俺の家は、代々医者を輩出する一族だった。
その家の子供に相応しく、俺は幼い頃から様々な教育を受けて育った。
父も、母も、兄たちも医療関係の道へ進み、俺も行く行くは医者になるのだろうなと、そうぼんやり考えていたものだ。
あの日、ウマ娘のレースを見るまでは。
「なんですって……?」
いつも温厚な母が、信じられない言葉を聞いたかのように眉を顰めた。
「だから、トレーナーになるから医者にはならない」
「マコト……!?」
半ば悲鳴のような声色で母が俺の名を呼んだ。
医者は、人様の役に立つ仕事だ。
常に人のことを考え、優しく生きなさい、と俺を諭して育ててきた母は、医療こそがもっとも人の心身に寄り添う職業だと信じて疑わない。
そして、その仕事に就くことこそが子の幸福になるのだとも。
他の職業を馬鹿にしているわけでも、差別しているわけでもなく、ただ医者の子供に産まれたからには、という意識が人よりも強かったのだと、大人になった今なら思える。
だが思春期に差し掛かり、感情の制御が上手くできなかった俺にとっては、そうではなかった。
口論を繰り返すうちに、父も母も、兄たちも、家族はみんな「医者になってから考えなさい」と異口同音に言った。
本業は医者であり、その傍らで副業としてトレーナー業をする分には良いだろう、という意味合いだ。
だがトレーナーを本業にしたい俺は、それに強く反発した。
自分で言うのもなんだが、ひとより勉強が得意だったことも、その反発心を後押ししていたのだろう。
俺はほぼ独学でトレーナーになるための勉強を重ね、ついには難関と言われている中央トレセン学園のトレーナーになった。
中央を選んだのは、その難しさがT大レベルと謳われていたこともあるが、それほど難しい試験を突破できれば、家族ももう俺の進路に口だししないだろうと解っていたからだ。
そしてそれ以上に、ここには、俺が憧れているトレーナーがいた。
それが、俺の面倒を見てくれることになった「
中央トレセン学園のトレーナーは常に人不足だ。
試験があまりにも難関だからか、合格者のいない年もあるほどで、新人トレーナーと言えど常に高い成果を求められる。
同期の幾人かは早々に担当ウマ娘を持ち、手探りだがトレーナー業を熟しているらしい。
俺はというと、日野さんのサブトレーナーとして彼から教えを請うことを選んだ。
日野さんは優れたウマ娘を何人も送り出しており、皇帝と呼ばれている七冠ウマ娘・シンボリルドルフからも一目置かれている。
彼の担当ウマ娘になるだけで箔が付くのだと、ウマ娘たちの間でも話題になっていると聞いた。
それに、日野さんはアメリカで研鑽を積み、トレセン学園内のどのトレーナーよりも先進的なトレーニング方法を取り入れている事で知られている。
最新を常に求め、知識の更新を怠らないのだ。
だが先進的すぎるあまり、有能なトレーナーであり、成果を出しているにも拘わらず度々ウマ娘に逃げられていた。
そんな日野さんだったが、今シーズンから6人のウマ娘を担当するらしい。
だが6人のウマ娘を平行して指導するのは難しく、その中でも特に基礎が出来上がっている1人を俺に任せてくれるそうだ。
「指導者の贔屓目抜きで、お前は他の新人よりひとつふたつ、頭抜けていると思う。その評価を本物にできるかどうかお前自身に掛かってるが……ま、頑張れや」
そう言った日野さんが俺の前に出したウマ娘。
それがサンジェニュインだった。
風に揺れる白い髪と肌。
彼女が持って生まれた白さ以外の色は、その瞳の蒼穹。
それが吸い込まれるほど美しく、俺はしばらく彼女をじっと見つめていた。
理由はわからないが、サンジェニュインの方もしばらく俺を見ていたように思う。
まさか、どうしてここに、と呟いていたので、どこかで会ったのかと思ったが、そうではないらしい。
けど何かを堪えるように瞳を閉じた姿には、何か秘密があるように思えた。
「……まあ、なんだ。これからよろしく頼むぜ、サブトレ!」
ニッ、とサンジェニュインが笑う。
サンジェニュインは見た目の涼しさや儚い印象とは真逆に、ハキハキと男勝りな言動で、そのギャップには驚かされた。
どこぞの姫様だ、高貴な生まれだと言われても納得できる出で立ちだったので、余計そう思えたのかも知れない。
目をぱちくりさせる俺を一瞥すると、日野さんは「こいつはすごく動くぞ」とため息交じりに呟いた。
その時の俺にはイマイチ意味がわからず、なんとも言えない生返事を返してしまったが、その言葉の意味は直ぐに分かった。
現時点の実力を見るために模擬レース場へと移動する最中 ── サンジェニュインが視界から消えたのだ。
さっきまで意気揚々と俺の目の前を歩いていたはずなのに!
