横須賀鎮守府の司令室で、北条は資料に目を通しながら秘書艦の大淀と一緒に頭を抱えていた。
新しい提督が誕生した。それ自体は喜ばしいのだが、選ばれた人物が問題だ。
日本で最初の提督である北条は、提督に選ばれた当時は海上自衛隊の二等海佐。他の4人の内、3人が陸海空から1人ずつ。残りの一人は大学院生だが、工学を専攻しており元々、兵器開発に興味を抱いていた人物だ。
5人とも艦娘の存在には戸惑ったが、本人も周囲も、今の地位に立つことを受け入れることが出来た。
だが、今回の2人は違う。改めて資料に目を通す。
武藤久志。年齢は20歳。職業はサラリーマンで職種は農業。
深海棲艦が現れたことで、社会は変換を迫られた。その最大のものと言われているのが、燃料と輸送費の高騰だ。
火力、原子力と発電所が海岸にあるエネルギーも問題だが、島国の日本は制海権の大半を深海棲艦に奪われているため、あらゆるものの輸送が困難になった。食糧も例に漏れず、これまで食糧を輸入に頼ってきた日本は瞬く間に食糧難に陥る。
それを打開すべく生まれたのが、農作物を始めとする食糧生産を、既存の農家や畜産業から、半企業へと移行させる事だった。
鉄道や電力会社のように、公的機関が設立を支援し、同時に密接に繋がった会社が誕生は、既存の生産者を排斥したが、食糧生産を上げることには成功した。
もちろん、この計画に反発する者は少なくなかったし、国も既存の生産者を企業で雇うように勧めたので、よほど頑固なものでない限りは、新しい職場で重要なポストに就いている。
同時に燃料の高騰は、機械化が進んでいる産業で、人力に変換する部分が出ており、深海棲艦が誕生する前なら間違ってもなりたくない職業が多数誕生している。
睦月に提督として選ばれた武藤が就職している会社も、その中の職業の1つだ。
会社の上司の指示で行う、泥に汚れ、力仕事でもある農作業は、社会にとって重要でありながら、決して恵まれた職場環境ではない。
そんな職業に就く理由は簡単だ。余程の使命感がある特殊な例を除けば、他の選択肢が無かっただけ。
世界中が困難な状況に陥っている中、国民の給与は減り、国からの支援が無ければ、子供を学校へと通わせることも難しい経済状況だ。
そして、国が奨学金などの支援をするのは、優秀な学力が必須で、かつてFランクと言われた大学は当然ながら、二流と言われるような大学さえ閉鎖されていった。
武藤はそれに漏れた人物だ。防衛大卒で最低の学歴となる現在の提督連中からしたら、明らかに異端だ。
「これといった経歴も趣味も無いのだが」
別に北条は学歴だけで、人を判断するような人物では無い。
むしろ、戦場で名を馳せた英雄は、学歴などとは無縁な者も多く、時には固定観念が邪魔にさえなることを嫌という程知っている。
だからこそ、武藤の存在は、北条にある種の期待さえ持たせた。
だが、武藤の経歴からは何も読み取る事は出来ないし、面談をした舞鶴鎮守府の一色提督も、自分の人物眼に自信を持てないと前置きした上で、凡庸な人物としか思えないと評価した。
だが逆に、特に悪い点も見当たらない、無理な期待を背負わせなければ大丈夫だろうという評価は救いだった。
変な期待をしていると気付かれたのだろう、一色は冷静に過度な期待を負わせることに反対した。
基本的に努力や勤勉は、苦手な人物のようであるし、精神的にも強くなさそうだ。
それでも、睦月との関係も良好で、多少は好色な毛がありそうだが、それは提督にとっては悪い点では無く、むしろ艦娘からしたら長所だろう。女性に囲まれる立場に憧れもありそうだから、その地位を守るための努力も期待できる。
それに、変な思想もないし、政治的には、現在の日本に良くも悪くも適応している。
何度かは、北条が自身で会う必要はあるだろうが、基本的に一色に任せておけば問題は無い。
変な期待をかけようとする自分が悪いのだ。期待を捨てきれはしないが、自重することくらいは出来る。
それよりも問題は、もう一人の人物だ。
宇喜多鷲一。年齢は11歳。職業は小学生。
武藤と異なり、軍とは全くの無縁ではない。父親は宇喜多大地。航空自衛隊に所属していたエースパイロット。
深海棲艦との戦争での活躍は凄まじく、北条が提督になる前、海上自衛隊で護衛艦の艦長をしていたころから、名前だけは知っている人物だ。
本人も将来の夢として同じ職業を望んでいる。
だが、あまりにも子供過ぎた。
「大潮か……自分の外見年齢に合わせたのかな? 正直に言わせてもらえば、逆の方が良かったな」
「そうですね。現状では初期艦で最強の艦種ですし」
大戦時の駆逐艦は、特型以前と以降で分けられると言っても過言ではない。
近海での水雷戦を想定して誕生した駆逐艦は、次第に外洋での走破性と戦闘能力を持ち始めた。
中でも特型は、外洋を巡る艦艇である巡洋艦の匹敵する走破性に、パワー、重量など、前級の睦月型より、旧式だが、巡洋艦である天龍型に近い。
その存在は世界に衝撃を与え、それまで軍縮条約に適応されていなかった駆逐艦も条約で縛られることにしてしまった存在。各国も以降は駆逐艦に外洋を走破する能力を当然のこととして与えるようになった革新的な艦艇。
睦月の睦月型は特型以前の駆逐艦であり、艦娘としての任務も近海での護衛と防衛だが、大潮の朝潮型は特型以降の駆逐艦で、決戦型駆逐艦である。
特型が条約に縛られ生産できなくなった後、より小型の駆逐艦として初春型と白露型が誕生した。
