88   作:柴猫侍

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Ⅰ.『無限のループのような日々さ』

「指輪?」

 

 

 

 そう問いかけた。

 眼前の少女が見せてきた代物は、絢爛な宝石でも豪華な金属を使った逸品ではない。その辺りに咲いていた花をあしらったお手製の品だ。

 

「はい! 上手く作れました!」

 

 困惑する俺とは裏腹に、花の指輪を贈った少女が言い放つ。

 屈託のない笑みは、燦々と降り注ぐ日光によって白む景色の中でも一際輝いている。とんだひねくれ者でもない限り、とてもこの好意を無下にすることはできないだろう。

 だから、精一杯口角を吊り上げて笑ってみせる。

 そうすれば、贈った花よりも可憐に咲き誇る彼女の笑顔が目に映った。

 

「よかったら受け取ってください!」

「え?」

「お母さんが言ってたんです! お母さんを守ってくれるファミリー……特に“守護者”っていう人たちはそんな指輪を嵌めてるって」

 

 だから、と口にした少女はほんの少し頬を赤らめて目を背ける。

 そんな彼女の様子に、俺は珍しいものを見たと言わんばかりについつい釘付けとなった。

 

 俺は孤児(みなしご)だ。親は居ない。

 物心ついた時に家族は居らず、代わりに“ファミリー”という名の掃き溜めの中でも塵同然の扱いを受けていた。

 その命に価値なんてなく、その命に重みなんてものもない。吹いては消える塵芥のようにして、いつ命の灯火が消えるかと怯えていた日々も最早懐かしい。

 

 変わったのは彼女の母親に拾われてから。

 “ファミリー”とは名ばかりの地獄から逃げ出した俺を拾い、孤児院へ迎え入れてくれた女性が居た。

 

 その娘が、この少女だ。

 同じく身寄りのない子供たちの中に交じり、誰からも好かれ、愛されていた存在。皆がそうであったように、俺も自然と彼女に惹かれていた。

 

 まごつく少女。

 何度か胸に手を当てて深呼吸し、やっと決心がついたと言わんばかりに面を上げる。

 夜空のように深い藍色の瞳は真っすぐこちらを見据え、

 

「だから、私の守護者になって」

 

 そう、告げた。

 

「……俺が?」

「そうすれば私たち、胸を張って()()()()()って言えます!」

「そ、それは……」

 

 屈託のない笑顔が、彼女の言う“ファミリー”が温かい家族を指していると理解するのに時間は掛からなかった。

 だけれど俺は、彼女の母親がその限りではないことを知っている。

 

 世界には表と裏があって。

 表の社会では法律が人を支配して。

 裏の社会ではマフィアが人を支配する。

 そういう話だ。

 

 だから、彼女が自分の言っている言葉の意味を真に理解しているとは思っていなかった。

 子供の戯言だ。

 けれど、少し躊躇った。

 地獄を見てきた以上、もう一度そこへ足を踏み入れようなんて口が裂けても言えない。

 

 言えない……言わないはずだったのに。

 

「私を、守ってください!」

 

 恥じらいながら差し出される指輪。

 まるで告白(プロポーズ)の場面だ。彼女もそうだが、頬がカーっと紅潮していくのを止められない。

 恐る恐る手を伸ばす。

 可憐な白い花を咲かす指輪は、まだ小さな俺の指には大きくて。

 嵌めたところでブカブカと今にでも落ちそうな危うさを見せながらも、何とか収まるべき場所に収まった。

 

 彼女の守護者になる誓いと共に。

 

「……うん、なるよ」

「! やったぁ! 約束! 約束ですからね!」

「約束するよ」

 

 そう告げれば無邪気な彼女が飛びついてきた。

 勢いに押し倒され、そのまま草のベッドに寝転ぶ。こっちの気持ちなんてお構いなしに不意打ちを仕掛けてくるものだから、いつこの激しい動悸がバレないかと気が気じゃなかった。

 

───この瞬間が、永遠に続けばいいのにな。

 

 そんな願いは叶わないって分かってるのに。

 心はそう願わずには居られない。

 

 噛み締めるように少女を抱きしめれば、くすぐったそうな笑い声と共に言葉が返ってきた。

 

