フミダイ・リサイクル ~ヘンダーソン氏の福音を 二次創作~ 作:舞 麻浦
ターニャの宮廷語が完璧ということは、素体になったマックス君の脳髄(虚空で実験して過ごした間にぶち込まれた魂の記憶もいくらか定着していた)には女性用の宮廷語の知識があったというわけで……? なお、内蔵する三つの魂の欠片たちのもとの性別は今のところマスクされています。3つの魂の総体としては男性人格を取っているのは確定していますが。
◆前話
特技の欄にベホマズンとありますが……
さっきはアグリッピナ氏にこちらの手札を話し過ぎただろうかと思いつつ、私はターニャを連れて古本市を散策する。
魔導師というのは基本的に専攻や得意術式すら師弟であっても秘匿するものではある。
だがまあ
そして実際にいろいろと腹を割って話したことで、アグリッピナ氏は私たちにマッチする売り込み先を見つけたようだった。
開き直って美人で優秀な転職エージェントだと考えればそう悪くない、はずだ。
……就職先がブラックでないことを祈ろう……(望み薄)。
それに貴族籍を手配してもらってる見返りに少しぐらい自分の事情を漏らすのは問題ないし(私に限って言えば、完成度に目を瞑れば価値ある術式なんて幾らでも魔法チートで創り出すことができるからな)、何なら本当に術式のレビューしてもらえたことの方がありがたかったしな。
悔しいが、教え方はわかりやすかった。さすがである。
……風の噂で、アグリッピナ氏のちょっかいに「隠居前の最後の仕事じゃ」と張り切って対処していたどっかの貴族当主のご老体が急に若返って「宣言通り隠居する!」 「元気になったなら隠居しないで!」 「隠居して遊ぶんじゃ! 今度はお前が苦労する番なんじゃよ!」 「いやだぁあああ!!」とかいう当主位を押し付け合う醜いお家騒動が勃発したとか聞いたが、私はなにも関与していないから気にしない。気にしないったら気にしない。
贈られた貴族家の方で皇帝陛下に献上する話もあったようだが、同様に「テメエら俺を若返らせてまでまだ仕事しろって言うのか?」という無言の威圧に忖度した側近が握りつぶしたとかしてないとか。
それはともかく古本市だ。
いまアグリッピナ氏が滞在しているこの街は、製本業で有名な街であるそうだ。
しかもちょうど古本市が立っていて、古今の本が、重厚な羊皮紙で魔法保護がかけられた稀覯本から低品質紙の安価な洒落本までごまんと集まってきている。
となれば、書痴のアグリッピナ氏がこの街を気に入らないはずもなく。
惜しげもなく金貨をバラまいて本を蒐集し始めている。
百貨店の外商よろしく商人たちが秘蔵のラインナップを携えて、あるいは書生たちが貴重な写本を売り込みに逗留先にやってくるまで、あと1日もかからないだろう。
私は客分扱いでアグリッピナ氏の道程に同道させてもらっているが、ちらりと聞いた彼女の蔵書の量は圧巻であった。
活版印刷がまだ生まれていない世界でそんな蔵書量だとは、と感嘆させられたものだ。
エーリヒ君ともども幾つかの本を貸してもらって読んだが、本当にラインナップに節操がないというか乱読家だな、アグリッピナ氏は。
まああの
今日はヘルガ嬢の看病は常駐監視術式に任せ、術式が異常を感知した瞬間に空間遷移で飛ぶことにしている。
それでこの機に色々と本を手に入れて読んで知識を増やしたり、術式構築の刺激を受けたりしたいと考えているのだ。
是非とも手を付けたい案件もあるしな。
というわけで、ふよふよと私の後ろに浮かぶターニャを引き連れて、古本市を練り歩く。
不思議に虹色に輝く髪に、人間離れした妖精のような美貌の、極光の擬人化たる可憐な少女。服装は簡素なつくりだが太陽のように輝く金色のワンピースを着ている。
しかもそれが背中から虹色の蝶のような羽を生やして浮いているのだから、街行く人々の注目を集めないわけもなかった。
「本がいっぱいありますのねえ」
「ああ。ターニャも気になったものは買うといい」
「でしたらエリザと一緒に読めるようなものがあると良いのですが……」
「じゃあ覚え始めた宮廷語で書かれた何かの読み物がいいかな、城内を舞台にした恋愛物とか」
「それならエリザはエーリヒ様に読んでもらいたいかもしれませんし、冒険ものも良いかもしれませんわよ」
「なるほど、確かに彼女はエーリヒ君のことが大好きだからね。魔剣に呪われた英雄の物語とかあれば、それが良さそうだ」
古本市をひやかしながら歩いていると、後ろでバチッという音とともに「ギャッ」と叫び声がした。
私とターニャは溜息一つ。
「また引っかかりましたわね」
「そんなに
なんて事はない、ターニャの方へ悪心を持って近づこうとした者が、ターニャの脳波検知術式に引っかかって自動防御電撃結界の餌食になっただけだ。
電撃誘蛾灯みたいなものだ。作用機構面でも、悪い虫を落とすという意味でも。
「もっと私が筋骨隆々ならああいう輩は出なくなると思わないか?
