Battle Spirits Act of Aggression   作:えむ〜ん

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モチベはあるが語彙力の無い男のエピソード4でございます。あれから間がありましたが、またも苦戦しながらの執筆となりました。
ただ、シリーズの中ではかなりのボリュームでお届けする事が出来たので、僕が書く、バトルスピリッツの世界観にハマって頂ければ嬉しいなぁなんて思っていたりしてますので、よろしくお願いします。


episode 4 calling you

人と人との繋がり、それは決して断ち切る事の出来ない人間関係の連鎖。良くも悪くも、その連続があってこそ我々は今の時代を切り拓き、長く生き抜く事が出来る。

どんな形でも人と人は繋がっている。例え、それが死人であったとしても、見えることの無い赤い色の鎖が自身に巻き付いている事を君はいずれ知り、強く意識する事になるだろう。そして同時に自分以外の人間達も、その繋がりに縛られている事を知る。血の繋がりは時にその者に残酷な現実を突きつけるものになるだろう。

血の呪縛……それが親に血肉を与えられた者の、血の運命なのだから。

 

 

 

 

 

 

……まただ。全身につきまとう奇妙な浮遊感と目眩に近い感覚に僕は顔を酷く歪ませた。また、僕は此処に来てしまっていた。もう二度と来たくもない場所だと思っていても、自分の意思は通用しないこの場所は、まるで嫌がらせの様に僕を縛り付けてくる。

自分の意思では回避する事は出来ないというのなら、拒絶する以外の方法は無い。逃げる様に、屈しない様に目を閉じたまま沈黙を貫く。目の前の光景から自分を守る為に、この時が何も無く過ぎることを祈りながら瞼を強く意識する。今はそれが作り出してくれる暗闇に少しの安心感を覚える。

…………しかし、此処は彼等のいる場所だった。

 

 

結薙、こっちにおいで。

 

 

暗闇で耳障りな死人の声がチラつく。なのに、どこか惹かれそうになる威厳に満ちた男性の声が自分の頭の中で響いた。僕をあっち側へ誘うとする鬱陶しい声だ。

 

 

結薙は私達の最高の宝物だから。

 

 

続いて、耳の底で優しく囁かれてるような女性の声がゆっくりと反響する。嫌っているはずなのに、油断すれば包み込まれるかのような母性溢れる甘さに思わずとも、その身を任せたくなると思ってしまうだろう。

 

「……随分と口達者になったものだな。だが、僕を独りにして置いていったのは紛れもないお前達だろう」

 

それらの感情を全て振り切って僕は父と母であろう人の声に怒号を飛ばした。存在しない人間だからそう言える。

だが、それだけの言葉を自分に連ねる事が出来るのなら、何故僕を1人で置いて姿を消してしまったんだ。それをしなくちゃいけない詳しい理由は一体なんだっていうんだ。

その全てを彼等は僕に何一つ教えてはくれない。だって彼等はもう既に僕の手では届かない場所に行ってしまったから。

 

 

目を背けても意味は無い。その間に、時や現実はお前を置いて過ぎ去っていく。後悔はお前を許さないだろう。

 

 

過ぎ去った時間は、元には戻れないわ。

 

 

「知ったような口を利いてくれるじゃないか……屍人が賢しらぶって、説教のつもりか!」

 

 

だから貴方に未来をあげる。例え貴方がひとりでも、生きていけるように。夢を叶えられる様に。

 

 

こっちに来なさい。そして受け入れるのだ、結薙。

 

 

僕の言葉に彼等は何も答えはしない。僕の言葉を無視して、ただ一方的に話を進める彼等の態度に苛立ちを感じ、歯を強く食いしばる。

 

「……それが、それが亡霊の喋る事か!?僕は、そんなんじゃない。ズケズケと僕の中に入ってくるんじゃない!」

 

両腕を左右に振り払いながら、怒りに任せて両目を一気に見開いてしまった。そうすれば、この世界から、鬱陶しい声から開放されると思ったのだ。次に目の当たりにする壮絶な光景に圧倒される事も知らずに。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

声が出なかった。その後に出てくる筈であった言葉を繋ぐことが出なかった。何故、自分はこんな所に一人でいるのだろうかと放心してしまうのも目の前の光景を見れば、きっと無理もない事だろう。

今、自分の目の前に立ち込めるのは世界を焼く真っ赤な炎と青だった空を焦がすように、ドス黒い黒煙がゆっくりと棚引いている。そして、その周辺に散見される倒壊した建造物、その瓦礫の山が事の悲惨さを物語っていた。

物が喉につっかえたかの様に僕は言葉を発する事が出来なかった。常識を逸脱した、想像を絶する光景に有り得ないと自分に言い聞かせるのに必死だった。

鼻をつく、焦げ付いた匂いとゆらりと揺らめく獄炎が世界を歪ませようとしていた時、またあの声が聞こえた。

 

 

あれが貴方の望んでいるもの……あれが貴方の全てを満たしてくれる。

 

 

こんな事をしても僕の頭に囁いてくる声は絶えることは無かった。後ろから話しかけられる感覚に襲われながらも、前方に立っている物体に思わず目を引き付けられてしまう。燃えゆる大地を背に立つその姿は僕よりも一回り背の高い、影に塗られた人型の鋭利なシルエットでそこに沈黙していた。

 

 

あれがきっと、貴方の夢を叶えてくれるわ。

 

 

妖艶で甘い声がゆっくりと囁かれる。それが逆に自分を挑発しているように聞こえて僕は反射的に声を荒らげた。

 

「違う……僕はこんなもの望んでいない。安らぎも無い地獄なんて、こっちから願い下げさ!」

 

確かに自分にも叶えたいと思えた夢があった。

しかし、それを現実のものとする為には途方も無い力が必要だった。自分の様な人間では到底手に入れる事の出来ない力が必要だったのだ。

だが、これは違う。僕にだってこの光景が正しくない事は理解出来る。誰かの命を踏み台にしてまで自分の願いを叶えようとするのは、あまりにも自分勝手が過ぎる。自分の通る道に関係の無い人間を巻き込むのは間違いだ。これは、決して到達してはいけない未来だ。

 

 

貴方は優しい人だから……でも、優しさが正しさに変わるとは限らない。貴方はまだ、それを知らない人なの。

 

 

いずれ、これを手に取らなければならない時が来るだろう。私達はその時が来たるまで、お前を待っていよう。

 

 

自分が知らない事を、その未来がいずれ訪れる事を知っている様な口振りで話す2人の声は、その言葉を残して以降、聞こえることは無くなった。

最後の意味深な言葉が耳に残り、後味の悪さが胸の奥で渦巻く。腑に落ちない気持ち悪さだ。こんな世界で後味の良し悪しを問うのは違うのかもしれない。だって、この世界の先に待っているものに希望なんてものは無いだろうから。

しかし、今確実に分かっていることは、絶対に僕は目の前の光景を望んでいないという点だ。目の前に手に取れる力があったとしても、それが世界を終焉に導くものなら、僕はそれを手に取ることは無いだろう。

 

「……自分の気持ちだって最優先にしたいのは山々だ。でも、それでも正しい事の方が大事なのは僕にだって分かっているつもりなんだ」

 

瞬間、真っ黒な世界に鈍い光の柱が次々に差し込んで全体が大きく揺らぎ始めた。それを見て僕の気持ちは心底楽になった。

これで終わりだと、やっと解放されると思いながらホッと胸を撫で下ろす気持ちで世界を見渡す中、影に塗りつぶされたシルエットの頭部、その両目に赤い炎が鈍く灯った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校入学にして2日目の朝。カーテンの隙間から差し込む太陽の光に導かれて、またしても僕は悪夢から飛び起きる形で憂鬱な朝を迎えてしまったのだ。

 

 

 

 

 

「結……君!ねぇ結君……!」

 

なんだか聞いた事のある、甲高い女性の声……自分を呼んでいるその声が遠くから段々とこちらに近づいているのが薄らと分かるようだ。

 

「しっかりしてよ、結君!!」

 

距離はとても近くて、自分の左耳付近で名前を呼ばれるやいなや別の方向へと進んでいた意識が急速に今ある現実へと戻された。

ハッとして状況をゆっくりと頭の中で整理する。今自分の座る席、その右正面に僕を呼びかけていた昔からの馴染みがブラウンの髪を揺らしながら両腕を組んで立っていた。

 

「あ?あぁ……なんだ、ただの美緒か」

 

「なんだじゃないよ、結君!さっきからボーっとしたままで全然返事もしてくれないじゃん!今日の授業は集中出来たの?もうお昼休憩の時間なんだよ?」

 

彼女にしては珍しく、細目で此方を睨みつけている。それから、自身の左腕に着けた腕時計を自分の方に見せつけながら、やかましい声を僕に浴びせる。彼女の時計の針は12時と少し過ぎを指していた。

授業が終わってようやく開放された休憩の時間。今朝に見た夢の内容をまじまじと思い返している所に彼女から声をかけられたのだ。しかし、美緒にこんな風に言われてしまったのは初めての事だったかもしれない。

 

