だいたい1万7千文字の贈り物です。
「おっとどうした、どうしたマツリカ!タイヨウマツリカ、ゴールしてだいたい100メートルですが今、いま落馬です!鞍上の目黒カレン騎手が投げ出されて、ちょっと、起きないですね。マツリカも横たわって、どうやら立てない様子。これはどういうことだ、写真判定の途中ですが、どうなってしまうのか」
「脚、でしょうか。タイヨウマツリカ、何度か起きる素振りを見せていますが……」
その事故が起きたのは、ゴールしてすぐのことだった。
横目に白い馬体が揺れる。
がくん、と崩れ落ちた馬の鞍上からは騎手が投げ出され、2回、芝生に跳ねた。
歩様が乱れた馬は、それでもなんとか立ち上がり、目の前で倒れ伏している騎手に近づこうとしているように見えた。
だがその手前で馬は立ち止まり、芝生に横たわる。
女性騎手が、目黒カレン騎手が意識を取り戻し、上半身を持ち上げたのは、ちょうどそれと重なるタイミングだった。
ふらつきながらも立ち上がり、馬── タイヨウマツリカの元まで歩く彼女。
風が吹いて、揺れた黒髪の隙間から赤いものが見えた。
おそらく落馬の衝撃で額を切っているのだろう。
血を流しながらも、彼女はその場に膝をつき、タイヨウマツリカに手を伸ばした。
そうしてタイヨウマツリカの顔を抱きしめ、肩を震わせる彼女の姿に、俺は、数年前のことを思い出していた。
── 2006年10月。
凱旋門賞を制して間もないことだった。
サンジェニュインはフランスでの検疫を終え、ディープインパクトと共に日本に帰国。
俺もその後を追うように日本に帰国した。
次走はジャパンカップ。
サンジェニュインの調教に集中するため、帰国して2週間は騎乗依頼をセーブしていた俺は、その脚でサンジェニュインが着地検査を受ける滋賀県に向かおうとしていた。
だが俺は今、北海道にいる。
「ッ大津さん、サンジェは、サンジェの様子は……!?」
車から降りて、牧場の入り口で待っていた大津さんに詰め寄る。
「元気ですよ。飼い葉食いもよくて、今日も気持ちよさそうに放牧地を歩いていました。本当にマイペースなヤツですよ」
短く刈り上げられた黒髪を掻く大津さんは、サンジェニュインが生産された社来ファーム・
もう1人、森重さんというスタッフもいるが、大津さんとともにサンジェニュインの人工飼育や初期育成に携わっていた。
当初、滋賀県で着地検査をする予定だったサンジェニュインが何故陽来にいるのかと言えば、それは「心房細動」を起こしたからだ。
サンジェニュインが心房細動を起こした、という知らせは、目黒さんからもたらされた。
国内での検疫最終日、引き運動の最中に突然発症したのだと言う。
幸い走っている最中ではなかったため怪我はなく、当日はすでに元気な様子だったらしい。
ただ、実際にこの目で確かめるまでは不安で不安で、俺自身が北海道まで飛んできた、というわけだ。
「ちょっと前まで半弟もうちにいたんですけどね、今は育成場の方にいて。……ああほら、マイサン── サンジェニュインはあそこです」
大津さんの指さす方向に白い馬がいた。
ごろんと芝生に寝転がったまま、暇そうに青草を食べていた。
「……サンジェ!」
呼びかけると、サンジェニュインはすぐに起き上がり、俺に向かって走り始めた。
その脚運びはなめらかで、なるほど、目黒さんが言う通り元気だ。
「ひっひーんっ!」
「おお、大丈夫だったか、サンジェ」
「フルルーンッ!」
鼻を鳴らすサンジェニュインは、まるで「大丈夫だぜ」と言っているようだった。
「心房細動を発症すると、大抵の馬はすぐに走ったりしないみたいなんですけどね。コイツ、うちに戻った翌日には放牧地を爆走してたんで。身体は本当に丈夫で……それだけ栗東でしっかり管理して貰ってるからだと思うんですけど」
「ブルルッ」
「んー?……あ、林檎か、林檎ならないぞ。もうさっき食わせただろ?」
「ひひーん……」
「そんなあからさまにしょんぼりした空気だしても駄目なもんは駄目なんだよ」
さすが産まれた時から世話をしているからか、大津さんはサンジェニュインの言いたいことが手に取るようにわかるようだった。
まるで目黒さんのようだな、と内心思いつつ、心情の8割は「サンジェニュインが本当に元気そうでよかった」というものだった。
倒れた、と聞いて真っ先に弥生賞の時の事が脳裏を過って、俺の心臓の方が落ち着かない状態だったので、これにはとても安心した。
それと同時に、目黒さんから伝えられたあの情報を思い出して、緩く拳を握った。
「引退、ですか」
俺の声は震えていた。
明らかに動揺を隠せていなかった。
それくらい、その二文字はサンジェニュインと縁遠いように思えたから。
しかし電話越しの目黒さんの声色は真剣そのもので、面白くない冗談を言っているだけには、到底見えなかった。
「欧州GⅠ・5戦5勝。それもキングジョージ、インターナショナルS、凱旋門賞と評価の高いレースでの勝利だ。サンデーサイレンスの後継種牡馬といえばフジキセキらがいるが、欧州競馬にも適性を示したサンジェニュインの種牡馬入りは、国内外から期待されている。……現役を続行させて万が一、というよりは、今のうちに種牡馬入りさせて長く仔を残したいのだろう」
