ひぐらしのなく頃に圭梨   作:山屋

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第66話:少し時間が経って……平成の話

 

 また戻るなんて考えてもいなかった。

 あの地獄の雛見沢に。

 惨劇は脱したはず。ゴールに到達したはず。

 その私の確信を裏切る凄惨なる展開。悲劇。喜劇。絶望に繋がる流れ。

 何をどうやっても、惨劇は回避出来ず、私は殺される。

 みんなも殺される。殺し合う。圭一も変になった。レナも。魅音も。沙都子も。詩音も。

 みんなへんてこりんになって殺し合って、その末に私も死んで。

 意識が戻って、戻る前の記憶が曖昧になっているもやがかかった寝起き直後の思考の中で死ぬ思いで何があったのかを浮かべようとして。

 その直前、ハッとする。

 ハッとして確認するのだ、私は。

 

 ……ねぇ、羽入。

 今日は昭和何年の何月何日……?

 

 梨花、今日は。

 昭和58年の×月×日なのです……。

 

 なにそれ。

 やめてよ。また戻ってるじゃない。

 もう戻らないって確信したのに。

 ようやくこの悲劇の連鎖を断ち切ったのに。抜けだしたのに。

 

 やめてくれ。

 

 私は後、何回これを繰り返せばこの地獄を脱することが出来るの……?

 

 

 目が覚めた。

 寝汗をぐっしょり掻いていてパジャマの下の肌着がびっしょりと濡れている。

 い、今のは何だ……、なんなのよ、と古手梨花は自問する。

 訳が分からない。雛見沢に帰った? 何を言っている。そんなことがあるワケがない。あるはずがない。

 何故なら。

 

「いつも通り、よね」

 

 口に出して確認してみる。寝汗をびっしょり掻いた胸。そこはたしかにふくらみがあり、あの惨劇の雛見沢、昭和58年の自分にはなかったものがしっかりとある。

 上シャツを着ていればそれだけで何も必要がなかった平坦な胸とは違う。しっかりとしたふくらみのある胸を覆うために肌着――ようするにブラジャーがあり、私の胸の荒い呼吸に合わせて激しく振動している。

 枕元には目覚まし時計があり、けたたましく鳴り響く既定の時間を迎えずに私が目を覚ましたことを教えてくれる。

 最悪の気分で布団から抜け出し、電気を付ける。

 私の部屋だ。東京にあるアパートの一室。ОL古手梨花の自室だ。

 壁に掛けられた会社の制服。狭い部屋に無理くりに押し込んだ本棚と良く読む本たち。それらの物語にひたるために腰掛ける安物だけど色合いは悪くないソファ。コタツがついた四角テーブルの白い長方形。そこから視線を向けて自然に入る位置に置かれたブラウン管テレビの無骨な外観。壁際の棚にはお洒落しようとアクセサリーショップで適当に見繕った造花複数。

 昨夜、飲んだまま片付けていない安物の葡萄ワインの空ボトル。

 どこからどうみても平成10年古手梨花25歳の私室である。

 昭和58年の古手梨花が見る景色とは一切合切、一致しない。

 つまり今のは。

 

「……夢ね」

 

 最悪の夢だった。

 私がまたあの雛見沢に、昭和58年の雛見沢に戻るなど最悪にも程がある。

 しかし、それは夢だ。

 夢は夢で、私は、今ここにいる。

 東京の住むしがないОL古手梨花。

 それが私だ。

 

 あの惨劇の昭和58年が終わってから既に10年以上の月日が流れている。

 私はあの人と一緒に雛見沢を出た。

 最終学歴は高卒。高卒が就職に苦労する今のご時世だけど、私の就職活動の時はギリギリ、高卒でもそこまで不利にならない時期だった。

 それなりにいい仕事にありつけて、それなりの暮らしを楽しむことが出来ている。今の時代の高卒の人にすれば納得出来ない話よね。学歴が重視されるようになる直前の滑り込み入社が出来たのだ、私は。

 

「さて、どうしようかしら」

 

 枕元に置いておいた携帯電話を手に取る。あの頃、昭和58年の頃には夢物語だったこんな小さい電話。それが当たり前のように手の中に納まっている。パカリと開き、慣れた手順でボタンを押す。軽快なプッシュ音の後、プルルル、とコール音。