「そういえば、もうそんな時間だったな……でも、その点に関しては抜かりは無いよ。授業の事と自分の事とは、きっちりとメリハリをつけているつもりだからな。これは僕の理念に関わる事だからね」

 

先程の授業で書いたノートを開いて美緒に見せつける。先生の話に聞きそびれることも無く、重要な項目も一切の書き漏れも無いノートに仕上がっている。

やるべきだと思った事は必ず最後までやり遂げなければならない。学校の授業において不必要なバトルスピリッツの科目以外の授業を僕は蔑ろにした事は1度だってないし、今後その心配も無いと豪語しても良い。

正しい生活を送る為にメリハリを付けることは基本中の基本であり、これは自分の為。そして僕を拾ってくれた白宮家の為に真っ当な人間で在りたいと思うからだ。

 

「とは言え、僕の日常の行動とか考え方だとか、そういうのは美緒が1番よく知っている筈だと思っていたんだがね。そこは少しだけ意外だったかな?」

 

「一緒に居ても、わかんない事だってあります〜!もう、せっかく声掛けたっていうのに心配して損したって感じじゃん……」

 

と、脱力して頭から項垂れる美緒。自分の為に労力を使ってくれた様子だが、当の本人は精神的にも体調的にも問題は無い。残念ながら、本当に無駄な心配をかけたという事になってしまったな。

それでも、自分自身の細かな身内の事情に関しては気になる事や考えなければいけない事は山の様に重く積み重なっているというのは事実だ。いずれは知らなくちゃいけない、何時かは決断をする時が来るだろう。その時が来るまで僕は心身ともに確実に成長していなければ、それを成す事は出来ない。

そして、その事を美緒や誰かが一緒になって背負う事は出来ない。それを背負うことの出来る人間は自分以外には居ないのだから。

 

「え、えっと……霧衣賀さん。本当に大丈夫なんですか?具合がよろしくないなら先生も呼びますけど……」

 

自信無さげな、若干困惑した様に問い掛けられた小さな声。ふと、美緒の左隣でふわりと見覚えのある白髪が目に映る。

いつの間にかだった。自分を見る蒼い色の瞳が心配する様な目つきで輝いていた事に気が付くのが遅れてしまっていたようだ。

 

「え…………?あぁ、大丈夫だ。ただ単にくだらない考え事をしていただけだから、そこまで心配する必要は無いよ。それに僕は今まで体調管理を怠った事など、1度だって無いんだ。だから信用してくれて構わないよ、天宮さん」

 

不意に訪れた予想だにもしていなかった人物から掛けられた心配の一声に戸惑いながらも自分は大丈夫であることを胸を張って伝え、見せつけてやる。

しかし、まさか自分自信に関する事で考え事をしていたのに。ましてや今朝に見た夢を頭の中で振り返っていただけで、目の前の2人からこうも心配されるとは思わなかった。

 

「そう、だったんですね。白宮さんがずっと貴方の事呼んでたのに、心ここに在らずって感じで遠目を見ていたから大丈夫かなって……」

 

「すまなかったね。でも、そんなんじゃないんだ」

 

気まずそうな口調で話すも、僕の返答で少し安心した表情を見せる天宮には乾いた笑い声をあげて返事をするしかなかった。

本当は他人には自分の事で気を使わせまいとして振舞っている筈なのに、いつの間にかそういう所が態度に現れているのが自分の悪い部分だ。自分の在り方が他人の目に映り、そうさせてしまっているんだ。

正直あまり良い気分にはなれない。きっと、お互いにとってもそうだろう。どうにかしてこれを改善しようとするならば…………やはり、誰も居ない1人で考えられる場所をもっと増やす他あるまいか。

 

「そこ!全然笑うところじゃいよ結君!」

 

ダンッと、僕と美緒との間で鈍い打撃音が木霊した。不意に響いた音に驚いたのか、肩を上げながら目を丸くする天宮。

それとは別に僕の使っている机を両手で叩いた張本人である美緒はというと、その上半身を此方へ乗り出して急接近してきていた。僕も彼女と同じで、その行為には驚きを隠せなかったが、それにしても近い……まさに目と鼻の先、僕の視界には彼女の整った顔が至近距離で映っている。そんなにしつこく迫る辺り、お前は僕の母親か何かか?

彼女が近づいてきた分、椅子を自分ごと後ろに下げながら怒りを顕にした表情を数秒見つめてみる。

 

「やれやれ……美緒は僕の母親代わりか、何かかい?僕は大丈夫だと言ってるんだけど?」

 

「ホントに分かってるの?美雪ちゃんも結君の事、心配していたんだからね!?」

 

さらに圧のかかった低い声で美緒が鋭い視線を僕に飛ばす。そこまで言う必要は無いと少し反感を抱いてしまうが、心配させてしまった事は事実として残っている。

そんな真面目な感じで言われてしまっては僕に反論の余地は無いも同然。いや、元から僕にそうやってこの場を凌げるやり方なんてものは無かったのだろう。小さく息をゆっくりと吐きながら心を折る。

さっきの一言は多分、余計な言葉だったのかもしれない。これが所謂、口は災いの元であると言うのなら、以降は余計な事は言わない方が良いだろう。特に目の前にいる2人の様な性格の人間に責められているのであれば、それが要因で火を広げかねない。尚更そうするべきだろうと僕は心の中でそれを噛み締めた。

 

「…………悪かったよ。美緒はオレンジが好きだろう?売店のジュース1本で何とか手を打ってくれないか?」

 

「じゃあトロピカーナでお願いね!」

 

即答。そして眉間に皺を寄せた表情から一転、ニッコニコの笑顔で近づけた顔を離す美緒。先程とは打って変わって元気に跳ね回っているブラウンのアホ毛が彼女の機嫌の良さを物語っている。

何とかやり過ごした事の安心感でそっと胸を撫で下ろしたい気分だが、本当にそんなもので良いのかと喜ぶ美緒に対して非常に分かりやすく、極めてちょろい女なのではないかと少し心配に思ってしまう。彼女のそういう単純な所に関しては両親譲りであるという手前、改善の余地は皆無なのかもしれない。優しさもありつつ堂々としていて、何処までも真っ直ぐな所は本当にあの2人にそっくりだ。

最後の最後に1つだけ補足してフォローを入れるとするならば、果汁100%のジュースをチョイスするという点に関しては英断と評価しても良いだろう。

 

「了解したよ。勿論、天宮さんの分も含むけど君も同じので良いか?」

 

「いいんですか?」

 

僕と美緒の他愛の無いやり取りを少し距離を置くかのように愛想笑いしながら見ていた天宮。そんな彼女にもジュースをと提案してみたが、彼女は呆気にとられた様子で口を開けた後、半ば遠慮気味に聞き返してきた。

 

「遠慮は要らないよ。君にも気を使わせたんだし、それくらいの事なら訳ないさ」

 

ジュースを他人に1本奢るくらい何も気にする事はないし、そこまで自分はケチ臭い人間では無いつもりでいる。逆にこれから話とかもしていく仲になるのなら、こういう事をしても良いだろうと思っている。現に美緒や総介にも同じ事をしている訳なので、笑って首を縦に振る。

いずれ世渡りをしようとするのなら、こうして上手く立ち回って、やっていかなくちゃいけない事くらい自分にだって分かっているつもりだ。

 

「ありがとうございます……!貴方がそう言ってくれるなら、遠慮無く頂く事にしますね」

 

胸に両手を当てながら、柔らかく微笑みを見せるが、その表情にはまだ少し何処か堅苦しさが残っている様にも見える。ほぼ初対面というのもあるかもしれないが、天宮はこういった事については余り慣れていないのだろうか?

いや、今はそれよりも気になっている事が1点あった。

 

「……そう言えばなんだが、天宮さんは僕に何か用件があるのかい?」

 

彼女が僕の事を心配していた時から気になっていた事だった。今日、彼女が自分に話し掛けるにあたっての目的が知りたかったのだ。

ぶっちゃけた話、まだ出会ったばかりで最初の自分に対しても良い印象を持っていなかった彼女が、ただ単純に僕の容態を気にして声をかけるとは考えにくい。その前に何かしら僕への用事が彼女にはあったと考えた方がいいだろう。

そこで、即座に話題を切り返し、天宮の方へ下から視線を送ってみる。

すると緊張が走ったのか、急に彼女の顔つきがまるであの時の様に強ばってしまった。おどおどとして、左右する視線は自分を捉えておらず一体何処に向かうのやらといった状況である。

 

「あ、あの……その。せっかくのお昼休憩ですから、一緒にご飯でもって思ったんです。もし、霧衣賀さんが良かったら私と行きませんか?」

 

随分とぎこち無い様子らしいが、肝心の内容はそれと反して大した事は無かった。

モジモジと恥ずかしそうに話す天宮を見れば固く力が入っていた両肩からスっと力が抜けていく。昨日のあの話に関する話の続きではないかと半ば身構えてはいたが、そうでは無かったみたいだ。それに彼女が提示した提案は、本日イレギュラーな事態に遭遇した(悪夢に魘されて遅刻しかけた)不運な自分にとって非常に魅力的なものに聞こえた。メリットしかないこの提案を断る理由は無いに等しいだろう。

 