どこにいった? と辺りを見渡すと、「んしょ、んしょ」と言いながら木によじ登っているサンジェニュインの姿が視界に飛び込んだ。
「ちょッ、ばッ、さ、さん、サンジェニュイン……!?」
「おお、見てくれよこれ! でっかい虫!」
「虫!? いやそうじゃねえばかばかばか! 危ないだろ降りろ!」
俺が慌てて駆け寄って声を掛けると、サンジェニュインは少し不満そうに唇を尖らせながらも、言うことを聞いてすぐに降りた。
動くぞ、の後に日野さんが重ねて言った「言うことは聞くぞ」というのも、間違いないではなかったらしい。
捕まえた虫を見せながらも俺の指示通り歩き出すサンジェニュインからは、どこかクソガキ染みた幼い雰囲気が漂っていた。
その後も気になることがあるとそちらへとフラフラ、あちらへフラフラ。
さらには他のウマ娘が近づくと隠れるようにパッと消えてしまうサンジェニュインを見て、俺は日野さんの忠告を理解した。
確かによく動く。し、言うことも聞く。聞くには聞くが……!
だがよくよく観察すると、サンジェニュインの行動は突飛だが、意味がまったくないわけではないようだった。
というのも、サンジェニュインが常に動き続けるのは、そこに留まると他のウマ娘が寄ってきてしまうからだとわかったからだ。
どういう原理なのかは分からないが、まるで花の蜜に引き寄せられるかのごとく、サンジェニュインの居る場所にウマ娘たちが集まってくる。
試しに5分間その場を動かないように頼むと、2分経つ頃には数名のウマ娘がその周りにたむろしはじめていた。
ピッタリ5分になる頃にはちょっとした待ち合わせスポットにすらなっている。
あまりにもスゴイ人数が集まるので、あわててサンジェニュインを抱えてその場を立ち去ることになった。
あの光景が毎度起きているのかと思うと、その場に留まらず動き続けるサンジェニュインの行動も理解できる。
「これは……確かに、常に動いてないとだめなやつだな」
俺がそう言うと、サンジェニュインは疲れたような声色で「だろ?」と言った。
そのやりとりが功を奏したのか、それ以降サンジェニュインとの距離がグッと縮まった。
「オレの名前、ちょっとだけ言いにくいだろ。短く呼んでいいぜ!」
「いいのか? ……じゃあ、サンジェで」
サンジェ。
そう口にして、妙に馴染むな、と思った。
それを思ったのは俺だけじゃなかったのか、サンジェニュインもむずがゆそうな顔で頷いた。
「……おお。改めてよろしくな、シバキくん!」
「いや
芝の里と書いてシバリ。
この珍しい名字を「シバサト」と読まれたことはあっても「シバキ」とは読まれたことが無かったので面を食らった。
サンジェニュインは人の名前を覚えるのが苦手なのか、たびたび俺をシバキと呼び間違えた。
けどそれ以外はなんの不満もない。徐々に慣れていけばいいだけの話なんだから。
俺たちは笑い合いながら、さっそくトレーニングを開始した。
「これはすごいな……」
日野さんが言った通りサンジェニュインは優秀なウマ娘で、あらかじめ日野さんから課せられていたトレーニングメニューを順当に
それどころか、貰ったメニューに対して「これを追加してほしい」と書き込んで日野さんに返す等、トレーニング内容の精度を高めることにも意欲的だった。
「坂路の使用頻度は3本固定でもいいな。4本はさすがに過剰だし」
「いいや2で十分だろ。お前室内のパワトレ重いんだからスタミナはそこらであげられるな?」
「あに言ってんだ日野トレ、坂路と筋トレじゃ同じスタミナの付き方はしないだろうがよ。オレはターフ専門なんだぜ」
