昨日、朝潮と大潮が呉に行き、今日の朝から満潮と荒潮も呉に行った。朝潮と大潮は、今日中に帰って来る予定だが、現状は第八駆逐隊の4人が抜けた状態での授業だった。
「信長、また死んだね」
「これ、ぜってぇ無理だろ」
図上演習で桶狭間の戦いを再現しているのだが、史実では勝利したはずの織田信長が、今川義元の前に何度も敗れ去っている。
戦術での勝利で、戦略上の不利を覆すことが可能か否か。
不可能だというのが定番だが、実際にそれを、やってしまった桶狭間の戦いを題材とした図上演習を開始した。
だが、いくら演習を繰り返したところで、結果は全て信長の敗北で終わっている。
「も、もう一回よ! 絶対に義元の首を獲ってやる!」
「ん~、わたし三回続けてるから、朝ちゃん変わって」
信長を使って負けている霞がムキになって再戦を申し込む。
相手をしていた峯雲は嫌そうに朝雲に再戦の相手を振った。
だが、霞は鷲一が使う義元にも負けているのだ。素人に負けているのに、姉妹が扱う義元に勝てるとは思えない。
「兵力も圧倒的に上。作戦も特に不備は無し。
何で、これで信長が勝てたのかが分らん」
「そう。それです。分からないことがある。それを認めることが重要なの」
突然、鹿島が嬉しそうに口を挟む。
「今日の授業で分かったと思うけど、戦略的に優位であり、作戦にも不備はない。
そんな相手に戦術だけで勝利するのは無理と言って良い」
「じゃあ、ここに表示されている以外の条件があるって事ですか?」
「多分ないかな」
「多分?」
曖昧な返答に首を傾げる。
だが、鹿島も困った表情をするだけで、確固とした理由は無さそうだ。
「いい加減ね」
「そうは言うけど、事前に判明している情報で、敵の戦略なんて全部は分からないよ。
この桶狭間の戦いだって、一昔前は上洛が目的って言われてたくらいだし」
今川義元が織田信長に敗北した桶狭間の戦いは、昔は上洛を目的としていたと言われていたが、現在では完全に否定され、領土拡大の出兵と言われている。
肝心の戦略目的が異なるのだ。当事者が、しかも敵対している信長に分かる事など本当に少なかった事だろう。
「過去に起きた出来事でさえ、戦略目的に相違が見られる。
何もかも分かった気になるのが、凄く危険な事だって自覚してね。
ちなみに、戦略は事前に分かりやすい方よ。作戦は戦略以上に読み難いし、戦術なんて、もっと難しい」
全ての行動を読み切る策士が活躍するのは、物語の中だけだ。
実際には、事前に分かる情報など高が知れているし、分かったつもりが一番危険だと言って良い。
「まず、戦略的にも作戦的にも不利な状態で先端を開くのは間違っている。
今、散々やって分かったと思うけど、信長は普通なら勝ち目はないの。
でも、有利だからと言って、気を抜いたら何が起こるか分からない。
義元も気を抜いたとは思えないけど、色んな要素が重なって敗れている。それが戦争」
「つまり最後まで諦めなけれは……」
「逆かな。そっちを向いてほしくない。勝つのは優位に立てる準備をして、最後まで気を抜かないこと。
勝てる可能性が低いのに、勝算の少ない賭けに興じるのは、前の戦争でやったことよ。
一昨日の授業で言ったけど、真珠湾攻撃の問題点なんだけど、事前にやった図上演習では失敗しているの。
それで、参謀長の宇垣纏がルールを改定して勝てるようにした。
それでも、空母を2隻撃沈されてるの。それなのに結果は圧勝。何でだと思う?」
「アメリカが油断していた?」
「そうね。もっと正確に言うなら、宣戦布告をしていなかったから。
空母がいなかったこともそうだけど、米国は偵察機を飛ばしていなかった。
図上演習では偵察機に察知されていた。実際に宣戦布告を先にやれば偵察機を飛ばして警戒してたでしょうね」
宣戦布告の遅れは外務省の怠慢だ。だが、それが無ければ真珠湾攻撃の趨勢は大きく変わっていただろう。
それにも関わらず、圧勝した原因を真剣に考察しなかった。
「勝とうが負けようが、原因を考えることが重要だと?」
「その通り! そこが大事! 一番大事!」
織田信長は桶狭間の勝利を、運が良かっただけだと語り、その後は、多い兵力で戦うようにしている。
一方の帝国海軍は、それを実力だと過信し、同じような作戦で失敗しても反省しない。
多くの勝利を得るものと、多くの敗北を叩きつけられるものの差だ。
「米国海軍のニミッツは、日本の作戦は、カミカぜ以外は予想の範囲だったと、戦後に述べている。
正直に言って、日本の作戦の中には、お粗末すぎて逆に予想が難しいものもあると思うんだけどね。
誇大な気はするけど、実際にシミュレーションを大量に繰り返している証だと思う」
戦うからには、相手のやりそうな事を、どれだけ下らない、有り得ないと、思うような事でもシミュレートしておく。
勝つには、まず、万全の備えが重要である。
「でも、同時に事前にやれることも限られている。
例えば、作り話だけど、三国志演義で赤壁での撤退戦で、逃げる曹操を待ち伏せする話があるの。
相手の退路を読んで、伏兵を配置するのは正しいし、可能なら退路となる可能性がある箇所には全て配置すべきなんだけど、兵力が無限でない以上は、ここと言う場所に兵力を集中する。外れれば仕方がない、というような思いっきりも必要ね」
「でも、あれって、曹操の天命は尽きていないとか言って、最終的に見逃しますよね」
「その辺は論外。軍事物として真面目に語ると、馬鹿らしくなる物語だからね。
