「沙都子、それじゃあ帰るのです」
私はそう言って沙都子に二人で住んでいる小屋への帰宅を促したのだが、沙都子は申し訳なさそうに言う。
「すみません、梨花。わたくしは詩音さんと一緒ににぃにぃの所に寄ってから帰ろうと思うのですの」
その言葉に衝撃を受ける、という程ではないが、胸を貫いたのは事実だ。それはそうか。悟史は入江診療所の地下で目覚めてからというものの、一年以上に渡る昏睡状態が続いていた事もあり、すぐに退院して日常生活に戻れる体ではない。
しばらくの入院とリハビリが必要になる。それは決して楽しいものではないだろう。それを支えるのは妹の沙都子や詩音の役目だ。沙都子が詩音と共に悟史の所に行くというのなら止める理由はない。
私は笑顔を作って言った。
「みぃ~。それはとてもいい事なのです。悟史も喜ぶのです。行ってあげるといいのです」
「すみませんわね、梨花。今日も面会時間ギリギリまでいるつもりですので、晩ご飯は先に食べておいても良いのですわよ?」
「そんな事はしないのです。沙都子が帰って来るのを待っているのですよ」
笑顔で沙都子を送り出す私であったが、その内心は複雑だった。沙都子にとって悟史が大事なのは当然の事。分かり切っていた事だ。しばらくは彼の元にかかり切りになるだろう。そして、もし悟史が退院したら?
その時の事を考えて私は恐怖感にかられる。
もしかしたら沙都子は私との共同生活をやめて北条の本宅に戻って悟史と二人で暮らし始めるかもしれない。そうなれば私は一人だ。今は羽入もいない。正真正銘の一人になってしまう。その事態に恐怖感を覚える。何故だろう。一人での生活も気楽でいいではないか。そうも思うのだが、それより先に恐怖の感情が出て来る。
ただでさえ羽入がいなくなって孤独を味わっているというのに、さらに追い打ちをかけるように私を一人にするというの……沙都子。
なんて、そんな思いはおくびにも出さず、笑顔をで沙都子を送り出す。葛西が車を用意してくれたのだろう。雛見沢分校の前には一台の黒塗りの車が停まっていた。そこに沙都子は駆けて行く。そして、詩音と共に後部座席に収まるとおそらく入江診療所に向って車が出発する。それを見送りながら、私は寂寥感にかられる。
「貴方も私から離れて行ってしまうの? 沙都子」
思いの丈がつい口からこぼれる。そうして黒塗りの車が過ぎ去った後を眺めていると声をかけられた。
「はぅ~、梨花ちゃん。なんだか寂しそうだね」
レナだ。気立ての良く、察しの良い彼女の事だ。私の悩みの内容は知らずとも私が悩んでいる事は察する事が出来たのだろう。
「みぃ。なんでもないのですよ、レナ」
「そう? そうだといいんだけど……レナはちょっと梨花ちゃんの事が心配かな、かな」
いつもの口癖でそう言うレナだが、これ以上、今踏み込む事は良くないと判断したようだ。自分の帰り道を歩いて行く。普段は圭一や魅音と一緒なのだが、二人が興宮の図書館に勉強に行ってしまっているため今日はレナ一人での帰路だ。
寂しいのは自分一人ではないのだ。そう自分に言い聞かせ、私も自宅、古手神社の境界内にあるボロ小屋を目指す。一応の我が家だとしておきながら、こんな事を言うのも何だが、いつ崩れてもおかしくないボロ屋だ。
その内、取り壊されてしまうかもしれない。そうなれば私はどこで暮らせばいいものか。
「古手の本宅よね……普通に考えたら」
そもそも今、何故、古手家の家を留守にしているのかという話だ。たまに掃除をする事はあるが、あちらの家にはなんだか苦手意識もあり、立ち寄っていない。三年目の祟りで亡くなった両親の事を嫌でも思い出してしまうからだろうか。幼い頃から母親代わりの羽入がいた事もあって、両親にはあまりいい感情は抱いていないが、それでも思う所はある。
「はぁ、私の今後ってどうなるんだろう……」
そんな言葉が口からこぼれる。未知が怖い。これから先の未来。昭和58年の6月の先は完全なる未知なる世界。それを待ち望んでいた自分がいるはずなのに、いざその場面に直面してしまうと未知の未来に対する恐怖を抱いてしまう。……羽入がいないからだろうか。
「羽入、どうしてこの世界に私を独りでおいていったの……」
空を見上げながら、呟く。この未知の世界で私は一人でどうすればいいのか。まるで分からない。沙都子も危惧の通り、家から出て行って悟史と暮らすようになるかもしれない。その可能性は高い。そうなれば、本当に一人だ。
私は私と沙都子が共同生活を送っているボロ小屋に入ると特にする事もなくボーっと過ごしていた。そうしていると玄関のチャイムが鳴った。
沙都子が帰って来たのか、と思ったが、それならチャイムなど鳴らさずに入って来るだろう。来客? 私に?
