美貌バいろいろ   作:SunGenuin(佐藤)

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クソデカ感情芝木くん※当社比で甘酸っぱい描写が一瞬あります

11/21投稿分が修正前だったので再投稿です。

11/23 追記
活動報告をしたためました
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=271474&uid=53018


世界は拓かれる

「親父がサンジェニュインのこと好きだったのは、強い馬だったから?」

 

そう俺に尋ねた末の息子に、なんと答えたんだったか。

……ああ、そうだ。

 

「サンジェニュインが俺を、他の誰でもない『俺』を真っ直ぐ見ていたからだよ」

 

その2つの目で俺を貫いていた。

嘘も、偽りも、誤魔化しも、媚びも、偽善も。

そんなものすべてを切り裂いて俺を見つめたまるい瞳。

俺が背中に乗る以上はゴールまで運んでやるよ、と言わんばかりに鳴らされた鼻。

手綱から伝わる至高のリズム。

 

「強いから良いんじゃなくて、サンジェニュインだったから好きなんだ」

 

今も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月24日。

有馬記念が終わってすぐの事だった。

大勢の記者たちに囲まれた俺は、フラッシュを炊かれた眩しさに目を細めた。

にこやかな顔で俺にマイクを向ける記者たちは、目が見えていないのだろうか。

フラッシュのせいで俺の顔が見えないっていうのなら、とっととカメラを引っ込めてほしいものだ。

俺はため息をぐっと堪えて口を開いた。

 

「それで、これ以上回答する必要はありますか」

 

その言葉に一瞬だけ静寂が訪れる。

何を言われたのか聞こえなかったのか、眼前の女性記者は一拍おいてから、戸惑ったように首を横に振った。

 

「そうですか。ありがとうございました。これで失礼します」

「ええっ」

「……まだ何か?」

「あ……いえ、あの、大丈夫です。ありがとうございましたっ!」

 

少し態度がキツすぎた自覚はあるが、これ以上時間を無駄にしたくはなかった。

レースに関する質問ならともかく、やれ「好みの女性のタイプ」やら「結婚願望」やら。

いつからレース後の勝利インタビューはこんな不必要な質問で溢れかえってしまったのか。

こんなところで油を売ってるよりも早く、サンジェニュインのコンディションを確かめに行かなければ。

2ヶ月前の菊花賞終了後、激走の反動で立ち上がれずに苦しんでいた白い馬体が脳裏を過る。

駆け出したい気持ちを抑え、ただ速度だけは上げて歩き出した。

馬たちが一時的に置かれている中山の厩舎までそう遠くはない。

そこへ向かう通路脇には、いつからそこにいたのか、テキが仕方なさそうな表情を浮かべて俺を待っていた。

 

「もう少し愛想良くても良いと思うけどね」

「う……努力はします」

「ま、気持ちわからなくもないんだけど、イメージがあるから」

 

テキが苦笑いを浮かべる意味はわかっている。

騎手というのはイメージも大切なものだ。

馬主にとって馬は単なる愛馬ではなく、その馬主のアイコンにも成り得る。

クラブ所有馬ならば、なおのことブランドイメージみたいなものは大事にしなくてはならない。

騎乗技術に問題がなくとも、世間一般的なイメージが悪ければ使いたくない── いわゆる「干される」状態になってしまう。

俺がその背だけは譲りたくないと思っているサンジェニュインは、社来グループの中でも強い影響力を持つ「サイレンスレーシングクラブ」の所有馬だ。

同着の皐月賞を含めれば、菊花賞での勝利で二冠馬になった。

そして初の古馬戦であり、年末のビッグレースである有馬記念を制したことで、その価値は当初の何倍にも膨れ上がっている。

もしかしたら今年のJRA賞年度代表馬にだって選出される可能性があるのだ。

 

「俺も竹さんのように振る舞わないと、とは思ってるんですけど……」

 

年度代表馬、で思い出したのは竹創騎手の姿だった。

先輩であり、何歩も先を行くレジェンドジョッキー。

そんな竹さんは、ジャンルを問わず多くのインタビューや番組に出ている。

聞けば「少しでも競馬に興味を持って貰うため」ということだそうだが、俺が青すぎるからか、それともこの我慢の利かない性格の所為なのか、競馬以外の質問や仕事を打診されると酷く憂鬱な気分になってしまう。

本当なら、竹さんのように「何でも仕事を熟して」こそ、初めて一流と呼ばれるのだろうけど。

 

「そんなに人目を惹く顔ですかね、コレ」

 

自分の顔を触り、俺は息を吐く。

インタビューで、レース以外の事柄で真っ先に話題にあがるのがこの顔だった。

俺の家族は、父も兄たちも、なんなら父方の祖父も似通った顔をしている。

中学は男子校だったし、それを卒業した後は競馬学校だったから異性と過ごした時間は少ないが、共学だった小学校でも特別異性に好かれた記憶はない。

 

