美貌バいろいろ   作:SunGenuin(佐藤)

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【大百科】【IF】メジロサニーホープ(IFマックイーン産駒ネタ)

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メジロサニーホープ      

メジロサニーホープ _単語_
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メジロサニーホープ
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メジロサニーホープ _単語_

メジロサニーホープ

 

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その他

 

メジロサニーホープとは、2008年生まれの日本の元競走馬、現種牡馬である。サンジェニュイン以来5年ぶりの白毛のJRAレース勝ち馬であり、日本調教馬初、そして世界初の白毛の凱旋門賞勝ち馬となった。

 

主な勝ち鞍

勝ち鞍

2010朝日杯フューチャリティステークス(GⅠ)

2011牡馬クラシック二冠【皐月賞(GⅠ)、日本ダービー(GⅠ)】、報知杯弥生賞(GⅡ)

2011KGVI&QES(GⅠ)

2011凱旋門賞(GⅠ)、フォワ賞(GⅡ)

2012有馬記念(GⅠ)、天皇賞・春(GⅠ)、阪神大賞典(GⅡ)

2012KGVI&QES(GⅠ)

2012凱旋門賞(GⅠ)、フォワ賞(GⅡ)

 

 概要


父:メジロマックイーン

母:メジロティファニー

この並びだけでわかる、圧倒的メジロの血統

父系は3代続く天皇賞・春の覇者、母系は母の全妹にメジロドーベル、4代母にメジロボサツと良血

 

名前の由来は「冠名」+「希望の太陽」から

父・マックイーンの最終産駒であり、母・ティファニーの最終産駒でもある。

この馬が生まれる数年ほど前から、メジロファームは成績不振による廃業の危機に瀕しており、それに加えて配合の前年、マックイーンが体調不良で倒れる不運が続いた。2007年を最後に、マックイーンが種牡馬を引退することが繋養先の社来ファームから発表されると、最後にメジロファームに1頭、マックイーンの仔を迎えたい一心で同牧場のティファニーと配合された末に生まれたのが、同馬である。

マックイーンは種付けから間もなく、役目は果たしたと言わんばかりに誕生日当日に死去。その年の種付けで受胎したのがティファニーのみであったことから、翌2008年に生まれた同馬が最終産駒(物理)となった。

 

サニーホープが生まれたのは奇しくも父・マックイーンの誕生日兼命日と同日であり、往年のマックイーンによく似た白い毛並みだったことから、南野(メジロファーム代表)は「マックイーンが生まれ変わった」と男泣きしたらしい(2011年『優駿』12月号)

当初、白すぎる葦毛だと思われていたサニーホープだが、よくよく見ると葦毛ではなく白毛だと判明。当時、白毛の重賞勝ち馬はまだいなかったこと、そしてかなり大柄だったことから、走っても故障するのではないかと心配されていた。

毛色や体つきこそ父に似たが、「身内の前だと暴れる」と言われたマックイーンの気難しさは受け継がれなかったようで、非常に人懐っこく、コロコロと変わる愛くるしい表情から、オーナーは「走らなくてもこいつは手放さない」と覚悟を決めていたらしい。と同時に、「こいつが走らなかったら潔く牧場を畳む」とスタッフたちに宣言していた。

が、そんな覚悟は知らん、と言わんばかりにサニーホープはめちゃくちゃ走った

 

 

 2010年 2歳


右を見ても左を見ても血縁だらけのメジロファームですくすく育ったサニーホープは2009年の秋、父・マックイーンを管理していた沼江琢馬元調教師の縁で、その息子である沼江寿馬厩舎に入厩。

前述のとおり、白くて愛らしい顔つき、コロコロ変わる表情、人懐っこい性格から、厩務員たちにこぞって可愛がられた。本馬も可愛がられている自覚があるのか、頻繁に甘えては林檎などの果物を強請ったという。

同厩舎の同期にオルフェーヴルがおり、馬房も隣同士。2頭は血統上では叔父と甥の関係(オルフェーヴルの母父がマックイーン)

入厩した2009年秋は、同年の宝塚記念を制覇したばかりのドリームジャーニーが厩舎内で最も勢いがあり、その全弟であるオルフェーヴルも他馬より頭一つ抜けた注目度であった。この頃のサニーホープはまだ「新馬戦勝てるように頑張ろうね」レベル。ぶっちゃけまったく期待されていなかった。

