アグネスタキオンはどうやって殺されたのか?誰が犯人なのか?そして犯人の動機は?
みたいなミステリーです。
※物騒なタイトルですが、人は死にません。
残酷な描写もないのでご安心ください。
「……それ以上何を言っても無駄だ。私の結論は変わらないよ」
アグネスタキオンは冷たくそう言い放つ。
正面にいる少女は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
しかし彼女の眼はそれらの感情をすべて飲み込んで紅く染まっていく。
「……わかりました。失礼します」
アグネスタキオンはその一言に込められた昏く靭い思いに気付かない。
1人になった部屋で静かに座っていた。
ある日の昼下がりのこと。中等部の生徒にもかかわらず、高等部の教室で興奮気味にまくしたてる少女がいた。
「殺人事件ですよ! 殺人事件が起きました!!」
彼女はアグネスデジタル。あらゆるジャンルのアニメを好むヲタクだ。当然ミステリアニメも好きである。お気に入りはコナン……と見せかけて氷菓だったらいいな。
「……ええ。なんや」
タマモクロスは不審な顔をしている。無理もない。アグネスデジタルのテンションは人が死んでいる時のそれではない。
「本当ですよ! いや~ついにこの学園でも殺人事件が起きましたねえ!」
少しうっとりしながら話すアグネスデジタルにタマモクロスが質問する。
「百歩譲って殺人事件がホントだとして、なんでウチに?」
アグネスデジタルが間髪入れずに答える。
「ふふふ。私の情報網をなめないでください! ある筋からタマさんが猫ちゃん捜索に一役買ったと聞いたんですよ! その推理力を今回ぜひ発揮していただきたいんです!」
猫の捜索とはついこの間、栗東寮に忍び込んだ猫を捕まえた件である。おそらくカワカミプリンセスあたりが面白おかしく広めているのだろう。タマモクロスはそんなことを思いつつ、一応事件について聞いてみる。
「……まあええわ。で、被害者は誰なんや?」
それに対してアグネスデジタルは間髪入れずに答える。
「はいっ! タキオンさんです!」
タキオンとはアグネスデジタルと同室のアグネスタキオンのことである。マッドサイエンティストの変人として知られている。
「……いや、タキオンて……」
タマモクロスは明らかに動揺していた。その視線はアグネスデジタルの隣に立っている人物に注がれる。
彼女は何が面白いのか不敵に笑っている。
「ふふふ。私の顔に何かついているのかな?」
アグネスデジタルの横にいる人物。それはアグネスタキオンその人であった。
アグネスデジタルが言うには事件の概要はこうだ。
昨日の練習後のこと。アグネスタキオンの姿が見えなかったため、研究室に行った。
研究室に入るとアグネスタキオンはいない。
もしやと思って研究室の奥の倉庫に向かう。重い扉を押して開けるとそこには、
「タキオンさん……?」
ピクリとも動かないアグネスタキオンの姿があった。
彼女は倉庫の扉のそばで、扉に向かってうつ伏せで倒れている。
傍らには大きなハンマーが転がっていた。
「……ということなんです! これは殺人事件ですよ!」
「いや殺人事件じゃないやろ」
タマモクロスが即座に突っ込みを入れる。これは単に被害者が死んでいないから殺人事件ではないと言っているのではない。
「誰が犯人かって言うけど、そんなもん
殺人事件は被害者という最大の証人が口を閉ざすからこそ推理が必要になってくるのだ。
被害者が生きているのなら、被害者が殺人犯を言えばいい。
「くくく。それがそうもいかないんだよ。タマモクロス君。これを見てくれたまえ」
アグネスタキオンがようやく口を開く。手にはビニール袋に入った大きなハンマーがあった。
「……なんやそのけったいなハンマーは?」
大きなハンマーに気圧されながらも、どういうものなのかを聞くタマモクロス。アグネスタキオンは飄々とそれに答える。
「これは
タマモクロスが絶句する。あまりにも突拍子もない道具が出てきて面食らっている。
「なんでそんなもん作ったんや? あと名前」
「ゴールドシップ君に銀河旅行に行くためにコールドスリープの機械を作ってくれと頼まれてね。とりあえず仮死状態にする道具だけ試作してみたんだ」
訳が分からないことを言うアグネスタキオン。このハンマーについてこれ以上聞いても仕方ないようだ。名前については触れてすらいない。
「つまりタキオンハンマーを使うことで、
①気絶させる方法を工夫する必要はなく誰にでも犯行を行うことができた。
②被害者であるアグネスタキオンは犯人やトリックなどの有益な情報が分からない。
という条件が追加されたわけやな」
タマモクロスはそう言うと少し考える。考えてから、言う。
「……殺人事件やな」
「だから最初から言ってるじゃないですかあ!」
謎の便利アイテムのおかげで、
タマモクロスはバカバカしい、と思う一方で次のようにも考える。
人生で殺人事件を推理する機会なんて2度とやってこない。
せっかくなのでタマモクロスは今回の事件に参加することにしたのである。
2人はタマモクロスを連れて現場に向かう。アグネスタキオンの研究室だ。アグネスタキオンが倒れていたのは更にその奥。研究室の奥の扉を押して狭い倉庫の中に入る。