 出るかしらね、あいつは。あの人は。まだ少し早い時間だけど、たまには風変わりなモーニングコールもいいでしょう。

 コールすること8回。コール音が途切れる。繋がった気配を察し、心持ち弾む気持ちを抑えられない。

 さあ、あの人はなんて言うかしら。寝覚め起き一発目。寝ぼけ眼をこすってなんて言うかしらね。

 ふふ。

 そうよ、愛おしいのよ、わたしはあの人が。

 あの人の全てが愛おしいの。

 だから、朝一で電話してやるんだ。壁時計を見る。朝の四時十五分か。

 早すぎる。

 常識知らずだ。だけど、まぁ、いいじゃない。

 私と彼の仲よ。

 

『はい。もしもし……』

 

 携帯電話の受話口から耳に流れて来た声は露骨に不機嫌そうであった。地の底から響いて来るような錯覚を抱く。さしもの彼も朝の四時にいきなり叩き起こされては不機嫌な声くらいもらすか。

 

「おはよう、圭一。いい朝ね」

 

 嘘だ。窓の外の景色はまだまだ夜の帳が降りっぱなし、帳が上がる寸前の黒と青の中間。黒寄りの色をした東京の街並みを私の視界に映してくれている。

 この早すぎるモーニングコールに不承不承、彼は――前原圭一は頷きを返してくれた。

 

『……梨花ちゃん。おはようも何もないだろ、今何時だと……』

「ふふ。四時ね。ごめんなさいね。目が覚めちゃって」

『覚めちゃっても何もないだろ、全く……』

 

 ぼやきたいのを堪えて付き合ってくれているのが分かる。これだから圭一は好きだ。根っからの善良気質が電話の電波濃しに伝わって来るから。

 

「ふふ、圭一。それよりね、話を進めたいの」

『四時に叩き起こされたこと、俺はそれよりで流す気はないぞ。四時だぞ、全く。昨日、俺が何時に寝たと思って……』

「12時ごろね。それまで私たち話していたもの」

 

 昨日も長電話してしまった。電話料金もタダではないのだからやめればいいのだろうけれど、私は圭一と話していたいのだ。

 携帯電話で話したわよ。普通の電話機の方が圧倒的に安いのだけど、横になって話たいしね、ふふ。

 ま、圭一と話して幸せいっぱいの後にあんなひどい夢を見てしまったから余計に動揺しているのはある、と自覚する。

 

『寝付けなかったんだよ。目が冴えてな。寝たのは1時半ごろだ』

「ふふ、私と話すのがそんなに嬉しいんだ」

『そうに決まってるだろ』

 

 軽いジャブを放つと、同じように軽いジャブを打ち返された。

 圭一の癖に生意気な。昔の圭一ならこういうことを言えばすぐに動揺していたというのに。最近、可愛げがなくなってきたわね、私の旦那。

 旦那、と比喩でここでは述べたことであるが……。

 

「それより結婚の話よ。話を進めたいと言ったでしょう」

『あ、ああ……アレな。おう……』

 

 今度は渾身のストレートかしらね。深く入った実感があるわ。

 いじらしくて可愛いじゃない。やっぱり。

 前原圭一。私の彼氏様。旦那様。今は冗談で言ってる旦那様だけど、それが本当になる日が、名実ともに圭一が私の旦那になる日が近付いているのだ。

 

「まず私の衣装ね」

 

