美貌バいろいろ   作:SunGenuin(佐藤)

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あのKGVI&QESで芝木くんもサンジェも早世した世界線の話。
希望はめちゃくちゃある話です。


ところで凱旋門賞悔しくない????


【IF】【馬】それでもきみがすき。

 2006年7月29日。

 イギリス・アスコット競馬場で催されたKGVI&QES ── キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス ── は晴れ渡る青空の下で始まった。

 時の女王陛下にご臨席賜りしその善き日は、しかし、引き返すことのできない悲劇を伴って終わりを告げた。

 

「と、……とんでもないことが、起きて、しまいました。サン、サンジェニュイン、サンジェニュインが落馬! 先頭サンジェニュインが手前カーブの途中で落馬です! ……脚元から崩れて、投げ出された芝木騎手はまだ起き上がりませんが……ッサンジェニュインは起きました! 起きて、歩いています、歩いてる様子も見えます、が、これは……」

 

 後続に15馬身以上の差をつけて走り出した1頭と1人が、命の曲がり角で立ち止まっていた。

 劈く歓声は一瞬の沈黙を産み、けれど同じくらいの悲鳴に変わって響き渡った。

 たった1頭起き上がった白毛はふらつきながらも、それでもなんとか歩き出そうと、四肢を懸命に張って1歩、また1歩と前へと進む。

 もう少しで後続がその姿を捉え切る一寸前、白白とした雄大な馬体が彼の騎手を跨ぐように立ち塞がったのを、2番手で追いかけていた騎手が目にした。

 弱々しさなど微塵も感じない。

 立ち昇る光は眩しく、言外に訴えている。

 

  ── これを踏ませはしない。先頭を譲っても。

 

 ジロリと、けれど確かに青い目とかち合ったのだと騎手は語った。

 そうして返事の代わりに手綱を操る。

 夏日に光る白さを目印に、駆ける人馬たちが真横を過ぎていく。

 栄光への道すがらに止まりながらも光を失わない、その馬の瞳がライバルたちの背を追った。

 もう届かない。

 間に合わないし、駆け出すこともできない。

 だって脚が動かない。

 呼吸も荒く、落馬の影響はじわじわとその身体を蝕む。

 耐え難い絶望の最中、母国とは比べようもないほど涼しい夏の日差しだけが、馬を静かに照らしていた。

 声が遠のいていく。

 人馬を追いかけるその声が。

 戦いから爪弾きにされた1頭と1人を残して過ぎ去る。

 それでもたったひとつ。側に残った声を、馬は確かに聞いた。

 

「さ……ジ、ェ……」

 

 風に紛れて響いた掠れ声。

 柔らかく、重い芝に落ちたその呼びかけ。

 馬を呼ぶ、一途な、どこまでも一途なそれに耳がピンと張った。

 レース中は一度たりとも項垂れることのない白い首が下がる。

 荒く上下に動く胸に鼻先を寄せながら、名を呼ばれた馬は嘶いた。

 眼前の人間がこぼした声よりも何倍も大きく、何十倍も強く、何百倍も高らかに。

 

「ヒン、ブヒヒン、ブルフルィーン!!」

 

  ── 大丈夫、大丈夫だよ、大丈夫だから!!

 

 騒然とする外野を横目に、馬は歯を出して笑う。

 元気さを見せるように前脚を揺らすと、白い頭絡がカシャリと鳴った。

 騎手は、狭まって淀んだ視界から()()()()()を見つけると、安堵したように息を吐き出す。

 瞬間、胸が痛んだ。それだけでなく身体の全てが、共鳴するように軋む。

 ああ、限界が近い、とろくに動かない頭でもぼんやり、理解する。

 頭を強く打った。同じ強さで全身を打った。

 無事なところなどなにひとつない。

 明らかに限界の淵に立っている男を救わんと、大勢の人間がその周りを囲んだ。

 用意された担架に男が乗せられ、横付けされた救急車で遠くへと運ばれていく。

 車のエンジン音にも怯えることなくその様子を見つめていた馬は、手綱を持たれずともまっすぐ顔を上げて、走り去っていく車を見送った。

 柔く温かな生命を持つ背から投げ出され、鉄の塊で遠く駆け抜ける相棒の背を、じっと。

 遠くからはこの戦いの勝者が誰であるかを告げる、厳かな声が響いていた。

 

