「お前さん、そろそろサブトレーナー卒業してもいいんじゃないか?」
某日。
チームスピカのチームルームにて、メイントレーナーたる沖野さんから、そんな事を言われた。
「はあ……」
「なんだよ、気のない返事だな」
「や、頭が追いつかなくて。なんでまた?」
「別に邪魔になったとかじゃないぞ。ただなぁ……おハナさんとも話したんだけどな。そろそろサブトレーナーを卒業させて、普通にウマ娘を担当させるべきじゃないかってな」
チームリギル、そしてチームスピカでサブトレーナーとして経験を積んできたんだから、そろそろ担当ウマ娘の1人くらい持ってもいいんじゃないか。
それでなくとも、トレセン学園に来た当初からトレーナーとしての力は十分についていたんだから、サブトレーナーとしているのはもう十分ではないのか。
沖野さんが言うには、つまりそういう事らしい。
「んー……そう、なんですかね?」
「ま、俺たちから見れば十分だよ。それに、理事長からもちょっと言われててな」
「理事長から?」
「ここ、中央トレセン学園は日本最大規模だ。ウマ娘の数も多い」
「……まあ、そうスね」
「トレセン学園側としては、ひとりでも多くのウマ娘に、公式レースに出るっていう陽の目をみて欲しいわけだ」
「なるほど」
「で、お前さんはどうなんだって話になった。俺やおハナさんからは、まあ、特に言う事はない。トレーナーとしては優秀な部類だって事は言ってあるが、それだけだ。決めるのはお前だ」
サブトレーナーを卒業して、担当を持つ。
それは、確かに昔から描いていた夢だ。
トレーナーを志した当時はサブトレーナーなんて制度は知らなかったけども、チームリギルとチームスピカでサブトレーナーとしてお世話になって、貴重な経験を積めたとも思う。
その経験を活かすには、誰か担当を持つ事が一番だとも思う。
だが……どうにも心が決まらない。
太鼓判を押してくれているらしい沖野さんやハナさんには申し訳ないと思うが、どうにも足踏みしてしまう。
「……ありがたい話ですけど」
「ま、いきなり言われて決まるもんじゃないよな」
「そう、ですね」
「そしたら……そうだな。今度、選抜レースがあるだろ。あれを見に行って、気になるウマ娘がいたらサブ卒業。いなかったら、次回の選抜レースまでサブトレーナー続行。……どうだ?」
流れに任せる――ように見えて、結局自分で決めろって言われている。
沖野さんらしい、優しい誘導だ。
気になるウマ娘がいれば卒業、いなければ次回まで続行……か。
「わかりました。それで」
「よし。じゃあ、今日も付き合ってくれ」
「また飲みに行くんですか……。お金あります?」
「任せろ」
自分の胸を拳で叩いて自信満々の様子。
……これまでを考えるとあまり期待は出来ない、が。
まあ、もしかしたら今回こそはって事があるかも知れないしな。
それに賭けてみようか。
「わかりましたよ、お供します」
「おう!」
自信満々の沖野さんと、連れ立って馴染みのバーへ。
そこでおハナさんこと東条ハナさんと合流。
……残念ながら、沖野さんの懐にかけた期待は消えた。
まあ、そんなものよね。
◆
そうして、選抜レースの日がやって来た。
年に4回行われるこの選抜レースでトレーナーはウマ娘を見極め、ウマ娘はトレーナーを見極め、ウマが合えば晴れて契約となる。
……ただ、個人的にあまりいい思いはない。
他のヒトにしてみればそうではないんだろうが、どうせ血統で殴られるだけだろ、という思いがある。
まあ、そんな事でクダ巻いてるわけにはいかないので、一応見に来てはいるんだが。
「見た事ある顔ばっかだな……」
周りをひとつ見渡して、呟く。
あっちを見てもこっちを見ても、見た覚えのあるトレーナーばかりだ。
ハナさんも沖野さんもそうなんだが、よくもあんな器用に複数のウマ娘の担当が出来るものだと思う。
オレなら、誰かひとりを担当するので精一杯だろう。わからないが。
「……ん?」
いつまでも周りを見てても仕方ないのでトラックコースの方に目を戻し、今回の選抜レースで走るウマ娘たちを確認する。
と、その中に、他のウマ娘と比べてひときわ小さなウマ娘を見つけた。
ところどころ外にハネた茶色のショートボブの髪、吊り上がった青い目、トレセン学園指定の体操服に3番のゼッケン。
