ副会長、言っていたんです」
「『今年は私も本格的にレースに参加する立場になった』
『今までと違い、レースに出ることについても彼女たちにメッセージを残せるだろう、楽しみだ』って」
「トレーナーさんが無理だと判断されたなら諦めます。ですが、もしできるのであれば」
「副会長が伝えたかった事を、代わりに話してほしいんです」
「ペアを組んでからたった半年とは思えないくらい息が合っていたように見えました。トレーナーさんならもしかしたら、副会長の言いたかったことが分かってるんじゃないかって」
──────
改めてみても荒唐無稽な提案だ。
きっとあの生徒会員もダメもとで言ってみたのだとは思う。
台本を覚えこむほどに準備を徹底していたエアグルーヴの無念を思うあまり言い出したのだろう。
「勿論本当はエアグルーヴが何を伝えたかったか、なんて分からない」
「でもまぁ、短いなりに苦難も喜びも分かち合ってきたつもりだからさ。俺なりに解釈して皆に伝えたつもりだよ」
「……そうだったのか、中々大それたことをしたものだな。そう簡単に出来ることではあるまいに」
「頼りないとばかり思っていた……がちょっとは訂正する必要があるみたいだな。感謝する」
柔らかい笑顔をこちらに向けてきてくれた。
横になりながらも目をつむりつつ、礼をするように前に軽くずらしてきた。
それからは、少し重荷が取れたかのように彼女からもぽつりぽつりと会話が続いていた。
保健室にちゃんと入ったのは初めてだとか、後で生徒会の皆にも改めて謝らなければなとかどこか固い話題ではあったが。
だがそんなたわいもない話をしていても、やはりあの話題は彼女からしたら避けて通れなかったらしい。
エアグルーヴが神妙な顔つきになったかと思うと、意を決したように切り出した。
「逃してしまったな……トリプルティアラ」
「……笑うか? JFの会見であんな大口を叩いた癖に、出走すら出来なかった私を」
「笑うわけない」
先程のシンボリルドルフの受け売りみたいになってしまったが。不甲斐ないなんて言うわけがない。
『この結果を、来年に向けての宣戦布告にしたいと思います』
俺もあの言葉に奮い立たされた一人なのだから。
「俺の方こそすまなかった。もう少し負担を減らすべきだった」
「……いや、仮にそう言われてたとしても、きっとはねつけていた。私をナメるな。これぐらい何の事は無いってな。情けないな……」
ごろんと弱弱しく頭を壁側に向けてしまった。
珍しく自罰的なことを言う彼女の頭をそっと頭をなでて慰めの言葉をかけた。
「気にするな、他のウマ娘たちを見てみろ。こう言ってはなんだが、目標ってのは叶わないことの方が多いんだ」
生徒の数だけ夢や目標を持っている。
それがトゥインクルシリーズの狭い狭い舞台の中でひしめき合っているのだ。
トレーナーが付き、メイクデビュー戦又は未勝利戦に勝ちオープン戦に勝ちG3に勝ち……上に行くにつれて少なくなっていく椅子取りゲームを僅か3年間の中で行う。
そんな状況でみんなが夢が叶って幸せ、なんてことは起こるはずがない。
考えたくはないが今回エアグルーヴが出走回避をしたことで、口にこそ出さないがほっとした者もいるだろう。
何せ事前の人気投票は堂々の一位だったのだから。
「会長も、ブライアンも。今では連勝を重ねているな。見てて私すら誇らしい気持ちになる」
「だが一方で私はなんだ? こんないきなり、出鼻をくじかれたような結果になってしまった」
「……身近にいると意識してしまうよな。その気持ちはよく分かるよ」
難関といわれるトレーナー試験を通るまでの俺と入ってからの俺はガラリと変わってしまった。
先輩、同期、後輩。どの世代にも天才と呼ばれるトレーナーが輝かしい成果を残していく。
特に最近では、シンボリルドルフのトレーナーが期待の新星扱いだ。
俺よりも若いのに シンボリルドルフが望む高い理想にバッチリと応えているししかも人格者である。
だから俺も彼女の置いて行かれたような気持ちが分かるような気がした。
しかし改めてみると生徒会メンバーって実力者揃いなんだな。
昔はあのマルゼンスキーも生徒会活動に関わっていたというし。