本当に、一体なにが面白いんだか。

 

「俺は結構カッコいい顔だと思うけどな。ほらなんだっけ、アイドルグループの。名前覚えてないんだけど娘が好きでね。この前、菊花賞の時の記念写真を見せたら「芸能人みたい!」って喜んでたよ」

「はあ……芸能人……」

 

そういえば中学生の頃、1度だけ芸能事務所に勧誘されたことがあったな。

地元で「スカウトに見せかけてレッスン代を騙し取る詐欺」が流行っていたからそれかと思っていたけど、もしかして……いや、例え本当だったとしても頷かなかっただろう。

幼い頃から騎手になることだけを考えてきたのだから。

 

「俺のことより……テキ、サンジェの様子は?」

「ああ、具合は良さそうだよ。でもやっぱりというか、なんというか。重い馬場で走った後よりはツラそうだけどね」

「立てないだとかは」

「今のところないな。水も飲んでるし。あと1時間くらいしたら馬運車に乗せるつもりだ」

「了解です」

 

元気そうならそれが一番だ。

俺はホッと胸をなで下ろして、テキと共に厩舎に向かった。

サンジェニュインの馬房前に着くと、ちょうど水を飲んでいる途中のサンジェニュインと目があった。

レース中はつけているメンコを外して、クセのある鬣が冬の風に揺れていた。

 

「良い飲みっぷりだな、サンジェ」

 

俺の声かけに1度だけ水桶から顔を上げたサンジェニュインは、何かを閃いたようにまた水桶に顔を突っ込むと、今度は勢いよく上げた。

 

「フルルーンッ!」

「うおっ!?……おいおいお前、お前なあ……水を飛ばすなよ!」

 

顔に浴びた水に驚いていると、サンジェニュインはまっすぐ顔をあげていた。

そしてまるで「イタズラ成功!」とでも言いたげに舌を出して、ご機嫌そうに嘶く。

やったことはともかく、これだけ元気があるなら大丈夫だな。

 

「このイタズラ小僧め!」

 

そう言いながらサンジェニュインの横顔をしばらく撫でる。

遊んで貰ってると思っているのか、時折俺の服を噛むようなイタズラを繰り返すサンジェニュインにそのまま構っていると、あっという間に1時間が経過していた。

 

「お前といると時間が早く感じられるなあ」

 

サンジェニュインは首を傾げたが、見飽きることのない言動の面白さがそうさせるのだと、俺はなんとなく理解して、つい笑った。

笑ったら、まるで「なに笑ってるんだ」と言いたげに頭を甘噛みされた。

 

 

 

準備ができたぞ、と目黒さんに声を掛けられたのは、厩舎にいる馬が残りわずかとなったタイミングだった。

サンジェニュインがこれから乗り込む馬運車には、他にもハーツクライとディープインパクトが乗り込む手筈になっている。

後ろにサンジェニュインを乗せて、その前にハーツクライとディープインパクトの2頭が来るような形で乗せるようだ。

サンジェニュインの手綱を持って馬運車まで連れて行く。

待機していたハーツクライがサンジェニュインの鬣をいきりなり噛み始めたときは驚いたけど、目黒さんたちはグルーミングだから大丈夫だと言っていた。

……目黒さんがいうなら、まあ、たぶんその通りだな。

不思議なほどサンジェニュインと通じ合っている目黒さんの発言だと思うと、根拠のない言葉だったとしても「そうなのか」と思えるから不思議だ。

 

サンジェニュインたちの積み込みが完了し、馬運車が栗東に向けて出発するのを見送る。

おそらく20時より前には栗東に着くだろう。

俺もとっとと荷物をまとめて栗東に向かわなければ。

テキやクラブ関係者に挨拶に回った後、俺は素早く着替えを済ませて中山競馬場から出る。

幸いにも明日以降は休みだ。

テキたちへの感謝も込めて、千葉や東京の土産物を買って帰るのもいいかもな。

サンジェニュインと遊ぶ用のタオルもそろそろ新調しなければ。

 

そんなことを考えながら歩いていると、俺はひとりの女性に話しかけられた。

 

「間違っていたらすみません。サンジェニュインに乗っていた芝木騎手ですか」

「はあ……そうですけど」

 

女性は俺よりも10歳ほど年上に見えた。

30前半と言ったところだろうか。

ベージュ色のコートに、赤いマフラーをしていた。

見覚えのない顔に警戒心が募るも、その表情は真剣そのもので、どこか無碍にできない雰囲気がある。

 