「ダートレース固定にしてもいいんだぞスットコドッコイ。これ以上筋肉付けて脚ダメ増えたらどうすんだ」
「むむ……最悪芝に水撒くか……」
「よせ、また俺が理事長にどやされんだろうが。そろそろたづなさんに縄でふん締められちまう」
「それは芝」
「シメるぞてめえ」
日野さんの鋭い目つきや表情、言動にも揺るがず自分の意見をズバッと言う。
メイクデビュー前とは思えない堂々としたやり取りに、サンジェニュインが持つ強固なメンタリティと自負の強さが見えた。
……これはとんでもないウマ娘と関わることになったな。
もちろん、この「とんでもない」は、とんでもなく優秀な、という意味だ。
ジャージに身を包みながらも光り輝く彼女は誰よりも眩しい。
眩しい、のだが……そんなサンジェニュインにも苦手なものはあったようだ。
「ぐええっ」
「大丈夫かサンジェ!」
グラウンドから室内トレーニングルームに移動し始まったダンスレッスン。
レース後のウイニングライブを見据えて行われる大事なレッスンだが、俺はタオル片手に大慌てでサンジェニュインに駆け寄った。
視界の先にいるサンジェニュインは横に転がり、ぽろぽろと涙を流している。
まだ曲が始まって3秒ちょっと。
軽快に鳴り響く曲をバッグに、足が縺れ盛大にすっ転んだサンジェニュインを見て、俺は二の句が継げずにいた。
その最初の振り付けすらままならない様子に、一緒に見ていた日野さんも天を仰ぐ。
「サンジェニュインてめえ……マジでやべーな」
その言葉にサンジェニュインが呻き声を上げる。
日野さんは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえると、「こっちも特訓させねーとな」と呟いてサンジェニュインを立たせた。
その横顔がどこか不満げだったからか、日野さんが額をはじく。
アイタタタ、と額を押さえたサンジェニュインに、ため息交じりの日野さんが告げた。
「てめえ、せめて最初の一分くらいは踊れるようになれ。っていうかなってくれ頼むから。それまで走るなよ」
「そんなあ!」
イヤだよお、と日野さんの足に縋り付くサンジェニュインだが、日野さんはそれをスルーしてスマホを操作すると、その首根っこを掴んで歩き出した。
もちろん俺も慌ててその背を追いかける。
ブラブラと揺れるサンジェニュインの眉は悲しそうに下がり、思わず助けたくなる。が、我慢だ。
事情を知らないひとが見たら完全に日野さんが悪者だな。
「さっきカネヒキリとラインクラフトを呼んだ。ふたりにみっちり特訓してもらえ。これでダメだったら生徒会に突き出すからな、お前。シンボリルドルフとエアグルーヴ、どっちがいい? 選ばせてやる」
「どっちも厳しいじゃんかうわああん! この鬼!! ドS!!! サンデーサイレンス!!!!」
「誰が鬼でドSだ!!」
「うぅ……カネヒキリくんはまだしもラインクラフトちゃんは鬼怖いんだぞ! 絶対にシバかれる!」
「それ目的で呼んでんだろうが。お前は走り以外ももうちょっとどうにかなれ」
そう言い切ると、日野さんはたどり着いた部屋の扉を開け、サンジェニュインを放り込んだ。
そうして扉を閉めると、ドンドンと扉を叩くサンジェニュインに言い放つ。
「お前、ここから勝手に出ようとしたらヴァーミリアンとディープインパクト追加するからな」
「ヒエッ! ……助けてシバキく~ん!!」
悲痛そうな声で名前を呼ばれ、思わず扉に手を掛けようとしたところで日野さんの低い声が響く。
「芝里、お前が手助けしたらサンのサブトレから外すからな」
