岸辺露伴 悪鬼を滅する   作:北雪夜凪

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不可視で無敵の「天国への扉」

「<りありてぃ>? 何を言ってんのよ。さっきから急に笑い出したりわけのわからない言葉を口走ったり、頭おかしいんじゃないの?」

「そうか、ここは大正時代だったな。西洋由来のいわゆる<カタカナ語>が通じないのは当然か……クククク、いいぞ! ぼくが欲しいのはそういう真に迫った反応ッ! 生まれて初めて触れる<横文字>に対して君が見せたその困惑した表情だよッ! それだよ、フフフフ……生物が未来を体感する瞬間なんて、滅多にお目にかかれるもんじゃあないよ……その新鮮な反応を作品に生かせば……グフフフ」

 

 ブツブツと独り言ち完全に目が据わった露伴の様子に、「蜘蛛の鬼女」は背筋が凍りつくような不気味さを感じた。鬼は彼らを喰らう存在であるという点で人間よりも上位の存在であるはずなのに、それを目の前にして毛ほども恐怖しない被捕食者のこの男は一体何なのだ───ぞわぞわと全身を走る悪寒とともに、鬼女の脳内には自分がさも「まな板の上に乗せられた食材であるかのような」、「籠の中に閉じ込められた小鳥であるかのような」、「幼子に弄ばれる昆虫であるかのような」、そんな悪夢のイメージがとめどなく流れ込んできていた。

 

「<リアリティ>とは何か、オマエに説明してやる。<マンガ>と言うものを読んだことがあるか? かの有名な<鳥獣人物戯画>は平安時代に書かれたものだったそうだし、大正時代ともなればその前身ぐらいは存在しているだろう。滑稽さや風刺性、物語性などを持った絵画作品、それが<マンガ>さ」

 

 そんな鬼女の心情など露知らず、露伴は語り始める。

 

「<マンガ>は想像や空想で描かれていると思われがちだが、実は違う! 自分の見た事や体験した事、感動した事を描いてこそおもしろくなるんだ!」

 

 それはかつて、彼の家を訪れた「広瀬康一」たち御一行に対してそうしたように。

 

「例えばだ、<蜘蛛の鬼女>……オマエたち鬼は人間よりも遥かに力強い生物らしいが、その肉体の構造はどうなっている? どういう仕組みで切断された部位が再生する? さっきオマエがその両手から出していた糸、それは身体のどの部分で生成しているんだ? 臓器か? 筋肉中か? それとも骨か? そもそも、異形の鬼に<()()()()>はあるのか? 鬼を描く場合、マンガ家はそういうことを見て知っていなくてはいけない」

「……そんなことを知って、何になるっていうのよ」

「他の誰よりも鬼という題材に対して深みが出せる。ぼくがこれから描く鬼が、この世の誰が描く鬼よりも真に迫った迫力を纏ったものになる。だってそうだろう、他の作家は鬼なんて絵本の中でしか見たことがないんだからな……その深みこそが、<リアリティ>」

「意味が分からない」

「分からなくて結構。オマエにぼくを理解してもらう必要はない……何度も繰り返すようだが、ぼくが必要としているのはオマエの中の<リアリティ>であって共感じゃあない。記憶を読んだ後、肉体を解剖して内部構造を徹底的に調べてやる。そして最後には陽光の下に固定してオマエを焼き尽くし、ぼくはその苦痛の叫びを聞きながら今際の際の絶望に歪む顔をスケッチさせてもらうよ。そうやって僕は……フフフフ、ハハハハハハハハハ! 世界でただ一人の、リアルな鬼を描けるマンガ家になるのさ!」

 

 世間一般の常識に照らし合わせて考えてみれば、人を喰らう鬼は「悪」であり、それに立ち向かう人間は「善」であることは疑いようがないことだ。しかし恐怖に足をすくませる鬼とそれを意に介さず猟奇的な発言を繰り返す露伴の構図は、そんな当たり前を見事に大逆転させてしまっていた。何の事情も知らない第三者がこの光景を見れば、露伴はか弱い少女を誘拐し淫らな行為に走ろうとする変質者の類に見えたに違いない。

 

 繰り広げられた極めてサイコなプレゼンテーションが、蛇に睨まれた蛙のように鬼女をその場に磔にする。しかし戦わなければその餌食になるだけだ───自らの内に滾る怒りの炎に必死に薪をくべることで、鬼女はその膝を震わせる恐怖を何とか振り払った。目の前で悠然と佇む露伴をきっと睨みつけて両手を向けると、文字通り鬼の形相で叫ぶ。

 

「冗談じゃないわよ!! 死ねクソ人間!!」

 

 両手から射出された大量の蜘蛛の糸が露伴に襲い掛かる。白色に波打つ糸たちはあっという間に露伴の周囲を取り囲み、人一人分をすっぽりと包み隠せる大きさの繭となって宙に凝固した。糸の速さに反応出来なかったのか露伴は先ほどのように回避行動を取ることをせずその場に突っ立っているのみで、ただされるがままに繭の中へと閉じ込められてしまった。