目黒さんが言っていることはよく理解できた。
競馬はブラッドスポーツ。
血がすべてとは言わないが、競い合う上で決して目を逸らすことのできないパーツだ。
神速とも呼べるスピードで走るサンジェニュインが、もしレース中に心房細動を起こしていたら。
サンジェニュインはもちろん、鞍上の俺とて、無事でいられないのは確かだろう。
ある意味、引き運動の最中だったのは幸いだった。
2度目がないとも限らないし、ここで引退させて種牡馬としての道に進ませるのもまた、サンジェニュインの命を守るためにも必要だと解る。
……解っていても、飲み込むまでに時間がかかりそうだった。
「テキから、次走は有馬記念を予定していると」
「ありま」
「ああ。……ラストランは、有馬記念だ」
夢のグランプリ。
選ばれた夢。
十数万人からの期待と、大歓声を浴びた2005年のグランプリレースが脳裏を駆け抜けた。
接戦のゴール。
ハナ差1センチの決着。
叩きつけられた喜びの罵倒と歓声。
── その先で、さようなら。
「……き騎手。芝木騎手!」
「っあ、ああ!すみません、ちょっとボーッとして……」
「大丈夫ですか?具合が悪いようだったら、タクシー呼びますけど」
「ああいやいや!大丈夫です、本当にボーッとしていただけなので」
心配そうに言う大津さんに首を振った。
俺たちのやりとりを見守っていたサンジェニュインは、俺の顔を覗き込むように柵越しに首を伸ばした。
「……大丈夫だよ。心配かけて悪かったな、サンジェ」
そう言って横顔を撫でてやると、サンジェニュインは機嫌が良さそうに鼻を鳴らした。
しばらくサンジェニュインの鼻先を撫でていると、俺の後ろから影が伸びた。
「おや、芝木騎手。いらっしゃい」
「牧場長……!」
振り返ったとき、ニコリと微笑みを返してきたのは陽来の牧場長だった。
老紳士、という言葉が似合うような、少しふくよかで温和そうな出で立ちの人だ。
北海道の10月の半ばというのは想像以上に寒いもので、今日の牧場長は赤いマフラーを巻いていた。
なんだかそのマフラーに見覚えがあるような気がしていたが、すぐには思い出せなかった。
「お邪魔してます。……あの、その節は大変ご迷惑を……!」
「え?なんのこと?……ああ!いやいや……アレか。ああ、アレは確かにビックリしましたよ。でもね、こんなにすごい熱量を持つ人がこの仔に乗るのか!と思えて、私は嬉しくなりましたけどね」
「俺もです。ジョッキーに勝ちを求めるな、とは言えませんが、それでもサンジェを「勝つための道具」じゃなくて相棒として見てくれてるんだって思えて、芝木騎手には良い印象しかないです」
穏やかな表情でそう言った牧場長と大津さんの姿に、俺は少しだけ、気が楽になった。
実はドバイシーマクラシックが始まる前にも1度、陽来にきたことがあった。
その際に勢い余って「もしもサンジェニュインがターフに沈むときは、俺も一緒に逝きます」と頭を下げたのだ。
サンジェニュインは通常の馬とは異なり、母馬に育児放棄されたため、完全に人の手で育てられた。
ミルクを飲ませるのも、飼い葉を食わせるのも、走るのも、すべてすべて、この陽来のスタッフたちに大事に大事に教えられて今のサンジェニュインがいる。
もしこの人たちがサンジェニュインの親代わりになってくれなかったら。
俺は今、サンジェニュインとは出会えていなかっただろう。
俺のまったく知らないところで芽吹いた命を、こうして繋いでくれた人たちのおかげで今がある。
目黒さんからも「サンジェニュインのことを我が子のように思っている人たちだ」と聞いていたから、なおさら、挨拶をしなければという気持ちが高まっていた。
大津さんや牧場長にはだいぶ引かれただろうなと思っていたのだが、彼等は温かい目を向けるだけで、俺を責めることもしなかった。
サンジェニュインのおおらかなところは、生来の性格もあるだろうが、この環境によって育まれたんだと強く思った。
「おお、おやつかな?……どれ」
和やかな雰囲気が流れていると、牧場長がそう声をあげた。
見てみると、サンジェニュインが牧場長のポケットに鼻を当てているようだ。
牧場長はおやつを求められていると判断したようで、パンッと膨らんだズボンのポケットに手を入れる。
するとすかさず大津さんから指摘が入った。
「だめですよ牧場長。こいつさっき食べたばっかりです」
「ありゃ、そうなのかい」
「フルルーン……!」
牧場長は「食べ過ぎるとメタボになるぞぉ」と言ってサンジェニュインの横顔を撫でる。
その声と仕草があまりにも優しくて、俺は、それだけサンジェニュインが愛されて育てられていたのだと改めて知った。
大津さんや、牧場長の言動のひとつひとつに、隠す必要も無い、と言わんばかりに愛情が
サンジェニュインは引退後、社来スタリオンステーションで繋養される予定だと聞いた。
陽来からそう遠くはない。
慣れ親しんだ空気の中で、自分をよく知り、よく愛してくれる人たちに囲まれて穏やかに過ごす。
血を残し、名を刻みながら。
それは、サンジェニュインにとってとても心地の良いことなのではないか?