「ごめんなサンジェ!」
扉越しに手を合わせると、情けない声がひときわ大きく聞こえた。
「ヒィン ──……ッ!!」
サンジェニュインがダンス特訓を命じられてから数日。
俺は日野さんと共に特訓の成果を見ていた。
曲が掛かって3秒で床に転がっていたウマ娘とは思えないほど、サンジェニュインの技術は格段に上がっている。
容易く縺れてすっ転んでいたのが昨日のことのように思い出せるのに、今や完璧な脚捌きで踊るサンジェニュインは輝いていた。
廊下ですれ違ったラインクラフトに聞いた話では、最初の1日目で冒頭の1分間は踊れるようになっていたらしい。
才能を競走に全振りしたサンジェニュインのことを思うと、その成長スピードはかなりのものだ。
それだけでも十分驚いたが、もっと驚いたのはこの先のことだった。
「ここまできたら完璧に踊れるようになってやる、って言って、結局3日間くらいぶっ通しで特訓したんスよ。サンジェニュインちゃん頑固だし完璧主義みたいなところあるから、一度これだと決めたらやり遂げるまで絶対やめないんスよねえ」
おかげで自分らもへとへとっスよ、とラインクラフトが肩を竦めて言った。
確かにサンジェニュインの踊りは完璧だった。
普段は無表情か、怒っているか、不機嫌そうにみえる顔がデフォルトの日野さんが笑うくらい、その動きは洗練されて尽くしていた、と思う。
やるじゃねえか、と呟いた日野さんに対して、誇らしげに笑顔を向けたサンジェニュインがダブルピースを見せる。
その、手を抜くことを知らない生真面目さと、高みを目指し続ける貪欲さが、彼女の本質のすべてなのだろう。
「もう走って良いよな!?」
「……しゃあねえな。週1くらいはちゃんとダンスのレッスンも受けろよ」
「ッシャア!! カネヒキリくんと併走だァ!!」
ようやくレーストレーニングを再開したサンジェニュインを眺め、俺は拳を握る。
サンジェニュインのサブトレについてそう長くはない。ないが、その間に俺ができたことはほとんどない。
走るのと同じペースで成長するサンジェニュインを前に、俺は足踏みをしたまま遅れているのではないか?
こうして苦手なモノを克服して自分の物にした彼女を見ると、なおさら強く思う。
── 俺も、一歩でも前にすすまないと。
椅子の横におざなりに置いたリュックのなかにはトレーニングメニューが入っている。
だがそれは日野さんが作成したものではなく、俺が作ったものだ。
トレーニングにもダンスにも熱心なサンジェニュインに触発され、俺も彼女のためになにかできないか、そう考えてトレーニングメニューを自作するようになった。
それまでは、俺自身もトレーナーではあるが、メニューを組むのはチーフトレーナーである日野さんの役目だ、という想いが強かった。
サブトレの立場で勝手なことをするのは ── と、そう考えていたのだが、曲がりなりにもサブとはいえトレーナー。
俺も、俺のウマ娘の為に何かしたい。その気持ちが俺を突き動かしていた。
「何かを成すためには全力で取り組むべきだし、なんでもするべきだ。……不正以外はな!」
他でもないサンジェニュイン本人からそう背を押されて始めたメニュー作り。
そうして今日、俺が試作したトレーニングメニューを日野さんに出した。
だが日野さんはしばらく資料をパラパラと捲って中身を確認すると、眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「お前にはまだ早かったな」
絶賛はされないだろうとわかっていた。
