梅雨入りしたこの時期はあんまり好きじゃない。
フランスとは違った日本特有のこの湿気。夏に入っても乾いていた向こうとはかけ離れた気候。
それに今日はさらにイレギュラーなことが重なってしまった。
いつも一緒に講義を受ける絵里がいないのだ。どうにも彼女はこの雨と寒暖差によって風邪をひいてしまったらしい。
お見舞いに行くべきかとも思ったが、彼女は実家暮らしなので、よほどのことはないだろうと考えた。
それに私は彼女の分も講義を受けなければならない、そう考えていたのだが、
「今日は1人なんだ!」
「ねぇ、一緒に受けていい?」
いつも一緒にいる絵里がいないためか、話しかけてくれる人が多い。
「えぇ、いいわ。けど特に面白いことなんてないわよ」
絵里がいなくても、私が行うことはいつも通りだ。これといって変える必要はない。
「やった、じゃあ隣座るね」
そういいながら、同じ学科であろう女の子三人組が近くの席に座った。
講義の準備をしながら、絵里は大丈夫だろうかと考えていると、教授が教室に入ってくる。
この授業はペアワークが多くて、一人になってしまう心配もなく、一安心だ。
「じゃあ、今日のペア、よろしくね」
「よろしくおねがいします!」
私のペアのお相手さんはなんだかいきごんでいるようだった。勉強熱心な子なんだな。
「それでは、各ペアでここについて話し合って講義が終わるまでに提出してください」
そう教授は私たちに伝えてから、一度講義室から出ていった。何か用事でもあったのだろうか。
「これについてなんですけど…」
「あぁ、ここの翻訳は…」
そういって彼女に近づくと、
「あわわわっ、待ってくださいその距離はッ」
「え?」
どうしてか彼女は慌てて私から距離をとる。意外とガヤガヤとしている講義室内では特にめだつようなことはないが。
「どうしたの?早く進めていかないと授業内に終わらないわ」
「そうですよね…っ…がんばります…」
なぜか顔が赤い彼女。彼女も絵里のように体調が悪いのだろうか。それは大変だ。
「ねぇ、顔が真っ赤よ。熱でもあるのかしら」
そういって彼女の頬に手を添え、前髪を横に払って自分のおでこと近づける。
顔が赤いわりに、熱はないようだ。しかし、この測り方で正確に熱が測れるのだろうかと少し疑問に思った。
「…っ…ぅう…」
やはり少し苦しそうな声を上げている、熱はなくてもどこか体調が悪いのだろう。
「大丈夫?私が代わりに頑張るから、少し休んでてもいいのよ」
「…はふぅ…だい、じょうぶです…」
「そう?あなたがそう言うなら。でも辛くなったらすぐ教えないさい」
「はい、お姉さま…」
お姉さま???少し不思議な子だけれど、作業は意外と着実に進んでいる。
この調子だと少し早く終わりそうだ。
「もう、終わりそうだわ」
「はい、私もそろそろ慣れてきました」
「え?なにに?」
「いえ、こちらの話で…」
そういっているうちに講義が終わる前に余裕をもって課題を片付けることができたみたいだ。
あとは、戻ってきた教授に提出するだけなのだが、
「やばい、終わんないんだけど…」
授業前にはなしかけてきた、私のペア相手の友人グループで声が上がった。
「そっち終わったんなら手伝ってくんない?」
「やめなよ、やっぱ自分たちでやんなきゃ」
一人は諦め気味でもう一人は私に遠慮しているようだ。
「別にいいわよ。といってもヒントを出したり少しアドバイスするくらいになるけど」
「まじ!すごい助かる!」
「ほんとにありがとう、講義内で終わりそうになくて。ここなんだけど…」
そういいながら、彼女たちが苦戦していたところをよく見て、アドバイスをする。
こういった課題は人それぞれで解釈が違うため、はっきりと正解があるわけではないのだが、ネイティブであった経験も生かして少し助言する。
すると、彼女たちも詰まっていたところが分かってきたようで、その後もスムーズに進められているようだ。