 

 ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる鬼女。先ほどまでの恐れに満ちた顔はどこへやら、自分のフィールドに持ち込んだ途端に余裕綽々の振る舞いを見せ始めている。

 

「変な言葉を教えてくれたお礼に、あたしも良いことを教えてあげる。あたしの糸束はね、柔らかいけど硬いのよ……刀でさえ斬れやしないぐらいにね。まず溶解液が邪魔な服を溶かす。それからアンタの番よ。すぐどろどろになってあたしの食事になる」

「なるほど、蜘蛛の糸に溶解液か。これがオマエの能力……<血鬼術>と言うやつかい」

 

 繭の中からの予想外の返答に、鬼女は声にならない叫びを上げた。繭はひとりでにその形状を崩し始め、はらりはらりと細い糸へ分解されて山中の土壌の中へ馴染んで消えていった。そして中から現れる、なんらノーダメージの岸辺露伴。その五体には傷一つ見られず、「溶解液」が独創的な一張羅に付着した痕跡すら見当たらなかった。

 

 目の前の現実を受けられない鬼女は、再び糸を射出して繭に露伴を閉じ込め直そうとした。だが結果は変わらない。何度閉じ込めようとも、糸を二重三重に重ねて強度を向上させようとも、繭は鬼女の意思とは無関係にその結び目をほどき始めて露伴を解き放ってしまうのだ。

 

 そんなやりとりを続けて数分、ついに露伴が鬼女に向けて前進し始めた。恐怖と理不尽に半狂乱になりながら、鬼は糸をその手掌から吐き出し続ける。

 

「ひッ……! く、来るなあああああああああああ」

 

 とうとう自分の懐まで潜り込んできた露伴に対し、鬼女は肉食動物の犬歯の如く研ぎ澄まされた爪をがむしゃらに振り回して抵抗を試みた。そしてそれが露伴の肉体を切り裂こうとした正にその瞬間───鬼女は突如何もない場所で、何かにつまずいてよろけたように態勢を崩してその場に倒れ込んでしまった。

 

「さっきは自慢げに能力の説明をしてくれてどうもありがとう。お礼と言っちゃあなんだが、ぼくの能力についても説明してあげよう。もっとも……ぼくの能力はオマエたち鬼の<血鬼術>とは違う、<幽波紋>(スタンド)という能力なんだがね」

 

 地を這う鬼女の顔が光を発し、その表層がいくつものページに分解されパラパラと風になびいてめくれた。

 

「ぼくの能力は<天国への扉>(ヘブンズ・ドアー)。ぼく自身の生命力を具現化した像を造り出し、対象を本にする能力。射程距離はだいたい、<二軒先の家にぎりぎり届かない>程度ってところか。ぼくとオマエが最初に出会った時……鬼女、すでにオマエはその<間合い>の中にいた」

 

 露伴が持つ能力「スタンド」とはいわば「パワーを持ったヴィジョン」であり、スタンドは原則的に八つの特徴を持っている。

 

 “スタンドは一人につき一体”。

 

 “スタンドは固有の特殊の能力を持つ”。

 

 “スタンドは本体の意志によって動く“。

 

 “スタンドが傷つけば本体も傷つき、本体が傷つけばスタンドも傷つく”。

 

 “射程距離がある”。

 

 “スタンドは成長する“。

 

 そして今回の戦いで露伴と鬼女の優劣を分けた決定的な原因は、残り二つの特徴によるものだった。

 

<幽波紋>(スタンド)の像は<幽波紋(スタンド)使い>しか見ることができず、それと同時に触れることもできない。だからオマエは気がつかなかった。ぼくが長々と講釈を垂れている間に、<天国への扉>(ヘブンズ・ドアー)の像がオマエに触れていたことにはな」

 

 “スタンドを見ることができるのはスタンド使いだけ”、そして“スタンドに触ることができるのはスタンドだけ”。つまりスタンド使いではない普通の生物たちは、スタンドに対して何の対抗手段も持たない───いわば無敵の能力。

 

 露伴は何の意味もなくだらだらと<リアリティ>について語っていたわけではなかった。インパクトの強い言葉を多用することによって鬼女の注意を引きその動きを止め、その隙に<天国への扉>(ヘブンズ・ドアー)で鬼女を本にしていたのだ。何の訓練も受けていない生身の露伴では鬼に敵わない。ならば力勝負になる前に先手必勝だと、会敵したその瞬間から露伴は一計を案じていたのだった。

 

「ぼくの能力は本にした対象に<書き込む>ことで相手に命令出来る。ほらここだよ、オマエのページの余白のこの部分。書き込ませてもらったんだ……安全装置(セーフティーロック)を」

 

