執筆BGMはBUMP OF CHICKENさんの「リボン」
手繰り寄せて、結び直した
「ブモモッ」
鼻を鳴らして、右に、左に。
そして俺の身体に顔を寄せて、何か持ってないか確かめるように鼻先を押しつけてきた。
一点の曇りもない白い馬体を太陽が照らして、目映いくらいに輝く。
満足したのか、また鼻を鳴らしてから離れたその馬の顔を、俺は生涯忘れないだろう。
まるで俺の青春が形を持ったように、目を閉じる度に思い浮かぶ。
まるくきらめいた瞳を持つ、あの、美しい馬を。
2005年3月6日。
中山競馬場で開催された報知杯弥生賞。
大歓声を縫うようにゴール板を抜けた馬体が、なおも芝生を駆ける。
しかし歩様はじわりと乱れ、視界も少しずつ歪んで、そこで初めて違和感を持った。
俺が急いで手綱を引き、止めようとしてもその脚はなかなか落ち着かない。
それでも100メートル進んだところで徐々にスピードが落ちていく。
それに安心する前に、大きく揺れた身体から振り落とされる直前で目一杯に手綱を引いて、その顔が大地に直撃するのを避けることが、その瞬間の俺にできた唯一のことだった。
「さ、さん、サンジェニュイン……!!誰か馬運車を、馬運車を早く!!」
芝生に横たわる馬体はぴくりとも動かなかった。
駆け寄って、その身体に手を伸ばして、さすってようやく鼓動を知る。
そうでもしなければ感じ取れないほど微弱な命の音が、ただただ、恐ろしかった。
「芝木くん、今スタッフに馬運車お願いしてきたからね。だから君も治療を受けて、ね?」
どれほどサンジェニュインの馬体をさすっていたのか。
複数の手が俺の身体に触れ、未だ芝生に横たわるサンジェニュインから離そうとする。
俺はそれらを振り切るようにサンジェニュインにしがみついて、まるで子供のように頭を横に振った。
「お、俺の、俺のことなんていいんです!さん、サンジェニュインが……ッ!サンジェを先に、どうか……どうか……っ!」
息が上がる。
それに反比例するように、サンジェニュインの鼓動は少しずつ小さくなっていく。
俺が声を挙げれば挙げるだけ死へと近づくように。
「いい勝負だったのに……残念だ……」
馬運車がきて、その馬体が運ばれる瞬間、どこからか聞こえたその言葉に、俺は頭に血が昇るのを感じた。
既に亡くしたモノを惜しむようなその声がたまらなく不快で、俺は周りの目も気にせず、力の限り叫んだ。
「サンジェは、サンジェはまだ生きています……っ!」
喉を掻きむしるような、心の底からの叫びだった。
「今も、この瞬間も……ッ生き足掻いているんです……!!」
わずかでしかない音を、懸命に心臓を叩いて、今、この瞬間も生きている。
死んでなんかいない。
まだ、まだ。
生きている。
「生きているんだ」
もはや、祈りにも満たない。
そこから先の記憶は曖昧だ。
ただ頭の中にあったのは、初めてサンジェニュインに会った日のことや、新馬戦。
調教の時や、普段のふれあい。
手ずからリンゴを与えて、それを美味そうに食っていた時のことや、レース前、元気にパドックを回っていたこと。
共にすごしたすべての時間。
── あの時、鞭を打たなければ
活き活きとしたサンジェニュインの姿が脳裏を
今回のレース、隣ゲートの馬が立ち上がった影響で出遅れたサンジェニュインは、馬群に飲まれたのがよほど嫌だったのか、前へ前へと走ろうとした。
俺は、それを引き留めて、内側を保ったまま上がらせようとして。
……サンジェニュインはきっと、俺が手綱を引いたその瞬間から、それがわかったのだろう。
内側を保ったまま走るということは、馬群の中に留まることとイコールだと理解して、それが嫌でさらに前に行こうとしたんだ。
俺たちの想像の遙か上をいく、とても賢い馬だから、そうだとしても不思議ではなかった。
サンジェニュインは、その特異な体質から、馬込みに入るとストレスを溜めてしまう。
だから内側に留まるという選択肢はきっとなかっただろう。
前へ前へと行こうとするサンジェニュインを見ながら、この脚なら前にいる馬はすべて抜かせると、いけると踏んで鞭を打ったけど、そんなことをせずに外に持ち出せばよかった。
外に出して、少しでも馬群から距離を取らせることができたら、サンジェニュインも無理に脚を動かさずに済んだかも知れない。
