何度死んでも、君を守る。
けれど、ふと思うんだ。
何度死ねば、君を守り切れるのかって。
朦朧としていた意識が覚醒するが、目が霞んで碌に見えやしない。
赤く染め上げられる視界と、立ち込める鉄臭さに気持ち悪さを覚えたところでもう遅かった。血みどろの両腕はズタズタに切り裂かれていてピクリとも動かせない。
「……くそっ」
「ここまでみたいだね、謎の襲撃者クン♪」
白い悪魔は、敵である俺へ能天気に笑いかけた。
「白……蘭っ……!」
「ここまで攻め込んできたことは素直に褒めてあげるよ。まさか6弔花全員が君一人に倒されるなんて夢にも思ってなかったけど」
軽い声色が神経を逆撫でる。
幾度とない会敵と戦闘。その度に拳を交えては、勝負にならないと言わんばかりに一蹴されてきた。今度こそはと技を磨いても、白蘭の力はそれを容易に上回ってくる。
足りない。
真っ向からの力で打ち負かそうとしても、奴のリングは俺以上の炎を出す。
足りない。
知恵を巡らせようとしても、並行世界で共有した知識の数々には浅知恵同然だった。
足りない。
可能な限りの道具を集めても、奴が用意する物に比べれば質でも量でも勝てない。
それでも時間が許す限り、打倒白蘭の為に準備を整えて戦いに挑んだ───どうやら今回もダメそうだけれど。
「最後まで……諦めて堪るか!」
「!」
「白蘭ぁぁあああんっ!!」
最期の悪足搔きだ。
何度も通用しない未来は視てきた。
けれど、試さずにはいられないんだ。
残った生命力の全てを、死ぬ気の炎に変える。
満身創痍な中、死ぬ気の炎を全放出なんて自殺行為も同然だ。けれど、それでいい。白蘭を倒せるのなら死のうが関係ない。
部屋全体が炎に満たされる。
一瞬で炎熱地獄に彩られた中、白蘭はほんの僅かに驚きながらも、悠然とその場に佇むままだ。
無抵抗……な訳じゃあない。
そもそも、
直後、炎が別の炎に掻き消されてなくなる。
ちょうど白蘭の目の前───立ちはだかる守護者が放つ死ぬ気の炎によって。
「ハハン、温い」
「ご苦労様、桔梗♪」
「もったいなきお言葉。この程度の賊に白蘭様の手を煩わせる訳にはまいりませんから」
俺はそいつらを知らない。本当に知らないんだ、クソが。
白蘭に頭を下げる緑髪の男も、水のように長い青髪を靡かせる少女も、無精ひげを生やした男も、ぬいぐるみを抱きかかえた少年も、異様な仮面を被った不気味な男も。
白蘭率いるミルフィオーレファミリーの守護者───6弔花は倒したはずだ。
にも拘わらず、そいつらが着けているリングが目に入って仕方がない。
「どぅ……して……それ、を……」
「うん? あー、さては
嘲笑うように白蘭が右手を掲げ、燦然と光を放つリングを見せつける。
「なんてことはないよ。ただ、君が倒した6弔花のリングは偽物だっただけ。彼らこそが真のマーレリング保持者であり、僕の本当の守護者達」
───“
ふざけるな。
そう叫ぼうとしたところで、代わりに血反吐を吐き出すことしかできない。
真6弔花?
だとしたら、俺が手にかけた6弔花は何だったんだ?
