※凱旋門賞の実況は、本編の実況とは別実況(別メディア)の実況にしたので、改めてお楽しみください。
22時ぴったりに更新しようと思ったのに前書き書いてないことを思い出して追加です(白目)
2021/12/20 追記
同人誌について活動報告に追記しました
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=272812&uid=53018
「帯同馬がディープインパクトって……俺は賛成できません!」
そう言って声を荒げた俺に言葉を返したのは、テキではなく目黒さんだった。
「こちらから進んで決めたわけじゃない。サンジェニュインが牡馬を、特に負けた記憶のあるディープインパクトを苦手に思っているのは理解しているからな。それでも、まったく知らない牡馬を帯同馬にするよりは、ディープインパクトと共に行かせる方がメリットがある」
「それは……!ッパンジャンマックスは?フランス遠征ならあの馬がいるはずじゃ」
今度はテキが口を開いた。
「それなんだけど、パンジャンマックスはイギリスの馬主に買い戻されてね。……まあ、モーリスドギー賞で最低人気からの4馬身差圧勝だっただろう?それで戻されて……今はフランスにいないんだよ」
「じゃ、じゃあヴァーミリアンは?今回の検疫で帯同するって聞きました。フランスまでついてきて貰うことはできないんですか?」
我ながら苦しい質問だったと思う。
案の定、テキは首を横に振った。
「そりゃ無茶だ。ヴァーミリアンは11月のレースで復帰が決まっているからな。検疫厩舎内ならともかく、海外遠征に帯同となると遠征費も追加で掛かるし、帰国後の検疫スケジュールだと厳しいから」
「でも、よりによってディープインパクトなんて……」
ディープインパクトと対戦したのは去年の有馬記念が最後。
それ以降は海外レースに専念していたため会うことも無かったが、レース後に同じ馬運車に乗せられた時の嫌がりようや、馬運車から降りてきた時の顔を見ているとまずい相手に思える。
凱旋門賞に挑むのに、テンションを下げる可能性がある馬と互いを帯同馬とすることに、俺は賛成できずにいた。
もちろん、目黒さんやテキの言い分がわからないわけではない。
確かに、まったく知らない牡馬を帯同馬とするよりは、ディープインパクトにした方がいくらかマシだろう。
それはわかるが、サンジェニュインの精神的負担がどれほど大きくなるか、想像するといっそ1頭だけの方が良かったのでは無いかと思ってしまった。
でも、俺よりもよほどサンジェニュインに詳しい目黒さんまでも同意しているのであれば、もはや口を挟む隙間はない。
俺はテキに頷き、案内されるまま会見会場まで足を進めることにした。
「心配するほど悪いことにはならないと思う。サンジェニュインも精神的にいくらか大人になった。馬同士の関係に折り合いを付けることも上手くなったように思うよ。それに、帯同馬とは言え、四六時中べったりさせるわけじゃないから」
俺がなおも不満そうな顔をしているように見えたのか、目黒さんは苦笑いを浮かべながらそう続けた。
確か、カネヒキリの時はほとんど2頭セットで行動していた。
だがディープインパクトとの遠征では、馬房こそ隣同士で、調教のパートナーも務めるが、それ以外では離して行動させるのだと言う。
それならサンジェニュインの負担もいくらか軽くなるかもしれない。
少しだけホッとして息を吐くと、会見が開かれる会場の前に着いた。
「本原先生、目黒さん、芝木騎手、本日はよろしくお願いしますね」
「水野さん。はい、よろしくお願いします!」
今回の会見にはサイレンスレーシングクラブからも人が入る。
クラブ馬のスケジュール管理の責任者である水野さんにその役目が振られたようだ。
軽く挨拶を済ませ、テキと水野さんが会見の段取りを打ち合わせているのを離れた場所から見つめた。
「や、芝木くん」
「た、竹さん!お久しぶりですね」
「うん。1年ぶり?」
「いや、そんなには経ってないです」
「ははは、冗談だよ」
明るく、穏やかな表情で話しかけてきたのは
この会見にはディープインパクト陣営も出ることになっている。
早い話が合同会見というやつだ。
竹さんもテキが段取りの打ち合わせに入ったから手持ち無沙汰になったのだろう。
「欧州戦、4戦4勝、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
いくつか年上の、それもレジェンドと呼ばれるジョッキーに真正面から褒められるとむず痒いものがある。
……それとは別として、なんだか竹さんには妙な気まずさと苦手意識があるんだよな。
竹さんの方はなんとも思っていないだろうから、俺が一方的に感じているだけなのだが。
