| Sunny Fantastic | け |
| い88 |
| お114514 |
| い いいね! |
| お ニヤニ優しく応援 |
| す 記事編集 |
Sunny Fantasticとは、2008年生まれのイギリスの元競走馬、現種牡馬。美貌の凱旋門賞馬として知られる、世界初の白毛凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、ニジンスキー以来41年ぶりのイギリスクラシック三冠馬である。
主な勝ち鞍
2011年:イギリスクラシック三冠[2000ギニーステークス(GⅠ)、ダービーステークス(GⅠ)、セントレジャーステークス(GⅠ)]、BCロングディスタンスカップ(GⅠ)
2012年:キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(GⅠ)、アスコットゴールドカップ(GⅠ)
2013年:イギリス長距離三冠[アスコットゴールドカップ(GⅠ)、グッドウッドカップ(GⅡ)、ドンカスターカップ(GⅡ※)]
※ドンカスターカップは2017年以降GⅠに格上げとなっているが、当時の格付けで記載
■ 概要
父:サンジェニュイン
母:Eswarah
母父:Unfuwain
言わずと知れた美貌の凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、母は英オークス勝ち馬。母父Unfuwain はノーザンダンサーの直仔で英ジョッキークラブステークス(GⅡ)を制している。
この母父は主な重賞勝ち鞍が12F(=約2400m)の4本と安定しており、当時のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSでも2着につけている。Eswarah の英オークスを始め、3頭の愛オークス勝ち馬を輩出しており、牝馬の活躍馬が多いことで知られる。
大逃げで駆け抜けてもまだ余力があると言われた父のスタミナと、母父の安定感を見事に引き継いだのが同馬だ。
同馬が生産されたのはイギリスのグラハムホールスタッド。
ドバイの資金力も地位もやばい(マイルド)ことで知られるゴンゴルドンがイギリスに所有する牧場であり、イギリスにおける生産の拠点でもある。
当初、ゴンゴルドンの代表(以下、殿下と記載)はサンジェニュインそのものを手に入れるべく、オイルマネーたくさんのお金とコネを使ってサイレンスレーシング、及び所属する社来グループと交渉していたが、サンジェニュインが父サンデーサイレンスをも越える大種牡馬になることを確信していた社来グループとしては、何があってもサンジェニュインを手放すつもりはなかった。
ゴンゴルドン側が、40億円以上のシンジケートを組んで大失敗思った通りの産駒を輩出できなかったラムタラの件を引き合いに出すも、社来グループは強気な態度を崩すことなく断固拒否の姿勢。
ついには200億円という「それ失敗したら首括ることになりますよ!」としか言えない金額まで提示したが、将来的にサンジェニュインが成功した場合に回収できる金額と比較すると安い、と社来に蹴り倒された。
というかサンジェニュインが現役の時も、金銭トレードとして120億円での取引を持ちかけており、これを社来グループに一蹴されている時点で望み薄だったのだが・・・金額をつり上げてまでも欲しかったのだろう。
もはや執念と言える。
200億円とかいう頭のオカシイ金額を提示されても売り飛ばさなかった社来グループも、先見の明がありすぎるというかなんというか、別に意味で執念を感じずにはいられない。
ここまで出しても無理か・・・ということでゴンゴルドン側は泣く泣くサンジェニュインを諦めることになったが、どうしてもサンジェニュインが、というかサンジェニュインみたいな白毛のつよつよ馬が欲しかった殿下は諦めきれず、次の手に打って出る。
サンジェニュインそのものが手に入らないなら、じゃあせめて種をくれ!!と社来グループに突撃、するかと思いきや、イギリスのクルーモイズスタッドと手を組んで「共同」での依頼として、サンジェニュインの渡英、種付け券を手に入れた。
これによって、当初、ディープインパクト同様、約50億円で組まれるはずだったサンジェニュインのシンジケートは、60億円近くまで跳ね上がることになる。
2007年4月中旬、日本での種付けを終えると早々に渡英させられたサンジェニュインは、当日にはクルーモイズにスタッドイン。2日ほど旅疲れを癒やした後、種付けが開始された。
