ま……知ってるヤツが多かろーが少なかろうがどうでもいいことだが。
ぼくの名は「岸辺露伴」。マンガ家だ。
以前ぼくは「ピンクダークの少年」という作品を少年ジャンプに連載していたことがあり───あの傑作を読んでないからって編集部に電話するのはやめてくれ───その連載にひと段落が着いたタイミングで、集英社の編集から「侍」をテーマにした短編執筆を依頼された。
そして今、ぼくの目の前にある原稿こそがその依頼を受けて描いた作品……日本の大正時代を舞台とした、人を喰らう鬼とそれを滅さんとする鬼狩りの侍たちとの死闘を描く剣戟奇譚だ。
この話の設定を聞いて、ちょっとした違和感を感じた読者も少なくないだろう。ま、無理もない……究極の「リアリティ」を追及するこのぼくが、作品に想像上の存在とされている「鬼」を登場させるだけでなく、明治時代に廃刀令によって刀を奪われてしまった彼ら侍の物語をよりによってその一つ先の「大正時代」で紡ごうとしている……とてもじゃあないが、一聞しただけではこの作品が最高の「リアリティ」に溢れているとは思えないはずだ。
だが、信じて欲しい。この作品は全て
この岸辺露伴が「実際にこの身で体験した」出来事なのだ。
おいおい、なんだよ。まるで近所のファミレスで怪しいビジネスマンにマルチ商法の勧誘を受けている時にするような、「そんな絵に描いたような夢物語に私は騙されないぞ」って感じの顔は───いいだろう。そこまで疑っているなら、今これを見ている君にその信じられないような体験を語って聞かせてやろうじゃあないか。
題名は……そうだな……「悪鬼滅殺」? 「鬼殺の流」? いいや、どれも違うな。このエピソードにぴったりな言葉は、そう───
「鬼滅の刃」。それが今から話す誇り高き人々の物語だ。
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「<侍>についての文献を探してるんだ」
上塗りされたニスが所々剝がれ落ちてすっかり古ぼけてしまった木製のカウンターにもたれかかりながら、岸辺露伴はそう言った。
時刻は午前十一時半、場所はS市のとある図書館。県内随一の蔵書数を誇るこの場所に訪れた露伴の目的は、依頼された<侍>をテーマにした短編執筆のための取材だった。
声をかけられた司書の女性は手元のコンピューターから視線を上げると、にこやかに微笑んだ。
「あら、露伴先生」
その反応からも分かる通り、司書と露伴は顔見知りだ。露伴は仕事柄、取材のために普段からよくこの図書館を訪れているのだ。
露伴より一回りほど上の年齢であろう彼女の顔はやや濃い目の化粧で上手く若作りされていたが、対照的に首元に深く刻まれたシワには隠し切れない年齢相応の衰えが浮かんでいた。
「それなら向こうの歴史コーナーにあると思いますよ。あそこにある十四番の列の棚です」
この図書館では、医学書なら一番の列にある棚、ビジネス書なら五番の列にある棚……といった風にジャンル別に本が棚へ分けられ、それぞれ列ごとに番号が振られて整頓されている。天上から吊り下げられている「⑭ 歴史」と書かれたプラカードを指し示しながら、司書はそう答えた。
しかしその言葉を聞いた露伴は不満気に首を横に二度振った。どうやら露伴が司書に求めていた答えは、そういうことではないらしかった。
「そんな初歩的なことは分かっているさ。ぼくがここを初めて利用するわけじゃあないってことは君も知っているだろう?」
「ええ、もちろん」
「あそこに並んでいる本ではダメだから、ぼくは相談しているんだよ。あそこに並んでいるのはどれも<侍>という過去の存在を<現代人>というクッションが解釈し解説した、ページの量だけ多くて中身は全くの薄っぺらなつまらない本ばかりだ。読めば表層的な知識なら得ることができるかもしれないが、それを元に描いた作品には
どこまでもひねくれた真っ直ぐな目で自分を見つめる露伴の言葉は、自然と司書にその言外に隠された意図を探させていた。直角に曲げられた腕を土台にして頬杖を突きながら司書はしばらく黙って考えこんでいたが、ほどなくして閑散とした館内に彼女が鳴らしたポンと手を叩く甲高い音が響き渡った。
「閉架書庫、ですか」
「その通り」
