美貌バいろいろ   作:SunGenuin(佐藤)

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これがラスト


ずっとすきでいる

『【史上初の白毛覇者】凱旋門賞馬・サンジェニュイン、死す』

『色褪せない輝きと共に・・・サンジェニュイン、23歳、老衰』

『歴史的名馬サンジェニュイン、永眠。国内外から悲しみの声』

『父子制覇の矢先に。社来SSで繋養されていたサンジェニュインが老衰で死亡』

 

ネット上でそんなタイトルのニュース記事が溢れたのは、2025年10月7日。

5日にパリロンシャン競馬場で開催された凱旋門賞を、サントゥナイトが日本馬、そして白毛馬として19年ぶりに制した、わずか2日後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

凱旋門賞を終えて帰国した俺、そしてテキやイサノさんを迎えてくれた目黒さんは、痛みを堪えるような顔で口を開いた。

 

「2日前に、亡くなりました」

 

サンジェニュインの調子はどうか、回復したのか。

そんなことを聞いた俺たちへの、無慈悲な回答だった。

その生存を当たり前のように信じていた俺たちにとって、目黒さんの言葉は受け入れがたいものだった。

特に俺にとっては。

サンジェニュインの仔、それも白毛で凱旋門賞を制した報告をするためだけに早めに帰国したと言ってもいい。

ただ早く、早くサンジェニュインに会って、お前の仔はすごい、よく頑張ったんだぞって言いたかった。

それが言えるのだと、当然のように信じていた。

 

だが目黒さんの固い表情が変わることはない。

まとまらない思考と混乱の中で、いち早く正気を取り戻したのはテキだった。

 

「……死因は」

 

テキの声も震えていた。

 

「老衰でした。痛みや苦しみに悶えることもなく、サントゥナイトの凱旋門賞を見届けてすぐに……」

 

その言葉に、テキは安堵したような、それでも寂しいような、そんな複雑な感情を綯い交ぜにした表情で頷いていた、と思う。

曖昧なのは、この時点でまだ俺の混乱が収まっていなかったからだ。

俺のすぐ隣に立っていたイサノさんは、その目にいっぱいの涙を溜めて、それを拭いながらも「よかった」と言葉を繋げた。

 

「せめて、最期に……最期にナイトが勝つところを見せられて、本当に……」

 

嗚咽混じりのその言葉を、再びテキが繋げる。

 

「あいつは勝ち負けが解る馬だったから……息子の勝利を冥土の土産に持たせてやれたのなら。調教師としてこれ以上ない、誉れだ」

 

冥土の土産。

誉れ。

 

いろんな言葉が脳裏を過っては消えていく。

俺は何もかも受け入れることができなかった。

何も意味がわからなかった。

ただ解ることがあるとしたら。

 

それは、もう。

 

「サンジェ……っ」

 

蹲って、蹲って。

人目も憚らずに蹲って。

 

振り絞って叫んだ名前に、振り返る馬はいない。

いない、だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真白さん」

 

イサノさんの声にハッと意識を取り戻した。

目の前にはシンプルな作りの建物があり、周りには黒スーツや着物に身を包んだ人たちが大勢集まっている。

今日は、サンジェニュインの葬儀が行われる日。

目黒さんからその死を知らされた当日が、まさにその日だった。

サンジェニュインはすでに火葬され、荼毘に付された後らしい。

だから葬儀というよりは、実質的にはお別れ会のようなものだろうか。

ただし、参列者は生産した社来ファーム・陽来、社来スタリオンステーションの関係者、現役時代の厩舎関係者とその家族のみとなった。

代わりに、国内の各競馬場には献花台が設けられ、大勢のファンが別れを偲んでいるという。

フランスでもパリロンシャン競馬場に献花台が設けられているのだと、イサノさんから聞いた。

俺は、空港からここまでどうやって来たのか、いつの間に喪服に着替えたのか。

記憶が曖昧で、正直、これからサンジェニュインの葬儀なんだと言われても余り実感がなかった。

急すぎるというのもあったが、たぶん、ただただ受け入れたくなかったのだろう。

この世のどこにも、あの美しい馬がいないのだという、現実を。

 

「真白さん」

 

ぼうっとしている俺の頬を、イサノさんの両手が包んだ。

厩務員らしい、すこしかさついた手。

本人は恥ずかしがってあまり触られたくない、と言っていたけど、俺にとっては世界一綺麗な手だ。

その手が俺の頬を包み込み、少しだけ強く掴まれた。

 