「そういう事か。なら丁度良かった。実は今日のお昼はお弁当が無くてね、仕方無く食堂のご飯で済まそうと思っていた所だったんだ」

 

「じゃあ、本当にタイミングピッタリって事ですね……!」

 

ホッと一息付きながら微笑む天宮。タイミングが合ったと言えばそうなのだが、基本的に学校での昼食はいつも1人で摂っている身なので悲しい事にほぼ毎日で僕の隣は空いている。偶に美緒か総介がその枠を埋めに来るが2人も他の友達が大勢いるらしいから、本当にその時は珍しく思った。

まぁ、料理を食べるにあたって周りにいる人の数でその味は変わらないし、煩いよりも落ち着いた環境に居たいのが自分にとって1番好都合なだけで、それの現状に満足しているに過ぎない。別に自分の隣に他人が来るのも苦では無い。ただ隣人が無駄に煩くしなければ良い話だ。何なら、天宮の様な人格の人間が1番丁度良いと思えるな。

 

「偶然とは正しく、こういう事を言うんだろうね。そういう訳なんだが、美緒はこれからどうするつもりなんだ?久しぶりに一緒に行くかい?」

 

久しぶりに僕の方から美緒に誘いを入れてみる。殆どの場合は彼女達からの誘いがあって一緒に食べていたが、たまには僕の方からもこうして誘うべきなのだろう。

 

「結君から誘ってくれるなんて珍しいね。嬉しいけど、今日はちょっと友達と約束があってね……また今度でもいい?」

 

どうやら先客がいるみたいで、美緒は申し訳無さそうに後頭部を摩った。誘いは残念ながら断られてしまったが、やはり彼女はどの場所に居ても友人を作るのが早い。

幼馴染として長年美緒の姿を見てきて思う。あの真っ直ぐな性格があってこそ、こうして彼女は人と人との輪を広げているのだと。色々と振り回されたりする事はあるけど、彼女のそういう所だけは改めて感心させられるものがあった。

 

「先客が居るなら、それが最優先事項だ。行ってきなよ美緒」

 

「うん。じゃあ、また後でね!トロピカーナよろしくぅ!」

 

そう言って彼女は僕の方に大きく手を振りながら上機嫌に教室から飛び出して行ってしまった。過ぎ去りし嵐の如く、一定数の注目を集めて立ち去ってしまった忙しない彼女の姿に僕らは唖然とするばかりだった。

 

「…………白宮さんって、快活な方なんですね」

 

と、天宮が小さく笑う。それにつられて僕の方も思わず笑みが零れてしまうが、この場合は美緒に対する呆れもそこに含まれている。やはり、アイツのそういう所はいくつになっても変わる事はなかった。逆にそれが彼女らしさを感じさせると同時に危なっかしさを孕んでいるように見えるのだ。そして、彼女にその自覚は無い。

 

「見ての通りさ。活気に溢れ過ぎて、こっちはそれに振り回されてばかりだ。15になって、もう高校生なんだから少しくらいは落ち着いてくれても良いだろうに」

 

「まるで保護者目線な言い方をしますね。でも、嫌じゃないでしょう?」

 

「どうして?」

 

うんうんと分かっている様に頷きながら腕を組む天宮に僕は目を丸くして問う。

 

「顔にそう書いてましたから。白宮さんと話す貴方の姿がとても楽しそうだなって思ったんです」

 

「…………否定は、出来ないな」

 

あぁ……楽しかった。心から楽しいと思えた。楽しいから、夢中になれるか他の出来事とかを忘れる事が出来るんだ。美緒が僕の隣で、ああやって自然に明るく振舞ってくれて元気な姿を見せてくれる。自分もそんな彼女の子供っぽさに付き合う事で、晴れ晴れとした雰囲気の中に包まれた様な気分で居られる。

重く沈んだ気持ちも、あの日の苦しみも。その全てを一時でもいいから無に葬り去る事が出来るんだ。

 

「不器用なんですね」

 

「嬉しい事ではあるんだけど、実際色んな意味で本人の前では言い難い事なんだよ」

 

心の支えにもなってくれている美緒にはとても感謝はしている。でも、さっきの胸の内を彼女に伝える事は絶対に無いだろう。勿論、それには色んな複雑な意味も絡んでいるが……

 

「……さぁ、そろそろ僕達も食堂に行こう。時間は有限だ」

 

「ですね」

 

黒板の右上に設置された時計の針は12時10分を刺していた。お昼の休憩時間は50分と設定されているので、これ以上のここでの会話は昼休憩の時間を無駄に浪費してしまう事になってしまう。少し急ぎ足で僕達は食堂の方へと足を進めた。

 

 

 

 

 

食堂に訪れるのは、今回で2回目だ。相変わらず……という言い方は少々違うかもしれないが、そこは学級に問わず多数の生徒達の声で賑わいで溢れている。これがこの食堂の日常風景なのだろうと、改めてこの熱気を実感した。

生徒との交流の場としてはこれ以上の場所は無いが正直苦手意識の方が勝ってしまう。その気持ちがポジティブな方向に変化するようになるのなら、過ぎ行く時間がそうさせてくれるのだろうか?

少しの混雑から何とかして席を手に入れる事が出来た僕と天宮はお互い向かい合う形で昼食を摂ることになった。

 

「なるほど……確かに、これは中々に美味しい。よく出来ていると感じざるを得ないくらいだよ。うどんなんて随分と久しぶりに食べる訳なんだが、天宮さんがこれをオススメするのも肯けるね」

 

熱々の汁に浸された白くて太い麺を啜る。和風出汁の効いた優しく味わい深い汁に、ツルッとした喉越し。又、もっちりとした噛みごたえのある食感は思わず癖になりそうな程、良質で僕の胃袋を掴もうとする。

そして極めつけはやはり、キツネの代名詞と言える大きな油揚げだ。1口、たった1口。それを口の中で噛みしめるだけで口内全体に広がるように美味な汁が一気に溢れる出す。

学食で、しかもうどんだなんて今まで食べた事が無かった故に彼女からの紹介があっても尚、一抹の不安が心の中であった。しかし、これにはちゃんと魅力的で美味しいと思う事が出来た。流石に千恵美さんの作る料理には劣るが、腐っても生徒達の胃を満たそうとする食堂側の努力が垣間見えたと言った所だろうか。

 

「そう言われると、なんだかちょっと照れちゃいますね。ただ、私が好きな物を貴方にもよく思って貰えて、嬉しいだけなのに……」

 

僕の目の前には熱々の湯気が漂う丼が1つ。麺と揚げと汁、その3つを交互に堪能する僕を見て、天宮が赤面しながら小さく呟いた。

 

「それはごく自然な事だよ天宮さん。自分の好きな事を相手も好きになれば、当然嬉しく感じるものさ」

 

「共有出来るもの……それを知って、知っていく度にお互いの輪が広がっていく。こんなに簡単な事だったんだ」

 

「だが、事の全てがそう上手くは行かないという点を忘れてはいけない。そして、それを知る事も大切な事だと僕は思うよ」

 

「こんな小さな事でも、良かったんですね」

 

「例え小さくても、それは1つのきっかけになるんだ。相手を理解する為の方法としては立派な1歩になりうるのさ」

 

ただ、これが本当に合っているのかは僕にも分からない。昨日の朝、あの人から言われた相互理解について。分かり合う為にはどうすれば良いのか、それを自分なりに天宮に述べあげてみただけだ。

僕はまだ、あの人の様には至れないだろう。踏んできた場数も経験量の差は明確に現れている。僕の言葉にはその重みや説得力はまだ宿っていないんだよな。

それでも、こういった小さな材料は山という程あるというのは間違いでは無い筈だ。そして、その役割を果たすものとしての内容は申し分無いが、問題はそれを受け止める側の相手だ。だから自信を持って「はい」と言い切る事は出来ない。それが出来る絶対的な条件、必要なのはそれをどんな話題でも上手く受け入れる事の出来る器を持っているかだ。

僕は知っている……知ってしまった。誰もが皆、そんな風に美しい物を持っている訳じゃない事を。人はそれ程、綺麗な生き物では無い。その事をあの人も知っている筈なんだ。

 

「小さな事から少しずつ、ですか。その輪をもっと広げていきたいな」

 

「やり方は幾らでもある。その道を広げていくとも出来る。でも、1番大切なものは人の気持ちだよ」

 

「そうですよね。お互いの思いがあってこそ、分かり合っていけますもんね」

 

「ただ、問題はその人の感情次第で方向はどっちにでも転べてしまうという事だ。人間故に、自由過ぎる心を持っているが故に」

 

「難しい話、ですよ。それは……」

 

その通りだ。難しい……そう、難し過ぎる話しなのさ。まだまだ未熟過ぎる子供の僕達がどうこう言い合って解決出来る様な、そんな甘ったれた話とは次元の違うものだ。いや、最早世界中の誰が言ったところでどうしようも無いのだろう。

現実的に考えてしまえば、これはどうする事も出来ない根幹の部分。即ち、人間の本質に関わる事だからだ。

 

「…………あぁ、本当に難しい話だね」

 

手に持った綺麗に割かれた割箸を丼の縁に置いて、1つ長い溜息をつく。

 