種付けのために、イギリスのみならずフランスやドイツなど、欧州各国から名牝が集められた。
グラハムホールスタッドで繋養されていたEswarah は、サンジェニュインに種付けされるためだけにクルーモイズに預託され、1番に種付けが行われた。受胎が確認されるとすぐグラハムホールスタッドに戻った。
当初の予定では6月いっぱいまでクルーモイズに滞在し、合計100頭に種付けを行う予定だったが、5月に入ってサンジェニュインの体調が急変。
原因はクルーモイズ側の不適切な対応であり、詳しいことはサンジェニュインの記事を参照。
ざっくり説明すると、サンジェニュインは非常に同性馬にモテる特異な性質を持っており、社来側はクルーモイズに対して「牡馬と同じ牧草地に放牧しないこと」「馬房は隣の牡馬から1つ分は離すこと」を要求し、クルーモイズもそれを了承していたはずが、実際には行われていなかった。
たまたまサンジェニュインの様子を見に渡英した、サンジェニュインの元厩務員によって社来グループに状況が伝わり、5月初旬には帰国の手続きが取られた。
これに関して、当初クルーモイズから正確な情報を得られていなかったゴンゴルドン側から「約束が違う」と社来グループに抗議が向かったが、社来側から引き上げに関する説明を受けると謝罪し、後日クルーモイズと共同で謝罪文を公表した。
これはクルーモイズ内で社来からの要求が「ジョーク」だと思われていたことがことの発端であり、社来グループ代表・吉里照臣氏は後に「正式な書面にまとめていなかったことも良くなかった。少なくとも我々にも油断があった」とこのことを振り返っている。
これ以降、欧州で種付けを行う場合はグラハムホールスタッド、またはフランスのフォルネヴァル牧場で行われるようになったが、2012年に社来グループとクルーモイズが公式に和解。
2019年には欧州での種付けの拠点がクルーモイズスタッドに戻った。
と、サニーファンタスティックが産まれるまでにゴタゴタが起きていたわけだが、同馬の母は、ゴンゴルドン側の要求に従い1番に種付けされたため、この影響は受けていない。
予定されていたサンジェニュインの欧州での種付けは100頭に近かったが、約2ヶ月を残して帰国したため、実際には30頭ほどにしか種付けが行われていなかった。
このときの受胎率が100%という意味の分らない数字だっただけに、予定していたあの名牝に種付けできてたら・・・と競馬ファンは想像せずにはいられない。
ちなみにこのとき種付けを予定されていた名牝の中には、欧州年度代表馬にも選出されたウィジャボードもいた。
当初kingmambo と種付けされたが受胎せず、5月にサンジェニュインが配合される予定だったが取消となったため再度kingmambo と配合され、受胎した。
同馬の後の活躍や、他のサンジェニュイン産駒などの活躍を見て、やっぱり種付けできてたらなあ、と泣いた生産者は多かったとか。
ヨーロッパ中の種付けできなかった生産者の悲鳴を聞きながら、2008年3月7日に同馬が誕生。
サンジェニュインの汚れ無き白さを受け継いだ毛色に、大きめの馬体、まるくつぶらな瞳など、後に「サンジェニュインのクローン」と呼ばれるほど父馬に生き写しで、これには殿下もニッコリ。
あまりにもよく似ているので、「素晴らしき太陽の」と意味を込めて「Sunny Fantastic」と命名された。
見目だけでなく、脚質も父に似てスタートの良い大逃げで、不良馬場でもスピードを落とさず走破できるパワーも受け継いでいる。
ただ受け継いだのはそれだけでなく、前述の父の非常に同性馬にモテる特異な性質も継いでしまったようで、1、2歳の頃はよく牡馬に追いかけ回されていたようだ。(※)
ただ3歳になる頃には向かってくる牡馬に対して立ち上がって威嚇する等、自衛できるようになったもよう。
※これは同馬のみではなく、サンジェニュイン産駒、特に牡馬によく見られる傾向であり、近年だと2014年凱旋門賞のレース後にラチ沿いまで牡馬5頭に追い詰められたシルバータイムが有名
■ 2010年 2歳
2010年7月、日本のサンサンドリーマー(こちらもサンジェニュインの初年度産駒)が見事な大逃げでデビュー勝ちを飾ると、それに続くように同月に条件戦に出走し、逃げ切り勝ちをする。
そこから2戦目として2歳GⅠの最高峰に位置づけられた「デューハーステークス」に出走するも、同年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出されるフランケルに差されて敗北した。
