と言うから、不沈艦は笑った。 1
トレセン学園に入学して初めての夏だった。
競技講習を経て、その日は記念すべき模擬レース初開催日。
第1回目と言うこともあってか、レースは少数の六人立てで、5回に分けて開かれた。
ゴールドシップはその5回のうち、最後のレースに出走する。
寮で同室のジャスタウェイは2回目と早い段階で呼ばれたため、揶揄う相手もいない状態だ。
要するに、暇を持て余していた。
そんなゴールドシップの前でそのウマ娘は、あまりにも鮮やかに、そしてあまりにも衝撃的に現れた。
「 ── 第1レース、1着、シルバータイム」
ゴールドシップが金で、そのウマ娘は銀。
だが風に揺れるその頭髪は、夏日に透けるような美しい白色だった。
やや長い前髪から覗くのは緑色の強いブルーアイズ。
同期生が肩を寄せ合いながら『かわいい』と囁いているのを見て、ゴールドシップは記憶の中を漁って、そして思い出した。
「ねえ聞いた? あのめっちゃかわいいこ、RKSTポイント、1億超えてるんだって!」
「嘘! めっちゃ評価されてんじゃん」
「や……でもさあ、そりゃ、当然って言うかさあ。だって、あのこ」
── 太陽一族のウマ娘でしょ。
美貌の凱旋門賞ウマ娘、サンジェニュインの妹分。
その総称として用いられているのが『太陽一族』だった。
それは栄華の証明。美しさの象徴。強さへの羨望。未来への希望。
太陽一族のウマ娘であることは、一種のブランドであり、そうあるだけで周囲のウマ娘から頭ひとつ、ふたつ抜けた扱いを受ける。
姉であるサンジェニュインが輝きを増す度、一族の価値が上がり続けるのだ。
それにしても、シルバータイムへの注目度は同世代の太陽一族の中でも飛び抜けている。
その理由をゴールドシップは知らなかったが、彼女にはそんな情報はさして重要なものではなかった。
この時のゴールドシップの胸中を占めていたものはただ一つ。
「どの角度からドロップキック食らわせっかなー」
レースを終え、1着を誉められ。
そうしてシルバータイムが浮かべた微笑み。
それを見た瞬間、ゴールドシップの中に電流が走った。
頭のてっぺんからの足のつま先まで痺れる感情。
もっと簡略して言うと ── 閃いた。
後年、ゴールドシップはこう語った。
「液体窒素よりも冷たい笑顔でさー、なんていうか、すっげー暇そうだなって思ったんだよ。だからまずドロップキックして、ゴルゴル星名産のにんじん棒突っ込んでみたんだよな! いやあ、良かったと思うぜ? にんじん棒突っ込んだ瞬間、反射的に回し蹴りされてなあ! やっぱ、アタシの目に狂いはなかった! こいつはアタシの相棒 ──つまり、 ボー○ボだってな!」
逆だ逆、と叫んだシルバータイムが回し蹴りを決める。
その光景を眺めていたジャスタウェイは苦笑いを浮かべながら、今は遠く、瞬く間に過ぎ去っていった日々に思いを馳せた。
季節は春だ。
遅咲きの桜が舞い散る中、シルバータイムとジャスタウェイはトレセン学園を去る。
盟友であるゴールドシップを一人残して、生まれ育った故郷へと帰りゆく。
これは別れの場面であるはずなのに、ゴールドシップの変わらなさが、まるで日常の延長戦であるかのように見せていて、ジャスタウェイは目を細めた。
「……シルバータイムさん、時間のようです」
「……ん、わかった」
迎えの車が止まる。
ジャスタウェイの合図に、シルバータイムは姿勢を正した。
そのピンと伸びた背中が、ジャスタウェイに過去を追憶させる。
トレセン学園に入ってからの日々。ゴールドシップとの寮生活。
シルバータイムも加えた、三人で駆け抜けた毎日の楽しさが、今はただ懐かしい。
ほろり、と流れた涙を慌てて拭うジャスタウェイの、その背中をゴールドシップが柔らかく叩いた。
「泣き虫なのはかわんねーな! ジャスタ!」
暴れん坊のゴールドシップと、優等生のジャスタウェイ。
