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サンサンドリーマーとは、2008年生まれの日本の元競走馬、元種牡馬。美貌の凱旋門賞馬として知られる、世界初の白毛凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、天皇賞春秋の覇者。ノータンファームにて種牡馬→乗馬となっている。
主な勝ち鞍
2010年:朝日杯フューチャリティーステークス(GⅠ)
2011年:天皇賞・秋(GⅠ)、報知杯弥生賞(GⅡ)、新潟記念(GⅢ)
2012年:天皇賞・春(GⅠ)
■ 概要
父:サンジェニュイン
母:サダムブルーアイズ
母父:エルコンドルパサー
サンジェニュインの初年度産駒であり、母サダムブルーアイズの最終産駒。
母父のエルコンドルパサーは国内外で勝ち鞍を持ち、自身は芝・ダート両方を走っていたものの、産駒はヴァーミリアンを始めダート路線に進む馬が多かった。
同馬はサンジェニュインからスピードとパワーを、母父エルコンドルパサーからは器用さを継いだと評される。
その一方で、デビュー当時は臆病だったとされるエルコンドルパサーの「周りを気にしすぎる」繊細な面も継いでしまったようで、これがサンジェニュイン由来の特性(※1)と合わさってクラシックシーズンで壁になったとみられる。
産まれて直ぐに母サダムブルーアイズを失ったため、乳母としてサンジェニュインと同厩舎でもあった牝馬ハルノメガミヨが付けられた。
大柄で知られる他の同父の産駒とは異なり、小柄な体躯で、右前脚だけやや外を向いた特異な馬体をしていた。
また、両目の下に涙マークのようなブチがある。
社来グループ生産のサンジェニュイン産駒牡馬の一部は、乳離れを済ませるとサンジェニュインの放牧地に放たれるようになっており、同馬も同様に0歳の10月に乳離れを済ませてすぐ、サンジェニュインと会うことになった。
これは幼駒のため、というよりは、とてもさみしがり屋なサンジェニュインの精神的負担を減らす事が主目的であり、後に語られるようなエピソードは副次的なものである。
当初は非常に大人しい、消極的な馬だと思われていたサンサンドリーマーだが、サンジェニュインに会わせてしばらくすると、目覚めたように一気に明るくなったとか。
約3ヶ月をサンジェニュインと過ごしたのち、他の幼駒たちと共に育成牧場へと移った。
この育成牧場でのサンサンドリーマーの評価は、同期で同父のウイニンサニー(個人所有)よりは下で、スプリンター向きだろうと思われていた。
2歳の春、栗東・松藻厩舎に入厩。
この時に競走馬名を「サンサンドリーマー」として登録が行われた。
ちなみに前冠「サンサン」は、サイレンスレーシングクラブが所有するサンジェニュイン産駒の冠名である(※2)
※1 サンジェニュインは非常に同性馬に好かれる特異な性質を持っており、産駒、特に牡馬に遺伝する傾向にあった。近年だと2014年凱旋門賞のレース後にラチ沿いまで牡馬5頭に追い詰められたシルバータイムが有名
※2 例外として、サイレンスレーシング所有だが前冠のない「サニーメロンソーダ」がいる
■ 2010年 2歳
2歳になった7月10日の函館競馬場の芝1800m新馬戦でデビュー。
鞍上には父のライバルだったディープインパクトの主戦騎手・竹創を迎えた。
同レースには同馬の他に2頭のサンジェニュイン産駒が出走しており、またこの1週間前がサンジェニュインの誕生日だったことから、「誰が勝っても父に嬉しい初勝利のプレゼント」と注目を浴びていた。
この時点ではサンジェニュイン産駒のデビューはまだ行われておらず、この日のレースが産駒の初出走であった。
サンサンドリーマーの前評判は「△」でそれほど高くはなかったが、雨が降る中で逃げを打つ強気の走りを見せ、並ぶ同父の馬たちを突き放してデビュー勝ちを見せた。
最終的な結果としてこのレースでは1着から3着までをサンジェニュイン産駒が占めることになり、父にとって嬉しい誕生日プレゼントになったのではないだろうか。