だが多少の見所くらいはあるんじゃないか、と自負していただけに、アッサリ言われたことで俺はかなり落ち込んだ。
日野さんやサンジェニュインと言った優秀なひとたちに囲まれていたからか、すっかり自分もできる気になっていたのかもしれない。
自分自身が情けなくなって項垂れていると、通りがかったサンジェニュインが心配そうな表情で俺の顔を覗き込んだ。
ぽつり、と話し出すと、サンジェニュインは我が事のようにさらに眉を下げる。
でもにっこり笑顔を作ると、俺の手を強く握った。
「シバキ、芝里くん、聞け。初めてやるんだから最初は失敗くらいあるよ。けどここからだぜ、ここから!」
そう言って俺を励ますサンジェニュインに、ますます情けない気持ちになった。
俺はあくまでもサブトレだが、それでもやっぱりトレーナーの端くれではある。
トレーナーがウマ娘に心配をかけてしまうなんて情けない話だ。
けど、俺の手を握り、俺に笑いかけ、俺を励ましてくれたサンジェニュインの気持ちは嬉しい。
手を握り返して目を合わせ、それからニッと笑顔を作ると、サンジェニュインはどこかホッとしたようにふにゃりと笑った。
「……そういや、芝里くんが作ったメニューってどんなの?」
サンジェニュインにそう尋ねられたのは、その日のトレーニングが終わった後だった。
なんだか恥ずかしくなって見せるのを渋っていたが、実際にトレーニングを熟すウマ娘の意見も重要だと思い直し、俺は照れながらもメニューを見せた。
すると、それをじっくりと眺めたサンジェニュインは、表情を変えずに「ああこりゃ無理があるわ」と呟いた。
「無理がある……?」
「ウン、無理がある。それに、このトレーニングには目的が見えねえなあ。やりたいことはわかるんだけども」
トレーニングメニューをめくりながら、サンジェニュインはすらすらと話はじめた。
「これ、スピードもパワーもスタミナも、何もかも平均的に強いウマ娘を作りたいように見えるんだけどさ、作ってどうしようってんだ? 平均的に強いことが何をもたらすんだ? コレで出来上がるのは中途半端なウマ娘だけな気がすンだよな」
「ちゅ、中途半端……」
ぐさ、と言葉が突き刺さるような感覚だった。
サンジェニュインの指摘通り、俺は平均的に強い、もっと良く言うとオールマイティなウマ娘を育成したくてこのメニューを組んだ。
だがそのメニューに対して、これでは「中途半端」なウマ娘しかできないとサンジェニュインは言い切ったのだ。
「ヒトがそうであるようにさ、オレたちにも得手不得手がある。そこまではわかるよな? 芝を得意とする者、砂を得意とする者。先行が得意な者、追込が得意な者。……例えば、逃げに適性があるウマ娘に追込用のメニューを渡してなんになる? むしろ得意なところを削っているだけで、ある程度追込ができるようになったって、それでは追込を得意の戦法とするウマ娘には敵わない。できあがるのは、逃げも追込もまあまあなヤツ」
そう言葉を繋げて、でもサンジェニュインは「ま、オレの持論だけどね」と続けた。
「芝も砂も、先行も追込も、平均以上に熟せるウマ娘もそりゃあ存在するけど。そんなのほんの一握りの天才なわけじゃん。最初からそういう天才だとわかってて育てるならまだしも、そうじゃないならこれは……少なくともオレは、このメニューで強くなれるとは思えないんだよ。少なくとも、『オレのための』メニューではねえよな」
キッパリと言い切ったその言葉に、俺は、想像以上にショックを受けていた。