敗因は距離適性であると見られ、同馬はこの敗北以降は2000m以下のレースには出走していない。
サニーファンタスティックはフランケルに負けたあとにボロボロと泣き出し、ひどく落ち込んだ様子だったという。
これは「ディープインパクトに負けるとよく泣いた」と語られた父に似たエピーソとして有名。
この年は2戦1勝で終えた。
■ 2011年 3歳
この年から、牡馬対策と、レースに集中するため、父同様メンコを付けるようになった。
空に昇る太陽を表するため、深い青色のメンコである。
これがいいきっかけになったのか、条件戦を圧勝し、調子の良い状態でギニーフェスティバル(クラシック初戦)を迎えた。
このときの2000ギニーには、デューハーステークス勝ち馬のフランケルも出走。
イギリスの名種牡馬・ガリレオ産駒であり、ブックメーカーが前売りしていた単勝の売り上げはすさまじいものだった。
この時点でまだ重賞勝ちのない同馬はなんと最低人気でゲート入り。
血統はいいんだけどねえ、とごちるイギリスの競馬おじさんを横目に、しかしサニーファンタスティック陣営は「どんでん返しを見せてやるよ」と言わんばかりに強気の態度を崩さなかった。
フランケル一強ムードのなか、勢いよくスタートした同馬は大逃げに打って出た。
対するフランケルも当時の脚質は逃げであり、逃げ馬同士のデットヒート。
フランケルにはペースメーカーも着いていたが、これを置き去りにサニーファンタスティックのケツ背を追うと、差して2馬身差をつけて激走。
もうだめか、フランケルの圧勝かと思われた残り200m の時点で、フランケルに張り付いていたサニーファンタスティックが差し返し、逆転して逃げ切り勝ちをしてみせた。
生涯14戦13勝のフランケルの唯一の黒星がこの2000ギニーでの敗北となった。
最低人気の馬が逃げ切り勝ち、それもイギリス競馬史初の国産白毛の勝ち馬誕生に、当時のイギリス国民は沸いたとか。
この勢いそのままに、ゴンゴルドン側はサニーファンタスティックのダービー出走を決定。
メディアの前でも「この馬は三冠馬になる」と大口を叩いた。
前の三冠馬はニジンスキー・・・41年も前のことだったので、なんだこいつ正気か?と失笑されたらしい。
そうはならんって笑
三冠馬って夢あるけどね笑
な り ま し た
5月末に始まったダービーフェスティバル、同馬は2000ギニーでの走りと父の知名度を後押しに前売り人気1番に推された状態でダービーに出走。
ちなみにこのときの2番人気だったカールトンハウスは英国女王陛下の所有馬です。
イギリスのみならず、ヨーロッパ中、いや日本からも注目される中、変わらず抜群のスタートを切るとまたも大逃げ。
追走するカールトンハウスやプールモアを寄せ付けず、6馬身差の逃げ切り勝ちをしてみせた。
これには勝つだろうと思ってた殿下も「勝った・・・」と一言漏らしたきり黙り込んだとか。
このダービー制覇によって、父と同じく二冠馬となったサニーファンタスティック。
さあ次はなんだ凱旋門賞か?父子制覇か?と周りが期待する中、殿下は宣言した通り英国三冠を目指すと再度宣言。
次走をセントレジャーステークスに定めた。
一気に距離が伸びるが、父サンジェニュインが2011年当時まだ破られていない芝3000m のワールドレコード保持者であり、同馬の体躯も長距離向きだったことから不安感は一切なかった、と殿下は後の自著で記している。
三冠達成の期待が高まるなか、ここでも1番人気に推された。
当日の状態は非常に良く、ドンカスター競馬場で同馬を迎えた殿下は、その仕上がりの良さに思わず感嘆の息を漏らして、調教師の手を何度も握り返したという。
パドックでも落ち着いた様子をみせ、ゲート入りもなんなく熟すと、ゲートが開いたと同時に加速。
サニーファンタスティックのペースを乱すため、2頭のラビット(ペースメーカー)が並ぼうとしたが、1000m を57秒台のハイスペースで駆けていた同馬には追いつけず、サニーファンタスティックはそのまま逃げ切り勝ちを収めた。
この勝利により見事「41年ぶりの三冠馬」となったサニーファンタスティックは、この年のシメとして「BCロングディスタンスカップ」に出走し、ここでも見事な逃げ切り勝ちで大きな話題となった。
日本で同じサンジェニュイン産駒が皐月賞、日本ダービーでオルフェーヴルにフルボッコにされる中、順当に勝ち進む同馬の存在が「サンジェニュインは洋芝適性が高い」という評価を高めることに繋がり、翌年の欧州での種付け増加に繋がったと思われる。