……まだサンジェニュインに乗っていたい、なんて。
そう思ってしまう俺の方が、サンジェニュインに苦しみを強いているのかもしれない。
それでも「まだ一緒にいたい」と願う気持ちは、心の底でずっと、燻っていた。
解消できない寂しさを抱えながら挑んだ有馬記念は、一瞬の風のように過ぎ去った。
パンパンの中山競馬場を駆け抜けたサンジェニュインは、ディープインパクトと共に拍手喝采の中でゴールに飛び込んだ。
これ以上無い完璧な引退レースだっただろう。
これまでの集大成だと言わんばかりに抜けていった中山のコースは、サンジェニュインの踏み込みの深さを物語るようにあちらこちらがえぐれていた。
「お前はほん……っと、最後まで、派手なやつだな」
引退式が行われたのは全レースが終了してから。
同時に引退が決まっていたディープインパクトとの合同式。
思えば新馬戦から引退戦まで一緒だった2頭は、最後の最後も派手だった。
これから写真を撮ろうって段階でサンジェニュインが放馬し、それにつられるようにディープインパクトも放馬。
俺と竹さんで追いかけ、2頭の脚が緩んだところでなんとか手綱を握ることに成功した。
……まったく、最後まで本当に派手なやつ。
俺が呆れ気味にそう繰り返すと、サンジェニュインは不服そうに鼻を鳴らした。
まるで「そんなことはないだろう」とでも言いたげに。
言葉が通じているかのようなその仕草は、いつも、いつまでもたまらなく愛おしかった。
「写真、撮りまーす」
司会者の言葉に俺はサンジェニュインの鞍上に跨がる。
ひょい、とテキに押し上げられて乗った背は、いつも通り。
中山に吹く冷たい風に揺れる、その白い鬣を撫でつけながら俺は口を開いた。
「サンジェ」
ピクリ、とサンジェニュインの耳が動く。
前を向いていた耳が俺の声に反応して後ろを向き、顔も少しだけ斜めになっていた。
……こういうところが、やっぱりコイツ言葉わかってるのかな、と思わせるんだろうな。
少なくとも自分の名前くらいは認識していそうだ。
俺は苦笑いを浮かべながらも、その傾いた顔を撫でて前を向かせる。
そして司会者が写真撮影のカウントダウンをする、その音に紛れ込ませるように言葉を繋いだ。
「さみしいなあ、サンジェ」
パシャリ、と音がした。
一部焚かれたフラッシュにサンジェニュインが身をよじるから、撮り直しの2回目。
フラッシュを焚くのはおやめください、と司会者が繰り返しアナウンスするのを聞きながら、俺は再びサンジェニュインの頭を撫でた。
「競走馬」であるサンジェニュインを撫でるのも今日が最後。
明日からは、「種牡馬」になるサンジェニュインが俺の前に立つのだ。
そしていつか、その血を継いだ誰かに乗って、走るのだろう。
未だ実感すらわかないことを考えながら、俺は、柔く唇を噛みしめた。
明日、栗東に行ってもこの馬はいない。
本原厩舎の馬房すべてを覗き込んでも、この白い馬体は姿形も無いだろう。
引退するから。
種牡馬になるから。
この中山から北海道に帰るから。
頭ではわかっている、理解している。
しているが、今日この日を迎えても心の準備なんてまだできていなくて、余裕も無くて。
それでも見送らなくてはいけない。
これが最後だから。
この背に跨がり、同じ景色を見るのは最後だから。
「サンジェ」
揺らいだ視界は一瞬だった。
「さみしい」
でも。
じっくりとまぶたを閉じて。
カウントダウンの後は、心の底から、笑ってやるのだ。
「本当に、本当に、ありがとう」
シャッター音がする。
それに紛れたように聞こえた嘶きは、きっと、風の悪戯だ。
2007年1月。
サンジェニュインの半弟であるアセンドトゥザサンの調教を終え、俺は近藤さんと共に休憩を貰っていた。
サンジェニュインは今頃種牡馬としての初仕事を熟しているだろうか。
来年産まれる仔が楽しみだ、白毛はどれくらいの確率で増えるのだろう。
そんな他愛も無いことを、2人で並んで話していた。
栗東の1月もなかなか寒いもので、彼女の口から吐き出される息は白く烟る。
何気なしにそれを見て、ふっと思った言葉を口にした。
「結婚を前提に付き合いませんか」
思い返せば脈絡の無い、ロマンチックの欠片も無い告白だったと思う。
ただ、仔が楽しみだ、最初はどんなお嫁さんを貰っただろう、なんて話す彼女を見て。
もし俺が嫁を貰う日が来るとしたらそれはどんな人だろうかと考えたのだ。
その時にパッと浮かんだのは近藤さんだった。
しまったな、なんてことを言ってしまったんだ俺は、と「すみません」が口から出そうになって、でもやっぱりやめた。
真横で頬を赤くする彼女の姿を見て、間違ってないな、って思ったから。
同月末日。
想像していた以上のスピードで俺たちは結婚した。
テキは腰を抜かしていたし、目黒さんは電話越しに笑っていた。
でも2人が声を重ねていったのは、「お幸せに」だった。
それからはトントン拍子で、翌年には長男が生まれた。
サンジェニュインの仔と同世代か、と思わず言いそうになって口を噤む。
少なくとも出産したばかりの妻の前で言うことじゃないよな、と理性が働いた。
だがイサノさんは、あ、と口を開くと、世紀の発見をしたかのように叫んだ。
「サンちゃんの仔と同世代だ!」
やっぱりこの人と結婚してよかったな、と心底思った。
このとき生まれた長男に「
今度は娘が生まれた。長女だ。
名前は「
生まれた日、病院の窓から見えた白銀の雪景色がとても美しかったから。
さらに翌年。また娘が生まれた。
この子には「
命名したのはイサノさんで、白色から連想できる花の名前にしたかったようだ。