「ここでタキオンは倒れていたんやな」
「そうです! そばにタキオンハンマーがあったんですよ!」
倉庫の中には所狭しとアグネスタキオンが作った失敗作が転がっている。タキオンハンマーを事件当時と同じ場所に置く。
「ところで他に使われたかもしれない凶器とかなくなっているものとかはないんか?」
タマモクロスが尋ねるとアグネスタキオンは少々困った顔をする。
「うーん後で説明するけれど、私の記憶は一昨日の昼頃からごっそりなくなっていてね。何が無くなったかは正確にはわからないんだ」
ただね、とアグネスタキオンが続ける。
「私の研究は基本的には通常の研究室と同じ手続きをして行われる。どういうことかと言うと欲しい薬品や器具は学園に申請し、研究ノートを残しているんだ。それを見たところ確実になくなっているものがあることが分かった」
「それはなんや?」
タマモクロスが聞くと、アグネスタキオンが答える。
「まず一つはネンブタールという薬品だね。実験動物用の麻酔薬さ。そしてもう一つは……私の最近の研究データだ」
「なるほどな」
タマモクロスは少し考えてから言う。
「じゃあ犯人の狙いはそれと見てよさそうやな」
普通の殺人事件は殺人そのものが目的となる場合が多い。例外として他に目的があり、それをするためには被害者が邪魔だったというパターンもある。今回はまさにそうだと言えるだろう。
「でも、だからと言って動機から絞っていくのは難しそうですね」
これは実際その通りだった。この動機には犯人の唯一性が見えてこない。
「せやな。基本的には状況証拠から考えていくしかない。そのために、さっき少し話にも出たが、ここで改めてタキオンハンマーについて教えてくれんか?」
「いいだろう」
そう言うとアグネスタキオンがハンマーについての説明を始める。
効果
一定以上の力で頭を殴ることによって以下の効果が発動する。なお一定以上と言っても、頭に傷が残るほどの力は不要。
(1)使用された時、使用記録がアグネスタキオンのパソコンに残る。
(2)殴られた者は殴られる前のおよそ24時間の記憶を失う。
(3)殴られた者は仮死状態となる。その時呼吸や心拍は限りなく0になる。
(4)殴られた者はおよそ12時間後に自然と目を覚ます。ただしそれ以前であっても、強くゆすられたり大声を出されたりすれば目を覚ます。
「というわけさ。わかりやすいようにこれからはこの効果を上から効果①、効果②というように呼ぶことにしよう」
「なるほどな。了解や」
「ぐへへ……ミザエル×カイト尊い……」
まるで意味が分からないアグネスデジタルの言葉は無視してふたりは話を進める。
「色々聞きたいことはあるが、せっかくだし効果の順に聞いてこか」
「かまわないよ」
「まず効果①からや。これかなり重要やで」
この効果①はタマモクロスの言う通り重要である。
「タキオンハンマーを使ったという前提なら、犯行時刻がわかりますもんね!」
妄想にふけっていたはずのアグネスデジタルが話に入ってくる。
「そうやな。それでタキオン、何時だったんや?」
タマモクロスの質問に考える間もなく、アグネスタキオンが答える。どうやらすでに調べ終わっているようだ。
「13:05だね。昼休みさ。色々な人に犯行のチャンスがあったことになるね」
トレセン学園の昼休みは12:40〜13:30である。
「じゃあこの時間にアリバイのない人が犯人ってわけですね!」
「それだけじゃまだあんま犯人は絞れんがな。じゃあ次行こか」
「次に効果②についてや。本当に犯人とか覚えてないんやな。タキオン」
アグネスタキオンがかぶりをふる。
「本当だとも。それどころかきっちり一昨日の昼休みくらいからの記憶がないよ。まあこれでほぼ確実にタキオンハンマーが使われたってことになるのかな」
人を気絶させること自体は他の方法でもできなくはないが、記憶をなくすことはタキオンハンマーがなければ不可能である。凶器についてはこれで決まりのようだ。
「次は効果③か。仮死状態っていうが、それは何も知らない人が見たら本当に死んでるって思うものなのか?」
「そうだろうね。この状態では心臓や肺が止まるだけじゃなくて体温も下がる。そう考えても無理はないだろう」
「……ということは例えば何も知らないやつが偶然タキオンハンマーでお前の頭を殴って、死んだと勘違いしそのまま逃走したってことも考えられるんか?」
「うーんどうだろうね。なくはない、というくらいじゃないかな」
そう言いながらアグネスタキオンは頭を見せる。
「タキオンハンマーは力はいらない代わりに、かなりピンポイントで頭を撃ち抜かないと効果を発動しないんだ。頭のこの部分。ちょうど頂点だ。何も知らない人がたまたま偶然ここをハンマーでたたいたりするのかな?」
確かにそれは不自然だ。……メイショウドトウあたりならやりかねないが。タマモクロスがそんなことを考えていると、アグネスデジタルが話し出す。
「待ってください! タキオンハンマーを知らない人が事件を起こした可能性はまだ考えられますよ!」
「ふむ。なにかな?」
次にアグネスデジタルが言ったことはあまりに突拍子もないことだった。