「真白さん。もし、会場に入るまでにその顔を直せないなら、出ないでください」

 

力のこもった強い声色。

そう言い切ったイサノさんに、俺はふつふつと怒りが込み上げてきた。

ただでさえ死に目にすら会えなかったのに、葬儀にすら参列するな、というのか。

思わず睨み付けた俺の視線に怯むことなく、イサノさんは睨み返してきた。

 

「サンちゃんは……サンジェニュインは人の感情に敏感でした。泣きたいのに我慢したり、私たちに心配をかけないように痛みを堪えたり……いつだって、驚くほど私たちの気持ちに寄り添う馬でした」

 

その言葉に、ドバイシーマクラシックで泣けないままターフを後にしたサンジェニュインを思い出した。

ラインクラフトが死んだ後、それを知らされて酷く落ち込んでいたことを。

それ以上に、謝るイサノさんに寄り添っていたことを。

 

「もし真白さんがそんな、そんな「寂しい」って顔をしたら、サンちゃん、逝けなくなってしまう」

 

逝かないでほしい。

喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、俺は瞼を伏せた。

 

「命あるものにはいつか終わりが来る。サンちゃんは、全うしたんです。生きている間にやるべきことすべてやって。……でも、私たちが「寂しい」って、「逝かないで」って顔をしたら、サンちゃん、逝けなくなっちゃうから」

 

イサノさんの声が水っぽくなる。

堪えきれない激情を押さえ込んで、少しずつ漏れ出るように。

 

「私だって寂しいんです。寂しい。もう、社来スタリオンステーションに行ってもサンちゃんはいない。名前を呼んだら振り返って、手を差し出したら頭を乗せて。そんな白い馬はもう、この世のどこにもいない。……寂しい、寂しいですよ!」

 

それでも、とイサノさんは言葉を繋げた。

 

「……でも、見送らなくちゃいけないんです。泣かずに、笑顔で。「大丈夫だよサンちゃん、心配いらないよ、私たちは大丈夫だから」って。「だからサンちゃん、安心して逝っていいよ」って、言わないと……っ!」

 

我慢し尽くした末に流れた涙に、イサノさんの感情のすべてがあると思った。

泣きたい。

叫びたい。

嫌だと言いたい。

それでも。

それでも、あいつの前ではそんなこと、できない。

 

俺の脳裏には、負けて泣いて、勝って笑って。

何かあれば驚いて、気に入らないことには怒って。

でも最後には笑う、あいつの姿。

 

それを思い出して、俺は、両手も顔を覆った。

そして零れてしまいそうになる嗚咽を飲み込んで、一呼吸。

 

「……いきましょう」

 

声は確かにかすれていた。

でも、もう、揺れない。

 

少しだけ、世界が鮮明に見えた。

 

 

 

 

 

 

関係者しかいない葬儀は、しめやかに行われた。

当然、サンジェニュインに縁の深い人ばかりだからか、時折すすり泣く声まで聞こえたが、それだけサンジェニュインという馬が愛されていたという証だろう。

喪主── 正確には違うのだが、便宜上こう呼ぶことにする。

サンジェニュインの葬儀の喪主を務めたのは、当然、社来スタリオンステーションだ。

喪服に身を包んだ彼等もまた、目が充血していた。

それでも会場では涙ひとつ零さずやり遂げたのは、沈まぬ太陽の馬と呼ばれたサンジェニュインを支え続けた、そのプライドによるものだろうか。

俺は最期の瞬間までサンジェニュインを支え続けた彼等に、ただただ、深く感謝した。

 

やがて葬儀が終わり、会場を後にすると、そこにはカメラを構えた報道陣の姿があった。

今回の式には報道関係者は立ち入り不可だったため、せめて参加者にコメントを貰おうとして集まったのだろう。

こういう日くらいはそっとしておいてほしいが、歴史的名馬であり、また種牡馬として未来永劫語り継がれるだろう功績を残したサンジェニュインの死は、彼等にとっても大きな出来事だったことに違いは無い。

そこに含む感情は異なるだけで。

 

「芝木騎手だ、芝木騎手!今の率直なお気持ちを!」

「知らせを受けたのはいつですか!」

「夏頃から体調を崩していた情報がありますが……」

 

矢継ぎ早に飛ぶ質問をすべて無視した。

何も答える気はなかった。

『ファンも気になっているだろうから代理で聞くんだ』と建前を作る記者もいるが、それなら別途会見の場所を設けて自分自身の言葉でファンに伝える。

今、彼等のフィルターを通してファンに伝えたいことなんて、一ミリもないと思った。

 

