【引退後】俺とカネヒキリくんと半年後のある日
時は2011年8月。
『あっちぃね、かねひきりくん』
『ああ……』
ここ、社来スタリオンステーションにも、茹だるような夏が来た。
俺はしがない種牡馬、サンジェニュイン。
隣で溶けているのは同じく種牡馬、マイフレンド・カネヒキリくん。
いつもはもうちょっとキリッとしてて、これぞ砂の王者!といった風格を漂わせているのだが、今は馬の形すら保てないほど溶けきっている。
無理もない、今日の気温は30度超えの真夏日。
ここは北海道なのに……異常気象かな?
去年の今頃は、俺はイギリスで繋養されていたので、こんな暑苦しさを感じることなく快適に過ごせていたし、その前は馬房に引きこもっていたので問題はなかった。
ただ今年はカネヒキリくんとアメリカ旅行、もといアメリカでの種付け業務をスパパッと終えて帰国したので、夏のイライラをダイレクトに受けることになった。
7月はそうでもなかったし、めちゃくちゃ暑くなったのはここ数日だからあとちょっと、9月に入ったらまた涼しくなるのだろう。
栗東にいたときのような、10月に入ってもジメッとした感じはないし。
まだ風が吹いている分マシなのかな。
あとちょっと耐えれば、この放牧地を駆け回れるくらいには良い感じの気温になるだろう。
それまでの辛抱だよ、カネヒキリくん!
……とは言ったものの、俺もカネヒキリくんと同じくらいバテバテだ。
放牧地の隅、木陰で横並びに寝転がりながら、俺はウンウン唸っていた。
戻れるもんなら馬房に戻りたい、という気持ちもある。
俺たちの馬房にはエアコンが完備されているからだ。
ならとっとと戻ってしまえば良い話なのだが、そうするとお互いの姿が見えなくて遊べなくなってしまう。
今のブームはタオル引きだけど、馬房に入れられちゃうとそれができなくなるんだよなあ。
今日こんなに暑くなければ、昨日の熱戦の続きをやりたいくらいだぜ。
左前と右前の放牧地に放たれてるディープインパクトとヴァーミリアンの野次馬をBGMにな!
あーあ、もういっそのこと馬房も同じ方が遊びやすいのになあ。
でも放牧地を一緒にしてもらうために駄々を捏ねに捏ねまくって叶えて貰ったので、ここからさらにおねだりするワケにはいかないのだ。
俺は確かに図々しいが最低限の常識だけはわきまえた馬だからな!
むしろ同じ厩舎というだけで有り難がるべきだろう。
お偉いさんありがとう!
それに、カネヒキリくんが来るまでの約4年も専用厩舎で1頭ぼっち、だったことを考えると今すごくハッピーだしな!
なに?ディープインパクト?
アイツは同じ牧場内にいるけど厩舎が違うから……仕事終わりにすれ違うと俺のケツガン見してくるし……ッ!
「おおい、サンちゃあん、カネっち!マジであっちぃから馬房に戻ろうや……こんなん異常気象、明日には死人が出るレベル……道民がこんな暑さ耐えられるかいな!」
いやお前、道民じゃないだろ。
そう内心でツッコミつつ、俺たちをフランクに呼ぶ若い兄ちゃんを見上げた。
角刈りの頭につり上がった目、ガタイの良い身体付きをしたコイツの名はリキ。
体高170センチ近い俺とカネヒキリくんの目線の高さはほぼ180センチくらいなのだが、それとそう変わらないからコイツも高身長の部類だろう。
リキは、俺とカネヒキリくんが生活している専用厩舎のスタッフの1人で、いちばん若いやつだ。
大阪から単身で北海道にやってきた21歳独身男、好みのタイプはお清楚な年上、得意な料理はたこ焼き、目黒さんの甥っ子。
まだまだ下っ端なので雑用が中心だが、放牧地で遊んでる俺たちの監視も仕事のひとつだ。
一応、放牧地には観察用のカメラもあるにはあるのだが、大人のオッス馬2頭が同じ放牧地に放たれるのは非常に珍しいらしく、万が一のためにもリキが常に見張っているというワケ。
常に、そう、つまりこんなクソ暑い日だろうが寒い日だろうが、俺たちが外にいる限りはリキもそこにいる必要があるのだ。
「いやもう、神様仏様サンジェニュイン様カネヒキリ様、お願いです、戻ろうやお部屋。暑くてたまらんわ、なっ?もうさっき馬房にエアコン入れたし、今もどったら涼しいで~!なっ!」
うわうるさっ!
