鹿島の授業は非常に分かりやすかった。
最初の内は戸惑っていたようだが、今は慣れて来たのか、鷲一の記憶にあるどの教師よりも教え方が上手い。
それも当然で、学校と言う体制を取っているが、教える対象は鷲一だけなのだから、彼に合わせて進めることが出来る。
しかも、時々、朝潮たちに質問を振り、彼女らの答えが正解だろうが不正解だろうが、聞いている鷲一の脳に刺激を与える。
個人の家庭教師と学校教育の良い所どりと言える授業なのだから、分かりやすいのも当然だった。
「さて、今日は戦略・戦術・作戦について話すね。
違いが曖昧だけど、ある程度は理解しておかないと」
そして、提督学。訳が分からないと思っていた授業は、鷲一にとって面白かった。
元から軍事には興味があったが、学校で習えるものでは無かった。
今は、それが叶ったと言える。夕飯までの長時間の勉強と聞いて身構えていたが、何のことは無い。楽しい時間は、過ぎるのが早いというのは本当だった。
「昔は戦略と戦術に分けてたんだけど、近年では、間に作戦を挟むの。
前々から戦略と戦術は境界が不明な部分が多かったけど、そこに作戦を挟んで、作戦が戦略と戦術に絡むって考えね」
上から戦略、作戦、戦術と書いて、それぞれを丸で囲む。
丸は重なっている部分があり、そこが境界が曖昧になるという部分だろう。
「分かりやすい題材として、山本五十六が適してるの」
山本五十六を呼び捨てで授業を進めることに、朝潮たちが驚いていたが、鹿島は歴史上の人物に敬称を使うべきではないと言って、授業を進めていく。
「彼は戦略家としては一流、作戦立案家としては二流、戦術家としては採点不可能。対して、東郷平八郎は逆ね。
山本五十六と東郷平八郎は色々と真逆って感じがするけど、今回は山本五十六だけ使用します。
彼の明晰さが発揮されたのは、海軍航空本部に技術部長として就任してから海軍次官として勤務した時」
航空主兵論は有名だが、それ自体は取り立てて評価するような事では無い。
後年のミサイル万能論と同様に、いずれは、航空機の時代が来ることを否定する者は無く、それが何時来るかの問題でしかない。
ミサイル万能論は、実現を目指したアメリカが、その技術の未熟さから痛い目に合いバカにされたが、21世紀に入る頃にはミサイル万能論は実現したと言っても過言ではない。
対して、航空主兵論は、懐疑的な者が多かったが、その時代が予想より早く来ただけと言って良い。
両者とも、その実現には技術の問題であり、実現は技術者の功績というべきだろう。
だが、山本の優秀さは、航空機の国産への推進、しかも民間企業での開発を薦め、同時にパイロットの育成を推し進めた事である。
航空機の発展に企業努力が不可欠な事や、パイロットの成長に時間がかかる事を十分わかっていた証左であろう。
しかも、三国同盟はドイツに利するだけで、日本を英米の矢面に立たせるのが狙いだとも見抜いている。
航空機の国産に拘ったのも、航空機の導入をドイツに頼りかけている現状を憂慮しての事でもあろう。
「山本五十六は、後方で戦力の育成や、軍政に携わっている分には非常に優秀だったと言えます。
まあ、この当時は神大佐とか、ドイツ信奉者が多かったので、暗殺の危機があったけどね」
「ちょび髭モドキが」
霞が吐き捨てるように呟いた。
鷲一もあれから調べたが、どうやら自身や朝潮達の沈没に関わった人物らしい。
実際に予想以上に酷い人物だった。
「山本が艦隊司令官に任命されたのも、米内が山本を暗殺から守るためだったと言われているの。
この人事は正解かと言うと疑問ね。先にも言ったけど、作戦家としては二流だった。
まあ、当時は彼以上に優秀な人材がいなかったけどね」
有名な真珠湾攻撃だが、これを戦略と戦術でしか分けていなかったころは、何処から何処までが戦略で、何処から戦術なのかが曖昧だが、現在では作戦と言う分類が出来たので分かりやすい。
日本が南方進出する。その為には、米国海軍を沈黙させたいという戦略目標に従い、太平洋での戦力の中心にあるハワイ艦隊に、打撃を与える。それが作戦内容であり、真珠湾攻撃がそれに当たる。