ちなみにこの結果を受けて、社来SSのサンジェニュイン専用厩舎には「祝!産駒馬券占め」という垂れ幕がかけられたんだそう。
それから重賞勝ち馬が出る度に新しい垂れ幕と入れ替わっている。
→サンジェニュイン専用厩舎歴代垂れ幕
これで弾みを付けて挑んだ初重賞、東スポ杯2歳ステークス(GⅢ)では、産駒内でも評判の良かったウイニンサニーの3着に敗れる結果に。
この時の2着馬は弥生賞で激突するサダムパテックだった。
鞍上の竹は敗因を「レース前に牡馬に絡まれ、必要以上に周りの馬を気にしていた。道中も馬群から離れたくて仕方なさそうな走りで、溜め逃げをしていたウイニンサニーと追い上げて来たサダムパテックに競り負けた」と語っている。
この悔しさをバネに、今度は朝日杯フューチャリティステークスに出走。
このレースからチークピーシーズを付け、視野を狭めて周りの馬の情報量を減らすよう工夫された。
格上挑戦と見なされていたが、父譲りの抜群のスタートで先頭に立つと、レースのペースを一気に掴んで大逃げ。
中団から抜け出したグランプリボスの猛追をはね除けて、初の重賞制覇、初のGⅠ勝ちをおさめた。
これはサンジェニュインに取って初の国内産駒GⅠ勝利であり、父の種牡馬としての能力の高さを国内の馬産地にアピールする大きなきっかけとなった。
なお、産駒初のGⅠは、アメリカ生産の牝馬・Shining Top Ladyが制した「BCジュヴェナイルフィリーズ」である。
2歳時の戦績を3戦2勝とした。
■ 2011年 3歳
朝日杯FSでの勝利をもって、サンサンドリーマーは一気にクラシックの主役へと名乗りを挙げた。
次走を弥生賞一本に定めたのは、サンサンドリーマーが父・サンジェニュイン同様、パンパンの芝で痛がる素振りを見せたため。
どこかで1回使って調子を整える、といった方法が採れないためだと思われる。
年が明けると直ぐ、レースの合間を縫っては竹が乗りにやってきて、細かい調整が続けられた。
頻繁にくる竹に、サンサンドリーマーを管理していた松藻調教師は「ここまでイレこんで、大丈夫だろうか」と心配したとか。
迎えた弥生賞を1番人気で迎えると、歓声を背にして一気に先頭に。
ほとんど持ったまま、直線で追い込んできたサダムパテックに4馬身差を付けて圧勝した。
弥生賞はサンジェニュインがディープインパクトにハナ差3cm の敗北を喫したレースであり、父が取りこぼしたレースを制する結果となった。
このまま父子2代の皐月賞制覇へ!とクラシック本戦に乗り込んだサンサンドリーマー。
同レースには竹のお手馬であるダノンバラードも出走予定だったため、どちらに騎乗するかが話題になったが、竹はサンサンドリーマーを選択した。
皐月賞では弥生賞での勝ち方が評価されて1番人気に推されたものの、中団から追い込んできたオルフェーヴルとサニーメロンソーダに差し切られ、盛り返すこともできないまま3着に沈んだ。
抜かされたタイミングで失速しているので、集中力が長く持たないタイプのようだった。
そしてここからちょっとした低迷期に突入する。
続く東京優駿では、直前の調教のデキが良かったためか、皐月賞馬・オルフェーヴルを差し置いて1番人気に推された。
スタートと共に勢いよくゲートから飛び出すと、タイヨウマツリカとハナを奪い合う展開に。
サンジェニュイン産駒初、そして白毛初のダービー制覇まで期待が膨らむ中で、まさかの逸走。
3番手で追走していたオルフェーヴルが近づいたタイミングで斜行を繰り返すようになると、ゴールまで残り3ハロンの時点で内ラチに突っ込んで右前足流血により競争中止となった。
幸い流血のみで大きな怪我はなく、地力で検量室に戻っているが、これにより平地調教再審査となった。
サンサンドリーマーが自爆戦線離脱した後、もう構うやつはいないと言わんばかりにタイヨウマツリカが激走。そのケツ背を追うオルフェーヴルとの一騎打ちの末、ラスト100mで並んだままゴールイン。
24分に及ぶ写真判定の結果、1cm差でオルフェーヴルが勝利した。