今更、たらればでしかないと解っていながら、俺はずっとそんなことを考えていたように思う。
暗く沈んでいた意識で、自分の愚策を責めて。
ただその奥底でひたすらにサンジェニュインが目覚めることを願った。
もう1度明るい顔で起き上がるその瞬間を。
たとえ獣医からもう持たないだろうと言われても、テキが頭を下げたように、俺もただ頭を下げ、願い続けていた。
そうしてしばらくすると、パチリ、と何事も無かったようにサンジェニュインが目を覚ました。
辺りを見回して、不思議そうな顔をして。
何が起きたかきっとわかっていないだろう、そんな表情で俺たちを見つめ返す。
「サンジェ……!サンジェ……!ああ、よく戻ってきた、よく耐えた……っ!」
テキがサンジェニュインの頭を掻き抱いて、何度も喜びを口にする。
返事をするように嘶いたサンジェニュインは、目黒さんや近藤さんに順に撫でられて、それから最後に俺を見た。
「ブルルッ!」
短く鳴いて、それで。
その澄んだ瞳とかち合って、俺は、ひどく動揺した。
あふれんばかりの喜びと、深い安心感を抱きながらも、俺は、その純粋な瞳を真正面から受け止める余裕が、なくて。
この世の何よりも美しいと感じた瞳に映る、自分の顔が、世界でいちばん、悍ましいと思った。
「考え直さないか、芝木くん」
弥生賞から幾日か経った頃。
サイレンスレーシングクラブとの話し合いを終えた俺は、そうテキに引き留められた。
だけどこの時の俺は、ただ「離れなければならない」という思いだけに満ちていた。
テキは苦しそうな顔で、何度も「芝木くんのせいじゃない、不運な事故だ」と俺に言う。
クラブの担当者も、俺に鞍上を降りる必要は無いと言ってくれた。
だけど俺には、サンジェニュインの鞍に乗る資格なんてない。
あの瞳から視線を逸らした、俺には。
「……すみません」
謝罪をすることしかできなかった。
まるで機械のように繰り返して視線を合わせない俺に、テキは怒ることも無くゆっくりと息を吐いた。
「……いつでも戻ってきなさい」
その言葉に込められた愛情の深さに、俺はただ、頭を下げた。
175センチと、この業界では長身に当たる俺に、声を掛けてくれた厩舎はテキ── 本原先生のところだけだった。
2003年、19歳になる年にデビューしてから、本原厩舎に所属するほぼすべての馬に乗せて貰った。
その年の新人賞を取ることができたのは、テキがいろんな厩舎や馬主にも俺のことを頼み込んで、多くの馬に乗せて貰えたおかげ。
テキに拾って貰えなかったら今の俺はいない。
そんな大恩あるテキに背を向けることになったのに、テキはいつもと変わりなく、俺の背を叩いた。
背に感じたかすかな痛みは、テキの感情を移すように、しばらく消えなかった。
サンジェニュインと別れたのは、桜が舞う日。
その背に乗る後継の騎手として、幼い頃から憧れ続け、この世界に身を投じることを決めたきっかけでもある
柴畑さんの都合がつき、サンジェニュインと対面することが決まった日を、俺はサンジェニュインとの別れの日に選んだ。
最後にブラッシングをしていったらどうだ、と目黒さんは俺に耳打ちをするけれど、別れるこの日にその温もりに触れたら、奥底にしがみつく未練に火が付きそうで、踏み出せなかった。
力なく首を横に振る俺に、目黒さんはそれ以上言葉をかけなかった。
「よし、馬体もキレイになったぞ、サンジェニュイン」
目黒さんにブラッシングをしてもらうサンジェニュインは、いつも以上に光り輝いている。
一時は命も危ぶまれたとは思えないくらい、元気そうな姿だ。
その手綱を引いて馬房から出してやると、太陽の光がサンジェニュインの馬体を明るく照らした。
うっすらと黄金色に縁取られた、それがあんまりにも眩しくて、つい目を細める。
感傷的になりすぎているのか、潤んでしまった目が近藤さんにも見えてしまったようで、心配そうな顔をさせてしまった。
彼女もテキや目黒さん同様、弥生賞での出来事は事故だと俺を慰めてくれる。
でもどうしても、俺に一切の責任がなかったとは胸を張って言えなかった。
クラブとの話し合いで鞍上を退くと決めた俺に、テキと同じように2人は顔を曇らせる。
サンジェニュインも何かを感じ取ったのか、俺の顔を押し上げるように鼻先で触れてきた。