「犯人は本当の殺人鬼だったんです! それでタキオンさんを殺そうとして、たまたま凶器として使用したのがタキオンハンマーだったんですよ!」
アグネスデジタルが得意げに胸を張る。が、それはすぐにアグネスタキオンに否定される。
「どうかな。さっきも言ったが、タキオンハンマーに力は必要ない。実際私の頭に傷はないし痛みが残ってもいない。本当に殺そうとしたならもっと強い力で殴るか他の殺害の形跡があるはずだよ」
「い、いやもしかしたら、軽くタキオンハンマーで殴ったら死んでくれたから、それ以上の殺害計画は必要ないと判断して逃げたのかも……」
とアグネスデジタルは反論するが、
「いやそれもない」
これもすぐにタマモクロスに否定される。
「現場の状況を思い出してみ? タキオンは出口付近で出口の方を向いて倒れてたんやで。タキオンの身長は普通くらい。何も知らないやつがタキオンの脳天を殴るシチュエーションはタキオンがしゃがんでるか座ってるかや。だが出口付近でタキオンがそれをする理由が全くない」
むむむむとアグネスデジタルはうなった後、結論を述べる。
「タキオンハンマーの効果を知らない人の犯行とは考えにくい。ということは犯人はタキオンハンマーについて知っている人ということですか?」
タマモクロスがうなづいた。
「そういうことになるな」
「じゃあ最後に効果④について考えよか。と言ってもあまり事件には関係しなそうやな」
「そうだね。ただ私はおよそ6時間ほど目を覚まさなかった。昨日はきちんと寝ていた。かつ外傷はなく、体内から薬は検出されなかった。つまり、私がタキオンハンマーで眠らされたことのさらなる裏付けにはなるかな」
通常ただ気絶させられただけでは、6時間もの間床で寝ていて目を覚まさないことはないだろう。アグネスタキオンの言うことは正しい。
「私が起こそうとしたらすぐに起きたのもこのルールのためですね!」
倒れているアグネスタキオンを起こしたのはアグネスデジタルのようだ。
「せやな。まあだいたいこんなもんか」
大体の情報の整理が終わったようだ。まとめるのはアグネスデジタルだ。
「つまりここまでの推理をまとめると、犯人は
①タキオンハンマーを凶器として使った。
②昨日の13:05にアリバイがない。
③タキオンハンマーの効果を理解している。
以上を満たす人物ですね! これでだいぶ絞れましたよ! お楽しみはこれからですね!」
アグネスデジタルは上機嫌だ。情報を集めて犯人を絞っていく過程が楽しいのだろう。しかし、
「なるほどな」
「なるほどなるほど」
楽しそうなアグネスデジタルとは裏腹に、二人の冷たい視線が彼女に集まる。
「なんですか? 二人とも私を見つめちゃって。尊死しちゃいますよ〜」
軽口を叩くアグネスデジタル。タマモクロスがはっきりと告げる。
「なあデジタル。犯人はお前やろ」
アグネスデジタルがええっ! と驚く。アグネスタキオンが続ける。
「そうだね。タキオンハンマーについて知っているのは私以外に、カフェ、スカーレット君、デジタル君。この3人だ。それに君はいつも昼食を食べたら、そそくさとどこかにいなくなるじゃないか」
ちなみにいなくなったあとでしていることは主にウマ娘の盗撮である。
「ぐぅ。確かにそうですけどお」
反論できないアグネスデジタルにタマモクロスが追い打ちをかける。
「大体殺人事件において第一発見者が一番怪しいってのは相場で決まってんねん」
「……聞いたことあります。ていうかコナンでも何回かありました……」
しかし自分の言葉でコナンあるあるを思い出したのか、犯人特有のを言い出す。
「そ、そうだ! 私には動機がありませんよ! 動機がないんじゃあ犯人とは言えませんねえ!」
急に勝ち誇りだすアグネスデジタルだったが、二人の視線は変わらず厳しい。
「お前タキオンが気絶して起きないのをいいことに、いやらしいことしてたんとちゃうか?」
「ぎ、ぎくぅ! なぜ私がタキオンさんを起こす前におさわりしたのを知ってるんですか!?」
勝手に墓穴を掘るアグネスデジタル。アグネスタキオンはやれやれといった風に頭を振る。
「そんなことをしていたんだねえ。もう君に研究の手伝いを頼むのはやめようかな。金輪際研究室には近づかないでくれたまえ」
アグネスデジタルはすべてのウマ娘をこよなく愛する。アグネスタキオンにこき使われるのさえ至上の喜びであった。それだけにこの宣告によるショックは大きい。
「そんなあ。やっとエバポレーターの使い方も覚えたのに……」
「残念だったね。最近自動濃縮エバポレーターを導入したんだ。遠隔操作も可能な優れものさ」
「いよいよ私用済みじゃないですかあ……」
エバポレーターとは理科室にあるくるくるフラスコが回っている機械だ。溶媒を蒸発させて試料を濃縮するために使われる。
今アグネスデジタルの頭の中ではアグネスタキオンとの思い出がエバポレーターのフラスコのようにグルグル回っているのかもしれない。
一通りアグネスデジタルを責めると、二人は現場を離れることにする。
「まあデジタル君を詰めるのはこれくらいにして、他の二人の話も聞きに行こうか」
「せやな」
アグネスデジタルもちょこちょことそれについていく。
「な〜んだ。私が犯人っていうのは冗談だったんですね!」