「ねえ、知ってますか」

「何を?」

「それの花言葉です」

「この花のこと?」

 

 指輪の花が愛おしそうに撫でられた。

 しかし困った。花の種類も花言葉も知らないものだから反応できない。

 数秒無口になれば、察した少女がふふっと微笑んだ。

 

「貴方に贈った花、スノードロップって言うんです」

「スノードロップ」

「花言葉は……」

 

 綺麗な瞳がこちらを見つめる。

 彼女の背に広がる大空に負けないくらい澄み渡った双眸は、心なしか揺れているような気がした。

 言おうか言うまいか。ほんの僅かな迷いを覗かせながら、少女の口元が弧を描いた。

 

 綺麗だ。

 いつになってもそう感じてしまう。

 

 彼女を大空と例えるのなら。

 その笑顔は虹のようだった。

 

 パッと現れて、サッと消えていく。

 儚いものこそ美しいという価値観があるけれど、どうやら俺は同意せざるを得ない感性をしていたようだ。

 

 だからこそ、見続けていたい。

 彼女の笑顔をもっと、もっと。

 守護者にでもなんでもなってやる、それが彼女の望みならば。

 

 

 

───死んでも、守ってやる。

 

 

 

 

 

 

 少し時が経った。

 

 アリアさんが死んだ。俺を拾ってくれた女の人だ。

 死因は病死。病の気配なんて感じさせなかったから、訃報を聞いた時は暫く呆然としたものだ。

 私財で孤児院を経営し、時たま顔を出しては子供たち全員に囲まれる───紛れもない善人であるというのが俺の印象。

 

 でも、彼女は“ジッリョネロファミリー”と呼ばれる歴史あるマフィアのボスでもあった。マフィアとは言っても町の住民から金銭を巻き上げたり、麻薬や武器を売り捌いたりするような組織ではない。どちらかと言えば地元に根付いた自警団に近かった。

 

 『惜しい人を失くした』と。

 大勢の人が彼女の死を惜しんだ。

 

 俺も泣いた。悲しくて堪らなかった。

 けれど、涙は流れない。いや、流せなかった。

 

「ひっぐ……えっぐ……」

「……ユニ」

「っ……もう、大丈夫です」

「無理は」

「してません」

 

 彼女が涙を仕舞ったのに、俺なんかが泣ける訳なんて───ない。

 

「私はこれからジッリョネロのボスとなります」

 

 そこに母の死を悼む少女の姿はなく、新たなボスに就くユニが気丈に振る舞う。

 

「母から継いだ使命を、今度は私が果たす番です」

 

 ジッリョネロのボスは代々ユニの家系が就いていた。

 ユニはまだ子供だ。同年代の子供に比べれば異様に大人びているが、だからといって心が成熟し切っている訳ではない。

 

「なら、俺もジッリョネロに入る」

「え……?」

「守護者になってユニを守るよ」

「で、ですが……」

 

 複雑そうに眉を顰めるユニ。

 喜びと憂惧が綯い交ぜになった面持ちには、自分の都合───裏社会に俺を巻き込めない懸念があったのだろう。

 

 けど、

 

「元々アリアさんに拾われた命だから。碌なお礼もできなかった」

「母は見返りを求めていた訳では……」

 

 分かっている。これは俺の我儘だ。

 アリアさんだって、拾った孤児を裏の社会に入れようなんて魂胆はこれっぽっちもなかっただろう。

 

 でも、俺はその善意に魅せられた。

 ユニがそうであるように、()()()()()()()()()

 

「もう決めたんだ。それに昔約束したろ、守護者になるって」

「あ、あの時はそんなつもりじゃ」

「ユニはそうでも、俺はとっくに覚悟してた」

「……っ」

「ごめん」

 

 これが裏社会に足を踏み入れた瞬間。

 そう、()()()()()になったんだ。

 

 なのに、心はどこか冷めていた。

 決意を語った俺を前にユニが浮かべていた悲しそうな顔が、どうにも脳裏に焼き付いて離れない。

 

 そんなつもりじゃなかった。

 ユニを守りたかっただけなのに。

 

 

 

───俺が笑顔を奪ってどうするんだ。

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、俺は守護者になれなかった。

 

 

 

───定員オーバーだ、小僧。

 

 

 