「いやですわ、おかあさま。今の感じが良いんじゃあないですか」
「
かろうじて金色の髪は短めに纏めさせてもらっているが(それも私が髪の長さを自在に変えられる術式を練れるからこそのお目こぼしだろう)、体格やなんかは術式を以てしても変更が利かなくなっている。
妖精の祝福と言うか、呪いと言うか……。
あるいは魔導師然として分かりやすくローブに杖を持ち、魔道具をじゃらじゃらとぶら下げた方が良いか? でもそれも成金っぽいしなあ……。
「それで、おかあさまはどんな本を探してらっしゃいますの」
「今日は農芸関係だな。特に薬草園、養蜂、品種改良とかその辺のことが書いているものがあればと思ってね」
「蜂蜜ですの? 蜂蜜ですのね!?」
興奮して極光の欠片を散らして宙で舞うターニャ。
妖精も女の子も、甘いものには目がないからね。
「そう、虚空の箱庭の薬草園を充実させたいというのと、ターニャの言うとおり蜂蜜だね」
「ぜひやりましょう! あとお花や果物も育てましょう、おかあさま!」
「それも追い追いね。品種改良もしたいし」
特に品種改良。
だって、野菜が苦いのだ……。
えぐみがあるというか、アクが強い。
「甘みのある野菜が恋しい」というのは異世界人の魂の泣き言だった。
「だからそういう農芸関係の書物が欲しいかな。あとは、魔法を使った品種改良にも興味があるから、使い魔関係の論文とか、市井の魔法使いのそれ系の
「良いですわね! ぜひ探しましょう!」
「ああ探そう。さて――」
<
「……あっちの方みたいだな」
「すぐ行きましょう!」
そういうことになった。
宿に戻り、ベッドで眠るヘルガ嬢を横目に、今日の戦利品を読み込むことにする。
ターニャはエリザちゃんのところへお土産の本を渡しに行ったようだ。
「きっと気に入りますのよ!」と言って飛んでいくのを見送って、仲が良さそうで何よりだなどと思う。
「さて。じゃあ読んでいくかね」
<
山と買った本を前に、情報を取得する術式をかけて内容を一瞬で把握する。
……情緒がないけど効率は良い。
魔導書の類にはそれ自体が魔法抵抗を持ってたりして通じないものもあるがね。
読み取ったその中から、特に気になった記述を実際に手に取って確認していく。
「ふむ。……なるほど。……ふむ、ふむ……」
なんとなく分かってきましたよ!
いまなら植物操作の術式も、もっと効率よくやれそうな気がする。
「いくつか種子も買ってきたし、ミツバチもひとっ飛びして巣ごと捕まえてある。早速、虚空の箱庭で実験だ!」
美味い野菜を! 美味い穀物を! 扱いやすい蜜蜂を!
品種改良の時間だ!!
私は喜び勇んで穀物や野菜の種子の袋と蜂の巣が入ったケースを持って虚空の箱庭に転移した。
品種改良においてネックになるのは、世代交代にかかる時間だ。
だが、世界の狭間であるこの虚空の箱庭においては、その問題を解決する手段がある。
<
<
世界をエミュレートする魔法に、買ってきた種子の情報をぶち込む。
さらにその世界の中で、「おいしく」「そだてやすく」「はやくそだち」「たっぷりとれる」ように選択圧をかけて世代を重ねさせる。
エミュレータの中には評価者兼作業者として、私と同じ思考をするようトレースした人形も再現させているので、生き残り品種の選定はそいつに任せる。
もちろん時間を何百万倍にも加速してだ。
現実世界の1分は!
