クソみたいな人生だった。
振り返ってもまともだった瞬間なんて何ひとつない。
吸って、吐いて、それだけで金がかかるなんてアホらしいよ。
ねえアンタ、雑踏の中、当たり前のような顔で親の庇護を受ける子供にイラついたことある?
自分の生命維持を第一に考えなくていい、そんな子供時代を当然だと思っている。
世間が言う『ふつう』の親とやらに育てられた『ふつう』の子供。
そんなものになれなかった出来損ないが、街の隅に転がってる。
『自分が自由に扱えるのは命だけ』
そんなくだらない歌詞を、流行りのシンガーが魂込めて歌う。
必要最低限の生活を営めている、自分の命を自由にできる人間が歌ってるんだ。
でもさ、出来損ないってのは自分の命すら自由に扱えない。
つらいなら死ねばいいって?
その時点で自由じゃない。
選べてない。
生きるなんて選択肢がない。
はじめっから、出来損ないは死ぬしかないんじゃん。
それなのに、当たり前のように『自分の命は自由に扱える』なんて。
結局は全部、持つ者のための歌でしかないんだ。
そして、死ぬことだって自分で選べやしない。
叫びながら包丁を振り回す男は命を自由にできる。
そのギラつくもので、誰を殺して生かすか選べる。
腹を熱くして、地面に這いつくばるあたしは死ぬんだ。
ああ、死に場所すら選べなかった!
いつ死ぬのかも、どうやって死ぬのかも。
ほら、自分の命だって自由に扱えない。
ねえ、次ってあると思う?
あるなら、なんだっていいよ。
ただ── 今度こそ、自分の命は自分で扱いたい。
ほしいのは、自由だけだ。
2015年1月9日 社来ファーム・
父にガリレオを持つ牝馬・エフティヒアはこの日、1頭の牡馬を出産した。
太陽が昇る真昼間に生まれ、光を十分に浴びて輝く馬体は白。
母馬に舐められ、懸命に立ち上がろうとする姿に、牧場長は思わず感嘆の息を漏らした。
「おお、親父に似て美人── いや、美馬だなぁ」
震える四肢を寝藁に踏み込ませ、仔馬は顔を上げる。
その瞳に燃える渇望に、その場にいた人間は誰一人気づかなかった。
『もし次があるならなんでもいい』
確かにそう言ったけど、これはないんじゃない?
「エフティヒアの15はそろそろ離乳かなぁ。な、どう思う?」
「ミスティカルスターの15も時期が近いし、ほぼ同じタイミングで離すか」
「んー、悪かないと思うケド……でもエフティヒアの仔は難しそうだよなあ」
「あぁ……マイサンが入ってるにしては珍しく奥手っぽいからな。でもドリーの例もあるし、案外上手くいくかもしれないぞ」
そんなことを話す男たちを見ながら、あたしは部屋の隅でじっとしていた。
同じ部屋にいる母は心配そうな顔をあたしに見せる。
でもそれにどう返事をすればいいかわからなくて、あたしは無視をした。
だって、どう言えばいいの?
こんな── 馬相手に。
「エフティヒア自身は子煩悩なタイプなんだけどな」
「去年の離乳はすごかったからな。でも14よりはだいぶ扱いやすそうじゃないか? 14はほら、好奇心旺盛でよく馬房内でも飛んでたし」
「ザ・マイサンの血って感じだったよなあ。あいつもチビの頃は馬房内で飛び跳ねて遊んでたことあったじゃん」
「あれは遊びっていうか、半分狂乱入ってなかったか?」
男たちの笑い声に反応したのか、母馬があたしのほうに近づく。
それを見た男たちは、軽く謝りながら声のトーンを落とした。
あたしと目を合わせた母馬が瞬きをする。
それがどうしてか、『大丈夫』という音に聞こえた。
でもあたしは何も答えられなくて、視線を外して床をみた。
そして、またぐるぐると考え始める。
考えてるのは、どうしてこうなったのか、ってこと。
イカれた男に刺されたあの時、あたしは確かに死んだはずだった。
でも目が覚めたら生まれ変わってた── 馬に。
いま部屋の前にいる男たちや、ほかの人たちの話、そして母馬の見た目とかを見ると、あたしはたぶん競走馬ってやつなんだと思う。
レースだとか、競走成績だとかいってたし、母馬の姿は街中で見た競馬のポスターを思い出させたから。
それに、あたしが知ってる『レースに出る馬』なんて競走馬くらいだ。
少なくとも食用ではなさそう。
最初っから食う目的で育ててるにしては、世話の仕方が細かすぎる気がした。
学のないあたしでも、こんな方法で食用肉を育てたら消費のスピードが間に合わなさそうだっていうのは、なんとなくわかる。
まあ、高級肉ですよって話なら別かもしれないけど。
「じゃあそういうことで、とりあえず明日から進めよう」
男たちの話し合いが終わったのか、部屋の前から人影が消える。
それを見たあたしは、心配そうな母馬をよそに扉のほうに近づいた。
その隙間からまわりを見渡すと、ほかの部屋にも馬たちがいることがわかる。
『ねえ! おとなりさん! おなかすいたね!』
『おーい、あそぼうよ!』
『これしってる? たおるっていうおもちゃ!』
耳を澄ませると、あたし以外の馬たちの声がわいわいと響いた。
まるで人の言葉のように聞こえるそれらは、最初に聞いたときは『ここは馬がしゃべる世界なのか』なんて思ったっけ。
他の人たちがまるで聞こえていないようだったから違うんだろうけど。
きっと普通に鳴いているように聞こえるんだろう。
でもあたしの耳には確かに言語として聞こえていた。
ほんとは母馬があたしに話しかけてる言葉だって意味はわかってる。
でも返し方がわかんないの、ほんとに。
だってあたし、お母さんなんていたことない。
親子ってどんな会話をするの?