「あの、突然話しかけてしまってすみません、でもどうしても聞きたいことがあって」

「……なんでしょうか」

 

よく見ると女性の手には馬券が握られていた。

刻まれた番号を見るに、サンジェニュインの馬券だ。

とても競馬をするようには見えなかったが、人を見た目で判断することほど愚かなことはない。

それに、俺を最初から「芝木真白」ではなく「サンジェニュインに乗っていた」と表現しているくらいだ。

もしかしたらサンジェニュインの熱心なファンかもしれない。

 

俺がその「聞きたいこと」とやらを待っていると、女性は一瞬だけ躊躇うように言葉を詰まらせ、でも勇気を振り絞るように口を開いた。

 

「サンジェニュインが、サンジェニュインが陽来(あききた)牧場の生産だと聞いたのですが、それは、それは本当ですか……っ!?それと、陽来牧場は今もまだ北海道にある……あるんですね!?」

 

予想外の質問だった。

てっきりサンジェニュインの次走などについて聞かれると思い込んでいた。

だが眼前の女性は真剣そのものといった表情を浮かべ、俺の返事を待っている。

勢いに押されながらも、俺もまた口を開いた。

 

「そう、です。サンジェニュインは社来ファーム・陽来で生産されました。2002年の、7月2日です。陽来も稼働していますが……あの、それが、なにか?」

 

俺が女性の質問に回答し、今度は尋ね返すと、目を見開いていた女性は、小さく肩を振るわせながらも首を横に振った。

 

「い、いいえ……いいえ!」

 

潤んだ目から今にも涙が零れてしまいそうな女性は、しかし悲しみからではなく、嬉しさからそうなっているように思えた。

 

「あの、あなたは……」

「あ、す、すみません……!お疲れのところ、呼び止めて!」

「あっ、ちょっと!」

 

一体なんの意図があってその質問をしたのか。

その真意を聞きたかったけれど、女性は俺の制止に振り返ることなく、そのまま走り去っていった。

もう姿は見えない。

まるで一瞬の幻のようにすら思える。

 

けれどこの時の女性の真意を、俺は約20年以上の時を経て、思わぬ形で知ることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有馬記念から2ヶ月ほど経ったある日。

2006年になり、サンジェニュインは4歳馬になった。

北海道にある陽来に放牧に出されていたがそれも終え、今は次走に向けて調教が行われている。

サンジェニュインの次走はドバイシーマクラシック。

初の海外遠征だ。

それに向けて、放牧されていた陽来でも洋芝の放牧地で過ごしていたらしい。

 

陽来と言えば、あの日の女性の顔が浮かぶ。

思い切ってテキに相談しようかとも考えたが、サンジェニュインの海外遠征に向けて日々忙殺されているテキを思うと、なかなか踏み出せなかった。

そうこうしているうちに、サンジェニュインがドバイに発つ日まで残りあとわずか。

その日のすべての調教メニューを終えたサンジェニュインは、よほど暇だったのだろう。

たまたま馬房前でしゃがみ込んだ俺を見るやいなや押し倒し、俺の腹を枕にして寝始めてしまった。

 

「まったく……お前は本当に自由な馬だよ」

 

文句を言うように言葉を吐いたが、もちろん、これは文句などではない。

甘ったるい声色になった自覚があったので、周りに誰もいないというのがちょっとした救いになった。

 

「カネヒキリともヴァーミリアンとも会えてないもんな」

 

以前までサンジェニュインの併せ馬の相手だったカネヒキリとヴァーミリアンは、どちらもダート路線に進んだことで会う機会がめっきり減ったようだ。

まあカネヒキリの方は高頻度でサンジェニュインに会いにくるようだが。

前年はサンジェニュインが有馬記念に、カネヒキリがジャパンカップダートや今年のフェブラリーステークスに出る予定だったため、遊ぶのを制限されていたはず。

現在はラインクラフトをはじめとした牝馬を併せ馬の相手にしている。

サンジェニュインは牝馬相手だとどうも遠慮してしまうようで、カネヒキリやヴァーミリアンらとやるような遊び── だいたいは手綱引きみたいなものはやらない。

それで暇で暇で仕方が無いのだろう。

 

「ドバイ遠征ではカネヒキリが帯同馬になるんだ、それまでの辛抱だぞ、サンジェ」

 

俺はそう囁いてサンジェニュインの頭を撫でた。

寝ているとは言っても、馬の睡眠サイクルはさほど長くはないし、あと30分もすれば起きるだろう。

それまで待ってやるか、と俺もその場に寝転ぶことを選び、しばらく馬房の天井を見つめていた。

 

誤算があるとすれば、サンジェニュインの様子を見に近藤さんが来たことだ。

 

「あ、芝木さん」

「あ、近藤さん」

 