 びっしりと肉体の記憶が刻み込まれた鬼女の本のページ。その僅かな余白部分には黒色のインクではっきりと、「岸辺露伴に危害を加えることはできない」と記されていた。繭が本人の意思とは無関係な分解を始めたことも、溶解液がただの少しも露伴を溶かさなかったことも、爪による直接攻撃が虚しく空を切り地べたを舐めることになってしまったことも、全てはこの書き込みによるセーフティーロックが原因だったのだ。

 

「何よ……そんなの反則じゃない」

 

「<反則>? 尋常ならざる力と再生力を持ち合わせたオマエたち<鬼>に、そんなことを言われる筋合いはないね」

 

「ぐッ……」

 

「ぼくの勝ちだ。ここからは宣言通り、君の記憶をもらう」

 

 不可視で無敵の<天国への扉>(ヘブンズ・ドアー)。大正時代に突如として時間跳躍してきたこのイレギュラーを、果たして誰が止めることができようか。

 

 △▼△▼△▼△

 

「村田くん。おい、村田くん。いい加減起きてくれよな」

「うッ……うう、うん?」

 

 自分の頬に小気味よく打ち込まれる殴打の衝撃によって、鬼殺隊士・村田は目を覚ました。むくりと上体を起こした村田は朦朧した意識の中でしばしその思考を立ち止まらせていたが、周辺の情景と立ち込める異臭を再確認するやいなや慌ててその場から飛び上がった。

 

「はッ! 俺は一体何を……」

「鬼の攻撃を喰らって気絶していたんだよ、君」

「鬼? 俺、鬼となんて戦ってたっけ」

「おいおい、そんなことも覚えていないのかい? まさか攻撃されたショックで短期的な記憶障害に陥ってしまったんじゃあないだろうね」

「<しょっく>……?」

「ああ失礼、<衝撃>だ。ただの言い間違い……気にしないでくれ」

 

 そう口にする露伴の口角がなぜか若干上向きになったことを村田は不思議がったが、脳内に次々と湧いてくる自省の文句はそんな些細な気づきをどこか遠くへ追いやってしまった。

 

「そうか、<衝撃>か……戦ってたのか、俺。なんでそんな大事なこと、今まで忘れてしまっていたんだ」

「なかなか力のある鬼だったからね。攻撃を喰らった時に脳を強く揺らされてしまったんだろう。仕方がないさ」

「……鬼! その鬼は今どこに……」

「すでにぼくが<再起不能>にしてあるよ。ほら、あそこに転がってる」

「そうですか……一人で倒してしまうなんて、さすがは露伴さんですね」

 

 戦場で無謀にも意識を手放した己の未熟さに恥じ入る気持ちと、独力で状況を打開した露伴に対する尊敬の気持ち。双極性な心情がぐちゃぐちゃに混ざり合った複雑な心もちで、物言わず地に伏す鬼女の身体を村田は見つめていた。

 

 そんな村田の様子を見かねたのか、露伴は柄にもない優しさで彼の肩を叩いた。

 

「なあ、そう気を落とすなよ。君にもまだ仕事は残ってる。そうだろ?」

「<仕事>?」

「ぼくは非力でね……<鬼の頸を落とせない>。だから村田くん、君があの鬼女の頸を切ってとどめを刺してくれないか」

「<鬼の頸を落とせない>……そうなんですか、分かりました」

 

 腰に据えた日輪刀を抜刀し、村田は倒れた鬼女の身体へと向かっていく。

 

 あれ? 鬼にとどめを刺す術を持たないのに、どうして露伴さんは鬼殺隊士としてやっていけているんだろう? 

 

 それを青と形容することをためらってしまうほど薄い色に染まった刀身を頸に向けて打ち付ける瞬間、村田の脳裏に突如としてフラッシュバックした疑問。

 

 よく考えてみればこの状況も変だ───なぜ弱点の頸以外ならどんな傷もたちどころに再生してしまうはずの鬼が、目の前でピクリとも動かず再起不能になっている? 仮にそうすることが可能な力が露伴さんにあったとして、それと頸を落とせない非力さは両立するのか? 

 

 一度抱えてしまった疑問は、村田の中で無限大に枝分かれしていく。

 

 あれ? 「露伴さん」の階級って何だっけ? 

 

 「露伴さん」って鬼殺隊だよな? 

 

 瞬間、村田の思考回路はシャッターが落ちたようにガシャンと遮断されてしまった。そしてその代わりに脳内へと流れ出す大量の活字。「岸辺露伴は鬼殺隊の上司」というただその一文が、疑問に染まりかけていた村田の思考を圧倒的な物量で洗浄していく。

 

「ああ、そうか! <岸辺露伴は鬼殺隊の上司>だ!」

 

 すっきりとした表情でその滑らかな黒髪をなびかせながら、村田は()()()()()()()()()()鬼女の頸を落とした。

 

 

 


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