Never the less   作:神楽光月

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Prologue

 模擬レースから明けて翌日。

 この日から、ようやくオレとナリタタイシンのトゥインクル・シリーズが始まる。

 

 

「――という事で、ミーティングです」

「どういう事……?」

「ま、目的は単純だ。これからトゥインクル・シリーズを走るにあたって、お前に必要なトレーニングとは何なのか、というのを決める」

「つまり方針決定って事ね」

「そういう事だ」

 

 

 オレの見立てでは、タイシンは短距離やマイルのような短い距離よりも、2000m〜の中長距離で輝くウマ娘だ。

 昨日の模擬レースで見せた後方での落ち着いた進行や、バ群はもとより先頭まで一気にぶち抜いていく末脚は、最初からクライマックスな短距離や早仕掛けが必要なマイルでは活かしにくいだろう。

 なんせ距離が短い。距離が短いという事は決着も早い。

 タイシンが短距離やマイルを走っても、気持ちが乗ってこないだろう。

 

 

「――と思うわけだが、どうだ?」

「…………確かに」

「うん。そこで、タイシンにはクラシック三冠を狙って貰うつもりでいる。すなわち、皐月賞、日本ダービー、菊花賞だな。これらを走るにあたって必要なものとは?」

「……まあ、スタミナ?」

「正解。もちろん、スタミナだけじゃなく、長い距離を走るためのパワーも必要になる。長い距離を、速いスピードで、永く走れる――ってのはある種の理想ではあるが、これを目指さない理由はない。それが出来れば、中長距離に敵はないしな」

「じゃ、スタミナとパワーの増強がメインになるんだ」

「そういう事だな。とりあえず大まかな方針としてはそんなところだ。……ただ、これはオレの理想だ。ナリタタイシンというウマ娘を通して描く理想だ。タイシンは、何か、こう、トゥインクル・シリーズに懸ける想いみたいなのはあるか?」

 

 

 そう尋ねてみると、タイシンは一も二もなく答えた。

 

 

「見返してやる。……ほら、前にもアンタに言ったじゃん。怒鳴りつけたって方が正しいけど。バカにして見下してきた連中を見返してやる、って」

 

 

 そういえば。

 この小さな身体から繰り出される末脚への興奮ですっかり頭から抜け落ちてたが、そんな事を怒鳴られた覚えがある。

 

 バカにして、見下してきた……か。

 それはやはり、タイシンのこの体格や手脚に由来するものなんだろうな。

 そうすると、タイシンがレースで結果を出せば出しただけ、そうやってタイシンを見下してきた連中とやらを見返したという事になる。

 

 

「そうなると、やっぱ勝つしかないな。勝って、勝って、勝ちまくる。勝てないにしても掲示版は逃さないとか。そういう、誰の目にも明らかな結果を出せば、見返してやれてるって事になるだろ。……まさかとは思うが、別にそういう連中を呼びつけて、いちいち『どうだ』って威張るわけじゃあるまい?」

「当たり前でしょ。今じゃ連絡つくかわかんない奴もいるのに。大体、そんなめんどくさい事いちいちしてらんないし」

「だよな」

 

 

 ……さて。

 これでトゥインクル・シリーズを走る上での大筋は定まった。

 問題は、そのトレーニングをいつから始めるのか、だ。

 

 

「タイシン。トレーニング、今日から始めたいか? 昨日の模擬レースの事もあるし、オレは、今日は休養日として明日からやっていきたいと思うんだが」

「……アタシが決めていいの?」

「実際にトレーニングするのはお前だ。オレが出来るのは、お前になるべく負担をかけないように、しかし効果はしっかりと得られるように、トレーニングメニューを考えたりする事くらいだ」

「ふーん……。じゃあ、今日から」

「……いいのか? 模擬レースの疲れもあるだろ」

「そりゃあるけど……ほら、鉄は熱いうちにって言うし」

 

 

 まあ、そうか。

 本人にやる気があるんだったら、それに越した事はないよな。

 

 

