その傍らには1頭の馬が佇んでいた。
栗毛に細い流星を持つその馬の名は ── カネヒキリ。
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サンジェニュイン産駒の牝馬が出てきます。
カネヒキリくんは種牡馬を引退してリードホース生活中です。
初恋は実らないものだという。
最初に私へそう言ったのは、いったいどの馬だったか。
ちょうど入れ違うように育成牧場へと旅立った年上の牝馬は、私と同父だった。
みんな、父の顔も、声も知らずに過ごしてきた。
サラブレッドなら当然のことだって?
そう、ふつうのサラブレッドだったら一生知らなくてもおかしくはない。
けど、私たち ──
本当なら離乳してすぐ、父の下で育成されることになっていた。
でもそうなっていないのは、父が死んでしまったから。
会えなかったのはかなしいと思う。
会いたかったなって思うし、今この瞬間だって会ってみたいと思う。
けれどさみしくはなかった。
その代わりというように、私たちの面倒を見てくれる馬がいたからだ。
その馬の名はカネヒキリ。
父の古いトモダチで、父と放牧地を共有するほど仲が良かった。
栗毛の馬体は高齢にさしかかったいまも衰え知らず。
鋭い眼光で、放牧地を走り回るほかの馬たちを見ていた。
彼は別に、私たちを育成しているわけじゃない。
ただそばにいて、私たちを見守っているだけ。
どうしてそんなことをしているの? なんて。
聞いてみたことはあったけど、カネヒキリは答えなかった。
聞いちゃいけないことだったのかなと、とねっこの時は思ったけど、答えは、同父の牡馬が教えてくれた。
『父ちゃんとの約束だよ。俺らの仔守するってさ』
父はある日の夜中に旅立ったという。
まだ朝日もない暗い時間に、カネヒキリや、自分の産駒たちに看取られて逝ったんだって。
いつだったか、年長の牝馬がしみじみと語っていたのを思い出す。
『俺たちの父ちゃんはほら、馬の中では変わりもんだからさあ。自分で自分の子供育ててたし。本当は自分の脚でお前らの面倒も見たかったんだろうけど、それもできないから、カネヒキリのおいちゃんにお願いしたわけだ。カネヒキリのおいちゃん、父ちゃんにゲロ甘だったからすぐにオーケーしちゃったってわけよ』
カネヒキリはいつも放牧地のど真ん中にいる。
かつては父がそこにいて、カネヒキリはその斜め後ろで父を見つめてたのだと、同父の牡馬は言った。
父の真似事に過ぎないけれど、約束を果たそうとするカネヒキリの誠実さが、多くは語らないけど大切なことはいつも時間を惜しまないその背中が、私は大好きだった。
この感情が恋だと言うなら。
私の初恋はまちがいなく、カネヒキリだった。
同父の牝馬の多くはそうだろうな、って思う。
私たちサンジェニュイン産駒の牝馬にとって、産まれて初めて見る、同世代と父以外の牡馬はいつだってカネヒキリだ。
でもどうしてこんなに大好きって思えるんだろう。
牡馬が苦手だった父が唯一懐いていたという、血のなせる業なのか。
それとも、他馬に対して興味のないカネヒキリが、自分にはきっちりと向き合ってくれる、そんな所に自然と惹かれるのか。
……もっとも、後者に関してはこっちの願望ましましなんだけどな、と同父の牡馬が付け加えた。
『あのな、カネヒキリのおいちゃんが俺たちに優しいのは、俺たちが父ちゃんの子供だからだ。サンジェニュインの血を引いてるからだ。そうじゃなきゃ、俺たちは見向きもされないってこと、忘れんなよ』
たぶんそれは、これ以上カネヒキリのことが大好きになって、もっと苦しくならないようにという、彼なりの思いやりだったのだと思う。
これを言われた当初、私はほかの産駒の中でも特にカネヒキリに可愛がられていると思っていた。
よく面倒を見て貰ったし、おやつを貰いそびれそうになった時は代わりに取ってくれたし、追いかけっこで遅れそうになると待っててくれる。
だから特別だとさえ思っていた。
でもそうじゃなかったのだ。
私はただ、ほかの産駒よりもあわただしく、おっちょこちょいで、手がかかるから。
だから、カネヒキリはほかの仔よりも注意して見守っていただけ。
大切なトモダチが遺した仔を、零さないように見ていただけ。
それだけだった。