厩舎の期待を背負う同期・オルフェーヴルは、このころはかなり大人しい馬だったが、同馬の記事でも記述がある通り、この大人しさはのちに豹変する。だがこのオルフェーヴル、何故かサニーホープが目の前にいると暴れっぷりが大人しくなった(※後述)

 

他の馬たちがゆっくりと調教を熟す中、異様に呑み込みの早いサニーホープは、デビュー直前には年上の馬を相手に調教を行うようになっていた。しかしその相手は全頭牝馬。というのも、サニーホープを前にすると相手牡馬が馬っけを出してしまうから。

「は?」と思うだろうがマジなのだ。

それも1頭のみならず出会う牡馬全頭である。頭おかしい(確信)

このままではまともに調教もできない、ということで厩舎側からJRAに依頼して競走馬研究所での調査が行われた。ファインモーションのように、サニーホープはモノがついているだけで牝馬の可能性があるのではないか、と疑われたため。

1週間にわたる調査の結果「同馬は間違いなく牡馬。ただし、他の牡馬に好かれる顔立ちをしている」という結論がでた。

 

沼江寿厩舎「いや、そうはならんやろ・・・」

JRA研究所「なっとるやろがい!!!!」

 

ふざけているように見えるが、れっきとした公式回答である。やっぱり頭おかしいな。

こういったこともあり、サニーホープは牝馬とのみ併せ馬をしていた。相手馬の性別で調教結果がどうこう変わる話ではないが、このやたら同性馬に好かれるエピソードを知らない人々からは、ハーレムじゃないと満足できない馬という不名誉なレッテルを貼られている。

 

具体的な対策案が練られるまでの間、牡馬との接触を避けての調教が続けられた。サニーホープは大柄ゆえに、マックイーンのように脚部が不安視されたが、故障の素振りは一切なく、のちに骨の丈夫さが通常の馬の3倍近くあることが判明する。これが後の「サニーホープ、鉄の身体説」の始まりである。

また、雨の翌日の調教で良馬場よりもタイムがよかったことから、厩舎は洋芝の札幌競馬場でのデビューを決定した。関係ないが同期のオルフェーヴルも札幌競馬場で新馬戦に出走し、優勝したものの鞍上を振り落とした

 

この時に振り落とされたオルフェーヴルの後の主戦騎手・川添謙太を鞍上に迎えて挑んだ札幌2歳新馬戦の芝1800メートル。

ゲートが開いたと同時にハナに立ち、後続に影も踏ませぬまま、レコードタイムで逃げ切り優勝

2着馬に10馬身以上の大差をつけての勝利だった。

この1か月前の新馬戦で川添を振り落とした同期とは異なり、川添を乗せたまま華麗に検量室に戻ったサニーホープを見て、馬主席にいた南野は開いた口がふさがらず、付き添っていたスタッフに「もうこれ以降勝てなくっていい。今日きっちり走ってくれたから、これで満足だ」と語った。

 

ま、これだけじゃ終わらないんですけど。

 

陣営はイケると踏んだのか、次走は10月2日の札幌2歳ステークス。

新馬戦から中3週間のスケジュール、パドックで他馬に囲まれる等ストレスを溜める、と「あれ?もしかして選択ミスった?」という陣営の不安をよそに、鞍上に川添を背負って出走。するとまた2着馬に大差をつけて優勝し、重賞制覇を成し遂げた。白毛のJRA新馬レースに白毛牡馬が勝つのも初だったが、重賞制覇も初であった。

南野はその場で崩れ落ち、付き添っていた牧場スタッフに支えられた状態でウィナーズサークルに向かった。メジロファーム生産馬の重賞勝利は、2006年のメジロマイヤーの小倉大賞典(GⅢ)以来4年ぶり。マックイーン産駒としては、2009年にフローラステークス(GⅡ)を勝ったディアジーナ以来のこと。南野は勝利インタビューでもどこか茫然とした様子だった。記者にマイクを向けられた時に言った「なんか……サニーホープ……強いですね……」は使い勝手のいいコピペとして掲示板で今も使われている。

 

サクっと重賞を勝ったサニーホープに、陣営は「ひょっとしたらひょっとするな」と思って今度は12月末の朝日杯フューチュリティステークスへの出走を決定。

当初はオルフェーヴルも出走させる予定だったが、こちらは芙蓉ステークス、京王杯2歳ステークスの負けが響いて回避することとなった。

 