「……走るのか」
およそレースには向かないであろう小さな身体と細い手脚。
それでも、そこに立つ彼女は、他の出走するウマ娘を蹴落とさんとする迫力を持っていた。
だが、『走るのか』と思わずにはいられない。
まだ彼女の走りを見てはいないが、その身体では走れる場所なんて限られてくるだろうと思うからだ。
まず間違いなくバ群の中には行けない。行ってはならない。
どうせ付けるなら中団の外側に付けないと、沈められてしまう。
彼女自身がどう思ってるのかは知らないが、とにかくバ群とは関係のない位置でレースを進めないと彼女は間違いなく負けてしまう。
そう思うのと同時に、そうはしないだろうという確信めいたものがあった。
目は口ほどにものを云う、という言葉があるが、彼女の目はまさしくそれだ。
自分は必ずこのレースに勝つ。絶対的な力を見せつけて勝つ。
彼女の目はそう言って憚らない。
「――あの、すいません」
「ん? ああ、椎名くん。どうした?」
「あのゼッケン3番のウマ娘、知ってますか?」
だから思わず、近くにいた知り合いの先輩トレーナーを捕まえて、そう尋ねていた。
先輩トレーナーはオレが指差した方を一瞥し、幾分残念そうな声で「ああ……」と口を開いた。
「彼女はナリタタイシン。見ての通り、身体は小さいし手脚は細い、レースには向かないウマ娘だ。私達の間では、どうしてあれでここにいるのか、不思議に思っている声が多い。というか、ほとんどだ」
「やっぱり、先輩達でもそう思いますか」
「ああ。今まで何度か選抜レースには出ているが……結果は見ての通りだ。私達もあまりに忍びないので、諦めるようにと言っているんだが」
「彼女は諦めずにいるわけですか……」
「そういう事だ。……ところで、椎名くんは1人かい?」
先輩トレーナーはキョロキョロと辺りを見回しながらそんな事を訊いてきた。
「はい? ……まあ、1人ですけど」
「という事は、本格的に私達の仲間入りか!」
「あはは……まだ本決まりってわけじゃないですけどね。担当が出来るかどうかはわからないですし」
「目を付けてるウマ娘はいるのかな?」
「実際に走りを見た事のある娘はいないんで、まだなんともって感じですね」
「そうか。まあ、それを見極めるための選抜レースでもある。しっかり見ておくんだ」
「わかりました。しっかり、見ておきます」
先輩の言葉にしっかりと頷きを返すと、直後、聞き覚えのある声でアナウンスが流れてきた。
いよいよ選抜レースの始まりのようだ。
今回行われるのは、芝コースの2000m。
王道とも言われる中距離のレースである。
アナウンスから出走するウマ娘たちが続々とゲートインし、やがてゲートが開いてウマ娘たちは一斉にスタートを切った。
体格を考えればバ群と関わりがない場所でのレースをするべきであるナリタタイシンは、こちらの考えを裏切るように先頭集団の中にいた。
負けるもんか、という声が今にも聞こえてきそうな顔で、しっかりとターフを踏みしめて走っている。
「そこじゃ無理だ……」
あの体格差では、先行や差しでは間違いなく沈められる。
では逃げかというと、逃げでは彼女は納得しないだろうと思う。
ならば追込かというと、それも難しいんじゃないかと思えてくる。
やはり彼女は、レースを諦めるべきなんじゃないだろうか。
先輩たちの言う事は、別に間違った事じゃない。
今まで、レースには合わないとしてここトレセン学園を去っていったウマ娘もいるっちゃいる。ナリタタイシンばかりがそうだというわけではないんだ。
少なくとも。
今のままでは、『ナリタタイシン』はどのトレーナーの目にも映らない。
彼女がどれほど頑張っていようが、負けん気の強さを発揮しようが、諦めなかろうが、絶対に彼女はスカウトされない。
それは体格のせいでもあるし、その細い手脚のせいでもある。
そして何よりも――……。
それに気付けないでいる以上は、彼女はまず陽の目を見られない。
トレセン学園や理事長たちの思想がどうであっても。
「あぁ……」
我知らず、悔しい声が漏れる。
あのままでは、彼女は沈んでしまう。
熾烈な位置取り争いには勝てず、押し退けられ、スタミナを余分に消費させられ、沈んでいってしまう。
そう思った――矢先
「……は?」