「……サンジェ。お前は本当に優しい馬だな」
馬群に入って怖くて、そんな中で鞭を打たれて走って。
苦しかっただろうに、辛かっただろうに。
鞭を打った張本人である俺に怯えることなく、むしろこうして慰めるような仕草を見せる。
「……皐月賞も、お前に乗りたかったよ」
俺にもっと腕があれば。
俺がもっとしっかりしていれば。
俺がもっとお前に相応しい騎手だったならば。
堂々とその背に乗って、お前と2人、中山のターフを駆け抜けたかった。
お前の鞍上で風を感じて、一緒に夢を見たかった。
けれど俺にはその資格はない。
お前から目を逸らした、俺には。
やっぱり不思議そうな表情をしたサンジェニュインが、また短く鳴いた。
俺はその目を真正面から見ることもできず、そのくせ、口だけはすらすらと動く。
でもサンジェニュインに言い聞かせるように吐き出す言葉のすべては、結局、俺自身に言い聞かせているに過ぎなかった。
「……柴畑さんを信じて、まっすぐ走るんだぞ」
大丈夫、あの人はお前を馬群に埋もれさせたり、苦しませるような人じゃないから。
きっとお前を大事に、大事に扱って乗ってくれる。
怪我なんてきっとさせない。
五体満足、無事にお前を走らせて、そして、そして勝たせてくれるから。
お前を、お前自身が渇望して止まない勝利へと導いてくれるはずだから。
「ひぃん」
か細い鳴き声が響いたその後、サンジェニュインはグイ、と俺の袖を食んだ。
まるで引き留めるかのようなその仕草に、どうしようもなく泣きそうになる。
俺は
ちらりと一瞬だけ見たサンジェニュインの瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「お前は本当に賢い馬だ、サンジェ」
俺が乗らないとわかっているのかもしれない。
……ただなんとなく俺の袖を掴んだだけだったとしても、この瞬間だけはそう思っていたかった。
「サンジェニュイン」
目黒さんがサンジェニュインの名前を呼び、その背を撫でる。
サンジェニュインは躊躇いがちに俺の袖を引いたけど、再度、目黒さんから背を撫でられるとそっと離した。
「乗せてくれてありがとう、サンジェニュイン」
2004年の冬、初めて会った時。
光り輝く美しさと雄大さに目を奪われた。
その背に乗った時。
力強く大地を駆け抜ける脚に惚れた。
きっともっと上にいく。
この馬は、誰もが知る名馬になる。
その鞍上に選ばれた事が、俺の運命のすべてだと思った。
だけど俺には、早すぎたのかも知れない。
巡ってきた幸運に浮かれ、自分の実力が足りないことから目を背けていた。
俺では、サンジェニュインを勝たせてやることも、そもそも、一緒に走る資格なんてなかったのだから。
手放すものの大きさは痛いほど知っている。
知っているから、知っていてなお、俺は、背を向けるのだ。
俺の頭上を照らし続ける太陽から。
「……俺の夢はずっと、ずっとお前だよ」
堪えきれずに呪いのように言葉を吐いた。
顔はかろうじて笑えただろうか。
ひと思いに背を向け、駆け出すようにその場から逃げた。
早く離れないと、響いた鳴き声に振り向いて、すがりついてしまうと解っていた。
唇を噛んでひたすらに走る。
そんな俺を嘆くように、栗東の桜は吹雪いていた。
サンジェニュインの鞍上から降りて、まもなく1ヶ月が経とうとしていた。
情けないことに、俺は毎日のように弥生賞の夢を見た。
日々のトレーニングや仕事で疲れ果てても眠れず、最近はむりやり目を閉じて、強制的に眠りの世界に入る。
目立つようになった目の下の隈を見て、知り合いからは精神科の受診も勧められていた。
もう少ししたら利用するかも知れないな、と思いながらも、俺は毎日、迫り来る暗闇に身を委ねる。
その暗闇の向こう側には、ただ悪夢だけがあった。
安寧の地などなく、ひたすらに責め立てる声が俺を追い立てる。
そして最後は白い横顔が芝生にあって、その熱を失った馬体が緑に埋もれていくのだ。
深い死地へとサンジェニュインを引きずり込んでいくのを、俺は喚いて、嘆いて、叫んで。
手を伸ばしても届かない。
完全に埋もれていくその直前に、光のないまるい目が俺を射貫いて、こう言う。
『どうして鞭を打ったの?』
その言葉に息が止まって、苦しさに目が覚めるのだ。
嫌な汗にぐっしょりと濡れたベッドの上で毎日、朝を迎える。