「いや君が今のところ一番怪しいよ。ただ他の可能性を潰さないで君だと断定することはできないというだけさ」
「ええ……」
そんなことを話しながら向かったのは高等部の教室だった。
「……なんですか?」
警戒した顔で3人を見つめるのはマンハッタンカフェ。
彼女はよくアグネスタキオンの実験に利用される。今回も良くないことにつきあわされるのではないかと思っているのだ。
「そうけったいな顔すんなやカフェ。ちょっと教えてほしいことがあんねん」
タマモクロスが質問をする。
「お前昨日の13:05頃、どこで何をしてたか覚えてるか?」
「昨日の13:05? たしか
その言葉を聞いてアグネスタキオンが話を遮る。
「待て。なんでそのことを知ってるんだい?」
マンハッタンカフェは少し怪訝な表情を浮かべる。
「なんでって……。一昨日タキオンハンマーが使われたっていう信号が私とスカーレットさんにも届くようにしたじゃないですか。無闇に使わないようにって」
そう言いながらマンハッタンカフェがメールボックスを見せる。そこには13:05にタキオンハンマーが使用されたというメールが届いていた。
「一昨日、か」
アグネスタキオンの一昨日の記憶は失われている。このようなことも起こるのだ。
訝しむような顔をしているマンハッタンカフェを見てアグネスデジタルが事件について説明する。
「……ということなんです。タキオンさんは昨日の13:05から前およそ24時間の記憶がありません」
「なるほどそうでしたか。それで13:05頃のアリバイを……」
マンハッタンカフェは少し考えるが、
「申し訳ありません。私は昼休みは1人で過ごします。アリバイを証明できる人はいないかもしれません。ですが私はやってないとだけ言っておきます」
どうやらアリバイはないようだ。これに対してアグネスタキオンが言う。
「ふうん。まあアリバイがないからと言って犯人と決まったわけじゃない。また何かあったら聞きに来るよ。時間をとらせたね、カフェ」
「いえ。そちらこそ災難でしたね。ご自愛ください」
なんとなく穏やかな雰囲気が流れる。
「なんか私の時と違いますねえ……」
アグネスデジタルだけが納得していない様子だった。
次に向かったのはアグネスタキオンの研究室からほど近いところにある中等部の教室だった。
教室に入ると、窓際の席に座っているツインテールの少女がアグネスタキオンを見つけて駆け寄ってくる。
「こんにちは! タキオンさん! どうしたんですか? こんなところに」
彼女はダイワスカーレット。中等部に在籍する。学業、レースともに好成績を残し、素行も良い優等生である。あまり相性は良くないように見えるが、アグネスタキオンを慕っている。
「やあスカーレット君。今日も元気そうで何よりだよ」
アグネスタキオンもまたそんな彼女をかわいがっていた。
「さて、スカーレット君。君は昨日の13:05頃、どこで何をしていたのかな?」
「13:05ですか? えっと、たしか昨日の昼休みは教室でお弁当を食べた後、ずっと自分の席でスマホを見ていたと思います」
そう言って自分の席を指差す。窓際の席だった。
4人はダイワスカーレットの席に移動する。そこからはアグネスタキオンの研究室がよく見えた。
「本当に昼休みの間一度も席を教室から出てないんか?」
タマモクロスがこのように聞くのは、この教室がアグネスタキオンの研究室にかなり近いからだ。走れば1分とかからず行けてしまうだろう。ゆえにトイレに行っていて10分席を外した、というようなことがあれば十分に犯行が行えてしまう。
「はい。そうだと思います」
しかしダイワスカーレットはそう答える。教室にいたということは誰かしらはアリバイを証明できる者もいるだろう。つまり犯行は不可能だったということだ。
「なるほど。いや急に押しかけて悪かったね。実は昨日のその時間に私はタキオンハンマーで殴られてしまったようなんだ。それで今誰がそれをやったのかを探しているのさ。どうやら君ではなさそうだね」
アグネスタキオンはダイワスカーレットの容疑が晴れてほっとしているようだ。だが当のダイワスカーレットはそれを聞いて怪訝な顔をしている。
「なんやスカーレット。なにか気になることでもあるんか?」
タマモクロスに質問され、そちらを見てから、視線をアグネスタキオンに戻すダイワスカーレット。
「えっと、本当にタキオンさんはタキオンハンマーで殴られたんですか?」
「ああ。間違いない」
その確認にアグネスタキオンがうなずく。
「そうですか……。一昨日の記憶が無くなってるってことですもんね。実は……」
次にダイワスカーレットが言ったことは衝撃的なことだった。
彼女に礼を言うと、3人は急いでアグネスタキオンの研究室に戻る。
「よし……じゃあ行くで」
「本当にやるんですかあ……?」
タマモクロスがタキオンハンマーを構える。アグネスデジタルは椅子に座っている。
「しかたないよ。これも実験だ。なあに、痛かったらこれで冷やしてあげるから安心したまえ」
「……なんですか。そのもわもわ煙が出てる瓶は……?」
アグネスタキオンの足元にある瓶からは白い煙が出ている。明らかに傷を冷やすための物ではない。