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
沈められると思ったナリタタイシンは、第4コーナーを回ってからスパートをかけ、一気に先頭へと躍り出た
小さな体躯は爆発的な加速を伴って弾かれたように前に出る。
――が、しかし。
やはり位置取り争いでスタミナを大幅に削られていたらしく、それからは痛々しいもので、後続のウマ娘にすぐにかわされ、10着となってしまった。
「……なんだ今の」
案の定と言うべきか、周りのトレーナーたちはあのナリタタイシンというウマ娘にはあまり注目していないようだった。
それはそうだろう。
彼女の今の走りはお世辞にも『良い走りだった』とは言えないし、彼女の体格を見れば仮にスカウトしたとしても高が知れている。
だが。だが、だ。
あのスパート、あの末脚はどうだ。
確かに他のウマ娘の走りと比べると、レース内容はお粗末なものだ。
だけど、あれは――あの末脚だけは本物だ。体格はどうあれ、あの末脚だけは、中央トレセン学園にいるのが当たり前だと言える末脚だ。
「――くん! 椎名くん!」
「……え? あ、ああ。どうも」
思考に没入していたオレを引き上げたのは、さっきレース前に話しかけた先輩トレーナーであった。
「どう? 良い娘、見つかった?」
「あー……や、うーん、あんまピンと来ないですかね」
本当はナリタタイシンが死ぬほど気になっているんだが、それは明かさずにおく。
言ってしまえばこの先輩は、持ち前の人の好さを発揮して『やめておけ』という忠言をくれるに決まっているからだ。
「そうか。まあ、選抜レースはこればかりではないから、じっくり見ていくといい」
「はい。……ん、先輩はこの後は?」
「ちょっと用があってね。この後のレースは、残念ながら見られないんだ」
「そうなんですか」
「ああ。だから……そうだな。椎名くん。迷ったら、自分が一番魅力的に感じたウマ娘を選ぶんだ。素質がどうこうとかレース内容が云々じゃなくて、自分の感性だけを信じなさい」
先輩は、いつもの柔らかな表情とは打って変わって真剣な表情でそう言った。
「感性……ですか」
「そうだ。G1レース勝利を夢見るウマ娘は多いし、クラシック三冠をと望むトレーナーは多い。だから1着になったウマ娘は素質アリとしてスカウトが多く舞い込む……けど、G1ばかりがレースじゃない。G2やG3だってレースだし、何より、担当ウマ娘と一緒に走るだけで楽しいものさ」
「それは、つまり、勝てなくてもいいって事ですか……?」
「有り体に言ってしまえばそうだ。勝つ事は確かに目指すべき事だ。だけど、勝つ事だけが全てじゃない。勝っても負けても、ウマ娘は『自分の走りが出来た』と思えば一番だし、トレーナーは『自分の走りをさせられた』と思えば一番だ。勝利っていうのは、所詮結果でしかないんだよ」
「勝利は結果でしかない……」
「そう。……と、マズいマズい。時間が迫っているから、私はこれで。じゃあね、椎名くん」
「あ、はい。アドバイス、ありがとうございます」
真剣な顔から一転して再び柔和な顔に戻ると、先輩は足早に去っていった。
「自分の感性を信じる……か」
頭の中には、さっきのナリタタイシンのスパートのシーンが焼き付いていた。
意識を切り替えようにも、あの恐ろしいまでの末脚のキレが印象的過ぎて思考が切り替わらないので、残念ながら後のレースを諦めてトラックコースを離れる。
これは、しばらく頭から消えないだろうな――などと思いながら歩いていると、どこからか言い争うような声が僅かに聞こえてきた。
……いや、言い争うというよりは、一方的にぶつけるような声か。
なんとなくその声のした方に行ってみると、大先輩とも言えるベテランの女性トレーナーと、先ほどのナリタタイシンの姿があった。
かと思えば、女性トレーナーをその場に残して、ナリタタイシンはさっさと走り去っていってしまった。
追い詰められたような、痛々しい表情で。
「ナリタタイシン、か……」
さっきのスパートと今の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
レースの内容自体は散々なものだったのは確かだが……あんな表情をするまでの事か?