その時、ほぼ真下から見上げる形になったせいか、シャツの下から彼女の素肌が見えてしまい、俺は思わず顔を逸らした。

勢いが良すぎたのか、寝藁が鼻にささって声をあげてしまった。

その振動が伝わったのか、サンジェニュインが文句を言うように鼻を鳴らす。

ただ未だ夢の中だったようで、ぐりぐりと俺の腹に顔を押しつけたあと、また眠ってしまった。

その様子に、俺と近藤さんは顔を見合わせてどちらともなく笑い出した。

 

「ふふ……芝木さん、枕になってるんですか」

「ああ、まあ……なんか、ちょうど良い硬さみたいで。高反発枕的なやつなんですかね」

「んふ、っふ、あ、す、すみません……!」

 

なにかがツボに入ったのか、近藤さんが笑いを堪えるように顔を逸らした。

サンジェニュインは相変わらず、鼻を鳴らしながら寝ている。

ここまで人慣れした馬もそういないだろう。

徐々に舌が出始めた横顔を撫でてやると、気持ちよさそうにまた鼻が鳴った。

 

「んふッ!……あ、ああ、そう言えば。海外でも芝木さんが主戦だって聞きましたよ。サンちゃんも心強いと思います、ありがとうございます」

 

俺の視線に合わせるためか、屈んだ近藤さんが俺にそう囁く。

その声色がどこかうれしそうに聞こえて、俺は思わず「近藤さんのおかげでもありますよ」と、その目を見て言葉を繋いだ。

近藤さんは思ってもみなかった言葉だったのか、大きな目をさらに大きく見開いてた。

 

「テキから聞きました。俺がサンジェの鞍上に復帰するの、近藤さんもかなり後押ししてくれたそうで」

 

柴畑さんから、テキから、そして竹さんから。

推薦として押し上げられた1歩の中に、近藤さんの声がしっかりと俺の背中を押している。

芝木真白なら問題ない、と、俺を信じる声が。

 

俺の言葉に近藤さんは勢いよく頭を横に振った。

 

「い、いえいえっ!わっ、私はそんな……!芝木さんの騎乗に問題がないって、そんな当たり前のことを言っただけです!」

「あなたが「当たり前」だと思ったそれらのおかげで、俺は今、サンジェの側に戻れてますよ。……本当に、ありがとうございます」

 

再度、頭を下げる俺に近藤さんは戸惑っていたが、最後ははにかみながら頷いてくれた。

仕事のためか短く切りそろえられた髪や、毅然とした態度から格好良い大人の女性という印象が強かったが、こうしてはにかむ姿を見ると柔らかい印象を受けた。

本来はとても穏やかな女性なのかもしれない。

……キレイに揃えられた髪の、その合間から見えた耳が少し赤かったから、意外と照れ屋なんだな。

確か俺よりも2つか3つ、年上だったはず。

年上相手にこう思うのは生意気かも知れないが、なんだか可愛らしく思えて目が逸らせなくなってしまった。

近藤さんは俺からじっと見られているせいか、困惑からかじわじわと赤くなっていく。

俺も少し顔が赤くなってきたような気がする。

ダメだな、なんとか視線を逸らさないと── と俺が唾を飲み込むと、ブルルッ、と鳴き声が響いた。

ハッとして前を向くと、先ほどまで俺の腹を枕に眠っていたはずのサンジェニュインが、まっすぐと起き上がっていた。

まだ眠そうな目をしているから、半分は夢の中なのかも知れない。

ぼーっとしたように俺をまたぐようにふらふらと歩いて、空っぽの水桶に顔を突っ込んで。

そうして水が無いことに気づいたのか、そこでパッチリと目を開いた。

どうやらここで覚醒したようだ。

 

「フルルーン?」

「あっ、み、水だよね!ごめんね、いま持ってくるからね!そっ、そそそれじゃあ芝木さんここで!」

「あ、ああ、はい……」

 

ハッとしたように顔を逸らした近藤さんは空のバケツを持って水を取りに行った。

去って行く彼女に気の抜けた返事しかできず、俺は少し熱くなった顔を冷ますように仰ぐ。

下に寝藁があるせいか、なんだか身体まで熱いような……本当におかしいな、2月なのにすごく熱い。

パタパタと手で扇ぐ俺が不思議だったのか、それとも未だに寝転がっている俺がおかしく思えたのか、俺に顔を寄せたサンジェニュインが首を傾げた。

 

「……助かったよ、サンジェ」

 

苦笑いを浮かべながらサンジェの顔を撫でると、もっと撫でろと言わんばかりに顔を押しつけてきた。

その要求に応えつつ、俺はまだ冷めない顔の熱をどうしようかと悩む。

それでもさっきよりはだいぶ収まったことを考えると、サンジェのタイミングの悪さ、いや、良さには感謝でいっぱいだ。

 