「でも、今はこれで良いんだ。確かに僕には叶えようとした夢はあったが、世直しみたいに人類全体をそうしようだなんて壮大な目標を掲げている訳では無いし、そんな力も持ち合わせていないよ。

いや、確かにそうなってくれた方が有難いと言えば正直な所なんだけど、僕達人類にとっては余りにも遠すぎて到達なんて出来やしないよ」

 

肩を竦めて両手を上げて見せる。こんなものは所詮、机上の空論に過ぎない。

 

「例え遠い夢だったとしても、それはとっても美しい事だと思います。世界の皆が手と手を取り合って支え合える、分かり合える世界……絶対に素敵ですよ!」

 

全く、本当に眩しいものだな。その姿は正に夢見る可憐な少女と言ったところか。その青い眼には透き通った雲もない青空を彷彿とさせてしまう程、美しく輝いて見える。理想を追い求める事は決して悪い事では無い。最善へ、ひたすらに最善へ。その向上心は若さ故に漲ってくるものだ。しかし、彼女の場合は相当なロマンチストのそれだろう。

夢で見た、願いを叶えることの出来る力。それがもし……もしも実現するというのなら、それは僕なんかじゃなくて彼女の様な真っ直ぐな心を持つ人間が手に入れるべきものなんじゃないかと思う。

僕の様な弄れてしまった人間がそれを手にしてしまったら、きっと……いや、それ以上は辞めておこう。

 

「そう……本当に、そうね」

 

暖かくて、柔らかい優しい笑顔でうどんを食べる天宮に僕は複雑な気持ちで言葉を返すしか無かった。気持ちを偽るしかなかった。知ってしまった以上、僕にはもうそういう風に考える事が出来なくなってしまったから。

この言葉がもしも、僕の本心だというのなら、僕も彼女と同様におめでたい奴ということなのだろう。

弄れて、僕のような考え方をする人間にはなって欲しくは無いと天宮に対して、そう思ってしまうが、誰もが大人に近づくにつれて、何時かこうなってしまう事に虚しさとやるせなさを感じてしまう。目の前の無垢な彼女も、元気な姿を見せるお調子者の美緒も、情に厚く誰にでも笑顔で受け入れてくれる総介も皆いつかは、そうなってしまうのだろう。

人間は賢しくなればなってしまうほど、純粋だった頃とは程遠く汚れていき、徐々にその心さえも自分達の為だけに小さく、そして醜くなっていく。なんて馬鹿馬鹿しいのだろうか。そう考えてしまったら、やはり人間とはつくづく度し難い生き物となってしまうではないか。

知ってしまってからでは遅いのだろう。自分が既に汚い人間の仲間に入っている事なんて。世界の誰もが純然で潔白であるという訳にはいかない事を知ったのに、それなのに、その人間が社会の潤滑油である事だって否定は出来ないんだ。これが人間の世界なんだから。

余りにも気付くのが遅かった。ただ天宮の様な奴らが居る世界なら、僕にだって悪くは無いと思えた筈だったんだけどな……

 

「そう言えば、なんですけど」

 

一拍を置いて、唐突に話題を切り替えようとする天宮。積極的に会話をしようとする姿は実に好印象だ。そして実際の所、またこんな重苦しい話題を続けるのもいい加減耐え難くなってきたので非常に助かるものがあった。

 

「ん?」

 

「あ、あの。さっきから気になってたんですよね。白宮さんって、霧衣賀さんの彼女さんだったりするんですか?」

 

瞬間、頭の中に走る衝撃。頭の中で巡らせていた思考とは全くもって何一つ重みの欠片も無い質問の内容。僕の考えていた事と彼女が頭の中で思っていた事。その温度差で思わず吹き出しそうになったが、何とか留めつつ僕は天宮を見返した。

気になった事を素直に相手に質問をすることは実に正しいやり方だろう。だがもしも、彼女が発したその爆弾が彼の小耳に挟まってしまったのであれば、今頃僕は親友に絞め殺されているに違いない。そんな負の連鎖的考えが咄嗟に脳裏を過り、背筋が凍りそうになったのは誰にも言うまい。

 

「昨日はお弁当持ってきてましたし、もしかしてそういう関係なんじゃないかと思いまして」

 

「まぁ、仲が良いというのは否定しないよ。ただ凸凹はあるんじゃないかと思っていたけど、そういう捉え方もあるのか……」

 

「で、実際の所はどうなんですか?」

 

グイッと期待の籠った様な眼差しが向けられた事にややデジャブを感じた。そう、確か総介の時にもそれを思ったのだが、今どきの高校生はやはり、そういった色恋沙汰に興味があるらしい。ただ美緒からも偶に[コイバナ]や[ジョシカイ]等の単語を聞くことがあったから実際そういう事なのだろう。ならば、男子よりも女子の方が話題で盛り上がる事が多いという事になるのだろうか。

少し気になる所ではあるが、質問として聞くには中々口に出せそうも無い程度のくだらない話題性なので、自分の中で思い留める事にしておいた。

 

「期待している所悪いけど、残念と言っておこうかな。僕と美緒とはそういう関係じゃなくて、単に幼馴染ってだけなのさ」

 

右手の人差し指でお冷の入ったガラスコップの側面を徐になぞる。付着した水滴、指で感じた急激な冷たさ。水面に揺れる四角い氷に目を細めながら僕はそう答えた。

実際の所、それだけでは収まり切らない事情と関係があるのだが、その事を今ここで態々話す必要は無い。そもそも彼女には一切関係の無い話であり、何より今の空気をまた壊しかねないので決してこの事を話題に出す訳にはいかないというのも理由としては大きい。

だが、これは情けない事だ。どうしてこうも自分という人間には、こんな話題でしか会話の引き出しが無いのだろうか。

 

「そういう事でしたか。道理でお互いに和気藹々と話していた訳です。昔からのお付き合いとあれば気軽に話しやすいというのは、とても分かりますよ。

という事は、ご両親同士も昔からご交流があったとか?」

 

「…………そう、だね。僕の父は、美緒の父親とは親友関係だと教えて貰ってたし、その時は結構驚いたものさ。それに僕自身も彼女のご両親からは色々とお世話になった事もあるよ」

 

彼女のある意味での鋭い発言に、口に運ぼうとしたお冷を持つ右手が途中で止まる。彼女の質問に関しては概ね合ってはいるが、動揺から少し言葉を詰まらせてしまった。

自分の出生や家族ぐるみが、かなりややこしい事になっているが故に、自分からも相手に対してそういう事情をさらけ出しにくいからだ。物心つく前の出来事なので仕方は無いと割り切っているつもりではあるが、突然自分の身の回りの話を振られてしまうと反射的に神経が尖ってしまう。

世間では、ごく一般的で当たり前の話だというのは理解しているが、それが地雷だったというパターンはこの島では珍しいことだろう。正直返答には困るが、不快に感じてはいない。これも何も知らないお互いにとって仕方の無い事だから。

 

「事例としてあげるなら、昨日のお弁当の事とか、だね。あの人の作る味は至高と言っても過言では無いよ。あれを毎日食べられる美緒が羨ましいくらいさ」

 

「なら、その人が作るうどんとかも、美味しかったりして!」

 

と、天宮が人差し指を立てる。こちらはこの雰囲気を壊さないようにと内心気を使いながら言葉を選択している状況なのに対し、彼女の思考の方は結構呑気しているみたいだ。話題も有り触れた軽いものなので、当たり前といえばそうなるが。

 

「本当にうどんが好きなんだな。今日もそうみたいだし」

 

昨日の様子からも見て確信できたが、彼女はやはり相当なうどん好き……これを総介の言葉で言い表すならば、ガチ勢とやらに該当すると思われる。

今日の彼女のお盆には昨日とはまた違ったうどんの入った丼が置かれていた。真夜中の空に輝くのは、地上を照らそうとする満月の光。その夜景を模したかのような、丸い卵の黄身と白身が丼の汁に浸されて浮かんでいた。

 

「気になりますか?今日は月見うどんです。これも美味しいのでオススメしておきますね!」

 

「なら、今後の学校生活を充実させる為に参考にでもさせて貰おうかな。このうどんも君の言っていた通り確かに美味しいし、君のような有識者の意見は貴重だから頼りになるよ」

 

「うどんの事なら任せてください!おすすめのうどん屋さんも知っているので気になったら私が何時でもお教えしますよ!でも、蕎麦の事は管轄外なので他を当たってくださいね」

 

そう言う彼女は、あくまでもうどん専門のソムリエを名乗りたいらしい。態々和風麺料理の代表的な蕎麦を引き合いに出してくる当たり、彼女はそういう道に拘りのある人間なのだろう。

 

「ハハハ!分かった、了解したよ」

 

ジャンルは全くの別かもしれないが、趣味の範囲では総介と在り方が少し似ているようにも見えて、つい笑いが零れてしまった。

話さなければ、彼女がこんな趣味を持っていたなんて事も知らなかったな。

 

「いやしかし、こうやって人と話しながら食べる昼休憩も悪くないものだね。しみじみと、そう思うよ」

 

「……いつも、1人で、食べているんですか?」

 