「芝木騎手!もし、もしひとつだけサンジェニュイン号に伝えられるなら、何を……!」

 

イサノさんの肩を抱き寄せ、足早にその場を去ろうとしたその時。

投げかけられた無数の質問の中で、それだけがハッキリと聞こえた。

思わず立ち止まった俺に、イサノさんが不思議そうな顔で俺の名前を呼ぶ。

 

“ もしひとつだけサンジェニュインに伝えられるなら ”

 

俺は振り返って、その質問をしただろう記者に向かって口を開く。

 

あいつが死ぬ前に、たったひとつでも伝えられるならば。

俺は、俺は、きっと。

 

「ずっとすきでいる」

 

ずっと、ずっと、ずっと。

好きでいるよ、と、伝えただろう。

ありったけの感謝と、愛を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンジェニュインの死から間もなく。

サントゥナイトの引退と種牡馬入りが正式に決定し、発表された。

それは史上2頭目の白毛の凱旋門賞制覇を達成したことはもちろん、史上初であったサンジェニュインが亡くなった影響によるところが大きい。

国内では、サンジェニュインの後継種牡馬としてはサニーメロンソーダを挙げる声が大きい。

現役時代は中長距離戦を得意としたサニーメロンソーダだったが、その産駒の多くはスプリント路線で活躍。

2023年、2024年、2025年のGⅠ・スプリンターズステークスの勝ち馬は、いずれもサニーメロンソーダの産駒だった。

2年目産駒であり、2015年に種牡馬入りしたシルバータイムは、ダート、芝両方でGⅠ級の産駒を出し始めている。

クラシック路線こそドレフォン、シルバーステートら輸入種牡馬や、ロードカナロア、オルフェーヴル、エピファネイア、そしてサンジェニュインの直仔に押され気味だが、シルバータイム産駒も複勝圏内に入る等、好走している。

近い将来、産駒からクラシック勝ち馬も出るだろう。

イギリスではサニーファンタスティックが英ダービー馬を3頭出し、2024年には凱旋門賞馬を送り出すなど、欧州におけるサンジェニュインの後継種牡馬として確固たる地位を築いていた。

アメリカではシャイニングトップレディから始まる牝系が広がっている。2021年、2022年とBCクラシックを連覇したソウルオブラヴァーが種牡馬入りしたことで、今後ますます「父の母」としてその血は広がるだろう。

フランスに移籍した日本生産馬のアオも、種牡馬として堅実な成績を上げているようだ。

だがサンジェニュインの直仔で凱旋門賞馬となった産駒で、種牡馬として大成できた馬はまだいない。

2013年の凱旋門賞を制したブランシュブランシュの産駒はGⅡ勝ちに留まり、2019年には種牡馬を引退している。しかし、その血を引く牝馬はフランケルとのニックスを持ち、孫世代からは2022年の凱旋門賞を制したパリスブランシェを輩出した。

また、2017年の凱旋門賞馬であるライトニングパッションは、ウマインフルエンザに罹った際、治療として打たれた抗生物質の影響か仔を作れない体質になってしまったため、産駒を1頭も残すことができなかった。

欧州は現在、サニーファンタスティックの他には日本生産のアオ、アイルランド生産でジャパンカップ勝ち馬であるタニノサニーロックが主な後継種牡馬として扱われている。

 

一方、国内で活躍する後継種牡馬候補は短距離傾向にあるため、母方の血統的にも中長距離馬を輩出する可能性の高いサントゥナイトに、サンジェニュイン同様の活躍が期待されているのだ。

とはいえ、もともと春時点の予定では5歳になっても現役続行の予定だった。

今はその血の広がり様から「サンジェニュイン系」と呼ばれるサンジェニュイン産駒だが、日本はサンジェニュインの父・サンデーサイレンスの血で溢れていることもあり、国内のサンデーサイレンス系種牡馬はこれ以上不要だ、という意見が最も多かった。

その意見を覆すほど、サンジェニュインの死の影響はでかかった、ということだろう。

サントゥナイトは次走のジャパンカップを最後に引退し、サンジェニュインと同じく社来スタリオンステーションで種牡馬として生活することが決まった。

 

そうして今日。

ラストランを迎えた。

 