寮の部屋を一歩出たら、それが二人への評価だった。
いつもゴルシの世話を焼いて、お前も大変だな、と。
教官たちに声をかけられた回数はもう数えていない。
数えていられないほど言われたから、いつしか数えるのも、訂正するのもやめた。
『ゴールドシップはただ暴れているわけじゃないんです』と。他ならぬ本人に止められた。
それでも言われるたび、ジャスタウェイは心の中で訂正し続けた。
ゴールドシップは粗暴なわけじゃないこと。
ゴールドシップがいたからこそ、成績が伸び悩んだ時期、彼女の活躍を励みに頑張ってこれたこと。
耐え忍んだ先のG1制覇を、誰よりも喜んでくれたのがゴールドシップと、そしてシルバータイムだったこと。
ジャスタウェイは、第二の故郷とも呼べるトレセン学園から巣立ったとしても、それを永遠に忘れることはないだろう。
「……シップ、どうか、お元気で」
「おう! お前も芦毛と白毛のウマ娘追っかけ回すのほどほどにしろよ」
「い、言うほど追いかけ回してませんから!」
ジャスタウェイがそう言って一歩下がると、替わるようにシルバータイムが前に出た。
変わらず背筋はピンと伸びて、木漏れ日を浴びた白毛が光を纏う。
いつ見ても見惚れるような美しい顔をあげて、その蒼穹の瞳をゴールドシップに向けた。
そして、響く、別れの言葉が、ゴールドシップの心の真ん中で花を咲かせる。
それは、ゴールドシップが最も聞きたい、愛言葉だった。
■
ゴールドシップとシルバータイムの関係性は、当初は一方的な興味と好意からスタートしていた。
興味も、好意も、ゴールドシップからの一方通行である。
側から見ると、嫌がるシルバータイムに絡むゴールドシップ、と言う構図に見えるので、同期生はもちろん、教官たちからさえゴールドシップは注意を受けた。
だがシルバータイムというウマ娘は、誰かから守られるような、気弱で虚弱なウマ娘ではなかった。
嫌なものは嫌と面と向かって言うし、彼女のパワーはゴールドシップよりも上。
だから本気でやろうと思えば、ゴールドシップを退けるなんて朝飯前のはずだった。
だから何が言いたいのかというと、つまり、周りが思うほどシルバータイムは嫌がっていなかったと言うことだ。
そもそも、シルバータイムというウマ娘は『寂しがり屋』であった。
物言いははっきりとしていたが、頼み込まれると断れないお人好しでもあったし、どんな言葉も無視できない生真面目でもある。
無視しても良い小さな出来事さえ受け止めてしまい、不要な傷を負うことも、苦しむこともあった。
ゴールドシップに絡まれていたのを受け流せなかったのも、こういった性格によるものだ。
ゴールドシップはそんなシルバータイムの在り方を『生きるのが下手』と称した。
「もっと賢いやり方なんていくらでもあんだよな。でもシルバーにはできない。アイツは、真っ直ぐ以外はわかんねーんだ」
ま、そういうとこがおもしれーんだけどな! そう言ってゴールドシップが笑った、その年の秋にサンジェニュインは凱旋門賞連覇を果たした。
史上初の白毛の凱旋門賞ウマ娘は、二度目の制覇もまた史上初で、デビューを控えた妹分たちの評価はますます高まった。
前評判が良かったシルバータイムもまた、評価を引き上げた妹分のひとりだ。
そんなシルバータイムは、自身のデビューを翌年に定めていた。
それまでにトレーナーを見つける、と宣言していたシルバータイムのトレーナー探しは、当初はゆったりとしたものだった。
しかしサンジェニュインの凱旋門賞二連覇に呼応するように、その年にデビューした年上の妹分たちの活躍が、彼女を大いに焦らせた。
まず、中央トレセン学園では三人のウマ娘がデビューした。
妹分の誰よりも早くメイクデビューを迎えた、サンサンドリーマー。
姉・サンジェニュインより頭一つ分も小さな身体で、でも姉のように大逃げで勝ち上がった。