特に白露型は小型になり、馬力も一回り下がったとは言え、最新の武装を装備しているので、特型と比較すると甲乙つけがたい性能であるが、朝潮型は大雑把に言えば両者の良いとこどりである。
条約に縛られない特型を上回る大きさに、最新の武装を装備した戦闘駆逐艦。
何で艦娘だと特型より小さいんだと、ツッコミを入れた記憶も新しい。
北条が、それまで建造した駆逐艦は、初期艦の吹雪の姉妹艦でもある特型を中心に、睦月型と白露型だった。
素朴な感じの中学生である特型に、小柄な子供っぽい睦月型に、身長は特型より低いがプロポーションは上というのが白露型だ。
この流れなら、朝潮型は特型より少し身長が高くて、白露型並みのプロポーションだと想像するだろう。
だが、出て来たのは完全に見た目が小学生である。驚くなと言うのが無理というものだ。
だが、現状でそれは問題では無い。問題は、大潮の艦娘としての基本的な能力が、特型を、そして、睦月型を凌駕する点だ。
更に、今までの実績から、初期艦の姉妹艦ほど建造で出やすいという問題がある。
つまり、今後の予想としては、成人男性である武藤の下には睦月型が建造され、小学生男子である宇喜多の下に朝潮型が建造されるだろう。
即戦力になりやすい点で言えば、絶対に武藤の下に朝潮型を揃えたい。その方が早く戦力として計算できる。
いや、正確に言えば小学生が
「ですが、武藤提督は、これから学んでいく身ですし、最初が睦月型と言うのは悪くないと思います」
大淀の言葉に、確かにそうだと思い直す。
睦月型は、外洋での戦闘能力には期待できないが、国内で最重要任務は沿岸部での防衛だ。
逆に言えば、そこで戦う限り、朝潮型だろうが陽炎型だろうが決して引けを取らない。
特に防空能力が高い艦娘もいれば、静かに接近してくる厄介な潜水艦を倒すのに長けた艦娘もいる。
武藤にいきなり外洋での任務を言い渡すことは出来ないので、最初は沿岸部での任務だろう。
それに慣れてきた頃に、外洋での任務にも就いてもらうとして、その頃には他の艦娘も建造されているはずだ。
そう考えれば睦月型は、燃費が良く初心者である提督にとっては理想とも言える。
「やはり、問題はこっちか」
改めて資料を見ながら思案する。
現在、新田原基地で家族と一緒に軟禁状態になっている。
可哀想だとは思うが、彼は世界中から見て、最も高価な金の卵だ。
どんな手を使っても欲しいと思うものがいるだろう。
特に東アジアは日本以外、艦娘が無し、いても日本の1つの駆逐隊、つまり4人で殲滅できる程度の能力しかない。
これで、深海棲艦の侵攻を防ぎきれる筈も無く、通常戦力はとっくに壊滅して、国としての機能の大半をマヒさせている。
この状況を打開するには、日本の艦娘を生み出す提督の力は、何よりも魅力的だろう。
それを成すために、幼い少年を言葉巧みに戦わせるように仕向けることは当然、最悪本人を含めた家族を誘拐することで、脅迫してでも戦わせる事も考えられる。
実際に新田原基地の周辺には、それらしき人物が姿を見せているようだ。
「どちらにせよ、このまま宮崎に住まわせるわけにもいかないか」
新田原基地は、ハッキリと言えば田舎だ。その基地で勤務していた宇喜多大地の家族も、その周囲に住んでいる。
つまり、提督になった彼と家族のことは、周囲に知られてしまっている。
身の安全を守るためにも、早めに移動した方が良い。
そして、護衛対象は少ない人数の方が良い。家族に関しては、必要以上に警護すれば無理が生じる。
「家族とは引き離すしかないか」
「可哀想ですが、それが互いのためでしょう。母親はともかく、もっと幼い弟と妹がいますし」
妹は小学2年生で、弟に至っては幼稚園児だ。
兄が提督になった事も理解できないだろう。
母親には下の子供のためだと言って、長男を引き離すしかない。
いや、元より自衛官の妻だし、鍋島とも面識がある。すでに今の状況は察しているようだ。新田原基地から入る定時連絡では、子供の安全を優先するように言われているらしい。
心苦しいが彼女には頭を下げるしかない。
「彼は横須賀で預かるとして、家族の方は何処が良いと思う?」
北条は呉が適切だろうと思うが、大淀にも意見を求める。
「呉でしょう。佐世保は最大の戦力ですが、深海棲艦の侵攻を受けやすいので、周囲は何もありませんから、目が届きにくいです。その上、鍋島提督はあの家族のことになると平静さを失います。
大湊は南部提督がいるので、護衛の面では最も頼りになりますし、適しているとも言えますが、宮崎から大湊へ移動は家族の方々の環境の変化が気になります。夏なら兎も角、12月の今から大湊は抵抗があるでしょう。ただでさえ夫を失い、子供と引き離される方の気持ちを考えるとどうかと思います。
舞鶴は既に新人提督の受け入れで、一色提督に余裕がありません。何より“近すぎます”。佐世保もそうですが、距離がある方が奪われた後で取り返しやすい。
その点、呉なら村上提督が頼りになるとは思えませんが、逆に頼りにならない分、周囲がしっかりとしています。彼の旗下の艦娘は当然、自衛隊との協力関係も築いているので、護衛に関しても周囲に悟られずに行えます」
意見が合致した。ならば、家族の方はそれで進めるとする。
そして、提督になった長男に関しては、少し冒険をしたくなった。
「吹雪を呼んでくれ」
自分を提督にした、もっとも信頼するパートナーを呼び出した。