「ずっと、このレースを待ってたんだよ」
妙に気合いの入った声に、俺は背筋から駆け上がってくる悪寒に震えて振り返った。
竹さんは俺をまっすぐ見たまま、薄ら笑いを浮かべる。
「神戸新聞杯、菊花賞に有馬記念。サンジェニュインに負けたまま期間が空いちゃったからね。僕もディープインパクトも、リベンジを狙ってたんだ。……初の海外戦だったとしても、ディープインパクトは負けないよ」
正々堂々、真正面からの宣戦布告。
── ああ、そうか
お互い、自分の馬こそが最高だと信じているから。
それを誰にも譲れないから。
俺はこの人が苦手なんだ。
「次の質問を── どうぞ」
「ありがとうございます。スポーツ東園社、記者の伊瀬です。海外遠征について、心配ごと等をお聞かせ頂きたいです。まずは沼江厩舎様からお願いします」
会見が始まって約1時間。
凱旋門賞のための遠征スケジュール、滞在場所、調教、騎手について発表があったあと、質疑応答の時間が設けられた。
これですでに11個目の質問だ。
幸いなことに、以前のような私的な質問をしてくる記者がいない。
参加できるメディアを絞った結果だろうけど。
質問者に話題を振られ、沼江厩舎の主── 沼江調教師はマイクを手に取って話し始めた。
「海外遠征についてですか。我々としては心配は何一つしていません。ディープインパクトはロンシャン競馬場のターフに適応するために必要な調教を積んできましたし、母方の血統を見れば欧州の馬場にも適応できるものと考えています。騎手も慣れ親しんだ竹騎手に乗って頂きますし、準備は万全。憂いなしです」
沼江調教師の言葉に淀みはない。
ハッキリとした自信が感じ取れる話し口は、きっと画面向こうの大勢のファンたちを安心させるだろう。
今年度は3戦3勝。
国内レース負け知らずのディープインパクト。
その唯一の懸念事項が「海外レースの経験がない」という1点だった。
質問した記者はおそらくディープインパクトのファンなのだろう。
ホッとしたような、どこか満足そうな顔でひとつ頷くと、今度はテキに話題を向けた。
「沼江調教師、ありがとうございます。……本原厩舎様はどのようなお考えでしょうか」
「そう、ですね……」
テキは1度言葉を句切ると、確認するように俺の方を向いた。
俺は間髪入れず、それに強く頷き返す。
考える素振りも見せずに頷いた俺を見て、テキは、満足そうに言葉を繋げた。
「4月にガネー賞に出走してから5ヶ月近くが経ちました。これまで欧州4レースに出走し、地元の有力馬を相手に勝利した経験は、サンジェニュインにとって大きな実りになったものと確信しています。洋芝への適性も、実力も、欧州の馬に何一つ劣らない。── 凱旋門賞では、優勝以外は考えていません」
小さな歓声と共にフラッシュが焚かれる。
俺はそのまばゆさに目を閉じることなく、前を真っ直ぐと見つめた。
「じ、実質の勝利宣言と受け止めてもよろしいでしょうか」
「主戦の芝木騎手にも、何より走るサンジェニュインにも、大きく期待していることは確かです」
言い切ったテキに、質問した記者はどこか動揺しているようだった。
これまでひとつひとつ考えながら発言していたテキが、ほぼノータイムで返してきたことが意外だったのだろうか。
テキの発言に同意するように俺が頷くと、今度はそれを鋭く拾った記者が手を挙げる。
「西スポです。芝木騎手に質問よろしいでしょうか」
「残り2分ですので……」
「お願いします」
「残り時間が迫っていますので……」
「かまいません。質問をどうぞ」
司会者から視線を向けられて、俺はマイクを手に取って言葉を返す。
西スポの記者──
サンジェニュインの新馬戦から全レース、サンジェニュインの記事を書いてくれている。
意外と人を選り好みするきらいがあるサンジェニュインが、カメラを向けられても快く受け入れる相手。
まずい質問をしてくることもないだろうし、下手な記事を書くこともないだろうという、深い信頼があった。
テキも相手が笹島さんだと解って、安心したような表情を浮かべていた。
「芝木騎手、ありがとうございます。それではさっそく質問ですが……芝木騎手はこの凱旋門賞、勝算は如何ほどでしょうか」
質問してきた笹島さんはどこか期待をしているような顔をしていた。
俺はそれを見て、苦笑いを浮かべそうになるのを堪える。
笹島さんが求めている言葉は手に取るように分ったし、向こうも解っているだろうけど、それでも俺は口を開いた。
「── 100%、勝つつもりです」
大きくどよめいた会場で、質問してきた笹島さんと、反対隣に座っていた竹さんだけが、面白そうに笑っていたのが見えた。
日本での検疫を終え、フランスに入国。
サンジェニュインとディープインパクトは、共に国際厩舎に入厩した。