「液体窒素さ。-196℃を上回らない冷却剤だよ」
「-196℃!? むしろそれが原因で死んじゃいますよ! 氷とかないんですか!?」
「ふむ。氷は実験で使うときにしか持ってこないんだ。それに比べて液体窒素は毎日使うのでね。自然と蒸発してしまうからくんでくるのが大変だよ」
「……そういうの大体トレーナーさんかスカーレットさんにやらせてるじゃないですか……」
嫌がるアグネスデジタルをしり目にタマモクロスがタキオンハンマーを構える。そして、
「おら──っ! 覚悟せいやああ!!」
「ぎゃあー! 助けてえー!!」
という勢いの割には、ポンと軽くハンマーが振り下ろされる。
本来ならこれでアグネスデジタルは意識を失うはずなのだが、
「……何ともないです」
アグネスデジタルは意識を保つ。
「ふうむ。なるほどねえ」
そう言いながら、アグネスタキオンがハンマーを握る。すると、
「指紋認証確認。
ハンマーからそんな声が聞こえる。同時にハンマーが赤く光り出す。それを見て、アグネスタキオンがぽつりと言った。
「スカーレット君の言ったこと本当だったのか」
ダイワスカーレットが言ったことは、
このハンマーはアグネスタキオンの指紋によって起動し、それ以外の者が使おうと思ってもただのハンマーでしかないのだ。
「でもそれが本当だとすると……」
アグネスデジタルが口をつぐむ。タマモクロスがそれを引き継ぐ。
「ああ。タキオンは自分で自分をたたいた。
アグネスデジタルとタマモクロスが黙っていると、アグネスタキオンが笑い出す。
「ははは! いやあ実に下らない幕切れだよ。結局のところ犯人は私だったということか」
自嘲するようにそう言ったアグネスタキオン。だが、
「……私はこれが真相とは思いません」
それを否定する者がいる。アグネスデジタルだった。
「……なぜそう思うんだい?」
「私はタキオンさんが倒れている現場を見ました。なぜかははっきりとわかりませんが、タキオンさんが何も考えずにハンマーを使ったとは思えないんです」
タマモクロスもそれに続く。
「ウチもそう思うで。タキオンが自分で自分を殴ったのは事実なんやと思う。だがそこには確実に何らかの理由があるはずや」
二人の話を聞いて、アグネスタキオンがゆっくりと口を開く。
「……この私の行動に言いようのない違和感を感じているのは、他でもない私自身だ。もう一度事件について考えたい。……協力してくれるかい?」
アグネスタキオンの言葉に強くうなづく二人。
最後の推理が始まろうとしていた。
「今回の事件について、ずっと『誰がタキオンを殺したか?』を考えてきた」
「でも、そうじゃなかったんですね」
「ああ、問題は『
3人は改めてハンマーの効果を思い出す。
第一の効果。使用記録。
第二の効果。記憶消去。
第三の効果。仮死状態。
第四の効果。自然復活。
アグネスタキオンが自らタキオンハンマーを使ったということは、このうちのどれかの効果を使用したかったからだと考えられる。
それは何だろうか?
「とりあえず四つ目の効果は今回は発動しなかったから、一旦置いておくとして……。まず効果①から考えてくで」
アグネスデジタルが意見を言う。
「こういう時間を確定するものはよくアリバイトリックなんかで使われますよね……?」
「ふむ。そういうものか。ただ今回その線はなさそうだね」
しかしそれをアグネスタキオンが否定する。
「タキオンハンマーの設定そのものをいじるのは私以外には不可能と断言しよう。その前提の上でアリバイを作ることができるのは私だけだ。ここまで全てが自演だとすればそれもありうるが、それは考えづらいというのは君たちもわかってるんじゃないかい?」
アグネスタキオンがアリバイを作るとしたら、何かその時間に他のことをしていたことになる。だがそっちが発覚してもいないのに、先にアリバイのほうを成立させようとするのは全く論理的ではない。
「じゃあ次に効果②を使いたかったということやが……。これはまあなくはないな」
第二の効果が目的だとすると、アグネスタキオンが自らの記憶を消去したかったということになる。言うならば自殺に近い。何か忘れたいことがあって衝動的にハンマーで頭をたたいた。十分にありうる話だ。だが、
「私はこれないと思います。なんというかタキオンさんらしくない」
アグネスデジタルが否定する。
「どういうことや? デジタル」
タマモクロスが言うと、アグネスデジタルが説明する。
「タキオンさんが本気で自分の記憶を消そうとしているなら、例え衝動的なものであったとしても、ううん衝動的に記憶を消したくなるくらいの強い思いがあるからこそ、こんな不完全な方法はとらないと思います。現にこのまま捜査が進めばきっと記憶を取り戻すきっかけを見つけるんじゃないでしょうか?」
推理とはピースを集めて一つの絵を完成に近づけていく作業だ。最終的に埋まらなくとも、そこに何があったかはおのずと見えてくる。
「そうかもしれないね。私なら衝動的に頭をたたく前に、まず完全に記憶を消してその違和感を消すような機械を作る作業に没頭するだろう」
であれば、とタマモクロスが続ける。
「効果③、か」
仮死状態とは呼吸と心拍がほぼ0になることである。
自らその状態になりたい? 一体なぜ?
