起編 『一抹の不安を煽る者』
ブレインフレーヤーの侵略から早10年が経過し、11年目に入ろうとする孟冬。
地表は氷点下-10℃という極寒の地ではありますが、それでも私達は地表よりも温かい地下で、今日も元気にレジスタンスのメンバーやオークさん達はブレインフレーヤーに反旗を翻しながら生きています。
「あれー? 店長。それハンドクリーム? いいなー。交易所にいるおじさんから買ったの?」
「これ? これはね——」
「あっ! 言わないで! 当てるから…………オークでしょ! オークから貰ったんだ!」
「えへへ……あたりです。これからの季節、冷水や最近見つけた強い洗剤を使うようになって手が荒れるだろうからって少し早めのクリスマスプレゼントで」
「うわぁ、いいなぁ……」
「私も何かクリスマス前に返したいと思うんだけど、中々タイミングと似合いそうなプレゼントが思いつかなくって……」
洗濯屋ウォッシャーは今日も大忙し。特に冬場は夏場と比べて、冷水に触れなきゃいけないし、洗濯物の種類によっては重い衣類を扱うし、重ね着するから衣類自体も増えるし……で、時機的にも仕事量が増えることで更に人手まで減っちゃって……。
気が付けば私が洗濯屋ウォッシャーの店長になっていました。晩夏に立て直ししたときには勝手にナナカマドの絵を掘ったもの看板に組み込んでましたが、あの時はまだ副店長の身分ではありました。
今日も、レジスタンスを支える一日が始まると思ったその時、通路が賑やかなことに気が付いて洗濯を纏め通路へと従業員と一緒に出る。
「一体、何の騒ぎですか?」
「ふうまだ。英雄のふうまが仲間達を連れて、またこの基地にやってきたんだよ!」
一瞬、聞き覚えのある名前に顔をしかめる。どこかで聞いたことはあるような気がするけど、いったいどこだったか。
「ふうま!? でも、ふうまは死んだはずじゃ……」
「だから過去から、ゆきかぜさんとアスカさんが連れてきたみたいだぜ!」
「今、
「基地の外でサキュラとハンターの小隊をぶっ飛ばしたって話だ!」
『ふうま』。そうだ。思い出した。ある日の夏場……ゆきかぜさんとアスカさんが洗濯屋ウォッシャーに来て、対魔忍スーツに付着したシミ取りで少しの作業の待ち時間の間。聴かせてもらった名前だ。
確か、2人の友人で彼の指揮の元、決行した作戦は必ず成功に導くことができて、そのようなことができるのは古今東西あらゆる魔族や魔獣知識がある人物で、その知識量は動植物の生態から雑学まで全てを網羅しているって言っていたような気がする。
でも、ブレインフレーヤーがBC兵器をバラ撒く前に、アルサールというブレインフレーヤーの1人の罠に掛かって命を落とした……って2人から聞いていたけど……。過去から来た……って、避難民は言っていたし、タイムトラベルしてきた……とか、そういう話だろうか?
——でも、どうして?
チクリ……と嫌な予感が胸を突く。今すぐにでも洗濯屋の仕事を投げ出して、この場から立ち去りたくなるような気分になってしまう。
「あれ? 店長。英雄ふうまを見に行かないんですか?」
「……私は仕事があるから、あなた達だけで行ってきて」
「何言っているんですか。仕事なんて臨時休業にしちゃえばいいんですよ。今日はなんていったって英雄ふうまが来たんですから! お客さんも分かってくれますよ!」
「え、ちょっと?!」
ウォッシャーの従業員達が勝手にてきぱきと店じまいを始めてしまう。人手不足と言っても今日のシフトの人員は仕事の出来る子たちだ。15分もしないうちに洗濯ものを取り込んで、玄関扉にCLOSEDの看板を立てかけ、私の手を引いてその人だかりの方へ走っていく。
この拭いきれぬ不安の衝動で、今は英雄だなんて謳われているふうまさんを見に行くことよりも、私の心のよりどころへ会いに行きたかったのだけど……。
………
……
…
市場はこれまで以上の野次馬で賑わいを見せていた。いずれも
教団の人間に見つかると碌な目に遭わないと思い、手を引かれたまま中腰になって野次馬の隙間から、英雄ふうまの姿を一瞬だけだがその眼で捉える。
ゆきかぜさんやアスカさん同様に青色の対魔忍スーツを着た男性だった。健康的な小麦色の肌に10年以上は見ていない海のような色をした青髪には、避難民には見られないトリートメントでもしているかのような綺麗な艶があった、閉じたままの右目。彼は細身で180㎝はあろうかという長身だったが、それでも対魔忍スーツ越しから、ただのヒョロヒョロな男……ではなく、つくべきところに必要な筋肉があるのが見えた。