事前の説明通り、馬房は隣同士で一部調教のパートナーも務めたが、基本的には時間を分けて調教が行われた。
凱旋門賞が行われる前日の今日、サンジェニュインはリラックスした状態で馬房に寝転がっていた。
ゆっくりと瞬きが行われているのを見ると、もう夢の世界に片脚を半分突っ込んでいるところだろう。
その状態のまま口を動かしているせいで、半分ほど寝藁を食っていた。
だいぶ間抜けな寝顔だったが、それが可愛く思えて仕方なかった。
「あ、芝木さん」
「近藤さん、こんばんは」
「こんばんは!……あれ、もしかしてサンちゃん、寝てますか?」
「さっきまでまだ半分起きてたんですけど……今は寝てますね」
換えの水だろうか、バケツを持った近藤さんに尋ねられ、俺はサンジェニュインの馬房を再度覗き込んだ。
さっきまではゆるく瞬きしていた目も閉じている。
本格的に眠りの世界に入ったようだ。
「ディープインパクト号にもだいぶ慣れましたよね」
「……あー、そうですね。隣の馬房から明らかに覗き込まれてるのに、寝てますからね」
サンジェニュインが寝転んでいる隣の馬房から、首を伸ばしている鹿毛の馬を見る。
もしかしたらサンジェニュインと遊びたかったのかも知れないが、1度寝ると30分から1時間はぐっすり寝るのがサンジェニュインという馬。
おそらく起き上がる頃には逆にディープインパクトが寝入る頃だろう。
「それにしても……ほんと……」
未だ寝藁を口に食んだまま熟睡しているサンジェニュインを見る。
その余りにも間の抜けた姿に、はぁ、と小さなため息が漏れた。
当初、調教時間が分かれているとは言え、馬房が隣同士でストレスにならないか心配していた。
だが俺は心配になるあまり、忘れていたのだ。
サンジェニュインは繊細であると同時に、何かサンジェニュインの中で折り合いが付くと、途端に図太くなる馬でもあることを。
俺たちには計り知れない基準で、サンジェニュインの中で折り合いがついたのか、覚悟が決まったのか。
今では調教でディープインパクトに張り付かれても、余裕があれば受け流す様子さえ見えるようになった。
「まあ、余裕がないと逃げるんだが……」
本当に無理なときは全力で逃げるので、まるっきりディープインパクトと2頭セットで行動させるのは無理だとしても、想定していたよりはかなり負担は少なそうで何よりだ。
「サンちゃん、私たちの想像をサラッと超えますからね」
苦笑いの近藤さんに、俺も強く頷いた。
「あ、そういえば馬体重でましたよ。530キロ、ジャストだそうです」
「戻りましたね」
「ですね。……ちょっとプラス気味ですが」
インターナショナルSでは3キロほど馬体重を落としたサンジェニュインだったが、目黒さんや近藤さんのサポートの甲斐あってか、無事馬体重が回復。
それどころかいくつか増量したようだ。
わずか1ヶ月ちょっとでの増量だったが、張ったトモの美しい盛り上がりが、太め残りではないことを物語っていた。
「インターナショナルSは私の不注意でサンちゃんには辛い思いをさせてしまいましたが……また元気なところが見られてよかったです」
近藤さんがはにかみながらそう言うのを、俺は目を細めて見つめ返した。
涙ながらに訴える彼女の姿が脳裏をよぎる。
俺が言葉もなく見つめ返したことで、近藤さんも戸惑ったのか言葉が途切れた。
その、少し照れ恥ずかしそうに伏せられた顔を見ると、なんだかこちらまで恥ずかしくなってきた。
ダメだ、話題を、何か話題を出せないと。
「ば、馬体重もいいですし……ディープインパクトとだいたい100キロくらいは差がありますよね」
「あ、あー、そ、そうですねっ!確かディープインパクト号が436キロ、だったかと思うので。数字にすると結構違いますよね!」
近藤さんの言葉に頷き返した。
体格差を見ると、本来ならサンジェニュインとディープインパクトとで立ち位置が逆な気もするが、お互いの性格もあるのだろう。
大柄なワリには、他の馬に絡むのに消極的なサンジェニュインとは異なり、ディープインパクトはかなり積極的なタイプのようだ。
走ることもかなり好きなようで、調教にも併せ馬にも苦労しないと聞いた。
サンジェニュインも走るのは好きな方だし調教もガンガンに熟すが、併せ馬では苦労すると目黒さんたちからは聞いている。
特に牡馬相手だと大変だ、というのは。
どういうわけかサンジェニュインはやたら同性の馬に好かれる。
もし俺が同性に追いかけ回される特異体質だったら……と想像して、相手が自分より小柄でもそりゃあ逃げるよな、と思う。
俺がぽつりとそう漏らすと、近藤さんはクスクス笑いながら言葉を繋げた。
「でもサンちゃん、本当にここ最近、同性の馬に対する扱いがちょっと変わったんですよねえ」
海外遠征で環境が変わったからかな、と近藤さんは首を傾げる。