「なんだかんだ、お前には頭が上がらないな」

 

その頭を支えに起き上がると、不思議と得意気に見える顔を抱きしめた。

 

吹き始めた冷たい夜の風に打たれる。

しばらくその顔を撫でてやると、サンジェニュインはまたうつらうつらと、夢の世界へ片脚を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンジェニュインがドバイに発ってから数日後。

俺もテキと共にドバイに到着した。

サンジェニュインはドバイの馬場が気に入らないのか、調教中も度々苛立った様子を見せていたが、帯同馬をカネヒキリにしたことが功を奏したのか調子は悪くない。

いくら賢いとはいえサンジェニュインも馬。

馬というのは本来、群れを成す生き物だ。

今まで1頭で過ごしていたとはいえ、やっぱり同族がいると安心感が違うのだろう。

馬房に戻すと、以前のように俺や目黒さんを引き留めて遊ぼうとする仕草はなりを潜めた。

隣にいるカネヒキリやハーツクライが遊び相手になっているからだ。

 

……それに安心するやら、少し嫉妬するやら。

 

「馬相手に嫉妬なんて情けない……っ!」

 

俺が顔を覆っていると、目黒さんが俺の背を叩いた。

 

「ははは……芝木くんの気持ちもわからなくはないけどな」

 

栗東に居た頃はほぼ毎時間サンジェニュインの側に付き添っていた目黒さんは、ドバイでは長時間付き添うことはない。

現在、サンジェニュイン以外の管理馬がいない本原厩舎では、サンジェニュインの相手になる馬がいないため、厩務員たちが代わる代わる遊び相手になっていたし、俺だってよくサンジェニュインと遊んだ。

だが繰り返すように、ここにはカネヒキリもハーツクライもいる。

サンジェニュインはもしかしたら産まれて初めて、世代の近い馬と同じ厩舎に過ごすという体験をしているのだ。

そう思うと、とてもじゃないが割って入ろう等という気にはなれない。

それは俺や目黒さんだけでなく、近藤さんやテキも同じようだった。

 

「毎日はしゃいでるからなあ。鬱陶しそうにしているのなんて、昼の暑さで参っている時か、思うようなタイムが出せなかった時くらいだよ」

 

元から調教が楽な馬だったが、ドバイにきてからますます手が掛からなくなった。

 

そう言葉を繋げたのはテキだ。

近藤さんはそれに同意しながらも、でも、と口を開いた。

 

「こっちは本当に寒暖差が激しいですね。夜は馬着を着せないと酷く寒がりますし。サンちゃんはあまり寒さには強くないみたいですから……」

「そうだな。寒さに強くない、かといって暑さに強いわけでもない。朝もなるべく早く脱がせないといけないから、栗東以上に時間管理を厳しくしないと」

 

昼は連日真夏日かというほど暑いドバイだが、夜になると凍えるような寒さに襲われる。

馬は比較的寒さに強いが、だからといってまったく感じないわけではない。

特にサンジェニュインは寒いのはあまり得意ではないようだ。

それで北海道の陽来でどのように過ごしてきたのか、と思ったが、どうやら陽来では適温になるように暖房を入れていたらしい。

こっちではそうもいかない。

だから目黒さんや近藤さんは毎日、夕方になるとサンジェニュインに馬着を着せていた。

 

防寒対策と、白毛の美しさを守るためだというのは解るが、俺には納得のいかないことがあった。

 

「馬着はサンジェに必要なことだからいいんですけど、あのマスコミのアレ、必要ですかね」

 

俺がそういうと、テキは小さな唸り声をあげた。

 

「本当はやめたいんだけどね。ただあの馬着、いろいろ『こもってる』もんで」

「ああ……」

 

馬はタダで走っているわけではない。

そこには俺の想像も及ばないようなイロイロな権利がない交ぜになっているのだ。

数多いるクラブ馬の中でサンジェニュインが、ドバイだけでなく、4月以降は欧州遠征を控えているのも考えると、それを実現させるためのあらゆる契約があるのだろう。

主に金銭面で。

多種多様な柄、色、ブランドの馬着も、それをメディアの前に見せることも、その一種だとテキの一言で感じることができた。

 

「理解はできてもやっぱりフクザツですね」

「こればっかりはな……ただ、それと走りとは別だ。芝木くん、いつも通りで構わない。いつも通り、サンジェの思うがまま走らせてやってくれ」

 

変わらぬ調子でそうテキが言うので、俺もいつも通り力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

迎えた2006年3月25日。

当日のサンジェニュインは最高のコンディションだった。

トモの張り、毛艶、脚の調子、本人のやる気。

どれをとっても十分だった。

十分だったのに。

 