「こういう立場の人間だから基本は1人でね。そうしてる内に、いつの間にか1人で食べる事にも慣れていたんだ。親しみの深い家族以外の人と一緒に食事をするのが、こんなにも久しぶりで新鮮だったから、つい声に出てしまったんだ」

 

恐る恐る聞く天宮に対して僕は自虐する様に笑って答えた。孤独は今の僕にとっての代償だった。自分の夢の為に他人からの人望を捨てた人間の成れの果てがこれなのだ。そして、その為に選んだ夢さえも虚しい事に叶えるには自身の力不足で程遠いものだって事を思い知らされた。

結局、僕は何も手に入れる事は出来なかった。それでも僕には自分を受け入れてくれる白宮家の人間も、美緒も総介も傍に居てくれていることは分かっている。それだけでも充分だと、満足であると思えるが、それでも島全体から押し付けられる疎外感は決して否められるものではなかった。

 

「まぁ、総介や美緒も居るしそこまで気にする必要は無いさ。夢の為に選んだ道だったんだ。その結果がどんな形になったとしても、今が辛くなったとしても、僕に後悔は許されないくらいはちゃんと分かっているつもりだよ」

 

自分が選んだ道。揺るがす事も諦める事も許されない道。あの時にそう強く志して、そして今は何も得られないままで、今更引き返す事も出来ない所まで中途半端な状態で辿り着いてしまった。

 

「でも絶対に無茶はしないでくださいね。私が言うのもアレかもしれないですけど、追い込み過ぎるのも身体に毒だと思います。

……そうだ。霧衣賀さんが良ければなんですけど、これからもこうやって一緒にお昼ご飯食べませんか?一緒にご飯を食べて、お話をするとやっぱり楽しいものじゃないですか。

貴方にもそう思ってもらえたし、これからもそういう気持ちで居て欲しいなって思えたんです」

 

それはきっと、無知と若さが出せる言葉と気持ちなのだろう。でなければ、そんな言葉はどんな人間からもそう易々と出てくるものでは無い。

自分が既に手遅れな人間であると分かっている上で、彼女の必死な表情と優しさの籠った気遣いと誘いの言葉を真正面から受け取れ無くなってしまった自分の感性に反吐が出てしまいそうだった。

もう僕は彼女のそういった言葉で驚きはしない。彼女は今は、そういう人間であるという事を僕は理解しているからだ。勿論、誘われた事への嬉しさもあったが、逆にいきなり過ぎて戸惑いの気持ちの両方を僕は抱いた状態で目を見開く事になった。

悪い気はしないのは確かだ。彼女自らが自分の孤独な時間を埋めてくれると豪語するのなら、その誘いを無下にするのは逆に彼女に対して無礼を働く事になるだろう。きっと、あの時の総介と同じ様に彼女の手を取ってもいいのかもしれない。

出来る限りの純粋な気持ちで自分の口から一言、ありがとうと。感謝の言葉を彼女に伝えて、その誘いを了承しようとしたその時だった。

 

 

 

「その必要は無いぜ。だって此奴には孤独が1番似合っているんだからよ」

 

 

 

突然、僕達の会話を遮るかのように男性の甲高い声が僕と天宮の間を通過する。僕も天宮もその声がした方に顔を向ければ、それは僕にとって見覚えのある顔の男子生徒……僕の事をしつこく酷く貶していた男の顔だった。

 

「君は……」

 

「驚いたぜ?まさか、非国民のお前がここに入学出来ていたなんてな。まぁ同じクラスなんで把握はしていたがな」

 

こちらが驚く間もなく突き付けられる細い視線。三日月のように口元を歪ませた、まるで悪魔の様な表情は僕を見下す為に、僕への嫌がらせの為だけに作られた軽蔑の証だった。

彼の名前は日向 龍也(ヒュウガ タツヤ)。同じ中学を卒業し、やっとその姿を二度と見る事もないだろうと安心しきっていた矢先の再開。僕にとってこれは不運であるとしか言い様がない。

 

「今僕はこの人と大切な話をしているんだ。話なら、この後にしてくれないか?」

 

この男に何を話したとしても無駄だって事くらいは、昔からとっくに理解はしている。無視をするのが1番の得策である事も分かっているつもりだ。しかし、だからと言って目の前にいる天宮や周りの生徒を巻き込む訳にはいかないというのが現状だ。穏便に、そして出来る限りの条件を付けて彼に提案を行う。

 

「は?島の掟に従わない非国民が俺に口答えしてんじゃねぇよ」

 

その瞬間、問答無用で日向の左腕が胸倉を掴んで力一杯に彼の方へと引き寄せられる。此方も倒れないように彼と視線を同じようにして席を立つが、それら一連の流れで僕達は周りからの注目を一気に浴びる事になってしまった。賑わいで溢れていた空気が一瞬で凍り付く。視線を少し左にずらせば、恐怖で両腕を抱えている天宮の姿が写った。

ここが例え他人のいる公共の場であったとしても、僕を攻撃しようとする彼にとっては無関係らしい。ハッキリ言って、彼の僕に対する悪意はここ数ヶ月で異常なまでにエスカレートしている。にも関わらず、誰もこれを気に止めることも無く、この状況を見て彼を止める声すら上げずにただ無視をし続けている。周りは皆、僕が一方的に殴られるのを見ているだけの傍観者だった。

それは最早、いつもの光景と化していた。時折抑止力として総介や美緒に助けてもらった事も何度かあったと思うが、それでもこの現状を変えることは出来なかった。

あの2人よりも、もっと大きな力を持った誰かが止めれば、気付いて声を上げれば、その悪意は大きくなる前に収まっていたのかもしれない。でも、結局それは他人の力に縋ろうとした自分の願いであり、自分が無力である事の証明だった。

この島の決め付けられたルールでは、僕の考え方よりも彼の在り方の方が正しいのだ。だから正しい事をしている彼を誰も止める筋合いは無いし、周りの人間達の目には正しくない事をしている僕が正しい者によって裁かれている様がその目に写っているのだ。彼は、そしてその周りは僕の様な島の掟に背く人間を危険分子として排除しようとしている。掟破りの人間として、即ち彼の言う非国民というレッテルを僕に貼り付け、そういう扱いを僕に対してだけ一方的に叩きつけている。

しかし、ここまで行き着いてしまったら、それは最早ただの差別と暴力の領域でしかない。誰も、彼もその事に気が付かずに僕を都合の良いサンドバッグとして見ているだけなのだ。

 

「辞めろ日向。ここは校内の食堂だ。騒ぎを起こす所では無い事くらい分かっているだろう?」

 

「その騒ぎを起こす原因を作っているのは紛れも無い、ここに居るお前の存在そのものなんだって事をいい加減に分かれよ」

 

「何故そうなる?前の時もそうだった。そうやって、いつまでも他人を見下し続けるのか?」

 

「お前は人じゃない。人未満のゴミだ。ゴミをゴミと呼んで何が悪い?」

 

噛み合わない会話。僕の姿を写すのは、日向の汚れきった真っ黒な両目だった。

僕にとって、この結果は火を見るより明らかなものだった。幾ら説得を試みても、彼と僕とで話し合ったとしても、お互いにその気持ちが無ければ、それは決して交わる事の無い平行線である。全ては無駄に終わってしまう。諦めるしかない。

 

「…………人は確かに、日々変わりながらも生き続ける事の出来る生き物だ。でも、変われない人間もこの世界には沢山居る。僕も君も、所詮はそいつらの仲間なんだな」

 

「気色悪い悟りを開いて、俺とてめぇを一緒にすんじゃねえ!俺はな、てめぇのような屑がこの島に居るだけでも気に食わないんだよ!」

 

日向の怒号、それと同時に僕の腹に強烈な痛みが鋭く、深く刻み込まれた。突き出されたのは右手を力強く握っていた彼の拳だった。

突然の痛みに声を出せる間も無く、僕はその場で膝をついた。左手で殴られた腹を抑える。鈍くゆっくりと続く痛みの中、それに耐える中、僕は申し訳程度に安堵していた。良かったと思ってしまっていた。殴られた箇所が顔では無く、それ以外の場所だったのが不幸中の幸いだと思ったのだ。だが、これは腹からの逆流か。胃酸が喉へと込み上げてくるのを感じて、咄嗟に口を右手で覆う。

 

「んだよ。昔ならここで吐いてたのに、つまらなくなったな霧衣賀!」

 

「…………こんな所で吐く訳には、いかない」

 

「妙に大人ぶる、その態度も解せないな。屑が俺に反抗するなよ。お前のような屑はな、屑らしくこうやって地べたを這いつくばっているのがお似合いなんだよ!」

 

顔を上げようと動かそうとした自分の視線がさらに下へと落ちる。視界には薄橙色のタイルの模様が覆い尽くす様に広がっている。そして、同時に頭頂部に鈍い痛みを感じた。ジャリジャリとした泥と砂が付着した無機質なゴムの感触。頭に押し付けられたのは彼の履いた靴で間違いない。僕は今、日向に踏まれているのだ。

 

「な、何なんですか貴方は!そんな事……いきなり酷いじゃないですか!」

 