馬相手にでっかい声だすな!
……んんん、まあカネヒキリくんも限界っぽいし、今日はここらで帰るとするか。
決してエアコンのヒエヒエにつられたワケじゃないんだからなッ!勘違いしないでよねッ!
それにリキも汗ダラッダラだしなあ。
俺も白毛だから見た目こそ涼しげに見えるが、もうめちゃくちゃ暑くてつらい。
しゃーない、今日はタオル引きを諦めるとするか。
馬房で涼んで、テレビで競馬でも眺めながらカネヒキリくんとおしゃべりしよ。
『カネヒキリくん、かえるってよ、いこーぜ……』
『ああ……』
『カネヒキリくん、今日「ああ」しか言ってねえな……ほら、馬の形だけでも保って!綱は俺が引いてやるから』
放牧地の外に出るために綱をつけられる。
これがない状態でウロウロしていると、放馬だなんだと騒ぎになるのだ。
俺はリキが握っていたカネヒキリくんの綱を奪って食むと、厩舎に向かって歩き始めた。
この放牧地から厩舎に戻るまでの道のりはしっかり覚えている。
カネヒキリくんを引きずって歩く俺の手綱を握って、リキがよかったよかったと元気に頷いていた。
なんだまだ元気そうじゃねえか、放牧地戻るか?とジト目でリキを見ると、急に具合悪そうな顔で「あかんねん」と言われた。
俺の表情を読み取るな、目黒さんかお前は……目黒さんの甥っ子だから目黒さんではあるか……ダメだこれ以上考えるのはよそう。
厩舎へと戻る道をすいすい歩きながら、ちらりと隣のカネヒキリくんを見た。
ぼーっとしていてもイケメンである。
おまけにムキムキだし……いや筋肉量は現役時代の俺の方がある!俺もムキムキだった!……たぶん。
3年も種牡馬として仕事してきた経験を活かして、今後のカネヒキリくんの仕事の役に立てばと思って経験談を話そうとしたのだが、カネヒキリくんに拒否られた時は悲しかったぜ……。
まあカネヒキリくんにもオッス的なプライドがあるだろうし、あれこれ助言されるのも嫌だもんなあ。
種付けした牝馬たちからの評判も非常に良いので、そもそも俺の助言など不必要だったワケだし。
クッ、俺の初回とか酷かったからな……牝馬とのうまぴょい当日に泣いて延期を申し出たんだぞこっちは……って俺の話はいいんだよ。
俺が療養中のカネヒキリくんに別れを告げ、一足先に種牡馬入りしてから数年が経過し、待ちに待ったカネヒキリくんの種牡馬入りから今日で丁度半年。
カネヒキリくんとは1歳の冬に出会ってからズッ友として過ごし、彼が屈腱炎で療養に入るまでは半年以上も会わないなんてことはなかった。
この4年半という年月は、俺たち馬にとっては長すぎるし、辛すぎる時間だ。
とはいえ、俺はおそらくだいぶマシな方である。
俺が種牡馬入りしてしばらく経った頃、種付け以外は暇だろうと目黒さんがテレビを買ってくれた。
そのおかげで、こうして離れた場所からも画面越しにカネヒキリくんやヴァーミリアン、俺の弟の活躍を見ることはできていたのだ。
ヴァーミリアンがダート路線でブイブイ言わしてた時期も、カネヒキリくんが復活して他馬を蹴散らしてたのも、2頭揃ってフリオーソって若手の馬に負けたのも画面越しに見た。
だから引退したのも知っていたし、種牡馬入りすることも当然のように知っていたってワケだ。
テレビから情報が入ってくる分、俺自身は希望を持ってこの4年間を過ごすことができた。
あとはいつこっちに来るか、そもそも繋養先はここなのか、ここであれ!!!!と思いつつ、先に引退して種牡馬入りしたヴァーミリアンを仲間に迎え、ディープインパクトたちとまだかまだかとワクワクしながら待ち続けた。
