『プロローグ』
「走れ! 止まるな!!! 走り続けろ!」
——男の恐怖に彩られた怒声が背後から聞こえてくる。
——続けざまにアサルトライフルを連射するかのような銃声。
——闇の中から聞こえてくる他の生存者の絶叫や祈る声。
——母親を呼ぶ子供の叫び声、無慈悲な断末魔。
——子供が生きたまま引き裂かれて上がる母親の悲鳴。
——聞くに堪えないマナーのない食卓で、肉と皮が咀嚼されている食事音。
——粘着質な液体が水鉄砲のように飛散する水音。
もう何十年も人が手入れのしていないアスファルトの地面はひび割れて、ところどころ陥没や亀裂によって歩きにくい地形となっていた。
——足を取られ誰かが転ぶ音が背後から聞こえてくる。
——悲鳴。
この闇の中で活動するには、頼みの綱である月明りすら暗雲に隠され5フィート先も見えないこの場所で、微かな視覚情報と足が縺れて転んでしまわないような体幹だけが頼りだった。かつて大繫栄を遂げた日本の首都東京都心は今は荒廃をして当時の賑わいは見る影もない。そんな廃墟の中心で必死に生き残るため体力の続く限り足を動かして背後から迫る “感染者” から逃げ続ける。この深淵にも近い闇の中で私ができたことは、両手で両耳を塞ぎながら聞こえてくる助けを乞う声に対して『聞こえないフリ』をして、すぐ目の前を走る人物に振り切られないように食らいつく事だった。
「!!! 正面にサキュr——」
それは唐突な出来事で、無力で僅かな私物以外何も持たない私にはどうすることもできない。
突然、目の前を走っていた男が聞きたくもない恐ろしい怪物の名を叫んだかと思えば、前方から飛んできた青い閃光とも球体とも呼べるエネルギー弾によって、頭の中で爆弾が爆ぜたように体内の内容物を撒き散らせた。
その男の背後に居た私は体液を頭からかぶる。最悪だ。最悪だけど、咄嗟に目を瞑ることができたから、男の体液や内臓によって視界が閉ざされるということは無かった。しかし、今の状態は地獄への片道キップを強制的に握らされたこととさして変わらない。
足を止めた状態でそっと薄目を開けた先には、私の衣服にはつい先ほどまで正面のソレが生きていたことを証明するかのような生暖かい体液や細かく寸断された白くて柔らかい欠片が付着している。『ゴトンッ』とまるで石のような重いものが地面に倒れ込む音がした。先ほどまで先行していた人だったものがうつ伏せに転がり、その奥。その荒廃した都市部では、二度と見られることのない光が闇の中でネオン街のようにカラフルに光っていた。それは、おおよそ人間の形をしていて、私とそれらとの距離関係上小さいがおそらく人間であることは理解できた。
更にその更に後方には、まるで廃墟に浮かぶ亡霊のような、そのネオン街のような光を放つ存在より2倍も背丈のある人型実体がたたずんでいる。蒼くほのかに光る滑らかなプラスチック製のような姿と顔や胴体には人として必要なはずの器官のない出来損ないのマネキンのようで不気味だった。それが、両肩から締め殺しの木のような幾本もの触手を絡ませながら、触手の先端をこちらに向けていて……私達はその青白く発光する出来損ないのマネキンを『サキュラ』と呼んでいた。
「ヒャハハハハハ! 見ろよ! こんなところに群れからはぐれた獲物がいるぜェ!? “保護” してやってもいいが、反乱分子だったら面倒だ! ここで1匹残らず駆除してやる!」
「ただ狩るだけじゃ、つまらねえ! 何人ぶっ殺して、難点稼げたか競争しようぜ!」
「それはいい! 勝者は“吉原”で……ゲヒャヒャヒャッ! 感染者は1点! 生存者は3点。武器を持った奴等は5点だ! 精々楽しませてくれよ!」
「それじゃ……死ねェッ!!!!」
その言葉をきっかけに、たちまちその場は混沌めいた地獄と化した。
正面から放たれるネオン街のように光る人型実体……ブレインフレーヤーに従う『ハンター』たちの銃撃によって、先に逃げていた生存者たちが踵を返してこちら側に走ってくる。おかげで生存者同士でぶつかって転び、うまく生存者同士衝突せずに抜けられても、私達を追いかけ今も集まり続けている感染者たちが、ハンターから逃れたエサに食らいつく。