「……あっ」

「……なに?」

「今日はミーティングだけで済まそうと思って、色々と準備出来てない。模擬レースがあったから、流石に休むだろと思って……」

「じゃあ……どうすんの?」

「どうするかなぁ……。ちょっと待っててな、何か無いか探してみる」

 

 

 せめてトレーニングに使えそうな小道具的なものでもあればと思いながらカバンの中をあさり、ふと面白そうなものが見つかった。

 

 

「これ、いいんじゃないか?」

 

 

 取り出したるはマスク。

 オレがこのトレセン学園でトレーナーを始めて間もなく、実家から『身体に気を付けるように』との事で送られてきたものだ。

 市販のものではなく、綿100%の生地で作られた手作りマスクである。

 

 

「それ、マスク……?」

「そうだ。これを水に濡らして、それを装着。そしたら……まあ、軽くランニングでもしよう」

「いいけど……普段使いしてるものじゃないの?」

「や、それがなぁ……送られてきたのはいいんだが、一回も使ってねえんだわ。こっち来てから風邪もしてないしな」

「…………ま、いいか。ランニングはどこですんの?」

「坂路コースがいいかな。これまではトレセン学園のフラットなトラックコースだけだったろうが、実際のレース場には坂があるものが大体だ。メイクデビューまでに慣らしておくのがいいだろう」

「わかった」

「じゃ、とりあえずこれ濡らしてくるわ。先にトラックに行って待っててな」

 

 

 いいから早く行けば――とでも言うように、呆れたような表情で手をひらひらさせるタイシン。

 はーい、行ってきまーす。

 

 

「……とは言ったものの」

 

 

 残念ながら、トレセン学園は一般の学校と違って水飲み場が存在しない。

 その代わりに、望めばミネラルウォーター入りのペットボトルがカフェテリアで手に入る。軟水か硬水かも選べる。

 ……まあ、ウマ娘に限った話ではあるが。

 

 教官以下ウマ娘以外のヒトを対象にしたものとしては、各所に設置された自動販売機がある。

 トレセン学園に所属しているというだけでそれなりに高給取りなので、自販機程度の出費はトレセン学園に還元しろって事なんだろうか。……穿ち過ぎか?

 

 ともかく、今探すべきはその自販機だ。

 

 

「えーと、この近くだと……あったあった」

 

 

 見つけた自販機でミネラルウォーターを2本と、スポーツドリンクを2本買って、近くのトイレの中へ。

 手洗い場を利用してマスクをミネラルウォーターで濡らし、よーく水気を切ってから一路タイシンの待つトラックコースへ。

 

 

「よ、お待たせ」

「……ん」

「これ、タイシンの分な」

「うん…………うん? アタシの分?」

「タイシンの分、だろ?」

「それはそうなんだけど……なんか、他にもあるみたいな言い方じゃん」

「おう、あるぞ」

「……誰の?」

「オレの」

 

 

 言いながら、タイシンに渡したものとは別の濡れマスクを装着する。

 

 

「……なんで?」

「なにが?」

「なんでアンタもそれ着けんの、ってこと!」

「オレも走るからな」

「……は?」

 

 

 まるで理解が追いつかない、というような表情のタイシン。

 

 

「お前たちウマ娘はあんまり知らないかもしれないけど、トレーナーって結構体力勝負でな。トレーニングメニューを作るためにテキストやパソコンとにらめっこするだけじゃなくて、ウイニングライブの指導とかも、場合によってはするんだ。だから、普段から鍛えておかなきゃならないわけさ」

「……だから一緒に走るって?」

「そういう事だな。ちなみに、この濡れマスクランニングは昔からやってたトレーニングだ」

「……効果あんの」

「あるさ。少なくともオレはあった。高地トレーニングほど……とは、流石にいかないけどね。ただ、間違いなくやる前と後ではオレの心肺機能は強化されている」

 

 

 とはいえ。

 

 

「ま、無理にやる必要はない。専門家にも、強化される可能性はあるが絶対のものではない、と言われているしな。単純に呼吸がキツくなるだけのランニングになる可能性も否定出来ない。それでもいいなら――」