■ 2012年 4歳
ドバイ遠征も企画されていたが、キングジョージを取らせたい殿下の思いもあり、その年はキングジョージ、それから父も制した凱旋門賞を主軸に出走することが決まった。
欧州が冬の間はドバイで調教されていたサニーファンタスティックだが、その時の帯同馬として、ゴンゴルドンが所有するガリレオ産駒の栗毛牡馬・ボードレールを連れていた。
ボードレールは、フランスの詩人シャルル・ボードレールが名前の由来である。
サニーファンタスティックよりは小柄な落ち着きのある牡馬で、よく好んで連んでいたとか。
父のサンジェニュインも栗毛牡馬のカネヒキリと同じ放牧地で過ごしていたり、同父のタイヨウマツリカが栗毛のオルフェーヴルと仲が良かったり、もしかしたら栗毛好きの血なのかもしれない。
帯同馬の存在もあったからか、慣れない土地での調教でも難なく熟し、キングジョージ前の準備運動としてアスコットゴールドカップへと出走。
19ハロン210ヤード(約4014m)の長距離にも拘わらず、最初から最後まで先頭を譲らずに走り切った。
この勝利を見て、ゴンゴルドン側はキングジョージでの勝利を確信したらしい。
翌月、キングジョージへと出走。
後の凱旋門賞馬・エネイブルを輩出することになるナサニエルを相手に逃げ切り、父と同じく6馬身差で同レースを制した。
馬主である殿下はこの勝利を「2006年7月29日から決まっていた勝利だ」とコメントしている。
次走に凱旋門賞を選択し、白毛馬の父子制覇を掲げて出走準備に入った。
調教は順調に進められ、当日の鞍上にはサンジェニュインで凱旋門賞を制した芝木真白騎手が迎えられる予定となっていた。
しかし凱旋門賞まで残り3日と迫ったところで熱発により、これを回避することになった。
同レースには日本からはオルフェーヴルとアヴェンティーノが出走し、オルフェーヴルが2着入線となった。
体制立て直しのため、ここで長期休養へ。
ボードレールと共に放牧に出されることになった。
なお同年の日本では、同父のサンサンドリーマーが天皇賞・春を制したことで、秋・春の2つの盾を手に入れることになった。
■ 2013年 5歳
この年も凱旋門賞出走を最大目標に掲げた。
しかしそれと並列して、イギリス長距離三冠にも挑むことになった。
これは昨年のアスコットゴールドカップでの圧勝を見たゴンゴルドン側の判断によるもの。
前年に引き続きアスコットゴールドカップを制して連覇すると、そこから勢いがついたのか、グッドウッドカップ、ドンカスターカップを次々に制覇。
走り抜けても一切ダレないスタミナのすごさを存分に見せつけた。
特に不良馬場となったグッドウッドカップでは、全身泥まみれになりながらもレコードタイムで先頭を駆け抜けている。
誰も不良馬場でレコードタイムを出すとは思っていなかったので、サニーファンタスティックのところだけ良馬場だったのではないかとしばらくネタになった。
ちょっぴりレコードを出しつつ挑んでいた長距離三冠の途中、本命である凱旋門賞への出走が決まった。
昨年は熱発で回避したこともあり、隣の馬房をボードレールにしたり、食事の管理を徹底したり、とにかくストレスになりそうなものは排除していたサニーファンタスティック陣営だが、またしても凱旋門賞3日前に熱発で回避することになった。
その年の凱旋門賞には、ジョッケクブル賞(フランスダービー)を制した同父のBlanche Blanche も出走し、翌年凱旋門賞を制するトレヴを相手に4馬身差で圧勝した。このBlanche Blancheの勝利が、サンジェニュイン産駒初の凱旋門賞制覇であり、1度目の父子制覇となった。
なお、Blanche Blancheはフランス語で「Blanche = 白」という意味だが、Blanche Blanche自身は青鹿毛であるため、白毛馬の凱旋門賞馬は未だにサンジェニュインただ1頭のみである。
同レースには日本からオルフェーヴルとキズナの2頭が出走。
前年のフランス遠征でオルフェーヴルに騎乗していたC・シュミオンに代わり、芝木真白騎手が騎乗していた。川添を乗せてやれ
サニーファンタスティックはドンカスターカップでの制覇で長距離三冠を達成すると、そのまま引退。
ドンカスター競馬場での引退式では、同年共に引退することが決まっていたボードレールと共に行った。
現在は種牡馬として、生産されたグラハムホールスタッドで繋養されている。
| け |
Sunny Fantastic _単語_
サニーファンタスティック