 巫戯けて電話したとはいえ、ここからは大真面目だ。結婚式という人生の一大事のイベントに備えて、纏めるところは徹底的に纏めなければならない。

 そう。平成10年の今。

 私、古手梨花は雛見沢を出ている。

 前原圭一と一緒に東京で暮らしている。

 でも、同じ家や部屋に住んでいるワケではない。お互いに一人暮らし。

 圭一は鹿骨市の高校を出た後、地元の大学を卒業し、上京を決意した。

 鹿骨市や雛見沢でも就職はあるにはあったが、魅力的な就職先はなかったのだ。

 前原圭一は優秀な人間である。高校・大学をかなりの成績を収めて卒業している。

 雛見沢なんてド田舎で才能を腐らせるのは勿体ない。周りはそう思ったし、本人もそう考えていた。

 だから、圭一が上京をするのなんて自然にも程があることだった。

 その機に便乗して私も一緒に着いて行ったのだ。大学卒業する彼と高校卒業する私。

 ふたりそろって雛見沢を出て、東京に行くことにしたのだ。

 古手家の頭首であり、古手神社の巫女の私が雛見沢を出ることに関してはちょっとした騒ぎになった。

 さすがに絶対に出ていくのはダメという人はいなかったけれど、結構、骨が折れたのよ。みんなを説得するのに。

 園崎家で既に権勢を振るっていた魅音と詩音が味方してくれたのが大きかったわね。

 その頃には圭一と私、古手梨花の仲も、雛見沢では誰もが認めるところになっていたし。

 そうよ。

 私が高校生、圭一が大学生の時。

 私たち交際することにしたの。

 驚いたかしら。ハッキリと言ったのは初めてね。

 私は圭一のことが好き。当たり前だけれどもね。

 圭一は鈍いから私の思いを分かってくれるのかが不安だったわ。単なる仲のいいお友達。仲間の一人だったらどうしようかってね。

 レナや魅音、沙都子や詩音に相談したわよ、そりゃ。恥ずかしいけどね。

 高校の時にレナから今、告白する時だよ、梨花ちゃん、って言われて決断したの。

 大学生の彼は私の告白に驚いた顔を返したわ。返しやがったのよ、あいつ。

 唐変木め。どれだけ鈍いのか。

 こんなこと言うのもなんだけど、私もかなりアタックしていたのよ。好意を隠すことなく圭一に示していたわ。そりゃ、時には遠慮したり、恥ずかしくなって引き下がることはあったけど。

 それだけされて雛見沢分校からの長い付き合い、あの惨劇を一緒に乗り越えた仲なのにこっちの想いに気付かないなんて筋金入りの鈍感ね。

 懸命の告白の結果は果たしてオーケー。

 彼は快くではないけれど、不思議そうにしながら私の告白を受け入れてくれたわ。それから付き合うことにしたわけ。

 鹿骨市はド田舎の地方都市だけど遊べないところはないワケじゃないの。ゲームセンターなんて治安が悪すぎて行かないけど、喫茶店とか図書館でデートしたわ。

 デートよ、デート。圭一は一緒に遊びに行く、と評するのが限界だったみたい。あのニブチンに可愛い彼女と一緒にデートに行くなんて語録は脳髄のどこにも、存在していなかったってオチよ。

 だからあえてこっちからデートと言ってやったわ。強調してあげたわ。私たちが今行っているアクティブアクションを指し示す明確な名詞をね。

 さすがに彼も慣れてきたみたい。ただ、梨花ちゃん、次の週末、デートに行こうぜ、なんて気の利いた言葉が聞けたことはついぞなかったと付け加えておくわ。慣れてきただけで自分から口に出せる神経はなかったみたい。

 ちょっとずつ絆を深めれた自覚はあるわ。絆は最初からあったのは当然だけど、男女付き合いはやっぱり別ね。彼氏彼女の仲ってそれ以前とは全然違うもの。なんというか、お互いがお互いを特別だと認識してずっとそれを胸の中に置いておくって独特の感情とか感慨とか言えるものがあるの。うわぁ、私ってあの人にとって特別なんだぁ、って想いよ。それがあるのとないのでは大きな違い。私と彼が彼氏彼女になる前、曖昧な立ち位置でいる時といなくなった後では大違いってことね。