真珠湾攻撃は、それ自体は見事な作戦だと言える。自軍の損失はほとんど無しに、米国は戦艦4隻が行動不能になり、その後の日本の南方進出を可能にしている。
「でも、この作戦には大きな問題があります。何が問題か分かりますか? では、朝潮ちゃん」
「南雲閣下が追加攻撃をしなかった事ですか?」
「はずれです。無関係では無いけど、問題はそこではありません。では、霞ちゃん。参加したよね?」
「敵空母を見逃した事よ」
「はい、はずれ。それも無関係では無いんだけどね。誰か分かる人?」
誰も手を挙げない。作戦は成功しているし、何が問題なのか分からない。
「作戦とは、戦略に沿って行うべきです。そうしなくてはなりません。
ですが、この作戦は、異なる戦略的発想の元に行われた作戦なのです」
山本五十六の考えた戦略は、日米開戦が避けられない場合は、壊滅的な大打撃を与えて、講和を結ぶというものであった。
その一方、日本の軍令部の戦略は、日露戦争後、米国を仮想敵国として設定してから、その基本戦略は、ロシアを破った際の日本海海戦の再現を狙って、日本に迫る米国艦隊を迎撃、これを壊滅せんとするものだった。
これは、南方進出を決めてからでも変化はない。
五十六は、第一次世界大戦後の世界情勢から、今後は一度の戦闘に全力を注ぎこむ、艦隊決戦は行われないという、予測から従来の戦略を否定していた。
「確かに、山本五十六は慧眼だよね。米国が大打撃を受けたからと講和に応じるかは疑問だけど、一度の艦隊決戦の勝敗で決まる時代では無くなっていたのは間違いがない。でもね、戦略の変更は無かったの。
それなのに、彼は己の戦略に拘った。言ってみれば、妄想の戦略で作戦を決めて強行したの」
軍令部にとっては、本番は日本に迫る米国大艦隊の迎撃であって、こちらから攻める真珠湾もミッドウェー海戦も、余計な行動だと言って良い。
そんな本番が来る可能性が著しく低いが、前提となる戦略が異なっているのだ。しかも、それは山本の脳内にある戦略で、周囲にも知らせていなかった。
追加攻撃を実行しなかったのも、空母を見逃した不手際も、山本五十六の戦略にとっては不手際だが、元の戦略的には問題が無い。
更に、その後の不可思議な作戦も、全ては山本が戦略を無視した作戦を立案したからだ。この流れは山本の死後も続き、艦隊司令部が陸軍や軍令部を無視した行動を続ける要因となる。
「彼は米国に大打撃を与える作戦に拘ったけど、それが成功したところで、講和の準備をしていない以上、単なる消耗に過ぎない。
それより、米国が全力で攻めてきた際に迎撃をして、これの打破を狙った方が、まだ可能性があった」
米国としたら、不意打ちで殴られた痛みより、全力で殴ろうとしたら、殴り返された方がダメージは大きい。
例えそれが可能か否かは別にして、そうしなければ講和は無理だと、上層部が考えている以上は、それ以外の作戦で勝利しても無意味だ。いたずらに相手を刺激しているに過ぎない。
「作戦立案家として二流と言ったけど、本当はそれ以下だと言っても良い。
戦略に沿わず、自分の考えを実現する事に終始している。航空機で戦艦を落とすことについてもそう」
航空機で戦艦を落とせるか、当時は疑問に思う者が多かった。それが可能か否かの実験のような作戦を立てている。
しかも、航空主兵論に拘ったのか、航空機を湯水のように使い、その後の航空機不足は、彼が原因と言っても過言では無いだろう。
先の航空機パイロットの育成が大事と提案しながら、彼の思うように育成機関は出来ていないにも関わらずだ。
無茶な出撃を繰り返させ、パイロットを使い潰していった。
「作戦面では、とにかく航空機での攻撃の一点張り。そのくせに、目標は戦艦を沈める事を優先していたの。
ここまで来ると、自分が信奉した航空主兵論を証明するために、戦艦を狙ったように見えるわね。
そして、作戦を立案する者として最悪なのが、反省をする気配が無いということ。真珠湾攻撃が何故、あれだけの勝利になったのか考えていないし、ミッドウェー海戦の敗北でも、なぜ負けたのか本気で考えたと思えない」
