あの子を初めて抱き上げたとき、冷めた心に火が灯った。
私の名前はサーラ。前世の漫画や小説で流行っていた「転生」をしてしまった、元女子高生の現8歳女児だ。死因は覚えていない。前世のエピソード記憶は丸々抜け落ちていた。
生まれ変わった先は、前世より文明や技術の発展が遅れているファンタジーではありがちな雰囲気の世界だった。メラニンどうなってんのと疑問に思うほど鮮やかでカラフルな目や髪の人が普通にいるし(かくいう私も今では紺色の髪に青目と褐色肌だ)、名前も外国人っぽいものと日本っぽいものが混在している。何より、この世界では海賊がやたら繁栄していた。
頭に残っていた意味記憶のいくつかが、これらの情報から導き出したこの世界の名前は“ONE PIECE”。少年漫画の世界らしい。前世の私はそれを熟読していたようで、新聞や生活の中で出てくるいくつかの単語に既視感を覚えていた。ストーリーは欠片も思い出せないが。
今の私が住んでいるフーシャ村も、記憶の中にあったものの一つだ。
「サーラ、空を見上げてばっかりいると首を痛めるぞ」
後ろから聞き慣れたしゃがれ声が聞こえた。村長だ。今世の私の、親代わりの人。
実の母親らしき人は、随分と前に病死していた。父なんて会ったこともない。いまいち実感が湧かなくて、母の葬式で泣きもせず他人事のように棺を眺めていた私を引き取ってくれた。精神ばかりが大人びて、やたらと冷めている子どもなんて不気味で仕方ないだろうに。村長には、感謝してもしきれない。照れ臭くって、なかなか口に出しては言えないが。
「ん……」
少し、考えることに没頭しすぎたみたいだ。少し俯くと、村長が言った通りにちょっと首が痛くなった。
「首いたい」
「言わんこっちゃない……まったく、ぼうっとしてばかりいないでたまには外で遊んだらどうだ」
村長の言うとおり、窓枠に肘をついて外を眺めているよりも、外で遊ぶ方がずっと健康的に違いない。あまりもやしっ子みたいな生活をしていると、村長を心配させてしまう。たまには子どもらしく遊んでみようか。
「分かった、いってきます」
ひょいと椅子から降りて、さっそく私は外へ走り出した。
「よーしよしよしよし」
ハヒハヒと舌を出して腹を見せた犬を私はひたすら撫でくり回していた。この世界でも変わらず犬は可愛い。猫も可愛いけどなかなかモフれない。
「なぁポチ、なんで俺よりずっとサーラちゃんに懐いてんだ?お前うちの犬だろ?」
私に撫でられまくっているポチのリードを持ったジョンくんが、遠い目をして呟いた。ジョンくんは私より歳上の男の子で、斜向かいの家の子だ。こうしてちょくちょく散歩しているところを捕まえてはポチをモフらせてもらっている。
「ポチ、おすわり」
「サーラちゃん、ポチはまだおすわり覚えてな……」
ポチはピシッとお手本のようなおすわりをした。えらい。
「いや、できんのかよ!?」
ジョンくんはビシッとお手本のようなツッコミをした。キレがすごい。
「えらいねポチ」
キューンと可愛く鳴くポチをさらにモフっていると、にわかに村がざわめき出した。
「……なに?」
「港に海軍の軍艦が来てるぞ……なんかあったのか?」
そう言われて港の方を見ると、カモメのマークが描かれた帆が見えた。これは、村長に知らせた方がいいかな?
