ウマ娘。
それは、ヒトよりもなお優れた身体能力を持ち、ウマ耳や尻尾といった身体的特徴のある、ヒト科の生物。
ウマ娘という名称の通りに女性しか生まれない彼女たちは、己が本能に刻まれた声に従って、芝や砂の上を駆け、栄光を手にせんと望む。
そして、ウマ娘に生まれなかったヒトも、ウマ娘として生まれ落ちた者も、彼女たちの走る姿に人知れず心奪われ、これに憧れ、これを応援し、あるいはもっと直接的に関わらんとウマ娘のトレーナーを志す者もある。
かつては、オレもそのひとりであった。
母親がウマ娘だったからか、あるいはテレビで見るその姿に惚れ込んだからか……確かな理由は覚えていないが、いつからかウマ娘という存在に魅せられていた。
たったひとつの勝利。2着以下は等しく敗北者として扱われるレースを走るウマ娘の姿は、幼少のオレには特撮ヒーローにも似た存在に見えていた。
そうしてウマ娘のレースを見て育ったある日、オレにも特に応援しているウマ娘というのが出来た。
今風に言えば『推し』といったところだろうか。
とにかく彼女に勝って欲しかったし、彼女が負ければまるで自分の事のように悔しかった。
そうして彼女を応援していたある日、彼女がG1レースに出場しているのをテレビで見た。
どのレースだったか今となってはまるで覚えていないが、とにかく有名な重賞だったと思う。
オレはまた、いつものようにテレビに齧りつき、ご飯に呼ぶ声も無視して彼女の応援をした。
熱戦だった。
接戦だった。
そうして勝者が決まった時、笑っていたのは、応援していた彼女ではなかった。
悔しかった。
まるで自分が負かされ、そして、その輝くような笑顔を見せつけられているような感覚。
だから、なのかも知れない。
あるいは、単純に子供だったからなのか。
『――他のウマ娘が怪我してればよかったのに』
と、呟くように吐き出していた。
そうすれば、自分が応援していた彼女は勝っていた。
ウィナーズ・サークルで笑っていたのは彼女だった。
それにつられて笑う自分もいたはずだ。
そう、考えたんだろう。
果たして、それは母親に聞き咎められた。
彼女たちはいずれも並々ならぬ努力をしてあの場に立っているのだと。
オレが応援してきたウマ娘だけが負け、悔しさに涙を流しているのではないのだと。
間違っても、二度とそんな事は口にしてはいけない。彼女を応援しているのなら、尚更だ――と。
最初は、何を言われたのか理解出来なかった。
したくもなかったんだろうと思うが。
そんな事を言われても悔しいものは悔しい。
彼女が勝っていればオレだって笑えていたんだ。
そんな事を考えていた事を、朧気に覚えている。
やがて時が経ち、応援していた彼女も現役を引退する頃になって、その時の母の言葉を正しく理解した。
子供心に吐き出したその言葉は、レースに出ている、あるいはまだレースには出ていない全てのウマ娘を侮辱する言葉であったのだと。
なんてバカな事を口にしたんだ、と思うと同時に、ふと、トレーナーになろうと思った。
当時、ウマ娘の従妹が生まれていたのもあったと思う。
とにかく、テレビなんぞで阻まれた距離ではなく、もっと近くでウマ娘というものに関わっていたいと思った。
それを母に告げれば、母は『じゃあ、勉強しなきゃね』とトレーナーをやっている親戚を頼り、オレはまだ幼いと言える時分からトレーナーのノウハウを積む事が出来た。
まったく頭の下がる話である。
そうしてトレーナーとしての勉強と並行して普通に学校にも通い、やがてその親戚の伝手を辿って、府中にあるトレセン学園の門を叩いた。
『中央』と呼ばれるそこに入るためには、それはまあ厳しい試験が待ち受けていたわけだが、これをどうにかパスして、晴れてオレは中央トレセン学園所属のトレーナーとなったのである。
……だが、そこには絶望が待っていた。
あるいは、ようやく現実を知ったと言うべきか。
中央トレセン学園――正式名称・日本ウマ娘トレーニングセンター学園――には、全国からとんでもない才能を持ったウマ娘が集まる。
しかし、その中でも華々しく活躍しているのはどこかの名家の生まれだとか、親がG1レースを勝利した事のあるウマ娘だとかで、それ以外のウマ娘はといえば勝ててもG3かG2がいいところのウマ娘ばかりだった。
もちろん、そういうウマ娘だって、凄い武器を持っていたりはする。
末脚が凄いとか、持久力が半端じゃないとか、トップスピードに乗るまでが早いとか……地方にいるウマ娘と比べれば大したものだ。
しかし、華々しく活躍しているウマ娘たちは、そんなウマ娘よりも頭がふたつ以上抜けたようなウマ娘なのだ。
いつかどこかで、『ウマ娘は血統だ』なんて聞いた事があった。
その時は『何をバカな』と思っていたが、中央に来て、あながち嘘でもないのだと知った。
それからは、昔と同じ目でウマ娘たちを見れなくなってしまった。
例えば、メジロ家とかシンボリ家とかアグネス家とか、ウマ娘業界では『名家』と呼ばれる家があるのだが、メジロ〇〇とか〇〇シンボリとかアグネス〇〇なんて名前を見る度に『はいはい、また血統でぶん殴るんですか』と腐っていた。
口にこそ出さなかったが、そんな風に考えていた。
……いや、考えている。
今でも。