 ファミリーに入った当初、γ(ガンマ)さんにそう告げられた。

 守護者には定員があったらしい……知らなかった。

 

 なんて、早々に打ちひしがれたのも懐かしい思い出だ。

 

 あの約束から十年。

 起こった出来事を全部話せばキリがないから、掻い摘んで話そうか。

 

 まあ、ジッリョネロに入ってからの生活は悪くなかった。

 守護者になれないと分かってショックを受けていた俺に、当時の守護者たちは呆れるか笑って迎え入れてくれたものだ。なんだったら『次期守護者だな』と特訓をつけてくれた。

 

 守護者になる道は決してなだらかなものではない。

 特にγさんは『新入りの小僧が生意気言うな』ときつい()()を賜ってくれたものだ。

 

「っててて……!」

「はぁ……おい、小僧。どうしてそんなに守護者にこだわる?」

「どうしてって、そりゃあユ……姫様を守るためです」

「守るだけなら守護者じゃなくても務まる。違うか?」

 

 正論で返されたが、これは譲れない。

 

「確かにファミリーの一員である以上、姫様を守るのは当然です……けど、これは俺なりの覚悟なんです」

「ケツの青いガキが『覚悟』とねぇ。銃も女の扱いも未熟なガキが言うセリフじゃあないな」

「貴方と同じで一途なんです、俺は」

「……ほう」

 

 僅かに眼光が鋭くなった。が、これぐらいで怯えていたらマフィアは務まらない。

 

「俺は好きな女の子の尻を追っかけて裏の世界に飛び込んだ。馬鹿な子供でしょう? でも……明るい日向を歩けるよりも、日陰で泣いてる子の傍に居て守ってやりたい。そう思ったんです」

「それを姫様が望んでなくても、か?」

「それこそ、覚悟の上です」

「っぷ、ははは! 馬鹿もここまでくりゃあ清々しいもんだ───いいぜ。お前さんは今日から俺の弟分としてたっぷり可愛がってやる」

「γさん……!」

「さあ、構えな」

「え、ちょ……」

「覚悟があるのはよーくわかった。後はそいつを炎に変えられるかだ」

 

 それでも俺が本気であると知ってから、他の守護者の誰よりも親身になって面倒を看てくれた。太猿さんや野猿が兄貴と慕う理由がよくわかる。が、ポーカーフェイスを取り繕うとユニにべた惚れなのを隠せていないのが玉に瑕だ。いいのか、守護者。

 

「ま、姫様を守れる奴は何人居たっていい。頼むぜ、新入り」

 

 そう言って肩を叩く彼の左手。

 その中指に嵌められた指輪を、何度恨めし気に眺めたものか。

 

───マーレリング

 

 ジッリョネロファミリーが代々守ってきた秘宝だ。

 七つ。

 それぞれ大空、嵐、雨、雷、晴、雲、霧を冠す、白い宝玉をあしらえた指輪は、俺にはどんな高価な貴金属より輝いて見えた。

 本来ボスが大空のマーレリングを手にするのが慣例だが、ここ三代は訳あってその限りでないらしい。ちょうどユニの祖母の代からだ。

 なんでも彼女が片時も放さず身に着けている橙色のおしゃぶりに関係しているらしいが、ユニが話そうとしないから俺もわざわざ聞こうとは思わなかった。

 

───俺に大空(それ)を継がせてくれませんか。

 

 そんな大それた考えなんて終ぞ口に出せなかったけれど。

 そうこうしている内に、ファミリーに不穏な空気が流れ始めた。

 なんでもうちのマーレリングを狙うファミリーが現れたらしい。数度の小競り合いを経て、ジッリョネロが選んだ道は───同盟。

 

 ただし、イタリア最大手のマフィア“ボンゴレファミリー”とだ。

 

 うちと似た七つのリング。

 ボスを守る六人の守護者。

 何よりユニとボンゴレⅩ世(デーチモ)は似た者同士だった。

 

 Ⅹ世とは一度だけ話す機会に恵まれた。

 初対面の印象は、気弱そうな好青年というもの。とてもイタリア最大のファミリーをまとめるボスとは思えぬ穏やかな雰囲気を纏っていた。

 

「元々ボスになんてなるつもりはなかったんだ」

 