「秋も色濃くなってまいりました、晴れの東京競馬場。押し寄せる14万人の歓声を背に、1枠1番の幸運に恵まれましたサントゥナイト。先月老衰によって亡くなった父、サンジェニュインが生涯未出走だったこのレースで、有終の美を見せてくれるでしょうか。今レース3枠6番には同父のサンサンファイト。菊花賞を逃げ勝って二冠馬になりました。鞍上・(たけ)(はじめ)騎手は自信を覗かせています。現役馬でも1位2位を争う逃げ馬2頭、これが初対戦。いったいどちらが父に勝利の花を捧げるか。それとも8枠17番ゴールドフィール、唯一の招待馬5枠9番ステラクラリウスらが勝ちきるか。目が離せない1戦です」

 

サントゥナイトの背に跨がった状態で、俺はちらりと遠くの馬を── サンサンファイトを見た。

秋の風に吹かれる白い毛は、サントゥナイトとよく似ている。

サンサンファイトは今年の日本ダービーを、サンジェニュイン産駒として初めて制した。

サンジェニュインがディープインパクトとたたき合ったあの熱戦から20年。

わずか1センチの惜敗を喫した東京競馬場で、その白い馬体が輝いた日を、俺も昨日のことのように覚えていた。

できることなら俺がサンジェニュインに「産駒初の国内ダービー制覇」を捧げたかったが、それを抜きにしても、ただただ嬉しかった。

そのサンサンファイトが、最後の一冠、菊花賞を制して二冠馬となり、サントゥナイトの前に立ちはだかる。

いつか対戦することもあるだろう、とは思っていたが、こんなにすぐ来るとは思っていなかった。

 

「……なんか、お前よりも大人っぽい馬だな」

 

思わずそう言ってしまうほど、遠目に見えるサンサンファイトは、歓声にも、寄ってくる牡馬にも動じずに大人しい姿を見せていた。……あ、尻っ跳ねした。

訂正だ、牡馬が近寄ったら容赦なく跳ね返す馬だった。

逆にサントゥナイトはやたら好奇心旺盛で、追い駆け回されると解っているはずなのに牡馬に近寄っては追いかけ回されて泣く馬なので、サンサンファイトの方が余計大人びて見える。

お前の方が年上なのになあ、とサントゥナイトの頭を撫でると、サントゥナイトは機嫌が良さそうに嘶いた。

機嫌をよくする場面でもないけどな。

 

それにしても、本当に大人しい馬だ。

前に竹さんが「大人しくて従順。呼吸の仕方や脚の使い方がサンジェニュインによく似ている」と言っていたが、なるほど確かに、好奇心旺盛なサントゥナイトに比べれば性格的にサンジェニュインに似ているように思えた。

 

そうこうしているうちに、ゲート入りが始まった。

 

「さあまずはサントゥナイト。ゲートに誘導されていきます。ここまではスムーズな入り。あとはここから集中力をきらさないか、ですね。鞍上と共にこれが最後のレースとなります」

「芝木騎手も急な発表でしたね」

「そうですね。来年は調教師免許試験に集中し、2027年の開業を目標にしているようです。人馬共にラストラン。サントゥナイトは種牡馬に、芝木騎手は調教師に。ネクストステージに向けて、ここは勝ちきりたいところ」

 

騎手廃業を決めるのに時間は掛からなかった。

元々、サンジェニュインの産駒で凱旋門賞に勝てたら騎手をやめようか、と考えていたこともあったし、それをイサノさんやテキに相談したこともあったから。

それを実行に移したに過ぎない。

幸いな事に蓄えは十分にあり、末の息子を私立大に通わせても十分な金額はある。

妻であるイサノさんにも改めて相談し、サントゥナイトと共にターフを去ることにした。

来年は調教師免許を取るための準備期間に費やす。

ただ……本当は、調教師になることまでは考えていなかった。

 

「俺の苦労を考えて、とかだったら考え直してくれよ?」

 

テキは心配そうにそう言ったが、俺は首を横に振った。

テキの心配はまったくしていない、と言ったら嘘になるが、ソレが主体だったわけじゃない。

だがテキがまもなく定年を迎えることもあり、どうせ調教師になるなら、その管理馬ごと厩舎を継ごうと思った。

本原厩舎にはいちばん思い入れも、思い出もある。

それに、本原厩舎にはまだ多くのサンジェニュイン産駒がいる。

彼等を他の調教師や騎手に任せて、自分は心機一転、という気持ちにはなれなかった。

来年産まれるラストクロップも将来的には数頭迎え入れるつもりでいる。

もうその仔らの背に乗ることはできないが、走るための手助けはできるから。

 