ダービーで1cm差決着は、2005年のサンジェニュインとディープインパクトのレース結果と同じである。
しかしゴール直後に落馬したタイヨウマツリカは、写真判定の結果が出る3分前に骨折による予後不良と診断され、安楽死の処置が執られていた。
このタイヨウマツリカもまた、サンジェニュインの初年度産駒である。
サンサンドリーマーはその後なんとか平地調教再審査を突破し、古馬戦線・函館記念(GⅢ)に挑戦することが発表された。
函館記念より前の6月末、皐月賞2着の同父・サニーメロンソーダが並み居る古馬たちを薙ぎ払って宝塚記念を制し、3歳馬初の勝ち馬となった。
ほぼ同時期に、イギリスでも同父のSunny Fantasticが2000ギニーステークスとダービーステークスを勝って二冠馬に、アメリカでも牝馬のShining Top Ladyがケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスのアメリカクラシック三冠を33年ぶり、牝馬として初めて達成していた(※)
国内外でサンジェニュイン産駒の活躍が多く見られるようになり、その勢いを借りて同馬も古馬戦線での復帰を目指していたが、地力の高い古馬たちに包まれ4着と敗北した。
敗北した3戦を振り返った竹は、敗因はやはり「他馬、それも牡馬に絡まれることによるストレス」によって本来の力を発揮できない状態にあると確信。
「牡馬との接触を極限まで少なくしないと勝負にならない」と調教師に訴え、チークピーシーズを外して、代わりに父も使用していたメンコを付けることを提案した。
この当時、サンジェニュインの特異な性質を「話題付け」としか思っていたかった松藻は、メンコではチークピーシーズほどの視野を狭める効果はないと難色を示していた。
だがクラシック戦線を勝ち上がっているSunny FantasticやShining Top Lady、グランプリホースとなったサニーメロンソーダらもメンコを着用しており、願掛けも兼ねて1度だけなら、とメンコへの付け替えを決定。
メンコは社来SSで管理されていた、現役時代にサンジェニュインが使用していたものを借り、初めて装着する時は竹が手ずから着けたという。
装いを新たに挑んだのは新潟記念(GⅢ)芝2000m 左回り。
前走七夕賞2着のダンスインザダーク産駒タッチミーノットが1番人気に推される中、同馬は競走馬生活で唯一の最低人気となった。
レースはサンジェニュイン産駒御用達サニーメロンソーダに騎乗して宝塚記念を制した芝木真白騎手を鞍上に迎えたナリタクリスタルが1度先頭を取ると、第1コーナーを回ってすぐにサンサンドリーマーがハナを奪って大逃げ。
背に乗る竹は「嫌がっての大逃げ」ではなく、「勝つための大逃げ」だと気づくと第3コーナーで軽く鞭を入れ、なるべく消耗の少ない内沿いを走るよう誘導。
それが功を奏したのか、ナリタクリスタルに5馬身差を付けて圧勝し、弥生賞以来、5ヶ月ぶりの勝利を挙げた。
レース後も牡馬に追われることなく検量室に戻ったサンサンドリーマーは、それで調子が着いたのか調教結果もあがったことで、松藻は次走を父も勝っている菊花賞を目標にした。
しかし、この時点で二冠馬となっていたオルフェーヴルを所有するサイレンスレーシングは、所有馬同士の消耗を避けるため、サンサンドリーマーの次走を古馬戦線にすることを松藻に求めた。
竹はこれに反対したが、松藻はこれを受け入れ、次走をGⅠの天皇賞・秋に変更することに。
この時の事を竹は「クラブの意向に沿うのは必須だろうけど、サンド(同馬の愛称)に夢を見るのはおかしいのだろうか」と後輩の福沢にこぼしている(優駿の記憶 p.38)
迎えた第144回天皇賞・秋は、1番人気にスペシャルウィーク産駒のブエナビスタが、2番人気には前走・毎日王冠(GⅢ)を制したダークシャドウが推され、同馬は翌年の天皇賞・秋をマルコ・デルーカ騎手を鞍上に制することになるエイシンフラッシュを押さえての3番人気となった。
