同じ設定のIFがありますが詳細等異なる場合があります。
昔、昔、あるところに。
とんでもない美貌馬がおりました。
その美貌馬はもう美貌馬としか表現できないくらいの美馬で、道行く牡馬が誰これ構わずメロメロになっていました。
どれくらいメロメロかと言うと、美貌馬が素顔で現れるだけであらぬところが元気になってしまうくらいです。
ちなみにいちばんメロメロになっていたのは謎の栗毛馬でした。
ダートのでかいレースを制していそうな感じの栗毛馬です。
美貌馬との年齢差は6歳くらいの栗毛の牡馬です。
たぶん雷帝とか不死鳥とか不屈って感じあだ名がついていたと思います。
話がそれましたが、その美貌馬。
血統がびっくりするくらい古めかしく、現代ではなかなかお目にかかれないような配合でした。
おそらく配合論など度外視していたのでしょう。
というかそうでなければやろうとも思えない配合です。
競馬やりたての素人がお花畑脳でキメたかのような配合感があります。
そんなボロクソに言われていた配合とはどんなものだったのか。
ここで美貌馬の血統を見てみましょう。
父の名は、メジロマックイーンと言います。
現役時代は菊花賞を制し、天皇賞・春を2連覇し、宝塚記念にも勝ち……とにかく中・長距離レースに強い芦毛馬でした。
同世代にメジロライアン、メジロパーマーがおり、メジロ3強のうちの代表的な1頭とも言えるでしょう。
その父メジロティターン、さらに父のメジロアサマを含め、父子3代で天皇賞の盾を勝ち取った栄誉あるサイアーラインの出です。
2代父── 父方の祖父、メジロアサマは、パーソロンと言う名の海外輸入種牡馬の2年目産駒でした。
パーソロンの他の産駒と言えば、三冠馬のシンボリルドルフなどがその代表でしょうか。
アサマは現役時代の序盤はなかなか勝ちきれない印象がありましたが、旧齢5歳(現4歳)で安田記念(1600メートル)を勝利し、これが初のG1制覇。
続いて函館記念(2000メートル)を勝つと、当時は3200メートルの長距離戦だった天皇賞・秋に駒を進めます。
それまでの重賞勝ち鞍から見て、アサマはマイル・中距離向けだと思われていました。
なので、長距離の花形とも呼ばれた天皇賞の晴れの舞台に、その脚は不向きだと多くの競馬関係者やファンが予想していたのです。
しかしアサマは、その予想を上回る走りを見せます。
自身を管理する調教師が騎手現役時代、その主戦を務めていた良血馬フイニイの猛追を振り切り、天の盾を獲得したのでした。
そんなアサマは種牡馬としての活躍も大いに期待されました。
ですが現役時代に受けた流感(馬インフルエンザ)の治療の後遺症により、アサマは授精の難しい身体となってしまったのです。
これにより将来性を見込まれて組まれたシンジケートも1年目で解散。
今後が危ぶまれていたアサマでしたが、馬主は決して見捨てませんでした。
「アサマの産駒で天皇賞制覇を」
そう夢を掲げた馬主の執念はやがて大きく実り、メジロティターンが生まれることになります。
びっくりして口も開けられないくらい低い受胎率から、わずか19頭しかいないアサマの産駒。
メジロティターンは、その貴重な子供たちのうち、4年目に生まれた1頭です。
ティターンは関係者から「勝つときはド派手に、負ける時は呆気なく」と言われるほど気まぐれな馬でしたが、気まぐれなりに、やる時はやる馬でした。
セントライト記念、日経賞の勝利を経て挑んだのは父アサマと同じ舞台、そう、天皇賞・秋です。
このレースで4番人気に浮上したティターンの目標は、同距離のダイヤモンドSを制し、前走毎日王冠を9番人気でありながら快勝したキョウエイプロミスでした。
そうしてレース当日。
3コーナーまでしっかりとキョウエイプロミスをマークすると、同馬の疲れを一発で見抜いた鞍上の巧みなエスコートでラストスパート。
一気にゴールまで飛び込みました。
こうしてティターンは天皇賞の父子制覇を成し遂げたのです。
