朝潮たちの射撃精度が上がり、動きにも慣れた事で実戦形式での動きをすることになった。
そこで、動きに注文があるか問われたので、前から思っていた戦い方を試してほしいと思い、説明したのだが霞が途中で声を上げる。
「これって、アメリカのやりかたじゃない」
「うん。サッチウィーブ。知ってる?」
「味方機が散々に撃ち落されたからね」
アメリカ海軍のジョン・サッチが編み出したゼロ戦を倒すための戦法。
それまで、一騎打ちでは圧倒的な強さを示していたゼロ戦に対し、二機一組に編成して、互いにSの字を描きながら動くことで、後方から襲って来るゼロ戦をもう一機が撃墜する戦法で、これが編み出されてからは一方的に勝利するようになった。
戦闘機も前方にのみ攻撃が可能な兵器だ。ある意味、艦娘には合ってると思って提案した。
「いやか? 戦艦なら兎も角、駆逐艦だと突っ込みながら砲撃って危険だと思うけど」
「そんな訳じゃ無いわ。何となく気に入らないだけ。
それに、アンタの言うように正面から突撃は避けたい」
「良かった。まあ、ウィーブは基本ってだけで、実際は二人一組で動いて、相方の背中や横を守る。
元から部隊編成と合ってるし、悪くないだろ?」
当然、守ると言っても身を盾にして庇う訳では無い。相方を狙ってきた相手を撃墜する事だ。
駆逐隊は四隻編成だし、それを半分に分けて行動する事も少なくない。
更に、朝潮型の10人は、朝潮と大潮、満潮と荒潮、朝雲と山雲、峯雲と夏雲、霞と霰と、一番艦から十番艦までの二人一組の相性が良い。
「取りあえず、試してほしい」
「了解です」
朝潮が返事をすると、霞も文句は言わなかった。
彼女も本気で嫌がっている訳では無いのだろう。
「良いの? 片方は通常の戦い方をさせた方が、違いが判ると思うけど?」
朝潮たちが離れた後で、鹿島が聞いてくる。確かに、その方が違いは分かるだろう。効果を試すにはその方が良い気もする。
だが、鷲一は横に首を振った。
「事前に分かってますからね。それで勝ってもヤラセみたいでしょ?
取りあえずは、相方の動きを見ながら戦うのに、慣れた方が良いと思いました。
それで、ダメだと思えば、違う動きをすれば良いし、相手が同じような動きをしても、それを上回る動きをしなければ、意味はありません」
「ふ~ん……その分だと、宿題はやってたみたいね」
「期限も無かったし、聞いてこないので、忘れたのかと思いました」
あの時の鹿島は、拗ねただけのようにも思えたので、本気で出した訳では無いのかとも思っていた。
だが、それを言って、再び拗ねられたら面倒だから、口にはしない。
「忘れてなんかいないよ。普段から言ってるけど、重要なのは考え続ける事。
別に正解を出す必要なんて無いし、今回のは疑問に思うクセを付けてくれれば良かったの。
でも、折角だから聞いてみようかな。何処が不自然だったのか」
朝潮たちが交代で模擬戦を開始しているが、一朝一夕で身に着く動きではないので苦戦しているようだ。
苦労している彼女たちには悪いが、こちらは別の話を始める。
「Tの字を描くのは非常に難しい。それも、不可能に近いレベルで。
出来るのは相手が
Tの字戦法を絵に描いて、こう動いた。そう説明すれば、一見納得できてしまう。
だが、それは絵という、動かないものだから可能な事だ。
実際には味方だけでなく、敵も動いている。
「相手の立場で考えれば、目の前の艦隊が大きく曲がろうとしている。そのまま真っすぐ進むはずが無い」
信じたら、軍人失格とまで言った理由が分かる気がした。
予想通りの動きに対し、何らかの行動を起こしても、リアクション無し。そんな事が起きれば、何故、反応しないのか逆に疑うべきだ。
「そうね。相手の立場になって考えるのって凄く大事から。
ちなみに補足説明するけど、敵がTの字を描こうと動いてきた場合、相手と反対方向へと曲がれば、一瞬のすれ違いで済む。これを反航戦。逆に同じ方向へ曲がれば、同じ方向へ進みながら戦い続けることになる。これを同航戦って言うの」
「むしろ、相手に主導権を取られそうな気がしますが?
