夏休みも終了間近である。
そうなると全国の学生にとってはお約束の出来事であるが、とある恒例行事が待っている。
「……宿題なんて、全然やってなかったわね……」
思わず素の口調でひとりごちてしまう。
そう夏休みの宿題。学校に行く必要もなく一日中遊んでいられる楽しさが詰まったような夏休みに存在する一点の懸念要素。宿題だ。これをさぼって夏休みを過ごし、8月が終わる直前になって慌てて終わらせるというのは全国の学生の恒例行事であると思うが、私もその例外ではないという事だ。
私の場合は特に酷いかもしれない。だって、夏休みなんてかなり久しぶりの経験だ。世界を何度も繰り返して来た私だけど最後のあたりは羽入の力が弱くなっていた事もあり、昭和58年の6月の始め頃までしか時を遡れなかった。だから、夏休みを経験するという事自体、かなり久しぶりの事なのだ。
油断していた。まさか夏休みの宿題をほとんど手つかずのまま8月末まで残しておいてしまうなんて。嫌な事は後回し、二の次、にしてしまう傾向は人間なら誰でも大なり小なりあるとは思うが、明日やろうは馬鹿やろうだ。
「梨花~。そんなうんざりした顔をしないでくださいませ。わたくしまで気が滅入ってしまいますわ」
「そう言う沙都子だって、宿題はほとんど手つかずなのです」
「わ、わたくしはこの夏休みは色々と忙しかったのです事よ! にぃにぃも目を覚ましてそのお見舞いにも行かないといけませんでしたし……」
私と顔を付き合わせて机の上の算数の問題集相手に格闘している沙都子の言う事は言い訳にしか思えないが、全くの嘘でもない。
目覚めた悟史は今も入江診療所に入院してリハビリを続けている。そんな悟史にとってお見舞いに来てくれる沙都子や詩音の存在は心強い事だろう。
とはいえ、それでも全く宿題をする時間が作れないという事はないはずで。部活メンバーでみんなで集まって遊んだりもしていたので沙都子の怠慢に違いはないのであるが。
「みぃ。何を言っても、この目の前の宿題は終わらないのです。口を動かす暇があったら手を動かした方が賢明なのです」
「それもそうですわね……算数は苦手ですわ……」
沙都子は算数の問題集に苦戦しているようだが、私はこの分には強い。なにせ、夏休みの宿題という事は一学期で習った事しか出ない。昭和58年の一学期は嫌になる程、私は繰り返して来たのだ。算数だろうと国語だろうと、この年の一学期で習う所に関しては誰よりもよく理解しているという自負がある。理科だって余裕だ。梨花だけに。……いや、何でもない。
沙都子は問題集の所々で詰まる。応用問題が苦手な傾向があるようだ。将来受験とかになったら苦労するのではないかという老婆心の心配をしつつもまぁ、そこまでレベルの高い学校を目指さなければ問題ないだろうと思いつつアドバイスをしてあげる。それでも沙都子は今にも音を上げそうな感じだ。
「あー、勉強は嫌ですの!」
ついにそんな事を言い出してしまう。そこにチャイムの音が鳴った。
「こんな時にどなたですの?」
「ボクが出るのですよ」
玄関まで行くと来訪者は圭一、レナ、魅音の三人であった。意外、と言う程でもないが、少し驚く。
「よっ、梨花ちゃん」
「こんにちは、梨花ちゃん」
「やっほ~」
三人の挨拶に私も挨拶を返す。
「こんにちはなのです。三人共。にぱー」
「圭一さんたちが来たんですの? こんにちは、皆様。ですが、どのようなご用件で?」
私の後ろから沙都子がやって来て圭一たちに問い掛ける。圭一たちは誰が言い出そうか迷っていたようだが、代表してレナが口を開いた。
「あはは、こんな事言うと失礼かもしれないけど。ひょっとして沙都子ちゃんも梨花ちゃんも今、頑張って宿題を終わらせようとしているんじゃないかな、かな?」
それはまさに図星と言う他なかった。ギクリ、と顔に出た沙都子をよそに私はいつもの笑みを浮かべたまま頷く。
「レナには敵わないのです。まさに、なのですよ」
「やっぱりそっか。あのねレナたちもなんだ」
「レナも、ですか?」