ここを勝てばマックイーン産駒として初のGⅠ勝ち馬。それのみならず、世界初の白毛GⅠ勝ち馬になる。

まさかな、まさかな、とざわ……ざわ……していた陣営だが、当日のサニーホープの調教状態が「完璧すぎた」と沼江師が記者に語ったように、ものすごく調子がよかった。良すぎた。

この年の朝日杯FSには、京王杯2歳S勝ち馬で後のNHKマイルC勝ち馬のグランプリボスや、後に安田記念、オーストラリアのジョージライダーステークスを勝利するリアルインパクトらが顔を揃えていた。

サニーホープはパドック別周、返し馬も余分に回って他馬との接触をできるだけ控えてゲートイン。レースが始まると、抜群のダッシュで先頭をひた走り、先行の構えで追走するリアルインパクト、後方から追い込みをかけるグランプリボスを突き放してゴール。

あまりにも完璧な大逃げに、いつもならレースの大小関係なく勝てば「わーいわーい」と喜ぶ川添が、ゴールした後も「え?なにこれ?」という顔をしていた。勝利騎手インタビューでは「手綱を扱くとか、鞭を打つとか、そういう次元じゃなかったですね。なんていうか、もう、気づいたら全部終わってました」と茫然としたまま答えた。

最初こそ淡々と実況していたアナウンサーも、大差のまま直線を向いた同馬に対して、まだゴールインしてないにも関わらず「2歳馬の勝ち方じゃないぞサニーホープ」と叫び、ウイニングランもおざなりに検量室に戻るところを見て「朝日杯は2回目なのかサニーホープ」と疲れ切ったように言った。

2chでお馴染みの「転生2回目馬説」はこの実況が元。

 

メジロファーム生産馬/所有馬の平地競争GⅠ優勝は、1998年に天皇賞・春を制したメジロブライトにまで遡る必要があり、実に12年ぶりのことであった。デビューから無敗のまま朝日杯FSを優勝したことを評価され、サニーホープはこの年の最優秀2歳牡馬に選出された。

オーナーブリーダーとして久々のGⅠ馬を輩出した南野は、勝利会見でも泣きっぱなしで、ひたすらサニーホープの背を撫でていた。記者に「一言でもいいので言葉をください」と言われると、振り絞るように「マック、お前の仔が勝ったぞ、孝行息子だ」と言った。

 

翌週の有馬記念をドリームジャーニーが制し、沼江寿厩舎は2週連続でGⅠ勝ち馬を出した。

 

 2011年 3歳


最優秀2歳牡馬に選ばれたことで、厩舎でのサニーホープの扱いも変わった。

それまでオルフェーヴルが最も注目を受けていた中で、サニーホープが同クラス、もしくはやや上の待遇を受けるようになった。といってもあくまで「注目度」においてであり、その他の馬と大きく扱いが変わったわけではない。

 

3歳になったサニーホープの初戦は京成杯に決定。

朝日杯FSからまた中3週での出走である。コキ使い過ぎでは?朝日杯FSの勝ち方なら弥生賞直行でもよかったのでは?という外野の圧をはねのけ、当日元気に出走。この時の鞍上も川添騎手。

うっすら雪が積もっていたが馬場に影響はなく、状態も良として発表された。新馬戦や札幌2歳Sの様子から「洋芝への適性」がかなりあると睨んでいた沼江寿師は、もうちょい馬場が荒れてればなあ、と思いつつ、他の出走馬との実力関係だと勝てない理由がない、と若干失礼なことを考えていたらしい(木羽著・メジロサニーホープに捧ぐ p.114)

 

その考えはドンピシャであたり、サニーホープはまたしても大逃げで大差勝ちを収めた。もうテンよくいった時点でこの馬の勝ちまである。

この勝利で3つ目の重賞制覇となったサニーホープは、次走を報知杯弥生賞とし、いよいよクラシックへと向かうことになった。なお、シンザン記念、きさらぎ賞で2着、3着を刻んだオルフェーヴルは、弥生賞ではなくスプリングSへの出走を発表。2頭の主戦騎手を務める川添は、兄のドリームジャーニーに乗っていることもあり、オルフェーヴルのほうに若干入れ込み気味。クラシックで同時出走になった場合はオルフェーヴルを選ぶだろうと囁かれていた。そうなるとここまで無敗のサニーホープの鞍上が空くことになり、騎手たちの間でひそかに争奪戦が開かれることとなる。

 