人間だったころ、物心ついたときにはゴミを漁ってたよ。
字を教えてくれたのはホームレスのおばさん。
殴る蹴るの代償付きだったけど、字の読み書きができるだけでだいぶ仕事の幅が違うから。
もちろん父親だっていたことはない。
だからほんとに、どうしたらいいかわからない。
『坊や、お腹空いたの?』
母馬の言葉に反応して振り返る。
部屋の中には母馬のエサ入れのほかに、あたしのためのエサ入れもあった。
ちょっと前までは母乳だけで生活していたけど、ここ最近はこのエサを食べるように促されている。
今日も男たちが話していたけど、あたしはそろそろ母馬と離れる時期なんだろう。
それは馬になってから今日まで、ずっと願っていたことだった。
あたしは、自由になりたかった。
生きるのも、死ぬのも、どうするのかも、自由に自分で決めたかった。
人間だった時はそれができなかったから、その分それに執着している自覚がある。
もし次があるなら、ただひたすらに自由がほしい。
自由でさえあれば、自分が人間じゃなくてもよかったんだ。
でも馬になったいま、あたしにほとんど自由はない。
野生の馬なら別だったかもしれないけど、いつかレースにでなくちゃいけない競走馬に生まれたあたしは、誰かの所有物だ。
生きるも死ぬも、自分では自由にできない立場にまた生まれてしまった。
はっきりいってクソだと思ったし、いまだに受け入れることはできていない。
性別もメスからオスになってるし。
でもそれはいいや。
ただ自由でさえあれば。
生きること、死ぬこと、そこにあたしの意思が反映されるのであれば。
『……それなのにどうして』
『ん? どうしたの、坊や』
小さく漏れ出たあたしの言葉に、母馬が反応する。
あたしはそれに軽く首を振った。
母馬は常にあたしを気に掛ける。
それが仔を持った生物の本能からくるものだと理解していても、あたしは戸惑いを隠せない。
こんな風に誰かに気に掛けてもらった経験がないからだ。
でもそんな母馬とも、あと少しでお別れ。
中身が元人間で、それもどうしようもない生まれのオンナだったなんて、この母馬も運がないね。
自分になつきもしない仔どもを育てなくちゃいけないんだから、あたしなんかよりよっぽど不運。
ドンマイ、なんてあたしが言うのは簡単だけど、生んだ責務を果たしただけだとしても、ここまであたしを育ててくれたのはこの母馬だ。
とんだ異物に数か月間付き合わせてしまった謝罪も兼ねて、あたしは最後の1か月間だけは、この馬の息子になろうと思った。
「ほんと大人しいな」
「エフティヒアが可哀そうなくらいだった」
月日は過ぎて、今日、母馬から離れた。
同時期に離れたほかの馬とともに、あたしは別の施設に移された。
でも敷地内は同じらしい。
トラックで運ばれたものの、感覚では数分もなかった気がする。
あたしはいつ離れるか知ってたし、中身だってもともと人間だったんだから悲しみもさみしさもない。
けど普通の馬たちは泣いて喚いてうるさいよ。
同じトラックに詰め込まれたやつらはずっと『おかあさんどこ』『もどしてよ』と似たようなことばかり言ってる。
そんなこと言ったってしょうがない。
あたしらに自由になんてないんだからさ。
母馬だって新しい子供妊娠してるんだし、その仔が生まれたらどっちみち一緒にはいられないわけだ。
野にでも放たれない限り、あたしらにはどうしようもできないんだよ。
そう言ってやりたかったけど、他の馬たちと話す気もない。
言ったところで通じなさそうだし。
それよりいま気になってるのは、これから向かう先のこと。
どこに行くのかは知らないけど、自分の部屋がもらえるならそれに越したことはないな。
ただ不安があるとすれば、男たちが『父に会えるぞ』としきりに口にしてることだけ。
どうやら一緒に移動した馬たちは、あたしを含めてみんな父親が同じらしい。
全員毛の色が一緒だったのはそれか。
……まさかとは思うけど、全員父親と同じ部屋とかないよね?