(そういえば、仮死状態にする効果はコールドスリープなんかに使えるって言ってたな)
コールドスリープ。身体機能を停止させることで老化を防ぎ、寿命を延ばす。
(……
タマモクロスは考える。ひとつづつ、そのキーワードの周りにピースがはまっていく。
(タキオンハンマー、倉庫に続く押し扉、狭い倉庫、エバポレーター、研究室からなくなったもの、発信された使用記録、外から見える研究室、液体窒素、そしてタキオンしか使えないという事実)
今日得た情報がつながっていく。そして、
「犯人が、トリックが分かったかもしれん。それが可能か試してみたい。協力してくれるか?」
どうやら結論が出たようだ。
「くく。実験か。いいだろう」
三人の実験と検証は遅くまで続いたのだった。
翌日の放課後、タマモクロス、アグネスタキオン、アグネスデジタルが研究室に集まっていた。三人ともある人物を待っている。
数分経っただろうか。がちゃりとドアが開く。
「……なんですか? 話って」
怪訝な表情を浮かべる少女に、タマモクロスが言う。
「タキオンがタキオンハンマーで殴られた件な、あれの犯人とトリックが分かったからお前に聞いてもらおうと思ってな」
その言葉にわずかの沈黙が生まれる。
「……どうして私に?」
「決まってるやろ」
タマモクロスが指をさす。
「お前が犯人だからや。──スカーレット」
その先にいたのはダイワスカーレットだった。
初めに話し出したのはダイワスカーレットだった。
「私が犯人も何も、タキオンさんを殴ったのはタキオンさん自身ってもう結論が出たじゃないですか」
タマモクロスが頭を振る。
「違う。お前がタキオンが自らハンマーを使うように仕向けたんや」
「……どうやって?」
ダイワスカーレットはそう言いながら三人を見渡す。だがアグネスタキオンとは目が合わない。どこか遠くを見ているようだった。
「ウチらは今回の事件殺人事件のようだと思ってた。そしてタキオンハンマーは凶器の代わりだとも」
タマモクロスが話始める。
「だがそれがそもそもの間違いやった。むしろ逆。
ダイワスカーレットが黙っているのを見て、続きを言う。
「タキオンハンマーを使うことでタキオンは仮死状態になる。そうなるとどうなるか。呼吸が止まるんや。呼吸が止まれば、周囲の空気を吸う必要がなくなる」
「……それがなにか?」
4人だけの研究室。話は核心に迫ろうとしている。
「事件が起きたその時、倉庫の中はガスで満たされていた。死のガスによってな」
それを聞いたダイワスカーレットは、動揺するでもなくおかしそうに笑っていた。
「どうした? 何がおかしい?」
「何がおかしいって……おかしいところしかありませんよ。そうですね、まずどうやって毒ガスをまいたんですか? 私はずっと教室にいたんですよ?」
そうだ。今回の結論はあまりに突拍子もない。一つずつ紐解いていく。
「ええやろ。まずそこから行こか」
タマモクロスは説明を開始する。
「このトリックに使われたものはエバポレーターや」
そう言ってエバポレーターの元へ歩いていく。手動の旧式ではなく、最近導入したという全自動の最新式の方へ。
「エバポレーター……? 溶媒を飛ばすのに使う機械ですか。一体何に使うんですか?」
「いや今回使ったのはその機能じゃない。回転するフラスコそのものや。ちょっと再現してみよか」
デジタル、頼む。タマモクロスがそう言うと、はいっ! という返事とともにアグネスデジタルがすぐに動き出す。どうやら準備をしてきたらしい。
まずアグネスデジタルはエバポレーターの回転するフラスコに糸を巻き付ける。そして糸のもう片方は金属の瓶に巻き付ける。
「この瓶にはタキオンを死の直前まで追い詰めた物質が入ってる。これを倉庫の奥に置くんや」
アグネスデジタルが倉庫の奥に瓶を持っていき、糸を目立たないように地面を這わせてから扉を閉じる。
「この状態でエバポレーターを起動する。これは遠隔操作可能やからな。お前が教室にいても起動することができたってわけや」
糸がフラスコに巻き付けられていく。そして、
ガチャン!