実務能力とレースの成績に相関なんてないし入会にあたりそんな条件なんて無いはずだが、不思議なものだ。
「よし、じゃあ約束しよう」
「約束?」
「ああ、トレーナー契約とは違うから破ってもペナルティなんてない」
「だがお互いが信じあえるなら達成できるはずだ」
エアグルーヴは言外に滲ませた圧を感じたのか僅かに顔をしかめた。
突然何を言い出したのかと言いたげな彼女だが、何だかんだ吞み込みさえすれば忘れずに守ってくれるだろう。
そんな見通しがつく程度には男は既に彼女に信頼を置いている。
「また勝手なことを……聞くだけ聞いてやる。内容はなんだ」
「必ずオークスを獲る。秋華賞もだ」
刹那、静寂が走った。
「……そんな約束をしなくても私は狙いに行くぞ。特にオークスは私の悲願なんだ」
「ああ、だろうな。お前は一切の手を抜かずに狙いに行くだろう」
「だが俺は『狙う』なんて言ってないぞ。獲るんだ」
「残るトリプルティアラの二つを勝ち取れ。これが必然であったかのようにな。そうしたら周りはどう見る?」
「メディアは大きくとりあげてお前をヒーローかのように記事を書くだろう。そしてこう言わせるんだ」
「『出てさえいれば桜花賞もとれたに違いない』とな」
「……それは、まさに理想だな」
東京芝2400m、京都芝2000m、
オークスで一着を取り、トライアルレースを出来るだけ避けて調整を秋華賞に全振りで挑む。
これが俺が思い描く、至極単純かつ理想のプランだった。
だが言うのは簡単だがいくつも課題はある。
体調不良から復帰して一か月弱で万全の状態に仕上げること。
なおかつオークスを獲ること。
なおかつ秋華賞まで獲ること。
これを周囲は勿論、パドックや会見の場でも一切の弱みを出さずに『熱発を難なく乗り越えたヒーロー』を作り上げる。
こんな役者のようなことなど、ウマ娘にあえて求めるものではない。
だがエアグルーヴが求めていた『帝』の二つ名、その字に恥じない偉業を見せつけるにはこれが最善の道に思えた。
「まるで夢物語かのような話だ」
「だが……そうだな、そうでなくてはつまらないかもな。これは一刻も早く治さねばな」
先程とうってかわっていつもの様にはっきりとした口調で、そう呟いた。
良かった。どうやら調子が少し戻ってきたようだ。
「ああ、ともかく今は体を休めることに専念しろ。また改めてこの話はしよう」
「それにあの会見のことは気にするな。俺、皆にもっと強い衝撃を与えといたから、きっと皆頭から吹っ飛んでるよ」
「……は?」
────────────────
「皆さん、入学誠におめでとうございます。今回諸事情により、エアグルーヴの代理としてお話させていただきます」
「学園の心掛けについては他の人も既にお話しした通りです。私からは短めに、皆さんの目的でもあるレースの話をいたします」
「あえて言いますがエアグルーヴは体調不良により桜花賞の出走を辞退いたします。彼女の走りを楽しみにしていた方々に、お詫び申し上げます」
「ですが、その責任をきっちり果たさせていただきます」
「トリプルティアラの残る二冠を私のエアグルーヴが頂くという形で」
「新入生の皆さん。この勝負の世界、望んで入ったことを後悔するような辛いこともあるかと思います」
「ですがその先にある夢を私たちがお見せいたします。どうぞ楽しみにしていてください。以上です」
会場が大きくどよめき、報道陣が慌ててカメラを用意するのも見える。
全て言い終わると、一礼して壇上から下りて行った。
────────────────
「ッバ……バ鹿者!!! バ鹿!! 大たわけ!」
枕をブンブンと振り回してくる。
そのあまりの剣幕に看護師たちが慌てて様子を見に来る始末だ。
「式典で何てことを言ってくれたんだ!! しかも報道陣までいるような場で!!!」
「はっはっは、ここまで言えば後には引けないだろ」
「お前は……! なんでいつもこう突拍子もないことが出来るんだ! 信じられんわ!」
「いやー流石にめちゃくちゃ勇気振り絞ったよ。でもきっとエアグルーヴはこういうことが言いたかったんだろうなって思って」
「何地味に私のせいにしてるんだ!? そんな全校生徒にケンカ売るような真似するわけないだろ!」