閉架書庫とは、図書館内にある高額な本や珍しい本を管理している特別な書庫のことだ。貴重な本たちを保護するために厳重な管理体制が敷かれており、原則として一般利用者がその書架の間を歩くことはできない。閉架書庫内にある文献を閲覧するためには、職員に請求して書庫からそれを取り出してもらわなくてはならない……そういうルールになっている。
露伴はポケットから小さなメモを取り出し、カウンターへと差し出した。古紙をリサイクルして作られているのであろう若干黄みがかったその紙の上には、五、六冊ほどの文献の名前が走り書きでリストアップされていた。
「取り出す文献たちはこのメモの通りで頼むよ」
ずり落ちた眼鏡をかけ直しながら、露伴に渡されたメモと手元のコンピューターとを交互に見つめる司書。
「困りましたねェ……」
「<困った>? どういうことだい? まさか僕より先にこの稀覯本たちを軒並み借り漁ったヤツがいて、もうこの図書館には影も形もないなんてことじゃあないだろうね?」
「いえ、そういうわけではないんですけどォ……」
語尾が間延びした司書の言葉はどうも歯切れが悪い。
「実はこれからちょっとした外回りの仕事がありましてねェ……」
「おいおいおいおいおいおい、まるで営業マンみたいなことを言うじゃあないか。本と向き合うのが仕事の君に、どうして<外回り>なんてものが発生するんだ」
「ですよねェ……私もびっくりなんですよねェ……」
「……まあいいさ。なら他の職員に頼もう」
「それがですねェ……見ての通り、今この図書館にいる職員は私一人だけなんです」
司書の言葉を受けて辺りを見回した露伴の視界には、たった一つの人影さえも映らなかった。今は平日の昼間であり、会社員や学生はそれぞれの仕事場の席に着いている真っ最中ではあるが、それを差し引いても館内に人が二人しかいないというのはまるで
「……なら、その<外回り>が終わるまでここで待たせてもらうよ」
「でも、大丈夫なんですか? マンガ家は色々と忙しい仕事でしょうし……ほら、締め切りとか」
司書はただ多忙への気遣いという善意でこの言葉を投げかけたのだろうが、プライドという概念を擬人化したような人間性を持つ岸辺露伴に対しては間違いなく不適切な表現だっただろう。
普通なら到底ありえない状況の積み重ねに辟易としながら心の内に苛立ちを積もらせていた露伴の堪忍袋の緒は、この一言によってプッツンとブチ切れてしまった。
「<締め切り>だと? この岸辺露伴をそんな下らないものに背中を刺されるようなそこいらの三流絵描きと一緒にするなッ! ぼくのスピードなら原稿は四日! カラーなら五日で描ける……アシスタントなしで、だッ! 例え<時が加速している>状況だったとしてもぼくが原稿を落とすことなんてないッ!」
「ひッ……す、すいませェん」
激昂し怒鳴る露伴の声量は、「館内ではお静かに」というマナーには明らかに違反する凄まじさだった。もしも他に利用者がいたのなら冷ややかな視線を向けられることはまず間違いなかっただろう。館内にいたのが露伴と司書の二人だけだったことは幸いなことだった。
「お詫びと言っては何ですが……」
未だその表情に怒鳴りつけられた恐怖の余韻を残す司書は、手元の引き出しからじゃらじゃらとした鍵束を一つ取り出し、露伴の目の前に差し出した。鍵束には五つほどの大小様々な鍵たちが備え付けられており、そのどれもにこびりついた赤錆は開館百数十年にもなるこの図書館の歴史の重みを露伴に感じさせた。
「入られますか、<閉架書庫>。本当なら職員以外は立ち入り禁止なんですけど、今回は特別にってことで」
おいおい、文献を守るのが仕事の図書館司書が「部外者の閉架書庫への立ち入り」なんて、そんなことを許してもいいのかい───そんな露伴の常識人としての部分から生まれた言葉は、彼自身が持つ漫画家としての知的好奇心によって無惨にも押しつぶされた。作品に純粋な面白さを追及する露伴という男にとって、まだ見ぬ貴重な文献が大量に所蔵されているであろう閉架書庫は正にアイデアの宝庫……文字通り「宝の山」であろうことはまず間違いなかった。