サンジェニュインは、異国の地で敗北した。

 

わずか2センチ。

ずっとサンジェニュインの背中に張り付いていたハーツクライの、その勝利への執着を前に、サンジェニュインは競り負けた。

 

……いや、サンジェニュインの執念もまたそれに負けないほど強かったはずだ。

差がうまれたとしたら鞍上の力量差、俺の力不足。

そして、陰ることのないハーツクライとグラン・リュベールという騎手の執念。

1度は勝利を確信して掲げた拳を、ゆっくりとサンジェニュインに伸ばした。

そしてその枯れ木のように突っ立っている、今にも消え入りそうな白い馬体に触れた。

 

負けたはずなのにサンジェニュインは泣かない。

あの東京優駿での時のように。

特別悔しいと思っていないのか、負けたことに気づいていないのか?

 

── いいや、違う

 

我慢をしている。

泣けば俺たちがサンジェニュインを心配するだろうと理解しているから。

 

……自分1頭が涙を流さず我慢すれば、みんな明るくなれると本気で信じているのだろうか、この馬は。

手に取るように読み取れた後悔の念を手繰り寄せて、俺は、俺にも言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 

「悲壮感に浸って、自分を慰めるのは気持ちが良いか」

 

俺たちを心配させたくない、という盾を掲げて、やせ我慢をすることがそんなに偉いのか。

 

これは、あの桜舞う日。

サンジェニュインに背を向けた自分にも通じる。

自分が悪かったのだ、自分の責任だと酔いしれていたのだと気づくのに、俺はまる1年使った。

だが、1年使ったからこそ、身に染みる。

 

「涙は弱者の証なんかじゃあない」

 

サンジェニュイン。

お前の流す涙は、いつかきっと、お前の道になる。

 

ぽつりと真珠のように落ちた涙を、俺はずっと、覚えていようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006年4月。

共にドバイで過ごした馬たちは帰国し、サンジェニュインはたった1頭で欧州遠征を行うことになった。

帯同馬を付けずに海外遠征することにテキは難色を示していたが、サンジェニュインが安心できる馬など数が知れている。

最たる候補であったカネヒキリが屈腱炎ため療養に入った今、たとえ1頭だとしても遠征を続行した方がよいとクラブ内で意見がまとまったらしかった。

 

欧州初戦はフランスの春一番のGⅠ・ガネー賞だ。

事前の情報から、地元の有力馬が脚を揃えて出走してくるのは知っていた。

俺はギリギリまで他の馬たちの情報を集め、調べ、確認して。

ガネー賞当日。

馬運車から降り立ったサンジェニュインの姿を見て、確信した。

 

「サンジェニュインなら勝てる」

 

今日も、いつだって、サンジェニュインは最高だから。

 

 

 

重馬場となったガネー賞では、結果として2着馬に26馬身差。

後ろを振り返ってまだ誰も入ってこない数秒は、まるで永遠のようにすら感じられた。

しかしそれは、サンジェニュインのスピードとパワーが他を圧倒しているから。

追いつけない次元まで、サンジェニュインは一息で駆け抜けたから。

 

今日、ほとんど鞭は入れなかった。

ただサンジェニュインの意思ひとつで、ゴールへと向かっていったのだ。

俺が、テキが、目黒さんがファンが、サンジェニュインなら勝てると信じたその願いに応えるように、サンジェニュインは大歓声を浴びた。

 

《 馬に勝ち負けなんてわかるものか 》

 

そう俺をせせら笑ったやつら。

見ているか。

 

サンジェニュインは負けた悔しさを勝利で塗り替えた。

 

これを「勝ち負けを理解している」と呼べないなら、俺たち人間だって、勝ち負けなど知るか。

 

 

 

 

 

 

2006年6月25日、フランスGⅠ・サンクルー大賞典。

2006年7月29日、イギリスGⅠ・キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス。

 

ガネー賞に引き続き、サンクルー大賞典、KGVI&QESといった欧州を代表するGⅠを制したサンジェニュインの価値は、国内外で止まることなど知らぬように高まり続けた。

相手がハリケーンランやプライドをはじめとした地元有力馬だったことや、その勝ち方が評価に繋がったのだろう。

特に欧州での評価は日本以上に高く、社来グループに120億近い金銭トレードが持ち込まれるほど。

初めて聞いた時は「それじゃあもうサンジェニュインに乗れないのか」と絶望すら感じたが、結局実現しなかったことは大きな救いになった。

 

……もし金銭トレードなど行われようものなら、恩も何もかも仇で返して、ただサンジェニュインについていこうか、などと考えるほどにあの数日間は追い詰められた。

それを正直に話した時には、流石の温厚なテキも「入れ込みすぎだ」と俺を叱ったが、俺の絶望と希望の形のすべてが「サンジェニュイン」という馬になっている以上、もう仕方ない。