「でも度肝を抜くことは成功したぞ? あの最初に教えてくれた生徒会員も感動したのか言葉を失ってたしな」
「理解の範疇を超えたから何も言えなかったにきまってるだろうたわけ!!」
「というか理事長は何も言わなかったのか!? そんな前例のないことをやらかしておいて!」
「どうだろう? 顔見てないから分からないや。達成感と疲労と後からじわじわとやってくる恐怖からその後はずっと俯いてたし」
「たださっきから理事長室とたづなさんから鬼電とメールが止まらないんだよねハハッどうしよ」
「知るか!! さっさと怒られて来いたわけ!!」
そして俺は保健室からたたき出された。
ついでにエアグルーヴも流石に騒ぎすぎだと看護師から怒られてしゅんとしていた。
────────
そんなこんなで、とてもとても濃い一日が終わった夜。
彼らは学園から少しだけ離れたショットバーに居た。
「先輩、今日は本当に激動でしたね」
男を先輩と呼ぶのはあのシンボリルドルフのトレーナーである。
彼らは担当がお互い生徒会繋がりということもあり、いつしか男が行う少ない交流の一つになっていた。
「まぁな……流石に疲れたがな、でもほらこれ見ろよ! あのエアグルーヴがついに俺を頼ってくれたんだ!」
そういって後輩にスマホの画面を見せた。
そこ映っているのは、エアグルーヴからのメッセージだった。
『貴様があのようなことをいうから顔が熱くてかなわん 何か冷たい飲み物を買ってきてほしい』
あの後、男はそのまま理事長との話し合いをしていた。
それを終わらせた後、ふと画面を見たときにこのメッセージが届いていたことに気づいたのだ。
送信時間からして、男を病室から叩き出した直後に送った様だった。
「ほらな!」
ふんすとドヤ顔で後輩を見る。
──……いや先輩、それただのお使いじゃないですか
そう口に出しそうになるがグッとこらえた。
この後輩はそういう気を遣える人間性をちゃんと備えている人物だったのだ。
そしてこのことのコメントを求められても面倒だと、後輩はここでうまく話題をすり替えることにした。
「ていうか先輩、その、理事長室に行ってたっていうのは、やっぱ入学式の件ですか?」
「あーまぁ……色々後始末というかがあってな」
「あーあ、そりゃそうなりますよ。むしろ怒られただけで済んで良かったじゃないですか」
後輩は、やれやれと肩をすくめてグラスを傾けた。
「にしても改めてとんでもないことになりましたよね。僕たちも宣戦布告されたようなものですし」
「……後悔はしてるよ」
「え?」
「こうなる前にもっと上手くやれればよかったっていう後悔だ。もっと強くいって休ませておけば。効率のいいメニューを提示出来ていれば」
「ただでさえ周りに好かれちゃいないのにな。式後にぼーっと座ってても声をかけられないくらい周りと距離が出来ちまったが、ああ言ったことは悔いはない」
そう立て続けに言い、乾いた喉を潤すように一気にグラスの中を空にした。
「……俺は良いと思いますよ。あの時も、聞いてて喝入れられたみたいな気持ちになりました。ライバルでもありますが、お互い頑張りましょう」
「あ、次は何飲ますか?」
後輩は男に次の注文を訪ねた。
男は少し間を空けてからそれを選んだ。
「……ジャックローズを」
「お、急に趣向変えてきましたね。何でですか? ……まぁいいや、俺もフルーツ系飲んでみよ」
なんだかんだ言ってバーに慣れていない後輩が少し浮かれながらマスターに注文する。
やがて林檎の香りが漂わせた、赤い香水を入れたような美しい色合いのカクテルが目の前に置かれた。
それを見ながら男は深く息をついた。
──何でかって? 気恥ずかしくて言えやしない。
エアグルーヴからあのメッセージを受け取った後。
言われた通りに冷たい飲み物を色々買って病室に置きに戻ってきた時。
話しているうちに疲れてしまっていたのか深い眠りに入っていたエアグルーヴ。
ガサゴソと飲み物を置いてても目覚めやしなかった。
いつの間にか大きく寝返りをうったのか、枕が体の横に、投げ出されたように置かれていた。
その枕を見て。
──枕にこびりついた2つの赤い跡が、いやに脳裏に張り付いていたからなんて。
※追記
病室にて汗を拭く描写に一部矛盾があったため修正しました。申し訳ございません。