女帝の独占力   作:明石しじま

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展開に迷走したり、気晴らしに他の小説書いたりしてるうちにめっちゃ延びてた……


#8 病室にて

 倒れた私の目に入ったのは、見慣れない白い天井だった。

 

 体にかかった掛け布団や嗅ぎなれない香り、味覚を除いた五感全てが身に覚えのない空間であることを知らしめた。

 そのままゆっくりと目を覚ました私は、まずこの現状を飲み込むところから始めた。

 身に覚えのないとは言っても一般的な感覚に沿えばここは病室であり、それまでの記憶からしてここがトレセン学園が誇る保健室であるという推測は私にとってそう難しいものではなかった。

 壁の時計の短針は12を回っていない。どうやらまだ昼にもなっていないようだった。

 確か式典は10時開始だったはずだが、なぜ私はここにいるのだろう。

 

「……まぁいいか」

 頭が全く機能していない現状、それ以上考えるのも今の私にとっては億劫だった。

 何気なく病室についているテレビをつけると、中年のアナウンサーとタレントがにこやかに料理に舌鼓を打っていた。

 

 そんな画をぼんやりと眺めていると、次第に今までの経過を思い出してきた。

 夜までかかっていた準備。レースの練習とは別種の疲れ。

 桜花賞のための調整。夜には日々の授業で学んだことの予復習。

 当日までに頭に叩き込んだスピーチ。重くなっていく頭。

 

 そして……今日ステージの横でスケジュールを確認していると、意識が突然ブラックアウトした。

 

 頭がフラフラするあまり立つことも出来ずに座り込んだ。

 パイプ椅子の足の冷たさがいやに心地良かったことを覚えている。

 誰かが私を揺さぶっていた。やめてくれ、気持ち悪いんだ私は。そんな訴えをする気力すら起こらない。

 

 そのままじっとしていると、低い声が聞こえた。

 それまで聞こえてきた声は生徒の高めの声ばかりだったので、頭にそこまで響いてこなくてありがたかった。

 やがて誰かが担架を持って来たことに気づいた。

 

 言われるがままに横になりしばらく揺られていると白い部屋に連れていかれた。

 それから、薬を打たれて色々処置をされているうちに少し体が軽くなった。

 そのまま寝ていると医師がやってきて、説明を受けた。

 

 それからはあまり記憶がないが、事の顛末だけは分かっていた。

 頭は痛く体も重たかったが、そんな状況でも思考の片隅で医師の説明を理解した。

 

 要するに、トリプルティアラを逃すことになったのだ。しかも勝負の舞台にも上がらない形で。

 そのことを理解してからは、トレーナーがやってきて、何やら薬を打たれるまで暴れてしまっていた。

 駄々をこねてしまえば彼等が折れてくれるかもしれないという打算からか。はたまたやり場のない怒りからか。

 何か物を壊してしまったりしていなかっただろうか? 今更ながら不安になってきた。見た感じそんな跡は見当たらないが。

 そういえば、あの時打たれたのは睡眠薬だったのだろうか。あれから体に力が入らないしやけに眠い。

 桜花賞を逃したことも今ではどこか他人事のような、現実感に欠けた気持ちのまま、私は再び眠ることにした。

 

 

 

「今日は、本当にいろいろなことがあったな」

 その日の夜、窓から月を見上げて、差し入れで貰った飲み物を飲んでいた。

 一体、今日だけで合計何時間寝ていたのだろうか? 

 体調を崩すといくらでも寝れてしまう。最もそれしかすることが無いし、体調不良の身には良いことなんだが。

 

 休日ですらこんな無為に一日を使ったことなんて無かったのだ。ずっと寝ていて時間が分からなくなるその感覚すら、初めての体験だった。

 テレビをつけてみると何やら深夜バラエティをやっていた。

 普段はただうるさいだけのバラエティ番組を進んで見ようとは思わないので、この番組が何なのかもよく分からない。しかし今はそのうるささがありがたい。

 とはいえ時間も時間なので音量は小さめにするが。

 

 この病室という空間はいささか静かすぎるし時が止まったようだ。

 外の景色と時計、そしてテレビ番組の内容から失った時間間隔を取り戻していく。

 

 今日の夕方は会長を始め、多くの者がお見舞いに来てくれた。改めて、多くの者に心配をかけてしまっていたことを身に染みて感じる。

 

 机には積み重なったお見舞いに加えて一週間はまかなえるのではないかと思う程の大量の飲み物たちがいた。

 ラベルを見た限り、水と緑茶と麦茶と紅茶とスポドリとコーヒーとサイダーがあることは確認した。しかも冷蔵庫にも入っていた。

 

「まさかトレーナーがこんなに買ってくるとは思わなかったな」

「それにしてもあいつ、異様に頼られたがっていたな。そんなに私から仕事を貰いたかったのか……()()()()()とはえらい違いだ」

 