白蘭への忠誠を叫ぶ奴も居た。
白蘭への畏怖を語る奴も居た。
白蘭への不信を呟く奴も居た。
けれど、奴らに共通して言えたのは指に嵌めたリングに誇りを持っていたことだ。
紛れもなく全員が覚悟を強大な炎に変えて立ちはだかってきた。その炎を目にして何度も死ぬ気にさせられた。実際に殺されたのも両手じゃ足りない。
死ぬ気になっても超えられなかった壁を、何度も死んでようやく超えた。
その矢先に
呪詛を吐き散らしたい。
怨嗟を浴びせかけたい。
あのニヤケ面を今度こそぶん殴ってやりたい衝動に駆られるが、煮え滾る憤怒とは裏腹に、刻一刻と体は冷え切っていく。
ああ、くそっ。
───今度も、守れなかった。
白蘭は視線の先で蹲る少年に惹かれていた。
彼は無謀にもミルフィオーレ本部にたった一人でやって来た殺し屋。並行世界と合わせても記憶にない顔だ。
となれば、知識として共有する価値もない木っ端なだけだ───本来ならば。
「けれど、気になるんだよね~。君の炎と
偽物のリングを与えていたとは言え、ミルフィオーレでも選りすぐりの兵士である6弔花を倒した事実は揺るがない。
この世界で斯様な芸当ができる人物は限られる。
だからこそ、目の前に居る少年の素性の知れなさとも合わせて興味深かった。
「僕の目に間違いがなければ、そのリング……結構イイモノでしょ♪ 僕そういうの詳しいんだ」
「……」
「誰に貰ったのかな? ボンゴレ? それとも余所のファミリーかな」
反応は───ない。
対する白蘭もまた、これといった様子の変化を見せなかった。
しかしながら、その張り付けたような笑みの奥に湧き上がる好奇心は激しく渦巻いている。
白蘭の目的は7³を集め、時空の覇者となること。
故にほとんどの並行世界において、7³と呼ばれる至宝“ボンゴレリング”、“マーレリング”、“アルコバレーノのおしゃぶり”、計21個を収集していた。
三組全てが大空の7属性分存在しており、だからこそ“7³”と呼ばれている訳だが、少年の有しているリングは当然いずれにも該当しない。
だが、直感が叫んでいる───あれはただのリングじゃない、と。
(炎の純度、炎圧、どれを取っても精製度A以上であるのは間違いない。もしかして、僕が知らないだけで7³級の
並行世界とは可能性の塊だ。
現に並行世界のありとあらゆる最先端を共有したからこそ、ミルフィオーレファミリーは十代にも渡って強大な力を継いできたボンゴレファミリーを圧倒的な力で下せている。世界征服など、最早周回プレイしたゲームをクリアするように簡単で陳腐な作業だ。
だからこそ、白蘭は対面した未知に心躍っていた。
並行世界の
(───欲しい)
もしかすれば、停滞期に突入している7³ポリシーを打開する鍵になるかもしれない。
そう思案する白蘭は、生命力を全て死ぬ気の炎に変換し、風前の灯火となった少年の下まで歩み寄る。
この際死体はどうでもいい。
後で解剖すれば何かしら判明するだろう。
───しかし、そうした考えはすぐに露となって消える羽目になった。
「……?」
「いかがなされました?」
「あれ……」
ポカンと立ち尽くす白蘭。
彼の目の前には
あからさまに困惑した主の様子に、守護者達も浮足立つ。
「白蘭様?」
「う~ん……僕何しようとしてたんだっけ。ねえ、何か知らない?」
「いえ、我々は白蘭様の仰せのままに参上した次第でありますので……」
「そうだよね。でも、なんでかな~。君達呼んだ理由も忘れちゃったんだよね」
ド忘れかな? と首を傾げる白蘭に、水色の髪の少女がブーイングの嵐を浴びせかけ。
しかし、どれだけ時間が経ってもこの場に集った明確な理由を思い出せない。
悴んだ指先の感触も、まるで最初からなかったかのように消えていた。
影も形も残らず、誰の記憶にも残らないまま。
死に戻った回数が、とうとう100回を超えた。
それは100回守れなかった証拠。左手の甲に浮かび上がる痣は、ありありと俺の無力を突き付けるようだった。
倒せない。
何度やっても白蘭を倒せない。
未だ白蘭に勝てるビジョンは見えず、暫し右往左往するばかり。悩んでいる間にも死に戻った先の時間は進み、あっという間にタイムリミットが近づいてくる。
タイムリミットとは………………そうだ、ユニが死ぬまで。
最近は記憶が曖昧だ。死に戻ってからも決戦の為に準備を整えるまで色々と策を講じなければならない以上、思い出に浸っている時間は少ない。
そうして人生をやり直している間にも、彼女と過ごした時間が相対的に薄れていってしまっているように感じる。
特に顕著だったのは、ユニの声を上手く思い出せないこと。
上手く……思い出せない。
優しかったのは憶えている。
温かかったのも憶えている。
けれども、死を覚悟までして救おうとしている彼女の声を思い出せないなんて。
怖い。
怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!
「ぁぁぁぁぁぁあああああああああああーーーーーーっっっ!!」
頭の中で繰り返し流れる声とも取れぬ雑音を、思わず絶叫で上塗りにした。
耳から血が出るほどに掻き毟って、ようやく雑音が止んだ。ジンジンと伝わる痛みと熱さが、まだ俺が生きていると───やり遂げるべき使命が残っているという実感を覚えさせる。
「はぁ……はぁ……!!」
───こんな様でどうするんだ。
───お前は死んでも
鉄の帽子の男が言っていた。白蘭を倒せば、すべてが丸く元通りになるって。
なら、大切な過去の思い出なんて振り返って感傷に浸る時間なんて無いんだ。一秒でも多く白蘭を倒す方法を考えなくては!