馬運車に乗せられたカネヒキリくんが、この牧場に到着したのは今年の2月。
俺が予想していたよりは遅い到着だったけど、カネヒキリくんの調子は想像していたものよりも良好でなにより。
ただ、カネヒキリくんに最後に会ったのは4年以上も前。
会えなかったその長い時間の中で、俺のことなんてすっかり忘れちゃったのでは?と不安だった。
ディープインパクトが「カネヒキリ……?」みたいな顔をしてたので余計に。
純粋な馬の脳内メモリはそこまで容量がないのだ。
だが久々に会ったカネヒキリくんは、別れ際のあの時のまま変わらずにそこにいた。
聞けば馬房に俺のポスターを貼っていたらしい。
なんでだよ、とツッコミたくなったが、それのおかげでカネヒキリくんが俺を忘れずにいてくれたので、とりあえずオッケーです。
まるで昨日の話の続きをするように再会し、今、毎日楽しく過ごしている。
カネヒキリくんが種牡馬入りしてからの半年。
共に過ごすようになってからの時間は、常に一緒にいる相手ができたからか、今までよりも時の進みが早いような気がした。
振り返ると昨日再会したような感覚すらあるが、カネヒキリくんの目が時間の長さを語る。
現役を引退して間もない馬というのは、競走馬時代のクセがなかなか抜けないモノだ。
それが強く表れるのが「目」だった。
あのディープインパクトですらギラギラとした目が丸くなるのに1年近くかかっていたし。
俺?俺は元々レースとオッスどもに追われる時以外はまんまるおめめなので……。
まあまだ半年だし、カネヒキリくんは今も時々ギラギラすることもあるけど、ここ最近は丸みをおびて穏やかな目つきになってきたような気もする。
もう他の馬と先頭目指して競り合う必要はないのだと、俺やヴァーミリアンたちと過ごす内にわかってきたみたいだった。
今日もギラギラっていうよりドロドロに溶けてたしな!
さらにあと半年経てば、ギンギラギンにさりげなく鋭かった目つきも忘れて、常時優しい目になるだろう。
これから共に過ごす日々が、カネヒキリくんをそうさせると確信していた。
っていうか、俺がそうさせるんだよ。
『……俺たちには「また明日」があるもんな、カネヒキリくん』
そっと呟いた。
そう、俺たちには「また明日」がある。
明後日が、明明後日が、1週間後、1ヶ月後、1年後。
これからたくさん時間があるのだから。
涼しくなったら追いかけっこをしようよ。
秋にはきっと美味しいおやつが出てくるはずだし、冬はめちゃくちゃ寒いから厩舎に籠もってゴロゴロしたり、おそろいの馬着を着てみたり、雪遊びをしてもいいよな。
2頭だけだと遊ぶにも限界があるから、ヴァーミリアンたちも誘ってなにかしようか。
なにをしよう、なんでもしよう。
カネヒキリくんの好きなことをしよう。
2歳でデビューしてから8歳で引退するまでの6年間、頑張って走り続けたんだから。
痛くても、辛くても、泣き言いわずに走り切ったんだから。
目をつり上げて、たたき合って、ぶつかり合って、競り合って。
でも。
これからは、自分のためだけに、息ができるんだよ。
『……サンジェニュイン』
『んー?』
厩舎が見えてきた。
まだちょっとぽやーっとしたカネヒキリくんが、俺の名前を呼んだ。
『サンジェニュイン』
『なにい』
立ち止まって横を向くと、穏やかな目をしたカネヒキリくんが、また俺の名前を呼ぶ。
『……ほんものだ』