「ディープインパクト号とはこの数ヶ月、1度も同じレースで走ってないですし、もしかしたらサンちゃん、ディープインパクト号に追いかけ回されたのを忘れてしまったのかもしれませんね。……そりゃあ今でも時々、顔を寄せられると逃げたりはするんですけど、前ほどではないんですよ」
── 前だったらディープインパクト号を見ただけで来た道を戻ろうとするので。
真剣にそう言葉を繋げる近藤さんに苦笑いを返す。
しかし俺が思うに、図太い性格だっていうのもあるだろうけど、何よりサンジェニュインがディープインパクトに対して、ほんの少し寛容になれただけ、だと思っている。
サンジェニュインは甘えたがりな面が強い印象を残すけど、元来、とても賢い馬だ。
数ヶ月くらいでは、あれほど意識してきたディープインパクトを忘れることはない、と思う。
実際、追い切りで乗っているときにディープインパクトが前から来ると、ちょっと身体が硬くなるから。
苦手意識自体は完全に消えてはいないだろうけど、サンジェニュインなりに、折り合いを付けようとしているのかも知れない。
そう思うと、その賢さを褒めるべきか、末恐ろしいと思うべきか。
それとも、そう見えてしまう俺の目を疑うべきか?
「近藤さん、明日のスケジュールだけど……っと、芝木くんも来ていたのか」
「お疲れ様です、目黒さん」
「ああ、お疲れ様。いよいよ明日になったな」
そう言いながら俺の肩を叩いた目黒さんに頷く。
目黒さんは馬房をのぞき込み、熟睡しているサンジェニュインを見て苦笑いを浮かべながらも、明日の予定について話し始めた。
「芝木くんには明日の朝、テキから改めて指示が飛ぶだろうけど、一応ね」
「はい」
今回の凱旋門賞は9頭立て。
サンジェニュインの馬番は9番。
パドック、馬場入り、ゲート入りは最後だ。
「凱旋門賞にはディープインパクト号の他にハリケーンラン号もいるから、俺と近藤さんの2人引きでやる。サンジェニュインのことだからやらないとは思うが、万が一、放馬しそうになったらさすがに俺1人だと厳しいから」
「頑張ります!」
「よろしくお願いします。……馬場入りまでは俺も近藤さんも一緒だけど、返し馬からは芝木くんだけだから。できるだけ2頭を避けて、走らせすぎないように」
目黒さんの言葉に「はい」と返事する。
返し馬で消耗しては元も子もない。
ディープインパクト側もハリケーンラン側もそこら辺は承知しているだろうから、向こうも全力で止めるだろうけど、こちらも努力が必須だ。
「明日もよろしく頼むよ」
そう言って俺の背中を叩いた目黒さんが踵を返すのを見て、俺は「そうだ!」と思い浮かんだ言葉を叫んだ。
「娘さん、来年卒業だそうで!」
卒業、というのは競馬学校のことだ。
目黒さんには3人、娘さんがいるそうなのだが、その末の娘さんが、来年の3月をもって競馬学校を卒業する予定になっていると聞いた。
もちろん卒業するには騎手免許試験に合格する必要があるのだが、この間行われた、3年生による公開模擬レースで、目黒さんの娘さんが注目を集めていたらしい。
同期からの又聞きなので実際に見たわけではないが、期待するのに十分な成果だったと聞いた。
俺の言葉に、目黒さんは少しだけはにかんだような表情を見せた。
「いやあ、ま、試験に合格できたらだね」
「そうなったら、所属厩舎はうちですかねっ?」
弾んだ声で近藤さんがそう言うと、目黒さんは頬を掻いて「どうだろうな」と言った。
少し耳が赤くなっているように見えたのは、言わないでおこう。
いつもつかみ所がないと思っていた目黒さんの、そんな一面に親近感を覚える。
楽しみですね、と話す近藤さんと、それに答える目黒さんのやりとりを見て、俺はふっと、想像した。
……いつか俺も、誰かと家庭を作るのだろうか。
それで、目黒さんみたいに自分の子供の進路を話題にされて、面映ゆく感じるのだろうか。
まだうまく想像できなかったけど、今、馬房でぐーたらと眠るサンジェニュインの横顔を見ると、こいつの仔には乗りたいな、という気持ちが湧いてきた。
いつまでもサンジェニュインに乗れたら良いけど、そういうわけにはいかない。
いつかサンジェニュインも仔を残すために種牡馬になるだろう。
その時、産まれてきた仔に1頭でも多く乗りたいと、その仔で勝ちたいと、少しだけ夢を見た。
凱旋門賞当日。
サンジェニュインに騎乗するまでの間に、同じレースに出走する騎手たちと予定を熟す。
運営の関係者と騎手全員で写真を撮ったり、それが終われば馬主と共に現地メディアから軽いインタビューを受けたり。
俺がすらすらとフランス語を話し始めたのが面白かったのか、他の騎手よりも長めに拘束されたのは嫌だった。
現地のメディアよりも日本から来たメディアの方がインタビュー長いってどういうことだよ。