 

「しかしこれは……ふふっ、流石に買いすぎだろう……」

 緑茶を手に取り、パキッと飲み口を開けて喉を潤した。

 

 

 

 夕方にはトレーナーも見舞いに来てくれていた。

 あの時は、会長がお見舞いから帰った後、目を閉じて休んでいた所だったのですぐに気づいた。

 声をかけられたら目を開けようと思いそのまま目を閉じていると、突然額にタオルの感触があった。

 どうやらトレーナーは起こすのも悪いと思ったのか無言のままこちらの汗を拭いてきたようだった。

 

 ー……悪くないな。うん、悪くない。

 

 一瞬驚いたが、少なからず不快の源だった汗がぬぐわれていく心地良さからしばらくされるがままになっていた。

 

 だが今になって思うと、思わずタオルで拭くくらい寝汗が酷かったのだ。

 つまり私の化粧が崩れてしまった顔を、間近で見られていたことになるのではないか? 

 

「ああっ……くそっ……」

 

 醜態を晒してしまった。思わず顔を手で押さえつけるほど、不覚をとってしまったことが悔やまれる。

 普段走っている時も散々汗かいているだろと言われたらその通りなんだが。

 こちらの気持ちの問題というか、見せるつもりじゃないものを見せてしまうという恥まで頭が回らずに、異性に汗を拭かせてその快を享受してしまった事への気恥ずかしさがあった。

 

 

 だが。

 ……もしも、次会った時にそんなことを言いながら怒ったふりをしたら彼は焦るのだろうか。

 こちらとしてはお世話してもらっておいて怒るわけもない。ないが、あっちはそこまで考えが至らず謝りたおしてくるかもしれない。

 そんな思い付きをしたところでふと呟く。

 

「……前までは、こんな揶揄う様な真似をしようなんて発想すら無かったな」

 

 思えば、最近ずっと私らしくない。周りの反応もだ。

 普段は礼儀もしっかりしている後輩たちが妙に冷やかしてくる。

 あのユーモアが苦手だと自覚している会長すらからかってくる始末。

 

 1/3ほど飲んだところでお茶に飽き、隣のサイダーに手を伸ばす。

 お茶の後だと飲み合わせは悪いように見えるが、炭酸の刺激が今はありがたい。

 普段あまり飲まない味わいを楽しんだ。

 

 今までの過労も相まって、単純にスケジュールを気にせずゆっくりできるというこの環境自体はそう悪いものでは無い。

 しかしそれでも退屈は退屈。やることのない私の頭に次に浮かんだことは、式典であいつが言ったという、私の勝利宣言についてだった。

 

「……今でも信じられん。あいつが、あんな啖呵を切るようなことをするなんて」

 

 どうしてそんなことをしでかしたのかは分からない。

 だが、やり方が大胆すぎではあるが、その荒療治に対して思ったほど悪い気はしなかった。

 

「オークスも近い。これでは感傷に浸る暇も無いな」

 

 三冠を目標に掲げたウマ娘は、その思い入れが強いほど、最初の一冠目が重要であるという。

 最初に出鼻をくじかれたウマ娘は自分の実力に嫌気がさしたり、モチベーションが下がったりで伸び悩むことが多いからだ。

 

 だがトレーナーは、そのジンクスを知ってか知らずか、全校を巻き込んでまでして私の背中を押してくれた。

 

 

 思えば、入学式の準備の時、彼はいたるところにいて色んなウマ娘と共に作業していた。

 生徒会室は校舎の中でも上の階に入っているため、そこの窓からは外の景色がよく見えていたので私には分かっていた。

 だが私は、彼が汗をかき働くその姿に、ひどく苛立ちを覚えていた。

 なのに、そんな彼の姿が見たくないのに見てしまっていた。

 

 ―目障りだ。

 違う。

 ―そんな媚を売るようなマネをするな。

 違う。

 この思いを的確に形容する言葉がずっと出てこなかった。

 

 なぜかうまく仕事を教えられなかった私が悪いんだが、会長が彼に仕事を教えていた時は気が気でなかった。

 

 

 ここまで気になる様な相手になるとは当初は全く思わなかった。

「あいつとの出会いも大したものでは無かったな。運命というものは分からんものだ」

 


 

 前のトレーナーと、喧嘩別れ……というには一方的な破談を突き付けて契約解除をしたのが11月の中頃のこと。

 あの頃はテスト終わりにまたすぐ生徒会の仕事が舞い込んできて普段以上に余裕が無かった。

 今にして思えば、去年は色々あって常にストレスを抱えている状態だったのもあるが。

 

 積もり積もった彼女への不満と衝動的な感情も相まって、突発的に契約解除をしたはいいが問題は一ヶ月後のレースだった。

 