 その直後だった。

 

「サンジェニュインッ!!」

 

 誰が叫んだのか。

 それはわからないが、呼ばれた馬の方へと人々の視線が集まってすぐ、誰もが目を覆った。

 ズシャ、と命の崩れた落ちた音が、その場を支配した。

 ああ神様、と異国の祈りが聞こえはじめて、慌てたように人間たちが動き出す。

 止まない喧騒を横目に、馬は荒い鼻息を漏らしながら、それでも小さく身体を揺らし、異常のない眼球を忙しく動かした。

 駈ける時、より体重がかかる前脚に目立った傷は無い。

 しかしその右後脚は見るも無残で、馬体に対して頼りなく付き従っているだけだった。

 こんな有様でさっきまでよく立っていられたと、それどころかよく歩いてみせたと誰もが、馬でさえ思うほどの脚が、この命の終わりを確かに告げる。

 

 だって脚は、馬の第2の心臓。

 

 起き上がれなくなった者の末路は知れている。

 だからあの時、騎手は喜んだのだ。

 傷のない脚を、かろうじて何もなかった前脚を見て心底、安堵したのだ。

 よかった、無事だった、せめて馬だけでも残ってくれる、と。

 そう確信しての一息は、すべて、馬が騎手に心配をかけまいと取り繕った姿に過ぎないけれど。

 馬もまたわかっていたのだ。

 自分が無事であると男が思ってくれないと、男がろくに治療を受けやしないとわかっていたからこその、行動だった。

 

 ざわめく観客の目の前で、しめやかに、黒い幕が張られていく。

 関係者の腕章をつけた男たちは、厳かにも感じるほどの動きで幕内を取り囲んだ。

 馬運車にすら乗れない馬は、周囲のどよめきのはるか外側で、横たわったまま空を見上げた。

 その鼻から短い息が、1度、2度、3度。

 嫌味なくらい綺麗な、異国の空。

 黄味掛かって見える視界からでさえ青々しいソレが、馬の瞳をより一層青く見せる。

 キラキラと光る、宝石にも優る双眼は、今はただ、ただひたすらに悲しげに揺れていた。

 

「サンジェニュイン……サンジェニュイン……!!」

 

 人混みを掻き分けながら進む厩務員の口からは、ただその8文字だけが溢れていた。

 普通じゃないその顔と、声色と、呼び続ける名前を聞いて皆が道を開ける。

 幕内で横たわった馬にも届く悲哀が、あたりを満たしていた。

 

 やがてたどり着いた幕の前で、厩務員は拳を握った。

 この奥にいる。わかっている。

 捲って中に入って、それから、それから?

 上下する肩に、誰かが手を置いた。

 

「ミスター……」

 

 ネックストラップに走る獣医の文字が、厩務員の頭を冷やしていく。

 深い言葉はいらなかった。

 もうだめだ、手遅れだ、楽にしてあげよう、なんて。

 そんな副音声が言葉なしに伝わったから。

 別れの時間すら用意されない。これまでを振り返る余裕だってない。

 それでもせめてこれだけは、と、今もひどい痛みの中にいるだろう馬へと、最期のハグを。

 

 ゆっくり開かれた幕内へと足を踏み入れる。

 馬体全体が荒く上下し、ぶくりと立った白い汗が触れなくてもわかった。

 白毛の隙間からピンク色の地肌が浮き彫りになる。

 痛みが熱となって酷く心臓を叩いているのが素人目にも理解出来てしまった。

 

 ああ、ああ、……ああ、神様!!