 彼とハッキリした男女の仲になってからというものの私はそれ以前より遥かに幸せになった自覚がある。

 だからこそ、高校卒業を期に彼に着いて行こうと決めた。長年過ごした楽しくもあり、悲しくもあった、因果と因縁の土地・雛見沢を離れる決心がついたの。

 私だって人間だもの。どれだけ惨劇ばかり起きた呪われた土地だって分かっていても故郷は大事よ。

 それでも私は行く。そうと決めた。

 圭一に着いて行く。圭一が雛見沢を出て東京で就職するのなら彼と一緒に行く。

 圭一は東京で結構早くに職にありつけたわ。こういうところはコネが大きいわね。圭一のお父様は大作家だもの。東京の人にコネがったの。

 かくいう私もこの部屋――良質物件を見つけるのに圭一のお父様の力を借りたわ。圭一も父親の力を借りていい物件を見つけていい職場にありつけたみたい。

 こういうところでコネを使わないのは馬鹿のすることよ。使えるものは使った方がいいに決まってるじゃない。得出来る権利があるのにそれを拒んで他のみんなと平等な条件で戦いたい。就職戦争を勝ち抜きたい、住む物件を探したい、なんてただの偽善よ。

 人間なんだもの。使える特権は全て使って得をした方がいいに決まってるわ。

 前原圭一には父・前原伊知郎のコネがある。だから、それを最大限に使った。それだけのことよ。そして、私はその前原圭一の恋人っていうコネね。

 住む家と就職先をコネで上手いこと見つけて、そこそこの企業に就職した私と結構いい企業に就職した圭一は雛見沢を出たの。ずっとやるやる言っておいたけど、実際に引っ越し会社さんに行って(某アリさんマークを使ったわ。なかなかサービス良かったわよ)手続きをして、荷造りをして喜一郎の車で送ってもらって東京に出る時はドキドキしちゃったわね。いい思い出も悪い思い出も沢山ある雛見沢とはしばらくお別れだと思うと、やっぱりね。

 また何かのなく頃に戻ることもあるかもしれないわね。一応、夏休みと冬休みには戻るつもりよ。

 東京ですぐに上手くいったワケでもなく、悪戦苦闘はあったのだけど、なんとか乗り切って今に至るというワケね。

 閑話休題。

 時間を今に戻すわね。

 

「圭一、私はやっぱり白無垢なんて嫌よ。古臭いじゃない。ウェディングドレスを着て結婚式を挙げたいわ」

 

 まず前提条件の否定から入らせてもらう。私と彼の結婚。その私にとってあの惨劇の脱出を記念したバーベキュー以上になるかもしれない式典で彼が要求したことの否定だ。

 彼の意を拒むのは心苦しいが、いやなものはいやなので仕方がない。

 ちなみに彼との結婚の約束を取り付けたプロポーズのエピソードを語ればそれこそどれだけあっても足りないので省いた。どっちから告白したかはご想像にお任せしておくわね。意外だったとだけ。あら、答え言っちゃったかしら。

 

『何言ってんだ、梨花ちゃん。白無垢だろ、白無垢。日本人なんだろ。ヤマト魂見せようぜ。ウェディングドレスなんて軟派だ』

「ヤマト魂は関係ないでしょ。日本人でも今時普通はドレスよ。白無垢とか昭和じゃないんだから」

 

 昭和じゃないんだから。

 これは私の口癖になっている言葉だ。なにかにつけて昭和ではないと言う癖があるとは自覚している。そこまで私は昭和との因果を断ち切りたいのだろう。昭和58年。あの年の枕詞みたいになっていた単語が私は大っ嫌いなのだ。

 その反動か新しいもの好きの一面があるのも認める。携帯電話だって私は速攻で飛びついたのだ。それこそ一番最初の大きすぎるヤツから目を付けていたわよ。新しいって素敵ね。

 

『頼むって。梨花ちゃん。白無垢の梨花ちゃんの姿を見てみたいんだ。公由村長だって白無垢の方がいいって言ってるし』

「こういうところで味方の名前を持ち出すこずるさがあるのね今の圭一は」

『あっはっは、昔からあったと思うぜ。魅音たち……当然、梨花ちゃんもだ。怒るなって。ま、部活メンバーに鍛えられたからな』

 

 私たち部活メンバーを語る上で真っ先に魅音の名前を出した婚約者に私は意識せず怒気を向けてしまったようだ。電話機越しでも勘良く察した圭一がすぐにごまかす。圭一にとって部活メンバーの代表はやはり部長の魅音なのだろう。気に入らないわね。女の子は大事な人の一番になりたがるものなのよ。何であれ。