大きな音が鳴る。瓶が倒れた音だろう。これでガスは倉庫いっぱいに広まった。
「とまあこれが遠隔操作でガスをまいたトリックや。そしてお前はタキオンが眠った後に色々な証拠を隠滅したようやが、エバポレーターを使ったという記録だけは消し切れなかった。この記録はタキオンのパソコンだけではなく研究室のパソコンにも残るのものだからや」
研究室のパソコンにはタキオンハンマーが使用された1分程前に、エバポレーターをダイワスカーレットが使用したという記録が残っていた。これがダイワスカーレットが犯行を行ったという証拠だ。だが、
「確かにそれならガスを倉庫に充満させることは可能かもしれません。でもだから何ですか? まだ説明されていないことがありますよね?」
ダイワスカーレットが反論する。彼女の言う通りだ。これはトリックの三分の一に過ぎない。
「ガスっていったいどこから手に入れたんですか? タキオンさんの部屋からは毒ガスになりうるようなものはなくなってなかったのでは? よしんば私が何らかのルートでそれを手に入れられたとしても、倉庫全体に散布したならそれがどこかに付着するはずです。証拠を隠滅したと言っても完全に倉庫を隅々までふき取るのは不可能ですよね?」
これがまず一つ目の疑問。ガス自体について。今回の事件において現場となった倉庫からは
「それにまだありますよ。タキオンさんは出口そばで倒れていたんですよね? ならタキオンハンマーを使うよりも先に、ドアを開ければいいじゃないですか。そうすればガスは広い実験室のほうに抜けていくはずです」
そしてこれが二つ目の疑問。密閉された倉庫と違って、研究室は常に換気されており、扉さえ開けば簡単にガスは抜けていく。それなりに精密な動作を求められるタキオンハンマーを自分の頭に振り下ろす余裕があるなら、
「これが説明できなければ、私が犯人ということにはなりません。タキオンさんが自分の意思で記憶を消したと考える方が自然じゃないですか?」
三人は黙って聞いている。だが、それは答えに窮したからではない。
計算をした。実験もした。そして、
「お前の言うことはもっともや。スカーレット。だがその二つの疑問はある物質を使うことで起こりうる事象になる」
そう言ってタマモクロスは倉庫の扉の前に立つ。
「お前はあの部屋から無くなったものはないと言っていた。実際ウチらも、データと麻酔薬以外に無くなっているものはないと思っていた。だがな、あったんや。それ以外に消えたものが」
「……なんですか? もったいつけないで早く言ってくださいよ」
強い言葉とは裏腹に、ダイワスカーレットの声に焦りが混じる。彼女の紅い眼はわずかに力を失ってきている。
「それは放っておけば自然と空気に帰る。そして毎日なくなるため、毎日汲みに行くものや」
検出されないのは当然だった。なぜならそれは空気中に最も多く存在する物質なのだから。
「あの瓶に入っていたもの。それは
液体窒素。空気の約80%を占める窒素が-196℃で液体になったものである。保冷効果のある瓶にあるうちはそれなりに液体の状態を保つが、床にぶちまけられれば一瞬で気化して気体の窒素となる。
窒素自体は人体には無害である。だが、
「空気中の窒素が増えすぎると酸素濃度が下がる。酸素濃度が下がれば窒息は免れない。液体窒素は気化することで体積はおよそ700倍になる。あの瓶に入っているくらいの窒素でも、狭い倉庫の酸素濃度は一気に下がったはずや」
タマモクロスが倉庫の扉に手をかける。鍵のない押し扉。
「そして窒素によって部屋全体が満たされた時、倉庫は脱出不可能な密室となる」
そう言いながら倉庫の扉を思いきり押す。しかし、
「……
扉はびくともしない。タマモクロスが続ける。
「これは倉庫の中と外の気圧差によるものや。倉庫の内部は今大量の窒素によって圧力が高まってる。よってこちらからは押し扉、向こうからは引き扉のわけだが、倉庫内部の空気の押し出す力に負けて扉は開かないんや」
遠隔操作によるガスの散布の方法。ガスの正体。そして開かない扉。すべての謎が解けた。
「つまり事件の全貌はこうや」
最後の説明を始める。ダイワスカーレットはすでに一言も発さなくなっていた。
「まずスカーレット、お前は午前中のうちに液体窒素を汲んできた。この時タキオンに頼まれたのとは別の瓶に入れた液体窒素を倉庫に隠す。そしてエバポレーターと瓶のトリックの準備をして研究室を立ち去ったんや」
準備の際、ダイワスカーレットはタキオンハンマーを倉庫の出口そばに置いた。極限状態での唯一の生き残る道を用意したのだ。
「昼休みになったら窓際の自分の席に座って研究室を見る。そしてタキオンが倉庫に入っていったのを確認し次第、エバポレーターを遠隔操作しトリックを発動する。この間お前はずっと教室にいた。アリバイも成立したってわけや」
トリックを発動しておよそ1分後、ダイワスカーレットはタキオンハンマーが使われたという信号を受信した。これによってトリックが成功したことを確信したのだ。タキオンハンマーを使えるのはアグネスタキオンだけ。そして倉庫に入っていったのはアグネスタキオンのみであった。であれば、これはもう自分で自分を殴った以外ありえない。