いいね(88)
優しく(114514pt)
その他
Sunny Fantasticとは、2008年生まれのイギリスの元競走馬、現種牡馬。美貌の凱旋門賞馬として知られる、世界初の白毛凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、ニジンスキー以来41年ぶりのイギリスクラシック三冠馬である。
主な勝ち鞍
2011年:イギリスクラシック三冠[2000ギニーステークス(GⅠ)、ダービーステークス(GⅠ)、セントレジャーステークス(GⅠ)]、BCロングディスタンスカップ(GⅠ)
2012年:キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(GⅠ)、アスコットゴールドカップ(GⅠ)
2013年:イギリス長距離三冠[アスコットゴールドカップ(GⅠ)、グッドウッドカップ(GⅡ)、ドンカスターカップ(GⅡ※)]
※ドンカスターカップは2017年以降GⅠに格上げとなっているが、当時の格付けで記載
■ 概要
父:サンジェニュイン
母:Eswarah
母父:Unfuwain
言わずと知れた美貌の凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、母は英オークス勝ち馬。母父Unfuwain はノーザンダンサーの直仔で英ジョッキークラブステークス(GⅡ)を制している。
この母父は主な重賞勝ち鞍が12F(=約2400m)の4本と安定しており、当時のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSでも2着につけている。Eswarah の英オークスを始め、3頭の愛オークス勝ち馬を輩出しており、牝馬の活躍馬が多いことで知られる。
大逃げで駆け抜けてもまだ余力があると言われた父のスタミナと、母父の安定感を見事に引き継いだのが同馬だ。
同馬が生産されたのはイギリスのグラハムホールスタッド。
ドバイの資金力も地位もやばい(マイルド)ことで知られるゴンゴルドンがイギリスに所有する牧場であり、イギリスにおける生産の拠点でもある。
当初、ゴンゴルドンの代表(以下、殿下と記載)はサンジェニュインそのものを手に入れるべく、オイルマネーたくさんのお金とコネを使ってサイレンスレーシング、及び所属する社来グループと交渉していたが、サンジェニュインが父サンデーサイレンスをも越える大種牡馬になることを確信していた社来グループとしては、何があってもサンジェニュインを手放すつもりはなかった。
ゴンゴルドン側が、40億円以上のシンジゲートを組んで大失敗思った通りの産駒を輩出できなかったラムタラの件を引き合いに出すも、社来グループは強気な態度を崩すことなく断固拒否の姿勢。
ついには200億円という「それ失敗したら首括ることになりますよ!」としか言えない金額まで提示したが、将来的にサンジェニュインが成功した場合に回収できる金額と比較すると安い、と社来に蹴り倒された。
というかサンジェニュインが現役の時も、金銭トレードとして120億円での取引を持ちかけており、これを社来グループに一蹴されている時点で望み薄だったのだが・・・金額をつり上げてまでも欲しかったのだろう。
もはや執念と言える。
200億円とかいう頭のオカシイ金額を提示されても売り飛ばさなかった社来グループも、先見の明がありすぎるというかなんというか、別に意味で執念を感じずにはいられない。
ここまで出しても無理か・・・ということでゴンゴルドン側は泣く泣くサンジェニュインを諦めることになったが、どうしてもサンジェニュインが、というかサンジェニュインみたいな白毛のつよつよ馬が欲しかった殿下は諦めきれず、次の手に打って出る。
サンジェニュインそのものが手に入らないなら、じゃあせめて種をくれ!!と社来グループに突撃、するかと思いきや、イギリスのクルーモイズスタッドと手を組んで「共同」での依頼として、サンジェニュインの渡英、種付け券を手に入れた。
これによって、当初、ディープインパクト同様、約50億円で組まれるはずだったサンジェニュインのシンジゲートは、60億円近くまで跳ね上がることになる。
2007年4月中旬、日本での種付けを終えると早々に渡英させられたサンジェニュインは、当日にはクルーモイズにスタッドイン。2日ほど旅疲れを癒やした後、種付けが開始された。
種付けのために、イギリスのみならずフランスやドイツなど、欧州各国から名牝が集められた。