そのまた翌年に生まれたのは男。末っ子次男。
ここまで子供たち全員に「白」を連想させる言葉が入っているから、この子もそうしようと2人で決め、「
サンジェニュインの初年度産駒がデビューしたのは、3番目の子、百合子が生まれた年だった。
俺が初めて跨がったサンジェニュインの仔は、サニーメロンソーダ。
サンジェニュインと同じくサイレンスレーシングクラブの所有馬であるこの馬は、厩舎も本原佳己厩舎所属。
自然と俺が主戦騎手を務めることになった。
だがこのサニーメロンソーダは、ちょっとどころじゃなく、かなり厄介な馬だった。
調教でもレースでも従順で知られたサンジェニュインの産駒とは思えないほどの気性難で、調教はともかく、レース中は言うことは聞かない、噛みつこうとする等々、かなり荒々しい性格の持ち主。
だがサンジェニュインの仔らしいバツグンのパワーの持ち主で、行く行くは欧州遠征をさせるつもりだ、とテキは語った。
俺が時々サニーメロンソーダに振り落とされながらも新馬戦に向けて準備をしている最中、竹さんを鞍上に迎えたサンサンドリーマーが新馬戦勝ち。
これがサンジェニュイン産駒としての初勝利となった。
それを皮切りに、国内外問わずサンジェニュイン産駒が続々とデビュー。
俺も、サニーメロンソーダと共に新馬戦に挑んだ。
だがここは、サニーメロンソーダの大外にヨレる癖が大きなハンデとなり惜敗。
だったのだが、一呼吸置いて挑んだ札幌の2歳未勝利戦では大差勝ち。
「やっぱり力のいる馬場のほうが合うか」
サニーメロンソーダはサンジェニュイン同様、洋芝の適性が高いようだ。
未勝利戦から明けて3歳のあすなろ賞。サンジェニュインも勝利したこのレースで父子制覇を、と思ったが、同父のタイヨウマツリカに敗北。
あちらは1月の3歳未勝利戦からのデビューだったが、内側を回るのが上手く、最後まで先頭を奪うことはできなかった。
サニーメロンソーダが目指すのはクラシックレースでの勝利。
このまま1勝クラスでは終われない、と賞金を積むために毎日杯に出走。ここを辛勝すると、皐月賞の抽選をギリギリ突破。
朝日杯FS、弥生賞を制したサンサンドリーマーが国内産駒の中では飛び抜けた評価で、皐月賞でも1番人気を得ていた。
この皐月賞に出走するサンジェニュイン産駒はサニーメロンソーダとサンサンドリーマーの2頭のみ。そしてどちらも逃げ馬。
スタートからサンサンドリーマーを潰す勢いで出ないと、勝利するのは難しい相手だと思われた。
だが予想外にもサンサンドリーマーは中盤で失速。
それを2番手から抑えていたサニーメロンソーダがオルフェーヴルとたたき合う形で先頭を争い、結果は2着。
続く東京優駿には、サニーメロンソーダ、サンサンドリーマーの他に、タイヨウマツリカがプリンシパルSを快勝して参戦。
デビューから無敗のタイヨウマツリカがこのレースで最も高い壁になるだろうと予感していた。
しかしそれ以前の問題だった。
「おおっとサニーメロンソーダが大きく出遅れました。ゲート内で立ち上がってサニーメロンソーダ、出遅れです」
かなりイレこんでいるなとは思ったが、ゲート内で立ち上がり、出遅れるとまでは思っていなかった。
しかも1枠1番だったにも拘わらず、サニーメロンソーダは大外へヨレていく。
これはもうダメか、と思ったが、サニーメロンソーダはここから粘りの走りを見せ、先頭を行くタイヨウマツリカ、そのすぐ後ろのサンサンドリーマー、オルフェーヴルに続く大外4番手を追走。
サンサンドリーマーが逸走、斜行を繰り返し、とうとう内ラチに突っ込んで右前脚流血となって競走中止するハプニングはあったものの、サニーメロンソーダは完走した。
この影響もあって、サニーメロンソーダは最終3着だった。
オルフェーヴルと共にゴールに飛び込んだタイヨウマツリカの歩様が大きく乱れたのは、そのすぐ後の事だった。
余りにも突然のことで、ゴール直後のスピードを緩められない状態で投げ出されたタイヨウマツリカの騎手は、芝生の上で2回跳ねた。
人馬ともに明らかに無事ではない様子に、後続の俺たちは二次事故を避けるために大外に進路を取って避ける。
俺はサニーメロンソーダの手綱をしっかりと握ったまま、落馬事故が発生した人馬の様子をうかがった。
まずタイヨウマツリカ。
1度起き上がり、倒れた騎手の近くまで歩いて見せたが、そのあと横たわってしまった。
何度か起き上がる仕草も見せているが、遠目に見ても解るほど骨折の程度が酷い。
右前脚が完全に折れていた。
再び立とうとしているようだが、痛みで立てずにいるのだろう。
一方の投げ出された騎手はなんとか起き上がり、横たわるタイヨウマツリカのすぐそばまで歩いていた。
ただ投げ出されたときに強く頭を打ったのか、ふらつきが見られ、額からも血が流れている。
その状態でありながら、騎手は、目黒さんの姪であるカレンは、タイヨウマツリカの身体に触れていた。
「マツリカ……ごめんね、ごめんねぇ……っ」
か細い声で繰り返される謝罪は止まない。
俺は駆け寄ってきたスタッフにサニーメロンソーダを預け、彼女に近づいた。
「カレン、手当てを……」
今年騎手デビューしたばかりの彼女は、俺と同じく本原佳己厩舎所属の騎手。
それもあって、普段から交流もあった。
今回は縁ある沼江厩舎からの依頼で、タイヨウマツリカへの騎乗を請け負っていた。
「ごめんなさい、私はいいです、私はいいので……っ」
「頭を振らないで。馬運車はもう間もなく来るから」
取り乱す彼女に対して、自分でも不思議なほど冷静な声が出た。
どうしてだろうか。
彼女の様子が数年前の自分自身に重なったからか?