何もしない時間がただただ辛い。
心の支えだったはずの思い出が、心の隙を縫って俺を狂わせる。
考えるな。まずは目先の問題。真6弔花と名乗った本当の守護者達だ。
奴らも倒さなければ、白蘭を倒すなど夢のまた夢の話。あくまで奴らは前座なんだ。
となれば、また何度も死に戻る羽目になるだろう。
一度の死に戻りの度に数か月、長い時は数年の時間をかける。その上で相手の対処法を見出すだけでも何十回と死ぬ。それこそ6弔花の時でさえ気の遠くなるような時間をかけた。
何度も死んで、何度も試して。
一度目は勝った相手にも、二度目では負けたことさえある。
並行世界ごとに強さが変わるなんてザラにあった。時にはそもそも別人だった場合───いわゆる初見殺しもあるのだから、事前準備以上に対応力を求められる。
それでも情報はあるに越したことはない。
何度死んでも攻略法を見つけてやる。
もう、彼女との思い出を薪に出来そうにはない。
心を埋め尽くしていたのは、白蘭へのどす黒い復讐心だった。
数回死んだ。
やっとの思いで引きずり出した真6弔花は強過ぎた。6弔花とは比べ物にならない。
リングのランク? いいや、違う。あれは紛れもなく奴ら自身の覚悟の強さだ。認めたくはないけれど、守護者として白蘭を守る覚悟は本物のようだ。
真面に手の内を明かせていない。先は長そうだ。
数十回死んだ。
修羅開匣───奴らはそう呼んでいた。
ふざけた技術だ。自分の体の中に匣兵器を埋め込んで、自身を兵器そのものにするなんて。修羅開匣した真6弔花には手も足も出なかった。
身一つで立ち向かうにもいよいよ限界が来たみたいだ。あれはリングだけでどうにかできる相手じゃない。
せめて、対抗し得る匣兵器が欲しい……けれど、別の並行世界に持ち越せない以上、手に入れられる匣兵器にはバラつきがある。それにいつも強力な匣兵器を取得できる保証もない。
……気は進まないけれど、何回か匣兵器職人を探す人生を歩んだ方が良さそうだ。
確かヴェルデとイノチェンティ、それにケーニッヒだったか。
ヴェルデは非7³線で死んでしまうし、イノチェンティも原因不明の死を遂げていたはずだ。ケーニッヒだけが地下に潜って匣兵器を闇の市場に流している……って、恭弥さんから話を聞いた。
当たるならケーニッヒだ。
大抵の匣兵器を開けられこそすれど、それでも所有者用に調整したカスタム匣兵器には性能で叶わない。
修羅開匣に対抗するには、もっと強力な……俺専用の匣兵器が必要だ。
数百回死んだ。
最近、よく眠れない。悪夢を見て魘されてしまうからだ。
白黒の世界で、延々とノイズが流れる夢。その世界に出てくる人影の顔は黒く塗りつぶされており、話す言葉もこの世のものとは思えない雑音みたいだった。
夢を見ている間は精神が擦り減る思いだ。
まあ、俺の話なんてどうだっていい。
真6弔花ともそれなりに対抗できるようになってきた。でも、安定して倒せるとはとても言い難い。
そもそも6弔花全員を攻略しなければ引きずり出さなければならないのだ。一人で限界がある以上、時にはボンゴレと結託し、時にはミルフィオーレに潜入して暗躍したが、腐っても全ての世界の最先端を行く組織だ。
唯一の対抗馬と言っていいボンゴレと同盟ファミリーと手を結んでも、多くの犠牲は避けられない。それこそ綱吉さんや守護者達を死なせてしまうことだってある。実際、何度もあった。
みんなを死なせたくないって思うのは傲慢かな? よく分からなくなってきた。
一度、匣兵器の流通そのものを失くしてしまえばいいんじゃないかと研究者三人を殺す手段も考えた。けれど、良心がそれを止めた。
それこそ白蘭と同じになってしまう。邪魔になるかもしれないからと無実の人まで殺したら、俺はいよいよ戻れなくなる!