年末のジュニア級限定G1・朝日杯FSでも逃げ押して勝利し、国内の妹分として初めてG1を制した彼女は、今、最も勢いのあるウマ娘のひとりだ。
二人目はサニーメロンソーダ。
『ハジける衝撃』と謳われた瞬発力とスタミナを武器に、大外を回って先行逃げ切りを果たしている。
まだ一勝クラスだが、素質あるウマ娘として、さらにサンジェニュインを担当するメテオのサブトレーナーに指導を受けていることで、高く評価されていた。
春の一冠、皐月賞を目標に、次走は毎日杯を予定している。
三人目はハッピーミーク。
トレーナーの名門、桐生院家の令嬢をトレーナーとしてメイクデビューした、今年のクラシックでも高い注目度を浴びること間違いなしのウマ娘だ。
デビューこそクラシック級の1月とズレたが、危なげない脚捌きで見事勝利。
クラシックのポイント加算を経て、日本ダービーを目標にしていることで有名だ。
さらに国内の妹分以外に、国外の妹分たちも続々とメイクデビューを迎え、華々しく活躍している。
特に活躍が著しいのはアメリカトレセン学園に所属する妹分・シャイニングトップレディ。
国内外の妹分を合わせて1番目のG1制覇を果たしており、無敗のままアメリカ三冠戦に向かおうとしていた。
また、全てのウマ娘の故郷とも呼ばれる、ニューマーケットで暮らすサニーファンタスティック。
彼女は見目も走りもサンジェニュインと瓜二つ、と呼ばれ、妹分随一の評価を受けていた。
昨年末のジュニア級限定G1でフランケルに敗北を喫してはいたが、イギリス三冠戦への意欲は衰えていない。
この世代の一つ下としてデビューすることになるシルバータイムの、そのプレッシャーは半端ないものになっていた。
妹分の誰かが勝つ度、シルバータイムの期待値は上がり続ける。
積極的に選抜レースに参加する彼女には常に人の目が向けられ、比較する声は止むことがない。
サンサンドリーマーより、サニーメロンソーダより。
ハッピーミークより、シャイニングトップレディより、サニーファンタスティックより。
きっときっと、活躍が期待できるだろうという、無責任な評価が響き続けて、ついにシルバータイムは脚を止めた。
デビュー年となった2月の、朝のことだった。
きっかけは1月に行われた選抜レース。
焦りから集団に飲み込まれたシルバータイムは、そこで初めてレースを中断した。
翌週も、そのまた翌週も。
精彩を欠いた走りで先頭をキープすることはできず、集団から抜け出す余裕も作れず。
潰れ、立ち止まり、頭を下げた彼女に、誰もが失望した。
他の妹分たちと比較して、その欠点を論った。
その声が大きくなるにつれ、シルバータイムはいつしか、自分を卑下するようになった。
「どうせ、あたしなんて……」
シルバータイムからその言葉を初めて聞いた時、ジャスタウェイは思わず彼女の肩を掴んだ。
でも、かける言葉が見つからなかった。
元から自信満々だったわけでもない。
でも幼い頃から他の妹分たちと比較されながらも、それでも期待の言葉を大事に抱きしめて、ひたむきに走って来たのがシルバータイムというウマ娘だった。
それが、抱きしめていたはずの期待の言葉を取り上げられて、ただ無意に沈む姿は、見るに堪えなかった。
どうにかしたくて、でもどうにもできなくて。
そうこうしている間に、新たなG1シリーズ、ワールドロイヤルカップの開催が決定した。
日本でもトライアルレースとしてジャパンロイヤルターフが開催された。
国内外から集ったG1覇者をサンジェニュインが退けたのは、当然の結果だったのだろうか。
眼下で喝采を浴びる姉を見つめるシルバータイムの表情は読めない。
でも、ゴールドシップには、その時ただひとり、暗闇に沈むスペシャルウィークの隣でただひとりだけ凪いだ目をしていたゴールドシップにだけは、今がチャンスだと、わかっていた。
■
時は少し前に遡る。