そうして俺は震える手で携帯を手繰り寄せた。
日付を確認し、時間を確認し、荒くなる息を落ち着かせる事もできずに携帯を見つめる。
「……ッハイ、芝木です!」
鳴り響いた携帯の、開始ボタンを押す。
それだけを待っていたように、俺の口は動いた。
「……はい、そうですか。……はい、今日も、ありがとうございます」
わずか数分にも満たないやりとり。
俺は聞きたかった言葉を聞いた安心感から、携帯を閉じることも忘れて脱力した。
「今日もサンジェニュインは無事」
チカチカと光る携帯の画面には、柴畑さんの名前が踊る。
こうして毎週、柴畑さんからサンジェニュインの無事を聞いてようやく、俺は息をすることができた。
今日だけはきっとよく眠れるだろう。
そんな日々を繰り返して、皐月賞当日。
サンジェニュインは柴畑さんを背に、確かに中山のゴール板を駆け抜けた。
コーナーカーブでは危うい場面もあって、思わずその名を叫ぶほど動揺してしまったけれど。
それでも最後までサンジェニュインは走った。
迫り来る鹿毛の馬に怯えながらも、先頭を競って、たたき合って。
涙を流しながらも戦っていた。
── 俺じゃなくても、サンジェニュインは走れる
それに安堵すると同時に、かすかな嫉妬を覚えて、自分の浅ましさに嫌気が差す。
やはり俺は、サンジェニュインに乗るべきではなかったのだと、改めて突きつけられたような気がした。
同着ではあったもののGⅠを制してさらに1ヶ月。
日本ダービーを完走したサンジェニュインの目に、涙はなかった。
ハナ差1センチで競り負け、健闘を称える歓声の雨に濡れながらも、サンジェニュインは泣かなかった。
ただ前を、遠く見て、美しい横顔を見せつけて。
その姿に「大人になった」と感心する周りが信じられなかった。
アレのどこが大人になったって?
泣くのを堪えて、耐えて。
覚悟を決めたっていう大きな建前で激情を隠しているに過ぎない。
どうして誰も気づかない。
破裂寸前の感情を押しとどめて、大人のフリをするサンジェニュインに。
瞳さえ潤むことなく、立ち尽くす姿が痛々しかった。
俺は拳を強く握ることしかできない。
気づいても、俺では何もしてやれることがないと言う事実が、ただ歯がゆい。
それと同じくらい、その背に乗りたかった。
実力が足りていない、と、本当はその資格なんてないとわかっていても。
気づいてしまったから。
サンジェニュインの覚悟に気づいてしまったから。
「俺が乗りたい」
結局、消しきれずに奥底に隠れ住んでいた「欲」が芽吹く。
「俺が、サンジェニュインの背に、乗りたい」
1度口にしてしまえばあとは、本物の覚悟を決めるだけだった。
それから俺は、サンジェニュインの鞍上に戻るための実績を積むため、夏競馬で乗れる馬すべてに乗った。
サンジェニュインの鞍上を降りてからも俺に仕事を回してくれたテキや、そのテキのツテで乗せてくれる厩舎や馬主に繰り返し感謝して、乗せて貰えたすべての馬と人馬一体になって勝利を目指した。
時には満足いく結果が出せず、苦しい日もあったけど、それでも前に進む以外に道はない。
柴畑さんからもいくつか紹介を受けて騎乗案件を回してもらいながら、再び乗せて貰える日を夢見ていたある日。
テキから電話があった。
「柴畑さんが……!?」
柴畑さんが落馬したという話は聞いていた。
だが俺が想像していた以上に深刻な状態だったようで、柴畑さんはしばらくの養生が必要らしい。
サンジェニュインの鞍上を降りることになったと、電話口のテキは深刻そうな声色だった。
だが俺を心配させまいとしてか、テキは一転して明るい声色で話を続けた。
「柴畑さんは後任として芝木くんを指名しているよ。……おそらくクラブ側からも依頼の話が行くと思う」
それは思いがけない言葉だった。
一瞬、喜びがわき上がる。
でもそれらが柴畑さんの怪我によってもたらされたものだと思うと、心の底から喜ぶことはできなかった。
乗りたい、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、唇を噛む。
「テキ……俺は……」
無駄なプライドが顔を出す。
そんなものを出す資格すらないはずなのに。
俺は何に拘っているんだ。
今すぐ「乗る」と言え、今すぐ!