目的が見えないメニューだとしっかり言われたのもあるが、たぶん一番ショックを受けたのは「『オレのための』メニューではねえ」とサンジェニュイン本人に言われたことだ。
俺はサンジェニュインのためにメニューを作った。作ったつもりだった。
けどこれじゃ本人が強くなれないと言い切って、それで、今の俺には彼女を強くしてやるメニューを作れないって事実が、ひたすらに辛かった。
「……芝里くんさ。オレはターフを走るぞ。そんで距離は長めがいいな。2000メートル以下は考えてない。長過ぎるのは向かないかなあ。でもこのメニューに沿うと、オレのメイクデビューはマイル戦になりそうだよな。が、2000以下のレースは模擬でも未経験で、何よりマイル戦で重要になるスピードが、このメニューでは育ちきらないぞ」
「それは……」
淀みなく指摘を続けるサンジェニュインは、普段の柔らかさとはまた違う、理性に満ちていた。
「芝里くんは、オレをどうしたいんだ?」
「え?」
蒼穹の瞳が、俺を射貫く。
「ほどほどに強いウマ娘にしたいのか、それとも ── 頂点に立つウマ娘にしたいのか」
ゴクリ、と唾を飲み込んだ。
サンジェニュインの瞳が爛々と光って見える。
俺はそれを見つめながら、静かに口を開いた。
それを見たサンジェニュインは、にっこり、笑っていた。
あの日から俺は、サンジェニュインの指摘に沿って寝ずにメニューを修正した。
目標は中距離戦。芝。戦法は逃げで。
メイクデビューは冬、暮れの阪神レース場を想定する。
長く使われ、芝が立って荒れたバ場が脳裏に浮かぶ。
だが阪神の芝は中山ほど荒れない傾向だ。良バ場でパンッと張る固めの状態に落ち着くだろう。
ハナに立つウマ娘次第では高速レースになることも想定される。
だからスピードを上げて、スタミナとパワーには余裕があるから柔軟性を優先順位2番目に。ゲート練習の頻度はこれくらい。
そうやって何度も何度も試行を繰り返して、ようやくまとまった資料を手に、俺は日野さんのもとを訪れていた。
「もう1回チェック、お願いします」
「……あと1ヶ月はこないかと思ったぜ」
ニヤリ、と笑った日野さんは、俺のトレーニングメニューを受け取った。
その後の数分間は、生きた心地がしなかった。
前回よりもじっくりと読まれ、時々考えるように手が止まる日野さんの姿は、正直心臓に悪い。
何を言われるかわからない。
わからないが、前回よりはまともになっているはずだ。
少なくとも独りよがりじゃない。ウマ娘のことだけを考えたメニューだ。
緊張で手汗を滲ませた俺をチラッと見て、日野さんは鼻を鳴らして口を開いた。
「いいんじゃないか」
「えっ」
あまりにもアッサリしていた。
聞き間違いかと思って日野さんを見つめ返すと、彼はまた笑った。
「なんだ、却下されたかったのか?」
「いやいやっ! でも、えっ、いい、ですか!?」
「おお。まあ荒削りなところはあるけど、悪かない。よく練られてるし、目的もハッキリしているし。……これ、クラシックが入っているな」
疑問点ではなく、ただ決まったことを繰り返すように言った日野さんに、俺は食い気味に頷いた。
そう、そこがポイントだった。
サンジェニュインと過ごしたわずか数日で、このウマ娘はきっとGⅠを取れる、と確信した。
夢とか妄想とかじゃない。
大地を抉るしっかりとした足。
ゴールをひたむきに目指し、道中変異を受けても揺らがないメンタリティ。
模擬レースを担当する教官たちから寄せられたフィードバック。
期待するには十分な要素を、何物でも無い確信に変えたのは、サンジェニュインのあの言葉。
── 芝里くんは、オレをどうしたいんだ?