「タクミ、マイサンも着いたってよ」
「アイツに会うのも1年ぶりだな」
「まあ毎年この時期にしか会う機会ないからなあ。でも場長の話によると今シーズンも元気っぽいぞ」
「そりゃなによりだ」
馬が全頭いることを確認し終えたらしい、男たちがあたしたちの前に立つ。
それまで母馬と一緒にいた部屋とか、柵のついたところしか知らなかったあたしたちにとって、森の中を通るのは初めての経験だ。
今まで顔に紐みたいなものをつけられていたけど、そこにリードのようなものをつけられた姿はまさに飼い犬、ならぬ飼い馬って感じ。
これは手綱っていうらしいけど、馬版のリードみたいなものだろうか。
現地にいた他のスタッフたちはそれを受け取ると、どこかへ向かって歩き出した。
『ねえおれたちどこいくのかなあ』
たまたま隣になった馬がそう言う。
この馬は母馬といたころからやけにあたしに話しかけてくる馬だった。
いつもスルーしてたけど、無視されているのがわからないのかずっと話し続ける。
今回もそれに答えることなく、あたしは引かれるまま歩き続けた。
森のアーチをくぐって数分。
スタッフたちが足を止めたのと同時に、あたしは視線を上に向けた。
「連れてきたぞマイサン── いや、サンジェニュイン」
美。
美、美、美。
その姿をみた瞬間。
頭の中がかき回されていく感覚。
視界の端に星が飛んで、感情を塗り替えられるような。
時刻は夕方だったはずだ。
だって日が傾いていたのを覚えている。
薄暗い森を抜けたことも。
それなのに。
『ぴかぴかだあ……!』
語彙もクソもないそんな言葉に、心底同意する日が来るなんて。
他の馬たちも同じようなことを口にした。
ぴかぴか。
きらきら。
つやつや。
てかてか。
異口同音に用いられるすべてが、光を表していた。
その擬音と同じくらい瞳を輝かせる他の馬たちは、どうやら喜びに満ちているらしい。
でもあたしは違った。
どういうわけか、あたしだけが違った。
恐怖。
畏怖。
狼狽。
焦燥。
類似して、でも違うような。
自分が常識として持っていたナニカが変わってしまった。
確かに根本にあったはずのもの。
もうなんだったかさえわからない。
そのわからないものを塗り替えた、目の前の、美。
『おぉ! 良くきたなあマイキッズ! お父ちゃんだぞ~!!』
高い場所から声が響く。
物理的な高さじゃない。
遥か天上から響き渡るような、その声。
今まで出会ったどの馬たちとも違う。
なんだこれは。
なんなんだよこれは……!!
頭の中はまだかき回されている。
身体中を得体のしれない感情が包む。
それなのに、足が、足だけは、声に惹かれるまま歩き始める。
他の馬たちがそうであるように。
踏み込んで、進んで。
その先に広がっていたのは、間違いないひかりで。
それなのに。
『よしよし、もっと近くにおいで~! とうちゃんと喋ろう!』
当たり前のように差し出されるソレの名前がわからない。
でもひどく暖かくて、穏やかで、甘くて。
目の前の、異物が。
ちがう。
異物は目の前じゃなくて。
ああ。
これは確かにうつくしくて、でも。
『……んん? どうした? お前は、えっと……エフティヒアの15か! また俺の仔産んでくれたんだなあ、ありがてぇ。……じゃあティアかな。ウン、そうしよ。ティア! お前もとうちゃんのとこにおいで!』
ああ── 陽だまりの中で、溺れ死にそうだ。
エフティヒアの15
ストリート育ちでろくな死に方じゃ無かった前世から今度は馬になった
すぐに受け入れられるかこんな現実(あたりまえ体操)
しかも初めて会った親父がとんでもないオーラで意味不明な言動してくる
怖い(怖い)
今後は自由を求めて走ることになるかもしれない
ミスティカルスターの15
のちのサンサンプリンス('18皐月賞、'18菊花賞、'19ドバイSC、'19早逝)
母ちゃん好き!ヒト好き!
隣の馬房の馬も好き!
父ちゃんも好き!!
エフティヒアの15といちばん仲良くなる
タカハル&タクミ
陽来でサンジェ産駒を量産してる
う~ん今年も個性的なのが生まれたなあ(まあマイサンよりはマシ)
サンジェニュイン
目と目が合う瞬間から常識を塗り替えてくる馬
今日からこいつが美の基準です!系種牡馬
毎年産駒に会うのを楽しみにしてるただの一般パパ
来年カネヒキリくんが死んだり数年後産駒が死んだりするとはとても思えないくらい元気
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組