その後1年ほど現役を続けたのち、ティターンも種牡馬になりました。
最初こそ、父アサマの授精率の低さや難しさ、自身も天皇賞以降勝てなかったイメージがついてまわり、配合相手に苦労しました。
しかし、種牡馬入りの同年に亡くなった馬主の『ティターンの仔で天皇賞』の夢を背負い、その後も諦めずに配合を続行。
そうして生まれたメジロマックイーンは、ティターンの3年目産駒となります。
そのマックイーンの活躍ぶりは前述した通り、素晴らしいものでした。
特に天皇賞・春の2連覇は令和の世になっても語り草になる程です。
その時にはすでに『長距離のメジロ』の呼び声が高かったメジロ冠でしたが、マックイーンの長距離路線での活躍がそれを後押ししたのは、いうまでもありません。
さて、祖父アサマ、父ティターンに引き続き種牡馬入りしたマックイーン。
どんな名馬の血統であっても、サイアーラインをつなぐのは容易なことではない競馬界に於いて、あるジンクスがありました。
現役時代どれほど素晴らしい活躍を挙げていても、サイアーラインは3代以上続かない、です。
あれほど期待を持って輸入された海外種牡馬のうち、3代以上繁栄したものはどれほどいるでしょう。
神馬と謳われたシンザンの系譜さえ、平成を経て令和の今、直系が途絶えたのです。
だからこそ生産地にとって、3代続けての種牡馬入りというのは大きな意味を持ちました。
それは紛うこと無き血への挑戦。繋げたいと望む人間の意地。
特にその種牡馬を代々所有しているオーナーからすれば、なおのことです。
当時の日本は海外種牡馬隆盛の時期で、多くの種牡馬の血が行き交っていました。
世界で爆発的な広がりを見せているノーザンダンサーやロイヤルチャージャーの血も。
やがて内国産種牡馬のシェア数は減り、海外種牡馬の影響力が大きくなっていくほど、その血の存在感も増していきました。
そんな中で、ノーザンダンサーら主流血統の混ざらない、いわゆる異系血統のマックイーンは、それら主流血統の牝馬たちの配合相手として強く意識されるようになりました。
けれど競馬と言うものが予想通り行かないように、マックイーンの種牡馬生活も、関係者の期待ほど上手くいかなかったのです。
もっとわかりやすく言うと、びっくりするくらいマックイーンの子供は走らなかったのでした。
もちろん活躍した馬はいます。
しかしどう言うわけか、活躍成績は牝馬に偏り、牡馬の活躍馬にはなかなか恵まれない状態でした。
いわゆるフィリーサイアーというやつです。
それまでの活躍牡馬といえば、馬主が見た『自分の所有馬にメジロマックイーンを配合して生まれた馬が大レースを勝つ』と言う夢を実現させるために配合、誕生したホクトスルタンが有名でしょうか。
彼は重賞勝ち鞍もないまま4歳で天皇賞・春に出走。
勝ち馬アドマイヤジュピタの4着に粘ると、次走の目黒記念を楽々と制しました。
ですがそれ以降勝ち鞍を積み上げることができず、8歳となった2012年。
入障4戦目の障害未勝利戦で故障してしまい、予後不良となってしまったのです。
美貌馬は、このホクトスルタンが天皇賞・春に挑むことが決まった2008年に、この世に生を受けました。
父方の紹介が少々長くなってしまいましたが、母方の紹介もしましょう。
母の名はメジロティファニー。
マックイーンと同じくメジロ冠を持つ、名牝メジロドーベルの半姉です。
配合相手がなかなか集められない中、体調を崩したマックイーンの最後の相手に選ばれました。
ティファニーは繁殖牝馬としては高齢で、マックイーンとの配合も上手くいくかわからないほど弱っていました。
なので、おそらく不受胎に終わる……そう言われていたのに、しかしティファニーはこれが最後の仔とわかっているのか、見事受胎しました。
このティファニーは父モガミ、母メジロビューティーという血統です。
父のモガミに関して説明できることは多くありません。
なぜなら、ダービー馬シリウスシンボリの父、という一言で多くが伝わるからです。