私も正面から逃げてきた人に衝突して尻もちをつく。でも、そのおかげでハンターから放たれた凶弾が私を感染者のエサに変えることは無かった。何も見えない暗闇で、這いつくばって銃弾の届かない廃墟の中に逃げようとする。——ザクリと脚に焼け付く様な痛みが走る。きっと荒廃した道路に突き出たガラス片か何かで太ももを引っかけて切ってしまったのだ。
——“感染者”は血の匂いに鋭い。
感染者と生存者で入り乱れる混沌の渦から感染者の数匹が全身から臭いを漂わせる私に気が付き、その四肢で繋がれただけのような手足をバタバタと首を絞められたニワトリがもがく足のようにバタつかせて追ってくる。
建物の中に入ったら、少しでも感染者の追跡を遅らせられるように入ってきた扉へ金属製の棚を立てかけてバリケードにする。扉が激しく叩かれる。
どうやら逃げ込んだ先はコンビニのようで、陳列棚には混乱の最中やスカベンジャーが回収して行かなかった未回収の腐った食べ物やドロドロに溶けたアイスクリーム、缶詰のようなものがあった。しかし、そんなものを拾っているような猶予は私にはない。足を消毒するための度数が高いバーボンを手に取って、まるで手負いの鹿のように痛む足を引きずりながら店の奥であるバックヤードへと逃げる。
——ガシャン! ガシャン!
店の奥に逃げたところで続けざまに窓ガラスが割れる音と、感染者が高台から落ちてくるような粘着音が聞こえてくる。恐らく私を追って入り口からではなくガラス張りの雑誌売り場のガラスを叩き割って入ってきたのだ。バックヤードの家具をできるだけ足止めとなるように引き倒して物音を響かせながら裏口から外に抜ける。
幸いにも抜けた先に感染者の姿はなかった。表通りからは、まだ人々の悲鳴や銃声、ハンターたちの嘲る嗤い声、サキュラの砲撃音が響いていた。そして足元には腐乱死体。私の足とは別にむせかえるような血の匂い。目の前の死体は感染者ではなかったが、腕に噛み傷があって頭から落ちたのか首は綺麗に90°に折れていた。
1人だけ無事にサキュラやハンターの銃撃から逃れたことを他の生存者たちに謝りながら、更なる裏路地の奥へと進む。最低な発想だと思いつつも、私を追い詰める感染者たちが腐乱死体の血の匂いに誘われて死体に食らいついて私の事を忘れてくれるように祈りながら。
………
……
…
混沌の合唱祭からかなり離れたところで、唖然とするほかなかった。
表通りに逃げたとしても私は死んでいただろうが…………結局のところ結末は変わらなかったようだ。
目の前には3mもの高さの壁があり、この壁は崩落した建物の一部の様だったが……1階に付けられた窓には外敵が勝手に侵入してしまわないようにと板が目張りされていて、武器も道具も持っていない私にはどうすることもできなかった。
「ゔ……ゔぅ゙ゔぅ゙ぅ゙ぅ゙…」
「ぁ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙……」
「ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……」
背後を振り返れば、追跡者である感染者とは別の感染者が3体。こちらの退路を防ぎながら迫って来て居た。いずれの感染者もブレインフレーヤーの
五体満足ならば、一瞬の隙を見て逃げ出せたかもしれないが……今それはできない。
……この感染者達に貪り喰われて死ぬことが、苦痛を感じさせない一瞬の出来事であればどんなに良かったことか……。
恨み言を頭の中で呟きながら、壁に背中を預けて中身の入ったバーボンを最後の武器として感染者に構える。
——日が上るまで残り3時間以上。救援も来ない、味方は壊滅状態。万事休すだった。
………
……
…
————ドンッ!!!
感染者が私に食らいつくまで残り10フィートを切った時。突如として頭上から銃声が響き渡った。
思わずその身を強張らせる。このご時世にそんな散弾銃を使用している人間なんてならず者のレイダーぐらいだ。降り注がれる銃弾による痛みに備えていたが、いつまでたっても身体には痛みは走ることはなく……。
——ドンッ!!!