ゲート入りの際、ダークシャドウやシャドウゲイトが同馬に絡もうとすると、すかさずブエナビスタとメイショウベルーガが間に割って入った、というエピソードがあり、竹はこの時の2頭に対して「間に入ってくれて助かった、入って貰えなかったらどうなったか」と語っている。
レースが始まると小気味よくスタートを切り、ぐんぐんと後続を引き離して、第2コーナー前には8馬身近い差を付けていた。
1000m の標識を通過した時点のタイムは「57秒台」であり、そのスピードと大逃げはサイレンススズカを彷彿とさせた。
大欅を無事に抜けると、ゴールしたわけでもないのに観客席から響き渡る大歓声。
直線を向いたところでトーセンジョーダンが鋭く切り込み、1度並ばれるも、なんとかアタマ差でゴールイン。しかし2着馬のトーセンジョーダンとのタイム差は無い状態であった。
この時の走破タイム「1:56.0」はレコードタイムである。
秋の盾を制し、これが朝日杯フューチャリティーステークス以来のGⅠ勝ちとなった。
また、9月の時点でSunny Fantasticが41年ぶりの英国三冠馬となり、同馬の秋天制覇を加えて産駒GⅠ勝利数は15勝となった。
同馬はこのレース後に放牧に出され、3歳を終えた。
戦績は5戦2勝。
なお、2011年のサンジェニュイン産駒のGⅠ勝利数は、11月にShining Top LadyがBCクラシックを、12月にクモノハレマ(香港表記:雲海天晴)が香港カップを勝ったことにより、最終18勝となった(2010年の2歳戦を含めると21勝)
※ サンジェニュイン産駒は父に似て芝適性の高い馬が多かったが、父譲りのパワーを活かしてダート路線に適性を見せる馬もいた。Shining Top Ladyはその代表馬であり、後にカネヒキリ産駒Hart Of Imaginingとの間に、BCクラシック2連覇を達成し2度エクリプス賞年度代表馬に選ばれるSoul Of Laverを送り出すことになる。
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サンサンドリーマー
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その他
サンサンドリーマーとは、2008年生まれの日本の元競走馬、元種牡馬。美貌の凱旋門賞馬として知られる、世界初の白毛凱旋門賞馬・サンジェニュインの初年度産駒であり、天皇賞春秋の覇者。ノータンファームにて種牡馬→乗馬となっている。
主な勝ち鞍
2010年:朝日杯フューチャリティーステークス(GⅠ)
2011年:天皇賞・秋(GⅠ)、報知杯弥生賞(GⅡ)、新潟記念(GⅢ)
2012年:天皇賞・春(GⅠ)
■ 概要
父:サンジェニュイン
母:サダムブルーアイズ
母父:エルコンドルパサー
サンジェニュインの初年度産駒であり、母サダムブルーアイズの最終産駒。
母父のエルコンドルパサーは国内外で勝ち鞍を持ち、自身は芝・ダート両方を走っていたものの、産駒はヴァーミリアンを始めダート路線に進む馬が多かった。
同馬はサンジェニュインからスピードとパワーを、母父エルコンドルパサーからは器用さを継いだと評される。
その一方で、デビュー当時は臆病だったとされるエルコンドルパサーの「周りを気にしすぎる」繊細な面も継いでしまったようで、これがサンジェニュイン由来の特性(※1)と合わさってクラシックシーズンで壁になったとみられる。
産まれて直ぐに母サダムブルーアイズを失ったため、乳母としてサンジェニュインと同厩舎でもあった牝馬ハルノメガミヨが付けられた。
大柄で知られる他の同父の産駒とは異なり、小柄な体躯で、右前脚だけやや外を向いた特異な馬体をしていた。
また、両目の下に涙マークのようなブチがある。
社来グループ生産のサンジェニュイン産駒牡馬の一部は、乳離れを済ませるとサンジェニュインの放牧地に放たれるようになっており、同馬も同様に0歳の10月に乳離れを済ませてすぐ、サンジェニュインと会うことになった。
これは幼駒のため、というよりは、とてもさみしがり屋なサンジェニュインの精神的負担を減らす事が主目的であり、後に語られるようなエピソードは副次的なものである。