 何せもうデビューは始めてしまっている。トレーナーがいない状態ではレースの出走資格は無い。

 初のG1への挑戦、なおかつジュニア期の最終目標として据えていた阪神JFを、よりにもよって自分からトレーナーを切ったので出れませんでした、なんて洒落にならない。

 そんな訳で流石の私も内心かなり焦っていた。

 

 ー誰でもいい、極論書類に名前を書ける状態なら良いんだ。最悪籍だけでも置かせてくれるトレーナーは居ないだろうか

 

 だが名声のあるトレーナー達は既に自分の担当で手一杯だし、籍だけでもなんてそんな半端なことは認めないだろう。

 そしてしらみつぶしに探そうにも、ここで私の無駄なプライドが足を止めてしまっていた。

 

 そんな状況の中、その日も日課のトレーニングをした後、校舎内を哨戒と称してウロウロしていた。

 誰かいい人材は居ないだろうか、と見回っていた。

 すると見つけたのがグラウンドを観客席から眺めていた、胸にトレーナーバッジをつけた男。彼が今のトレーナーとなる男だった。

 

「突然すまない。トレーナー免許を持っているのだろう? 実は、のっぴきならない事情があってな。早急に私と契約をしていただけるとありがたいのだが」

 

「……今の俺に頼むのか?」

「君、エアグルーヴだろ。君がアスリートとして優れているのは十二分に分かっているし確かに俺は今手が空いている。だが、俺では導く自信はないんだ」

 

 この時、強い違和感を抱いたのを覚えている。

 なにせ狭き門であるトレーナー試験をくぐり抜けた彼等は、大なり小なり自分の能力に自信をもっているものだが、この男にはそういうものが一切感じられなかったのだから。

 だが当時の私が欲していたのは、指導力ではなく干渉してこない人材だった。つまり、皮肉にも彼は正にうってつけの人間であった。

 

「ふん、生憎だが、私にとってはその方が都合がいい。幸か不幸か、前のトレーナーから貰っていたトレーニングメニューが山ほどあるからな。貴様はレース登録の際に名前だけ貸せ。それで充分だ」

 

 

 

「……成程。思うところが無いことは無いが、それならこちらとしても助かる。お願いしよう」

 

 男はしばらく考え込んでいたが、互いに都合がいいことに気づいたのだろう。

 そう言ってこちらに手を差し出してきた。

 正直名義だけの関係に握手をする必要も感じなかったが、無視するのも悪いので応対する。

 

「改めて、私はエアグルーヴ。女帝として上に立つ者だ。期待はしてなどいないが、失望はさせてくれるなよ」

 

 

 ……契約のきっかけは度々聞かれることだが、適当な言葉でお茶を濁してきた。何せこんなひどい経緯は今まで聞いたことがない。

 私はあまりに失礼すぎるし当時の彼も適当すぎだった。一体どういった心変わりが起きたのだろうか。

 

 唯一経緯を知っていたのは会長だけだった。

 初めて知ったときは、言葉も出ずにただ苦笑いしか出来なかったと、後々会長が言っていたっけか。

 

 


 

「……ぷっ……あはは……」

 ここまで思い返してみて、つい笑いがこらえきれなくなった。

 当時の私の態度の酷さを再認識したからというのもあるが。

 

「まったく、なんなんだ私は。……暇になってみれば、思い返すことが全部、あやつの事ばかりじゃあないか」

 

 

 苛立ちの原因がやっと分かった。

 

 私は、怖くなっていたのだ。

 最初は頼りにはしないと言い切っておいて。

 他の者や会長と楽し気に喋る彼を見て、見切りをつけられるのではないかと怯えていたのだ。

 

 会長がお見舞いに来てくれた時も、こんなことを言っていたではないか。

「実は昨日、君の様子を見て、調子が悪そうだと言ったんだ。……今思えば、トレーナーは君の体調不良を見抜いていたんだな。流石の観察眼だよ」

 

 ちゃんと私のことを見ていてくれていた。

 そのことが、たまらなく嬉しい。

 そんなトレーナーの期待にしっかりと応えなければいけない。一刻も早く病気を治すとしよう。

 少しでも体力を回復するために、再びベッドにもぐりこんだ。 

 

「……風邪の時は悪夢を見る、か。思えば、あの悪夢も、そんな私の弱さからきていたのかもな」

寝る前にふと思い返す、今日見た悪夢。涙を流す程に恐ろしかった悪夢。

 わずかに覚えている一場面だけでも、今でも気分が落ち込む程に嫌な夢だった。

 

 

『な、何故だ……? どうして今更離れるんだ……? 頼む、やめてくれ!! 私を、私を捨てないでくれ!!』

 

 

 


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