その理由はともかく、離れたくない感情は痛いほど理解できた。
それと同時に、あの日、俺の身体を掴み引き離した人たちの気持ちも。
涙と共に頬を伝う血を見て、俺は彼女に治療を受けさせるために再びその肩に手をかけようとした。
「──ッオルフェ!落ち着いてや、オル、オルフェーヴル……ッ」
甲高い嘶きが聞こえて振り返る。
そこには栗毛の馬が1頭、鞍上を振り落としてこちらに向かっていた。
駈歩で近寄る馬は、しゃがみ込んでいる状態から見るとなおさら大きく感じた。
この馬と衝突したらひとたまりもないだろう。
俺が1人と1頭を庇うように前に出ると── オルフェーヴルはその手前で止まった。
そしてゆっくりとタイヨウマツリカの周りを歩いて、時折鳴いて見せる。
その音がまるで心配そうに聞こえて、俺は込み上げてくるものをグッと堪えた。
後から聞いた話だが、タイヨウマツリカとオルフェーヴルは常に合同で調教を行うほど仲が良く、馬房も隣同士らしい。
気性の難しいオルフェーヴルは、タイヨウマツリカの前だと殊更大人しく、穏やかでいられるようだ、とも。
今日の馬場入りでも、タイヨウマツリカがオルフェーヴルの手綱を食んで出てきた。
その光景を思い出しては、やりきれない気持ちが溢れる。
「オルフェ……」
駆け寄ってきた川添騎手がオルフェーヴルの手綱を握ろうとすると、オルフェーヴルは首を振った。
そうして垂れ下がったままの綱をタイヨウマツリカの前で揺らして見せる。
いつもならそれをタイヨウマツリカが食んで、2頭並んで帰るから。
だが今日はできない。
今日からはできない。
オルフェーヴルは綱を揺らし続ける。
タイヨウマツリカは瞬きをする。
何度も、何度も、2頭の間で言葉を交わしているかのように。
ついに、オルフェーヴルが綱を揺らすのをやめて立ち止まる。
横たわるタイヨウマツリカに顔を寄せ、揺すって、でも起き上がらないから。
「ブモモッ」
鳴き声が響く。
「ひひぃん」
か細い声が返される。
「ヒヒィ──ンッ」
泣き声が響く、響く。
青い空の競馬場に、深い慟哭が、響く。
オルフェーヴルとタイヨウマツリカの接戦は、オルフェーヴルにハナ差1センチで軍配が上がった。
これで皐月賞に続いて二冠目。
残すところ、菊花賞のみとなった。
タイヨウマツリカはあの後、獣医師によって予後不良の診断を受け、その後、競馬場内で安楽死の処置が執られた。
その間もタイヨウマツリカは声をあげることも、暴れることもなく、終始大人しかったと言う。
冷静な目は、従順で賢く、人の感情に敏感だと言われてきた父、サンジェニュインによく似ていたと、処置に立ち会った担当厩務員は語ってくれた。
落馬したカレンは頬骨、鎖骨、肋骨の骨折、左腕の脱臼、頭を数センチ縫うという重傷。
初騎乗、初GⅠでの事故ということもあり、精神的にも大きなダメージを受け、長期間の療養が必要となった。
1度、見舞いに行ったとき、彼女は心ここにあらずといった様子だったことを覚えている。
「もう、なんか、わからなくて。毎日、夢を……」
そう言葉を詰まらせた彼女の気持ちが手に取るようにわかった。
俺にも経験があったからだ。
どんなに慰められても、お前は悪くないと言われても、届かない。
夢から覚めるには、その馬がいなければならない。
でも、タイヨウマツリカはもういないから。
彼女はそれを誰よりも理解していた。
取り戻すことのできないもの。
固く握りしめられた拳には、彼女の感情のすべてが詰まっているように見えた。
それからしばらく。
アメリカにサンジェニュインが残した産駒から、シャイニングトップレディという牝馬が33年ぶり、牝馬としては史上初の米国三冠馬になった。
同じ頃、イギリスではサニーファンタスティックという牡馬がイギリス2000ギニー、ダービーステークスを勝って二冠馬に。
フランスでも牡馬二冠を達成する産駒が登場した。
欧米での産駒の勝率が凄まじいものになっていく中、サニーメロンソーダの次走が発表された。
放牧からの神戸新聞杯、ではなく、初の古馬戦・宝塚記念への出走が決定。
宝塚記念のファン投票ではGⅠ未勝利ながら13位にランクイン。
見た目のかわいらしさとは真逆のスリリングな性格がファンの心を捉えたらしい。
正直「スリリング」で済ませられるようなヤツではないが、ファンが多いのは純粋に嬉しいものだ。
とはいえ、春のグランプリ・宝塚記念には多くの有力馬が参戦する。
テキは「古馬の胸を借りるつもりで、でも勝つという気持ちは忘れずに挑もう」と言った。
3歳馬で宝塚記念を制した馬はまだいない。
それは開催時期からして古馬と戦えるほど仕上がっている馬が少ない、ということもあるし、春の最終戦として選択する古馬が多いから単純に力負けする、というのもあるのだろうけど。
でも。
「ソーダは能力的に問題ないと思うんだよ。……あとは、まあ、折り合いかなあ」
「あ……はい……」
折り合い。
テキの言う通り、サニーメロンソーダはイレ込みが激しく、折り合いの難しい馬だった。
確かにサンジェニュインも「嫌なものは嫌だ」と主張する馬だったが、サニーメロンソーダのそれはひと味違う気がする。
調教は意外なほどスムーズに熟す馬なので、あとは当日のテンションが悪くならないことを祈るしかないな。
お願いです、ゲートを出てください。
「せめて返し馬で爆走するのだけはやめてほしいですね……」
「ははは……サンジェだったら「こいつはスタミナすごいしちょうどいいか」なんて思えるんだがな。ソーダもかなりある方だとは思うんだが、返し馬だけで疲労困憊になられちゃ困る。上手い具合に手綱握ってくれよ」