「でも、スッゲー理不尽な家庭教師(かてきょー)がやってきて……」

 

「そいつのお陰で色んな人と出会えた」

 

「友達も増えて、仲間もできてさ」

 

「案外居心地がいい……なんて思えてきて」

 

「みんなを守れるなら、ってボスになったんだ」

 

 渋々だけどね、と。

 最後にそう付け加えたⅩ世の困ったような笑顔が印象的だった。

 

 優しくて、温かくて。

 ああ、確かにユニに似てるなって。

 守護者の人たちが惹かれる理由がよく理解できた。

 

 

 

「ったく、10代目の凄さは小一時間で済む話じゃねーぞ」

 

 

 

 紫煙を燻らせる嵐の守護者は、強面な顔に満面の笑みを咲かせて嬉々と語った。

 

 

 

「確かに本人はダメダメとか言ってっけど、それに負けねーくらい良いとこもたくさんあるのな!」

 

 

 

 剣を素振りする雨の守護者は、爽やかに清濁併せ吞んで信頼していると語った。

 

 

 

「正直あの人をボスだなんて思ったことはない。でも、良い兄ちゃんだと思ってる」

 

 

 

 女性を侍らせる雷の守護者は、昔を懐かしむような微笑みを湛えながら語った。

 

 

 

「沢田は俺が認めた漢だ!! 目に見えぬ奴の覚悟は極限に熱いぞぉー!!」

 

 

 

 拳に包帯を巻く晴の守護者は、瞳の中の闘志をメラメラと燃やしながら語った。

 

 

 

「ボスは私を迎え入れてくれたから……その日が来るまで、代わりに頑張るの」

 

 

 

 眼帯を嵌め直す霧の守護者は、遠い場所を見つめるように隻眼を揺らし語った。

 

 

 

「ユニークな小動物だよ。それより僕の前で群れないでくれるかな」

 

 

 

 我が道を行かん雲の守護者は、あくまで興味を唆る一対象だと言外に語った。

 

 

 

 個性豊かと言えば聞こえはいい。

 本心を言えば、とても一大マフィアのボスを守る守護者とは思えぬ言動ばかりだ。

 でも、言葉の節々に感じるⅩ世への信頼感がひしひしと伝わってくるようだった。

 

 羨ましい。心の底からそう思った。

 聞けば、Ⅹ世と守護者は中学時代の同級生だったり先輩だったりで、ほとんど旧知の間柄と言える面々で固められている。

 

 古くからの付き合いで結束が固まるのなら、俺とユニだってそう違わないのに。

 けれど、ジッリョネロに入ってからというもの、ユニと心が離れていっているような気がしていた。

 表面上の距離感は変わらなく見えるかもしれない。

 それでもユニが孤児院に遊びに来ていた頃とは明白に違っていた。

 

 単純にボスと一ファミリーの距離感だと言ってしまえばそれで済む。

 それとも、暗に俺が守護者になるまでつっけんどんな態度で居ようとする魂胆なのだろうか? 

 

 でも、それだけならまだ良くて。

 今の今まで向けられた眼差しが。

 負い目を感じているような瞳が。

 喉に刺さった小骨みたいに、どこかで引っかかっていた。

 

───大丈夫、俺が決めたことだから。

 

 言い聞かせるように何度も伝えた。

 それ以上でもそれ以下でもない想いを納得してもらえたかは定かじゃない。

 

 

 

 

 

 だって、みんな死んだから。

 

 

 

 

 

「は、ははっ……」

 

 

 

 もう一度言おうか。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 γさんも。

 幻騎士さんも。

 太猿さんも。

 野猿も。

 

「ははっ、は、はぁ……」

 

 沢田さんも。

 隼人さんも。

 武さんも。

 ランボさんも。

 了平さんも。

 髑髏さんも。

 恭弥さんも。

 

「ぁ、あ、ああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」

 

 ユニも。

 

 

 

 誰一人、守れなかった。

 

 

 

 ジッリョネロもボンゴレも敢え無く壊滅した。

 白蘭───奴率いるファミリーに、手も足も出せず。

 生温い鉄臭さが鼻腔を撫でる一方、腕に抱かれるユニの体が刻一刻と冷えていく。

 