敗北しておきながら、敗北の原因を追究して、次に生かした気配がまるで見られない。
ギャンブル狂いだったと言うが、その作戦は常にギャンブル染みていた。
「真珠湾攻撃って、本当に幸か不幸か大成功したって言い方がピッタリなの。これは、別の機会に説明するね。
今回は、作戦の立ち位置に関して理解してほしいかな。
そして、戦術なんだけど、これは採点不可能。
何故なら、彼には戦術レベルでの戦闘を指揮した経験が無い。
戦術って現代では、戦場での采配になるんだけど、あの人って指揮官として戦場に行ったことが無いの」
後方勤務が多かったため、連合艦隊司令官の地位に就くまでは、艦長職くらいしか経験が無いので、それ以前の能力で見ることは不可能。その上、連合艦隊司令長官になれば、中途半端な後方で、指揮どころか援軍に入る事さえ不可能な場所で、戦闘の報告を受け取っていた。あえて採点するなら三流以下であろう。
本人は、アメリカ海軍司令官のニミッツのように、後方で指揮する事が正しいと漏らしていたと弁護する声もあるが、それなら、そうすべきであり、軍令部との兼ね合いで不可能であるなら、前線へと行くべきであった。
あまつさえ、彼は常に最強の戦艦に乗艦していたのだ。戦艦に活躍させたくなかったか、戦術を軽視していたのかもしれない。
「さて、質問はあるかな?」
「え~と、提督って、戦略について、決定権はあるんですか?」
「良い質問だね。まず答えなんだけど、鷲一くんには無いかな。
本来、提督ってアドミラル。海軍大将の事なんだけど、今の場合は艦隊司令官に近い。艦隊が艦娘ってことになるの。
提督になっても可能なのは、艦隊司令官のお仕事になる。一応、戦略レベルの仕事もあるけど、それも艦娘を増やしたり、資材を集めて不足が無いようにするくらいかな」
艦娘の生活もあるだろうが、そこは政府の支援、防衛相が行っている分野になる。
鎮守府というもの自体が、戦略段階で作られるものであり、そこを運用するのは、決められた戦略に沿って運用するに過ぎないと言える。
この業務を超越しているのは、まとめ役である北条と、兵器開発をしている村上くらいだ。
「じゃあ、俺がやるのは、与えられた戦略を実現するための作戦立案で、戦術に関しても艦娘に頼ることになる。
そう考えて良いんですね?」
「正解です。いくら与えられた戦略より優れた戦略を思いついても、それを認められなければ単なる妄想よ。
おまけに、それに従って作戦を立案するなんて言語道断です。
そんな訳で、今後は作戦立案を重点的にやるね。
まあ、戦略と戦術に関しても知らないと困るから、勉強は続けるし、戦術指揮をする機会が来るかもしれない」
「戦術指揮? 迎撃任務ですか?」
戦場が与えられた鎮守府に近ければ、指揮を執る機会があるかもしれない。
「詳しくは言えないけど、そう言う事もある。その覚悟はするように」
「分かりました」
「それと、作戦とは別に、山本五十六には重大な欠点があるの。
彼の名言とされる、『やってみせ…』って奴なんだけど、これって、どの口が言うのってくらい、現実の彼は寡黙だった。むしろ、真逆で自分と気が合わない人や、自分の考えを理解しない人は無視って考えの人。
南雲忠一は当然、周囲の参謀にさえ、自身の考えを言っていない。これは絶対に真似をしないでね」
「わかりました。みんなには自分の考えを相談するようにします」
「よろしい。良い時間だし、今日はここまで」
時計を見ると18時を過ぎていた。それなのに疲労は感じない。いや、気付いたら疲れてる気がするだけだ。
好きな事をしているのと同じ感じだった。
「それと、明日から朝潮ちゃんと大潮ちゃんは、出張に行ってもらうから」
「出張ですか?」
「司令官は?」
「二人だけです。行き先は呉。艤装の改造で、日に二人ずつの空きが出来たから最初に二人に行ってもらって、入れ違いで満潮ちゃんと荒潮ちゃんに行ってもらうから。
全員が終わった時点で、新兵装の訓練と一緒に、海上訓練を行います」
実際に動く艦娘を見なければ、作戦立案も何もない。
確かにその通りだし、楽しみではあるが、同時に何時も一緒だった、朝潮と大潮と離れるのは寂しいと思った。