当初は非常に大人しい、消極的な馬だと思われていたサンサンドリーマーだが、サンジェニュインに会わせてしばらくすると、目覚めたように一気に明るくなったとか。
約3ヶ月をサンジェニュインと過ごしたのち、他の幼駒たちと共に育成牧場へと移った。
この育成牧場でのサンサンドリーマーの評価は、同期で同父のウイニンサニー(個人所有)よりは下で、スプリンター向きだろうと思われていた。
2歳の春、栗東・松藻厩舎に入厩。
この時に競走馬名を「サンサンドリーマー」として登録が行われた。
ちなみに前冠「サンサン」は、サイレンスレーシングクラブが所有するサンジェニュイン産駒の冠名である(※2)
※1 サンジェニュインは非常に同性馬に好かれる特異な性質を持っており、産駒、特に牡馬に遺伝する傾向にあった。近年だと2014年凱旋門賞のレース後にラチ沿いまで牡馬5頭に追い詰められたシルバータイムが有名
※2 例外として、サイレンスレーシング所有だが前冠のない「サニーメロンソーダ」がいる
■ 2010年 2歳
2歳になった7月10日の函館競馬場の芝1800m新馬戦でデビュー。
鞍上には父のライバルだったディープインパクトの主戦騎手・竹創を迎えた。
同レースには同馬の他に2頭のサンジェニュイン産駒が出走しており、またこの1週間前がサンジェニュインの誕生日だったことから、「誰が勝っても父に嬉しい初勝利のプレゼント」と注目を浴びていた。
この時点ではサンジェニュイン産駒のデビューはまだ行われておらず、この日のレースが産駒の初出走であった。
サンサンドリーマーの前評判は「△」でそれほど高くはなかったが、雨が降る中で逃げを打つ強気の走りを見せ、並ぶ同父の馬たちを突き放してデビュー勝ちを見せた。
最終的な結果としてこのレースでは1着から3着までをサンジェニュイン産駒が占めることになり、父にとって嬉しい誕生日プレゼントになったのではないだろうか。
ちなみにこの結果を受けて、社来SSのサンジェニュイン専用厩舎には「祝!産駒馬券占め」という垂れ幕がかけられたんだそう。
それから重賞勝ち馬が出る度に新しい垂れ幕と入れ替わっている。
→サンジェニュイン専用厩舎歴代垂れ幕
これで弾みを付けて挑んだ初重賞、東スポ杯2歳ステークス(GⅢ)では、産駒内でも評判の良かったウイニンサニーの3着に敗れる結果に。
この時の2着馬は弥生賞で激突するサダムパテックだった。
鞍上の竹は敗因を「レース前に牡馬に絡まれ、必要以上に周りの馬を気にしていた。道中も馬群から離れたくて仕方なさそうな走りで、溜め逃げをしていたウイニンサニーと追い上げて来たサダムパテックに競り負けた」と語っている。
この悔しさをバネに、今度は朝日杯フューチャリティステークスに出走。
このレースからチークピーシーズを付け、視野を狭めて周りの馬の情報量を減らすよう工夫された。
格上挑戦と見なされていたが、父譲りの抜群のスタートで先頭に立つと、レースのペースを一気に掴んで大逃げ。
中団から抜け出したグランプリボスの猛追をはね除けて、初の重賞制覇、初のGⅠ勝ちをおさめた。
これはサンジェニュインに取って初の国内産駒GⅠ勝利であり、父の種牡馬としての能力の高さを国内の馬産地にアピールする大きなきっかけとなった。
なお、産駒初のGⅠは、アメリカ生産の牝馬・Shining Top Ladyが制した「BCジュヴェナイルフィリーズ」である。
2歳時の戦績を3戦2勝とした。
■ 2011年 3歳
朝日杯FSでの勝利をもって、サンサンドリーマーは一気にクラシックの主役へと名乗りを挙げた。
次走を弥生賞一本に定めたのは、サンサンドリーマーが父・サンジェニュイン同様、パンパンの芝で痛がる素振りを見せたため。
どこかで1回使って調子を整える、といった方法が採れないためだと思われる。
年が明けると直ぐ、レースの合間を縫っては竹が乗りにやってきて、細かい調整が続けられた。
頻繁にくる竹に、サンサンドリーマーを管理していた松藻調教師は「ここまでイレこんで、大丈夫だろうか」と心配したとか。