「……大外、ゴールドサプライズがゲートに誘導されていきます。これが収まれば、もう間もなくスタートです」

 

ゲート入りを渋るゴールドサプライズを横目に見ながら、俺はサントゥナイトの頭を再び撫でた。

コイツとの出会いは牧場にまで遡る。

そう、サントゥナイトがまだ「カレンチャンの21」と呼ばれていた頃。

サンジェニュインの放牧地に放たれ、父の側を片時も離れようとしなかった甘えん坊の仔馬が、今ではジャパンカップで1番人気に推されている。

見た目がサンジェニュインにそっくりだと言われてきたサントゥナイト。

でも中身は好奇心旺盛で、ちょっとサンジェニュインより抜けている。

けど、人一倍前に進もうという意欲的なところはそっくりで、横顔を撫でてやったときの表情がよく似ていた。

 

「……ナイト」

 

名前を呼ぶと、馬は丸い瞳を輝かせ、振り返った。

もう振り返ることはない父によく似た、でも他の誰でもない、サントゥナイトの顔で。

 

「2025年、ジャパンカップ、今── スタートしました。ジャパンカップ、スタートです。大きな出遅れなく、比較的キレイに揃ったのではないでしょうか。先頭はサントゥナイトとサンサンファイト、太陽一族のハナの奪い合いです。ややサントゥナイトが有利か。その2頭から4馬身離れた位置にレイアゲインズ。ブラストオルカは内側を縫う位置。ゴールドサプライズはいつもより前の競馬だ。現在5番手。そこから3馬身離れた位置にラッシャーセー、半馬身右にキオス、それを追うのはフロスト。シンガリにゴールドフィールという流れ」

「ゴールドフィールはいつもの位置ですね。最後方からまくって上がる、得意のポジションにつけたといえるでしょう」

 

サンサンファイトと共に勢いよく飛び出したサントゥナイトは早々に先頭争いを繰り広げることになった。

だがここは想定内。

慌てず、無理に前に行かせず。

1枠1番の最内から、外に向かうための活路を探す。

そもそも序盤からハナを取らずに外に持ち出すことは、テキとも相談していた。

今回、最大の壁となるだろうサンサンファイトは、サンジェニュイン産駒の中では比較的軽い馬場向きの脚を持っており、東京競馬場を得意としていた。

一般的な他の産駒と比べると、圧倒的なパワーをベースに逃げ切る、というよりはコースの内側を上手く使って回りきる技巧派という印象で、サンジェニュインのコースカーブへの苦手意識を継いでしまったサントゥナイトにとって、このタイプの逃げ馬は天敵に近いのだ。

 

第2コーナーを抜けて向正面に入った時には、想定通り、サンサンファイトが先頭に立っていた。

まるでサントゥナイトが先頭を諦めたかのような構図だ。

これでちょっとは竹さんが動揺してくれると助かるんだが、と思いながらも、おそらく竹さんの方も想定済みだろう。

あちらもサントゥナイトの走りについてまったく研究していない、なんてことはないだろうから。

 

サントゥナイトとサンサンファイトの2頭が最初から飛ばした影響か、この時点で3番手以下にはすでに8馬身近くの差がついていた。

俺はサントゥナイトを1度後退させ、外側に進路を向ける。

最内にいたままだと、勝負を仕掛けたい第3コーナーでもほぼ横並びのサンサンファイトに阻まれ、上手くレースが進められなくなる事が目に見えていた。

そうして2番手のまま向正面を抜け、第3コーナーに入ったタイミングでサントゥナイトの手綱を扱き、前に押し出す。

サントゥナイトは柔らかく馬体をしならせ、サンサンファイトの前に躍り出た。

 

「ここでサントゥナイト、サントゥナイトが並んだ!だがサンサンファイトも譲れない!二冠馬としてここは譲れない!サントゥナイト、サンサンファイト、白毛2頭、意地のぶつかり合い!」

 

サントゥナイトが首を伸ばす。

サンサンファイトが粘る。

サントゥナイトが脚を伸ばす。

サンサンファイトが脚を回す。

 

抜いて、抜かれて、差して、差し返して。

ターフの上を白い光が交差する。

もうそこには、眩しさしかない。

 