サンジェニュインが走り切るまでは、俺にとっての最優先はサンジェニュインで在り続けるだろう。

でもまあ、恋人だ、結婚だなんだと聞いてくる記者相手に「サンジェニュイン」と答えた時は苦笑いが返ってきたから、テキもそろそろ諦め気味なのかもしれないな。

 

それでも、もしアイツが引退したら俺も引退する、と言い出さないだけ俺はまだ理性が残っているほうだと思いたい。

 

「調子はどうだ、芝木くん」

「目黒さん!……ええ、サンジェは相変わらず」

 

ふっと、現実から逃げるように沈めていた意識が起き上がる。

目黒さんは心配そうな表情を浮かべて、ぽつりと口を開いた。

 

「そうか。まだダメか」

 

目黒さんの言葉と、その視線の向かう先を見て俺も小さくため息を吐いた。

今日は2006年8月21日。

翌日にはインターナショナルステークスが控えている。

俺たちはヨーク競馬場の待機厩舎にすでに詰めていた。

その馬房に収まるサンジェニュインは、以前のような活発な姿などなく、馬房の奥隅でじっとしている。

 

「本当に、すみません」

 

今にも消え入りそうな声色でそう口を開いたのは近藤さんだった。

目黒さんの影に隠れるようにその場に立ち竦んでいた小さな身体は、小刻みに震えているようにも見えた。

 

「サンちゃんが人の感情に敏感だって言うのはわかっていたはずなのに……私がうかつなことを言わなければ……ッ!」

「近藤さん」

「ッでも、目黒さん!」

 

思い返すのは昨日のことだ。

インターナショナルステークス、そしてその後のレースに向けた記者会見を終えたその時。

ラインクラフトが、サンジェニュインの最たる併せ馬の相手でもあったラインクラフトが死んだと情報が上がった。

JRA職員から形見の赤い手綱を受け取り、駆け寄ってきた近藤さんの顔色と、何かを察したようにその雰囲気を一変させたサンジェニュインの姿が、しっかりの脳裏に焼き付いていた。

あれから一晩たったが、サンジェニュインの調子は戻ること無く、いまも崩れたまま。

 

あの場で言わなければ。

サンジェニュインに聞かせなければ。

 

近藤さんは、サンジェニュインが調子を崩した原因が自分にあると信じて疑わないようだった。

俺は憔悴していく彼女の事も心配になって口を開いた。

 

「近藤さんのせいではないでしょう。テキだって目黒さんだって近藤さんのせいだとは思ってないですよ。もちろん俺もです」

 

今もサンジェニュインは、馬房に飾られた赤い手綱を見つめては、ほとんど表情を動かすことはない。

これまで俺たちの言葉が分っているかのように見せていた様々な反応も、昨日のあの瞬間からまったくといっていいほど見せなくなった。

まるでどこにでもいる普通の馬のように、俺たちが手綱を引かない限りは動かず、嘶くこともない。

だがふとしたように暴れては、俺たちが話しかけるとビクッと身体を震わせる。

そして何かを伝えたいのか細かい嘶きを繰り返して、時間が経つほど落ち着きがなくなっていった。

常にサンジェと通じ合っているようだった目黒さんにさえ、ほとんど感情を見せない。

あれほど通わせていたものが一方通行になったことに、誰でもなく、目黒さんが一番気を揉んでいるようだった。

 

でも。

 

「……サンジェは、俺たちを困らせたくてあんな行動を取っているわけじゃないと思います。もしかしたら本人も、自分の制御ができないんじゃないか、と俺は思うんです」

 

俺たちを嫌いになってあんな行動を取っているとは到底思えなかった。

 

その様子は、どちらかと言えば感情の発露を押さえられない、幼い子供のようで。

暴れた後はいつも罰が悪そうに、一瞬、ひどく申し訳ないと言う顔をするから。

だから俺は、調教中に振り落とされそうになっても、手綱を引いて無視されても、それを恨むことも憎むこともない。

ワザとじゃないとわかっているからだ。

もし俺が、サンジェに対して何かを思うとするならば。

それはただただ心配だけだ。

日に日にきつくなっていく気性に対して一番戸惑って、一番自分を責めているのはサンジェのように見えた。

 

そう言葉をつなげて俺が拳を握ると、近藤さんは少し泣きそうな表情をして口を開いた。

 

「……私、本当はハルノメガミヨが退厩したら厩務員を辞めようって思ってたんです」

「えっ?」

 