なので、ティファニーの牝系についてみていこうと思います。
ティファニーの母メジロビューティーは、メジロ牧場きっての名牝系であるメジロボサツの血を継いでいます。
この牝系からは前述の通りメジロドーベルや、中山グランドジャンプを制したメジロファラオ、重賞4勝のメジロモントレーに、香港マイルを始めとした数々のマイルG1を制した名マイラーのモーリスなど、多くの活躍馬が輩出されているのです。
ティファニー自身は重賞勝ちの経験はありませんでしたが、産駒であるメジロマントルが鳴尾記念を勝つなど、繁殖牝馬としては重賞勝ち馬を送り出していました。
そんなティファニーとマックイーンの配合は、完全なる異系血統同士の、全く流行りじゃない、それどころか流行に逆らうような組み合わせだったのです。
サンデーサイレンス産駒が重賞レースの上位を占める2000年代。
三冠馬を輩出したブライアンズタイムの血も。
名牝を多く送り出したトニービンの血も。
キングカメハメハの血もクロフネの血も。
美貌馬には一滴も流れていません。
ゆえに『化石のような配合』と呼ばれたり。
『時代遅れすぎる』などと揶揄われたり。
とにかく、流行から離れた、捨ての配合などと言われてきました。
よく言えば『サンデー薄め液』くらいの役割しか無い、などと。
それも牝馬だったら、と頭に付くような、そんな酷い言われようでした。
しかし。
その血の経歴や、その血の周りにいる人間のことを考えると、果たして捨ての配合なのでしょうか。
ただのサンデー薄め液、キンカメ薄め液なのでしょうか。
なし崩しにこの世へ生を受けた惰性の結果なのでしょうか。
いいえ、違うのです。
美貌馬はメジロが誇る名牝系と、メジロに父子3代天皇賞制覇の栄誉を齎した名馬との、夢を賭けた配合なのです。
メジロの中で熟成された祈りを希望に変えるための、必然の──。
そんな美貌馬は奇しくも父マックイーンと同月同日── 4月3日生まれ。
それも唯一のラストクロップとして誕生し、しかし父とも、そして母とも違って突然変異の白毛馬でした。
鼻先は地肌を透かしたピンク。白い睫に縁取られた青い瞳が、さめざめと人々を見つめては、鋭い視線で遠くを視る、そんなとねっこ。
だとしても、メジロ名牝系と長距離の名馬マックイーンの最後の直仔です。
生産牧場では手厚く扱われました。
リードホースとして父と同世代のメジロライアン、メジロパーマーが側にいる中で育成時代を過ごし。
同父ホクトスルタンの天皇賞での健闘と、目黒記念制覇を見て大きくなりました。
いつかはお前も、他の同父の馬と同じく長距離を目指すのだ、と囁かれながら。
2歳になった美貌馬は、かつて父を管理していた調教師の、その息子のもとに入厩しました。
最初こそそこまで期待はされていなかった美貌馬ですが、持ち前の美貌と愛嬌の良さから厩務員には大人気。
調教終わりにリンゴをねだりつつ、メイクデビューを迎えるその日を待っていたのです。
そうして迎えたメイクデビュー。
じりじりと暑さが際立つようになった、夏の日のことでした。
多くの馬たちが踏みならしたグリーングラスに、その白毛が素晴らしく映えたことを誰もが覚えているはずです。
デビュー戦をびっくりするほどの低人気で駆け出した美貌馬は、馬主と、そして世界の度肝を抜きました。
他馬に影すら踏ませないその逃げ脚。
鞍上が唖然とするほどの淀みない走り。
走るためだけに生まれるサラブレッドの中から、さらに鋭く『疾駆』を追求したかのような。
美貌馬は横ブレのない美しい姿勢で大地を抉り、勢いそのままに2歳重賞まで制しました。
白毛牡馬による重賞制覇は史上初。
そも、新馬戦の勝利そのものが初であり、中央レースでの勝利という意味では、実に5年ぶりのことでした。
以前に白毛牡馬で中央レースを制したのは、2005年のあすなろ賞を4馬身差の大逃げで勝ちきった── サンジェニュインです。