グラハムホールスタッドで繋養されていたEswarah は、サンジェニュインに種付けされるためだけにクルーモイズに預託され、1番に種付けが行われた。受胎が確認されるとすぐグラハムホールスタッドに戻った。
当初の予定では6月いっぱいまでクルーモイズに滞在し、合計100頭に種付けを行う予定だったが、5月に入ってサンジェニュインの体調が急変。
原因はクルーモイズ側の不適切な対応であり、詳しいことはサンジェニュインの記事を参照。
ざっくり説明すると、サンジェニュインは非常に同性馬にモテる特異な性質を持っており、社来側はクルーモイズに対して「牡馬と同じ牧草地に放牧しないこと」「馬房は隣の牡馬から1つ分は離すこと」を要求し、クルーモイズもそれを了承していたはずが、実際には行われていなかった。
たまたまサンジェニュインの様子を見に渡英した、サンジェニュインの元厩務員によって社来グループに状況が伝わり、5月初旬には帰国の手続きが取られた。
これに関して、当初クルーモイズから正確な情報を得られていなかったゴンゴルドン側から「約束が違う」と社来グループに抗議が向かったが、社来側から引き上げに関する説明を受けると謝罪し、後日クルーモイズと共同で謝罪文を公表した。
これはクルーモイズ内で社来からの要求が「ジョーク」だと思われていたことがことの発端であり、社来グループ代表・吉里照臣氏は後に「正式な書面にまとめていなかったことも良くなかった。少なくとも我々にも油断があった」とこのことを振り返っている。
これ以降、欧州で種付けを行う場合はグラハムホールスタッド、またはフランスのフォルネヴァル牧場で行われるようになったが、2012年に社来グループとクルーモイズが公式に和解。
2019年には欧州での種付けの拠点がクルーモイズスタッドに戻った。
と、サニーファンタスティックが産まれるまでにゴタゴタが起きていたわけだが、同馬の母は、ゴンゴルドン側の要求に従い1番に種付けされたため、この影響は受けていない。
予定されていたサンジェニュインの欧州での種付けは100頭に近かったが、約2ヶ月を残して帰国したため、実際には30頭ほどにしか種付けが行われていなかった。
このときの受胎率が100%という意味の分らない数字だっただけに、予定していたあの名牝に種付けできてたら・・・と競馬ファンは想像せずにはいられない。
ちなみにこのとき種付けを予定されていた名牝の中には、欧州年度代表馬にも選出されたウィジャボードもいた。
当初kingmambo と種付けされたが受胎せず、5月にサンジェニュインが配合される予定だったが取消となったため再度kingmambo と配合され、受胎した。
同馬の後の活躍や、他のサンジェニュイン産駒などの活躍を見て、やっぱり種付けできてたらなあ、と泣いた生産者は多かったとか。
ヨーロッパ中の種付けできなかった生産者の悲鳴を聞きながら、2008年3月7日に同馬が誕生。
サンジェニュインの汚れ無き白さを受け継いだ毛色に、大きめの馬体、まるくつぶらな瞳など、後に「サンジェニュインのクローン」と呼ばれるほど父馬に生き写しで、これには殿下もニッコリ。
あまりにもよく似ているので、「素晴らしき太陽の」と意味を込めて「Sunny Fantastic」と命名された。
見目だけでなく、脚質も父に似てスタートの良い大逃げで、不良馬場でもスピードを落とさず走破できるパワーも受け継いでいる。
ただ受け継いだのはそれだけでなく、前述の父の非常に同性馬にモテる特異な性質も継いでしまったようで、1、2歳の頃はよく牡馬に追いかけ回されていたようだ。(※)
ただ3歳になる頃には向かってくる牡馬に対して立ち上がって威嚇する等、自衛できるようになったもよう。
※これは同馬のみではなく、サンジェニュイン産駒、特に牡馬によく見られる傾向であり、近年だと2014年凱旋門賞のレース後にラチ沿いまで牡馬5頭に追い詰められたシルバータイムが有名
■ 2010年 2歳
2010年7月、日本のサンサンドリーマー(こちらもサンジェニュインの初年度産駒)が見事な大逃げでデビュー勝ちを飾ると、それに続くように同月に条件戦に出走し、逃げ切り勝ちをする。
そこから2戦目として2歳GⅠの最高峰に位置づけられた「デューハーステークス」に出走するも、同年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出されるフランケルに差されて敗北した。
敗因は距離適性であると見られ、同馬はこの敗北以降は2000m以下のレースには出走していない。