 

 そんなものはいない。信じてこなかった。

 けれどどこか、心の奥側でいて欲しいと信じていた。

 

「フルルーン……」

 

 頼りない鳴き声が、厩務員の意識を現実へと引き戻す。

 弱気に揺れる瞳を見て、すぐさま膝をついて抱きしめた。

 短いような、長いような、やっぱり短いとしか言えない2年と少しの歳月が、1人と1頭の間に濃密に漂う。

 

「ごめん」

 

 と言いたかった。

 けどそれ以上に。

 

「ありがとう」

 

 と言いたかった。

 

 こんな別れをするために育てたわけじゃない。

 当たり前だ。誰だってそうだ。こんな、こんな最期のためになんて。

 いつか穏やかに去るものだと思っていた。

 大勢の関係者に見送られ、華々しいタイトルを大事に抱え、北の大地へと帰りゆくのだろう、と、そんなことを。

 けれどそうはならなかった。

 タラレバに逃げて慰められる時間すらここにはない。

 あるのは引き返せない悲劇と、取り戻すことのできない願いだけだ。

 喉まで迫り上がってきた嗚咽を殺し、唇を硬く結んでいるうちに、厩務員の肩に再び手が置かれた。

 ミスター、楽にしてあげましょう、もう辛いですから、と異国の言葉で。

 瞬きの合間に過ぎた時間を惜しむように、厩務員は、愛情全てを詰め込んで、力一杯に叫んだ。

 

「サンジェニュイン……!!」

 

 その瞬間、馬の瞳に活力が戻った。

 あれほど力なく揺れていたのが嘘かのように、ギラギラと光り始める。

 そうして少しだけ顔を上げて、ヒィン、と短い言葉を返した。

 それが、厩務員・目黒康史が最期に聞いた、サンジェニュインの肉声だった。

 

 

 

 

 防疫の観点から遺体を持ち帰ることは叶わず、サンジェニュインは異国の大地で永遠の眠りについた。

 騎手を守って立ち塞がった姿や、騎手を見送ってから力尽きた最期は、現地で多くの人々に衝撃を遺し、その瞬間を切り取った写真は数々の賞を受賞する事となる。

 ついには時の女王陛下より競馬場施設内に墓標を立てる許しまで賜り、その事に管理調教師である本原は感謝の気持ちを返すと共に、言葉を残した。

 

「人が馬を愛する時、馬もまた、人を愛してくれるのでしょう」

 

 縁ある馬も人も、知る者もいない異国で1頭眠るのは心細いだろうと、せめて慰めにと常に多くの花々がその墓標を飾り立てる。

 人が好きな馬だという。

 愛されることを知っている馬だという。

 望まれた命の灯りとして生まれ、喜びの中を進んできた。

 悲しいこともあった。

 辛いことも、悔しいことも、やりきれないことも。

 それでも馬は生きた。まっすぐ生きた。

 見果てぬ大地の向こう側を目指し、途切れることない空の彼方を越えて、深く沈む海にさえ挫けることもなく。

 

 建てられた小さな銅像に、誰が被せたのか美しい花冠が陽射しを浴びて輝いていた。

 花が枯れることはない。

 いつだって誰かが彼のために花冠を編み、捧げるから。

 

 後年、その異国の大地でサンジェニュインは、こう呼ばれる。

 

  ── 最愛の馬、と。

 

 

 こうしてサンジェニュインが虹の橋を渡った1ヶ月後。

 亡骸から切り離された鬣と蹄鉄だけがひっそりと日本に帰ってきた。

 ささやかながら葬儀まで執り行い、その後、本原調教師、目黒厩務員、40人いた一口馬主と生産牧場である社来ファーム・陽来、そして数少ない僚馬へとそれぞれ形見分けされた。

 各競馬場には献花台が設置され、1日で5千件近い記帳が成される等、多くのファンがサンジェニュインとの別れを惜しんだ。

 

 それからさらに半年。

 意識不明の重体となって治療を受けていた騎手 ── 芝木真白は、治療の甲斐も虚しくこの世を去った。

 享年22歳。

 サンジェニュインと出会って花開き、共に世界を切り拓いた青年。

 