弥生賞で悲劇の最期を迎えたその馬は、美貌馬が登場するまでの間、長く白毛牡馬の代表として有名でした。
白く、美しく、逃げる馬といえば、サンジェニュイン。
だからか、美貌馬の疾走に、血も何の繋がりもないはずのサンジェニュインの、その影を見たファンも多くいたのです。
特に、その鞍上に芝木真白騎手がまたがり、共に弥生賞に出走すると決まってからは。
その日もターフに馬は居ました。
メジロ冠を象徴する勝負服が風に揺れ、鞍上の緩い手綱引きにふるりと身体を揺らして歩き進める。
人馬ともに惹きつけて止まない美貌馬── その名を、メジロサニーホープと言います。
メジロの光。
メジロの太陽。
メジロの希望。
父が、母が、その血の全てが渇望してやまない勝利を求める、貪欲な白さ。
デビュー時こそ期待薄の存在でした。
マックイーンのラストクロップとして注目されてはいましたが、
父の面影を惜しむファンのささやかな応援馬券だけが手のひらに温められ、その実、誰も彼の覇道など信じてはいませんでした。
しかし、サニーホープは走った。そう、走ったのです。
追い縋る他馬を振り払い、真っ先に飛び込んだゴールの大歓声と紙吹雪。
他の新馬に振り返ること無く歩んだ花道はそこにありました。
マックイーンと、何より生産者が望んで止まなかった牡馬の重賞勝ち。
札幌2歳Sは素晴らしい舞台でした。誰も彼に追いつけない中で辿り着いた勝利の意味を、誰がより強く理解したでしょうか。
マックイーン産駒としてはディアジーナ以来の重賞勝ちを果たした牡馬の名は、未来永劫消えることは無い功績です。
そして初めて挑戦した2歳限定G1・朝日杯フューチュリティーステークス。
ここを勝てば世界初の白毛馬によるG1制覇であり、マックイーン産駒としても初となる期待の1戦。
ライバルは京王杯2歳S勝ち馬のグランプリボスと、その2着馬だったリアルインパクトです。
グランプリボスは短距離に強いサクラバクシンオー産駒で、リアルインパクトはこれが初年度となるディープインパクト産駒。
流行に乗った確かな血筋の馬たちの中にあって、やはり、メジロサニーホープは一段劣る印象を受けました。
ここまで運が良かっただけと呟く声すら聞こえるほど。
確かにどちらも楽な相手ではなかったはずです。
それでも2頭を突き放した完璧な大逃げがそこにありました。
かつての皇帝のように、絶対を信じるに値する、光が。
ここまで3戦3勝。
完勝のまま3歳の春を迎えたサニーホープは、初戦を京成杯に定めました。
新馬戦からその手綱を握ってきた川添騎手は、この京成杯を持ってサニーホープの鞍上を降りることが決まっていました。
川添騎手が何かをやらかした、そんなわけは勿論ありません。
彼はここまで「レース仕草に難あり」とまで言われたサニーホープを辛抱強く見守ってきたのです。
サニーホープが拒絶したわけでもありません。
確かにレースになると川添騎手の手綱捌きをガン無視することはありましたが、彼が川添騎手を嫌に思ったことなどないのです。
しかし、川添にとっての最良の馬が、そしてサニーホープにとっての最良の騎手が、互いではなかった、それだけの話なのです。
さて、サニーホープと同厩舎の同世代に、オルフェーヴルという馬がいます。
川添騎手はこの馬の全兄に当たるドリームジャーニーの主戦でもあり、なかなか勝てない辛い時期も、グランプリレースを勝った楽しい時期も共に戦ってきました。
そんな川添騎手にとって、その全弟であるオルフェーヴルが如何に重要であるか。想いが偏るのは無理も無いことでした。
ですが1頭の馬にだけ乗り続けるわけにもいきません。騎手にも生活があります。
オルフェーヴルとレースが被らない時は他の馬に騎乗して活躍を挙げなければなりません。
真摯な騎乗姿勢で自身がオルフェーヴルの主戦に相応しいことをアピールする必要だってあります。
そうして川添騎手の勝負事の中に鎮座する数多くの馬の1頭にサニーホープがいたのでした。