「ユニっ……! 死ぬな、死んじゃダメだ……!」

「ごめん、なさい……」

「なんでユニが謝るんだ! 悪いのはッ、君を守れなかった俺だ!」

「それは……違います」

 

 血塗れの手が頬に添えられた。

 今にも消え入りそうな温もりに触れ、今度は俺の体が凍えていくようだった。正しい呼吸もできなければ、全身が震えて止まらない。今にでも全身がバラバラに引き千切れそうな衝動を堪え、欠片程に残った生命の炎を宿す瞳がこちらを見つめていた。

 

「私には……、()()()()()()()。そう遠くない未来に、こうして……死に別れてしまうことを」

「……だったら、どうして……」

 

 言ってくれなかったんだ。

 涙と共に、その言葉を寸前で飲み込んだ俺に、ユニは申し訳なさそうな微笑みを浮かべた。

 

「いつか来てしまう別れが……怖くなったから。運命(さだめ)と受け入れたはずなのに、貴方の傍に居る時間が長くなるほど……その時間が、愛おしくなってッ」

「ユ、ニ……」

「ごめんなさい……! 私の我儘のせいで、辛い思いを」

「違う……違うんだ! 守れなかったのは俺だ! ユニを辛い目に遭わせたのは、俺が弱いせいだ!」

 

 子供の癇癪みたいに喚き立てる。

 そんな俺を見たユニは、最後の力を振り絞るように両腕を伸ばして抱き寄せた。

 

「……最後に、お願い……聞いてくれますか?」

「ああ、なんだって聞くよ」

「貴方に、渡したいものが───」

 

 囁くような耳打ちで教えられた人と場所。

 決して忘れまいと耳に焼き付ける。その間にもユニの呼吸は浅くなり、俺の首に回していた腕も脱力するように落ちていく。

 

「ユニ!」

「……これから貴方は過酷な旅路に向かうかもしれません……けれど」

「死ぬな! 死んじゃ……嫌だ……!」

 

 尻すぼみに声はか細くなる。

 一言一句聞き逃すまいと身構えるけれども、どうにも上手く聞き取れない。

 込み上がってくる嗚咽に鼓膜を圧し潰されては、溢れる涙が視界を潰す。一秒でも彼女の生きている姿を焼き付けたいのに、俺の弱さがそれを許さない。

 

 ……いや、これが罸なのだろう。

 俺の弱さという罪に対しての。

 

「ユニが居ない世界なんか……ッ」

「……どうか、()()()()()

「ッ……!!?」

 

 霞む景色が澄み渡った。

 

 

 

「ぁ……」

 

 

 

 突き付けられる残酷な現実。

 もうすぐ夜が訪れる夕暮れのような赤には、見たことのないくらい綺麗な虹が浮かんでいた。

 

「……ユニ?」

 

 声は、返ってこない。

 

「ユ、ニ……」

 

 命も、返る筈もなく。

 

 それからの記憶は曖昧だ。

 数少ない生き残りのファミリーと共に逃走の日々。世界征服を宣う白い悪魔は、たった一人の敵対者の存在も許さないつもりなのだろう。

 そんな中、魂が抜けた人形同然の俺を突き動かしていたのはユニの願いだった。

 彼女が遺した言葉に沿って目的地を目指す。

 最早安息地なんてない世の中、唯一残された希望はそこだけだった。

 

 ユニやファミリーを失った傷も癒えぬまま、やっとの思いでたどり着いた場所には、彫金師を名乗る老人が居た。

 

「これをおぬしに渡せと言付かっておる」

 

 簡素な装飾の箱を開けば、

 

「……指輪……?」

 

 オパールのような黒い宝玉があしらわれたリングが、大事そうに鎮座していた。

 

「大空のアルコバレーノからの贈り物じゃ」

「ユニから……?」

「ああ。おぬしにとのぅ」

「……なんだよ、それ」

 

 呆然としながらも取り上げる。

 守護者の皆がそうであったように指に嵌めた。

 けれど、どれだけ覚悟をイメージしようにも炎は灯らない───それも当然か。

 

「守れなかったのに……俺なんかがッ!!」

 

 俺の覚悟に意味なんてない。

 とっくにユニは死んだのだから。

 

 何一つ守れなかった男の指に嵌まる指輪は、酷く冷たく感じられた。

 