文句のひとつでもいいたくなったが、騎手のイメージは馬のイメージ。
ぐっと堪えて、とサイレンスレーシングの水野さんに諭されて、なんとか表面上は平静を保ちながらインタビューを熟した。
横を見ると、先ほどまで同じくらい拘束されていたはずの竹さんはもうディープインパクトに乗っていた。
これが経験の差なのか。
俺ももっと受け流せたら、と思いながらも、なんとかインタビュアーを振り払ってサンジェニュインの元まで急いだ。
「や、芝木くん。写真はたくさん撮って貰えたか?」
第一声がからかい交じりの目黒さんに、つい疲れたような声で言葉を返した。
「あれ、本当に必要な時間なんですかね。疲れたんですけど」
「ある程度の広告は必要だからなあ」
「前日にまとめてやる、とかの方がまだ楽です。……それで、サンジェの様子は」
「ああ、サンジェニュインは1回、歓声に驚いて立ちかけたけど大丈夫。もう落ち着いてるし、ヘンな汗もかいてない」
跨がったサンジェニュインは、自分の話をされているのが解ったのか、ゆるく顔を上げた。
俺からはその全貌を見ることはできないが、調子は悪くなさそうだ。
「ハリケーンラン号やディープインパクト号とも番号離れたからまだ絡まれてないよ。消耗はまだないけど、返し馬は気をつけて」
「わかりました」
反対側の綱を持つ近藤さんも、俺を見上げて頷く。
俺は2人と、今この場にいないテキや、馬主、生産牧場、ファン、そして何よりサンジェニュインからの信頼に応えるべく、力強く頷き返した。
2人に引かれて馬場入りすると、ワッと歓声があがった。
さっきもですよ、と苦笑いの近藤さんが続けるので、目黒さんが言った「歓声に驚いて」というのはこれだったんだろう。
パドックに現れた瞬間に、似たような声が上がったのかも知れない。
サンジェニュインはどこかそわそわしたような様子を見せていたが、それも一瞬のことで、重い馬場に脚を踏み入れた瞬間から機嫌良さそうに歩いていた。
「かなり沈むな」
「稍重の発表もありましたからね。……サンちゃんには嬉しい馬場状態だね」
近藤さんがサンジェニュインにそう話しかけると、まるで返事をするようにサンジェニュインは小さく嘶いた。
その次の瞬間、前の方が騒がしくなって、サンジェニュインの脚が止まる。
目黒さんたちと共に前の方を見ると、先に馬場入りしていたはずのディープインパクトがこちらに向かって歩いていた。
「ディープ……!今回はまずい!」
「どうどう、ディープ、どうどう」
……向こうもかなり必死に引き留めているようだが、ディープインパクトの目がらんらんと輝いているのを見ていると、止まる気はなさそうだ。
どうしたものか、と俺たちが顔を見合わせていると、驚くことにサンジェニュインが歩みを進めた。
やがて2頭が向かい合う状態になると、サンジェニュインはサッとディープインパクトをかわして歩き続けた。
その背を追うようにディープインパクトも歩き出したことで、ディープインパクトの厩務員が安堵したように息を吐いた。
「ほんますんません、うちのディープが……ほんまに……」
「いえいえ。2頭とも歩き出したので、まあ……」
ディープインパクトはギリギリまでサンジェニュインに近づいて歩いているので、俺と竹さんも苦笑いを向け合うことになった。
救いがあるとすれば、サンジェニュインがディープインパクトに怯えず、気にもせず、堂々と歩いていることだろう。
やがて厩務員たちの手も離れ、返し馬に入ると、
気づけば横にハリケーンランもいたので、それに気づいてビビるサンジェニュインを宥めながら、俺たちはゲート前へ。
サンジェニュインは若干疲れた様子を見せながらも、ゲートが近づくにつれて徐々に身体に力が張っていくのを感じる。
手綱からは、サンジェニュインのやる気が駈け昇ってくるように感じた。
前を見つめるサンジェニュインの鬣を撫でる。
「ここまで来ちゃったな、サンジェ」
俺がそう言うと、同意するようにサンジェが頭を上下に振った。
1頭、また1頭がゲートへと誘われていく。
それを見送りながら、俺は、ここまで歩んできたすべてを思い返していた。
初めてこの馬に乗った時、まさかロンシャン競馬場のターフを踏む日が来るとは思っていなかった。
GⅠを取る馬だ!とは思いながらも、海外レースにまで騎乗できるとは考えていなかったから。
でも今日、確かにここにいる。
40年、挑んでは押し返され、たどり着けなかった優駿の門の前に。
サンジェニュインと共に立っている。
「……サンジェ」
心を込めて名前を呼んだ。
「サンジェ」
ここまでよく、走ってきたよな。
俺も、お前も。
「サンジェ」
でもここが終わりじゃない。
ここからが、お前が刻んだ伝説を本物にする、始まりなんだ。
そうだろ?