 しかし、困った。

 私と彼が結婚式について打ち合わせをするとここで話がストップしてしまうのだ。

 ウェディングドレス派の私と白無垢派の圭一だ。

 結婚式といえばそのどちらかで古手神社の巫女なんて和風全開の身分なら迷わず白無垢とみんな思うだろう。実際、圭一も当たり前のように白無垢だよな、と切り出したものだ。最初は。

 私がここまでウェディングドレスにこだわるとは想定外に違いない。電話口の向こうの彼からは困った戸惑いの感情が伝わって来る。

 でも、嫌なのだ。

 古臭い風習に縛られて生きる。

 それが、私、古手梨花が今もっとも嫌いなことだ。

 

「圭一……」

 

 少し真面目な声を出す。

 どうやらこれはハッキリ話さないと分かってくれなさそうだ。

 

『……どうした』

 

 あの夏の彼のような声が帰って来る。あの惨劇を二人で戦い突破した最後の昭和58年の時のような頼りになる私にとっての大英雄の声だ。

 

「怖い夢を見たの」

『怖い夢か。どんな?』

「……あの雛見沢に逆戻りする夢よ。惨劇の中に」

 

 電話機の向こうの彼が押し黙ったのが分かる。惨劇を突破した後、彼とは少なくない回数、惨劇の雛見沢であった出来事を話している。私ひとりの中に閉じ込めておくには限界だった記憶を彼に共有してもらっているのだ。それだけで私が彼に惚れるには十分すぎる理由だ。

 さすがに彼の痴態。前原圭一が狂乱に陥って惨劇を引き起こした話はあまりしていない。だが、彼は全てを受け入れるために話してくれと望んだこともあった。そいういうところも尊敬できるというものだ。私なら自分の狂気の行いなんて絶対、見たくない。聞きたくもない。

 

『夢は夢さ。現実には起こるはずがない』

 

 ちょっと間を置いて彼の明るい声が返って来る。努めて明るくしてくれているのだと分かった。そういうのは大事だ。ムードメーカーなのも彼の大きな長所だ。

 

「分かっているわよ。でも、怖いの」

 

 その明るさに助けられて少しは気が楽になった実感があるものの、思い出し震えしてしまう。あの夢は最悪だった。私がまた昭和58年の雛見沢に戻るなんて冗談じゃない。

 夢は夢と笑い飛ばされるのは当然だが、こちらの声音が弱くなるのも当然だ。

 

『梨花ちゃん』

 

 圭一が私の名を呼ぶ。繰り返される昭和58年の惨劇で何度呼ばれたのかも分からない響きで。

 最初は圭一のことが好きではなかった。一回目とか二回目の大昔のことだ。いきなり都会からやって来た転校生。なんかチャラチャラしているし、子供は基本的に年上が恐いのだ。

 私も一回目や二回目の昭和58年は今のような大人ではない。圭一相手に恐くなってしまってロクに会話が出来なかった記憶がおぼろげながら、ある。

 それが今では圭一の声に甘えているとは。いやはや、人生何がどうなるか分かったものではないわね。

 依存にまではいってないはずだ、多分、きっと、絶対。

 

『大丈夫だ。もう梨花ちゃんは惨劇に囚われることはない。何故なら俺がそばにいるからだ』

 

 やさしくもあり、力強くもある声で圭一は断言する。

 大した自信家だ。

 私がどれだけあの惨劇の日々に怯えていると思っているのだ。それを気安く大丈夫などと。

 実際、そう言われるだけで安堵の撫で手が胸をやさしくなぞりおろしているのだからたまったものではない。

 こんな安い言葉で心の底から安心できるなんて、安い女ね、私は。

 それも少し違う? じゃあ、何なのよ。

 

「だから白無垢は嫌なのよ」

『へ?』

 

 いきなりの話題の転換だと思ったのだろう。先ほどの涼やかで凛々しい声とは真逆の間の抜けた声が返って来た。

 しかし、これは何も私の気が変わって話題を戻したワケではない。

 

「私は過去の風習に囚われたくない。白無垢なんて日本古来からの文化じゃない。そういうのは嫌なのよ。ゲン担ぎなのは分かってる。でもね、圭一。私はウェディングドレスで未来に飛び立ちたいの。白無垢で過去を背負って進みたくないの」