「さあ第4コーナー、ここを、ここを曲がったらあとはゴールだけだ。さあどちらだ── ッゴールドフィール!?切り込んできたぞゴールドフィール!ゴールドフィールがすっ飛んできて迫る迫る栗毛からサントゥナイト、サンサンファイト!逃げるがゴールドフィール凄まじい上がり脚だ!だが、だが、だが!この2頭が先頭だ!譲れない逃げのプライド!さあ残すは直線だけ!」

 

同族同士のぶつかり合いに、見慣れた色が混ざろうと首を突っ込む。

相変わらず恐い馬だな、と思いながらも、ゴールドフィールにも、サンサンファイトにも負けるつもりはない。

 

俺は鞭を振り上げた。

サントゥナイトの首を前に前に押し出して。

そうして馬は。

サントゥナイトは。

 

力強く芝生を蹴り上げた。

 

その、足跡に。

 

「鞍上・芝木真白!天に突き刺す1本指──ッ!」

 

響くのは、歓声だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JRAヒーロー列伝ポスター第××回 サントゥナイト

 

父馬:サンジェニュイン

母馬:カレンチャン

誕生:2021/03/02

生産:社来ファーム・陽来

馬主:金城誠人ホールディングス

成績:11戦8勝(うち海外GⅠ・2勝)

 

 

 

2歳の君は無敵の王者だった

誰にも負けなかったし、誰にも影を踏ませなかった

 

3歳の君は「敗北」を知った

それでも泣くことなく、前だけを見続けた

 

4歳の君は挑み続ける強さを見せた

期待を背に駆け抜け、みんなの夢を叶えた

 

 

これからの君は、

 

『 継いで征く、伝説 』

 

── 次は、父の名で、君を呼びたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── 2029年4月。

熱気に包まれる中山競馬場で、俺は、緊張で両手をすりあわせる少女の背中を、勢いよく叩いた。

 

「ッにすんの、父さん!」

「“ 父さん ”?」

「う……て、テキ、いきなり背中ぶっ叩くのやめてくださいよ……!」

 

不貞腐れたようにそう言った少女は、俺の娘だ。

今年競馬学校を卒業し、ついこの間デビューしたばかりだった。

3歳馬の未勝利戦を中心に経験を積ませ、今日が初のGⅠレース。

その緊張しきった姿に、俺は内心苦笑いを浮かべた。

いくら血の繋がった親子とは言え、競馬場にいるときは「父と娘」ではなく「調教師と騎手」だ。

散々たたき込んだはずが、緊張の余り飛んだのだろうけど。

 

「お前、そんな調子で大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですよ!……緊張はしてるけど、でも、あの子の主戦はもう私だから。お兄ちゃん、ッじゃなくて、虎白(こはく)騎手にだって譲れませんよ!」

 

絶対に鞍上は譲れない、と拳を握る姿には懐かしさと同時に気恥ずかしさを感じる。

今日、娘が乗る馬の主戦は、元々カレンだった。

そう、目黒さんの姪であり、オークス馬・タイヨウチャンの主戦だった女性騎手。

彼女は妊娠を機に騎手を引退し、今後は解説者の道に進むことになった。

その後釜として、娘が乗ることになったのだ。

当初は息子── 2年前に競馬学校を卒業し、娘と同じく俺の厩舎に所属している息子が、カレンが主戦を務めていた馬を引き継ぐ予定だった。

だがカレンから「この馬は彼女の方が合っているから」と言われ、娘にしたのだ。

元々カレンに憧れていた娘は、その後継として直接カレンに指名されたことが嬉しかったこと、また、好きな馬の仔に乗れるということで、かなり熱意がこもっている。

……なんだか昔の自分を見ているようでむず痒かった。

俺はヘンに照れ臭くなる前に話を変えようと、今日の騎乗について指示を出す。

 

「走りについてだが、ま、いつもと変わらない。いつも通りで良い」

「いつも通りって……GⅠなんですけど。それも私、デビューして1ヶ月ちょっとなんですけど」

「だとしてもだ。走って、競って、ゴールするのは同じだろ?」

 

そういうのにGⅠも未勝利戦も変わらない。

俺がそう言うと、娘は引きつったような顔を見せた。

 

「メンタルバケモンかよ」

「なんだって?」

「なんでもないです」

 

きっちり聞こえたけどな。

あえて言わず、俺は深いため息をついて、娘の名前を呼んだ。

 

「いいか。トロフィーが馬の価値を語るんじゃない。馬がトロフィーの価値を語るんだ。GⅠでも未勝利戦でも。勝った馬の走りが素晴らしければ、そのレースは至上の価値を持つ」