脳が考えるよりも先に、脊髄が露伴の身体に電気信号を送っていた。露伴は目の前に吊り下げられた宝の地図をその手中に収めると、「まだぼくはほんの少しだけ不服なんだぜ」という顔を───それとは裏腹な「正直……ラッキーと思った」という本心を必死に抑えて───形作った。
「まあ、なんだ。急に怒鳴りつけたことは悪かった。少しぼくも大人げなかったかもしれない……それに何より、伝わったよ。君の<謝意>だとか<誠意>ってやつは」
「こちらこそ、すいませんでしたァ……」
司書が垂れる謝罪の言葉など、もはや露伴は気にも留めていなかった。早く閉架書庫に入りたいという気持ちだけが、露伴の心の中でぐつぐつと煮えたぎっていた。
「閉架書庫は三階にあります。三階まではあちらの階段からどうぞ」
上を見上げた露伴の視線には、「宝の山」に向けて伸びる螺旋階段が、まるで「インデペンデンス・デイ」のUFOに吸い上げられているかのように天上へと大渦を巻いていた。
△▼△▼△▼△
「こいつは実に興味深い」
螺旋階段を一段一段踏みしめて歩く露伴の興味の矛先は、手元の黒い鍵に向けられていた。閉架書庫の鍵というのもそうだが、それ以上に露伴の関心を惹きつけた原因はその「輝き」と「匂い」にあった。
「この<黒い鍵>……ぼくが今までに見たことがない類の輝きを放っているぞ。明らかにただの金属とは一線を画す上品な輝きをしているが、それでいて<大理石>や<黒曜石>のものとも違う。まるで鍵の中で小さな太陽が声を上げているような、奇妙な輝き方だ。そして<匂い>。光に匂いがないことはこの露伴、百も承知だが……<お日様の匂い>と俗に形容される、そんな匂いが微かに、しかし間違いなくこの鍵から香ってくる」
作品にリアリティを吹き込むため、露伴はこれまで数多くの鉱物を調べつくしてきた。元素鉱物、硫化鉱物、酸化鉱物、水酸化鉱物、ハロゲン化鉱物……何十何百と手に取り、眺め、叩き割り、時にはその味を確かめもした。だがそんな露伴でさえも、この黒鍵がどの鉱物を加工して創られたものであるかはとんと見当もつかなかった。「今までに見たことがない」という事実のみが、ただ一つ確かな真実として存在していた。
この材質は一体何なのか。そんなことを考えているうちに、露伴は閉架書庫の扉の前に到着していた。見るものに荘厳な印象を抱かせる両開きの鉄製の扉。その下からはひんやりとした冷気が流れ出しており、その光景だけ切り取ってみれば誰もここがただの県立図書館であるとは信じないだろう、そんな貫禄さえも醸し出していた。
鍵穴に黒鍵を差し込み、回す。立て付けの悪さゆえにギィギィと壁や床に擦れて軋む扉を押し開け、とうとう露伴は閉架書庫へと足を踏み入れた。すぐ右手にあった電源スイッチをパチリと押すと、時代遅れの白熱電球がおびただしい量の書物を照らし、空間そのものが眠りから覚めたかのように生き生きとした呼吸を始めた。
そびえ立った書架の間を、露伴は独り歩いていく。
「凄いな……<日本森林樹木図譜>、<酒の書物>、<夢幻現象・政海之破裂>、<帝国文学>、どれも歴史ある稀覯本たちだ……おいおい、石川啄木の処女歌集<一握の砂>初版まであるじゃあないか! 出版は明治四十三年だって!?」
露伴を囲む文献たち、その全てが一つとして例外なく彼の興味を引いた。歴史をその身に体現していると言っても過言ではないそれらは、露伴にとって斬新なアイデアそのものであると同時に、露伴の作品に散りばめられたリアリティにはまだ極める余地があるということを示す一種の指標でもあった。
ありとあらゆる書物を手に取り、夢中になってその内容を吸収していく。読んでは次の本を手に取り、それを読んではまた新たな本を手に取り……文献の荒波をサーフィンしていく露伴。書架の端から端までを読み漁り、そして───
「これは……?」
───見つけてしまったのだ。その本を。岸辺露伴を物語の根幹へと誘う、運命の本を。
その本は、周りの本よりもこぢんまりしたサイズ感で棚の中に収まっていた。あまりにも周りと大きさが違いすぎることによって生じる違和感が、サイズ感とは対照的な存在感を本に発させていた。
「<善逸伝>……?」
引き寄せられるように手を伸ばす露伴。
瞬間、露伴の脳裏に予感が走った。
この本には、何かがある。安易な気持ちで踏み込んではいけないヤバさがある。