エミュレータの中の100年になる!
というわけで! 3分後。
こちらに美味しくなったお野菜や穀物の遺伝情報が出来上がっております。
この仕上がった遺伝情報をエミュレータから吸い上げて……現実の方の種子に<変成>の魔術で上書きする!
<
ふぅ、工事完了。
「これでこの掌中にある種たちは、それぞれ300年分の品種改良をおこなった優良品種になったはずだ……!」
エミュレータが正しければそうなっているはず。
あとは実際に、虚空の箱庭の畑で育てて確かめてみよう。
<
できた! そして実食っ! 生でかぶりつくっ!
「……っ! うんんまぁあああああいいいっ!!」
ほんのり甘く、えぐみもアクもなく、それでいて元の野菜の風味は損なっていない!
よしっ、よしっ、よしっ!
大成功だ!!
「いくら内蔵魔導炉で空気や土から直接栄養を合成できるようになったとはいえ、飯が美味いに越したことはないッ!」
私の中の異世界人の魂が喜んでいるし、魔導師の魂や邪神信仰者の魂もこの成果に驚きつつも異世界人の魂以上に喜んでいる。
第二世代以降の品質の安定は保証できないが、元のデータがあれば他の種子を書き換えて同じ品種の種を増やせる。
これはまさしく革命やで~~~!!!
そして比較だ!
<
こちらは魔法チートで直接弄った『美味しい野菜が生る種』だ。
エミュレートとかせずに全てを魔法チートに任せるという脳死スタイルだな。
これを育てて……かぶりつく!
「うまいっ! けど、育成過程での成長速度とかは、エミュレートして遺伝子改変した品種の方が上だな」
一点突破の魔法チート任せ品種と、総合力のエミュレート品種ということだろうか。
おそらく旱魃耐性や耐病性もエミュレート品種の方が上だろう。
「ということは魔法チートによる一点突破品種を複数用意して、エミュレータで掛け合わせて究極の品種を作れたりもするのでは?」
――― 楽しくなってきたっ!
収量特化の麦とか!
干ばつに強い麦とか!
今までの半分の期間で収穫できる麦とか!
砂糖が取れる麦とか!
「夢が広がるなあっ!」
そして私は没頭して手持ちの色んな野菜や穀物の種子に、そして蜜蜂に、品種改良を施していくのだった。
…………どこかでストレスが溜まっていたのだろうか。
明らかにやり過ぎな勢いだった。
「マックスおかあさま、すごいと思いますけどちょっと引きますわ」
「はい。私もそう思う」
基底現実空間に戻ってターニャに品種改良の成果を早口で説明していくうちに冷静になった。
「おいしい野菜とか、よく働く蜂さんはまだいいとして、特にこの “今までの半分の期間で収穫可能な麦” とか “砂糖が取れる麦” とか、ヤバくないですの? しかも病害虫や天候不順にも強く、必要とする水の量も少ないとか……」
甘い野菜や果物、それに蜂蜜を賞味しながら言うターニャに、私も全面的に同意する。
絶対にヤバい。
品種改良によって育成期間が220日から110日になった
だって単純に考えて農地当たりの年間の収量が2倍になるんだぜ?