「おじいちゃんに言ってくる。ジョンくん、ポチ、またね」
「またなー」「キャン!」という声を背に、私は村長と暮らしている家まで駆け足で向かった。5分もしないうちに家へ着くと、村長は新聞を読みながらくつろいでいた。
「おじいちゃん、港に海軍の船がきてる」
「なんじゃと?外が騒がしいと思えばそのせいか……サーラ、留守番を頼んだぞ」
「うん、いってらっしゃい」
村長はテーブルに立てかけていた杖を手に取ると、港の方へ歩いていった。私は手を洗って、村長の持っている本を読み返すことにした。暗唱できそうなくらい読み慣れているので面白みはないが、挿絵が綺麗だからしょっちゅう眺めている。
しばらくして、村長は帰ってきた。すやすや眠る赤ちゃんを抱えながら。
「……おじいちゃん、その子どうしたの?」
「ガープの孫を押し付けられたんじゃ、まったくあの男は……!」
村長は赤ちゃんにチラリと目線をやって、ため息をついた。海兵ガープの名は知っている。英雄と称される、海軍本部中将の名前だ。何度か会ったことがあるが、屈強かつ破天荒な人だった覚えがある。
事情を察するに、この子の両親に何かあったのだろう。しかし海軍の仕事で忙しいガープさんも面倒を見られないから、うちに預けたのだろうか……あの人が子育てに向いてない気質なのもあるかも。
そう考えを巡らせつつ、赤ちゃんをまじまじと見た。
「……サーラ、この赤ん坊が気になるのか?」
不意に、村長がそんなことを尋ねてきた。じっと見つめていたから、興味があると思われたのだろう。正確には赤ちゃんの裏事情を考えていただけなのだが、わざわざ否定するのも憚られた。
「うん……私もだっこしてみていい?」
村長は少し考え込んでから、「ソファに座りながらなら良い」と答えた。まぁ、小さい子が赤ちゃん抱えるのは危ないからそんなもんだろう。頷いてからソファへ座ると、赤ちゃんを膝の上に差し出してきた。
「首と尻のところをしっかり支えてやるんじゃぞ」
アドバイスに従って、村長の腕からそっと赤ちゃんを抱き上げた。
「わっ……」
柔らかな重みが、両腕にずしりと乗った。ふにゃふにゃな赤ちゃんは、しっかりと抱いてやらないと取り落としてしまいそうで、思わず抱える腕に力を込めた。その子の温かさが、おくるみ越しにじんわりと伝わってくる。
(妙に胸の中がむずむずして、くすぐったい)
近くで見ると、ぷくぷくとした手にもちいさな爪が乗っているのが分かる。私の小指の爪より小さいかもしれない。生え揃ってない黒髪が、綿毛のようにあちこちに広がっていた。
(なんでだろう、この子から目が離せない)
じっと見つめていると、赤ちゃんはひとつあくびをして目を覚ました。私を寝ぼけてとろんとした目で見ている。
「……おじいちゃん、この子の名前は?」
「ルフィだ」
ルフィ、ルフィ。頭の中で何度か繰り返したその響きが、なんだかとても大事なもののように思えて。どうしても、その名前を呼びたくなった。
「ルフィ、おはよう」
「んあ!」
満面の笑顔が返ってくる。それだけで、私の相好を崩すには充分だった。
「ルフィ、私がルフィのお姉ちゃんだよ。よろしくね」
おかしいかな?初めて会ったのに、君を守るために生きたいって思ってしまったよ。
この瞬間、それまで冷めていたのが嘘のように心のエンジンがかかった。村長がルフィを受け入れてくれたその日から、私の生活は一変した。
「ルフィ!お腹すいたねぇ、ミルクだよ〜……おわぁ、すごい勢いで飲むねルフィ、焦らなくてもミルクは逃げないよ〜」
しょっちゅうお腹を空かして泣くルフィにミルクを飲ませたり。
「おじいちゃん、ちょっとルフィ抑えて!おむつ替えしてんのにめっちゃ活きがいいの!」
「これ、ルフィ!逃げるんじゃない!」
おむつ替え途中に逃げるルフィを村長と協力して捕獲したり。
「だめだめルフィそれ食べないで!スリッパばっちいから口に入れちゃダメッ!!……あぁぁぁごめんね!?泣かないでよぉ〜」
なんでも口に入れようとするルフィと攻防戦をしたり。
毎日が目まぐるしくって、楽しくて、空を眺めてばかりいた時よりも1日がとても短くなった。会う人みんなから、「変わったね」と言われるようになった。
「たしかにお前は変わった、良い意味でな」
そのことを村長に言うと、そんな返事が返ってきた。
「何もかもがどうでも良くて、自分の意思が無いように見えたお前が……今ではルフィのためにあれこれ考えて、行動して、一喜一憂している。本当に、人間らしくなったわい」
村長の言葉に心当たりがありすぎて、思わず苦笑いをした。今になってみると、あの時は随分と人間味が薄かった。良くも悪くも平凡で当たり障りない日常に、ルフィという新しい風が吹き込んだから私は変わったのだろう。
刺激がない日々のままでは、きっと私の心は鈍化していくばかりだった。
「たしかに、前はすごくぼーっとしてたもんねぇ……今じゃルフィに構うのが忙しくてそんな暇がないよ。ね〜っ?ルフィ」
「お!」
「待ってルフィいつの間にガガンボ握りしめてんの!!?おじいちゃんちり紙!ちり紙取ってぇ!」
言ったそばから一騒動起こすのは、そういう星の下に生まれたとしか考えられなかった。