サンジェニュイン。
「── さあ、世界を照らしに征こう」
俺とお前とで、照らしに征こう。
「さあスタートしました凱旋門賞。全頭まずまずのスタート、抜けて先頭を行くのはサンジェニュイン。9番のサンジェニュインやはりこの馬です。2番手の位置でこれを追うのは1番ハリケーンラン、現在サンジェニュインとは3馬身差ですが好位につけたと言えるでしょう。そこから半馬身差、ディープインパクトが早くも前に来ています。今回は先行策を取ったか、初の海外、初の洋芝。天才・
まだ鞭は使わず持ったままサンジェニュインを走らせる。
ロンシャンのターフならばこれが初めてではない。
ただでさえ重い洋芝が、今回は稍重になったことで沈み、サンジェニュインにとっては走り易い馬場状態になっていた。
この状態でハナが取れるとは確信していた。
ただ予想外のことがあるとすれば、ディープインパクトの位置取りだ。
「クソッ、ディープインパクトがまさかこんなに早くでてくるなんて……ッ」
今年、ディープインパクトが走ったレースのビデオはすべて見た。
後方から推し進める競馬は、外から見てもなるほど、圧倒的な強さを感じられる。
ただサンジェニュインの持ち前のパワーとスピードがあれば、そして洋芝でならば、ディープインパクトの末脚さえも届かない速さで走れる、そう思っていた。
── だが竹さんはディープインパクトに前を走らせた
俺が馬場状態と脚質から「突き放す」競馬をすることは、すでに織り込み済みなのだろう。
初速でサンジェニュインと張り合うのは愚策と断じて、その上で、スタミナを削られると解っていながらちぎられない位置をキープし、末脚をため込むことを選択している。
それは、先行、差し、追い込み。
元来の脚質が豊かなディープインパクトだからこそ取れる戦法だ。
でも、サンジェニュインだって「ただ逃げているだけ」ではない。
「ハリケーンランややスピードあげて2馬身に── ッいや、サンジェニュイン、ここでさらにペースを上げてきた!サンジェニュイン、馬ナリのままぐんっとスピードをあげて、今、もう5馬身リードを取りました。まだ距離はあるが淀みない脚、漲るパワー、これがサンジェニュイン、自在の加速力!ハリケーンランは鞍上がぐいっと手綱をもってこれは掛かり気味か。竹騎手から1つ鞭が入ってディープインパクト、ハリケーンランに狙いを定めているところ。アイリッシュウェールズを抜かしてプライドが浮上してきたがベストネーム食い下がる。レイルリンクとシロッコはそこから3馬身、内に進路を取って前を窺う競馬、シックスティンズアイコンも必死に追う。後方の馬は届くか全体的に速いペースで進んでいます」
俺が鞭を打つ前に上がり始めたサンジェニュインに、反射的に待ったを掛ける。
でもその加速が、ここだという時に上がる輝きが、1度だってマイナスになったことはない。
今、ここでサンジェニュインがスピードを上げたのなら。
ここだと、ここが輝く瞬間だと、サンジェニュインは叫んでいる。
「……お前は、お前が、最高だ!」
── その通りだ!