多分、狂ってきているんだ。
命の価値観が。
正確には“自分の命”に対してだ。
何度も死んで、何度もやり直して。
本来、一度しかない人生に重みを感じなくなってきたのかもしれない。
そう思う度、指先が急速に冷え切る感覚を覚える。ゾッと背筋に悪寒を覚えれば、人知れず路地裏で悲しみに明け暮れた。
けれど一向に涙は出てこない。
どうにも、思い出だけじゃなく人として持っている感情すらも薄れているみたいだ。
───お前は人間じゃない。
そう突き付けられているようで、ますます込み上がってくる不快感に何度も
呪いを受けてからというもの、俺の体は成長することはなかった。老いることもなければ若くなることもない。本来今よりずっと子供だった時代に戻っても、だ。
今更だけれど、この呪われた体が恨めしい。
心とは体に付き従うものだ。月日に変えればざっと数十年は生きているはずなのに、俺の精神は初めて死んだ時から成長していないように思える。
大人にもなれず、子供でも居られない時を延々と彷徨うのは……正直辛い。
時折『落ち着いている』と言われることもあるが、それは違う。きっとそれも、人としての心が擦り切れてしまっているからだろう。
「……会いたい」
この体の事情もあって、彼女と幼馴染からやり直すなんてできやしないから、自然と避けてきてしまっていた。
けれど、ユニと会いたい。
堪らないほどに、狂おしいほどに。
「会いたい、よ……」
もう彼女の笑顔を思い出すのもままならない。
他の誰でもない、俺にだけ向けられた太陽のような笑顔は、日に焼かれた写真みたいに色褪せてほとんど消えかかっている。
一度自覚したら最後だった。
まだ昼にもならない時刻に、人目も憚らず泣いていた。
目頭が焦げそうなるくらい熱い。だというのに、やはり涙は流れないままなのだから、気がおかしくなりそうだった。
辛い。
怖い。
痛い。
そうだ。
生きていると実感させるのが、それぐらいだから。
俺の心は鈍く、凍り付いてしまったんだ───。
「───ねえ、なんで泣いてるの?」
不意に声を掛けられて顔を上げる。
「うわっ! ひっどい顔~」
「は……?」
「ねえ、どっか痛いの? 救急車でも呼ぼっか?」
不躾な物言いをする少女が居たものだ、なんて考えはすぐに思わなかった。
それよりも風に靡く水色の髪に目が惹かれたからだ。
なんで、こいつがここに───。
「ブルー……ベル」
真6弔花。
そして、雨の守護者その人が目の前に立っていた。
けれど、その姿はミルフィオーレの戦闘服などではなく、何の変哲もない制服だった。
───まだ守護者になってないのか。
そう思い至るのにさほど時間は掛からなかった。
「にゅ? なんでブルーベルの名前知ってんの?」
しかし、自分の失言に気が付いた。
互いに面識がない状態。しかも相手がまだ一般人……それも見たところ中学生ぐらいの年齢ともなれば、別の意味で素性を怪しまれる。
だが、さっきの今で平静を取り戻すことはできない。
あからさまに動揺したままだったせいか、漏れてしまった声も震えていた。
「あ……いや……」
「もしかして……」
「っ……」
「わかった! あんた、ブルーベルのファンなんでしょ!」
「……は?」
間の抜けた声が出たのは、自分でもよく分かった。
「いろんな大会で優勝してるしねー。とうとうそこまで有名人になっちゃったかー」
自慢げに語る少女の姿は、澄んだ水のように純粋で。
とても並行世界で残虐の限りを尽くす怪物と同一人物とは思えなかった。
そんなギャップに呆然としているのも束の間、少女はポスンと隣に座り込んでくる。
よくもまあ赤の他人の真横によく座れるものだと、その神経の図太さに感心していれば、アクアマリンのように透き通った瞳がこちらを捉えた。
「で?」
「……『で?』って、何の話?」
「どっか体が悪いのか聞いてやってるんじゃない!」
ぶー! と唇を尖らせるブルーベルは、忙しなく足をバタつかせる。
「ブルーベルも暇じゃないんだから! おにいちゃんが中々来てくれないからここに来ただけで……」
「……だったら、放っておいてくれよ」
「にゅ~! なんなのよ、その言い草ぁ~! せっかく心配してあげてるのに!」
「関係ないだろ!」
思わず語気が強まる。