シルバータイムの一つ上の世代がデビューした、その年の暮れのことだ。
久々に日本に帰ってきたサンジェニュインを、ゴールドシップは遠目に見た。
一年の大半を海外で過ごす彼女を、このトレセン学園で見る機会は少ない。
シルバータイムへの土産話にするか、と思ってサンジェニュインを見つめていたゴールドシップは、そこで意外な名前を聞くことになった。
「今年のジャパンカップを勝ったスペシャルウィーク。面白いウマ娘だったな」
話し相手はオルフェーヴルだった。その年にメイクデビューを迎えたばかりの、チーム・メテオの新星だ。
ゴールドシップはなぜか彼女を見ると妙な感覚になってしまうので、近づくのは避けていた。
妙な感覚というのは、無性にこう、殴りたくなるような、ちょっかいかけたくなるような、でも近づきたくないような、そんな複雑な感覚だ。
たまに良く戯れているメジロマックイーンのような匂いがすることもあって、気になるウマ娘でもあるが。
そのオルフェーヴルを相手に、サンジェニュインはゴールドシップのチームメイトでもあるスペシャルウィークの話をした。
曰く、力強い走り。
同年のジャパンカップで、凱旋門賞三着だったブロワイエを相手に押し勝ち、日本総大将の称号を名実ともに自分のものにした。
サンジェニュインやディープインパクト、ハーツクライ不在のレースではあったが、それに決して劣ることのない優駿たちが集まったレースでの勝ちっぷりは見事だったとゴールドシップも思っている。
それを、他でもないサンジェニュインが認めていること。それは大きな意味を持つだろう。
後でスペシャルウィークにも教えてやろう、と耳を澄ませる。
それを知らず、スペシャルウィークを始め、チーム・スピカの面々を評価するサンジェニュインに、知らず知らずのうちに頬を緩めるゴールドシップは、続いた言葉にハッとした。
「来年もスピカは飛躍するだろうな。お前が成長する上で、きっと、彼女たちは面白い手本になるぞ ── シルバー」
ハイ! と響く声は、見知った音色。
低い木の影に隠れて、そこにシルバータイムもいたらしい。
どうやらサンジェニュインのことは土産話にできないようだ、とゴールドシップは思ったが、その時、ふと視線に気づいた。
茶色の扇を口元にあて、冬の木漏れ日の中に佇む白いウマ娘が視線の先にいた。
それを見てゴールドシップは唐突に理解する。
気づかれていないと思っていただけで、サンジェニュインは最初からゴールドシップの存在に気がついていたのだ。
気がついた上で、スピカを褒め、シルバータイムに話を振った。
それはつまり ── 許可がでた、ということだ。
ゴールドシップはかねてより、シルバータイムをチーム・スピカに勧誘する予定だった。
ジャスタウェイもスピカに所属していたので、それならシルバータイムも誘いたい、という安易な発想だったが、何より、ひとりっきりで居場所を探し続ける背中を寂しく思った、ということもある。
それに、孤高ぶってる割には寂しがりやのシルバータイムに、騒がしいスピカは似合っていると思っていた。
だがサンジェニュインの妹分は、その多くがチーム・メテオに加入する。
実際にサンサンドリーマーもサニーメロンソーダもチーム・メテオ所属だ。
ハッピーミークは違うが、だが担当トレーナーは名門・桐生院家の娘である。
スピカは良いチームだが、メテオやリギルのようなトップチームかと聞かれると、施設も、設備も、環境も、まだまだ発展途上だ。
トレーナーも桐生院家並の指導技術を持っているかと言えば、曖昧に笑って濁すハメになるだろう。
けど、メンバーの仲の良さはトップチームにだって引けを取らないと思うし、トレーナーは誰よりも自分たちを信じてくれる男気のあるやつだと、ゴールドシップは胸を張って言える。
頂点に向けてお互いバチバチしながら過ごす環境よりは、よっぽどシルバータイムに合っているような気もしていた。
