ひぐらしのなく頃に圭梨   作:山屋

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最終話:古手梨花の完結譚

 またその名前を呼ぶ。

 そっとささやきの形に緩めた私の唇の隙間がその名前を発声する時、私は他に比類なき幸せの居心地に包まれるのだ。

 私が大好きな人の、名前を

 ねぇ、圭一……。

 ゆったりと告げた声音に返事はない。いや、違う返事はあった。うん、と穏やかに彼は頷いてくれた。

 この矛盾した表現は声で返さないで態度で返した彼の返事を書き表したものだからだ。

 私と肩を寄せ合って縁側で庭の緑葉を見つめる彼の瞳は幸福に染まっていることだろう。私の位置からでは見えないが。

 ふたり肩をそろえて自宅の縁側から外を眺める。東京にある庭付きの一軒家だ。なかなかお値段は張ったけど、自慢の我が家だ。さすがに古手の邸宅程、豪華じゃないけどね。

 私と彼。そして二人の子供が暮らすためにはこのくらいの広さの家が必要だったのだ。ローンを組んで買ったのよ、勿論ね。手続きは案外簡単だったわ。ローンで家を買うってことあまり敷居が高くないみたい。安定した収入があればの前提条件付きだけどね。

 ねぇ、圭一。

 もう一度、その言葉をひとつ。

 今度は彼が注意をこちらに向けた気配がした。外のそこそこの大きさの茂みではなく、隣で肩を預け来ている私の方を見た気がした。

 気がしたなんて言っているが、これは確信だ。何年一緒に暮らしていると思っているのだ。彼の行動パターンなんて知り尽くしている。全知全能の神様よりも彼のことに関しては詳しい自信がある。オヤシロ様なんか論外だ。もう遥か昔の記憶になるけれどシュークリームシュークリームとうるさかったあいつは草葉の陰で元気にやっているかしらね。この庭のどこかにひそんでいたりして。ふふ。見守ってくれているのかしら。

 なんだい、梨花ちゃん。

 私の方に向けて、斜めに動いた彼の頭。その唇から発せられた問いかけになんでもない、と無言で答える。

 この無言の返事を彼は察したようだ。再び注意が縁側の外に向いた気配がした。

 うふふ。

 意図せず私の口からはささやき笑いがこぼれる。幸せというものはこういうものなのだ。

 この家の構造は一階に玄関があって、そこから廊下を歩いてリビングと台所。二個目のリビングーー居間にトイレと洗面所とお風呂。それから和室一つ。二階には小部屋が二つ。

 二個目のリビングと和室を私と圭一はふたりの部屋にして二階の部屋は子供二人に漬かって貰っている。いや、いた。

 二人の子供と暮らすにはこれくらいの広さの家が必要とは言ったけれど、あれは今では正確ではない。

 今、この家に住んでいるのは私と彼だけなのだ。

 嘘は言ってないわよ。子供はいたのよ、しっかりと。……ちょっと、不幸な事故なんて起きてないからね。殺されたワケでも失踪したワケでもないわ。

 ふたりともひとりだちして家から出て行ったのよ。この東京砂漠を頑張って生き抜いているみたいね。

 二人の子供の子育てという重荷から解放されてさすがにいい気分だ。まだまだ面倒を見ないといけないけれど、ゆっくりと亭主となにはともない時間を過ごしてみたくもなるというものである。

 雀のさえずりが聞こえる。穏やかな東京の朝。朝日差し込む庭の緑園をしっとりとゆったりと夫婦二人で眺める。

 幸せってこういうものね。

 大好きな相手とふたりっきりでなにはともない時間を過ごす。お互い口に出さなくても言いたいことは伝わっていて、ふたりだけの沈黙のやり取り、沈黙のスキンシップを満喫する。ふたりだけの空気を胸いっぱいに吸い込む。それこそが至上の幸せというものなのだと私、古手梨花は強く感じる。

 最愛の夫、前原圭一の隣で。

 彼の大きな肩に自分の細い肩を委ねて、伝播して伝わる彼の体温をやはり小柄な全身でじっくりと感じ取りながら。

 この細身の体はいつになっても変わらないわね、私。少しくらい胸は大きくならないものかしら。平均以下のサイズよ。なんでなのかしら。あの昭和58年ならまだしも今は普通に年を重ねているのに。

 そこまで考えて微笑みを深めた。あの昭和58年。それすらも笑い合える思い出に代わっている。亭主と二人で力を合わせて乗り越えた武勇談。そんな風に思えるのだ、今の私にとってあの地獄の昭和58年は。何回繰り返したかも分からない地獄の昭和58年の6月のことは。

 今では楽しい思い出だ。強がりではなく、本当にそうなのだ。そうなのだから困る。亭主との結婚生活、家族として送る日々が楽しすぎたのが原因のようだ。

 私たちが縁側に腰掛ける後の方。棚の上には大切に記念写真が飾られている。

 結婚式に撮った写真だ。白いタキシードを着た亭主と白いウェディングドレスを着た私が映っている。多くの仲間たちに祝福されて白の式典を祝うことが出来た証がしっかりとこの家の守護神のように飾り輝いているのだ。

 

「圭一。今日はどうしようかしら」

 

 温和な間を打ち破り、そっと唇の隙間から囁き訊ねる。圭一は面倒くさそうにうーん、と声を出した。あくびを嚙み殺しながらの声。このうららかな陽気の中では仕方がない。私も眠たくなってきちゃったわ。縁側に腰掛けてゆったりと尻尾を丸めて寝息を立てている黒猫を幻視する。

 

「羽入の話が聞きたいな」

「羽入? 別にいいけど、なんでまた」

 

 いきなり大昔の友の名を出されて私は少し困惑する。悪戯っぽく彼は笑うと浮気じゃないぞ、と付け足す。

 

「聞いてみたいんんだ、梨花。お前が経験した全てを。俺が体たらくを晒した世界もな。お前は気遣って話そうとしないけど、レナや魅音だけ変になりすぎだ。俺を気遣っているんだろう」

 

 当たり前だが、バレていたか。圭一がL5に、雛見沢症候群に陥る話は意図的にしていない。私は見透かされたことへの降伏のジェスチャーを示した。

 

「全く。物好きなお人よしね。自分が変になるところなんて聞くものでもないでしょうに」

 

 これが私と彼の日課。私がひとりだけで体験した地獄の昭和58年を彼に語って聞かせる。彼は相槌を打ったりそんなことがあったのか、と反応しながら聞いてくれる。それが私にとってどれだけ救いになっていることか。

 二人の子供の子育ても終わり、彼も長年勤めた会社を定年退職した。ここからは私と彼の余生。ゆったりとした静かな余生。あの激動の昭和58年を戦ったとは思えない穏やかな余生だ。

 

 こうして縁側で私と彼は静かに話し続け、ついにはある時、天に召された。

 召された先? 当たり前だけど、天国よ。ふふふ。

 私があの惨劇を繰り返すことはついになかったわ。最後まで、ね。

 永遠の楽園の天国は気楽なものよ、アナタもこれるといいわね。

 





これにて完結になるます。
圭一と梨花のエピソードをいくらでも書きたいのですが区切りをつけたいと思いこのような形になりました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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