そう俺を掻き立てる声が耳元で喚く。
だとしても俺は、口を開けずにいた。
「……芝木くんの葛藤もわかる。けどどうか、しっかり、
そう言われて、通話は終わった。
テキは終始優しい声で、俺の心を揺さぶる。
あの人は時々、感情を見透かしてくることがあった。
たぶん、俺が乗りたがっていることなんてお見通しだろう。
うちの厩舎所属なんだから俺に従え、と言ってしまえばそれで済むだろうに。
それを言わずにいるのが、テキの優しさの証明だった。
俺はその日の夜、騎手仲間から渡されたサンジェニュインの日本ダービーの録画を、ただじっと見つめていた。
頭の中ではずっと、自分がどうしたいのか、その答えを探しながら。
《 全頭鼻先揃ったきれいなスタートです。ハナを切るのはこの馬、8番サンジェニュイン 》
画面のサンジェニュインは、スタートから先頭を突っ切って走り続ける。
まるで決まった道があるかのように、一切蛇行も横ブレもせずに走るサンジェニュインの姿は、まるで絵画に描かれた馬のようだった。
このレースから付け始めた栗色のメンコには、額に金糸で刺繍された太陽のマークが輝いている。
それを光らせながら進み続ける姿はなるほど、名前と合わさって「太陽」と呼ぶに相応しいものだろう。
一完歩、進む度に抉られていく芝の無残な有様は、それだけでサンジェニュインのパワーが他馬と段違いだってことを見せつける。
それでも同着の皐月賞を除けば、サンジェニュインはまだ重賞を勝っていない。
これほど強くても。
ディープインパクトという馬の前で、サンジェニュインは2番手で在り続けた。
それでも、2番手だったとしても、無敗の二冠馬であるディープインパクトとハナ差の攻防を続けるサンジェニュインの評価は、かなり高い。
その鞍上に乗りたいという騎手は、俺が想像する以上にいるだろう。
テキは俺にクラブ側から依頼が来ると言っていたが、おそらくクラブ側は他にも多くの騎手に声を掛けているはずだ。
サイレンスレーシングクラブの所有馬でありながら、その募集額は2000万ちょうどだったサンジェニュイン。
量産型の、毛色だけが珍しい馬だと思われていたのはもう過去のことで、今ではクラブが最も期待を掛ける1頭になっているのだから。
《 サンジェニュインの疾走こそが、私の、夢でありました……! 》
ハッとなって顔を上げた。
流しっぱなしのテレビには、あの日、涙もなくただ前を向いていたサンジェニュインの姿があった。
力強く「夢」を口にした実況者の声色は、少しだけ涙交じり。
わずか1センチで勝利を逃し、とうとう涙さえ流さなくなった姿を見て堪えきれなくなったのだろう。
「……俺の夢も、サンジェニュインだ」
もし本当に、クラブ側から依頼がくるとして。
それは多くの騎手、特に俺のような若い騎手からすれば喉から手が出るほど欲しい騎乗案件だ。
声が掛かっている騎手も、そうでない騎手も、隙あらばその鞍上を狙い続けるだろう。
── いま、ここを逃したら、俺に次はあるのか?