だから勧誘できるものならしたいけど、もしシルバーがメテオに入るつもりでいて、メテオ側もシルバータイムを受け入れるつもりなら、ゴールドシップに勝ち目はない。
どうやってこっちに引き込もうかと悩んでいる中で、サンジェニュインのその言動はゴールドシップの背中を押した。
翌年からシルバータイムを勧誘しまくった。
でもシルバータイムはなかなか頷かず ── そんな中で、彼女の精神は少しずつ摩耗していった。
また一族の誰かが活躍した。素晴らしい結果だった。そんな賛辞を見る度にしぼんでいく。
初開催となったジャパンロイヤルターフは、そんなシルバータイムのこともゴールドシップのことも気にすることなく、滞りなく行われた。
結果はなんてことない。大方の予想通り、サンジェニュインの逃げ切り圧勝だった。
スペシャルウィークに背中を向けるサンジェニュインは、いつ見ても変わらず眩しい。
正面からその顔を見ると、いつも破天荒なゴールドシップですらしばらく目を見開いて固まるほどには、あまりにも美しい姿をしていた。
美しく、強く、凛々しく、艶やかで、清廉。
それに似た容貌を持ちながら、自信無さげに眉を下げるシルバータイムの、ちょっと情けない横顔の方がゴールドシップの好みではあったが。
涙にくれるスペシャルウィークの背中を、トレーナーやトウカイテイオーたちと撫でながら、ゴールドシップは目を細めた。
今、ライブビューイング会場でサンジェニュインの背中を見送った、シルバータイムの表情を想像する。
それはそれは情熱的に燃えているだろう。
現時点で国内で最も勢いのあったスペシャルウィークを退け、誰も寄せ付けなかった姉の勇姿を脳裏に刻み、シルバータイムは夢想するのだ。
来年、クラシックシーズン。
崩れ落ちるウマ娘たちに背を向け、君臨する自分の姿。
そしてゴールドシップも夢想する。
勝ち誇るシルバータイムの背中を叩きながら、やったな、と笑う、自分の姿を。
そのためにはやはり、シルバータイムを自分と隣まで引き摺り込む必要があるのだと、ゴールドシップは改めて思った。
ジャパンロイヤルターフから数日後。
スペシャルウィークの精神的回復を待ちながら、ゴールドシップは壁に背を向けていた。
その向こう側にはシルバータイムと ── サンジェニュインがいる。
今年は国内を中心に走るというサンジェニュインは、間も無く春のシーズンを迎えつつある今も中央トレセン学園にいた。
噂では天皇賞・春に出走するという話だが、メイクデビューを迎えていないゴールドシップにはまだ関係ない話だ。
それより気になるのは、シルバータイムとサンジェニュインがふたりっきりで何を話すかだった。
「練習は順調か?」
「はい、お姉様。今年の夏頃にはメイクデビューを迎えられるかと」
「そうかそうか。お前も頑張ってるもんな。とおちゃ ── ッじゃなくて、姉ちゃんにできることがあったらなんでも言うんだぞ。手伝ってやるからな」
「ありがとうございます、お姉様! しかし、お姉様のお手を煩わせるわけには参りませんし……あたしは全く問題ないので、お気になさらず」
「んん……そうか、ま、困ってることがないなら、それが一番かな」
苦笑いを浮かべたサンジェニュインは、きっと頼って欲しかったのだろう。
ゴールドシップはそう察して、小さく息を吐いた。
シルバータイムはいつも『ご多忙なお姉様を困らせないように。困らせたら嫌われてしまう』と言っていた。
でも肝心のサンジェニュインは嫌うどころか、嬉しく思うのだろう。
頼り方がわからない不器用な妹分が、不器用なりに自分に頼ってくれる。
それ自体が、彼女にとって大切なことなのかもしれない。
どうしてそう思うのかと言えば、ゴールドシップもまた、不器用なシルバータイムに頼られることが嬉しいからだ。