── ほどほどに強いウマ娘にしたいのか、それとも ── 頂点に立つウマ娘にしたいのか。
俺の答えはもちろん、頂点に立つウマ娘にしたい、だ。
花のように笑った彼女にいつか、GⅠの優勝レイを掛け、おめでとうと言いたかった。
俺が作ったトレーニングメニューでサンジェニュインのトレーニングを行うようになって数ヶ月。
いよいよ、待ち望んだ日がやってきた。
「アイツもメイクデビューか」
「……はい」
漆黒のスーツに、白衣のようなロングコートに身を包んだ日野さんが、感慨深そうに呟いた。
「学園の敷地内でぶらついてたヤツを拉致ったのがつい昨日のようだぜ」
「はい……はい?」
今聞き捨てならないことが聞こえたような。
「シーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリにヴァーミリアン。他のやつは秋までにはメイクデビューに挑んだが、アイツの、
「いやさっきの……ああ、はい、そうですね。夏頃には出せるかと思いましたが、本人は12月が良いと、頑なに言うもので」
12月の2000メートル戦がいい、と先に言ったのはサンジェニュインだった。
元々2000メートルのレース自体が秋以降に多いこともあり、それに合わせてトレーニングを行った結果、サンジェニュインのメイクデビューは12月の第1週。
それも、トレーニングメニューを練る際に想定として使用した、阪神レース場でのデビューだ。
時間を掛けた分だけ、サンジェニュインは完璧になっていく。
メイクデビューではすべてのウマ娘が等しく体操服に身を包んでいるが、その中にあってサンジェニュインの輝きは陰ることを知らない。
ひときわ眩しく光って、その姿は調子の良さを見せていた。
耳を澄ますと、あちらこちらからサンジェニュインを称える声が聞こえる。
曰く、なんという美しさ。
曰く、なんという仕上がり。
曰く、なんという迫力。
尽きることのない称賛をゴール後も浴びるために、サンジェニュインはトレーニングを積んだ。
断言しよう。
このレース、もっとも美しく、もっとも強いのは他の誰でもなく ── 俺のウマ娘であると。
「芝里くん」
サンジェニュインが俺を呼ぶ。
憂鬱さを知らぬ明るい声。
俺をまっすぐに見つめ、ゆるりと口角を上げた。
陽の光を受け、その輪郭を縁取る金色。
伸ばされた彼女の手を包み込み、俺は、まじないを掛ける。
「 ── 今日も、お前は最高だ」
ふっと響いた言葉が、俺の本音のすべてだった。
頑張れ、頑張れとどこからともなく応援が聞こえる。
それが自分と世代の近い新人トレーナーの声だと気づいて、俺は小さく拳を握った。
みんな緊張しているんだろう。
祈る声が重なり合う中で、俺は冷静だった。
元々緊張しない性格なのもあるが、何よりサンジェニュイン本人に常日頃から「心配するな」と言われていたのもある。
それに、俺が緊張したってどうにもならないことだ。
レース本番には、トレーナーは関われない。
あとはウマ娘自身が蓄えたすべてを放つだけ。
だから俺にできることは、あとは信じて待つことだけなのだ。
視界の中央、ゲート入りするサンジェニュインを見つめながら、俺は拳を握り直した。
その時、ふっと、サンジェニュインの言葉が脳裏をかすめる。
レース前、俺の手を握り返したサンジェニュインが放った、光。
「芝里くんは全部やってくれたよ。……今度はね、オレの番だ」
オレとお前で作り上げたもの。
鍛え合ったもの。
結び合ったもの。
「オレたちが積み重ねた価値を、さあ ── 証明しよう」
サンジェニュインの白さを、太陽の光が縁取りする。
俺のウマ娘は、誰よりも美しく、ターフを駆け抜けた。
芝里マコトくん
独学で中央トレセン学園のトレーナーになるヒト族
人体とウマ体の構造ってたぶん違うから医者家系でもトレーナーの道選ぶって並大抵の選択肢じゃ無さそう(小並感)
この後弥生賞でトラウマできてしばらく休業するとかなんとか
日野静さん
ボサボサの髪とくたびれた白衣を着てる
サンジェからボサボサの髪に耳が埋まってる、白衣の下に尻尾がある、と狙われてる
一般ヒト族のはずがなぜかウマ娘と併走ができるらしい
サンジェニュイン
俺たちのぽんこつウマ娘
前世がある分自分の適性を知ってるのでズレないように発言してるだけだが(脳直)
ちょろっとアドバイスしただけで芝里くんがすぐにメニュー練り上げてきてスゲエと思った
弥生賞で倒れて目覚めたらまた芝里くん離脱してて「シバキ~~!!!!」ってなった
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
-
エアグルーヴ
-
ハルウララ
-
ウオッカ
-
カレンチャン
-
海外牝馬組