「今頃天国で1人と1頭、楽しく走っているのかもしれません」

 

 涙を押し通して語った遺族の言葉を最後に、世界を沸かした白毛伝説は、こうして幕を閉じた。

 

 

 ── はずだった。

 

 

 

 

 初めから記憶があったわけじゃない。

 どこか既視感があるような、そうじゃないような、曖昧な感覚はかさぶたのように残って、10歳の少年から子供らしさを失わせた。

 だが一際寛容な両親は、それも個性だ、と深く気にも留めず、少年にとって好きなものが、夢中になれるものが見つかるよう、あらゆる体験をさせた。

 勉強、絵画、サッカー、野球、ラグビー、陸上、エトセトラ。

 そうして2016年の夏。

 イギリス王室ゆかりの地をめぐるツアーの一環でアスコットを訪れた少年は、これまでの既視感の正体を()()()()()

 

「サン、ジェ……?」

 

 多くの人間の手が触れ、緩やかに変色したその銅像が誰だか知っていた。

 堂々と掲げられた英字を、なぞる必要も、読み上げる必要もない。

 その顔を、その佇まいを、その愛され方を知っている。

 他の誰でもなく少年こそが、少年の思い出こそが、全ての答えだった。

 

「死んだのか、サンジェ」

 

 あの日、あのレースの後、その手のひらから離れていった真白の愛馬。

 傷はなかった。どこにもなかった。()()てくれた。

 大きく、大きく。

 だから。だから大丈夫だろうって、そんなことを思いながら手放した意識の果てに、残酷な現実があった。

 

 少年は、かつて『芝木真白』と呼ばれていた幼い少年は、温度のない銅像にしがみついて泣いた。

 言いたいことは山のように溢れてきたけど、言えることも、言える相手も、もうどこにもいない。

 かわりに大きな泣き声があたりを満たす。

 困惑する両親がその背を撫でても泣き止むことはなく、ただ、今になって思い出した全てに、絶望していた。

 

 

 サンジェニュインという馬がどういう馬だったのか。

 わかっていたつもりだった。

 あの中山競馬場の芝生に投げ出された時。

 起き上がったばかりの馬の目を見た時。

 引き留めるように袖を食まれた時、わかりきっていたはずだ。

 

 サンジェニュインは優しい。

 

 馬よりも長く人間と共に育ってきたからか、人間に一際好意的で愛想が良く、困らされた記憶はほとんどない。

 本当に馬かと疑うほど賢くもあったから、きちんと指示を出せればその通りに走る。

 ただ馬込みだけが苦手で、減速も、引き下がることもできないだけで。

 気性も荒くはない。

 馬房で暴れたこともなければ、わざと傷を負わされたことだって無い。

 ペース配分を怠り落馬した弥生賞と、コーナーカーブの鋭さを見誤ったKGVI&QESだけが例外だ。

 前者は怪我もなく衰弱状態から比較的短時間で復活し、後者は取り返しのつかない終わりとなった。

 

 でも、芝木真白は落馬した後もそこまで不安に思っていなかった。

 サンジェニュインは生命力が強く、ハイペースで脚を酷使した菊花賞でさえ筋肉痛で済んだほど身体が頑丈で、だから。

 だから大丈夫などと楽観的に思ってしまった。

 競馬に絶対などない。

 大丈夫も通じないなんて、わかっていたはずなのに。

 馬自身の高らかな嘶きが、確かに踏みしめた脚が、芝木の側まで歩いてきた事実が、その思い込みの背を押した。

 そんな迂闊さだから、みすみすサンジェニュインを1頭で死なせてしまったと、深く後悔している。

 もう遅いけれど。何一つ戻らないけれど。

 

 泣き止んで、ホテルに戻って、こっそり開けた父のスマートフォンで検索した。

 芝木真白と、過去の名前を、罪人の名前を、怒りを込めて打ち込んで開かれたページに、さらに後悔が募る。

 享年22歳。死亡したのは明けて2007年。

 

 ── ああ、サンジェニュインから半年も間を空けて死にやがって。

 