それどころかゆらゆらと首を動かしていた感染者の顔面に大粒の穴がいくつも開いていて、次の銃声では完全に感染者の頭蓋骨の上部が後方に吹き飛んだ。
——感染者は頭の吹き飛ばされたからと言っても、その生命活動を途絶えさせることはない。
いいや。生命活動自体は感染者となった時点で、とっくの昔に終えているのだろう。ただ、ブレインフレーヤー達のBC兵器によってその死体が生き血を求める状態で動かされ続けられているだけであって。しかし、感染者の感覚器官である約0.6214マイル先の血の臭いを嗅ぎ分ける嗅覚や、処理能力が備わっている脳を吹き飛ばされることは、感染者の動きを大きく鈍らせることには違いなかった。
その場でビクビクと全身を痙攣させながら、ひきつけを起こした人間のようにその場に倒れ込む。しかし、まだ機能する手足は頭を捥ぎ取られたゴキブリのように四肢をカサカサ忙しなくと振り回している。
だが、そのおかげで他の感染者の注意が私ではなく、最寄りの腐敗した血液を流しながら頭を吹き飛ばされ暴れる感染者にとターゲットが切り替えられた。
バリバリと。雀の丸焼きを食べて居るかのような骨をかみ砕く音。
ベリベリと。肉が引きちぎられるような音が正面から聞こえる。
そして、複数いるうちの最後の感染者が頭を吹き飛ばされた感染者に食らいつくために重なった時、私の目の前に一人の大男が、飛び降りて来て目の前に立った。
……彼について、後ろ姿でもわかったことは本当に大柄な男だった。
肩幅は2フィート以上あるように見えたが、幼いころ動画サイトで見たことのある肩幅オバケのような逆三角形の姿ではなく、レンガブロックのような全体的に長方形な姿で全体的に体幹ががっちりしているように見える。上半身には鋼鉄の鎧をまとい、肩にも棘の突いた肩パットが付いていた。両腕にはガントレット、背中にはまだ硝煙が立ち上る2連ソードオフショットガンと、錆びて一部がドブ色になった巨大な斧、腰には革のベルトと腰巻を撒いて、足は安全靴のようにも見えるローマサンダルのようなブーツを履いていた。
「……大丈夫か? ……助けに来た」
その人物は私の方を増えることもなく日本語の渋い声でひとり、3人の折り重なる感染者を見つめている。
私は正面に現われた男の乱入に声も出せず、暗がりの中で 尻もちをついてただただ頷くことしかできない。
「…………すぐ終わらせる」
それだけ呟いたかと思うと力強い足で地面を蹴りつけ、感染者に向けて素早く飛び掛かる。手に持ったトゲ付きの棍棒をまるで野球選手がホームランをするときのように振り抜いて……強い踏み込みと共に、感染者に齧りつく感染者の胴体目掛けてフルスイングした。
まるでゴルフボールのように打ち抜かれたソレは綺麗な弧を描いて吹き飛び、ビルの窓ガラスを突き破ってホールインワンを達成した。内部から物が倒れる音と、肉が圧縮された音が聞こえてきて……。おそらくアレは私達から少し離れたところで潰れて活動を完全に停止しただろう。
だが今の行動で、自ら近寄ってきた真新しい獲物に感染者が感づき、噛みつこうと動く。
——感染者に噛まれたものは、平均48時間で新たな感染者の仲間入りとなる。
それでも、噛みつかれるよりも早く。まるでスイカ割りのように彼の頭上まで天高く振り上げられた棍棒が、うどんの生地を何度もまな板に叩きつけられるように振り下ろされ……その噛みつこうとした感染者もまた活動を停止させた。
~あとがき~
本作は対魔忍RPGXにて、五車祭プチガチャにて念願の上原 鹿之助くんを入手したのちに信頼度Lv.MAXを果たし、回想も見たところで……作者がその回想内容に致命的なダメージを受け、その意気消沈したところから誕生した作品でございます。
『それがなんだ?』と言われてしまえば、それまでなのですが……本作作品誕生のきっかけ経緯をこのあとがきに記したかったわけです。
~補足~
1フィート=30㎝
0.6214マイル=1㎞
なぜ、作者がヤード・ポンド法を使って作品を描いているのか、作者にもわかりません。何があったんだ……? 余程、致命的な心的ショックだったのは察せます。