 

 これでも詩人のはしくれだ。これくらいは言える。フレデリカ・ベルンカステルとか名乗っていた過去の痛々しい記憶が蘇り、苦みの笑いを一つ。

 言い切っておいて自分で驚いてしまった。そうか。だから私は白無垢が嫌なんだ。古の風習に囚われることを示唆する結婚衣装を拒んでいたのだ。自分でも分からなかった。何故、ドレスが良くて白無垢が嫌なのかどうか。

 本当に本当に、これ、単なるゲン担ぎなんだけけれどね。大事なのよ、そういうの。

 神社の巫女やっていた(る)から分かるわ。

 

『……そういうことだったのか。梨花ちゃんが白無垢を嫌がる理由って』

 

 圭一の方にも少しばかりの驚きはあったようだけど、すぐに飲み込んで消化し切ってくれた。この切り替えと割り切りの速さ。それが前原圭一という男の本質だ。

 

『じゃあ、無理強いは出来ないな。分かった。ドレスでいこうぜ、梨花ちゃん』

 

 すぐに気楽な声を出して、圭一が朗らかに笑う。顔が見えないからって相手の顔が分からないなんてことはないのよ。皮膚感覚で分かるわよ。親しい相手との電話なんて。

 そういえば電話にテレビがついて相手の顔が見れるみたいなことも言われ出しているわね。個人的に電話機にテレビをつけるのはないと思うのだけど。相手の顔が見えないのは電話の利点でしょ。見えてる方がいい場合もあるけど、さっきの悪夢を見た話をした時の私の顔なんて見れたものじゃなかったはずよ。圭一にそんな気落ちした顔は見せたくないもの。画面があったら今とは比べ物にならないくらいに気まずくなっているわよ、これ。

 しかし、相変わらず圭一は主義主張を変えるのが早いわね。白無垢。本当にもういいのかしら。

 

「そんなのでいいの? 軽いわね、随分と」

『好きな女の子の頼みを無碍にはできないさ』

「やっぱり軽いわね……全く」

 

 軽薄な人。嫌いじゃないわよ、全く以て。一切合切。

 

「私が悪者みたいになってるじゃない」

『あっはっは、百年の時を生きる魔女様は悪者だろ』

「やめてってそれ……本気で恥ずかしいんだから」

 

 圭一には私が自分を永遠に近い時を生きる魔女だと思い上がっていた時の話もしている。今にしてみれば恥ずかしすぎる過去だ。小学校五年生で学習がストップしている子供が百年の魔女とか言っていたのだから。昭和58年の6月突破後の私は勉強に苦労することになったが、おかげで自分の思い上がりも正せた。良し悪しだ。

 ……しかし、フレデリカ・ベルカステルを名乗っていた時を思えば死にたくなるわね。この気分を適切に表現出来る言葉ってないのかしら。

 

『ま、ウェディングドレスで決定だな。レナは喜ぶだろうな』

「レナはウェディングドレス派だったわね。魅音は白無垢派。園崎って古風なのね、やっぱり。でも、いいの、本当に」

『いいって何が?』

「白無垢をそんなにあっさり諦めて、よ。こだわりあったんじゃない? 圭一なりに。一生で何度もあるイベントじゃないワケだし……」

 

 私が口ごもって言うも圭一はあっけらかんとした明るい声で言い放つ。

 

『いいんだよ。梨花ちゃんが何を望んでいるか。何が嫌かが大事だ。好みの問題なら俺も自分の好みを主張していたけど、そんな大きな理由があるんじゃ仕方がない。梨花ちゃんの言う通りにするさ。結婚式はウェディングドレスだ』

 

 だからこの男。割り切りが良過ぎるのよ。

 何か犯罪にでも巻き込まれないか心配になるわ。雛見沢では巻き込まれまくっていた経歴はしっかりあるし。

 でも、まぁ。

 

「ええ。ありがとう、圭一」

 

 電話越しのくぐもった声じゃなくて直接言いたかったわね、この言葉は。

 携帯電話は便利だけど、何か失ったものもあるのかもしれないと私は思うのだった。

 

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