 その夜だ。

 皆が寝静まった頃合いを見計らい、外へと赴いた。

 今でも世界中で虐殺が繰り広げられているのだろうかなんて他人事に考えつつ、俺は銃に弾を込める。

 

(ごめん、ユニ)

 

 銃口を、そっとこめかみに当てる。

 

「君の居ない世界で生きるくらいなら……死んでも、君に会いに行きたい」

 

 覚悟は決めた。

 

 

 

 引き絞る引き金は───やけに軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死にに行く者の目じゃないな」

 

 でも、俺の自殺は止められた。

 

「歪な覚悟だ。だからこそ()()()()()()のだが」

 

 見ず知らずの鉄の帽子の男に。

 

「……誰だ」

「ユニを取り戻したいか?」

「!」

「もしも君に覚悟があるのならば、虹の下へ導いてやろう」

 

 持ち掛けられた取引は至って単純で、

 

 

 

「例えその魂を呪われようが、死んでも彼女を守る覚悟があるのなら……な」

 

 

 

 迷う必要なんて、欠片もありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 例え魂を呪われても。

 

 思い出が消されても。

 

 自分自身を殺しても。

 

 

 

 何度死んでも、守るんだと誓った。

 

 

 

「───っはぁ、はぁ……! 貴様、一体何者だ……!?」

 

 驚愕の色に染まる表情を、一人の男が浮かべていた。

 彼の居る部屋には無数の兵士が倒れている。まさしく死屍累々と呼ぶに相応しい光景。

 

 しかし、彼以外にもただ一人立つ人間が居た。

 息は絶え絶えであり、しとどに血が流れ出る体は痛々しくない場所を見つける方が難しい満身創痍な状態だ。

 

「ぜぇ……ぜぇ……!」

 

 だが、当の少年が放つ気炎を前にすれば油断も隙も見せられない。

 見開かれる空色の瞳には、今から仕留める標的(ターゲット)───紛れもない自分の姿が映し出されている。

 

「くっ、どこのファミリーが差し向けた殺し屋(ヒットマン)か知らんが、ミルフィオーレに楯突いたことを後悔させてくれる!」

 

 得体の知れない敵を相手取る恐怖を押し殺すように匣を取り出した。

 刹那、男の指に嵌められていたリングから炎が燃え上がる。

 眩い紫色だった。白い宝珠と折り畳まれた翼が特徴的なリングから迸る紫炎は、そのまま吸い込まれるように押し当てられた匣の中へと注入される。

 

「出てこい、雲アリ(フォルミーカ・ディ・ヌーヴォラ)!」

 

 開かれる匣より零れ落ちる漆黒。

 地に着いた瞬間、小さな大群は黒い足音を響かせて少年へ進行する。

 

 しかし、少年も黙って立っている訳ではなかった。

 すぐさま辺りに倒れる兵士から似た見た目の匣を奪い取り、まるで中身を知っているかのように迷いなくリングに炎を灯す。

 

「開匣!」

 

 閃光。

 次の瞬間には少年は地面に立っていなかった。

 

「貴様っ……我らのF(フレイム)シューズを!」

雷鳥(ペルニーチェ・ビアンカ・フールミネ)!」

「なにィ!?」

 

 噴き出す炎で宙に立つ少年が、畳みかけるように雷を纏った鳥を特攻させる。

 男も簡単にはやられまいとリングから放つ炎で防御するが、精細さを欠いた挙動から、動揺を隠し切れていないのは明白であった。

 

匣兵器(ボックスへいき)の中身を知っているのか!? 一体どこで……それにあの炎の色は!)

 

 匣兵器の技術力において他の追随を許さないミルフィオーレだが、自分に流れる属性以外の性能までをもわざわざ把握している人間は少ない。

 だからこそ、明らかに部外者───そして敵対者である少年の立ち回りに、少なからず動揺を招かれたのであった。

 

「だが……炎が弱いな!」

 

 男に突撃した雷鳥が、群がる雲アリに貪られて地に落ちた。

 瞬間、勝ち誇ったように男の顔が緩む。

 

「大空とは珍しい波動を持っているらしい……しかし、その程度では大した匣ムーブメントは引き出せまい! 匣兵器の性能を引き出すのは炎の純度……そして何よりもリングの格よ!」