おそらく今後もレースが被らなければサニーホープの鞍上は川添騎手のままだったでしょう。
しかし2頭ともクラシック路線を目指している都合上、両方に乗ることができない川添騎手は決断を迫られます。
サニーホープに乗るのか、オルフェーヴルに乗るのか。
その単純かつ難解な二択に、当人は思い入れの深いオルフェーヴルを選ぶことにしたのです。
川添騎手のオルフェーヴルへの思い入れを知っているサニーホープ本馬からすると、それは当たり前田のクラッカー並に当然の出来事でした。
そんなこんなで鞍上が空いたサニーホープは、次走の弥生賞のため、新しい鞍上探しをすることになりました。
ここまで完勝のサニーホープは今やクラシックで注目の1頭です。
誰もがサニーホープは成功すると睨んでいました。
メイクデビュー前のしらけた評判から手のひらドリル並にひっくりかえった評価。
これが競馬のシビアな面であり、しかし面白い面でもあります。
1つ、レースを走る度に評価を塗り替えるこの美貌馬だからこそ、空いたその鞍上を多くの騎手が狙っていたのです。
誰が乗るのでしょうか。
ベテランジョッキーが乗るのでしょうか。
レジェンドジョッキーが乗るのでしょうか。
それとも新進気鋭の若手ジョッキーにチャンスが?
── そして競馬の女神は、騎手歴7年目の中堅、芝木真白に微笑んだのです。
芝木はサンジェニュインが死んでしまった後、白毛と芦毛の馬は避け続けました。
どんな大手からの騎乗依頼であろうと、受け入れませんでした。
そんな彼の姿勢を『情に胡座を掻いている』『要らぬ拘り』『チャンスを捨てている』と詰る声もあります。
ですが彼にとって『白さ』とはサンジェニュインのことであり、それ以外の馬に乗る選択肢は存在し得ないことでした。
しかし桜が咲き始めたその季節。
芝木は再び、白さ眩しい1頭の馬に跨がることとなりました。
愛馬サンジェニュインの面影を見せた、白くて美しい── サニーホープの鞍上に。
その日、大手匿名掲示板や、某競馬情報サイトの掲示板は大いに盛り上がりました。
誰もがその決断に、2005年の弥生賞を思い出せずにはいられなかったのです。
史上初の白毛牡馬による重賞制覇。
それに最も近かった当時の小倉競馬場2000メートルコースレコード保持者。
サンジェニュインは弥生賞でディープインパクトとハナ差3センチの接戦を演じ、そして中山の芝に沈んでいった、ただの馬です。
ひたすら勝利だけを渇望し、夢想し、駆け抜けていったゴール後100メートル。
騎手を庇うように落ちていったスピードの先で、サンジェニュインは虹の向こう側へと旅立ちました。
弥生賞を放送していたテレビには、芝生に横たわる白毛と、それに縋り付くひとりの男の姿があります。
競馬ファンであればあるほど、忘れることのできないワンシーンは6年前。
もう6年、と呟く声があれば、まだ6年だ、と叫ぶ声があります。
ターフに現われてから半年にも満たない時間で、しかしあまりにも強くそこに在った馬。
ディープインパクトがレースに出る度、人間はその影を探しました。
見えない先頭を疾駆する、その純白の馬体を。ここにアイツがいたらどんなレースになっただろうか、と夢想を込めて。
誰の記憶にもまだまだ美しいまま存在しているサンジェニュインを、誰もが思い出さずにはいられなかったのでした。
某競馬情報サイトのサンジェニュインの掲示板。
サニーホープが弥生賞を迎える2011年3月になってから、ほとんど毎日のようにコメントが投稿されていました。
競走馬掲示板(XXXX件)
? ミュート、報告の使い方 ∨
zoxx さん xeAApaL | と フォローする |
今年の弥生賞には、白毛馬が出走する予定です
山田 さん FGGoPsw | と フォローする |
今年の弥生賞に出走する白毛は、まだ無敗
スゴイ
このまま勝たせてやってください
ぱる さん kmVrssQ | と フォローする |
6年ぶりに白毛牡馬が弥生賞出走です!