3月に入ると、弥生賞からサニーホープの主戦騎手を変更する、と沼江寿厩舎より発表が行われた。これまでサニーホープと苦楽(?)を共にしてきた川添はオルフェーヴルの主戦となり、クラシックでライバルとしてサニーホープの前に立つことになる。川添の選択には2chをはじめネット民から「どうして無敗勝ち馬を選ばないのか」と賛否両論が巻き起こったがここでは割愛。

クラシックでも活躍することが期待されるサニーホープの鞍上には、当時ダノンバラード等に騎乗していたレジェンドジョッキー・竹創など、名騎手オールスターズか?と言うようなハイレベルの騎手たちの名前が候補として噂に上がったが、実際に発表されたのは騎手デビュー7年目の若手・芝木真白であった。GⅡやGⅢなどでたびたび名前が上がり、安定したレースを見せて中堅どころに差し掛かったくらいの男だ。正直取り立ててすごいところはない。ライトな競馬ファンにも有名だったことと言えば、この騎手の顔がやたら良いことと、「葦毛と白毛の馬には絶対に乗らない」と宣言していることくらい。

特に後者の影響もあって、2ch等では「おまえ葦毛と白毛には乗らないんちゃうんか!」と言われていた。

 

先の2つ以外で、競馬にある程度親しんだファンならば知っている情報として、サニーホープのJRAレース勝利から遡ること5年前。未だ破られることのない小倉競馬場の芝2000mのレコード保持者である白毛牡馬・サンジェニュインの主戦騎手が、この芝木真白だった。

サンジェニュインは5年前の弥生賞でゴール後に倒れ、心停止。1時間後に死亡が発表された。詳しいことは同馬の記事を参照してほしいが、サンジェニュインの同期はディープインパクトであり、このレースの決着はハナ差3cmでディープインパクトの勝利。ディープインパクトを最も苦しめた馬、として、クラシック未出走、重賞制覇なしで死亡したにも関わらず、「生きていればディープに土をつけたのはこの馬」と言われるほど。

芝木はこの馬をいたく可愛がっており、サンジェニュインが倒れた後、心拍が完全に止まるまでの1時間もの間、その馬体にしがみついて離れなかった。火葬場に送られる時さえ離れようとせず、引きはがそうとすると暴れて「俺も一緒に燃やしてくれ」と叫んだほどである。この年のレースは全戦休養し、翌年から再スタートを切った芝木だったが、前述のとおり白毛・葦毛の馬には乗らないと宣言。サンジェニュインの半弟(クロフネ産駒・葦毛)のデビュー戦に乗ってほしいと頼まれた時さえ断る筋金っぷりであった。

その芝木が弥生賞からサニーホープの主戦騎手になる。一度馬を壊した騎手を乗せるべきじゃない、と批判する声も大きかったが、騎乗技術は問題ないとして厩舎側は変更することはないと重ねて発表した。

 

芝木を鞍上に迎えた弥生賞当日。サニーホープはいつも以上に気合が入っており、若干イレこんでいるようにさえ見えた。心配する沼江寿師を前に、背に乗る芝木が迷いなく「ものすごくテンション高いですが、これはやる気に満ちてるだけです」と言うので、勢いに押された沼江寿師はそのまま見送った(木羽著・サニーホープに捧ぐ p.134)

同レースには東スポ杯2歳Sの勝ち馬・サダムパテック、後に「2強の追走者」と呼ばれる永遠の2番手・ウインバリアシオンも参戦していた。

全頭大人しくゲートインすると、出だしから軽やかな脚取りでハナを突っ走るサニーホープと、それを2番手で必死に追走する3番プレイがギリギリ同じ画面に映るものの、それ以降が映らないという状態に。そして3コーナーに差し掛かったところでプレイも消え、サニーホープが独走。

メジロ由来の圧倒的スタミナと、どこから引っ張ってきたのかわからない、追走すら無駄かと思えるスピードをフルに使ってぶっちぎり優勝した。

つ、強すぎる・・・!

 

このレース後、芝木は勝利騎手インタビューで「逃げすぎではないか」と記者から問われると、「逃げたんじゃなくて追ってたんです」と答えた。何を追っていたのかはこの時明言しなかったが、サニーホープが引退したあとに竹騎手との対談で語った内容として、サンジェニュインを追っていたと答えている。

 

弥生賞1着によって皐月賞の優先権を手に入れたサニーホープと、スプリングSを勝ち上がったオルフェーヴルが、これでいよいよ皐月賞で相まみえることとなる。

 

第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)

  • エアグルーヴ
  • ハルウララ
  • ウオッカ
  • カレンチャン
  • 海外牝馬組
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