ハッとしてブルーベルを見れば、小刻みに震えている彼女の姿が目に飛び込んできた。すぐに目尻には大粒の涙が浮かび上がり、鼻っ面もみるみるうちに赤くなっていく。
「にゅ……そ、そんなおっきな声出さなくても……」
最低だ。途端に押し寄せる罪悪感が、俺の心を責め立てる。
単に心配してくれた少女を怒鳴るなんて。並行世界で殺しにきた相手だからなんて言い訳をするつもりはない。
これは単なる八つ当たりだ。
自分の思い通りにいかず、癇癪を起こす子供そのものになってしまっていた。
「───……ごめん。泣かせるつもりじゃ……なかった」
「っ、フーンだ! 謝ったからいいけど、ブルーベルじゃなかったら許してもらえてないんだからね!」
涙を飲み込んだブルーベルがはにかむ。
すると、なんだか全部が馬鹿馬鹿しくなってきた。
違う世界では殺し合った相手が、世界が違えばこうして笑いかけてくる。世界線が変わるだけでこうも人は変わってしまうのだと思うと、思い出に代わって心の支えと化していた復讐心が風化しそうな気さえした。
ままならない未来を皮肉なものだと嘲笑う。
それからは───一人の少女と談笑することにした。
本当に短い時間だ。
すぐそこの体育館で水泳大会があるとか、試合間際まで大好きな兄が来ないものだから待っているとか、何の変哲もない内容。
これまでならば無意味だと切って捨てていた話だが、この時ばかりはただただ彼女の弾んだ声に耳を傾けていた。
久しく忘れていた感覚だ。
死に戻る度に消されるのだからと、必要以上に交友関係を広げようと勤しまなくなったのは何回目からだろう?
何もかもが水泡に帰すくらいならば───そう諦めていた心にじんわりと広がる熱。
痛みのそれとも違う感触は、心地よく、そして懐かしかった。
「───あっ、おにいちゃん!」
ふと、声の向かう先が明後日を向いた。
立ち上がるブルーベル。彼女の視線の先には、どことなく血のつながりを感じさせる少年が立っていた。
待ち侘びた家族の登場に、少女は笑顔を弾けさせると同時に駆け出した。
道路を行き交う車に目もくれず。
「待っ───!」
「え?」
彼女を追うように飛び出しては、振り返ったあどけない諸共、道路の向かい側から駆け寄ってきた少年を突き飛ばした。
衝撃。
全身を襲い掛かる痛みを覚えたかと思えば、間もなく目の前が暗くなってきた。
『───っ! ───!』
どれだけの時間が経ったかは知らない。
指先が冷たくなる間、野次馬は俺の前に集まってきた。遠くから救急車のサイレンも聞こえる気がする。
───ああ、こんなことなら最初に呼んでもらっておきゃ良かった。
血溜まりに沈む俺を覗き込む少女を前に、そんな冗談が脳裏を過る。これも価値観が希薄になった影響か。
きっと俺は死ぬ。
結局は早いか遅いかと、それが有意義だったかそうでないかの違いだ。
今回で言えば───まったくの無意味。敵になるかもしれない少女を守って死ぬなんて、他の並行世界で殺された人達に顔向けできない。
でも、
「死んじゃヤダぁ!! 死ん、じゃ……!!」
「───まも、れ……」
「っ!」
「守れて……よかった……」
なぜか、心の底からそう思えた。
意識が闇に沈む中、必死に勇気づけるブルーベルの声が聞こえてくる。
「なによっ……なん、で……!! 名前っ、教えてもらってもないのにぃ……!!」
並行世界じゃ殺そうとしてきた癖に……、なんてふざけた返事をする間もなく、やがて声すらも途絶えた。
ああ、死んだな。
けれど、得も言えぬ充実感が心を満たす。
渇きに呻いていた砂浜に潮が満ちるかのように、押しては寄せる波の音が聞こえる。
やがて波の幻聴は遥か彼方へと遠のく。
それでも、穏やかな音が消えることだけはなかった。
死んだ回数は、もう数えていない。
いちいち数えるのも億劫になってからは手袋を着け、物理的に見えなくした。
まあ、そんなことはどうだっていい。
あれから俺は、少し回り道をすることに決めた。
もちろん白蘭を倒す目的は諦めていない。ただ、今まで見落としていたものを……死ぬ度に零れ落ちてしまったものを拾い上げたくなった。
きっかけは、ブルーベルを守った人生に他ならない。
並行世界でただの少女だった彼女を目の当たりにして、それまでただの敵だと断じていた彼らの正体を見定めたくなったんだ。