孔明みたいに、敵の行動を全て読み切るなんて不可能だと思って良い。実際に出来ていないし、あんなのは物語の中だけの話よ。
でも、逆に全ての可能性に備えるのも無理な話。百通りの動きに備えるなんて、何にも備えていないも同様」
万能は無能とは良く言ったもので、例えば多目的ツールは機能が多いほど、一つ一つの能力が下がって行く。
それよりも、特化型を複数用意した方がマシなケースが多いし、最低限の機能があれば充分である。余計な機能はマイナスにしかなり得ない。
作戦や戦術に対する備えも、相手の行動すべてに備える事など出来るはずもない。やろうとしたら、凄まじい練度の兵が、膨大に必要になるだろう。しかも、実現不可能なレベルでだ。
しかし、備えられないからと言って、指揮官はそれに甘えてはいけない。事前に考えられるだけ考えて、あらゆるパターンを想定する。
そして、実現性や効果、相手の指揮官や情勢、それらを総合的に考えて、最も可能性が高い方法に備える。
もし、外れたら、その場の判断で最善の行動に移行する。
「だから、事前に何通りも考えるの。事前に全く考えていないのと、散々に考えつくした後では、次の行動に違いが出る。初動が全然変わって来るからね。
出来れば、知っている者が多い方が、初動は当然早くなる」
予定と異なる命令が出た後も、疑問に思いながら行動するのと、そう考えているのだと納得して行動するのでは大きく違う。
末端の兵までと言うのは無理だが、指揮官クラスが自信を持って行動すれば、兵は黙って付いて行く。
「じゃあ、作戦を決める際は一人で決めない方が良いと?」
「うん。これはバランスの問題かな。軍事作戦だと末端まで知っていると、作戦が敵にバレる危険が大きくなる。
深海棲艦が相手なら大丈夫だと思うけど、どちらにせよ艦娘を全員集めて作戦を相談するのは無理がある。
相談相手は絞る必要はあるから、誰を集めて、どんな感じで作戦を決めるか、それが鷲一くんの鎮守府のありようになる」
相談相手。今は朝潮型としか接点は無いが、成長して鎮守府を任せられる頃には、他の艦娘とも親しくなっているだろう。
特に作戦指揮となると、朝潮たち駆逐艦より、戦艦や空母の艦娘と相談する事が多くなるそうだ。
「まあ、その辺りは、急いで考える必要は無いけど、今は考える癖をつけ…」
「朝潮! ただいま帰還しました!」
「大潮もです!」
帰還した朝潮と大潮が大声で教室に入って来て、鹿島の話が中断される。
珍しく鹿島が不機嫌な表情になるが、朝潮たちは気付いた様子は無く、嬉しそうに鷲一に近付いてきた。
「司令官! 改造はつつがなく完了しました! 万全です!」
「凄いですよ。この艤装。最高速度は40ノット超えます!」
「あ、あの。先生に一声かけようか」
「え? はい! 鹿島先生! ただいま帰還しました!」
「……おかえりなさい。今、図上演習をやってるけど、朝潮ちゃんたちも参加しようか」
「了解です!」
「桶狭間の戦いなんだけど、織田信長と今川義元。どっちが良いかな?」
「出来れば織田信長が」
やはり、信長が人気だ。
正確に言えば、朝潮たちの世代には、義元は不評だった。
彼女たちの時代の義元と言えば、白粉にお歯黒な間抜けな武将である。
「じゃあ、霞ちゃん、代わってくれるかな?」
「は、はい」
「それじゃあ、朝雲ちゃん、やっちゃって」
「か、鹿島先生?」
「では、始めましょうか。朝雲が相手でも手加減はしませんよ」
自信ありげに朝潮が宣言しながら、朝雲と向き合うが、図上の配置と兵力を見ると、急に大人しくなった。
「か、鹿島先生? これって……」
「それでは、演習開始♪」
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「朝潮は、何度信長を殺したのでしょうか?」
湯船に浸かりながら、朝潮が溜息を吐く。
夕食まで演習を続けて、その後は格闘訓練で汗を流した。当然ながら、演習では信長を使用した側が、惨敗を繰り返しである。
鷲一としては、朝潮が落ち込んでいると調子が狂う。おまけに、丸一日以上会っていなかったのだ。帰還直後の元気な朝潮を見たいと思った。
「あの演習は仕方がない。現実は、演習通りに事は進まないって事を、分からせる授業だったんだろうし。
それで、改造って何が変わったんだ?」
少なくとも、外見上の違いは無い。
艤装を出さなければ、分からないのだろう。
「アンタ、普通にジロジロ見るんじゃないわよ」
「すっかり慣れちゃったね」
「いや、こうして何度も風呂に入ってればいい加減に慣れる」
霞に文句を言われ、朝雲にからかわれるが、言った通り慣れてきた。
最初は見るのも見られるのも抵抗があったが、何時までも恥ずかしがれる程、人間の精神は柔でも頑固でもない。
その程度の抵抗なら、受け入れてしまうようだ。
「でも、峯雲相手だと直視できないじゃない」
「ナンノコトダ」
峯雲は反則だ。持っているものが違う。今だって湯船に浮かんでいる。
見られるのに慣れたといっても、それは普通の状態だ。考えている事が丸分かりな状態を見られるのは、抵抗がある。
「艤装を展開しても、外見に大きな変化はありません。
ですが、動きが良いんですよ! しかも頑丈です! 早くお見せしたいです!」
「そ、そうか」
「峯雲だけはなく、朝潮姉さんでも反応するね」
全裸の朝潮にお見せしたい。そんな事を言われたせいで、変な想像をしてしまった。