初耳だった。

近藤さんとは俺が騎手免許を取って、本原厩舎の所属になった時からの付き合いだったが、そんな話は1度も聞いたことがなかったからだ。

とは言っても、俺は近藤さんが担当した馬に乗ったことはほとんど無かったから関わりはほぼ無かったのだが。

それでも所属厩舎の厩務員の進退については、多少なりとも噂になるし、聞く機会もあったはずなのに、こうして言われるまでまったく知らなかった。

 

「私の実家、千葉で農家やってて。四姉妹の長女だから、はやく婿を連れてきて家業を手伝えって言われてたんです。これからだと思ってたハルノメガミヨの退厩が決まって、ちょっと、なんていうんですか。それまで張っていた糸がぷつん、と切れてしまって」

 

酷い仕打ちの告白を打ち明けるように彼女は言葉を続けた。

その背中を、目黒さんがそっと撫でる。

 

「もう実家に帰った方が良いのかな、と思ってたときに、目黒さんのサポート要員としてサンちゃんに付くことになったんです。……初めてサンちゃんに会った時、彼、まっすぐと私の目を覗き込んで。その目があんまりにもキレイだったから、もうしばらく側で見ていたいって欲がでちゃって」

 

そう思った日を思い出しているのか、近藤さんは少しだけ表情を緩めて、それから唇を柔らかく噛みしめた。

 

「サンちゃんは、私にとって天使みたいな馬なんです。毎日笑顔をくれる。ただかわいいだけじゃなくて、私に「夢を追い続ける」って事を教えてくれた、特別な馬。かけがえのない、大切な……っ」

 

言葉のひとつひとつに込められた想いには、自分でも驚くほど、共感できた。

嘘偽りのない、飾りもない、近藤さんの言う、サンジェの目のようにまっすぐな。

近藤さんの目から一筋だけ涙が流れた。

彼女は気丈な女性だから、さっとその涙を拭ってまた顔を上げる。

 

「私はサンちゃんを「人間の感情を解っている賢い仔」だと理解していると思い込んで、でも結局は「馬だから」と思っていたんです。だから、だからこんなことになった。……そんな私が言うのは間違いかもしれません。それでもお願いです」

 

近藤さんが深々と頭を下げる。

 

「あと1日しかなくても。最後まで、諦めたくないんです」

 

サンジェニュインは今も宙を見つめている。

近藤さんは顔を上げると、視線の合わないサンジェニュインの横顔を、寂しそうに見た。

 

「蹴られても、噛まれても、嫌がられても。彼の心に触れたいんです」

 

俺は、真正面から受け止めた近藤さんの、その凜とした姿に視線を奪われていた。

えも言われぬ感情が奥底からわき上がってくる。

ふいに俺たちを見たサンジェニュインの、ガラス玉みたいな目がそれを写し取って。

 

「触れて、愛を伝えたい」

 

瞳に宿る感情を、俺も愛と呼びたくなった。

 

 

 

 

 

 

2006年8月22日、イギリスGⅠ・インターナショナルステークス。

ゲート入りまでサンジェニュインは調子を落としたまま。

空洞のような目は変わらず、俺の呼びかけにも答えなかった。

 

それでも俺は言葉をかけ続ける。

途方もない愛情を込めながら。

 

「……サンジェ。俺がついてるからな」

 

開け放たれたゲートの向こう側に向かってサンジェニュインは駆ける。

焦るように、苛立ったように、おかしそうに、寂しそうに、泣きそうに。

俺の鞭にも、扱きにも反応せず、ただ誰かと競うように走る。

 

それでも最後に、サンジェニュインは最後に、力を込めて大地を蹴り上げた。

 

「── いけるか、サンジェ!」

 

俺の呼びかけが赤い手綱を伝い、サンジェニュインの身体を震わせる。

それまで繋げることができなかった点と点が結び合って、今。

 

今、今、今、この瞬間。

 

サンジェニュインは確かに、俺に応えた。

赤い手綱を伝って。

それは運命の糸のように伸びる。

どこまでも、どこまでも。

 

 

 

 

 

「サンちゃん……っ!」

 

ウイニングランを済ませ、その手綱を近藤さんに渡す。

赤い手綱をしっかり握った彼女は、サンジェニュインに手を伸ばして。

この2日間、ガラス玉のような目をしていたサンジェニュインは、その呼びかけに振り向いて──。

 

「ヒッヒーンッ!」

 

振り向いて、大きな声で嘶いた(わらった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、優駿の門が開かれる。




主な登場人馬

サンジェニュイン
2人が全然進展しない!
※またしても何も知らないサンジェニュイン

芝木くん
ノータイムクソデカ感情

イサノちゃん
おそらく作中一番きれいな感情

第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)

  • エアグルーヴ
  • ハルウララ
  • ウオッカ
  • カレンチャン
  • 海外牝馬組
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