「どうぞ、狭くて汚い家なのですが……」
「いや、狭い事は確かに狭いけど汚くはないと思うぜ。梨花ちゃんと沙都子がしっかり掃除をしているんだな」
「み、みぃ……急に褒めないで欲しいのです」
「そ、それは悪かった」
圭一の些細な一言に胸がドキリとする。圭一はバツが悪そうに頭を掻く。ああ、そんなに気にする必要はないのに。どうやら自分が女心が分からないという事は自覚しているようであった。
「それではお茶を淹れるのです。圭一は座布団にでも座って待っていて欲しいのです」
「おお、悪いな。俺はお茶すら満足に淹れられないからなぁ」
「それは改めた方がいいと思うのです」
家事全般を圭一が苦手としている事は知っていたが、お茶すら満足に淹れられないというのは問題だろう。そう思いつつも私は慣れた手つきでお茶を二人分淹れる。まだ暑い時期であったが、落ち着いて話がしたいという私の思いを繁栄して、暖かいお茶を二杯淹れた。圭一には迷惑かもしれないけど。
「熱いお茶ですが、いいですか?」
「ああ、大歓迎だな。魅音と勉強してきて頭を使ったからあったかいものでも飲んで頭を活性化させないとな」
魅音と勉強した。その言葉に胸がチクリと痛むのを私は感じながらも圭一の前にお茶を差し出す。とりあえずこのクソ暑い中である。この家に冷房なんて大層なものはないので窓を全開に開けて、扇風機を全力で回し、少しでも涼しくなるようにする。
「それで、梨花ちゃん。あの娘……羽入の事なんだけど……」
どう切り出そうかと私が迷っていると圭一の方から口を開いた。そちらの方が私としても話しやすい。私は頷いた。
「羽入はボクが幼い頃から傍にいてくれた存在なのです。実の両親以上に親愛を感じていますし、親代わりにボクを育ててくれたと言ってもいいのです」
「そうなのか……」
ここに来て、圭一は茶碗を手に取り、お茶をすする。「あち」と呟きながらも圭一は私の話の続きを促しているようだった。
「ボクが経験した100年の牢獄。その中でも羽入はずっと側にいてくれました。時にはその存在が鬱陶しいと思った事もありますが、今になってみれば羽入には凄く助けられていたんだと思い知らされている所なのです」
「失って初めて分かるものもあるって事か」
「みぃ。そういうものなのです」
私の言っている事は素っ頓狂な事だと自覚はあるが、圭一は決して馬鹿にしたり、茶化したりせず、真剣に話を聞いてくれた。つい私の中に秘められた羽入への思いがこぼれ出てしまい、それは止め所もなく溢れ出る。そうして気が付くと何かが私の頬に触れた。それが圭一の指先だと気付くのに時間がかかった。
「み、みぃ……?」
「い、いや、悪い。梨花ちゃん。泣いていたからさ」
「泣いていた……? ボクがですか」
その時、初めて私は涙を流していて、圭一の指がそれをぬぐってくれたのだと言う事に気付いた。そうか。私は羽入の話をするだけで涙を流してしまう程度には羽入に思い入れがあったのか。それも当然か、と思う。
この世界に来て、最初に羽入がいないと知った時の孤独感。それを思えば彼女の重要性など語るまでもなく明白な事であった。
「そんな長年の親友を梨花ちゃんは亡くしちゃったんだな……」
「親友、なのでしょうか」
「親友としか言いようがないだろう。そんな大事な存在」
そうか。私にとって羽入は友か。親友か。言われて初めてその事を自覚する。
「そうね、羽入は親友だったわ。でもそれだけじゃない。私と、運命共同体だった……」
思わず素の口調が出てしまったが圭一はそれに驚く事なく、神妙な面持ちで私の言葉を聞いてくれた。そして、その末に言う。
「それじゃあ、やっぱり寂しいだろ?」
寂しい? それはそうだ。羽入がいなくなってしまって私は昭和58年の6月を超えたという達成感すら塗りつぶされそうな勢いで孤独感に押し潰されようとしている。その思いを吐露する。