「そうだ、シルバー。スピカのゴールドシップとは仲、良かったよな?」
「……まあ、世間一般的には、まあ、そうとも、言いますね」
おいこら、仲良しピッピであってるだろうが、とゴールドシップは内心主張した。
こちらは大親友だと思っているレベルである。
「はは……シルバー、おともだちは大事にするんだぞ。優勝劣敗のこの世界で、競い合えるともだちなんて早々には出会えない。一見普通に見えて、結構得難いものなんだぜ?」
「そういうもの、ですか」
「そういうもの、だ。例えばオレにカネヒキリくんがいるようにな。孤独を分け合える仲間がいるっていうのは強くなるためにも必要なことなんだよ。……そうだ、シルバー。ゴールドシップと仲が良いってことは、スピカとも交流が?」
穏やかな表情でそう聞いたサンジェニュインに、シルバータイムは首を横にふった。
「スピカのジャス……えっと、ジャスタウェイとならば仲は良いです」
「ゴールドシップの同室のウマ娘だな。そうか、あの
「お姉様、それが何か……?」
「いいや、こっちの話。……なあ、シルバー。シルバータイム」
改めるようにシルバータイムの名前を呼んだサンジェニュインに、シルバータイムは真っ直ぐに背を伸ばした。
その背中越しに、ゴールドシップはサンジェニュインと視線が噛み合った、ような気がした。
「情けは人の為にならず ── お前の為になる。もし、スピカのメンバー三人以上から、どうしても、と頼まれることがあったら、協力してあげると良い。お前にも余裕はないだろうけれど、巡り巡って、その手はお前に返ってくるはずだから」
シルバータイムの手を包みながら、サンジェニュインの瞳はゴールドシップを映していた。
それがきっと、サンジェニュインからの最後の許可だと、ゴールドシップには思えてならなかった。
■
スペシャルウィークの練習相手にとシルバータイムを連れ出し、そしてなし崩しに協力を頼み込んでから数ヶ月。
シルバータイムは最初のぎこちなさが嘘かのように、すっかりスピカに溶け込んでいた。
ワールドロイヤルターフまで残り数日。
訪れたニューマーケットのトレセン学園で、ゴールドシップはベッドを背に天井を見上げる。
シルバータイムはサニーファンタスティックに呼ばれてこの場にはいない。
一人っきりの部屋に戻って考えるのは、サンジェニュインのことだった。
サンジェニュインがシルバータイムに、スピカのメンバー三人以上から頼まれたら協力するように、と言った時。
ゴールドシップの中に浮かんだ言葉は『全部お見通しかよ』だった。
つまり、サンジェニュインはシルバータイムの悩みにも、ゴールドシップのやろうとしていることにも気づいていた。
その上で、その理想に最も近い状況を作り出したのだ。
シルバータイムの悩みは自己嫌悪と孤独感。
ゴールドシップのやろうとしていることはシルバータイムのスピカ勧誘。
褒めるのが上手いスペシャルウィークらのいるスピカは、シルバータイムの自己嫌悪解消にうってつけだろう。
孤独感だって、ゴールドシップをはじめシルバータイムに絡むウマ娘は多い。
シルバータイムがスピカに入れば、ゴールドシップの目的だって達成される。
デメリットなんて、トップチームと比べてトレーニング環境が少しだけ遅れていることくらいなものだし、それを補う努力はきちんと成されている。
ワールドロイヤルターフが終わったら正式に勧誘するつもりだった。
この数ヶ月は、いわばお試し期間のようなもの。
ここで信頼関係を作って、じわじわと、スピカの中にシルバータイムの居場所を作ってやるのが、ゴールドシップの密かな目標でもあった。
その目標は、サンジェニュインの存在によって早くも達成できそうな空気を帯びていた。
いや、これももしかしたらサンジェニュインはお見通しだったのかもしれないけれど。
目を閉じたゴールドシップは、壁越しに隣部屋の声を聞いた。