倒す相手を知ることは必要だ。
しかし、必要以上の深入りは同情を生む。
同情は迷いを生んで、やがて覚悟を鈍らせる。
自分を殺したことだってある相手に同情するなんて馬鹿のする真似だ───以前の俺なら、そう切って捨てていただろう。
けれど、知りたくなった。
どうして彼らが守護者になったのかを。
白蘭を守りたいと強く思うようになったか───その理由を。
桔梗に会った。
世に知られる大企業の幹部候補としてエリート街道を進むはずだったが、上司のやっかみで陰湿な横暴に鬱屈とした人生を歩んでいた。
個人の才能が評価されず、低能な年寄りが権力を振るう社会には辟易していたようだ。
ザクロに会った。
自然豊かな故郷にこそ暮らしているが、それは十分なインフラが行き届いていない証拠でもあり、酷く貧しい生活を強いられていた。
風土病で床に臥してからというもの、誇りであった故郷が憎くて堪らなかったようだ。
デイジーに会った。
不死身に近い肉体を有してしまったが為に特殊な施設に入れられた結果、ありとあらゆる薬の実験体として扱われていた。
家族に疎まれた肉体を忌み嫌い、捨てたいと考えるからこそ、簡単に死んでしまえる生命を羨んでいたようだ。
世界が違えば辿る道筋も違うが、概ね似た経緯だった。
そうしたどん底から救われたからこそ、真6弔花の白蘭への忠誠は固く、燃え上がる覚悟も凄まじい。
知ったからこそ道理だと理解できた。彼らの強さを。
そしてもう一つ、判明した事実がある。
守護者になる真6弔花に出会い、絆された俺が手を貸した世界線では、
6弔花もそうだったが、世界線ごとにメンバーは入れ替わる。
そう、白蘭はきっと不運に見舞われた人間から守護者を抜擢していた。何も不便していない人間に忠誠を誓わせるよりも、どん底で苦しんでいる人間を助けた方が恩義を売ることも容易く、味方に引き込むのに苦労はしないだろう。
これも数多くの並行世界と知識を共有しているからこそ可能な芸当───人の心につけ込むやり方だ。
卑劣だ───なんだと叫ぶつもりはない。
見方を変えれば、その世界線で苦しんでいる人間を救い上げているんだ。
でも……気に入らない。
出会った当初の彼らは殺人鬼なんかじゃなかった。
悩みを抱え、苦しみを覚え、心を痛ませる人間───それが真6弔花の正体。
彼らの覚悟は本物だ。守護者としての格も強さも、守護者擬きの俺なんか遠く及ばない。
だからこそ……だからこそだ。
世界線ごとに守護者の面子が変わっていた事実が、無性に腹が立って仕方なかった。
違う世界線で見たんだ。
敏腕社長として遺憾なく才能を発揮して、社会を豊かにしていた桔梗を。
自然豊かな故郷を誇りだと謳い、多くの子宝に恵まれていたザクロを。
オリンピック水泳の選手として活躍し、金メダルを掲げるブルーベルを。
いくつもの難病を治す新薬開発に協力し、讃えられていたデイジーを。
他の守護者も
そうした彼らの未来を───他ならぬ自分の守護者であった彼らの未来の悉くを、白蘭は潰して廻っているのだから。
そこには名誉も栄華もなく、荒廃した世界が広がっているだけ。
そんな未来、認められるはずがない。
───守りたい。
再び使命感に火が点く感覚を覚えた。
馬鹿な話だ。自分でもそう思う。
ユニを守りたいと焼べた覚悟は今や燻り、白蘭に立ち向かう動機も黒煙のようにどす黒い復讐心ばかり。
途方もない旅路に疲れ果て、涙の味も忘れていた俺に“守りたい”って覚悟を思い出させてくれたのが、何度も涙を飲ませた敵だなんて。
───会えて、本当に良かった。
とんだ回り道だったが、大いに実りある旅路だった。
「……よしっ」
死に戻った先で墓を作った。
これは別の世界で死んだ自分の為のものだ。ほとんどルーティーンと化している行為に近いが、今回はいつもと違った衣装を凝らす。
いくつかの花を供えたんだ。
桔梗、ザクロ、ブルーベル、デイジー、それにトリカブト。
これは新しい誓い……覚悟の証だ。
いずれ真6弔花として対峙するかもしれない彼らの凶行を食い止める、その思いを形にしてみた。
これを“最期”にしよう。
“死んでも”なんて甘い覚悟は、もう要らない。
「死ぬ気で───みんなの未来を守る」
君がくれたリングは、きっとその為にあるんだ。
そうだろ? ───ユニ。