「はいなのです。誰ですか?」
扉を開くとそこにいたのは圭一だった。思わぬ人物の登場に私は少なからず驚く。圭一? 圭一が何故、こんな所に? 今は魅音と図書館で勉強中ではないのか。
「よ、よう。梨花ちゃん」
圭一も少し気まずいのか、声音にいつもの覇気がない。私が圭一を訝し気に見上げると訊いてもいないのに事情を勝手に説明し始めた。
「いや、魅音の奴。今日は調子悪いのか、色々とダメダメでさ。それで今日はちょっと早いけど切り上げよう、って事になったんだ」
「そうなのですか。それで、どうしてボクの家に?」
「いや……それなんだが……」
さらに訊ねると圭一はますます気まずそうに言葉を濁す。自分の考えにあまり自信を持っていない証拠だと私は100年の旅で磨かれた人間観察で察する事が出来た。
「あの娘……羽入って言ったっけ?」
「……っ!」
圭一の口から飛び出た羽入の名に私は過敏に反応してしまう。圭一もそんな反応は予想外だったのか、ビクリと体を震わせる。
羽入が消えた所を圭一も見ている。というよりあの羽入が消える瞬間は時が止まっていたかの如く私と圭一しか目撃していないようであった。
「羽入がいなくなって、梨花ちゃんが寂しい思いをしているんじゃないかなぁ、って思ってさ……」
「どうしてそう思うのです?」
「い、いや、俺には羽入と梨花ちゃんの関係を想像する事しか出来ないんだけど、相当、親しい仲に見えたからさ。その羽入がいなくなって梨花ちゃんはひょっとしたら寂しい思いをしているんじゃないかと心配になってな」
全く。私は嬉しいやら感心するやら呆れるやらの思いを味わった。普段は女性に対するデリカシーの欠片もない癖になんでこういう時には鋭く感情を察してフォローを入れにやって来てくれるのか。
そういう男だからこそ、私は圭一にいつも期待していた訳であるのだが。
「そうね……羽入がいなくなって、私はとても悲しい」
そんな圭一の前だからか私は猫を被らず素を出して話してしまった。あの戦いの最中も圭一の前では何度も素を出して話していたのだ。今更、圭一は驚きはしないだろうという思いはあった。
案の定、圭一は神妙に頷いただけで驚く事はしなかった。
「みー、とりあえず圭一とお話がしたいのです。狭い家ですが、上がってくれると嬉しいのです」
「ああ。それじゃあ、遠慮なく」
そして、圭一をボロ屋に招き入れる。なんとなく今の悩みを圭一なら解決してくれる気がした。あの戦いの日々で大きな力になってくれたように。
あの100年の牢獄の中で圭一に抱いていた期待の感情を再び呼び起こし、私は圭一を招き入れる。魅音にちょっと悪い事をしているかもしれないかな、という気はしたが、このたまった思いを打ち明ける相手は圭一以外には考えられなかった。