今度こそ1着!
負けるなサニーホープ!!!!
しう さん kroEioI | と フォローする |
みどり さん PUHmvlw | と フォローする |
俺の夢の続き卍
やったれ重賞4勝目や!!
田中太郎 さん XXpRkZi | と フォローする |
サニーホープのファンです。
私は残念ながらあなたを知りません。
でもコメントします。
願掛け込みで
溢れる文字の海の中に、現役時代のサンジェニュインを知る者も、知らぬ者も、ただひたすらに祈っているのです。
ゴール板を踏んでも帰って来なかった1頭を知る、愛に満ちた者たちが。
競走馬掲示板(XXXX件)
? ミュート、報告の使い方 ∨
いのり さん lwqBCAJ | と フォローする |
サンジェニュイン、どうか見守っていてください
レース当日。
弥生賞が行われる中山競馬場には、大勢のファンが駆けつけていました。
そこに老いも若きも関係なく、オケラ街道を抜けて人混みかき分けて。
マックイーンのぬいぐるみを持つ女性が居ました。
サンジェニュインの馬券を握った男性が居ました。
そのどちらも、サニーホープを応援するためにたったひとつを目指して歩き続けているのです。
場内でさざめく勝ち馬予想を端にのけて、まっすぐにターフを見つめていました。
その緑色は、一度は白毛が沈んだ芝生です。
まばらに広がった鬣が二度と起き上がらなかったことをみんな知っています。
悲鳴が響き続け、換金することもできずくしゃくしゃになった複勝馬券の空しさも。
まだその記憶が色褪せない中で、しかしサニーホープは、記録と共に記憶を塗り替えました。
「なんということだサニーホープ、メジロサニーホープひとり旅ッ! プレイがちぎられて! 上がってくるサダムパテック、サダムパテックまだ追うがこれは、これはもう──……ッ!」
他馬の追随を許さないその走りは、観衆から声すら奪いました。
大勢のファンが息を呑んで見守ったレースは、サニーホープの美しく伸びる四肢に並ぶ者無く、震えるほどの完勝で幕を閉じたのです。
しばらく無言で、呆然と駆け抜けていくサニーホープを見送ったファンは、しかし次の瞬間には大歓声を上げました。
ゴール板を駆け抜けた芝木騎手が高々と掲げた一本指の、その先が太陽を指していることに気づいて。
「この大歓声が聞こえるでしょうか! 天まで届く、この歓声が……!」
レース後の空は、呼吸も忘れるほどの晴天でした。
あまりにも鮮やかな青空に雲は1つも無く、ただ丸い太陽だけが見下ろしているのです。
ふいにサニーホープが振り返りました。
逆光で表情は見えず、太陽の光に縁取られた馬体だけが黄金色に輝くのを、きっと誰もが心に刻んだでしょう。
あの春の日。皐月賞への片道切符を握りしめたまま終ぞ振り返らなかった1頭が、ようやく遠くへと駆けていった、そんな充足感が中山競馬場にありました。
このレースを持ってサニーホープの名は、クラシック最有力馬として確固たるものとなりました。
これにて重賞4勝目。
メジロの誇りを賭けた最初の一冠目、皐月賞に父の影はありません。
けれどここにはメジロライアンの影があります。父に代わり、リードホースとして牡の背中を見せた彼は、皐月賞3着。
忘れ物を獲りに行くのに、サニーホープは不足でしょうか?