迎えた弥生賞を1番人気で迎えると、歓声を背にして一気に先頭に。
ほとんど持ったまま、直線で追い込んできたサダムパテックに4馬身差を付けて圧勝した。
弥生賞はサンジェニュインがディープインパクトにハナ差3cm の敗北を喫したレースであり、父が取りこぼしたレースを制する結果となった。
このまま父子2代の皐月賞制覇へ!とクラシック本戦に乗り込んだサンサンドリーマー。
同レースには竹のお手馬であるダノンバラードも出走予定だったため、どちらに騎乗するかが話題になったが、竹はサンサンドリーマーを選択した。
皐月賞では弥生賞での勝ち方が評価されて1番人気に推されたものの、中団から追い込んできたオルフェーヴルとサニーメロンソーダに差し切られ、盛り返すこともできないまま3着に沈んだ。
抜かされたタイミングで失速しているので、集中力が長く持たないタイプのようだった。
そしてここからちょっとした低迷期に突入する。
続く東京優駿では、直前の調教のデキが良かったためか、皐月賞馬・オルフェーヴルを差し置いて1番人気に推された。
スタートと共に勢いよくゲートから飛び出すと、タイヨウマツリカとハナを奪い合う展開に。
サンジェニュイン産駒初、そして白毛初のダービー制覇まで期待が膨らむ中で、まさかの逸走。
3番手で追走していたオルフェーヴルが近づいたタイミングで斜行を繰り返すようになると、ゴールまで残り3ハロンの時点で内ラチに突っ込んで右前足流血により競争中止となった。
幸い流血のみで大きな怪我はなく、地力で検量室に戻っているが、これにより平地調教再審査となった。
サンサンドリーマーが自爆戦線離脱した後、もう構うやつはいないと言わんばかりにタイヨウマツリカが激走。そのケツ背を追うオルフェーヴルとの一騎打ちの末、ラスト100mで並んだままゴールイン。
24分に及ぶ写真判定の結果、1cm差でオルフェーヴルが勝利した。
ダービーで1cm差決着は、2005年のサンジェニュインとディープインパクトのレース結果と同じである。
しかしゴール直後に落馬したタイヨウマツリカは、写真判定の結果が出る3分前に骨折による予後不良と診断され、安楽死の処置が執られていた。
このタイヨウマツリカもまた、サンジェニュインの初年度産駒である。
サンサンドリーマーはその後なんとか平地調教再審査を突破し、古馬戦線・函館記念(GⅢ)に挑戦することが発表された。
函館記念より前の6月末、皐月賞2着の同父・サニーメロンソーダが並み居る古馬たちを薙ぎ払って宝塚記念を制し、3歳馬初の勝ち馬となった。
ほぼ同時期に、イギリスでも同父のSunny Fantasticが2000ギニーステークスとダービーステークスを勝って二冠馬に、アメリカでも牝馬のShining Top Ladyがケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスのアメリカクラシック三冠を33年ぶり、牝馬として初めて達成していた(※)
国内外でサンジェニュイン産駒の活躍が多く見られるようになり、その勢いを借りて同馬も古馬戦線での復帰を目指していたが、地力の高い古馬たちに包まれ4着と敗北した。
敗北した3戦を振り返った竹は、敗因はやはり「他馬、それも牡馬に絡まれることによるストレス」によって本来の力を発揮できない状態にあると確信。
「牡馬との接触を極限まで少なくしないと勝負にならない」と調教師に訴え、チークピーシーズを外して、代わりに父も使用していたメンコを付けることを提案した。
この当時、サンジェニュインの特異な性質を「話題付け」としか思っていたかった松藻は、メンコではチークピーシーズほどの視野を狭める効果はないと難色を示していた。
だがクラシック戦線を勝ち上がっているSunny FantasticやShining Top Lady、グランプリホースとなったサニーメロンソーダらもメンコを着用しており、願掛けも兼ねて1度だけなら、とメンコへの付け替えを決定。