ガタッと何かが激しく擦れる音がすると同時に天宮が声を荒らげ始めた。どういう状況かは分からないが、少なくとも彼女が日向の行為を止めようとしているのは分かる。

 

「この島でバトルスピリッツは必須。なら、それをやるのが当たり前の事だってのは、お嬢ちゃんにも分かるだろ?」

 

「この島のルールですから、日向さんの言う事も分かりますよ……でも、流石にそれはやりすぎだって貴方には分からないんですか!?」

 

「こういう事をされても仕方の無い事をコイツは今までずっとやって来ているんだよ。俺だって見てたんだぜ?あんただって、こいつのやり方に怒っていただろう?」

 

「それは……」

 

「有名になりつつある話だ。試験でバトルスピリッツを棄権した組が1つあったって事も、此奴の存在もよ。それでアンタは此奴のやった事に怒った。故に否定は出来ないし、許されねぇ。戦う意思も見せず、バトルフォームを着る勇気も無い臆病者で裏切り者の霧衣賀 結薙に課せられた罪の重さは、こんなもんじゃあ済まないんだよ」

 

「だから、だから霧衣賀さんはあんなに!」

 

「正直、アンタもこれ以上関わるのは辞めておいた方が良いぜ。此奴に何を吹き込まれるか、分かったもんじゃねぇからな」

 

「貴方って人は……!!」

 

無駄だ。天宮にとって日向の言葉は正論にも聞こえているはずだ。そして、彼女が真っ向から強く彼の行為を止められる言葉を言えないのは、彼女も彼と同じ、島のルールを守る人間の側だからだ。僕と同じ考えを持っている人間じゃないからだ。

中途半端な行為は両側に不信な感情を抱かせかねない。島の皆にとって敵に見られている自分を庇う事、その行為が何を意味しているのかは彼女にだって理解しているだろう。

今まで普通に生活を送っていた筈が、僕の巻き添えで差別のターゲットになってしまうかもしれない。それだけは何としてでも回避しなくてはならない。彼女が僕の為だけに彼らの目の敵にされる必要は皆無なのだから。

 

「……もう、天宮さんも辞めるんだ。こんな事に君まで付き合う必要はないよ」

 

「霧衣賀さんどうして!?こんなの!こんな事は間違ってるって、貴方も言ってたじゃないですか!」

 

「状況が状況だから、仕方が無いんだよ。何を言っても、それが僕だから意味が無いんだ。こうなってしまうのは最初から想像出来ていたさ。その事で君にまで迷惑が及んでしまうのなら、こっちから願い下げだ。こんな扱いを受けるのは僕一人だけで良い……」

 

これで良い。これがお互いにとって最善なんだ。過去に彼等に手を出そうとした美緒にも総介にも自分から強く言った事だ。それで、あの2人は周りからの差別を受けること無く過ごしている。これは僕の自業自得なのだ。それを受けるのは僕一人だけで良いんだ。

 

「屑の癖に随分と懸命な事だな」

 

僕を嘲笑う様に話す彼の声が耳に入ると共に、頭にのしかかっていた重みが徐々に離れていく。

僕の頭を踏んでいた足を後ろに下げたらしく、その両足は食堂の床についていた。軽くなった頭を動かして見上げれば、そこには、まるで人間では無い何か下等な存在を見下す様な容赦の無い目あった。そして、その目は机を境にしてたっている天宮の方へと向けられる。

 

「しかし、どうも理解が出来ないもんだね。あの総介も美緒もそして、アンタもどうしてこんな奴に甘いんだか……まぁ、入学2日目って事なんで今日はこのくらいにしといてやるよ。本来ならもっとやらせてもらう予定だったがな。

フン、頭も土と泥で汚ぇから、これは俺からのほんの少しの情だ」

 

そう言って日向が右手に持ち出したのは、先程まで僕が飲もうとしていたコップ一杯のお冷。

 

「おらよ!」

 

それは真上から僕目掛けて一気にかけられた。床は僕を中心に水で濡れ、氷は床に砕けて散乱する。いつの間にか解けていたヘアゴム。頭から水を被ってしまったので、伸びきった後ろ髪もせっかくの新しい制服もネクタイも全てずぶ濡れになってしまった。

 

「まだまだ楽しみは残ってるし、これからじっくりと思い知らせてやるよ。てめぇのやっている事も、掲げているくだらねぇ理想も、全部が無意味な努力で何の意味の無い結果に終わるって事をよ!」

 

最後に高らかな笑いながら僕に捨て台詞をぶつけて、この場から去っていく日向。僕はその後ろ姿をただ、見ているしかなかった。慣れてはいた事だ。慣れてはいけなかった事だった。

彼にこんな事までされて、内心冷静で居られる訳が無かった。心の中で煮えるのは、彼に対する確かな怒りと激しい憎しみだった。今すぐにでも、彼の背後から手を出して傷つけてしまっても良いとさえ思ってしまう位に、昔から彼が憎いと思っていた。でも、それよりも今をどうする事も出来ない事実と無力な自分の姿に虚無を感じてしまう方が先だった。

1つため息を吐いて、その場に座り込む。ベッタリと肌に吸い付く様にズボンが濡れ、下半身をも冷やしていく。濡れた前髪の先からは1滴、また1滴と水の粒が落ちて地面に静かな水の波紋を広げた。ポッカリと身体に穴が空いたような感覚のせいで、立ち上がろうとするも全身には思うように力が入らず、頭の中は真っ白なままで今は何も考える事が出来なかった。

 

 

 

……あ、思い出した。私聞いた事あるよ。オールド・センチュリーの中で、たった1人だけバトスピを拒んでる同級生の男の子が居るって。それがあの子って事?

 

 

 

そうだ、そいつだよ!入学試験で必須科目のバトスピを踏み倒して入ったって言う。別クラスでも既に噂で広がってるらしいぜ?ヤベーよな、マジで。

 

 

 

は?嘘だろ?寄りにもよって、あんな奴が俺たちと同世代とか冗談じゃねぇって。島民の恥だろ、恥。こんなのが一緒に居たら、俺達だって風評被害に成りかねないだろ。直ぐに消した方が良いって!

 

 

 

それに、あの女の子って確か、昨日もあの男と言い合ってた天宮さん、だよね?あんな情けない男に巻き込まれて可哀想……助けてあげないと。

 

 

 

あれが僕達の後輩だっていうのかい?D3もいよいよ堕ちたものだな。教員は何を根拠に合格を渡したんだ?あれじゃあ、あんな男の為だけに合格の枠を取られた他の人財の努力が報われないじゃないか。

 

 

 

島の恥晒しか……噂では聞いていたが、その姿は想像以上に醜いものだな。何故バトルスピリッツから目を背けたのか、どうしてあんな人間になったのか。1度、アレを産んで育てた碌でもない親の顔というものも見てみたいものだな。

 

 

 

周りから聞く必要の無い小言の一つ一つが僕の両耳に何度も響くように、吸い込まれるように鮮明に入ってくる。

……変われない、あの時から何も変わっちゃいない。僕が誰と居ても、何処に居ても。他人からの視線は、評価は、投げかれられる言葉は、何1つとして変わる事は決して無いんだな。

人はその先に進む事は出来ないのだろうか。初めから分かり合おうとはしない、目の前のこの男と同じ穴の狢がそこら辺にいるようでは、あの人が言った言葉も、彼女の願う世界も所詮は過ぎた偶像にしか過ぎないのだ。

 

「霧衣賀さん。あ、あの……」

 

「これが人なんだよ、天宮さん。人は話し合って分かり合う事も出来るだろうけど、同時に自ら分かり合おうともしない人間がいるのが現実だ。

全ての人が君の言った通りになれる訳じゃないって事だ。だから何をしたって結局はこうなってしまうから、僕はずっと1人ぼっちなのさ」

 

左胸のポケットに手を入れて、そこからポケットティッシュを取り出す。しかし、それは先程の彼の行為で濡れてグチャグチャになっており、到底使える物とは思えない。自分としたことがこんな状況に陥るとは全く想定していなかったので、残念ながらタオルの様な拭き物は1枚も所持していない。

頭と身体は拭けないが、辛うじて右ポケットのハンカチだけは濡れずに済んでいた。それを濡れた床に押し当てて何度も拭う。ハンカチは一瞬で水浸しになって使い物にならなくなってしまったが、僕が持っている物で1番使えるものだから仕方は無い。散らばった氷をハンカチで包んでからコップに入れ戻す。元から冷たかった自分の手が氷でさらに冷えていくのを無関心なまま感じていた。

その間も周りからの視線と小言は絶えなかったが、それも特段気にすることもない。今はやるべき事を、自分にとって必要な事をしていればそれで良い。他人からの視線も暴力も評価も、そんなものは最早どうだっていい。

 

「君はこんな所で一体何をしているんだ?そこでただ突っ立っていても、君が午後の授業に遅れるだけだぞ?」

 

席を立ったまま、俯いて歯を食いしばる天宮にいつものトーンで声を掛ける。

彼女は一体何をやっているのだろうか。そんな事をしていても何も意味は無いのに。なら今すぐにでも教室に戻るべきだと彼女に催促をする。入学してまだ2日目。こんな事に巻き込まれて、先生から遅刻の評価を貼り付けられるのも酷な話だろう。