サニーファンタスティックはフランケルに負けたあとにボロボロと泣き出し、ひどく落ち込んだ様子だったという。
これは「ディープインパクトに負けるとよく泣いた」と語られた父に似たエピーソとして有名。
この年は2戦1勝で終えた。
■ 2011年 3歳
この年から、牡馬対策と、レースに集中するため、父同様メンコを付けるようになった。
空に昇る太陽を表するため、深い青色のメンコである。
これがいいきっかけになったのか、条件戦を圧勝し、調子の良い状態でギニーフェスティバル(クラシック初戦)を迎えた。
このときの2000ギニーには、デューハーステークス勝ち馬のフランケルも出走。
イギリスの名種牡馬・ガリレオ産駒であり、ブックメーカーが前売りしていた単勝の売り上げはすさまじいものだった。
この時点でまだ重賞勝ちのない同馬はなんと最低人気でゲート入り。
血統はいいんだけどねえ、とごちるイギリスの競馬おじさんを横目に、しかしサニーファンタスティック陣営は「どんでん返しを見せてやるよ」と言わんばかりに強気の態度を崩さなかった。
フランケル一強ムードのなか、勢いよくスタートした同馬は大逃げに打って出た。
対するフランケルも当時の脚質は逃げであり、逃げ馬同士のデットヒート。
フランケルにはペースメーカーも着いていたが、これを置き去りにサニーファンタスティックのケツ背を追うと、差して2馬身差をつけて激走。
もうだめか、フランケルの圧勝かと思われた残り200m の時点で、フランケルに張り付いていたサニーファンタスティックが差し返し、逆転して逃げ切り勝ちをしてみせた。
生涯14戦13勝のフランケルの唯一の黒星がこの2000ギニーでの敗北となった。
最低人気の馬が逃げ切り勝ち、それもイギリス競馬史初の国産白毛の勝ち馬誕生に、当時のイギリス国民は沸いたとか。
この勢いそのままに、ゴンゴルドン側はサニーファンタスティックのダービー出走を決定。
メディアの前でも「この馬は三冠馬になる」と大口を叩いた。
前の三冠馬はニジンスキー・・・41年も前のことだったので、なんだこいつ正気か?と失笑されたらしい。
そうはならんって笑
三冠馬って夢あるけどね笑
な り ま し た
5月末に始まったダービーフェスティバル、同馬は2000ギニーでの走りと父の知名度を後押しに前売り人気1番に推された状態でダービーに出走。
ちなみにこのときの2番人気だったカールトンハウスは英国女王陛下の所有馬です。
イギリスのみならず、ヨーロッパ中、いや日本からも注目される中、変わらず抜群のスタートを切るとまたも大逃げ。
追走するカールトンハウスやプールモアを寄せ付けず、6馬身差の逃げ切り勝ちをしてみせた。
これには勝つだろうと思ってた殿下も「勝った・・・」と一言漏らしたきり黙り込んだとか。
このダービー制覇によって、父と同じく二冠馬となったサニーファンタスティック。
さあ次はなんだ凱旋門賞か?父子制覇か?と周りが期待する中、殿下は宣言した通り英国三冠を目指すと再度宣言。
次走をセントレジャーステークスに定めた。
一気に距離が伸びるが、父サンジェニュインが2011年当時まだ破られていない芝3000m のワールドレコード保持者であり、同馬の体躯も長距離向きだったことから不安感は一切なかった、と殿下は後の自著で記している。
三冠達成の期待が高まるなか、ここでも1番人気に推された。
当日の状態は非常に良く、ドンカスター競馬場で同馬を迎えた殿下は、その仕上がりの良さに思わず感嘆の息を漏らして、調教師の手を何度も握り返したという。
パドックでも落ち着いた様子をみせ、ゲート入りもなんなく熟すと、ゲートが開いたと同時に加速。
サニーファンタスティックのペースを乱すため、2頭のラビット(ペースメーカー)が並ぼうとしたが、1000m を57秒台のハイスペースで駆けていた同馬には追いつけず、サニーファンタスティックはそのまま逃げ切り勝ちを収めた。
この勝利により見事「41年ぶりの三冠馬」となったサニーファンタスティックは、この年のシメとして「BCロングディスタンスカップ」に出走し、ここでも見事な逃げ切り勝ちで大きな話題となった。
日本で同じサンジェニュイン産駒が皐月賞、日本ダービーでオルフェーヴルにフルボッコにされる中、順当に勝ち進む同馬の存在が「サンジェニュインは洋芝適性が高い」という評価を高めることに繋がり、翌年の欧州での種付け増加に繋がったと思われる。
■ 2012年 4歳