「すごく簡単に言いますね、テキ」
俺が少し恨めしそうにそう言うと、テキは「任せた!」と良い笑顔で言った。
2011年6月26日。
この年の宝塚記念には、スペシャルウィーク産駒のブエナビスタも参戦していた。
オッズ3倍の1番人気に推されるブエナビスタを横目に、この日もサニーメロンソーダは元気いっぱい、もとい興奮状態だった。
これはダメかもな、と内心思いつつ、ゲート入りを渋るサニーメロンソーダを急かす。
レースは始まってみなければどうなるかわからないものだが、こうもスタート前から走る気はない、と意思表示されると気が重いものだ。
……だがサニーメロンソーダという馬は、走らないと思ったときに走る馬。
この日も、ゲートで立ち上がって案の定出遅れ、外ラチに俺をガンガンぶつけながらレースを進めた。
結果、逃げ切り勝ちした。
そう、逃げ切り勝ちだ。
出遅れたのに逃げ勝ったのだ。
それも3歳馬として初めての宝塚記念制覇。
あっさりと新記録を打ち立てたサニーメロンソーダに、俺も、テキも、担当厩務員であるイサノさんも疲労困憊だった。
この年の夏は、サニーメロンソーダの放牧に合わせて北海道に向かった。
もちろんサンジェニュインに会うためだ。
この頃にはカネヒキリやヴァーミリアンといったサンジェニュインと比較的仲の良い牡馬も引退し、社来スタリオンステーションに種牡馬入り。
カネヒキリはサンジェニュインと同じ厩舎、同じ放牧地に放たれていると聞いていたが、それだけが心配だった。
「ブモモッ!」
心配いらなかったようだ。
サンジェニュインの放牧地まで案内してもらい、会いにいったところに確かにカネヒキリもいた。
2頭並んで青草を食み、非常に仲が良さそうだ。
カネヒキリが現役の時、2戦ほどその鞍上を務めたことがあるのだが、なにが気に入らないのかよく振り落とされたっけな、と思い出しながら近づくと、俺に気づいたサンジェニュインが柵のギリギリまで近づいてきた。
相変わらずの白さで、太陽の光を受けてキラキラと輝く姿は絵画のようだ。
元気そうで良かったよ、と俺がサンジェニュインの鼻先に触ろうとすると、カネヒキリが大きく嘶いた。
「威嚇されてますね」
「……ですか」
面白そうに呟いたリキさん、目黒さんの甥であるサンジェニュインの担当スタッフであるリキさんに、俺はがっくりと肩を落とした。
どうしてこんなに嫌われてるんだろうな、俺は。
2頭のために用意した林檎や人参をリキさんたちに預け、俺は短い再会を惜しみつつ栗東に戻った。
夏も過ぎて秋。
春の時点で英国二冠馬になっていたサニーファンタスティックが、9月10日に開催されたイギリスセントレジャーを制し、ニジンスキー以来41年ぶりの英国三冠馬となった。
それも白毛の三冠馬は、アメリカのシャイニングトップレディに続いて史上2頭目。
この時点でアメリカ、イギリス、フランス、アイルランドの4つの国のクラシックレースでサンジェニュイン産駒が勝っている状態で、母国である日本でのみ、クラシックは無冠という状態だった。
だからこそ俺は、サニーメロンソーダで菊花賞を取りたい、と思っていたのだ。
しかしこの年の菊花賞には、サイレンスレーシングクラブ側から出走回避の提案があった。
……回避させたかったのは同クラブのオルフェーヴルが三冠王手だったからだろうな。
ただクラブ側も一枚岩ではなかったようで、テキが水野さん── よくサンジェニュインにも会いに来てくれていたクラブの幹部、水野さんに回避について聞くと「回避は指示していない」らしい。
同クラブのサンサンドリーマーは菊花賞を回避して天皇賞・秋に出るようだが、サニーメロンソーダはオルフェーヴルと共に出走し、結果としてオルフェーヴル、ウインバリアシオンの3着となった。
結局三冠レースでは1勝もできなかったが、すべて馬券内と好成績は残せただろう。
天皇賞・秋ではサンサンドリーマーが勝ち、国内の産駒も欧州の産駒に力負けしていないことはアピールできたと思う。
それでもやっぱり、悔しいものは悔しいわけで。
俺はこの悔しさをバネに、同年の香港カップをクモノハレマに騎乗して出走、勝利した。
クモノハレマはこれまで重賞未勝利で、これが初の重賞勝ちだった。
年が明けて1月。
アメリカのシャイニングトップレディが繁殖入りのため引退することが発表された。
わずか1年という短い時間だったが、彼女が残した功績を見れば、早めに引退させて繁殖入りするのは無難な選択だろう。
この年── 2012年のクラシック戦線では「シャイニングリュー」「ファインサンジェル」「アオ」「サンサンマリナ」の4頭に跨がった。
アオ以外の3頭は牝馬で、桜花賞にはシャイニングリュー。
優駿牝馬にはファインサンジェル。
秋華賞にはサンサンマリナ。
だが牝馬三冠ではジェンティルドンナに競り勝つことができず、全戦2着。
そして牡馬三冠すべてのレースで騎乗した「アオ」とのコンビでも、すべて2着という結果となってしまった。
このことから、俺はネット上で「シルバーコレクター」と呼ばれていたらしい。
確かに国内のクラシックレースでは2着のみだったが、アオとのコンビで菊花賞前にイギリスのセントレジャーステークスに出走し勝利している。
やはり芝質の違いというのは、サンジェニュイン産駒にとっても大きいものらしく、アオの脚の動きは段違いに良かった。
アオは、このセントレジャーでの走りが評価されたのか、ゴンゴルドンに金銭トレードされフランスに移籍。
