「ん、ここは……」
轟が目を覚ますと薬品の匂いが漂う室内のベットに寝かされていた。
どうやら保健室に運び込まれたらしい。
しばらくぼんやりと天井を見つめていたが、少しずつ覚醒するに連れてだんだんと記憶が蘇ってきた。
最後の記憶は場外に叩きつけられた自分とボロボロになりながらも立っている月下。
「……そうか、俺は負けたのか」
「ギリギリだったけどね」
一人呟いた轟だったが、それに反応する人物がいた。
体を起こし、声のした方に顔を向けると、そこにはベットに横になる海兎の姿があった。
「結構思いっきりやっちゃったけど大丈夫?」
「俺はなんともねぇ。そっちこそ大丈夫か?」
「うん、ある程度はリカバリーガールが応急処置してくれたしね」
なるほど、妙に体の痛みが少ないのはリカバリーガールのおかげか。
「……月下。お前と戦ってる間、俺は親父のことなんか関係なく戦った。初めて自分の為に全力を出した。出し切った。ありがとな」
「……ホント、みどりんと戦ってから変わったね、轟」
「そうかもな。緑谷にも礼を言っとかねぇと」
試合中に一言伝えてはいるが、聞こえたか分からないし、改めて伝えるべきだろう。あいつがいなかったら月下との試合でもどんなに追い詰められようと左を使おうとはしなかっただろう。
「……ごめん、私、轟に謝っておかなくちゃいけないことがあって」
「謝る?俺に?」
すると、突然海兎から謝罪の言葉が出てくるが、全く身に覚えがない轟は首を傾げる。
「轟からエンデヴァーの話、聞いたでしょ?もちろん酷いと思ったよ。でも少しだけ”羨ましい”って思っちゃったの」
「……」
虐待された過去を聞いて”羨ましい”。普通なら激怒してもおかしくはないのだが、それよりも轟は疑問の方が大きかった。
自分はそこまで月下……というかクラスメイトと積極的に交流をしてこなかった。しかしある程度の人となりは知っている。
だからこそ決して自分の過去を侮辱する様な奴とは思えない。何か理由があるのでは……と。
「轟はさ、三島事件って知ってる?」
「ああ、ニュースでよくやってたからな。確か、7歳の子供の個性が暴走したって……」
「その子供って私のことなんだ」
思いもよらない事実に轟は目を見張る。
「あの変身能力なんだけどね、満月の夜に使うと更に力が増幅するらしいの。でも反動で理性を失って、気付いたら病院のベットの上だった。最初は混乱してたけど、時間が経つにつれて少しずつ暴走してる時の記憶もハッキリしてきてね、思い出しちゃったの、お母さんに言われた言葉を……」
「……なんて言われたんだ?」
この時点で何となく嫌な予感を感じていた轟だったが、それを押し殺して続きを促す。
「あなたなんて私の娘じゃない──」
──この、"バケモノ"って。
最早言葉が出なかった。暴走したことは月下の責任ではないだろう。幼い子供が故に周りの大人がしっかりしてなければいけなかった筈だ。
それなのに実の母親が……。
自分は母親に煮湯を浴びせられたが、すぐに我に返った母親は謝りながら必死に個性で冷やしてくれた。
結局は精神病院に入院することになり、会えなくなってしまったが……。
もし……もしもあの時、母親が自分の心配をしてくれず、更に突き放す様な言動を取っていたら、自分はどうしていただろうか……。
そう考えただけで、それがとても恐ろしく感じた。
「……父親はどうしたんだ?」
「お父さんは……分からない。元々あまり自分から話す人じゃなくて……遊んでくれたこともあったけど、笑ったところは見たことないし、お母さんが言うには不器用なだけって言ってたけど」
あの事件の後、海兎の父親は一度だけ海兎に会いに来たことがあったが、淡々とこれからの海兎の住居や生活の説明をしただけでそれ以上何か話しかけてくる事はなかった。
「……もう二人には8年も顔を合わせてないや」
「……8年」
幼い子供にとってはあまりにも長い年月に轟は絶句するしかなかった。