それは国家が養える人口も2倍になるってことだ。
人口はパワーだと考えて衛生対策に力を入れて、大河ラインが潤す肥沃な平野の開発に支えられているこのライン三重帝国の、開闢帝リヒャルト以来の国家方針にクリティカルに刺さりすぎる。
あと砂糖が取れる麦は、砂糖を南部からの輸入に頼っている帝国の各方面に与える影響が大きすぎる。
「というかそんなペースで収穫可能と言っても、土地の力が足りなくなるのではないですか?」
「それが実は、広域に作用する成長促進の魔導具と、空気中から肥料を作り出す魔導具やなんかで解決の目処は立っていて……」
「わぁすごい」
他人事みたいに言いながら野菜スティック食べないで。
特に空気中から肥料を作る奴は、ターニャの電光の権能を結構参考にしたんだから。
「エリザと一緒に帝国の社会制度をお勉強してますけど、単に魔導院だけの問題ではなく、豊穣神の神殿にも話を通す必要があるのではないですか」
「それな」
農耕とか豊穣の加護は、豊穣神(一部は陽導神)の権能なので、教会・僧会勢力とも関係してくる。
絶対面倒なことになる……。
こういうのは政府官僚に丸投げできればいいんだけど、
というかこの結果だけでも、魔導院で聴講生から研究生に上がるのに十分すぎるのではないだろうか。
「それでどうしたいのです? マックスおかあさまは」
「……これで社会がより豊かになって、捨てられゆく人が減るならば、死蔵せずに世に出すべきだと思う」
余剰カロリーは大事だ。
余暇時間は大事だ。
文明の発展にとって。
そして文明が発展すれば、取りこぼされる人も減るはずだ。
ただし犯罪者は死ね。いや、検体として魔導の発展に役立ってから死ね。
「とはいえ出すタイミングは考えませんと。まあ、魔導院に入って閥に所属してからでも良いのではないですか?」
「……それもそうか。それまでに論文にまとめるとするよ」
「あ、でも美味しい野菜はこそっと広めましょう? 麦や砂糖は戦略物資だからアレですが」
「ああまあ、そっちなら良いか」
「ええ。他の妖精たちも気に入ったようですもの」
思ったより速いペースで野菜スティックが減ってると思えば、他にも妖精が来て一緒に食べてたのか。
じゃあ品種改良した野菜の方は、呪医ねえさんのところでいちゃラブ新婚生活送ってる方のマックス君に投げて、地方の名産品としてまずは広げてもらうかな。
美味い品種ができたから~というので豊穣神の神殿にでも奉納してもらって……っていうルートに乗せられれば、まあ既存の良品種の普及ルートに乗るだろ。
自分たちで食べる分は虚空の箱庭で収穫可能だしな。
そう思って私も野菜スティックに手を伸ばす。
それを改良蜜蜂の蜂蜜と、品種改良したからし菜の種子から作ったマスタードを合わせたハニーマスタードにつける。
あーむ。うん、うまい。滋味でおじゃるな。
さらっとヤバい発明をするマックス君。
あと流してるけど窒素固定魔導具も大概だからな。肥料用から火薬に転用できるから戦争が変わっちゃう。
そしておそらく魔法チート転生者は単体戦力として運用するのではなく、社会インフラ整備に突っ込むのが正しい使い方。というか魔導師という称号自体の成立経緯と運用方法がまさに、社会的な、国家的な難問を解決させるための技術官僚という位置づけなので、必然そうなる。
砂糖が取れるイネは研究中なようなので、砂糖が取れる麦もきっと荒唐無稽ではないはず。 → https://www.rikelab.jp/study/9179
===
◆魔導師の位階
だいたい次のようなイメージ。
・市井の魔法使い:職人、技術者。一人親方。
・魔導院の聴講生:学部生~大学院生
・魔導院の研究員:博士課程~講師、准教授
・魔導院の教授 :教授、名誉教授、中央官庁の課長級~局長級
とはいえ、一般人は全て一緒くたに「まほうつかい」や「えらいせんせい」として認識している。
===
あとさっき気づいたのですが、閉鎖循環魔導炉の開発経緯をレーダーの方と混ぜて理解してましたね……(しまった! すみません)。うーん、閉鎖循環魔導炉はのちにアグリッピナ氏が率いる研究会が実証実験レベルまで持っていく、ということなので、現在落日派で進行中なのは概念実証レベルで、内部から高まる魔力による魔素の漏洩が制御術式に影響してしまうのを押さえきれないという欠陥を解消できていない、という行き詰まり状態だと規定します。その解消のために高性能な魔素遮断素材が求められている、という感じで。そうすると、正史では魔素漏洩をクリアできずお蔵入りになっていたのを、のちのアグリッピナ氏(魔導宮中伯を拝命)が閥を超えて俊英を集めて解決した、ということでしょうかね。……という感じに前話のあとがきを微妙に修正しています。
(まあこれ以外にも適宜、感想を見て「あっ、ここが違和感のポイントかぁ」とかいう箇所とか、私の設定の読み違いとかもあればこっそり修正しています(長命種は排泄はしないけど食事はするとか、薄暮の丘でマックスが利用した子供たちの魂は妖精化不適合者だったのだとしたり(基本的に薄暮の丘に連れ去られた子供たちは死なないっぽいので)とかですね)。