メンコは社来SSで管理されていた、現役時代にサンジェニュインが使用していたものを借り、初めて装着する時は竹が手ずから着けたという。
装いを新たに挑んだのは新潟記念(GⅢ)芝2000m 左回り。
前走七夕賞2着のダンスインザダーク産駒タッチミーノットが1番人気に推される中、同馬は競走馬生活で唯一の最低人気となった。
レースはサンジェニュイン産駒御用達サニーメロンソーダに騎乗して宝塚記念を制した芝木真白騎手を鞍上に迎えたナリタクリスタルが1度先頭を取ると、第1コーナーを回ってすぐにサンサンドリーマーがハナを奪って大逃げ。
背に乗る竹は「嫌がっての大逃げ」ではなく、「勝つための大逃げ」だと気づくと第3コーナーで軽く鞭を入れ、なるべく消耗の少ない内沿いを走るよう誘導。
それが功を奏したのか、ナリタクリスタルに5馬身差を付けて圧勝し、弥生賞以来、5ヶ月ぶりの勝利を挙げた。
レース後も牡馬に追われることなく検量室に戻ったサンサンドリーマーは、それで調子が着いたのか調教結果もあがったことで、松藻は次走を父も勝っている菊花賞を目標にした。
しかし、この時点で二冠馬となっていたオルフェーヴルを所有するサイレンスレーシングは、所有馬同士の消耗を避けるため、サンサンドリーマーの次走を古馬戦線にすることを松藻に求めた。
竹はこれに反対したが、松藻はこれを受け入れ、次走をGⅠの天皇賞・秋に変更することに。
この時の事を竹は「クラブの意向に沿うのは必須だろうけど、サンド(同馬の愛称)に夢を見るのはおかしいのだろうか」と後輩の福沢にこぼしている(優駿の記憶 p.38)
迎えた第144回天皇賞・秋は、1番人気にスペシャルウィーク産駒のブエナビスタが、2番人気には前走・毎日王冠(GⅢ)を制したダークシャドウが推され、同馬は翌年の天皇賞・秋をマルコ・デルーカ騎手を鞍上に制することになるエイシンフラッシュを押さえての3番人気となった。
ゲート入りの際、ダークシャドウやシャドウゲイトが同馬に絡もうとすると、すかさずブエナビスタとメイショウベルーガが間に割って入った、というエピソードがあり、竹はこの時の2頭に対して「間に入ってくれて助かった、入って貰えなかったらどうなったか」と語っている。
レースが始まると小気味よくスタートを切り、ぐんぐんと後続を引き離して、第2コーナー前には8馬身近い差を付けていた。
1000m の標識を通過した時点のタイムは「57秒台」であり、そのスピードと大逃げはサイレンススズカを彷彿とさせた。
大欅を無事に抜けると、ゴールしたわけでもないのに観客席から響き渡る大歓声。
直線を向いたところでトーセンジョーダンが鋭く切り込み、1度並ばれるも、なんとかアタマ差でゴールイン。しかし2着馬のトーセンジョーダンとのタイム差は無い状態であった。
この時の走破タイム「1:56.0」はレコードタイムである。
秋の盾を制し、これが朝日杯フューチャリティーステークス以来のGⅠ勝ちとなった。
また、9月の時点でSunny Fantasticが41年ぶりの英国三冠馬となり、同馬の秋天制覇を加えて産駒GⅠ勝利数は15勝となった。
同馬はこのレース後に放牧に出され、3歳を終えた。
戦績は5戦2勝。
なお、2011年のサンジェニュイン産駒のGⅠ勝利数は、11月にShining Top LadyがBCクラシックを、12月にクモノハレマ(香港表記:雲海天晴)が香港カップを勝ったことにより、最終18勝となった(2010年の2歳戦を含めると21勝)
※ サンジェニュイン産駒は父に似て芝適性の高い馬が多かったが、父譲りのパワーを活かしてダート路線に適性を見せる馬もいた。Shining Top Ladyはその代表馬であり、後にカネヒキリ産駒Hart Of Imaginingとの間に、BCクラシック2連覇を達成し2度エクリプス賞年度代表馬に選ばれるSoul Of Laverを送り出すことになる。
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
-
エアグルーヴ
-
ハルウララ
-
ウオッカ
-
カレンチャン
-
海外牝馬組