「だからかな。エンデヴァーが良い親とは言えないのは分かってるけど、それでもそこにどんな意図があったとしても自分のことを見てくれる父親がいることが……少しだけ羨ましかったの」
寂しそうな表情でそう告げる海兎に何と言えばいいのか分からず口籠る轟。
こんな時、教師をやっている姉なら気の利いたことの一つでも言えるのだろうか。口下手な自分が嫌になる。
「……まっ!いつかまた家族一緒になってみせるけどね!」
「……え?」
何か掛けられる言葉はないかと轟が悩んでいると、突然今までの雰囲気から一転、明るい表情で話し始める海兎に思わずポカンとする。
「今はまだ完全にコントロールは出来ないけど、いつかちゃんと制御出来るようになって、立派なヒーローになったら胸を張って言うんだ!私、頑張ったよって!」
笑ってそんなこと言う海兎が轟にはとても信じられなかった。
「……何でだ?」
「ん?」
「バケモノって言われたんだろ?辛い時、そばにいてくれなかったんだろ?お前はそんな両親のことを許せるのか?」
当時、海兎が受けた仕打ちはとても簡単に許せるものではないだろう。それなのに何故、そんな風に笑っていられるのか、もう一度一緒になりたいなどと思えるのか、轟には全く分からなかった。
「……確かに、何で二人は私の側にいてくれないんだろうって何度も思ったよ。怒りもしたかもしれない」
「なら──」
「でもね、やっぱり許すとか許さないとかじゃないんだ。……だって家族だもん」
「ッ!?」
「あっ!でも流石に何もなしはあれだから、一言くらいは言ってやるけどね!」
そんなことを言う海兎からは嘘を言っている様子はない。心の底から本気でそう願っている。
「……お前はすげえな」
「え?何が?」
それだけ悲惨な過去を持っていながらそんな風に考えられる考えられる海兎のことを轟は心底すごいと思った。
自分だったら出来るだろうかと一瞬考えたが、すぐに無理だろうと結論付けた。
あの父親と今更普通の家族の様に過ごす未来なんて考えられない。簡単に飲み込めることではない。
しかし、ヒーローとしての能力が高くなければNo.2の座に座り続けることは出来ないだろう。
(俺はあいつのヒーローとしての面を見ようとはしてこなかった。許す……なんて言うつもりはないが、一度自分の眼で見ることもアリかもな……)
そんなことを轟が考えていると、突然保健室のテレビから大きな歓声が聞こえてきた。
「何だ?」
「ああ、もうすぐ決勝戦だからね。流石に盛り上がってるんじゃない?」
「……決勝?常闇と爆豪の準決勝はもう終わったのか?」
「うん、轟が寝てる間にね。相性が悪かったみたいで爆豪の勝ち」
なるほど。自分は思っていたよりも長い間寝ていたらしい。
それにしても爆豪か。あいつの戦闘センスは侮れねえからな。
月下と爆豪。かなり荒れた試合になりそうだ……ん?
これから始まる決勝に期待しつつも、個人的には自分を負かした月下に頑張ってもらいたいなと呑気に考えていた轟だったが、ここにきてようやく目の前の違和感に気付いた。
目の前の違和感──
「なあ月下、もう試合始まるんじゃねえのか?」
常闇と爆豪の試合がいつ終わったかは知らないが、ある程度の休憩を挟んだとしても、もう控室にいなくてはいけないのではないだろうか?
そんな尤もな疑問をぶつけられた海兎は苦笑しながら答える。
「あー、そういえば言ってなかったね。実はね──」
続く海兎の言葉を聞いた轟は目を見開いて驚きをあらわにした。
選手控室にて爆豪はもも上げをしながら次の決勝に向けて準備を行なっていた。
彼の個性は自らの汗をニトロとして発動する為、どうしてもスロースターターになってしまう。
故にこうして事前に運動をすることで発汗させ、少しでも自らの弱点を補おうとしていた。
全ては完膚なきまでの一位を取るために。
第一種目、第二種目と爆豪は4位。完膚なきまでどころか一位ですらない。
しかも海兎はあの変身能力を第一種目では使わなかった。そのことにすぐさま気づいた爆豪が思ったのは尊敬や畏怖などではなく──
(舐めプしてやがったってことか、あの兎女……!)