いいえ、誰もそうは思いませんでした。この馬はメジロの結晶であり、メジロの希望、そのものだから。
弥生賞から間もなく、サニーホープが皐月賞へ出走する直前に、メジロファームの解散が決まりました。
重なっていく赤字は、もはやサニーホープの活躍1つだけでは巻き戻せないところまで来たのです。
けれど代々勤めてくれた従業員を路頭に迷わせないだけの金はありました。
あるからこそ今、解散する。メジロファーム代表はそうして長い歴史に幕を下ろす決意をしたのです。
従業員のほとんどは、メジロファームの後継牧場でそのまま勤めることも決まりました。
功労馬だったメジロライアンも、メジロパーマーも、メジロドーベルも、今までメジロファームが育んできたすべてがそこへ繋がっていく。
「消えるわけじゃない。なかったことにはならない。ただ名を変え、そして一歩、進んでいく」
その背中をサニーホープが押した、と代表が遠くを見るように言いました。
「アイツがメジロの最期の希望です」
これからメジロ冠は生まれない。
新馬に名付けられることはない。
けれど、血統に深く残ることを、その地図に刻まれることを確信している。
サニーホープという希望がそれを叶えてくれると、メジロファームに魂を寄せた全員が信じていました。
「私にできるのはもう、あいつが飛べるとこまで飛ばしてやることです」
ある天皇賞・春。初参戦のトウカイテイオーを「地の果てまで駆ける」と評した騎手が居ました。
それに対してマックイーンの鞍上はこう切り返したのです。
「それならばこっちは、天まで昇る馬ですよ」
そう評された馬の息子はどこまでいくのでしょうか。
希望と名付けられた、彼は。
そして4月。少し足並み崩れた春の向こう側。
未曾有の震災によって負った傷も癒えないその日の東京競馬場に、白毛が揺れていました。
眼前に立つ栗毛馬は瞬きをして、何か合図を待っているかのように小刻みに揺れるので、鞍上は気が気でないのでしょう。
苦笑いを浮かべその首筋を撫で、鞍上は真っ直ぐと顔を上げました。
馬のゼッケン番号は12で、人気は5番。
前走スプリングステークスの見事な走りも記憶に新しい、その馬の父はステイゴールド。
小柄な体躯に見合わぬ凄まじい末脚を、サニーホープはまだ体験したことがありません。
けれど、鞍上の芝木騎手はひとかけらの不安もないと言わんばかりに微笑み、短く目礼しました。
「──……続いて12番、オルフェーヴル。前走は見事な走りでした。少し気が逸る一幕も見られますが、強気の姿勢は皐月賞にも向くでしょう。父ステイゴールド、母父はメジロマックイーンです」
この平成の世に、父メジロマックイーンと、母父メジロマックイーンが相対している。
どこか時代錯誤のような、いや、こうあるべきだったような、そんな不思議な感覚の中で立つ競馬ファンの誰もが、まだ知らないのです。
ぴたり、隣合うように並んだ2頭がこの先、日本を代表するような競走馬になる、そんな夢のようなことを──……。
メジロファーム
歴史在る長距離の名門
さすがにサニホーだけじゃファームを支えきれないため余力のあるうちに畳むことに
でもサニホーを現役も種牡馬としても全力サポートする気満々
後継牧場とも仲は良好なので
「お嫁さんよりどりみどりだぞ~^^」
リードホースしてくれたおいちゃんたち
メジロライアンさんとメジロパーマーさん
こんなふにゃふにゃで大丈夫かな?と思いつつ送り出した
大丈夫じゃないです、ケツ追われてます
オルフェーヴルくん
サニーホープと同厩舎で隣馬房
顔特効により見つめ合うとお喋りはおろか身動きが取れないこともある
トレセン内移動するときはだいたいサニホーが手綱加えて移動してる
ちょっと前までサニホーとおそろいのリュックだったのになんか変わっちゃった……
川添騎手
サニホーも悪くなかったんだけど、っぱ、オル一択よな
なおこの後淀の芝に放り投げられるとかなんとか
謎の6歳年上栗毛ホース
いったいナニヒキリくんなんだ
芝木真白
いったん燃え尽きたあと強制的に着火させられた
サンジェと挑めなかった大舞台へサニホーに跨がってヒヒーン
竹さんから鞍上を狙われてるとは知らない(マックの仔で秋天行きたいなあ)
サニーホープ
愛称はサンとかサニホー(ハニトーの発音)
サンジェニュインの再来!(※本馬です)
弥生賞から産地直送で転生した
今度はディープ産駒からケツ追われつつ懸命に駆け抜けてるがウマ娘で知った名前がたくさん出てきて若干混乱も入ってる
なおこの後葦毛の悪魔にも遭遇することになるとは思ってないプリケツホース
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
-
エアグルーヴ
-
ハルウララ
-
ウオッカ
-
カレンチャン
-
海外牝馬組