 

俺が声色を強めて放った言葉を、娘は今すぐには飲み込めないだろう。

だけどいつか、知るときが来る。

身をもって実感する日が来る。

その馬の歩み。

これまでとこれからを考えられるようになった時。

たった1勝の重みがどれほどのものであるかを。

 

真剣な表情で頷いた娘の肩を叩くと、制止の合図が響いた。

 

「……っと、そろそろですね」

 

娘が視線を向けた先を見ると、パドック周回が終わり、各騎手の騎乗が始まっていた。

今立っている位置から丁度良く見える場所に白い馬が立っている。

その手綱を持っているのは、厩務員であるイサノさんだ。

近くまで小走りで向かった後、馬の背に跨がろうとする娘の足を押し上げ、乗せてやる。

鞍上で背中をピンと伸ばす姿は俺によく似ていると、手綱を握っていたイサノさんがそっと呟いた。

そうだろうか。

そんなに似ていないような気がする。

 

けど、馬の背を撫でながら輝く瞳の熱は、自分にも覚えがあった。

 

百合子(ゆりこ)

「ッはい」

 

名前を呼び、目と目を合わせた。

娘は、百合子は馬の手綱をぎゅっと握りしめ、俺と見つめ合う。

その緊張に染まった顔をみて、思わず吹き出しそうになるのを堪えて、俺は口を開いた。

 

「楽しめよ」

 

これは俺が現役時代、テキが繰り返し言ってくれた言葉。

まさか自分が娘に言う日が来るとは思っていなかったな。

懐かしさに目を細めると、百合子は真剣な表情で大きく頷いて見せた。

 

返し馬に向かうその背を見送ると、イサノさんは「百合子、ちょっと頼もしくなりましたね」と俺に囁いた。

 

「そうですかね」

「そうですよ!なんだか、テキと、本原先生と真白さんが現役だった頃を思い出しました。本原先生はいつも「楽しめ」って言ってましたもんね」

 

彼女の言葉に頷く。

現役時代何度も言われた。

楽しめ、楽しめよ、と。

同じレースは2度とない。

この瞬間にしかありえない。

だから心から楽しめ。

力ある限り走る馬の背から、その生命の鼓動を聞きながら。

 

「……笑顔で返ってきてくれると良いですね」

「……笑顔じゃなくても、返ってきてくれればいいですよ。そうしたら、抱きしめるので」

 

そう言うと、イサノさんはとびきり綺麗に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……サニードリームデイ、君は、今日も最高だよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあもう間もなく、もう間もなく牡馬クラシックの一冠目、皐月賞が始まります。1枠1番にスプリングステークスを勝ち上がったオルタナプレミアム。父ダノンプレミアムの4年目産駒。この血統はマイルから2200メートル戦で活躍馬を出しています。主戦のクリスティ・デルーカ騎手も自信満点。続いて4枠5番に収まったのはジャスパーダ。アダイヤー産駒ですね。母はサンサンパフェー。4億3千万円の超高額馬としても有名です。さ、続々と馬たちがゲート入り。今年はスムーズだ。……最後の大外枠に収まるのは、これがラストクロップ。サンジェニュイン産駒のサニードリームデイ。デビューからここまで無敗でやってきました。トライアルレースである弥生賞では桁違いのスピードで他馬を圧倒。父譲りの逃げ脚を見せつけ、本戦に堂々と参戦です。ここを勝てば無敗の皐月賞馬だ。鞍上を引退した目黒カレン騎手に代わって芝木百合子騎手」

「父が主戦を務めた馬の仔に娘が乗る。競馬は時々ギャンブルからドラマに変わると言いますが、さて、どんな走りを見せてくれるのでしょうか。白の2世コンビに注目です」

 

この年、中山競馬場に駆けつけた観客は約8万人。

2010年以降の皐月賞でこの観客数は異例とも言えた。

それだけの注目度。

それだけの期待があった。

 

史上初の白毛の凱旋門賞馬・サンジェニュインの産駒が出走する皐月賞は、これが最後。

前週の桜花賞をサンジェニュイン産駒のシャイニングサニーが逃げ切り勝ちを見せたこと、そして1番人気に推されているサニードリームデイがデビュー戦から無敗だったことも合わさり、最後の最後に怪物が誕生するのかと話題になっていた。

加えて、サニードリームデイの鞍上は芝木百合子騎手。

サンジェニュインの主戦を務め、その産駒の多くに乗ってきた芝木真白騎手の次女。

観客の目には、史上3頭目の白毛凱旋門賞馬とその騎手が立っているように見えていた。

 