 どうせ死ぬなら競馬場で、サンジェニュインが死んだ競馬場で同じように死にたかった。

 だってそうすればサンジェは1頭ぼっちじゃない。

 あの世へと続く道を1頭だけで歩いていく必要もなかったのに。

 

 見慣れぬ土地で、大好きな目黒さんにもテキにも近藤さんにももう会えず、見慣れぬ人間に取り囲まれて迎えた最期は。

 どんなに怖かっただろう。

 どんなに寂しかっただろう。

 どんなに悲しかっただろう。

 寂しがりやな馬だったから。

 人間と共に生きることを喜べる馬だったから。

 砕け散った後脚の痛みに耐えながら、たった1頭で散ったのだと思うと、何もかも耐えられなかった。

 

 ああ、ああ、一緒に死んでやりたかった!

 

 競馬場内で、その傍で、息を止めていたかった。

 心中すると誓ったのに。沈む時は一緒だと約束したのに。

 サンジェニュインだけ沈ませて、自分は必死に治療してもらってその末に死んで。

 あまりにも無力で、あまりのも遣る瀬無い。

 そのやり切れなさを引きずったまま眠り、目を覚ました。

 これまでなんとも思ってなかった朝陽が、今更になって目に染みる。

 眠気まなこで立った鏡の前で、かつて青年だった少年が深呼吸をした。

 

 茶金の髪。深緑の目。薄いそばかすと青白い肌。

 10歳の自分。芝木真白とは全く似ていない顔。

 競馬サークルと一切関わりのない両親。

 親戚にだって知り合いにだっていない。

 それでも引き継いだ前世の記憶が何を意味するのか。

 

 ── 未練だな。未練しかないな、全部。

 

 誰にも告げずホテルを飛び出した。ポケットにお小遣いの入った財布を入れる。

 セキュリティには止められなかった。マムにサプライズの花を買うんだと言えばにこやかに送り出される。

 このホテルからアスコット競馬場へは約3キロの距離。大丈夫、子供の足でだって歩いていける。

 驚くほど滑らかに話せるようになった英語を使って、競馬場すぐ横の花売りから1輪、花を買った。

 昨日訪れたばかりのサンジェの墓標は綺麗に整えられていて、隙間に砂埃ひとつなくそこにあった。

 誰が管理しているのか、よほど責任感があるか、よほどのファンだろうか。

 この馬がどれほどの困難の中走ってきたのかを知る由もない現地の人が、それでもこれほど大事にしてくれていた。

 死んでから10年。

 絶えることなく美しく磨いてくれたことを、少年は心から感謝している。

 

「……サンジェ、お前、こっちでは【最愛の(BELOVED)】って呼ばれてるらしいな」

 

 小さなブロンズ像が褪せている理由は、みんなが馬を、お前を撫でるから、お前を抱きしめるから。

 

 最愛の。最愛の、馬。少年の愛馬。少年の相棒。

 共に駆けてきた、瞬くような時間がこの一呼吸の間に過ぎていく。

 お前の馬生で唯一、完走できなかったこの舞台を、サンジェニュイン、お前は許せているのだろうか。

 ……いなさそうだな、だってお前は、負けず嫌いだったから。

 

「痛かったろうなあ。寂しかったろ、悲しかったろ、なあ、サンジェ」

 

 ごめんな、一緒に逝ってやれなくて。

 

 引き攣った喉が、少年にその続きを言わせなかった。

 まるでサンジェニュインが堰き止めてるかのような、そんな気がしてしまって涙の膜が張る。

 

 お前はいつも優しかったから。

 弥生賞も、少年(おれ)を責めもしないで変わらず乗せてくれようとして。

 少年(おれ)少年(おれ)を責めるのを嫌がるお前を思い出してしまったから。

 だから少年はもう、芝木真白をなじることができない。

 