「白雪さんってホントに勉強できるよね、留学行ってたとか?」
「両親の仕事の関係上、フランスに住んだり、日本に来たり転々としてたの。だから、英語やフランス語は多少得意だわ」
「えっ!」
そういえば、日本の大学に来てから、絵里以外にこの話したことなかったな、なんてすでに終わった課題をぼんやりと見ながら考える。
今思えば、今日初めて絵里以外の人とまともな会話をしているのかもしれない。
「やっぱり、白雪さんは向こうでモデルとかしてたの?」
ぼんやりとしていたら、隣の彼女がそう話しかけてきた。個人的にこの話題は避けたいのだが。
「えぇ、そうね。少しだけだけど」
「やっぱり!お母さまもモデルとデザイナーやってるよね!私貴方たちのファンなの!」
「ありがとう、母にもそう伝えておくわ」
あぁ、やはり。この話題は苦手だ。別に私は自分でモデルをやりたいと言ったわけではない。
なんとなくで始めたことを応援されても、申し訳ない気持ちになってしまう。
「そろそろ、おわったか~?」
そういって講義中どこかに行ってしまった教授が教室に戻ってきた。大学の講義とは案外適当な先生もいるのだ。
「じゃあ、私がこれ提出しておくから。今日はありがとう」
「えっ、あっ、この後…」
そういって、足早に講義室を去る。彼女はなにか言いたげだったが、私はあの場所にいることが耐えられなかった。
絵里のいない大学は、とても疲れる。周りの特別な視線を感じながらも大学内を歩いた。
◇◆◇
「月華!」
こんなこと前にもあったなと考えながら後ろを振り返ると、案の定、大和撫子な後輩が立っていた。
以前は絵里に呼びかけていた彼女だったが、今日はどうやら私に用事があるらしい。
「海未、どうしたのかしら?」
いつもとは、少し冷たく言い放ってしまった。
雨の降るどんよりとした空気とは別に、重たい空気を感じる今日の大学から私は早く立ち去りたかった。
「いえ、なんだか怒っているようでしたから。それにあなたに用事がありまして…」
「怒ってなんかいないわ。それで用事って?」
そんなに不機嫌そうなオーラを出してしまっていただろうか。
指摘を受けてしまったので、今度はできるだけいつも通りに穏やかに話してみる。
「まぁいいです。用事なんですけど絵里のお見舞いに行ってあげてくれませんか?」
「どうして?絵里は実家暮らしでしょう?私の看病がなくたって心配なんじゃない?」
「それが、今の彼女のご両親はロシアに帰ってしまっているようで。残っているのは絵里と彼女の妹だけなんです」
絵里、妹なんていたのね。なんてのんきなことを考えていると、あることに気付く。
「だったら、海未が行けばいいじゃない。私絵里の家の場所知らないわ」
「それが、今日はサークルの活動でどうしても外せない用事があって」
海未はほんとに申し訳なさそうに言う。
「わかったわ。少し様子を見に行ってみる。私も今日の講義の資料を渡すのにちょうどいいし」
「ありがとうございます!家の場所、今送りますね」
そういって海未は携帯を手に取り、私に絵里の家の住所を送る。勝手にいいのだろうかと考えながら、送られてきた場所を確認する。
「では、絵里のこと頼みます」
「えぇ、任されたわ」
そういって、私は海未との会話を終え、大学から出ようとすると、
「あの」
海未がまだ何か言いたいようだった。
「何か、困っていることがあるのなら、しっかり頼ってください。私でも、絵里でも」
海未のその言葉に私はすごく驚いた。頼れ、なんて久しぶりに言われた言葉だった。
海未の気遣いに申し訳なく思いながらも、感謝の言葉をしっかりと伝えて、今度こそ絵里の家に向かった。
閲覧ありがとうございました。
主人公は決してコミュ障ではないのです。興味がないだけで、きっとこのペアの子の名前も知らない。
次回もよろしくお願いします。