「全頭ゲートに収まりまして── 皐月賞、スタートしました。出遅れなし。全頭、横一線キレイなスタートです。ハナを行くのはサニードリームデイ。軽やかに5馬身リード。続く2番手にシェルクル。その半馬身差でピクシーパーティー、ダンシングタイム、ハテノキズナが続きます。大外にヨレているのはジャスパーダ。少しふらついたが大丈夫か。後方、ムテキテイオーサマ、15番ムテキテイオーサマとツバキアイノウタに挟まれる形でオルタナプレミアムが耐えています。今日は抑えの競馬か、クリスティ・デルーカ騎手の秘策に期待です。先頭はまもなく2つ目のコーナーカーブを曲がるところ。シンガリのフォンダンミルクは前を行くハルノカリスマ、メロンソーダソーダ、タイヨウストリートに食らいつくが終盤追いつけるか。各馬ここまで淀みのない展開。さあもう1度先頭から振り返ってみましょう」

 

白い馬体は鮮やかな緑のターフに映えた。

例え1完歩進むごとに芝が抉れ、無残な姿になろうとも。

馬券を握りしめて声援を飛ばす観客たちには、その有様さえ美しく、眩しく映った。

 

「各馬仕掛けどころか!第3コーナーを過ぎてハテノキズナがぐーんっと首を伸ばして上がってきた!そのすぐ後ろにジャスパーダが続く。先頭は依然サニードリームデイ!ドリームデイが突き進み── ッ大外!大外からすごい脚だこれはまさに飛翔!オルタナプレミアムが突っ込んできた!ムテキテイオーサマ、ツバキアイノウタ、ピクシーパーティーら10頭を撫で斬って!オルタナプレミアムが目指すのはドリームデイのさらに向こう側!ゴール一直線!」

 

1番のゼッケンを揺らしながら、黒い馬体の馬が伸びる。

後方からため込んで解き放たれるその流線形は、2歳王者であった父ダノンプレミアムの血を通して、祖父であるディープインパクトのシルエットを浮かび上がらせた。

24年前。2005年。

中山競馬場でハナ先揃えた2頭の影が、確かにそこにあった。

 

「逃げるサニードリームデイ!追うオルタナプレミアム!逃げ切りか差し切りか!どっちだ、どっちだ、どっちだ!?」

 

風に揺れる白い馬体がしなる。

何もかも置き去りにして、その光は、影さえ作らなかった。

 

「残り200メートル!オルタナプレミアム追いつかないか!?ッこれは決まりか、逃げか!逃げだ!逃げ切りだ!」

 

雑音に混じる喜びの怒号。

天に掲げる、その指の意味は──

 

「今日は、夢を、叶える日だッ!サニードリームデ──イ……ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サニードリームデイを称える声に包まれながら、俺は競馬場の地下通路を走っていた。

走って、走って、息が上がっても走って。

ただ光が差す方向に向かって走っていた。

長い長い地下通路は、あの日、あの10月7日から続いているような気さえする。

薄暗い闇の中を駆け抜けて、俺は、ようやく光にたどり着いた気がしていた。

 

深く沈む場所を抜けて、見上げた空の、その青さに。

俺はついに、込み上げるものを堪えることができなくなった。

 

目が熱い。

たまらなく熱い。

それをまともに拭うこともできずに、俺は、ただ空を見上げて泣き続けた。

 

「サンジェ」

 

震えた声で呼ぶ。

 

「サンジェ」

 

お前の最後の仔が勝ったぞ。

逃げ切り勝ちだ。

無敗で。

無敗のまま。

皐月賞を制した。

 

すごいことだ、よくやっただろ、なあ。

 

そう伝えたいのに。

 

「サンジェ……!」

 

振り返る馬はもういない。

いない。

解っている。

 

「サンジェ……ッ」

 

わかっていても。

それでも何度でも呼ぶだろう。

そして、何度でも叫ぶのだ。

 

「サンジェニュイン!」

 

誰がどんな白毛の馬を称えても。

至上だと呼んでも。

 

お前は。

お前こそが。

 

「ッさい、っこうの、馬だ──……ッ!」

 

叫び続けよう。

 

この声が嗄れるまで。

 

 




芝木外伝、完!
あとはオフライン本「ずっとすきでいる」に書き下ろしの後日談や番外編が載ります。

第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)

  • エアグルーヴ
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