 どれほど蹲っていたのか。

 気づいたら風が冷たくなっていて、少年のポケットは激しく振動していた。

 ジーンズの右ポケットに押し込んでいたキッズ用スマホが着信を告げる。

 ああ、ごめんなさいマム、うん無事だよ、何事もないから。

 そこを動かないでちょうだいね、と優しい声色に頷いて、少年はまた立ち尽くした。

 もう少ししたらここに両親が来るだろう。

 安全のためにインストールされている位置情報アプリで、少年の所在地などとっくに知られているはずだ。

 怒られるだろう。1人で外に出るなんて馬鹿なことを、と愛情を込めて。

 そして無事であることを喜ばれるのだ。かつて少年が別の少年だった時と同じように。

 

「……なあ、騎手になろうと思うんだ」

 

 馬をダメにした奴が何をと思うかもしれないけど。

 ……いや、いやサンジェニュイン、お前なら『馬をダメにした』などとは思わないんだろうな。

 誰に話すわけでもなく、それを知っている。

 少年は思わず漏れた笑みを崩して、遠い日々を夢想した。

 全てが鮮明に思い出せる。

 はじめてのレース。惜敗の、あの瞬間の悔しさ。

 はじめて勝った時の高揚感と、重賞に挑んだ時の楽しさ。

 失うことの怖さを乗り越えて再び手綱を取った時の、あの澄み切った感情のことを。

 

「そこにお前はいないけれど」

 

 だけど騎手になろうと思う。

 サンジェニュインが勝ち得なかったもの、届かなかったもの、終われなかったもの。

 追憶の彼方へ、届かぬ場所にいる太陽へ、あの日の結末を知らない馬のために、最後まで。

 険しい道になるだろう。

 子を愛する、どこにでもいる普通の親ふたりは不安になるだろうし、苦労もかけるだろうし、反対だってされるかもしれないけれど。

 どうしても騎手になりたいと思った。

 どうしようもなくターフに還りたいと思った。

 薄い靴底はきっと、アスファルトを踏破するためにあるのでなく、鎧に足を掛け、グリーングラスを踏み抜く馬と共にあるべきだった。

 そう思い知った。だから。

 

「……ねえマム、俺は騎手になるよ」

 

 必死に駆けてきただろうふたりがその言葉に顔を見合わせる。

 子供らしくない子供のために、この親がどれほどの労力を費やしてきたか、わかっていた。

 いたけれど、でも、ごめんなさい、どうしてもそれがいい。

 それになりたい。

 それにならなくてはならない。

 それになるために、きっと、この命があると知ってしまった。

 

 固く結んだ拳を、両親が揃って包み込んで、そして笑って口を開いた。

 

「応援するわ、あなたのなりたい未来だもの」

 

 でもこういう危ないことはしないでちょうだいね、と抱きしめられる。

 その温度が今までどことなく怖かった。

 知ってるようで知らない温度だった。

 けど今ならわかる。

 この温度は、愛だ。

 

 

 

 この6年後、16歳になる2022年。

 少年は両親の支援を受けて地元の調教師を見つけ、彼の元で見習い騎手としてデビューし初勝利を挙げた。

 翌2023年には見習い騎手の勝利数2位にまで浮上し、注目の若手騎手として目される様になる。

 イギリス、フランス、アイルランド、香港と4つの国を渡り歩きながら、2025年。

 青年となった彼は1頭の馬と出会った ── いや、再会した。

 

「突然変異なんだ。ほら、知ってるだろ? オーナーが日本に牝馬を送り込んだのは。レースが気に入ったんだって、ここで走るかもわからないのに。日本馬でつけるならコントレイルの方がいいって言ったんだけどさ」

 

 曰く、一目惚れでの種付け。

 日本に送った牝馬が受胎して帰国し産んだ、持込馬。

 その牝馬は艶やかな栗毛馬だった。

 現役時代は未勝利1勝とリステッド1勝。

 重賞勝ちを成し遂げたわけではないが、前姉がG1馬を2頭輩出した優秀な繁殖牝馬だったことで繁殖入りした。

 父系はガリレオ。牝系からも多数の重賞馬を出している有名どころ。

 