その後は向こうで順調に重賞レースを勝ち上がり、種牡馬入りした。
この年の凱旋門賞には、オルフェーヴルの帯同馬としてハレルヤマーチに騎乗して出走。
役割はほぼラビットだったが、力強い大逃げでゴール手前まで粘って3着。馬の能力を考えれば、ハレルヤマーチはかなり頑張っただろう。
本来はマイル戦を主戦場とする彼に2400メートルはキツいはずなのだから。
明けて2013年。
アオと同世代であり、母父にトニービン、母エアグルーヴ、父サンジェニュインの超良血馬・シルバータイムが、グラン・リュベール騎手と共に重馬場のドバイSCを制覇。
それも三冠牝馬ジェンティルドンナを差し返しての勝利だったことから、人気は一気に上がった。
同年の凱旋門賞では、オルフェーヴルに初めて跨がることになり、このレースでは勝ち馬ブランシュブランシュの3着。このブランシュブランシュはサンジェニュイン産駒の3歳馬で、サンジェニュインにとっては初の父子制覇となった。
青鹿毛の馬体は、サンジェニュインの特異な体質を受け継がなかったのか、集団に紛れてじっと耐える競馬から終盤、末脚を爆発させる見事な差し馬だった。
2014年にはタイヨウマツリカの全妹── 母、父がまったく一緒の妹が優駿牝馬に出走。
鞍上にはダービーでタイヨウマツリカの騎手を務め、長期療養から復帰したばかりのカレンが乗っていた。
「妹は大丈夫、妹は大丈夫、妹は大丈夫だタイヨウチャン!1着ゴールイン!」
ナリタブライアンの菊花賞をオマージュしたその実況は、「天国の兄に嬉しい報告!鞍上・目黒カレン騎手、涙で育てた樫の木!」と続き、会場を沸かした。
タイヨウチャンは、タイヨウマツリカが亡くなった日本ダービーの3日前に誕生。
俺もオークスには別の馬に騎乗して参戦していたが、負けたことを抜きにしても、もらい泣きするくらいにはカレンの気持ちがわかった。
タイヨウチャンはこの年、インターナショナルSでシルバータイムを捻じ伏せて勝利。香港カップで有終の美を飾り、繁殖入りした。
2016年のクラシック── 牝馬クラシックは、アイシテルサニーの独壇場だった。
デビュー前から父サンジェニュイン×母父キングマンボの組み合わせとして注目を浴びていたアイシテルサニーは、夏の新馬戦デビューの予定が牡馬に襲われるというハプニングで延期。
一時期は未出走のまま繁殖入りも噂されたが、鞍上に柴畑さんを迎えると、新馬戦で6馬身差、白菊賞で5馬身差、フェアリーSで9馬身差をつける圧勝劇を繰り広げる。
その勢いのまま桜花賞に出走すると、ここを鮮やかに逃げ切り勝ち。サンジェニュイン産駒として初の桜花賞馬となった。
また、牝馬クラシック2戦目となる優駿牝馬でも快勝。
サンジェニュインのいる社来スタリオンステーションでは「二冠馬記念」としてサンジェニュインの馬房に大きな垂れ幕が飾られた。
1度会いに行ったが、垂れ幕になにが書いてあるかはわからずとも、人の感情に敏感なサンジェニュインには喜びが伝わっているようで、機嫌は良さそうだった。
……ただ、それと前後してカネヒキリが事故で亡くなってしまい、サンジェニュインは一時期塞ぎ込んでいる時期もあったようだ。
だが秋華賞でヴィブロスとの激戦を制し、アイシテルサニーが三冠馬になると、徐々に元気を取り戻していったようだ。
冬に会いに行ったときには、放牧地で子育てに追われている姿を見ることができた。
今まで会いに行く度に俺を威嚇していたカネヒキリの姿だけがなく、それが少し、物寂しく感じた。
2017年。
この年はいろいろあった。
顕彰馬同士の産駒ということで、超良血の顕彰馬ベイビーと呼ばれたタニノサニーロックとのコンビでジャパンカップを制覇。
ウオッカとの母子制覇を達成しただけでなく、父であるサンジェニュインが生涯未出走だったレースでの勝利ということで、大きく取り上げられた。
また、同年の凱旋門賞を栗毛のLightning Passionが制し、サンジェニュイン産駒2頭目の凱旋門賞馬が誕生した。
2018年の皐月賞馬になったサンサンプリンスは、良い意味でも悪い意味でもサンジェニュインに走りが似ていた。
どう似ていたかと言うと、コーナー周りが苦手で重馬場が得意、という点が。
しかしそれ以外では、イタズラ好きでヤンチャ、牝馬好きという、サンジェニュインよりは少し扱いづらい性格だったのかもしれない。
とはいえ、サニーメロンソーダよりはだいぶマシ。
サンサンプリンスは皐月賞の他にも菊花賞も制したことで、サンジェニュインと共に父子二冠馬となった。
翌年2019年のドバイSCも制し、いよいよ欧州レースへ参戦する、という段階でサンサンプリンスは不幸にも飛行機事故で亡くなった。
ネット上では厩舎の調教師、厩務員共々事故死した、などと取り上げられていたが、実際にはサンサンプリンスの他には、フライト時の世話役として1人ついていたスタッフとパイロットの2人が共に事故死している。
予知できないこんな事故でサンサンプリンスを失うことになるとは誰も思っていなかったため、主戦を務めていた俺はもちろん、多くの関係者が悲しみに打ちひしがれていた。
この年のガネー賞では、サンサンプリンスが出走予定だったこともあり、副題として「サンサンプリンス」の名前が使われた。
この年の凱旋門賞では、本来であればサンサンプリンスに騎乗する予定だったが、2019年の凱旋門賞にはキセキに騎乗することとなり、結果は3着。ただでさえ重い洋芝に苦しんでいるようだったが、本人の持ち前の根性を前面に出せた価値ある3着だと思っている。