ドバイ遠征も企画されていたが、キングジョージを取らせたい殿下の思いもあり、その年はキングジョージ、それから父も制した凱旋門賞を主軸に出走することが決まった。
欧州が冬の間はドバイで調教されていたサニーファンタスティックだが、その時の帯同馬として、ゴンゴルドンが所有するガリレオ産駒の栗毛牡馬・ボードレールを連れていた。
ボードレールは、フランスの詩人シャルル・ボードレールが名前の由来である。
サニーファンタスティックよりは小柄な落ち着きのある牡馬で、よく好んで連んでいたとか。
父のサンジェニュインも栗毛牡馬のカネヒキリと同じ放牧地で過ごしていたり、同父のタイヨウマツリカが栗毛のオルフェーヴルと仲が良かったり、もしかしたら栗毛好きの血なのかもしれない。
帯同馬の存在もあったからか、慣れない土地での調教でも難なく熟し、キングジョージ前の準備運動としてアスコットゴールドカップへと出走。
19ハロン210ヤード(約4014m)の長距離にも拘わらず、最初から最後まで先頭を譲らずに走り切った。
この勝利を見て、ゴンゴルドン側はキングジョージでの勝利を確信したらしい。
翌月、キングジョージへと出走。
後の凱旋門賞馬・エネイブルを輩出することになるナサニエルを相手に逃げ切り、父と同じく6馬身差で同レースを制した。
馬主である殿下はこの勝利を「2006年7月29日から決まっていた勝利だ」とコメントしている。
次走に凱旋門賞を選択し、白毛馬の父子制覇を掲げて出走準備に入った。
調教は順調に進められ、当日の鞍上にはサンジェニュインで凱旋門賞を制した芝木真白騎手が迎えられる予定となっていた。
しかし凱旋門賞まで残り3日と迫ったところで熱発により、これを回避することになった。
同レースには日本からはオルフェーヴルとアヴェンティーノが出走し、オルフェーヴルが2着入線となった。
体制立て直しのため、ここで長期休養へ。
ボードレールと共に放牧に出されることになった。
なお同年の日本では、同父のサンサンドリーマーが天皇賞・春を制したことで、秋・春の2つの盾を手に入れることになった。
■ 2013年 5歳
この年も凱旋門賞出走を最大目標に掲げた。
しかしそれと並列して、イギリス長距離三冠にも挑むことになった。
これは昨年のアスコットゴールドカップでの圧勝を見たゴンゴルドン側の判断によるもの。
前年に引き続きアスコットゴールドカップを制して連覇すると、そこから勢いがついたのか、グッドウッドカップ、ドンカスターカップを次々に制覇。
走り抜けても一切ダレないスタミナのすごさを存分に見せつけた。
特に不良馬場となったグッドウッドカップでは、全身泥まみれになりながらもレコードタイムで先頭を駆け抜けている。
誰も不良馬場でレコードタイムを出すとは思っていなかったので、サニーファンタスティックのところだけ良馬場だったのではないかとしばらくネタになった。
ちょっぴりレコードを出しつつ挑んでいた長距離三冠の途中、本命である凱旋門賞への出走が決まった。
昨年は熱発で回避したこともあり、隣の馬房をボードレールにしたり、食事の管理を徹底したり、とにかくストレスになりそうなものは排除していたサニーファンタスティック陣営だが、またしても凱旋門賞3日前に熱発で回避することになった。
その年の凱旋門賞には、ジョッケクブル賞(フランスダービー)を制した同父のBlanche Blanche も出走し、翌年凱旋門賞を制するトレヴを相手に4馬身差で圧勝した。このBlanche Blancheの勝利が、サンジェニュイン産駒初の凱旋門賞制覇であり、1度目の父子制覇となった。
なお、Blanche Blancheはフランス語で「Blanche = 白」という意味だが、Blanche Blanche自身は青鹿毛であるため、白毛馬の凱旋門賞馬は未だにサンジェニュインただ1頭のみである。
同レースには日本からオルフェーヴルとキズナの2頭が出走。
前年のフランス遠征でオルフェーヴルに騎乗していたC・シュミオンに代わり、芝木真白騎手が騎乗していた。川添を乗せてやれ
サニーファンタスティックはドンカスターカップでの制覇で長距離三冠を達成すると、そのまま引退。
ドンカスター競馬場での引退式では、同年共に引退することが決まっていたボードレールと共に行った。
現在は種牡馬として、生産されたグラハムホールスタッドで繋養されている。
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
-
エアグルーヴ
-
ハルウララ
-
ウオッカ
-
カレンチャン
-
海外牝馬組