 

 右手に収まったリングを見せつけ、男は高らかに吼えた。

 

「白蘭様より授けられた雲のマーレリング! これと貴様の三流リングでは、天と地ほどの差があるわ!」

「……」

「後悔したところで遅いぞォ! 我が雲アリ(フォルミーカ・ディ・ヌーヴォラ)の神髄を見せてやる!」

 

 勇み立つ男に呼応し、縦横無尽に床を這いまわっていた雲アリは、壁や天井に上っては、悠然に浮遊していた少年へと飛び掛かっていく。

 するや、次々に雲アリの腹筋が膨れ上がる。

 みるみるうちに人間の拳サイズへと膨張した───次の瞬間、立て続けに雲アリが爆発した。

 

 逃げる間もなく、少年は自爆する雲アリに飲み込まれる。

 

(勝ったな)

 

 勝利を確信する男はほくそ笑む。

 

「どうだ!? 雲属性の増殖によって数を増やした雲爆弾アリ(フォルミーカ・ボンバ・ディ・ヌーヴォラ)の爆撃は! 単身乗り込んだ己を呪うがいい!」

 

 数千から数万にも渡る大群による自爆攻撃。

 一体一体の爆発規模は小さくとも、塵も積もれば山となる。人間一人に対しては過剰な爆発は、部屋の一角で絶え間なく轟音を響かせていた。

 

「数こそが力だ! どうだ、手も足も出ずに嬲られる気分、は……───?」

 

 恍惚に語っていた男であったが、突如として顔から血の気が引いていく。

 

 右手が、燃えるように熱い。

 その一方で全身に悪寒が走る。

 

(待て。リングに炎は灯してなど……)

 

「グルルルルァ!!」

「んなァ!?」

 

 肉と骨に突き刺さる鋭い痛みを自覚し、ようやく我に返った。

 

「───嵐ハイエナ(イエーナ・テンペスタ)

「ぐわあーっ! は、放せェ! 一体どこから……っ!?」

 

 狼狽する男の一方で、落ち着いた声色の少年が剥がれ落ちた雲アリの中から姿を現す。すれば、雲アリと同じ色の炎を揺らめかせるムカデを体に巻き付けた全貌が露わになった。

 雲ムカデ(スコロペンドラ・ディ・ヌーヴォラ)。相手の死ぬ気の炎を奪うことで、体長を伸ばせる匣兵器だ。

 

 それを防御として用いた少年は、悠然とした佇まいのまま、男の足元に居た伏兵を指差す。

 鋭い鈎爪と赤い炎───嵐属性の分解により床に穴を穿った嵐モグラ(タルパ・テンペスタ)であった。嵐ハイエナの進入路を切り開く使命をこなすや、燃料の炎が切れてその場に崩れ落ちる。最低限だがそれでいい。

 

「お前の言う通りだ。俺如きの炎じゃ引き出せる力はたかが知れてる。けど、性能を十分に引き出せないなら……他の匣と組み合わせるだけだ!」

「ぎ、ぐぁぁああああ!!?」

 

 鮮血が舞った。

 男の腕は食い千切られ、自慢の匣兵器を運用する鍵であるリングはまんまと嵐ハイエナに奪われてしまう。

 大量に血を流す男は額に脂汗を滲ませ、己を斯様な目に遭わせた少年へ怨嗟の視線を向ける。

 

「お、おのれぇ……、顔は憶えたぞ……!」

「憶えた、か」

「地獄を見ると思え! ミルフィオーレの手は世界中に伸びている……貴様がどこに逃げようが、必ず見つけ出して始末する!」

 

 憤怒の形相で吼える男だが、少年は一切堪えた様子を見せない。

 寧ろ不気味な程に落ち着いている彼は、ふぅ……、と一息吐いてから懐からとある物を()()取り出した。

 

 瞬間、男の息を飲む音が響き渡る

 

「そ、れはっ……!」

「自分で言ってたろ。殺し屋か、って」

 

 撃鉄が起こされる。

 重い鈍色の輝きを放つ拳銃の狙いは、ゆっくりと血を流す男へと定められた。

 

 男の顔に流れる汗がドッと増える。

 顔色は先ほどとは一変し、赤から青へ急転換した。それほどの焦燥に駆られても尚、男の両脚は地面に張り付いたように動かない。

 