今、彼は集まる野次馬達へ向けてに軽い会釈や手を振っている。ゆきかぜさんやアスカさんに並んで、笑顔を浮かべていたが……でも、その笑顔がどこかぎこちなくて……私の不安を一掃、余計に煽った。
彼等はそのまま、私の自宅がある居住区へと歩いていく。
それから私の自宅の隣の小屋の中に消えていった。私の隣人がどんな人物が住んでいるかなんて私も具体的には知らない。いつも24時間365日もの間、兵士さんが見張りとして立っていて、とても隣に住むものとして挨拶ができる雰囲気ではなかったのは確かだ。でも、見張りと歩哨の兵士さんが居たおかげで私は今日までオークさん達の家に泊まらず、自宅で休んでもスティール・ロータス教団の信者たちに拉致されることは無かったのだが……。
でも、そんな見張りが立って厳重な場所に、英雄と呼ばれはふうまさんが入って行ったのがどうしようもなく怖くて、まるで、1年前 オークさん達と出会う前、サキュラと感染者の襲撃によって崩壊した私の基地の時の前触れのような……。
「——あっ! 店長!」
もう居ても立っても居られず、浮足立つ群衆とは別に気が付けばオークさん達の家を目掛けて走り出していた。途中、スティール・ロータス教団の信者がこちらに気が付いたような反応を見せていたが、彼等に構うこともなく一目散に私だけの安全地帯へ走り込む。
………
……
…
——バタンッ!
「はぁ……っ! はぁ……っ! はぁっ……!」
息を切らせながら、実家のような安心感がある民家に飛び込む。
「オメー! いきなりドアを開けるとはいい度胸してんじゃねーか! この家はなー! 泣く子も黙るハイオーク様が棲む……って、遅漏インチキンのつがいじゃねーか。どうした? そんな俺様を誘ってるかのような淫乱娼婦みたいな乱れた制服のまま血相を変え——」
「ガソリン! 奴隷商さんは!? チーフさんは居る!?」
「ヒンッ……。……そ、総大将と大将なら奥の団らん部屋に……」
「退いてッ!!!」
「アンッ……」
ガソリンの言葉に何故だか分からないが涙があふれ出てくる。
もう、なんて言葉を言い表したら分からない程に不安が、恐怖が、震えが私を押しつぶそうとしていて……。室内であるにも関わらず、ガソリンくんを引っ叩くようにしながら突き飛ばし、外で全力疾走してきた速度を殺さずに最短ルートを通って団らん室へと突入して行く。
「奴隷商さん! チーフさんッ!!!」
「おや。今にもそんなに泣きそうな顔をして、どうかされましたか?」
「新兵の奴なら、そっちの倉庫で…………てか、今日は来るのが早すぎないか? 店はどうした。店は?」
「……う」
「「う?」」
「うぇ……うわああああああん! うわぁあぁああああああん!!!」
どうして。どうして、こんな日に限って。
「お。おおおお嬢!? 新兵! お嬢が!!! おまえのお嬢がギャン泣きしていやがるぜ! きっとお前のバブみが足りなかったんだ!」
「おうおうおうおう、どうした? どうした? また嫌なクレーマーな客でも怒鳴り込んできたか? それともスティール・ロータス教団絡みか? 安心しろオレ達の拠点に来たってことはもう安全だ。入ってきたやつをオレが片っ端から一刀両断にしてやる」
大泣きしながら膝から崩れ落ちる。
私の状況に困惑しながら、へっぴり腰の傭兵さんと斧を片手に羅刹さんが近寄って来た。
「Wow Wow Wow!! Hey! Rookie!!! hurry up!! hurry up!!!! Hey! Come on!!!」
「……何があった。力になる。言ってみろ」
だから、どうして。
「おい! ハイオーク! 外の状況はどうなってる!」
「なんもいねーよ! カスカルトも! 感染者も!」
「ではこの彼女の取り乱し方はなんですか? ちゃんとよく外を確認しましたか?」
どうして。
………
……
…
「ゔぇ゙……ひっ゙ぐ……゙ふぇ゙ぇ゙……」
「パニック状態は収まったようですが、これではいつぶり返すか分かったものじゃないですね。そちらの状況は?」
「儂の部下のいう通り、人っ子一人いない。でも、逆に昼間にも関わらず誰も居なくてやけに不気味だ。外で何が起きている?」
「ヘイ、お嬢……ハンカチ居るか? ハイオークのだけど」
「バッ! ちょ、ふざけんじゃねー! その顔面体液まみれのアマに俺のハンカ――」