「背中に取り付くスタンド」、「じゃんけん小僧」、そして「殺人鬼」。杜王町での幾多の奇妙な冒険と死闘を経た露伴の精神が、今目の前にある本のページをめくってはいけないと、全身全霊の気迫を持って危険信号を発している。
しかしその予感を感じてなお、岸辺露伴は止まらなかった。棚からその本を取り出し、表紙についた埃の層を丁寧に払いのける。そして蝶や花を扱うような丁重さで、露伴は本のページを一枚めくった。
「著者の名前は……<我妻善逸>。本の内容は私小説……<我妻善逸>自身の実体験を基に執筆した物語で、書かれた時代は<大正時代>」
パラパラとテンポよく内容を読み進めていく露伴。
「<我妻善逸>は物心つく前に両親に捨てられている……彼らの顔も名前も知らないようだ。女性に騙されて大量の借金を作り、挙句の果てにその女は別の男と駆け落ち……なるほど、生い立ちは不幸そのものだな」
本の冒頭部分は、著者の不幸な生い立ちがつらつらと書き連ねられていた。なんだ、ただのつまらない「不幸自慢」の類か───そんな露伴の予想は、次のページからの内容によって完全に裏切られることとなる。
「な、何だッ……!? 人を喰らう<鬼>と、それを狩る<鬼殺隊>ッ! <呼吸>、<日輪刀>、<柱>ッ! 一体何なんだッ!? ここに書かれた素人の妄想にしか聞こえない突拍子もない記述に、しかし確かに息づいているこの<リアリティ>はッ!」
岸辺露伴は漫画家だ。漫画という芸術作品によってフィクションとリアリティのせめぎ合い───つまり「表現の究極」に挑戦している露伴には、創作物がどの程度のリアリティに基づいて描かれた物なのかを正確に図り取る「審美眼」が備わっている。そしてその「眼」が言っているのだ。目の前にあるファンタジーやメルヘンのような物語が、全て大正時代に生きた著者<我妻善逸>が実際にその身を持って体験した出来事であると。
ページをめくる手が止まらない。「最終選別」、「那田蜘蛛山」、「蝶屋敷」、「無限列車」、「遊郭」、「柱稽古」、そして……「無限城」。人喰い鬼の祖、「鬼舞辻無惨」との最終決戦。数多の鬼殺隊士と彼らの最高戦力である柱たちが、総力を挙げて鬼舞辻に挑んでいる。激しい戦いの様子が、著者自身の筆で記された活字から露伴の感受性に向けてダイレクトに流れ込んでくる。
本のページも残り少なくなってきた、どうなったのだ、「鬼舞辻無惨」との戦いは。早く、早く続きを───もはやページをめくることに焦りさえ感じさせるようになった露伴の手が、ピタリと止まった。
露伴の目の前には、虚無が広がっていた。
「……結末は<白紙>だ。<鬼舞辻無惨>との最終決戦の結末が書かれているはずの部分だけ、まるで白い絵の具で上から塗りつぶしたように真っ白になっている」
本の背表紙までにはあと二十ほどのページが残されていたが、それらには何も書かれていない。何かを書いたりそれを消した痕跡すら残っていない、全くの白紙。閉架書庫の照明を乱反射するその紙たちは、埃まみれの本に挟まれたページにしては不自然なほどに綺麗な白さをしていた。
肝心な場面を読むことができず、分かりやすく肩を落として落胆する露伴。
異変が起きたのは、ちょうどその瞬間だった。
開かれた白紙のページから黄色い稲妻がほとばしり始め、辺りが目も開けていられないほどの眩さに包まれたのだ。
「ウォオオオオオオオオオオオオ────────ーッ! この光、まさか<スタンド攻撃>かァ──────ッ!!!」
露伴の身体がふわりと宙を浮き、同時に背中側へ「落ちていく」ように身体が引っ張られ始めた。目を開けることのできない露伴は状況を打開しようともがいたが、狭い書架の間を歩いていたはずの彼の四肢はなぜか何にも当たることなく、虚しく空を切った。
「
スタンドを発現させ、戦闘態勢を取ろうとする露伴。しかし無駄だ。
万事休す。今の露伴にできることは、落下する感覚に身を任せてただひたすらに落ちていくことだけだった。
「うわああああああああああああああああああああああああ」
△▼△▼△▼△
図書館から落下を始めてから、どのくらい時間が経ったのだろうか。いつの間にか気を失っていた露伴が目を覚ますと、辺り一帯の景色はすっかり様変わりしていた。視界を切り裂くような眩しさは既に影を潜めており、上空から降り注ぐ月明かりが露伴を優しく包みこんでいた。