 殺される。

 子供でも理解せざるを得ない状況を前にパクパクと口を喘いでいた男であったが、一息吐いた少年から、一つ言葉を投げかけられた。

 

「質問していいか」

「な、なんだ……?!」

「この雲のマーレリング……前の持ち主はどうした?」

「前の……? し、知らない! 私は何もしていない! 俺は白蘭様に授けてもらっただけで」

「だろうな」

「へ?」

 

 躊躇いなく引き金は引かれた。

 間もなく立ち込める生臭い鉄と硝煙の臭いに顔を逸らした少年は、嵐ハイエナが咥えてきた腕からリングだけを取り上げる。

 

「……ブラックスペルの恰好でも、お前の顔は見たことがない」

 

 取り戻したリングの汚れを拭い、大切にポケットにしまう。

 

「こいつは……ジッリョネロのものだ」

 

 全滅したマフィアの支部からの帰路。

 誰に歓迎されることもない少年は、時計を見るような所作で左手を持ち上げる。

 

「……88回目……か」

 

 左手の甲に浮かぶ痣。

 そこにはあからさまな程に分かりやすく数字が浮かんでいた。

 

「今度は上手くやれるか?」

 

 独り言ちるままに空を仰いだ。

 普段と変わらない青空だが、少年にはどうにも暗く曇っているように見えた。

 虹が浮かぶべき青天には、程遠い。

 

「ユニ……」

 

 嵌められたリングが、きつく指を締め付ける。

 脳裏を過るのは、最早遠い昔の出来事ように朧気になってきた“記憶”だ。

 

 

 

『まったく、大空のマーレリング保持者(ホルダー)は好き勝手してくれた』

 

『これでは7³を維持するのもままならない』

 

『そこでだ。君には並行世界(パラレルワールド)に行ってもらいたい』

 

『これは私から君への依頼だよ』

 

『君はユニを助け、白蘭を倒してくれればいい』

 

『全ては丸く元通りになる』

 

『私としても協力は惜しまないつもりだ……が』

 

『代価を払わずして力を手に入れることは叶わない』

 

『代価とは、歴史だ』

 

『この世界における君という存在の歴史……記憶とも言えるな』

 

『君が死して尚復活する度、その並行世界における君の生きた証は消滅する』

 

『初めに言っておこう……これは“呪い”だ』

 

『積み上げた歴史、築き上げた絆、大切な人の思い出であっても』

 

『死ねば何一つ残らない』

 

『それでも』

 

『君の大切な人が、君という存在を忘れてしまうとしても』

 

『夥しい死を重ねても、守り抜く覚悟はあるか?』

 

『───常磐(ときわ) 刹那(せつな)くん』

 

 

 

「……当たり前だ」

 

 少年の覚悟は、虚空に吸い込まれて消える。

 

「俺は……死んでもユニを守る」

 

 

 

───君がくれた指輪(リング)に誓って。

 

 

 

 託されたリングが、強く、きつく指を締め上げる。

 同時に肩に得体のしれぬ重さが圧し掛かってきた。

 

 それは、命の重み。

 失敗した87人分の自分自身だ。

 

 時には返り討ちに。

 時には自死を選び。

 並行世界の自分そのものを残機とした死に戻り(タイムリープ)を、これまでに幾度となく繰り返してきた。

 死ぬ度に、その並行世界で築いた関係や思い出は失われ、一人の少年が生きていた証拠は跡形もなくなる。

 

 それこそが代価であり、同時に残された手札であった。

 並行世界の知識や記憶を共有できる白蘭という悪魔に対峙する為の。

 

───きっと、必要な犠牲なのだ。

 

(ユニは俺のことを覚えていないだろうけれど)

 

 直視したくない現実に目を背け、少年は前へ前へと進んでいく。

 

 

 

 肩からずり落ちていく“何か”は、酷く軽かった。

 

 

 

 あと何度死ぬだろうか。

 あと何度戦うだろうか。

 あと何度───死ぬ気で居られるだろうか。

 

 

 

 朧気になる思い出と共に覚悟が薄れゆく未来を恐れ、刹那の時は繰り返される。

 

 

 

 

 

 消えた虹を追いかけて、いつまでも───。

 

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