口から飛び出た本音に沿うように、サンジェニュインはハミを食んで応えた。
「先頭からもう1度振り返ってみましょう。ハナをきるサンジェニュインは6馬身リード。衰え知らずのスピードでまだまだ止まる気配なし。そこから2番手はハリケーンランを交わしてディープインパクト、ディープインパクトが2番手でサンジェニュインを追う。3番手ハリケーンランとの差はわずか1馬身半です。それに続くのはレイルリンク、アイリッシュウェールズ、プライドが横並び。ややレイルリンクが有利か。すぐ後ろにシロッコ。ベストネームは一杯一杯になっている様子。シックスティンズアイコン、ここで伸びるが先頭その差はかなり開いている!稍重のロンシャン競馬場、常ならもう少しスローペースでも良いところですが展開はかなり早い。このペースを作り出したサンジェニュイン、上り坂を抜けましたが……ッきたか!ディープインパクト、ディープインパクトですディープインパクトがスピードを上げて一気に差を縮めに掛かる!ハリケーンランとの差は開けてきたがそれをサッとレイルリンク、驚愕の末脚だッ!レイルリンク、すごいすごい、すごい脚でぐーんっともうディープインパクトに並ぼうというところ、先頭サンジェニュインまであと7馬身差、これが6馬身に、5馬身に、徐々に追い詰められてきたが逃げ切れるかサンジェニュイン、追いつくのはディープインパクトかレイルリンクか!」
直線を抜け、カーブを抜け。
視界の端に鹿毛の馬が見えた、そのタイミングで鞭を振るう。
直線に入ったところまでは確かに6馬身差はあったはずだが、さすがの末脚と言うべきか。
いや、おそらく数ヶ月も前から溜め脚を練っていた竹さんの、その作戦の効果と言うべきか。
日本の馬場に比べればかなり重く、そしてサンジェニュインが踏みしめたことで荒れた芝をなぞるのは苦労するだろうに。
ちらりと覗き込んだディープインパクトと竹さんの顔は、まっすぐに俺たちを捉えていた。
その気迫は、殺気にも勝る。
「……だが、それがどうした?」
恐れることはない。
怯えることもない。
サンジェニュインの脚は止まらないのだから。
ただ前へ、前へ。
前へと進む。
目指す栄光。
目指す勝利。
その先に見える、輝きの向こう側。
優駿の門を越えるのは、ディープインパクトじゃない、レイルリンクでもない、他のどの馬でもない。
── サンジェニュインだ!
「2つ目のコーナー回ってサンジェニュイン!サンジェニュインこれはどういうことだ、まだ伸びるのか、まだ加速するのか!この馬にバテるという概念はないのか!?あとはゴールに飛び込むだけ!さあ逃げ切れるかサンジェニュイン!その後ろにディープインパクトだ!ディープインパクトの上がり脚、まだ止まらない太陽を逃がさない!どこまでも追いかけるその影、鹿毛!ディープインパクト!レイルリンクも粘るがディープインパクトが2番手で追い上げてくるぞ!小さな鹿毛は大きな影に!3馬身、2馬身、あと少し!」
ゴール板が見える。
目の前に。
そびえだつ門が。
越えられなかった門が。
でも越える。
今日、他の誰でもなく、俺と、サンジェニュインが!
「征くぞ、サンジェ──ッ!」
「止まるなディープ……ッ!」
重なり合うように響いた叫びには、血と、汗と、魂と。
すべてが詰まって、詰まって、鞭の音と共に、轟いた。
「最後の直線で並ぶサンジェニュインとディープインパクト!やや苦しいかサンジェニュイン!ッいやしかし!しかしだ!太陽だッ!太陽がぐんぐん、ぐんぐんロンシャンのターフを駈け昇る!昇って昇って── 抜けた!抜けた抜けたサンジェニュイン!ディープインパクトとレイルリンクの猛追を振り切って!サンジェニュイン、今、ゴールイン!」
駆け抜けた瞬間の静寂。
サンジェニュインの鼻息だけが聞こえて。
握りしめた手綱から鼓動が上がってくる。
まだ緩まない脚が、まだ前を見つめたままの顔が、少しだけ緩んだ。
その後に響いた爆音を、一生忘れることはできないだろう。
「今宵の優駿の門、その向こう側にたどり着いたのはサンジェニュイン!日本生産馬、日本調教馬!これが日本競馬史上初の、日本馬による勝利だサンジェニュインッ!」
喉がヒリつく。
なにかがのぼってくる。
嗚咽のような、暴言のような。
形容しがたい感情は。
「約40年に及ぶ挑戦の歴史がありました。スピードシンボリが、メジロムサシが、シリウスシンボリが、エルコンドルパサーが、マンハッタンカフェが、タップダンスシチーが、挑んで、挑んで、敗れた門です。届かなかった門です。抜けられなかった門です。……もう、届かないと、日本馬はだめだと、言われた門です」
溢れ出る涙の意味は。
「しかし、しかし、こよ、今宵……今宵、ああ、っすみません、今宵、日本馬が、日本で生産されて、日本で調教を受けて、戦ってきた紛れもない日本馬が、勝ちました。優駿の門。門の先へ……門の先へたどり着きました……ッ!」
それは、でも。
「見よ、聞けよフランス!世界!これが、これが、諦めないということだァ──……ッ!」
サンジェニュイン。
「正真正銘、お前が太陽だ!」
ただその名を、呼ぶだけが、すべてだった。
だから、あの知らせを受けたときは──
「寂しくなりますね」
ぽつりと言葉を漏らしたのは誰だったか。
俺はその馬運車が見えなくなるまで前を見続けた。
向かう先は北海道。
ここから十数時間を掛けて、あの車の中に居る馬は新天地を目指す。
「ほんとうに、さみしくなるなあ」
水っぽい声色が響いた。
それに返す言葉の数々も滲んで聞こえる。
誰もが塩辛い水の中から話しているようだった。
「3年後には、また白い馬を預かりたいですね」
今度はやけに明るい声だった。
「白くなくてもいいや、あいつの仔だったら、楽しいだろうし」
「言えてる」
「また牡馬にケツ追われてたらどうします?」
「それまで受け継がれちゃ、もう、どうしようもないな」
未来の話が聞こえる。
寂しさから前に進もうとする人々の声色を背に、俺は、まだ目を逸らせずにいた。
「芝木さん」
背中に誰かの手が触れているようだった。
呼ばれたのに振り返らず、でも俺は、口を開いた。
「次は」
次は?