ちなみに、俺がロシア艦隊の司令なら、日本艦隊が曲がり始めたら、反対に舵を切らせます」
「そこは艦隊運用の腕かな? 実際にTの字戦法を提唱した秋山真之も完全なT、彼は丁の字と呼んでいたけど、非常に困難だと認めていた。でも、無理だでは済まされない。そこで、彼は『丁』に準じる、『イ』の字でも構わないので、有利な位置で戦う事を提唱している。言ってみればそれだけだけど、それを実現するための行動を重視しているの」
元の性能だけでなく、メンテナンスによって100%に近い能力を発揮できる準備をする。
軍艦は意外とデリケートで、フジツボが付着すれば、それだけで速度が低下する。当然、機関のメンテも必須だ。
更に号令に素早く反応するように訓練をして、動きのロスを無くすことも必要な事だ。
日本海軍は、対ロシア戦では、軍艦のメンテナンスの時間も計算に入れて作戦を立てている。勝つための最大限の努力があればこその勝利だ。
「でも、仮にTの字戦法は可能だとしても、欠点があるんだけど、気付いた?」
「相手を逃がすことです」
「正解。両者の戦略も調べたみたいね」
「はい。日本側は迎撃して撃沈する事。対するロシアはウラジオストックに到着する事です」
ロシアのバルチック艦隊は、遠路はるばるユーラシア大陸の反対側から、アフリカ大陸を一周してから極東に向かわなくてはならなかった。とても万全とは言い難い状況だ。
そこで、日本は、艦のメンテや兵の休養を与えないため、何としてでもユーラシア大陸の北東にあるウラジオストック港に到着する前に叩きたかった。
そこで、敵艦を逃がしやすいTの字戦法はリスクが大きすぎる。
「ロシア側としては、理想は日本艦隊に接敵せずにウラジオストックに到着する事で、遭遇しても反航戦で納めて通り過ぎたかったはずです。
それなら、日本は同抗戦を狙うべきです。確かにTの字の方が自軍の損害は少なく、相手への損害を大きく出来るかもしれない。
仮にTの字を描いた時だけの砲撃で、敵を殲滅できるなら良いのでしょうが、この前聞いた命中率から言っても、それは無理だと思います」
ふと視線を満潮、朝雲、山雲に向ける。
第二次世界大戦で、Tの字戦法を使って勝利した例に、スリガオ海峡に西村艦隊を迎え撃った米軍艦隊があるが、あれは、日本が戦艦2隻、重巡1隻、駆逐艦4隻に対し、米国側は戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻で迎撃している。
Tの字と言うより包囲殲滅と言った方が良いだろう。
それに比べ日本海海戦では、そんな圧倒的な兵力差は無い。
奇跡的にも最初の砲撃で、敵艦隊の司令官が重傷を負ったが、当時の命中率から狙えるはずも無いし、それを狙って作戦を立てたとしたら、とんだ愚将だろう。
「うん。あの大本営発表を信じて作った作品なんかでは、ロシアの艦隊司令官は愚将として描かれているけど、実際はウラジオストックに到着する前に戦闘になれば、敗北する事も予想していた。
本当は、日本艦隊が待ち構えている可能性が高い対馬海峡を通るより、太平洋側から遠回りして北海道の南北どちらからか抜けたかったと思うけど、それすら困難なほど、ロシア艦隊はダメージがあった」
「相当に弱っていたんですね。ロシア側としては、反航戦で通り抜けたかったと思います。
ところで、例の東郷ターンって、反航戦から同抗戦にするための動きですか? そこはハッキリとしないんですが?」
「そこは不明ね。実は本当に分かっていないの。少なくともTの字を狙ったものでは無い。
実際にイの字を描いた瞬間があるけど、本当に僅かな時間しかないからね。
予想としては、ロシア艦隊の出現位置が予定とは違っていた」
日本艦隊はこの海戦でロシア艦隊を正面に迎え撃っているが、これがそもそも不自然だ。
Tの字を狙うにしろ、同抗戦を狙うにしろ、正面から左右どちらかに、ずれた位置に迎え撃たなければ、上手く行かない。