「いいよ、別に」

 

 

 オレの言葉を遮って、タイシンはぶっきらぼうに言う。

 

 

「やる。強くなるためなら、なんだって」

「……っ」

 

 

 気圧された。

 思わず息を呑んだ。

 そうさせるだけの気迫を、この小さなウマ娘は放っていた。

 

 思えば昨日の模擬レースの時も、カフェテリアで後方の位置を提案した時も、どこか焦りが見えていた。

 カフェテリアの時は、ビワハヤヒデのような体格の良いウマ娘に逃げ切られた時の事を案じていた。

 模擬レースの時は……あれもまた、カフェテリアでのものと同じか。

 タイシンの低い視点ではバ群を形成しているウマ娘がどこか壁のように見えて、それを破って前に行けなかったらどうしよう、みたいな焦りが生まれていたんだろう。

 

 だが、それを経て彼女は勝利を手にし、今はその焦りの様子も見られない。

 その射抜くような眼光鋭い双眸や、小さいながらに存在感を放っている事が、こちらに息を呑ませたんだろう。

 

 

「……オーケー、やろうか。トレーニングに関しては、一応今後走るレースを見越してメニューを組むけど、やりたい事があれば都度言って欲しい。状況にもよるが、基本的には意見は積極的に採用する。あれがやりたい、これがしたい、あれはしたくない、これはイヤだ……どんなのでもいい。とにかく、自分の意見を言わないってのはナシだ」

「…………わかった」

「うん。ところで、食事に関してはどうする? ウマ娘によっては厳密な食事制限や、決まったメニューを摂る事もあるわけだが……カフェテリアで済ませるか? 一応、一番間違いのない選択肢だけど」

「他に、なんかある?」

「自分で作るのもいいだろうな。希望があれば献立はこっちで考えてもいい。あと、オレに任せるという手もある」

「アンタに……?」

 

 

 少し意外そうな顔だ。

 

 

「自慢じゃないが、トレーナーになるにあたって栄養学なんかもかじってる。流石に専門家ってわけにはいかないが……。料理の腕については心配は要らない。形態としては弁当支給って事になるだろうな。朝や夜はともかく、昼はオレの弁当……って事になるだろう」

「ふぅん……料理、出来るんだ」

「他人に威張れるほどじゃないけどな。それで、どうする?」

「ん……いい。そこまで面倒かけらんないし、カフェテリアで済ませる」

「さよか。……うん。これで大体決まったな。レースのローテやトレーニングに関してやりたいものがあればそれを優先して、食事に関してはカフェテリアを利用、と」

「……アンタさ、そんなに細々と決めないと満足出来ないの?」

「んー……なんというかな、怖いんだよ。ウマ娘ったって、オレたちみたいないわゆる『普通のヒト』とは変わらないんだしな。タイシンはそんな事もないかも知れないけど、顔や口で表現してる事と心の中とでは乖離があるかもしれない。そう考えると怖くてな。……ま、情けない予防線と思ってくれ。何もわからないうちから勝手に怯えてるオレが悪いのさ」

「アンタ、人付き合い苦手でしょ」

「……まあ、そういう事だな!」

「胸張って言う事じゃないでしょ……」

 

 

 当たってるからな、仕方ないんじゃ。

 見栄張って『違う』なんて言っても、ボロが出てしょうもない姿を晒すだけだしな。

 中身がボロいんだから、外側をどう繕ったって意味はないのさ。

 

 

「と、じゃあミーティングはここまでにしようか。ランニングするっても決めたしな。あとは折々決めていけばいい」

「……だね。ペースは?」

「マイペースでいい。あくまでランニングの範囲でな。オレとお前じゃ色々と違うが、合わせる必要はないよ」

「わかった」

 

 

 短く答えたかと思えば、早速坂路コースに小走りで向かっていくタイシン。

 ……まだウォーミングアップとかしてないと思うんだが、大丈夫なのか?

 

 

「タイシン! アップは!?」

「もうした!」

 

 

 したそうです。

 

 ……じゃあいいか。

 オレは準備運動してから行きましょ。

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