もしかして、あの女性トレーナーから何か言われた……とか?
気になったので、女性トレーナーに近付き「あの……」と声をかける。
「――あぁ、椎名くん。しばらくね」
「どうも。……さっきの娘は」
「見てたのね」
「ちょっとだけですけどね」
「……あの娘、ナリタタイシンって言うんだけどね。ほら、どう見たってレースには向いてない身体じゃない?」
「まあ、そうですね。背は低いし、手脚は細いし」
「でしょ。だから、レースの世界にはいない方がいいって、前から言ってるんだけどね……それが癪に障るみたい」
「なるほど。……まあ、そのためにトレセン学園にいるわけですし、怒りもしますって」
「そうよね……」
はぁ、と悩ましげに溜め息を吐く。
この大先輩の言う事もわからないではない。
実際、ウマ娘は誰もがレースに関わって生きているわけではない。
中央、地方問わずトレセン学園には入学せずに生きているウマ娘だっているし、レースばかりがウマ娘の生きる道というわけじゃない。それは確かだ。
だが、ナリタタイシンの気持ちもわからないではないのだ。
あの体格だから、きっとこれまでも色々と言われてきた事だろうと思う。
そんな体格でも中央トレセン学園に入れていて、レースに出たいと望んで選抜レースにも出ているのだ。
簡単に『諦めろ』なんて言ってくれるな、と思っている事だろう。
「……そういえば、椎名くんは選抜レースは見に行った?」
「はい。ただ、1人、あまりにも強烈な印象を与えてくれたウマ娘がいて。その娘が頭から離れなくて切り替えが出来ないんで、退散して来ました」
「意外と不器用なのね、椎名くん。……その娘、スカウトするの?」
「やー……どうですかね。しようかな、とは思ってるんですけど」
「そう。んー……そうね。私からは、頑張ってとしか言えないわ。スカウトなんて、結局は自分がどのウマ娘を魅力的に感じたかだもの。具体的なアドバイスなんか出来ないわ」
「魅力的に、ですか」
「ええ。選抜レースでの内容が酷かったとかは、正直どうでもいいのよ。そのウマ娘が自分の目にどう映ったのか――結局のところは、そこね」
あの先輩とこの大先輩と、同じ事を言っている。
そのウマ娘が自分の目にどう映ったのか……か。
「やっぱり、そうなんですね」
「あ、もう誰かから聞いてた?」
「ついさっき、おんなじ事を言われました。自分の感性を信じろ、って」
「あら。耳タコになっちゃったわね」
「いえいえ。連綿と受け継がれてきた金言って事でしょう?」
「ふふ。そういう事にしておいて。……さて。あの娘には逃げられちゃったし、私もそろそろ行くわね」
「はい。それじゃあ、また」
「ええ、またね」
ひらひらと手を振って、ウマ娘用トレーニングジムなどがある方角に消えていく大先輩。
……仕事、するか。