少し意外だった。真面目なレナは夏休みの宿題など計画的にやっていると思っていたが。勉強は出来るがガサツな所のある圭一や夏休みというと暇さえあればずっと遊んでいそうな魅音はともかく。
「ううん、レナや圭一くんはもう終わらせたんだけどね。魅ぃちゃんがね……」
「いやぁ~、おじさん、面目丸つぶれだね~」
困ったようにレナが言い、魅音が本気で恥ずかしがっているように苦笑する。
「魅ぃは受験勉強をしているのではないのですか? それなのに夏休みの宿題は手つかずなのですか?」
「まぁ、ちょっと受験勉強の方に熱を入れすぎてね。夏休みの宿題の方はさっぱりなんだ」
そういう事か。確かに人生の今後を決める高校入試への受験勉強の方が、言ってはなんだが、こんなド田舎の分校の宿題よりは優先すべき事だろう。それで夏休みの宿題がおろそかになってしまったのか。
私がそう考えていると圭一が言葉を引き継ぐ。
「……で、俺とレナも協力して魅音の宿題を手伝ってやろうと思ったんだけど、どうせならみんな一緒がいいかな、って思って」
「それでわたくしたちの所に来たのですの? わたくしたちがそんな風に思われているというのは心外ですわ」
「でも、全然やってないんだろ、沙都子」
圭一が意地悪く笑い、沙都子は何も言い返せずムッとした顔になる。沙都子にしたら圭一に下に見られるのは屈辱だろう。私でも宿題をやっていない事が圭一に知られるのは少し恥ずかしいものがある。
「悲しい事にその通りなのですよ。圭一。沙都子はお勉強が出来ない頭がパー子さんなのです」
「梨花ぁ~! 何を好き勝手言っておりますの! 梨花だって全然やってないのです事よ!」
「ははは。まぁ、俺やレナが手伝ってやるから安心しろ。スパッと終わらせて二学期を迎えようぜ」
私と沙都子のやり取りに圭一は笑うと頼もしい事を言ってくれる。中学生、それもかつては進学校に通っていた圭一の助けがあるのなら、夏休みの宿題くらいすぐに終わらせてしまえる気がする。
「それは頼もしいのです圭一」
「ああ、任せな」
「あはは、レナもいるんだけどね」
「もっ、勿論、レナの助けも頼もしく思っているのですよ」
苦笑したレナに指摘されて慌てて言い直す。とりあえず宿題を手伝ってもらうとして、一応、来客なんだから麦茶くらいは出さないといけないわね。
沙都子は先に戻り、圭一たちを中に通し、私は全員分の麦茶を用意してから行く。
「お、気が利くな、梨花ちゃん。沙都子とは大違いだ」
「何を言いますの、圭一さん! わたくしがまるで気が利かないように……」
「梨花ちゃんと比べればそうなるな」
「むきー!」
いつものように圭一と沙都子は言い合いを始めてしまう。深い意味はないのだろうが、圭一に褒められたのは嬉しかった。
無警戒に圭一が沙都子とじゃれ合っているのを見てあんな風に、私も圭一と接する事が出来ればいいと思ってしまうが、そういうのは私のキャラじゃない。100年も維持してきた関係を今になって変える事は簡単ではない。
(つまり圭一に私への好意を抱かせる事もそれだけ難しいって事ね)
そう思い、普通なら落ち込むのかもしれないが、私はむしろ、望む所だと滾る心を感じていた。無理難題は乗り越える。不可能なんてものはない。どんな運命を打ち破る。それを私に教えてくれたのは他らなぬ圭一なのだ。
願いは叶うと信じているだけでは願いが叶う確率は低いだろうけど、叶えるための努力を怠らず、常に前進し続ける事を意識すれば、きっと運命だって変えていけるはずだ。
そこまで考えてあの昭和58年の6月も、繰り返し続けた100年間も全くの無意味ではなかったのだな、と思える自分に驚いていた。
以前まではこれまでの繰り返す世界なんて嫌に思う事はあっても肯定する事など有り得なかったというのに。
(私も成長したって事かしら? まぁ、今はとりあえず目の前の宿題ね)
大きな事を言っていても千里の道も一歩より。今は目の前の夏休みの宿題を終わらせる事が大事だろう。
圭一たちの、仲間の助けがあればそれも難しい事ではないはずだ。