「思いっきり鼻をかんでやれ。俺が許可する。少しはすっきりするぞ。ほれ、『チーンッ』ってやってみろ」
「……チーンッ!!!!!!」
「ああああああああ! ありがt……バカヤロー! コノヤロウ!!!」
「…………」
「テメーも背中摩ってルだけジャなくテ、何か声をかけてヤれヨ! テメーのモンだロ!」
「…………もう大丈夫だ」
「う……あ……」
「コノバカ! 逆ニ泣かしテ、どうすル!!!」
「…………え、えっと……」
「私が代わります。新兵くんは、そのまま彼女の背中をさすってあげてください」
「…………」
「羅刹くんは、私にそのハンカチを。羅刹くん、ハイオークくん、フレイムくんは倉庫から資材を持って一緒にチーフさんに合流して出入り口にバリケードを築いてください。緊急時の戦闘は控え、ここまですぐに後退するように。傭兵くんはここで私の護衛を」
「またあとでな。小娘」「ったくとんだ疫病神め」「Yes. Sir!!」
この部屋には、私の背中をさするオークさん、優しく顔を拭いてくれる奴隷商さん、団らん入り口で門番をする傭兵さんだけが残る。
再び崩壊してしまいそうな涙腺をこらえながら、滲んだように見える奴隷商さんの顔を再び見つめる。
「……何があったんですか? ゆっくりと話してみてください」
「……ふうまが……ふうまが……」
「ふうま、ですか? ……。……ここの兵士さんが話されているのを以前、聞いたことがあります。対魔忍の司令塔、英雄ふうま。パンデミックが起きる以前にも彼の武勇伝は尽きることはありませんでしたし……それでふうまがどうしたのですか?」
「過去から……やってきて……“また”やってきたって……ひっぐ……」
なんとか詰まる言葉を押し出して、奴隷商さんに伝えなければいけない情報を喉から絞り出す。でも声を出すたびに言葉や舌が詰まってうまく言葉が出ない。
「…………なるほど。……今ので事情は大分察しました」
「……総大将、なんだ。何が起こるんだ?」
「まもなく、この基地の存続が関わるほどの
「……。……そういえば、お嬢の避難所も……」
「…………」
「それだけではありませんよ。彼女はダイニングルームにハイオークくんが居るにも関わらず、この家に来て真っ先に私とチーフさんの名前を呼び所在確認を取っておりました。本来、この時間は彼女が店を仕切っているのと同じように、我々も外へ物資調達に出かけている時間帯です。ですが、今日はゆきかぜさんに止められて全員待機している。…………どこまでも本当に賢くて優しい子です」
奴隷商さんの掌が私の頭に乗せられる。
『逃げて』と声を出したいのに声が出ない。出てくるのは『ぁぅぁぅ』という嗚咽ばかりで……。
「……総大将」
「羅刹くん。進展は何かありましたか?」
「……表に対魔忍2人と見慣れない青髪の男、それと布切れを頭からすっぽり被った……多分ありゃサイボーグだな。両足が機械の見慣れないサイボーグが玄関に来ている。顔は分からん」
羅刹さんの言葉に身体が反射的に大きく撥ねる。見慣れない青髪の男。ふうま。ふうまだ。それ以外に考えられない。
「——思ったよりも早いですね」
「っ……」
「……貴女のせいではないですよ。恐らく元から決めていたのかもしれません……。例えば、私達を迎え入れたその時から……。ひとまず羅刹くんはチーフさんに話を通して、10分後に『ふうま御一行』をここまでお通ししてください。何か異常があれば私まで。また今回の会合には全員出席するようにも話してください」
「了解」
奴隷商さんの言葉に羅刹さんは普段の巨躯から想像もできないような動きで玄関へと走って行ってしまった。
辺りがまたバタバタと賑やかになる。
「——いつまで泣いているんですか。貴女が泣いたままでは会合に支障が出てしまいます。もしもその涙が止められて、お手隙の様でしたら座布団を11枚強いて頂けると助かるのですが」
「……っ」
「あなたは充分よく頑張りました。あとは私達が引き継ぎます。新兵くん、彼女の
そんな中、奴隷商さんが私の頭を撫でながら慰めてくれるが、何もできなかった自分が悔しくてボロボロと涙が出てしまう。
もっと速く走ることができたら。泣き出さずに逃げるように伝えられたら。きっと未来はこうならなかったんじゃないかなと思ってしまって……。
でも今はオークさんに担がれるようにして支えられながら、いま私ができることとして倉庫へと脚を運ぶのだった。