その日の夜は泣いた。
夜泣きだと思ったのか、カネヒキリは放牧地の真ん中で両目を開き、隅っこで泣く私を見ていた。
でもね、決して近寄っては来なかったの。
たぶん、それが、答えの全てだったと思う。
それからしばらく経ったある日のことだ。
私はまだカネヒキリがだいすきで、でも、どうにか前を向くきっかけを必死に探してた。
同じ放牧地にいたほかの馬たちは、うち数頭がこの放牧地から巣立っている。
たぶん、ちょっと昔の年上の牝馬たちのように、育成牧場へと旅立ったのだろう。
私も近いうちにここを出るかもしれない。
そうなる前に、自分の気持ちに折り合いを付けたかった。
だから私は、聞いてみることにしたんだ。
聞こうと思って、でも勇気が出なかったことを。
『お父さん、ってさ……きれいだった?』
ざわざわ、っと放牧地の芝が揺れる。
思った以上に声が震えた。
前にもいろんなおとなの馬に聞いたっけな。
父を知っている馬はたくさん居たし、その多くは『きれいだった』とか『かわいかった』とか、過去形で父を語る。
それ自体は当然だ。
だって、父は死んでしまったもの。
この世のどこにも、もう、いないんだもの。
過去の存在だもの。
……けど、けど、けれど。
この馬は。
この馬に聞くのだけはずっとしていなかった。
もしかしたら心のどこで気づいていたのかもしれない。
きっと、ほかの馬とは違う答えになるって。
カネヒキリが瞳をゆるく細めた。
遠くを見ているようで、近くを見つめているようで。
ただ、その瞳の向く先がたった一頭の白毛で、そして私じゃ無いことを、知っていた。
『うつくしい』
過去に捧げるには優しすぎる声だった。
いっそ禍々しいとすら思えるほどの、ありったけの優しさをかき集めているかのような。
ときたま人間に貰うリンゴとか、バナナとか、ふどうとか、砂糖とか、そんなものも比較できないくらい優しく、煮詰まった声で落とされた。
ああ、カネヒキリにとって父は過去の存在などではないのだ。
今もまだ目の前にいて、いつまでも美しい存在なのだと思い知らされる。
その両目には、絶望に染まった私など映っていないんだろうな。
ただ父だけが。
彼の中で永遠の存在であろう父だけが、変わらず美しいまま微笑んでいるのだ。
進むことの無い思い出という宝箱の中で、褪せること無く。
それに気付かされた時、私の初恋は終わった。
と同時に、父へのどうしようもない負け惜しみが溢れ出る。
ねえお父さん。
どうしてカネヒキリを置いていったの。
虹の向こう側へいくなら彼も連れていけばよかった。
そこはいいところなんでしょ? 楽しくて、賑やかで、お父さんも居て。
連れて行ってくれていたら、私、きっとこんな苦しい思いはしなかったのよ。
父からの返事は無い。
わかってる。
けど言わずにはいられなかった。
よりによって父が、私の初恋を砕くだなんて。
そんなこと、思いもしなかったのだから。
カネヒキリくんさん 御年24歳
いろいろあって事故にも遭わず病気にもならずピンピンしている
サンジェニュインを看取った後はリードホースとしてサンジェ産駒をお世話
罪深いほどに格好良いため初恋キラーと化しているが本馬は太陽に目が眩んでいる
ラストクロップお世話完了後は功労馬としてサンジェの故郷・陽来に移動
そこから33歳まで長生きをして、たくさんの土産話を抱えてサンジェと再会することになる
とある牝馬ちゃん 当時0歳
「とねっこだった頃~」とか言ってるけどバリバリのとねっこ現役のちょっとませた女の子
ライバルはパパ(!?!?)
その後、失恋の痛みを力に変えてダートで大暴れしたり同厩舎のマカヒキ産駒に惚れたり他厩舎のキセキ産駒に惚れたりする恋多き女
サンジェニュイン 享年23歳
本編と同じくサントゥナイトの凱旋門賞制覇後に虹の向こう側へ
カネヒキリくんさんが見つけやすいようにドチャクソはしゃいでラインクラフトさん(享年4歳)にシバかれてる
なおカネヒキリくんさんは虹の橋を渡ってる最中からもうサンジェニュインを見つけてる模様
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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