怒りだ。騎馬戦の時点で完全に沸点が振り切っていた爆豪だったが負けた事は事実。だからこそ、この決勝の場で示してみせるつもりだった。
(全力を引き出したあいつを倒して、俺が一位になる)
手加減はしないし、油断も慢心もしない。持てる力の全てを使って圧倒する。
──そしてついに待ちに待った時間がやって来る。
『さあ、雄英体育祭もいよいよラストだ!この試合で一年最強が決まる!決勝戦!月下海兎 対 爆豪勝己!!』
観客からの歓声を浴びながらスタジアムに上がる爆豪だが、すぐにおかしなことに気付く。
対戦相手である海兎が姿を見せないのである。
これには観客も困惑の声を上げ、クラスメイトたちも何かあったのではと心配になる。
『はあ!?月下いねぇんだけど!?どう言うこと!?遅刻か!?』
『……あいつ、まさか』
「何やってやがる、あの兎女!」
せっかくの決勝の舞台にいきなり水を差され、爆豪が苛立ちを感じていると副審の筈のセメントスが関係者の出入り口から姿を現し、主審のミッドナイトに、駆け寄って行くのが見えた。
最初は怪訝な顔をしていたミッドナイトだが、セメントスから話を聞いていくうちにその顔に驚きの表情が浮かぶ。
(……何だ?)
爆豪が不審に思っていると、ミッドナイトがスタジアムに上がって来る。しかしその顔は気のせいか、微妙に引き攣っている様に見える。
爆豪を含め、会場の視線が向けられる中、ミッドナイトが口を開いた。
「決勝進出予定の月下さんだけど、準決勝でのダメージが大きかったみたいね。リカバリーガールからドクターストップが掛かったわ。月下さんは決勝戦を棄権!よって、雄英体育祭優勝は爆豪勝己!!」
ミッドナイトの宣言が響き渡り、あれだけ騒がしかった会場がシーンと静まりかえる。
「「「ええぇぇぇぇぇえええええ!!!」」」
一瞬の静寂の後、状況を理解した会場中から絶叫が巻き起こった。
かつてのオリンピックに代わる、年に一度の大舞台。その決勝戦が不戦勝で終わるなど誰が予想しただろうか。
『……ハア、合理性に欠ける』
ため息をつきながらも相澤は海兎の個性届の変身能力についてのある一文を思い出す。
──スタミナを著しく消費するため長時間の使用は出来ない。
(ばあさんならあの程度の怪我を治すのは問題ない筈。おそらく個性発動に必要な月下自身の体力が残っていなかったんだろう。一つ乗り越えたと思ったらすぐに別の問題が出てきた訳か……)
そんな中、爆豪は一人スタジアムで俯きながら肩を震わせていた。
それはあの雄英体育祭で優勝した歓喜による震え──などではない。
彼の目的は完膚なきまでの一位だ。こんな決着で世間が認めるはずがない。何よりも自分自身が認めない。
爆豪が顔を上げるとそのあまりの鬼の形相にミッドナイトですら一歩下がる。
「フザケンナアァァァァァ!!」
爆豪の怒号が会場に響き渡った。
その頃、保健室にて
海兎「へえ!轟、お姉さんとお兄さんいるんだ!いいなぁ」
轟「月下は一人っ子なのか?」
海兎「そうなんだよねぇ。あ、でもお兄さんみたいな人はいるよ!隣の部屋に住んでる人でね、顔がちょっとお父さんに似てるんだ!」
轟「そうなのか?」
海兎「うん!まあ、性格は全然違うけどね」