 対する父はG1・3勝で年度代表馬にもなった。生涯戦績は11戦6勝。

 皐月賞を勝ったのちダービー2着、3歳で天皇賞・秋、有馬記念を制するなど、若いうちから活躍が見込める血統も気に入ったらしい。

 配合するとサンデーサイレンス、サドラーズウェルズ、ブラッシングアウェイがそれぞれ4×5と重さはさほどなく、生まれた仔が牡牝どっちにせよ配合相手に困ることはほとんどないと見込んでもいた。

 

 そうして望まれた命の灯りを伴って生まれた馬は、突然変異の白毛だった。

 

 純真さを模ったような艶やかな毛色。

 空を解かしこんだような蒼穹の目はまるく。

 鼻先はほんの少し地肌が透けてピンク色の、その馬を。

 

 知っていた。

 この馬を、ずっとずっと、前から、知っていた。

 知っていたし、忘れなかったし、忘れたくなかった馬。

 会いたかった。会いたかったんだずっと。

 目の前にいることが信じられないくらい、ああ、知っていた。

 

 周りの大人たちが彼を一斉に取り囲む。

 どうした、何があった、と慌てふためく彼らを見ても涙は引っ込まない。

 それほどの衝撃を受けた。それほどの喜びがあった。

 

 ああ、ああ、こいつは。この馬は!

 

「ブルルン!!」

 

 力強い嗎きが青年を肯定する。

 

 そうだ。そうだとも。

 なあ少年、教えてやろう、俺は。俺の名は。

 

「BELOVED SUN」

 

  ── 最愛の太陽。

 

 

 

 時を経ても、姿形が変わっても、名前が変わったって。

 

 それでもきみがすき。

 

 

 

 






本編が「(きみが死んでも)ずっとすきでいる。」ならこれは「(きみの姿や名前が変わっても)それでもきみがすき。」

この世界線ではイサノちゃんは独身だし目黒さんは厩務員を辞めないし本原先生も頑張ってテキやってる
ヒト族はみんな前向きに明日を見つめている
しかしハーツクライさんはめっちゃ心に傷を負った
ずっと番手で付いていたので全部見えていた
だから意地でも血統表に載ってやる!!!!(載った)


かつて芝木真白だった少年
イギリス生まれイギリス育ち
クソ重最期を完璧に引き摺ったまま人生二周目スタート
環境ガチャは最高レアを引き当てのびのび育つ
部屋には中古オークションを通じて手に入れたサンジェニュインぬいぐるみとかがあるらしいよ
この後めちゃくちゃ(1人と1頭で欧州競馬を蹂躙)した。

かつてサンジェニュインだった馬:BELOVED SUN (ビーラヴドサン)
イギリス生まれイギリス育ち種付は日本
父エフフォーリア、母架空馬(血統モデルはシリウェイ/サンウェイ兄弟)
ぐえ〜芝木くんが轢かれる!!守んなきゃ!!と思って意地で歩いたし
こんな終わりってありかよ〜〜、と思いながら芝木くんが搬送されていくのを見送り、目黒さんと最期のハグを交わし虹の橋をトコトコ、してる最中に落とし穴にハマって落ちた先がここ(転生先)だった
1度あることは2度ある!!!!牡馬ともヤッてないから人間になれないし!!!!
こいつゼッテー芝木くんだよな嘘だろ死んだのかよ、と思いながら新生・芝木くん(イギリス味)と得意馬場しかない欧州競馬で輝くウッマ
なおケツの呪いは引き継いでいるものとする

この世界の競馬民
海外輸出されたエフフォーリア産駒が突然変異の白毛でついでに名前にサンが付いてておまけに欧州競馬蹂躙し始めてて白目を剥くことになる
人間「どういうことだってばよエフフォーリア!?!?」
F4号「何これ知らん……怖……」

産駒から突然変なの生えてきたエフフォーリアさんごめんなさい

第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)

  • エアグルーヴ
  • ハルウララ
  • ウオッカ
  • カレンチャン
  • 海外牝馬組
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