「さあ、どうするか」
口ではそう呟いたものの、結局のところ自分の中ではすでに決まっているようなものだった。
あの疾走。
日本ダービーでの横顔。
誰も触れないサンジェニュインの、心の一番底に埋まった
“ 乗りたい ”
嘘偽り、恥じらいなく、俺が、乗りたい。
たとえ今回の騎乗が、柴畑さんの怪我というアクシデントによる巡り合わせだったとしても。
そのチャンスが目の前に転がってきた以上、掴まない選択肢など、はじめから無かったじゃないか。
結局は乗らずにはいられない。
俺が、あいつの背中に。
座っていた場所から転がるように走って、ベッドに投げっぱなしにしていた携帯を手に取った。
ろくに使いもしない、仕事関係の番号しかないその電話帳を遡って。
目当ての番号を引き当てて、俺は、息を吸い込んだ。
「もしもし……はい、はい、芝木です。夜分遅くにすみません── 柴畑さん」
もし、もし本当にその鞍上に乗ることができるならば。
そのチャンスをものにすることができるのだとしたら。
もう2度と、掴んで離さない。
「並んだかまだ、まだ、サンジェニュイン粘るか、ッいやでも、並んだ、並んで誰が抜く誰が、誰が……!?」
手綱を扱く。
前だけを見る。
サンジェニュインは俺の呼吸に応えるように脚を動かし、ひたむきにゴールを目指す。
一拍、二拍。
頭の中でリズムを刻んで、手綱から昇ってくるサンジェニュインの鼓動を聞いた。
打ち鳴らす勝利への執念の音は、左からも、2つ。
でも、そのどれにも負けない爆音を、サンジェニュインは響かせた。
「3頭それぞれハナ差1センチの決着です……ッ!誰が、誰が勝ってもおかしくは無かった、この激戦を制して──……ッサンジェニュイン!サンジェニュイン1着!」
サンジェニュインの心拍は、やがて大歓声に変わり。
その光は、いつまでも眩しく在り続けた。
「暮れの中山競馬場に、今、太陽の光が射しました……──ッ!」
場内に轟くアナウンスに熱が籠もる。
俺は、心地良い罵声を浴びながら、サンジェニュインの首を撫でた。
── ここまで来たな
目に水の膜が張るのを、なんとか堪える。
サンジェニュインはしばらくハーツクライと見つめ合ったままその場を動かない。
こいつは、良くも悪くも感情に敏感で、思いを溜めやすい。
レースはたった1頭の勝者に十数頭の敗者が存在するものだ。
それを、賢いサンジェニュインが理解できないとは思っていない。
馬に勝ち負けなんか理解できるものか、と同期には茶化されたりするけど、こいつはわかっているのだ。
自分が勝つ度に潰える夢があることを。
だから、今、こうしてまた、何かを背負い込んでいる。
「グランプリホースだぞ、サンジェ!」
わざとらしく明るい声で言葉をかけた。
サンジェニュインは短く鼻を鳴らし、俺の合図でまた走り出す。
「ウイニングランだ」
あの夏。
柴畑さんに頭を下げ、クラブ関係者に頭を下げ、テキに頭を下げ。
そうしてようやく手繰り寄せたサンジェニュインの手綱を、確かに握った日。
また一緒に夢を見ようと手を伸ばした時。
俺の袖を食んで、一筋の涙を流したお前と、心中する覚悟ができた。
あれから3度目のウイニングランだ。
神戸新聞杯で、菊花賞で、そして今日── 有馬記念で。
お前は祝福の雨の中を征く。
俺を乗せて、走って征く。
サンジェニュイン。
「次は世界だな」
俺にとっての運命がお前であるように、お前にとっての運命が俺になるように。
俺は、お前の背中から絶対に降りない。
「ヒヒーンッ!」
気合いを込めて握り込んだ手綱に、サンジェニュインは、力強く嘶いた。
明日(11/20)も更新ある!!!!
11/21 に3話分いっきに更新がある!!!!
どうしてもどうしても外したくないネタをいれさせてください!!!!
お願いしますなんでもするから……!!!!
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組