2020年は疫病の影響で無観客開催となってしまったが、牝馬のサンサンパフェーに騎乗して牡馬クラシックへ挑戦。
惜しくも全戦コントレイルの2着となり重賞未勝利ながら海外遠征を断行。
2021年のガネー賞、エクリプスS、イギリスチャンピオンS、ロイヤルオーク賞を制したのち、繁殖入りのために引退した。
初年度の交配相手にはコントレイルが選ばれ、2023年に初仔が誕生している。
これまで毎年のように凱旋門賞に出走していたが、この2021年にはサンジェニュインの初年度産駒シャイニングトップレディと、カネヒキリの初年度産駒ハートオブイマジニングの間に産まれた3歳馬、ソウルオブラヴァーへの騎乗依頼があったため凱旋門賞をパス。
ソウルオブラヴァーとのコンビでBCクラシックを制した。
この年、日本馬としてはBCフィリーズ&メアターフをラヴズオンリーユーが、BCディスタフをマルシュロレーヌが制しているほか、現地ではBCジュヴェナイルフィリーズに出走したラブミーサニーの鞍上も務め、優勝に導いた。
ソウルオブラヴァーとは翌年の2022年もコンビを組み、BCクラシックを連覇している。
2023年はサントゥナイトと共に新馬戦勝ち。
その後、札幌2歳Sで後続に8馬身差を付けて圧勝、ホーフプルSでも大差勝ちで勝利し、翌年2024年のクラシック戦線に挑んだ。
だが皐月賞と東京優駿はどちらも3着。
菊花賞を回避し、天皇賞・秋ではレイアゲインズの2着と伸び悩んだ。
俺はテキと話し合い、サントゥナイトを海外に持って行くことにした。
今までのクラブ所有馬とは異なり、サントゥナイトは個人所有馬。海外遠征は大きな負担になるため、すぐに進められるようなものではない。
だが俺は、サントゥナイトのひたすら前に進み続ける姿に、サンジェニュインの影を見つけていた。
馬主との話し合いが済み、2025年3月にドバイSCに出走し勝利。前日までの快晴が嘘のような大雨が降り、重馬場でのレースとなった。
この時点で馬主からは「凱旋門賞へ出走したい」という希望があり、テキも俺も、そのつもりで調整を進めていた。
2戦目の宝塚記念を完勝すると凱旋門賞出走を正式に発表。
サントゥナイトは史上2頭目の白毛の凱旋門賞馬を目指して、陽来の洋芝コースで調教を行うこととなった。
それとほぼ時を同じくして、俺の元に一本の知らせが入った。
「サンジェの体調が良くない……!?」
知らせてくれたのは目黒さんだった。
どうも夏頃からサンジェニュインの体調が良くないらしい。
起き上がれない日や、起き上がれても時間が掛かることが増えたのだと言う。
慌てて社来スタリオンステーションまで駆けつけると、俺を出迎えたサンジェニュインは少し疲れたような顔をしていた。
うっすらと骨が浮いて見え、食欲もあまりないようだ。
それでも食べないのはまずいと解っているのか、飼い葉は口にしているとリキさんは言った。
「23歳は、馬からすれば十分いい歳だ。サンジェニュインは種付けもかなりの量を熟しているし。……身体の限界もあるんだろう。もっと早く休ませてやるべきだったかもしれない」
目黒さんが後悔を滲ませながらそう言うと、サンジェニュインはゆっくりと立ち上がり、舌先を出して目黒さんの頬に押しつけた。
まるで「気にするな」とでもいいたげに。
いつどんなときでも人の感情に寄り添おうとする健気さが、一層サンジェニュインの儚さを浮き彫りにしていた。
それからしばらくして、社来スタリオンステーションから「サンジェニュインは種牡馬を引退する」と発表された。
以後は功労馬として繋養されるという。
近況のために載せられた写真に写るサンジェニュインは、前に会った時よりはすこしふくよかに見えた。
白い馬体で日差しを受け止め、キラキラと光り輝く姿は、いつまでも眩しかった。
「いつかサンジェの仔で、それも白毛で凱旋門賞を勝ちたいな」
などと夢を語っている場合では無かった。
もうそんなに時間がない。
いつまでも強くあってくれるだろうサンジェニュインにも、抗えない老いが存在する。
それを改めて突きつけられた俺は、サントゥナイトと挑む凱旋門賞をラストチャンスだと思うことにした。
「父ちゃんのためにも気張ろうな、ナイト」
俺の独りよがりな言葉に、ナイトは飼い葉を吐き戻して答えた。
勝ったら。
勝ったら、サンジェニュインに報告をして。
サントゥナイトの写真と一緒に、勝ったよって。
勝ったんだよ俺たち。
サンジェニュイン、見てくれ。
サントゥナイトは頑張って走ったんだ。
お前の後を継ぐに相応しくあるように。
自慢げに語る俺を、サンジェニュインは鼻を鳴らしながら聞いてくれるはずだから。
そのはずだから。
「2日前に、亡くなりました」
「サンジェ」
名前を呼ぶ。
「サンジェニュイン」
何度でも呼ぶ。
それでも。
「サンジェ……ッ!」
振り返ってくれる馬は、もう、いない。
この回を修正している途中で近所が燃えてました(物理)
次回で最終回です。
オフライン本
どちらも予約満杯になりました。
ありがとうございます。
「ずっとすきでいる」
芝木外伝まとめ
URL:https://sungenuin.booth.pm/items/3508643
「Stay just the way you are」
書き下ろし番外編集
URL:https://sungenuin.booth.pm/items/3518538
※「ずっとすきでいる」は再版の可能性あります
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組