一旦、左右にずれてから反対に舵を切らなければ、Tの字も同抗戦も描けない。
「何か、東郷ターンって神業みたいに思っていました。実際は現場の判断でアタフタしていただけだったかも知れないんですね」
「そうね。でも、現場の判断って大事よ。それに、色々考えた結果なら、何も考えていないよりも最善の行動に近付くしね」
「はい。ところで、もう一つ気になったんですけど?」
「なにかな?」
「あの、本日、晴天なれど波高しって電文。波が高いメリットが分かりません」
晴天は良い。日本としてはバルチック艦隊に逃げられる事は避けたい。雨や曇天では、水平線の方は雲に隠れてしまう。
第二次世界大戦のサマール沖海戦では、ジョンストンたちは雲に隠れて、日本の攻撃を何度もやりすごしている。
しかし、波が高くて喜ぶ理由が分からない。
通説では、波が高くて命中率が下がるから、訓練を重ねた日本海軍の攻撃だけ当たるので喜んだとある。
だが、実際の命中率を知れば、それはおかしいことに気付く。
互いに通常で100%近い命中率であれば、話は分かる。日本は本当は100%以上あり、多少条件が悪くても100%のままで、相手だけが下がる場合だ。
しかし、実際の命中率から見れば、下手に悪条件が重なると、外れるはずの砲弾が命中したり、運の要素が強くなりすぎる。
逆に自分達の命中率に自信が無く、相手の命中率が高い場合にこそ、波が高いなどの悪条件が喜ばれるはずだ。
「あ~、そこにも気付いたんだ。実は、それこそが、Tの字戦法のウソを広めた理由なの」
「はい?」
「一号機雷。日本海海戦で準備していた切り札の名前」
機雷をワイヤーで連結し、敵艦の前方に流す。
本来は『点』である機雷の危険地帯が『線』になり、大打撃を与えるはずの新兵器。
「いや、この準備って大変だったみたいね」
それを使用するために、日本海海戦の前年に起きた、ロシアの旅順艦隊との戦闘、黄海海戦で手に入れた『レシテリヌイ』に、その少し前に起きた旅順港閉塞作戦での任務中に、機雷に接触して沈没した駆逐艦『暁』の名前を付けて欺瞞工作をしていた。
この、レシテリヌイ改め暁が、ロシア艦に偽装してバルチック艦隊の前方に一号機雷を流す予定だった。
「もしかして、波高しって……」
「うん。レシテリヌイ改め暁は、排水量240トンの小型駆逐艦。走波性が低くてね」
準備万端で出航を待っていたが、開戦の日は波が高くて、出航はしたが進めずに引き返している。
つまり、あの電報は晴天で敵を見逃すことは無いけど、波が高くて切り札が使えないという意味だった。
だが、一号機雷は日露戦争後も最重要機密となり、その後も秘密兵器として隠蔽される。
この秘密兵器を隠すために、日露戦争の戦いは、偽りが流されることになった。
ちなみに、一号機雷は、第二次世界大戦前には、艦船の速度が高くなり、悠長に敵前で機雷を流すことが出来なくなったために、消え去ってしまった。
「何だか、事前の準備が何も役に立っていないような?」
「うん。まあ、勝てたのは運だね運。特に秋山真之はその事を痛感したのだと思う」
名参謀として知られる秋山真之は、日露戦争後、自分が国に奉仕したのは戦略戦術では無く、
ロジックを追求する参謀は、神秘的な何かを追い求めるようになる。
「でも、彼等は考え続けた。役には立たなくても考え続けたから、咄嗟の判断で動くことも出来たと思う。
彼らがロシア海軍と戦うにあたり、考え続けた作戦資料は膨大で驚くほどよ。
それに比べて、第二次世界大戦の参謀部は何をしていたんだって情けなくなる」
「心に刻んでおきます」
役に立たないことは無い。どんなことでも考える。
自分が考えた艦娘にサッチウィーブをさせることも、鹿島は否定しなかった。
「そう言えば、艦娘用の装備で、一号機雷に似た兵器もあるよ。
こう、ワイヤーで地雷状の円盤みたいな爆薬を繋いで、鞭みたいに敵に巻き付けて爆発させるんだって」
「……それもアニメが元ネタです」