「もっともタキオンが思い通りに動かなかった場合、最悪そのまま窒息死する可能性も考えられる。だがそれもぬかりない。お前の教室からタキオンの研究室まで走って1分。トリックが失敗したとわかったところからでも、急げば十分に救助可能や」
当然ダイワスカーレットは本当にアグネスタキオンを殺す気はなかった。窒素で満ちた部屋の空気を抜く方法をあらかじめ用意していたのだろう。用意さえあれば、壁に小さな穴をあけて部屋の圧力を下げるといったことも容易い。
「トリックがうまくいったことが確認出来たら、その後次の休み時間にでも研究室に行く。そこでお前の目的であるデータの消去、薬品の廃棄などを行い、最後にできる限りの証拠隠滅を行ったというわけや」
そして推理が終わった。
「なにか反論はあるか?」
「……ありません」
ダイワスカーレットは素直に犯行を認める。ここから結論を覆すのは厳しいとわかっているのだろう。
「……一体なんでこんなことをしたんですか?」
アグネスデジタルが聞く。しかしダイワスカーレットは答えようとしない。
するとここまで一言も発さなかったアグネスタキオンが突然話し出す。
「くくく。私にはわかるよ。君が私から奪ったのは実験データと麻酔薬だ。これが意味することは何か? そう、
ダイワスカーレットは尚も言葉を発しない。その眼には心なしか悲しさが浮かんでいるようにも見えた。
「沈黙は肯定と受け取るよ。まあ今後はこういうことはしないでくれたまえ。では諸君、これにて事件は解決だ。私は研究を再開する。みんなここで解散だよ」
アグネスタキオンがそう言って、とりあえず事件は終結を迎えた。
タマモクロスはなんとなく釈然としないまま研究室を去ったのである。
その夜タマモクロスは考えていた。
(今回のスカーレットがやったことはかなり危険なことやった。万全の準備をしていたにせよ、下手をすればタキオンは死んでた。あんな理由では納得がいかん。何かあったんちゃうか?)
改めて研究室から消えたものについて考える。
(一つはタキオンの研究データ。もう一つはネンブタール。麻酔薬)
ふと気になって薬品について調べる。
……そこには驚くべきことが書いてあった。
(……タキオン……!)
アグネスタキオンの元へ向かおうと急いで体を起こしたその時、計ったようにメールが届く。
それはアグネスタキオンからのものであった。
文面には短く一言。
『私なら、大丈夫だ』
その短いメールに不思議と安心感を覚える。
タマモクロスはアグネスタキオンを信じることにしたのだった。
~エピローグ~
「ふう……」
研究データの復元が完成する。
残っていたデータをかき集めて、破棄される前と同じ結論を出したのだ。
その結論は私にとって予期していたことではあった。
『
私がこのトレセン学園に入った目的はウマ娘の限界を知ることだった。
その限界に到達するのは私でなくてもかまわない。
だから私自身が限界を目指すプランA、私以外にそれを託すプランBを作りそれぞれの研究をしていた。
毎日データを集め、計算を繰り返してきた。
そして先日、ある結論が出てしまったのだ。
それは私の体は限界に到達する前に壊れてしまうということだった。
それを知った瞬間、私の頬を涙が伝っていった。
私はなぜ泣いているのだろうか?
私自身がウマ娘の到達点となることにこだわりがあったのだろうか?
世界最速の称号を得て周りから称賛されたかったのだろうか?
……違う。そうじゃない。
これは自分でも気づかなかった思いだ。
失うことで初めて知った、私の本能。
私は、好きだったんだ……。走るのが大好きだったんだ……。
最速なんていらない。それは他の誰に挙げてもいい。
ただ、自分の脚で走っていられれば、それでよかった。
その時私はあまりにも簡単に自分の命を捨てる選択が頭によぎった。
そして創り出したのがネンブタールだ。
麻酔薬なんてとんでもない。
これは、
もちろん100%死ぬ方向に考えていたわけじゃない。だがそれが頭にあったのは事実だ。
スカーレット君はそんな私を止めようとした。
空気が薄くなり意識が遠のいていく瞬間の記憶がよみがえる。
あの時私は生きるために行動した。
『死ぬなんて言わないでよ! タキオンさん!!』
君の声が聞こえたんだ。
くくく。ツンデレと言うやつかな?
今私は生きようと考えている。
例えいつか走れなくなったとしても研究は続けていくよ。
私はね、思うんだ、スカーレット。
私の研究は他の誰のためでもない。君のためにあるんじゃないかって。
君がいつか光のように輝くためにあるんじゃないかって。
私の思いはいつか君に届く。君が私の夢をかなえる。
そんな気がするんだ。
そう、
というわけで、今回は遊戯王回!ではなく物理トリックの回でした。
物理トリックとは物理法則、自然現象、機械・装置などの仕組みを用いて、構成されるトリックのことです。
王道ですが本シリーズでは何気に初でした。