「ここはどこだ……? どこかの……<山の中>って感じだが」
服に付着した土汚れをパンパンと叩いて払いながら、露伴はゆっくりとその場で立ち上がった。
「怪我はしていない。奇妙な光に包まれ<落ちていく>不思議な感覚はあったが、何一つ攻撃は受けていない」
うっそうと茂った草木を搔き分け、露伴は山中を進んで行く。「見知らぬ山で下手に動くことは、遭難の危険性を高める」。そんな常識は百も承知だが、露伴は動かずにはいられなかった。漫画家としての好奇心もあったが、理由はそれだけではない。先ほどから露伴の鼻腔の奥深くを、乾いた鉄の匂いがくすぐっていたのだ。
「血の匂いだ。それに<死臭>もするぞ。それもどちらか一方からではなく、この山全体からだ……誰かがこの山中で<戦闘>を行っているようだ」
必要なのは情報だ。今自分はどこにいて、この山中では何が起こっているのか。自分の目と耳で確かめる必要があると、露伴は強く感じていた。
周囲の状況に気を配りながら歩き続け、やがて露伴は少し開けた場所に出た。木々の密度が少しだけ減ったその場所に、一人の男が立っていた。男の肩はガチガチにこわばっており、まるで何かに怯えているように全身が小刻みに震えていた。
「なあ、君!」
「うわッ!」
背後から露伴に声をかけられ、男は切羽詰まった形相で振り返った。そして露伴の瞳をしばし見つめた後に、ほっと安堵の一息をついた。
「鬼じゃない、人間だ……」
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ」
「あ、いや、大丈夫……? 君、随分と風変わりな格好をしてるな。この山に迷い込んでしまったのか?」
「ああ、少し迷ってしまってね」
ここで露伴は、自分の格好を風変わりだと指摘した目の前の男の格好もまた同じように風変わりなものであることに気が付いた。そしてそれは、露伴がどこかで「読んでいた」ものと極めて類似していることにも。
「君がその手に握っているもの……もしかして、<本物の刀>じゃあないのかい? それにその服の背中に書かれた<滅>の一文字。まさか君は───」
「この山は危険だから、今すぐに下山するんだ。出来るだけ早く、麓まで全速力で走って───」
「───
男の身体が力なく大地に崩れ落ちた。これが露伴の能力、
「申し訳ないが、君の記憶を読ませてもらうよ。僕の推測が正しければ───」
一枚一枚、顔の表皮を薄くスライスしたようなページを素早く露伴はめくっていく。そしてページをめくればめくるほど、露伴の表情が狂気に満ちた笑みへと変貌していく。
「やはりこの村田という男、<鬼殺隊士>だッ! 今は<大正時代>、そしてここは<那田蜘蛛山>ッ! ぼくは<善逸伝>の時代にタイムスリップしてきたのだッ!」
刹那、背中に刺すような殺気を感じた露伴は、本にした村田を抱きかかえて咄嗟に回避行動を取った。樹木の影から露伴に向けて、大量の蜘蛛の糸がうねりながら襲い掛かってくる。
それを右へ左へ動き回ってかわしきった露伴の目の前に、一人の女が現れた。女の肌は病的なまでに青白く、瞳の瞳孔は縦に細長い。そしてその顔面には、謎の紋様が刻み込まれていた。
「ここにいる村田は<鬼殺隊士>。そして彼とぼくを襲うお前は<鬼>というわけだな」
「その格好、アンタ鬼狩りじゃないわね。何者?」
「クククク……ハハハハハハハハハ! やったッ! やったぞッ! ぼくは今、マンガ家として最高のネタを掴んでいるッ!」
鬼からの質問に気がつかないほどテンションが最高潮に高揚した露伴の右手に持たれたGペンが、人間離れした速度で宙を踊った。描かれたのは露伴の代表作、「ピンクダークの少年」の主人公───露伴のスタンド、
岸辺露伴、職業・マンガ家。自分自身の怪我さえ作品に生かそうとするクレイジーさを持った彼にとって、「鬼」との隠遁や命がけの戦いなど恐れるに足らず。
「<蜘蛛の鬼女>……君の<リアリティ>ッ! 僕のものとさせてもらうぞッ!」
安っぽい強がりでもなんでもなく、今の彼は「幸福の絶頂」にある。欲してやまないリアリティが、眼前で蠢いているのだから。