隣はスペシャルウィークの部屋なのだが、どうやらダイワスカーレットとウオッカもいるらしい。
そこではサンジェニュインの過去レース上映会が開かれているようだった。
「同着の皐月賞! やっぱこのレースでのサンジェニュイン先輩の逃げは強い! コーナーカーブで一瞬ブレたのにそれをすぐ立て直すなんて流石すぎるだろ!」
「まだまだねウオッカ! サンジェニュイン先輩といえば稍重の神戸新聞杯! 最初っから一度も影を踏ませず、それどころか2秒近くレコード更新して勝ってるのよ!? ここがサンジェニュイン先輩の逃げの原点であり、翌年の海外戦に繋がる大きな勝利なの!」
「わっ、私は有馬記念、かなあ。ゴールしても誰が勝ったか分からないくらいの接戦で、それを1センチ差で勝つんだからすごいよ!」
3人とも、サンジェニュインの圧倒的な走りを褒め称える。
その強い精神性を尊ぶ。そのブレなさに憧れる。
好意に満ちた言葉を聞くたび、ゴールドシップはサンジェニュインの姿を思い浮かべた。
さて、サンジェニュインというウマ娘は実際のところ、どうなのだろうか?
誰もがいう通り、完璧なウマ娘なのか。
孤高の存在なのか。
日本ウマ娘の今後を憂いているのか。
はるか未来を見据えているのか。
ゴールドシップの答えは『別にそこまでは考えてないだろ』だった。
別に貶しているわけじゃない。
サンジェニュインが能無しとも思っていない。
ただ、思うに、周りは少しだけ彼女に期待しすぎている。
世界の頂点に立ったウマ娘に対して、多くのことを求め過ぎているのだ。
光だとか、希望だとか、後進育成だとか。
背負わせすぎていて、そしてそれを疑問にすら思っていない。
全てサンジェニュインの受容と献身からくるもので、義務ではないことを理解していない。
もしサンジェニュインが何もかもを手放して、ターフを降りる時。
その瞬間に何をすべきか、これからどうやってレース界を盛り上げていくべきか。
考えるのは残されたウマ娘であって、サンジェニュインではないことを、早く自覚しなくてはいけないのに。
「『我が国の太陽』ねえ……」
それはまるで、サンジェニュインを縛る鎖のような言葉だ。
讃えているように見せかけて、檻に繋ぐための。
ではサンジェニュインというウマ娘は、レース界に縛られた、悲劇のウマ娘であるのか。
そう問われれば、ゴールドシップはまた首を横に振るだろう。
そして呆れたように『んなわけあるかい』とも言うかもしれない。
サンジェニュインと『悲劇』『縛る』という言葉は、おそらく最も遠い場所にあるものだから。
ゴールドシップから見たサンジェニュインは、何にも縛られていない、囚われていない。
義務などなく、責務などなく。
周りはもっとシンプルに考えるべきなんだよな、と一人ごちて、ゴールドシップは目を閉じた。
誰かのために走っているのではない。
何かのために走っているのではない。
全て、全て、サンジェニュインがそうしたいと思ったからそうなっている。
ただそれだけだという真実を、真正面から見れば良いだけだ。
でも周りがそうしないのは、きっと、無意識にでも『自分はサンジェニュインの意識の中にある』と思いたいからだろう。
自分達のために走っていると思い込みたい。
そうやって繋がっていたい。
そんなんだから、誰もその影を踏めずにここまできているのだろうと、ゴールドシップは天井を見つめながら呟いた。
つまり何が言いたいのかというと、ゴールドシップが思うにサンジェニュインは、高尚で高貴で一途なウマ娘というわけでもなく、ただ自分の思うがままにターフを駆ける、自由で、気ままで、どこにでもいる普通のウマ娘だった。
……普通と言い切るには強すぎて、そして美しすぎるだけで。
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組