「……次は、あいつの子供に、乗りたいな」
ふるふると揺れる声だった。
水面に葉っぱが落ちてきたような。
そんな声を補強するように、背中が撫でられる。
「私も、サンちゃんの子供を担当したいです。それで、その馬に芝木さんが乗っていたら、楽しいですね!」
情けない顔を見られたくなかったのに、その言葉に振り返ってしまった。
近藤さんは泣き笑いのまま頷く。
「また強い馬、一緒に作りましょうね!」
2006年12月25日は曇り空だった。
サンジェニュインを見送るには暗くて、今にも泣き出しそうで。
それがまた、寂しさを強くするのに。
今は彼女の、曇り空をバックに笑った彼女の、その明るさに未来を見たかった。
翌日は雨が降った。
あの別れの日、中山で泣けなかったからか。
でも北海道は晴れたらしい。
とびきりの晴天の中で、サンジェニュインは、種牡馬としての1歩を踏み出した。
── 2011年6月26日 阪神競馬場 芝右回り2200メートル 晴れの良馬場
「先頭は大外サニーメロンソーダッ!メロンソーダだまだまだ突き放す!2番手にアーネストリー粘るがメロンソーダは2馬身リード!残り200メートル!サニーメロンソーダ!ここを勝てば3歳馬として初の夏のグランプリ制覇だ!行けるか!?……ッ行ける!ハジける衝撃だッ!メロンソーダ1着!太陽の父に捧ぐ、国内産駒として今年初のGⅠ勝ちです!」
白い馬体が阪神競馬場のターフを抜けた。
ゲート内で立ち上がり、出遅れ、1枠1番でありながら大外を走る。
常識外れのその馬は、しかし、3歳馬として初の宝塚記念制覇を成し遂げた。
レース中、何度も外ラチにぶつけられながらもその手綱を離さなかった鞍上は、ホッと息を吐く。
「お前、もうちょっとこう、落ち着きってもんをなあ……」
呆れながらそう告げたその10秒後。
ターフに放り出されるその騎手の名は── 芝木真白と言った。
④の更新は12/19 22時です
④は全部曇らせ回
※JC、有馬すべてをつめました※
④に曇らせ回を回したのでハッピー回の⑤まで続きます
2021/12/12 追記
自分への褒美と記念も兼ねて、物理的な本を作ることにしました。
当初は個人用だけだったのですが、予定していた印刷所が1冊だけ作る、って言うのができなかったので(最低10冊だった……)
20冊作って、もし欲しいって方がいたら譲るって形にしようと思います。
ヤマト運輸さんの匿名配送を使う予定で、送料だけご負担頂く形をとりたいなと(本自体の代金とかはいいかなって)
中身は
・芝木外伝①~⑤
・外伝の書き下ろし番外編
・本編馬編の最終回サンジェ目線
2021/12/14 追記
ネット公開する分の再録みたいなものなのでそんなに反応ないだろ、と思っていたら予想以上にあったのでアンケートとります。
20部くらいなら送料負担だけでいいな、と思っていたのですが、それ以上になると作者の財布がまた極寒になってしまうので、誠に申し訳ないのですが送料+印刷費一部をご負担頂きたいです。
利益でないように計算するのでゆるしてください(ゆるして!)
※芝木外伝①~⑤の内容はハーメルンのモノと同一です
※書き下ろし分はオフライン本のみです
2021/12/15 追記
本の部数について。これで確定です。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=272561&uid=53018
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組