 

「貴方は……それで良いんですか?」

 

「現実を受け止めるしかない。昨日のあの時に僕は確かに君にも言ったはずだ。そうしなければ、僕は1歩も前に進める事すら出来なくなってしまうと」

 

今にも途切れそうな声で僕に問う天宮だが、それに構っていられる暇は無い。手と目線は地面に、そのままで僕は彼女に目を合わせること無く手を動かしながら、淡々と質問の答えを返す。

 

「それじゃあ貴方がそんな風にボロボロになるだけじゃないですか!こんなの、耐えられませんよ!」

 

そうだ。今までだって、ずっとこうやって他人からの暴力を受けてボロボロになりながらもやってきたんだ。彼女の言う通り、きっと僕はそうしている内に何処かで耐えられなくなって、いつの間にかこんな風になってしまっていたのだろうか。

心の底から優しい人間なんて、この世界には指の数にも満たないだろう。叶わないのに、そこに無いから人は余計に強く望んでしまう。それはとても悲しい事だ。思いや願いだけしか持てないというのなら、それはただの幻想を追いかけている愚か者に過ぎないのだから。

 

「あぁ……痛いさ。こんな事をされて何も感じない人間なんて居ないよ。でも僕にはもう、これしか残っていないんだ。こんなものも直ぐに捨てれば良かったのに、結局僕は捨てきれなかった。その結果がこれなんだ。ならこの痛みも、この冷たさも全てを受け入れるしかないだろう?」

 

この状況を変えることは出来ないという結果。こうなると知りながらも突き進んだ道。そして、そこにあったものは身体に走る痛みと心を蝕むかのような無力感だけ。

しかしどんな形であれ、どんな経緯であれ、今を支配しているのが結果であり現実だ。目の前にある現実は、当然ながら全て受け入れなければならない。

 

「ただ受け入れて、自分が今やらなくちゃいけない事をするだけだ。

だから君は早く教室に戻って授業を受ければ良いんだ。入学して早々に遅刻だなんて、成績に響く様な勿体無い事をするものじゃないよ」

 

「それは…………それは違います!私がやらなくちゃいけない事は、霧衣賀さんの言っているそれじゃないです!」

 

僕の言葉に反発するように陳ずる天宮の白く肩まで伸びている髪が一瞬で大きく揺れた。

席の横、食堂の通り道に立つ雨宮。その瞳が捉えているのは、この場から去ろうとする彼の背中だった。

覚悟を決めたかのような真剣な彼女の表情に僕は嫌な予感を感じた。床を吹く手を止め、彼女に声を掛けようとしたその時だった。

 

「待ってください日向さん!待ちなさいよッ!!」

 

怒気の籠った強い金切り声が周りに響き渡ってしまった。

 

「……あ?」

 

その呼び止めの声は当然ながら歩いている彼の耳にも届く。足を止めて天宮の方に振り向く日向。そして僕も、この場にいた誰もが天宮に注目した。だが、それさえも気に停めない彼女はただ彼に咎めるような視線を真っ直ぐに送り続けている。

出会ってまだ2日しか経っていないが、それでも分かってしまった。彼女の様な芯の強い人間や正義感の強い人間だからこそ何か余計な事をしてくれるんじゃないかと僕は嫌な予感を感じ取ったのだ。だが、僕はそれを止めようとして遅れてしまった。

彼女が彼を呼び止めてしまった事で収集が着くどころか、余計に話がややこしくなってしまう。互いに睨み合う2人を見る僕の心は焦燥に駆られるばかりだ。

 

「何だよ。まだ俺に用があんのか?ろくに此奴を庇えない癖に、無駄に出しゃばって来るんじゃねぇよ。そんなアンタに一体何が出来るって言うんだ」

 

呆れる様に両肩を上げて話す彼は天宮の正面に立って彼女を見下す。彼女の目は依然として鋭いままだ。

 

「もう許せません!こんな事を平然と出来る貴方を私は絶対に許しません!私は、貴方に決闘を申し込みます!」

 

怒りに震える天宮が勢い良く日向に向けて人差し指を突き出す。

彼女の発した決闘という言葉に反応してか、周りの人間がざわつきはじめる。決闘……叫ぶように天宮が切り出したそれは、この学校に設けられたバトルスピリッツでの対人戦のルールの1つとして設定されているものだと、案内に載っていたのを僕は思い出した。

互いに意見が分かれた時、言葉ではどうしようも出来ない場面になった時、それを解決する為の力による制圧行為がそれである。お互いが自分自身の持っている何か1つを天秤に掛け、勝利した者がそれを得ることが出来る単純なルール。だが、力なき敗者は勝者にただ奪われる屈辱を味あわされるだけという強引で野蛮なルールの下に展開される無慈悲な戯れ。

彼女がそんなものを自らの口で発した事が自分にとっては何よりもの衝撃だった。そして日向の方は意外で面白いものを見るような目付きで続く彼女の話に耳を傾ける。

 

「この学校に設けられているバトルスピリッツのルールです。貴方なら勿論把握はしていますよね?」

 

「あぁ、当然の事だからな。だが俺がアンタと決闘とは随分とおもしれぇ事を言うじゃないか。自分が俺達オールド・センチュリーよりも優秀なネオン・センチュリーだからって調子に乗ってねぇか?」

 

「冗談に思いますか?本気ですよ、私は」

 

「何を言ってるんだ!?そんな事をすれば、どうなるか……君自身が1番理解している筈だろ!?」

 

人の尊厳を簡単に踏みにじることが出来るルールで華奢な女の子がそれに挑んでしまったらどうなるか。その行く末は僕にとって想像に固くない、絵に書いたような結末を辿る事になってしまうだろう。

確かに、オールド・センチュリーよりも総合スペックが高いであろう天宮であれば多少の希望は見えるかもしれない。そう、勝てればそれで安心かもしれないと思うだろう。だが、そうはいかない。彼女の場合は自分を庇ったという事実が残ってしまう。それは彼女が周りから負のレッテルを貼り付けられる1番の要因になるからだ。

しかも、万が一。万が一に彼女が敗北する事になってしまったら彼女の身の保証は無いに等しい。僕の為だけに敗北という全てを失うリスクを背負ってまで彼女が彼に戦いを挑む必要は無い。それなのに、何故彼女はそこまで他人の為に出来る……?

 

「今ならまだ取り消せる!僕を庇って戦ってしまったら、君もこんな扱いを受けるかもしれないんだぞ!」

 

「だったら、何度だって戦います!人の事を嗤って傷付けたり、人の素敵な夢を馬鹿にする人とは、私は誰とでも戦います!戦って見せます!!」

 

それでも、彼女は戦う意志を貫いた。貫いてしまった。覚悟して挑もうとするその姿は、まるでアニメに登場する正義のヒーローのように勇ましく、輝いて見えるだろう。

しかし僕にとってその姿は絶望への1歩を踏み出そうとしている無謀な少女のように見えて、思わず目を背けたくなる。

 

「ほう……いいじゃねぇか。思い切りのある男勝りな女も俺は好きだぜ?じゃあ、アンタは俺に何を求めるんだ?」

 

「霧衣賀さんの夢を侮辱した事を訂正して貰います。そして彼に対する暴言、暴力行為の全てを金輪際辞めて貰うことを貴方に要求します」

 

「なるほど。自分の為じゃなく、こんな屑の為に戦うって事か。弱き者を助け悪を挫くヒーローのつもりか何かは知らないが、こちらも負ける訳にはいかんので勿論勝たせてもらうぜ?

おっと、俺からの要求はそうだなぁ……」

 

すると、日向は顎に手を当て天宮の身体を足から頭まで、まるで値踏みをする様な目でじっくりと見つめ始める。女性に対して行うには余りにも下品過ぎる行為。横から見える嫌らしい表情は彼の欲望を鮮明に写しだしている。彼は恐らく人間として最低な要求を彼女に行うつもりだろう。

そして、彼は不敵な笑みを浮かべ言った。

 

「クフフ……!なら俺が勝てば、アンタは俺の女として付き従ってもらうことにしよう。

どうだ、敗者を自分の女にするのも悪くはないものだろう?よく見れば、容姿も中々に良いし、勝てば俺らより上位種のネオン・センチュリーに勝ったという実力の証としても申し分ねぇしな」

 

頭から血の気が引く感覚。2人の要求を、決闘の成立を僕はただ、その場に座り込んで諦観していた。

……言わんこっちゃない。まだ間に合う、だから辞めろと僕は強く言ったんだ。自分の何かを掛けて決闘をするという事は、自分自身の体さえも負ければ、全て勝者の物になってしまうという事。日向が天宮に要求しているのは正にそれだ。欲に生きる人間のドス黒い部分が垣間見えた瞬間、彼女の顔に一瞬の恐怖が生まれていたことを僕は見逃さなかった。その横顔、一瞬だったとしても戦いへの不安と恐怖に満ちたその表情は色濃く、ゆっくりと僕の目に刻み込まれた。