「寂しいに決まっているじゃない……! 羽入がいないのよ? 圭一。羽入はどうしたら帰って来るの? どうしたら私と一緒に昭和58年の6月の先の未来を迎えられるの?」
私の言葉は八つ当たりに等しい。それは自覚している。でも、止まらなかった。こんな事、圭一に言っても困るだけだろう。それなのに私は。自分の弱さが嫌になる。
「いなくなった人は帰って来ない」
圭一はそう断言する。私の顔を真正面に見つめて。それは大人が子供に死者は帰って来ないと諭しているのなどとは違う、もっと真摯な響きが籠っていた。
「いなくなった人はもう思い出の中にしかいないんだ。だから、梨花ちゃんの胸の中に空いてしまったであろう穴は羽入が帰って来る以外の方法で塞がないといけない」
「この空虚な胸の大穴を塞ぐ? そんな事、出来ないわ」
「出来るさ」
やけに自信を持った口調で圭一は言い切る。
「それに俺も最大限、協力する。あの時言ったろ? 梨花ちゃんの力になりたいんだ。俺で良ければいくらでも梨花ちゃんの助けになる」
「圭一……」
圭一の言葉が胸に染み込む。羽入がいなくなってぽっかり穴の開いた胸に。このぽっかり空いた大穴。それを塞いでくれるというのか? 圭一が? そこまで考えて私は思い出したように呟く。
「貴方には無理よ。貴方は魅音の婚約者なのでしょう?」
その言葉を聞き、圭一はポカンとした顔をした。そして少しの沈黙の末に言う。
「い、いや、魅音には勉強を教えてやっているけど、そういう関係じゃ……」
「この神社で盛大な宴を開いたのです。もう村の老人たちの間では圭一と魅ぃはそういう事になっているのですよ」
「そ、そうなのか……? そ、それはまた性急だなぁ……」
困惑した様子で圭一は返す。その顔は心底、困り切っていた。そこにさらに訊ねるのはズルいと思いつつも私は問いを発する。
「……圭一は魅ぃの事が好きなのですか?」
「…………」
私の問い掛けに圭一はたっぷり悩んだ。気が付けば熱かったお茶もすっかり冷めてしまっている。そこまで熱中して圭一と話し込んでいた事に驚きを覚える。沈黙の末に圭一は口を開いた。
「……嫌いじゃない。友人としては好きだ。あいつ以上の親友はいない。でも、婚約者とか、恋愛的な意味で好きって言うのはちょっと違うと思う」
「みぃ……」
思いの丈を絞り出したと言った様子の圭一の声であった。圭一が魅音の事を嫌いなはずはない。いや、魅音だけではない。レナも沙都子も詩音も圭一は好きだろう。問題はそれがライクか、ラブか、という話であるのだが。
「……では、僕は……?」
そして、私も思いの丈を必死に絞り出す。圭一は私の事をどう思っているのだろう。あの戦いでは二人で惨劇と戦い勝利した。その時の気持ちは一体なんだったのか。
「梨花ちゃんの事も勿論、好きだ。だけど、やっぱりそれってまだ恋愛的なものじゃないんだ」
圭一の答えに安心したような、ガッカリしたような。結局、私もまた他の部活メンバーと同等の存在という事か。この朴念仁に色気のある答えなど元々、期待はしていなかったが。今ではそれを何故だが寂しいと感じてしまう自分がいる。
「みぃ、それでは困るのです。そんな事では羽入を失ったボクの心の穴は埋められないのです」
「そ、そうなのか……? け、けど、そう言われてもな……」
困った顔になる圭一。これは私が意地悪だっただろう。それを自覚しているからこそ、お詫びの言葉を述べようとして、外に足音を聞いた。
「梨花~、ただいま帰りましたわよ~」
「はろろ~ん、梨花ちゃま。私もお邪魔させてもらいますよ」
沙都子が詩音を連れて家に帰って来た所であった。
まずい。真っ先にそう思い、すぐに何がまずいのか、と思い直す私であった。