その言葉に、俺たちがいなくなってから、カネヒキリくんが駆け抜けてきたこの4年間が、強く思い知らされるようだった。
ああ、夢に見てくれたのかな。
また一緒に遊んで暮らせるのを、瞬く間でも夢に見てくれたのかな。
ヴァーミリアンも似たようなことを言っていたよ。
カネヒキリくんがこっちに来る少し前、暮れのジャパンカップダートを最後にすぐに種牡馬入りしたヴァーミリアンが、1ヶ月経った頃にぽつりと泣いたことを思い出した。
── ディープもサンジェニュインも、ほんものだ
俺たちに偽物なんているものか、と思ったけど、あれはそういうことではないのだ。
何度も、何度も、描いてくれた夢の中に俺とディープインパクトがいたのだろう。
馬の短い眠りの中で、俺たちとまた会える夢を見てくれたのだ。
トレセンや競馬場で出会った馬と、引退してからも再び会える確率は高くない。
そもそも種牡馬入りさえ狭き門なのに、繋養先が同じになることはもっと稀だから。
円満に引退を迎えることも叶わずに、虹の向こう側に旅立ったり、行方知れずになったり。
俺たち馬の歩む先は一本道ではない。
多くの分岐点を、ヒトの手に引かれて歩き続ける。
時には進みたい分岐点に曲がれきれず道を踏み外したり、ヒトの導く先が異なっていたり、必ずしも満足いく結果とはいかないけれど。
歩みを止めずに進み続けるように、すべての馬が最期の一瞬まで夢を見続けているのだ。
あの日、あの瞬間。
すれ違った誰かに再び出会う、そんな夢を。
社来スタリオンステーションの敷地内で馬運車から降りて、俺とディープインパクトが待っているのを見た時の丸くなった目は、ヴァーミリアンもカネヒキリくんもそっくりだった。
今、真横にいるカネヒキリくんの目も、泣いたヴァーミリアンの揺れ方と同じに見えた。
『カネヒキリくん』
名前を呼んだ。
今までもたくさん呼んだ名前を、これからも呼び続けるからなと意味を込めて。
波打つ目は、俺の目とかちあってさらに潤んで揺れた。
『明日は何して遊ぶ?』
俺の言葉を聞いて零れた、まるいしずくに気づかなかったフリをして、俺は再び歩き出した。
厩舎まであと少しだ。
エアコンの効いた、涼しいその建物が俺たち2頭の家。
明日も明後日も明明後日も、この家から仕事や放牧地に向かって、そして帰ってくる。
今はたった2頭の大きすぎる家だけど、数年したら俺たち以外の馬も増えるはずだ。
それは俺の仔や、カネヒキリくんの仔が大きくなって、いつか俺たちのように血を残すようになったら。
空いた部屋がすべて埋まって、賑やかな嘶きに満ちる日を夢見る。
カネヒキリくんの仔は大人しいだろうけど、俺の仔はやかましいやつが多いからさ、きっと毎日どんちゃん騒ぎだ。
俺は「お前らまた騒いで!」と怒るだろうから、カネヒキリくん、フォロー頼むわ。
カネヒキリくんとこの仔が俺の仔に絡まれてたら助けるからさ。
そんな夢の中でも俺は、今と変わらない言葉を口にするのだろう。
日当たりの良い場所で、赤く踊る太陽を背にして笑うのだ。
『おかえり、カネヒキリくん』
ちょっと照れ臭くなって、言い逃げするようにするっと馬房に入る。
カネヒキリくんは少し言葉を詰まらせると、なんでもないような顔をして口を開いた。
『ただいま、サンジェニュイン』
やわらかさに満ちたその声が、1年後も、10年後、20年後も隣で響き続けることを、俺は願い続けた。
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組