全ては、僕の責任だ。僕が取らないといけない責任なのに、自分にはこの状況を何とかする力は無い。それなのに全くの無関係の女の子に守って、助けてもらうという自分の不甲斐無さに右手に持つハンカチを力強く握るしかなかった。

バトルスピリッツ…………!これの何が分かり合う為のグローバルで便利なツールだというのだ。今自分の目の前で起こっているのは、グローバルで分かり合う事とは余りにも目的がかけ離れた賭博行為じゃないか。

これをこの年齢で執り行う生徒も頭がおかしいが、何よりもこの内容を異論なく認め、学校のルールとして設定した上の教師達も、それに違和感を感じずに意見しない大人達も十分にとち狂っているとしか言いようが無い。

結局の所、世の中のお偉い老人達が大層なお題目を掲げたとしても、人間はその時の感情で目の前にあるものを都合のいい道具と解釈して利用するんだ。

 

「……貴方の様な人が考えそうな正にテンプレートな要求ですね」

 

「実力の証明も、女も。戦って勝利して手に入れる。今日の放課後、大体育館に来い。それで決闘の成立と行こうじゃねぇか。

そして勿論、そこに座ってる屑野郎もだ。分かっているよな?」

 

僕の方へ1度目を向ける日向。逃げるなよと、そう意味合いで僕に釘を刺しているようだが、こちらは逃げるつもりなど初めから無い。

言われずとも分かっている。そんな事は許されないのだと。それで自分だけが逃げてしまえば、僕は自分の責任さえ果たせない本当のろくでなし野郎だ。

 

「……分かっているさ。僕に最初から逃げ場なんて無い」

 

「覚悟しておくんだな、霧衣賀」

 

そう言って、日向は僕達に背を向けて食堂の出入口の方向へと歩いていく。好き勝手言われてしまったが彼との話し合いはこれで終わりを迎えた。だが心に平穏は無く、不安は残ったまま落ち着くことは無い。次に会うのは放課後の体育館、2人の決闘の時だ。

……しかし、これはナンセンスが過ぎる。自分としては1度選んだ道に後悔は無かったし、誰も巻き込むつもりも無かった。ただ自分だけが彼等によって傷つけば良かったのだ。それで以降は何事も無く終わりになる筈だったんだ。

だが、イレギュラーはその状況をより最悪な形として目の前で起こしてしまった。起こってしまった事を今更悔やいても仕方が無い。という言葉で割り切りたく無いが、こうなってしまった以上、僕は彼女が勝利する事を願って見守るしかないだろう。それが今の自分にとって最もやらなければいけない事になってしまったからだ。

 

 

 

 

「…………何故だ」

 

「霧衣賀さん、私は……」

 

「何故、僕の忠告を聞かなかった……!何故それを選んだんだ!僕の言葉を素直に聞いて、その時に踏みとどまってさえいれば、君はこんな事に巻き込まれずに済んだんだぞ!?あんな下衆な男の要求に答えずに済んだんだ……

君は今までの、幸せな自分のままでいられたんだぞッ!!」

 

本当はここで僕は天宮に謝るべきなのだろう。彼女には全く関係の無い話なのに、もう後戻りの出来ない争いに巻き込んでごめんなさいと。そして、謝ってから守ってくれた事への感謝もするべきだった。本当にありがとうと……

頭では分かっているはずなのに、激昂する感情がそれよりも先に自分の口を動かしてしまっていた。彼女に謝罪をする所か、逆に僕は彼女の行いを責め立ててしまった。

 

「そんなリスクを君が背負う必要は無かった。もし負ければ、君は何をされるか分かったものじゃない。君が期待している青春が奪われるかもしれないんだ。汚されるかも、しれないんだ……

自分にとって1番大切なものの筈だろうに、それだけの危険な事を僕の為だけに掛けるものじゃないだろう!」

 

感謝の気持ちよりも、罪悪感とどうしようも出来なかった憤りの方が勝っていたんだ。それを天宮にぶつけても何の意味も無いというのに。ただ、お互いが虚しくて、悲しくなるだけなのに。

彼女も彼女で、こんな事に巻き込まれないようにする為の方法は幾らでもあっただろう。彼女はただ、自分の事だけを考えて自分の安全の為だけに行動をすれば良かったのだ。あの時に余計な事を言わず、僕を放って教室に戻っていればこんな事にはならなかった。

だが、彼女は自分の身の安全よりも他人を守る事を選び、そして決闘という道まで選んでしまった。それは実質的に僕が彼女にその選択を選ばせてしまっていたという事に繋がっているのだろう。

あの時にもっと強い言葉で止めるべきだったと自身が反省をしても、もう遅い。後悔はいつだって僕を許してはくれないんだ。

 

「……分かってますよ、それくらいの事は私にだって。それを分かった上で私は自分の意思で、あの人と戦う事を選んだんです!!」

 

「なら尚更だった!こうなると分かっていながら、どうして君は!」

 

「でも、貴方を助けるにはこうするしかないじゃないですか!私には、貴方があの人に傷つけられていく姿を黙って見ているなんて出来ませんよ!

それで、もし仮に私があの時に止まったとしても、また次の日に貴方が傷付くかもしれないじゃないですか。それがこれから先も続くなんて絶対に嫌に決まってます!そんなの誰だって辛い筈なんです!だから私は止めに入ったんです。貴方が私に望むように、私も貴方に幸せでいて欲しいから」

 

「くっ……!」

 

彼女が強く叫ぶように声を張り上げる。ヒートアップする言い合いの中、汚れた言葉を使うしかない僕に対して、天宮は未だに僕の眼前で綺麗事を陳列させる。それが今の荒んだ自分には極めて耳障りで不愉快に感じてしまう。感情が剥き出しで攻撃的な言葉使いになってしまうのはこれのせいだ。

何故、彼女は他人の為にたたかうことができる?何故そこまでの覚悟を決めて、平気で立っていられる?そしてその原動力は一体何が源となっているのだ?

 

「私にはまだ、霧衣賀さんの様な立派な目標なんてものはありません。貴方から、その夢の話を聞くまで、自分の将来の事なんて意識すらしていませんでした。

……貴方への憧れと言ってもいいです。貴方のように私も気高い心で未来と向き合いたい。貴方のように私も大きな夢を見つけてみたいって思えたんです!だから、その1歩を私は踏み出します!」

 

「そんな……馬鹿な」

 

その事を彼女は昨日も言っていた。動機は全くの同じで若さ故に持てる、とてもシンプルな1つの感情が今の彼女を突き動かしている。

彼女の言ったそれは、人間の誰もが持つであろう感情。美しく、綺麗でかっこよくて、壮大で……見れば誰もが強く心が引かれるもの。所謂、憧れというやつだ。

憧れは人を動かし、人生を良くも悪くも左右してくれる、ある意味で厄介なもの。嫉妬と失望の中で生きざるを得なかった自分には考えられなくて、到底掴み取ることの出来なかった煌めき。

 

「たったそれだけの為に。他人の夢の為だけに自分を掛けられるというのか?」

 

それが今、こんな情けない姿の自分に対して他人から向けられていたという、思いがけない事実に言葉を失ってしまった。

 

「人の夢を汚すのは、否定するのは……その人から生きる力を奪う事になるんです。今日の日に、霧衣賀さんがあの人に踏みにじられてるのを見て、現実を知って……情熱を持っていた貴方がそうなってしまった原因が目の前にあって、居ても立ってもいられなくなったんです。

まだ夢も無くて、高校生になったばかりの子供の私には出来る事は限られていますが、貴方の夢を守る事は出来ると思ったから。だから……

 

 

 

 

 

私にも貴方の夢を応援させてください……!」

 

 

 

 

 

僕の前で両膝をついた天宮。彼女の細く、白くて綺麗な両手が僕の汚れた右手を包むように優しく握り締めてくれた。右手は水で染みたハンカチを持ったままで冷たい。でも、今はとても暖かく感じられた。彼女の手がそうさせてくれた。

力強く、頼もしく僕に語り掛ける彼女の言葉を僕はただ黙って聞いているしかなかった。言いたい事は山程ある筈なのに、上手く発する事さえ出来なかったのだ。彼女の覚悟は並大抵のものでは無かった。挑む事への恐怖はあるだろう。しかし、立ち止まることよりも前に進む精神を体現するかのような勇姿を見せてくれた。

 

「私を……信じてください。霧衣賀さん」

 

目の前には彼女の顔が、僕の方へと向けられたその表情は母の抱擁にも似た優しさに満ちた微笑みだった。

途端に自分の視界が徐々に不安定になっていく。眼鏡の先に映っている彼女の笑顔も歪んでいってしまう。同時に何かが自分の頬を伝い、顎にまで到達して落ちていく。どんどん、どんどんとその数は増えていく。

それが疑問に思う前に僕は気付いた。いつの間にかだった。特に何も意識はしているつもりはなかった。だが、込み上げてくる複雑な感情を否定する事も出来なかった。何の、それくらいの事なら僕はいつでも押し殺すことが出来る。ずっとそうやって生きてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

それなのに……

 

 

 

 

 

 

 

僕の両目からは、大粒の涙が次から次へと零れ落ちていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ーcalling youー

 

 

 

 

 




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